ジミ・ヘンドリックス
やはり、何といってもロックギターといえばジミ・ヘンドリックスです。昨年の11月に転んで痛めた左手の人差し指は、いまだに違和感があり、思うように曲がりません。キーがEの曲ならまだ何とかなりますが、途中でCが出てくると困ってしまいます。二弦の1フレットがうまく押さえられないのです。そんなときでも、ジミ・ヘンのギターを聴くと、左手の痛みも忘れてしまいます。
ジミ・ヘンドリックスが偉大とされる理由は数多く語り尽くされています。その革新的なギター奏法、サウンド、作曲能力、そして圧倒的なライブパフォーマンス――どれをとっても常識を超えていました。彼は、それまでのロックギタリストの概念を根本から覆し、後の世代に絶大な影響を与えました。
彼の奏法の特徴は、「リズムとリードの融合」にあります。単なる伴奏や主旋律にとどまらず、両者を同時に、しかも滑らかに弾く。大きな手で親指を6弦に回し、コードを鳴らしながら残りの指でメロディーを奏でる。ジミ・ヘンの指先は、まるで二人のギタリストが同時に弾いているかのような自由さを持っていました。そういったギターを弾きながら、ジミヘンは歌う!
さらに、彼はエフェクターの使い方でも革命を起こしました。ファズ、ワウ、フィードバックなど、当時「ノイズ」とされていた音を、音楽の一部として昇華させました。彼にとってギターは単なる楽器ではなく、魂の延長でした。ステージ上の彼は、ギターを「弾く」というよりも「対話している」ように見えました。まさに、体全体で音を表現していたのです。
アナログの音、体で浴びる音
デジタル録音のCDは、技術的に言えば、音の情報を数値化して処理する過程で「倍音(ハーモニクス)」の多くをカットしています。倍音とは、人間の耳には直接聞こえにくいものの、音の豊かさや深みを構成している要素です。一本の弦を鳴らしたとき、基本の音(基音)だけでなく、その整数倍の周波数をもつ音が同時に発生します。これが倍音です。アナログ録音では、その倍音成分がそのまま残るため、音に厚みと温かみが生まれるのです。
ところが、デジタルのCDは「コピーは劣化しない」という美名のもとに、最初からこの余計な部分――つまり人間の身体が“感じる”ために必要な部分――を削ぎ落としてしまっています。確かに、デジタルのコピーは何度繰り返しても品質は変わらない。しかし、その“変わらない音”とは、すでに削ぎ落とされた情報を固定化したものなのです。
オリジナルとコピーの区別は、一般の耳にはほとんどわかりません。しかし、耳のいい音楽家が聴けば、すぐにわかります。デジタルはデジタル、コピーはコピーなのです。音は波であり、人間の耳や感覚はアナログです。だから、私たちはデジタルの音を「理解」しているつもりでも、実際には身体が感じる豊かさを失っているのでしょう。ジミ・ヘンドリックスのギターを聴くと、その失われた“波の厚み”がどれほど尊いものかを思い知らされます(、、、のような気がします)。
ジミヘンの音をデジタルのクリアなCDで聴いてはいけない。耳には綺麗に聞こえるかもしれませんが、それは「音の表面」しか伝わってこない。彼のギターは、体全体で浴びるものです。倍音のうねりや空気の圧力、弦がアンプを通して空間を震わせるあの感覚こそが、彼の表現の本質なのです。
コピー文化とAIの時代に
コピーは劣化しない――。この言葉が、現代社会の象徴のように響きます。写真も音も、文章も、AIによっていくらでも再生産できる。オリジナルの存在すら問い直されつつあります。しかし、そこには本物を超えることのできない“空虚な均一さ”があります。
ジミ・ヘンドリックスの音楽は、そうした時代の流れに反旗を翻しているように思えます。彼の音には、偶然のノイズや歪み、汗、焦燥、そして一瞬の閃きが刻まれている。アナログの録音テープには、その瞬間の“空気”が残っている。そこには、削ぎ落とされることのない生命の記録があるのです。
彼はもちろん、デジタル化やAIの登場を知りませんでした。しかし、もし生きていたら――きっと彼は新しいテクノロジーを駆使しながらも、倍音を削除しない「全身で感じる音」を追い求め続けたでしょう。きれいに整えられたコピーではなく、汗とノイズの混じったリアルな音。そこにしか“人間”の存在はないと知っていたはずです。
ノーベル賞もののイントロ
衝撃を受けたイントロはいっぱいあるのですが、『Hey Joe』のイントロもその一つです。たった数小節で、情景が立ち上がり、感情が伝わってくる。音の間に沈黙があり、そこに空気が震えている。あのイントロだけで、ノーベル賞に値すると思います。それほどの価値があるのです。
ジミ・ヘンドリックスのギターは、単なる音楽ではなく、時代への問いでした。今のようにAIが人の創造を模倣し、すべてが「コピーで済む」時代にあって、ジミ・ヘンの音は私たちに教えてくれます。――人間の表現とは、誤差とノイズの中に宿るものなのだと。
デジタルがどれほど進化しても、人間の耳と心はアナログです。だからこそ、彼の音は今も、体の奥で震え続けているのです。
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ジミ・ヘンドリックスが偉大とされる理由は数多く語り尽くされています。その革新的なギター奏法、サウンド、作曲能力、そして圧倒的なライブパフォーマンス――どれをとっても常識を超えていました。彼は、それまでのロックギタリストの概念を根本から覆し、後の世代に絶大な影響を与えました。
彼の奏法の特徴は、「リズムとリードの融合」にあります。単なる伴奏や主旋律にとどまらず、両者を同時に、しかも滑らかに弾く。大きな手で親指を6弦に回し、コードを鳴らしながら残りの指でメロディーを奏でる。ジミ・ヘンの指先は、まるで二人のギタリストが同時に弾いているかのような自由さを持っていました。そういったギターを弾きながら、ジミヘンは歌う!
さらに、彼はエフェクターの使い方でも革命を起こしました。ファズ、ワウ、フィードバックなど、当時「ノイズ」とされていた音を、音楽の一部として昇華させました。彼にとってギターは単なる楽器ではなく、魂の延長でした。ステージ上の彼は、ギターを「弾く」というよりも「対話している」ように見えました。まさに、体全体で音を表現していたのです。
アナログの音、体で浴びる音
デジタル録音のCDは、技術的に言えば、音の情報を数値化して処理する過程で「倍音(ハーモニクス)」の多くをカットしています。倍音とは、人間の耳には直接聞こえにくいものの、音の豊かさや深みを構成している要素です。一本の弦を鳴らしたとき、基本の音(基音)だけでなく、その整数倍の周波数をもつ音が同時に発生します。これが倍音です。アナログ録音では、その倍音成分がそのまま残るため、音に厚みと温かみが生まれるのです。
ところが、デジタルのCDは「コピーは劣化しない」という美名のもとに、最初からこの余計な部分――つまり人間の身体が“感じる”ために必要な部分――を削ぎ落としてしまっています。確かに、デジタルのコピーは何度繰り返しても品質は変わらない。しかし、その“変わらない音”とは、すでに削ぎ落とされた情報を固定化したものなのです。
オリジナルとコピーの区別は、一般の耳にはほとんどわかりません。しかし、耳のいい音楽家が聴けば、すぐにわかります。デジタルはデジタル、コピーはコピーなのです。音は波であり、人間の耳や感覚はアナログです。だから、私たちはデジタルの音を「理解」しているつもりでも、実際には身体が感じる豊かさを失っているのでしょう。ジミ・ヘンドリックスのギターを聴くと、その失われた“波の厚み”がどれほど尊いものかを思い知らされます(、、、のような気がします)。
ジミヘンの音をデジタルのクリアなCDで聴いてはいけない。耳には綺麗に聞こえるかもしれませんが、それは「音の表面」しか伝わってこない。彼のギターは、体全体で浴びるものです。倍音のうねりや空気の圧力、弦がアンプを通して空間を震わせるあの感覚こそが、彼の表現の本質なのです。
コピー文化とAIの時代に
コピーは劣化しない――。この言葉が、現代社会の象徴のように響きます。写真も音も、文章も、AIによっていくらでも再生産できる。オリジナルの存在すら問い直されつつあります。しかし、そこには本物を超えることのできない“空虚な均一さ”があります。
ジミ・ヘンドリックスの音楽は、そうした時代の流れに反旗を翻しているように思えます。彼の音には、偶然のノイズや歪み、汗、焦燥、そして一瞬の閃きが刻まれている。アナログの録音テープには、その瞬間の“空気”が残っている。そこには、削ぎ落とされることのない生命の記録があるのです。
彼はもちろん、デジタル化やAIの登場を知りませんでした。しかし、もし生きていたら――きっと彼は新しいテクノロジーを駆使しながらも、倍音を削除しない「全身で感じる音」を追い求め続けたでしょう。きれいに整えられたコピーではなく、汗とノイズの混じったリアルな音。そこにしか“人間”の存在はないと知っていたはずです。
ノーベル賞もののイントロ
衝撃を受けたイントロはいっぱいあるのですが、『Hey Joe』のイントロもその一つです。たった数小節で、情景が立ち上がり、感情が伝わってくる。音の間に沈黙があり、そこに空気が震えている。あのイントロだけで、ノーベル賞に値すると思います。それほどの価値があるのです。
ジミ・ヘンドリックスのギターは、単なる音楽ではなく、時代への問いでした。今のようにAIが人の創造を模倣し、すべてが「コピーで済む」時代にあって、ジミ・ヘンの音は私たちに教えてくれます。――人間の表現とは、誤差とノイズの中に宿るものなのだと。
デジタルがどれほど進化しても、人間の耳と心はアナログです。だからこそ、彼の音は今も、体の奥で震え続けているのです。
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