日本で初めて女性の首相が誕生しました。イギリスBBCは「歴史的瞬間でありながら、但し書き付きの快挙」と報じています。記事によれば、若い女性たちの中には「女性が首相になること自体は象徴的だが、高市氏の政治信条はむしろ保守的で、ジェンダー平等を推進するタイプではない」、という声もあるとのことです。一方で、「女性がリーダーになること自体が社会に心理的な壁を取り払う契機になる」と期待を寄せる見方もあり、評価は分かれています。
興味深いのは、BBCの記事全体に流れる「男女平等とは何か」という視点です。
西欧社会では「女性が権力の座に就くこと」がすなわち「平等の証」として語られがちですが、日本の場合、もう少し異なる層の議論が必要だと思います。
イギリス ― サッチャーが示した“平等”のパラドックス
イギリスは1979年、マーガレット・サッチャーという女性首相を誕生させました。彼女は「鉄の女(Iron Lady)」として、福祉国家の構造改革や国営企業の民営化を断行し、労働組合と真っ向から対立しました。その姿は、女性だからこそではなく、「強いリーダー」としての象徴でした。
しかし、サッチャーが女性の社会進出を支援したわけではありません。むしろ、彼女の政治哲学は自己責任を重んじ、個人の能力と努力を信じるものでした。つまり、サッチャーの時代に実現したのは“機会の平等”ではなく、“競争の自由”でした。その意味で、イギリスにおける「女性首相の誕生」は、必ずしもフェミニズムの勝利ではなかったのです。
アメリカ ― 理想としての平等と、現実の分断
アメリカは「すべての人は平等に造られている(All men are created equal)」という理念を掲げて建国されました。しかし実際には、長い間その“men”には女性も有色人種も含まれていませんでした。黒人解放運動、女性参政権運動、フェミニズムの波を経てようやく理念が現実に近づいたものの、依然として格差や分断は深刻です。
私自身、ほぼ20年、アメリカで生活し子育てをしてアメリカ企業で働いてきましたが、現場ではむしろ「平等を掲げながらも差別が残る社会」の矛盾を感じました。昇進や採用においても、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)のおかげで助けられた面が多分にありました。制度的には平等を追求していても、実際は「違い」が残っている。それがアメリカのリアルな姿です。ニューヨークやシカゴのような大都市と南部の都市でもかなり異なっています。
そして皮肉なことに、トランプ政権の登場は、そうした“反知性主義”と“平等への反発”がアメリカ社会に根強く存在することを露呈しました。「自由」や「平等」を掲げたはずの国が、いま最も不平等で分断された社会の一つになっている――この逆説は看過できません。
日本 ― “同じ”であることより、“違い”を受け入れる社会へ
それに比べると、日本社会の「平等」意識はもっと静かで、アンビバレントです。男女が同じ権利を持つというよりも、互いの“違い”を認め、折り合いをつけて共に生きるという感覚が根底にあります。
この点で興味深いのは、社会主義者・北一輝の思想です。彼は男女平等主義者でありながら、「断じて同一の者に非ざる本質的差異」(男女は本来、同じではない)を認めました。つまり、男と女は違う。それでも、共に生きる努力を怠ってはならない――という考え方です。
私はこの“差異の承認”こそが、日本型フェミニズムの出発点になり得ると考えています。「女性だから優遇する」でもなく、「男性と全く同じにする」でもない。性別を超えた「人間としての尊厳の平等」を目指す――それが成熟した社会の姿でしょう。
知と行の一致を
平等とは理念ではなく、実践の問題です。言葉ではなく、行動で示せるかどうか。「知ることと行うことが一致している(知行合一)」――この姿勢こそ、性別を超えて最も尊いものです。
女性が首相になったこと自体を祝うよりも、その人がどのように社会を変えていくのか、そして「言っていることとやっていること」が一致しているか。本当の平等は、その一点からしか始まらないのではないでしょうか。
私はこの“差異の承認”こそが、日本型フェミニズムの出発点になり得ると考えています。「女性だから優遇する」でもなく、「男性と全く同じにする」でもない。性別を超えた「人間としての尊厳の平等」を目指す――それが成熟した社会の姿でしょう。
知と行の一致を
平等とは理念ではなく、実践の問題です。言葉ではなく、行動で示せるかどうか。「知ることと行うことが一致している(知行合一)」――この姿勢こそ、性別を超えて最も尊いものです。
女性が首相になったこと自体を祝うよりも、その人がどのように社会を変えていくのか、そして「言っていることとやっていること」が一致しているか。本当の平等は、その一点からしか始まらないのではないでしょうか。
実際にお会いしたことはありませんが、恐らく高市新首相の男女平等に関する考えは、私の理解に近いのではないでしょうか。
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