2025年10月27日月曜日

まだ間に合う教育再生 ― 若い世代に託す希望



若い世代へのエール

私は高齢者ですから、まずは正直に言わせてもらいます。50歳以上の人たちにいろいろ提言しても、もう手遅れです(人間が、総合的に最も機能するのは50代後半から60代前半だという研究もあるようですが、、、)。耳が遠くなったわけではありません。 頭の中のアップデート機能が、そろそろサポート終了を迎えつつあるのです。

ですから、希望は若い世代に託すしかありません。小中学生から40歳前半くらいまでの人たち、そして彼らを育てる親御さんたち。ここに日本の未来を変えるカギがあります。

「流行」ではなく「原理」を学ぶ

最近は何かと「AIドリル」「プロンプト力」「デジタル人材」など、横文字が飛び交っています。しかし、流行りのツールを追いかけていても、学びの本質には近づけません。道具は時代とともに変わりますが、思考の基礎体力は変わらないからです。

教育の目的は、最新ツールの使い方を覚えることではなく、「抽象度を上げ、全体を見渡す目を育てること」だと思います。つまり、木を見て森を見ずではなく、「森の成り立ち」を理解できる人を育てる。これこそが、AIの時代に、人間が人間であり続けるための知恵です。

子供たちには、本、できれば一冊でも二冊でも古典を読んでほしいと思います。長年読み継がれてきた文章には、時代を超える「人間の知恵」が詰まっています。気に入った部分はどんどん真似していい。模倣は創造の第一歩です。昔の文人たちは皆そうして成長しました。パクることは、恥ではなく学びの技です。

モチベーションとインセンティブを混同していませんか?

さて、日本では「モチベーションが上がらない」という言葉がやたらと聞かれます。しかし、モチベーション(やる気)とインセンティブ(ご褒美)を混同している人が多いようです。

モチベーションとは、自分の内側から湧き出る「よし、やるぞ」という気持ち。インセンティブは、そのやる気を引き出す外側の仕掛け――つまり、ニンジンです。

「ご褒美がないと動かない」では、インセンティブに頼り切った状態です。本当の学びは、ニンジンがなくても走り出すようなモチベーションから生まれます。

では、そのモチベーションはどこから来るのか?
社会のリアリティがそれを育てます。

平均化社会の罠

アメリカの子供たちは、街角でホームレスや薬物中毒者を見ます。同時に、巨大な家に住み、高級車を乗り回す大富豪も見ます。彼らのモチベーションは明快です。「こうはなりたくない」「ああなりたい」――この振れ幅が、行動の原動力になるのです。

一方、日本はどうでしょう。

極端な貧困もなく、極端な富裕も少ない。コンビニに行けば、とりあえず何かは買える。安心で穏やかな社会である一方、「危機感」や「憧れ」という刺激が少ないのも事実です。過度な平均化は、やる気の平準化でもあります。 個性が磨かれる前に、角を丸めてしまうのです。

これは教育にも同じことが言えます。「みんな一緒に、同じペースで」――確かに優しい響きですが、長い目で見れば、誰のためにもなっていません。

「機会の平等」と「結果の平等」は違う

平等主義は大切です。しかし、「機会の平等」と「結果の平等」を混同してはいけません。日本の教育は、時に「結果の平等」に偏りすぎています。

小学校低学年までは、皆で同じことを学ぶのが良いでしょう。しかし、高学年になると、子供たちの得意・不得意、興味の方向ははっきりしてきます。それなのに、どんなに才能があっても、「みんな同じスピードでやりましょう」と言われたら、やる気のある子ほど退屈します。

能力別クラスという言葉は日本では敬遠されがちですが、本来は「格差」ではなく「最適化」の仕組みです。優秀な子を伸ばすと同時に、不得意な子が別の才能を見つけるチャンスにもなる。平等とは「全員が同じ結果を出すこと」ではなく、「全員が自分の可能性を発揮できること」ではないでしょうか。

Gifted と Talented ― 才能の芽をどう育てるか

英語で「Gifted & Talented」という表現があります。Gifted は生まれつきの才能。Talented は努力で伸ばす力。才能があっても磨かなければ錆びますし、努力があれば凡人も変わります。両方がそろって、初めて真の成長が生まれるのです。

日本の教育は、Gifted(天賦の才)を恐れ、Talented(努力する才)を強調しすぎたのかもしれません。「みんな同じように頑張りましょう」と言いながら、実は誰の個性も伸ばせていないのです。これでは、努力の報酬も曖昧になり、モチベーションも生まれません。

刑法の改正に学ぶ ― 一人ひとり違っていい

最近、刑法が改正され、懲役と禁錮が統一されて「拘禁刑」になりました。これも象徴的な変化です。社会が「罰する」より「更生させる」方向に舵を切ったということです。なぜなら、受刑者も一人ひとり違う背景を持つからです。

教育も全く同じです。

子供たちは一人ひとり違う。家庭環境も、関心も、成長のスピードも違う。それを理解せずに「画一的な正解」を押し付ける教育では、人材が育つわけがありません。拘禁刑が人間の多様性を認める制度改正だとすれば、教育にも同じ発想の転換が必要です。

コンサルタントが考える「生きるスキル」

私はこれまでグローバルなビジネスの世界でコンサルティングに携わってきました。その経験から言えるのは、どんな業界でも必要とされるのは「基本的な人間力」だということです。

大人になる前に、子供たちが身につけるべきは、次のようなスキルです。
  • 自分で考える力
  • 責任ある生き方
  • イニシアチブ(自分から動く姿勢)
  • 相手の意見を聴く寛容さ
  • チームワーク
  • 強靭さ(インテンシティ)
  • 向上心
  • インテグリティ(倫理観・スキル・野心のバランス)
  • 信頼性
どれも、試験では測れません。
でも、社会に出てからはこれらがすべてです。

子育て世代へのお願い

子供の教育は、学校任せではうまくいきません。

親御さん自身が、子供の「得意」と「苦手」を見抜く力を持つことが大切です。そして、失敗を恐れない子に育ててあげてください。失敗を笑い飛ばせる余裕こそ、人生の最高の学びです。

子供が「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞いたら、こう答えてあげてください。「将来、自分で考えて、自分の足で立てるようになるためだよ」と。

結びに ― ユーモアを忘れずに

日本の教育には、確かに課題が山ほどあります。でも、それを嘆いていても仕方ありません。

教育の未来は、制度や予算よりも、人間の心の在り方にかかっています。子供たちに必要なのは、完璧な教科書ではなく、「応援してくれる大人の背中」です。

大リーグでは、大谷翔平や山本由伸が従来の大リーグを変えつつあるのではないかと議論されています。それは、かれらの精神力や心の持ち方に注目しはじめているからです。

教育の未来は、制度や予算よりも、人間の心の在り方にかかっています。

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