コントロールは、ストライクゾーンに投げ込む能力。つまり四球を出さない力のことです。一方のコマンドは、ゾーンの中でも狙ったコースに正確に投げ分ける力を指します。ストライクを取るだけではなく、どのように取るか――その精度と意図まで問われるのがコマンドなのです。
日本語の「制球力」には、この二つの意味が混ざってしまいます。
「聞く」と「聴く」のように、感覚的なあいまいさを許す日本語らしさがそこにあります。それは柔らかい響きでもありますが、裏を返せば、責任の所在をぼかす便利な曖昧さでもあるのです。言葉の精度の違いは、そのまま文化の違いなのかもしれません。
私は特別な野球ファンではありません。
それでも大谷翔平選手が登場して以来、MLBのダイジェストをYouTubeで欠かさず見るようになりました。日本のプロ野球すら詳しくない私は、山本由伸投手の存在もドジャース入りで初めて知ったほどです。熱烈なファンというわけではありませんが、ドジャースでは、サードのマックス・マンシーが好きで、つい目で追ってしまいます。キャッチャーのウィル・スミスもいいですね。
プロゴルフでもそうですが、野球も日米の環境には大きな隔たりがあります。その中で日本人選手が結果を出しているのは誇らしいことです。報酬は桁違いですが、求められる厳しさもまた、日本の何倍もあるでしょう。精神的にも、肉体的にも。
それはビジネスの世界でも同じです。
与えられた仕事をこなす“コントロール”の段階から、自らの意図で勝負を作る“コマンド”の領域へ――。
ただ「できる」だけでなく、「どうやってできるか」。
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