2025年10月17日金曜日

コントロールとコマンド ~ 野球が教える言葉の哲学

 

野球の投手を評価するとき、「コントロールがいい」「コントロールが悪い」とよく言われます。けれど英語では、“control(コントロール)”よりも、“command(コマンド)”という言葉が使われるようです。

コントロールは、ストライクゾーンに投げ込む能力。つまり四球を出さない力のことです。一方のコマンドは、ゾーンの中でも狙ったコースに正確に投げ分ける力を指します。ストライクを取るだけではなく、どのように取るか――その精度と意図まで問われるのがコマンドなのです。

日本語の「制球力」には、この二つの意味が混ざってしまいます。

「聞く」と「聴く」のように、感覚的なあいまいさを許す日本語らしさがそこにあります。それは柔らかい響きでもありますが、裏を返せば、責任の所在をぼかす便利な曖昧さでもあるのです。言葉の精度の違いは、そのまま文化の違いなのかもしれません。

私は特別な野球ファンではありません。

それでも大谷翔平選手が登場して以来、MLBのダイジェストをYouTubeで欠かさず見るようになりました。日本のプロ野球すら詳しくない私は、山本由伸投手の存在もドジャース入りで初めて知ったほどです。熱烈なファンというわけではありませんが、ドジャースでは、サードのマックス・マンシーが好きで、つい目で追ってしまいます。キャッチャーのウィル・スミスもいいですね。

プロゴルフでもそうですが、野球も日米の環境には大きな隔たりがあります。その中で日本人選手が結果を出しているのは誇らしいことです。報酬は桁違いですが、求められる厳しさもまた、日本の何倍もあるでしょう。精神的にも、肉体的にも。

それはビジネスの世界でも同じです。

与えられた仕事をこなす“コントロール”の段階から、自らの意図で勝負を作る“コマンド”の領域へ――。

ただ「できる」だけでなく、「どうやってできるか」。

その問いの重みを思うとき、野球というスポーツの奥に、言葉を超えた哲学のようなものが見えてくるように感じます。

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