2025年10月2日木曜日

プロサラリーマンと起業家のあいだ

 
日本工業倶楽部会館(経済同友会)


近年、日本では「プロ経営者」という言葉がもてはやされています。大企業の経営を任され、企業改革を進めた人物は、しばしばその代表格として紹介されます。たしかに株主や市場の期待に応え、業績を立て直した手腕は評価に値します。しかし私は、その姿を見て「プロ経営者」というよりも「プロサラリーマン」と呼ぶ方がしっくりくると感じています。経営を委託されているようでも、株価を上げることを優先順位とされるアメリカのCxOと呼ばれる経営者とも違います。

なぜなら、その人の歩んできた道は、一貫してサラリーマンとしての成功の軌跡だからです。与えられた枠組みの中で成果をあげ、組織を率いて成果を出す。確かに難しい仕事ですが、そこには「ゼロから会社を立ち上げ、存続させる」という経験は含まれていません。トヨタやホンダの創業者とは異なります。

私は二十年、自ら起業した会社の経営を続けてきました。いつまでたっても零細企業です。経営者とは言えないレベルです。だが、自分の会社を存続させることは容易ではありません。単に売上を伸ばすだけでなく、会社のビジョンを明確に描き、そのビジョンを共有できる人材を集め、独自の企業文化を育てなければならないからです。サラリーマン経営者と起業家の違いは、まさにこの「文化を育てる」経験にあると思います。

プロサラリーマンは既存の仕組みをうまく操る達人です。一方、起業家は仕組みそのものをゼロから創り、価値観を共有する土台を築かなければなりません。両者はどちらも社会に必要ですが、その重みや意味は本質的に異なります。政府や教育の目標として「起業家の育成」がスローガンのように掲げられていますが、起業の現実を理解していないのであれば、どれほど立派な言葉を並べても実際には機能しません。ここに私は大きな隔たりを感じます。

日本社会が「プロサラリーマン」を英雄視するあまり、起業家の営みを軽視してはいけないと思います。組織文化を生み出すこと、ビジョンを社会に問うこと。そうした営みこそが、社会に新しい息吹を与えるのです。

20年たっても我が社は全く拡大していません。奇跡的に倒産していない、というのが唯一の実績です。でもまあ、20年もやっていれば“我が社っぽさ”みたいな文化は出てきました。あとは、これを伝承できるかどうか ― そこが一番の山場です。

自民党の総裁選が10月4日に投開票されるようです。

制度や慣習の枠に収まる「安定的な運営」しかできない政治家ばかりだと、日本のような停滞国家は抜本的に変わりません。政治家もまた、修羅場を経験し、既成概念を打破する挑戦が必要だということです。

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