Silicon Valley is home to many major tech firms, including Apple's circular headquarters
(BBCの記事から借用です)
“‘It’s going to be really bad’: Fears over AI bubble bursting grow in Silicon Valley” — BBC ニュース(2025年10月11日付)
この記事で報じられていたのは、OpenAI や Nvidia を中心に、AI関連企業の過熱感と、その先にある市場の崩壊リスクである。記事は、企業間の複雑な投資スキームが実需を曖昧化している点も指摘しています。
このニュースを読んで、私は改めて「AI の進歩」と「人間の知性」の関係を問い直したくなりました。
世界中がAIに熱狂し、巨額のマネーが動くなかで、本当に問われるべきは「人間の側の知性」ではないでしょうか。人工知能は人間を超えるスピードでデータを処理しますが、それが「知的」かどうかは別問題です。AIの能力に驚嘆する一方で、私たちは「知能」と「知性」を混同していないでしょうか。
人工知能は知能(intelligence)を拡張する道具であり、人間にできないことを可能にします。それは、大量のデータを高速に処理するという「計算能力」においてです。しかし、知性(intellect)とは本来、人間固有のものであり、反省や内省、振り返り、すなわち自己認識の営みの中にあるものです。
最近のアメリカを見ていて驚くのは、哲学のような本来「知性」の領域に属する学問まで、形式化・数量化しようとしていることです。AIの議論の根底に、「数値化できないものは存在しない」とする発想があるのです。
アメリカ社会の根本的な矛盾は、自分たちが「永遠にナンバーワンで不滅だ」と信じていることにあります。「More(もっと)」を無限に追い求める“足るを知らない病”です。金を持っている人間が神に祝福された人間であり、偉いのだという価値観。トランプ氏はその典型です。シンギュラリティという概念は、まさにそうしたアメリカ的な富と権力への信仰にぴったり合っているのです。
しかし、そのトランプ政権下で進められた徹底した不法移民の取り締まりと大規模な強制送還は、アメリカの本質的な強みを損なうものでした。問題は単に下層の労働力だけではありません。シリコンバレーを支えてきたのは、インド系や中国系をはじめとする世界各地から集まった優秀なエンジニアたちです。彼らの中には合法・非合法を問わず、才能を求めてアメリカにやってきた人々が少なくありませんでした。アメリカのベンチャー企業は、そうした移民たちのエネルギーと創造力によって支えられてきたのです。
その「懐の深さ」こそが、かつてのアメリカ経済を再生させた最大の要因でした。
アメリカ資本主義を支えてきたのは、合理性と多様性という二つの支柱です。合理的な仕組みと透明なルールのもとで、多様な人材が競い合うことで新しい産業が生まれてきました。1990年前後のアメリカ経済がどん底から復活したのは、まさにこの二つの力によってでした。ところが今、その合理性は投機的な「AIバブル」によって歪められ、多様性は排外主義的な政策によって損なわれつつあります。アメリカがかつて自らを支えた土台を掘り崩しているようにも見えます。
そして残念ながら、日本もまた同じ過ちを犯しています。新聞やテレビのコメンテーターが、表層的な理解だけでAIやシンギュラリティを語る光景は、滑稽とさえ言えます。ここでも、手段と目的の取り違えが起きているのではないでしょうか。AIという「知能の拡張」を目的化してしまい、「人間の知性」を磨くという本来の目的がすっぽり抜け落ちているのです。
知能と知性を混同する国は、アメリカであり日本でもあります。
AIに頼るほど、人間は何を失っていくのか。それを考える「知性」こそ、今いちばん必要とされているのではないでしょうか。
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