2025年10月16日木曜日

納豆とわたし ― 福岡からニューヨーク、そして保谷納豆へ

 


















子どもの頃、私は福岡市内の公団住宅に住んでいました。
昭和30年代から40年代の初めの頃です。

朝になると、リヤカーを引いたおじさんが「豆腐」や「納豆」ではなく、「おきゅうと」を団地に売りに来ていました。

「おきゅうと」とは、海藻のエゴノリを煮溶かして小判型に固めた福岡名物で、農林水産省のホームページにもちゃんと紹介されています。戦前までは「おきゅうと売り」が朝の風物詩で、飢饉の時代には多くの人を飢えから救ったといわれ、「御救人(おきゅうと)」という字をあてる説もあるそうです。なるほど、名前からしてありがたい。いわば“食卓の救世主”です。

しかし、我が家の朝の食卓におきゅうとが並ぶことはありませんでした。そんな福岡で育った私ですから、納豆文化とは無縁のはずです。ところが、わが家では例外的に納豆を食べていました。両親も私も関西出身。関西では納豆は「くさい」と敬遠されがちですが、私は大好きでした。我が家では“卵を入れるか入れないか”で論争が起こるほどです。

ニューヨークに暮らしていた頃も、納豆だけは切らさないようにしていました。日本食料品店では冷凍の納豆が売られていて、我が家ではいつもストックしていました。海外生活では、味噌汁よりも納豆が恋しくなる――そんな日本人は案外多いものです。

ここ15年ほど、私は「保谷納豆」の〈つるの舞〉を食べ続けています。年を重ねるとステーキの焼き加減が変わるように、納豆の粒の大きさの好みも変わるものです。若いころは小粒一筋でしたが、今は断然、大粒派。大豆本来の香りと甘みがしっかりしていて、「ああ、豆を食べているなあ」と実感できます。

考えてみれば、「おきゅうと」と「納豆」は、どちらも日本の知恵の結晶です。海と畑――まるで性格の違う素材を、丁寧に発酵・加工して食文化にしてしまう。その工夫と根気こそ、まさに日本人らしさではないでしょうか。

納豆をかき混ぜながら、私はときどき思います。1990年代のマンハッタンでは、ヤッピーたちは枝豆なんて食べ方も知らなかったし、興味もありませんでした。ところが2000年代に入ると、バーのカウンターで若いビジネスマンが枝豆をつまみにビールを飲んでいる。寿司もラーメンも、今ではすっかり定着しています。

もちろん、日本の食文化が世界に広がるのはうれしいことです。でも、どこか複雑な気分にもなります。五感で楽しむ日本の食べ物の良さや情緒を世界の人が理解してくれるのはいいのですが、日本人だけの楽しみが少しずつ“外”に溶け出していくようで……。

和食の歴史や作法だって、日本の中でも忘れられつつあります。海外で広まるうちに、日本食もまるで別物になっていくのかもしれません。

外国の人は「いただきます」も「ごちそうさま」も言わないですからね、、、、。
    
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