昭和の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」は、子ども向けの歌として知られていますが、大人になって歌詞を読み返すと、そこにあるのはサラリーマンの虚無感を描いた風刺です。
たい焼きくんは、毎日の繰り返しにうんざりし、上司と喧嘩して会社を辞めます。「泳いで気持ちがいい」と自由を謳歌するのも束の間、住処は難破船、サメにいじめられ、空腹に苦しみ、最後は釣り上げられて食べられてしまう。救いも「めでたしめでたし」もありません。ただ、諦めの物語なのです。
それが当時は「サラリーマン哀歌」として共感を呼び、大ヒットしました。しかし今、この歌にそこまで身を重ねる人は減ったかもしれません。なぜなら、日本社会そのものが「諦めのさらに先」、より虚無的な段階にシフトしているからです。
ここで思い浮かぶのが、AIや情報化社会のことです。最新の動画生成AI「SORA2」が話題を集めていますが、情報化の本質は「本物とニセモノの境界が消える」ことにあります。AIが作り出す幻想は、たい焼きくんの物語のように、人を一時的に自由にするかもしれません。しかし結局は罠にかかり、食べられてしまう。そんな構図にも似ているのです。
「桃色サンゴが手を振って」くる幻想的な歌詞が、実は夜の歓楽街の疑似恋愛を暗示していたように、AIがつくる映像や文章にも、私たちがまだ気づいていない裏の意味が潜んでいるかもしれません。本物に見えても、それはフェティッシュな幻想にすぎない可能性があります。フェティッシュな幻想の中で小学校の先生をやっている人たちには困ったものですが、、、。
では、どうすれば「食べられないたい焼きくん」でいられるのか。
その答えのヒントは、私たち自身の“居場所”にあります。人間関係の本来のコアは家族であり、次に友人。そして、楽屋のように仲間と時間を共有し、意見を交わし、緊張をほぐし、修練する場所が大切です。今の日本は、楽屋とステージの境が曖昧になり、緊張すべき場で緊張せず、仲間と本音で意見交換する「楽屋」も失われつつある。Facebookの友達申請がそのまま「友達」になってしまう時代は、あまりにも安易です。
本当の意味で甘えられる環境は、時間をかけて自分でつくるしかありません。そして甘えの前提は「trust & respect(信頼と尊敬)」です。相手を尊敬するには、自分も尊敬されるよう努力する必要があります。甘えの過剰は、世襲政治家の親子関係のように相互依存を生みますが、親子関係は一生をかけて trust & respect を構築するプロセスだと思うのです。
このテーマは、ibgがポストコロナの羅針盤としてまとめた『迷子になる地図』とも重なります。個と公共の問題であり、教育や異文化コミュニケーションの問題でもあります。日本人が本来得意とした「内と外のバランス」をもう一度見直す時期なのかもしれません。
たい焼きくんは「精一杯泳いだ」が、結局は食べられてしまいました。では私たちは?
AI幻想の海で、自由に泳げると思った矢先、気づけば情報の網にからめ取られているかもしれません。だからこそ、諦めの歌で終わらせるのではなく、一人ひとりが「自分の価値を見出せる居場所」を見つけ、築いていくことが必要です。
AIの時代だからこそ、人間が人間らしくいられる場所を、時間をかけて、自分で作ること。これが「たい焼きくん」の悲劇を繰り返さないための、現代版サバイバルなのかもしれません。
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