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私のアメリカへのあこがれは、音楽ではベンチャーズ、映画では『卒業』や『ブリット』、そしてテレビドラマでは『逃亡者』にはじまります。60年代から70年代初期にかけて、私はアメリカのドラマを片っ端から観ました。『ルート66』『サンセット77』『名犬ラッシー』『ハイウェイ・パトロール』『ハワイアンアイ』、そして『奥様は魔女』『鬼警部アイアンサイド』『警部マクロード』。しかし、その中でもデビッド・ジャンセン主演の『逃亡者(The Fugitive)』は、群を抜いて私の心をとらえました。
『逃亡者』は、妻殺しの濡れ衣を着せられた医師リチャード・キンブルが、真犯人である“片腕の男”を追い求めながら、アメリカ中を逃げ続ける物語です。1963年に放送が始まり、日本でも1964年からTBS系列で放映されました。私は福岡市の公団住宅に住む小学生で、土曜の夜8時、テレビの前に釘づけになっていました。
いま思えば、あの地方都市の団地の世界と、キンブルが旅する広大なアメリカの風景との対比が、何よりも鮮烈だったのだと思います。それは、自分の日常と、スクリーンに広がるアメリカの街並みとのギャップ。私にとって『逃亡者』は、アメリカという国がいかに広く、多様で、そして複雑であるかを初めて教えてくれたドラマでした。車も冷蔵庫もガソリンスタンドも、どれをとっても日本のものとは違って新鮮に見えました。
一話完結の物語構成も魅力でした。どの回にも、逃亡を続けるキンブルが立ち寄る町があり、そこにそれぞれの人間模様がありました。彼は名前を変え、職業を偽りながらも、医師としての良心を失わない。危険を顧みず人を救おうとする姿に、子ども心に「正義とは何か」という問いを感じ取っていたのかもしれません。
デビッド・ジャンセンの演技は、今見ても息をのむほど深い。セリフの少ない沈黙の中に、孤独と誠実さ、そして哀しみが漂っていました。対するジェラード警部(バリー・モース)は、冷徹でありながら、どこかキンブルへの敬意を隠せない。その関係性がまた、人間ドラマとしての厚みを加えていました。私は途中から「もしかしてジェラード警部こそ犯人ではないか」と真剣に疑ったほどです。
三島由紀夫はかつてこう書いています。
「少年期の一時期に強烈な印象を受け、影響を受けた本も、何年かあとに読んでみると、感興は色あせ、あたかも死骸のように見える場合もないではない。しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないということである。それはたとえ本棚の一隅に見捨てられても、それ自身の生命と思想を埃(ほこり)だらけになって、がんこに守っている。われわれはそれに近づくか、遠ざかるか、自分の態度決定によってその書物を変化させていくことができるだけである」。
この言葉は、『逃亡者』のような映像作品にも通じるように思います。少年期に夢中で観たドラマも、年月を経て再び見ると、まったく違う感慨を与える。変わるのはドラマではなく、私たち自身なのです。
高校生になってから知ったのですが、『逃亡者』が放送されていた1960年代のアメリカは、公民権運動が高まり、体制への不信が渦巻く時代でした。無実の罪で国家権力に追われるキンブルの姿は、社会の不安や孤独な個人の戦いと重なっていたのかもしれません。小学生の私にはそんな背景など分からなかったけれど、理不尽に追われる男の姿に、どこか人間の悲しさとたくましさを感じ取っていたのだと思います。
4年間続いた全120話のドラマは、最終回で全米視聴率50%を超えるという歴史的な記録を残しました。 60年経った今も、私は『逃亡者』をときどき見返します。オープニングのナレーションとテーマ音楽が流れるたびに、あの頃の自分と自分が生きてきた年月を思わず辿り直してしまいます。
当時の私は、小学生ですから、自由とか正義とか、人間とは何か――そんなことを考えていたわけではありません。ただ、見たことのない広い国、未知のアメリカへの憧れが強まっていったのです。『逃亡者』とは、そうしたアメリカへの夢を育ててくれたテレビドラマでした。
リチャード・キンブルを演じたデビッド・ジャンセンは、1980年2月13日、カリフォルニア州サンタモニカで心臓発作により亡くなりました。48歳という若さでした。その早すぎる死を惜しむ声は多く、彼のintenso(強烈)でリアルな演技は、今なおシリアスなテレビドラマの基準として、多くの俳優たちに影響を与え続けています。
1963年版『逃亡者』のナレーションもまた、このドラマを特別なものにしました。特に日本語吹き替え版で睦五郎氏が務めた語りは、視聴者の心に深く残っています。冒頭のナレーションには、こうあります。「正しかるべき正義も、ときとしてめしいる(blind justice)ことがある……」。
“めしいる”という言葉の意味を、小学生の私は知りませんでした。しかし、その響きだけが、なぜか心に残りました。
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