アメリカに長く住んでいた私は、50代半ばで帰国することを決めました。 その理由のひとつは、年を重ねたときにアメリカでは医療費の壁に必ず行き詰まるだろうと感じたからです。
保険に入っていても、ちょっとした検査や処方で高額の請求書が届きます。支払いの確証が取れるまで、医者は患者を診ません。日本では考えられないことです。
最初に病院で支払いを立て替え、保険会社に請求するのですが、診察料の何%が保険でカバーされるのかは交渉次第で、この保険会社とのやりとりが実に面倒で時間がかかるのです。ましてや、手術や慢性疾患の治療となれば、たちまち家計を直撃します。
いまアメリカでは、「オバマケア」と呼ばれる医療保険の補助金(ACAプレミアム税額控除)が打ち切られるかどうかをめぐり、数百万人が不安を抱えています。BBCの報道によると、この補助金が年末に期限を迎えるため、更新されなければ約2,400万人が影響を受け、最大500万人が無保険状態に陥る可能性があるといいます。
補助が失われれば、保険料は月数百ドルから倍近くに跳ね上がり、健康な人々は保険をやめ、残るのは病気を抱える層だけになる。その結果、保険料がさらに上がる――デフレスパイラルどころか、いわゆる“デス・スパイラル”です。
皮肉なことに、最も打撃を受けるのは共和党支持の保守州です。これらの州は、低所得者向け公的医療制度メディケイドの拡大を拒んできた経緯があります。“政府の介入を嫌う”という信念のもとに選択した政策が、いま自らの有権者を苦しめているのです。
アメリカ政治の“自由”とは、往々にして「自己責任で生きろという自由」にほかなりません。“Live free, or Die.” ― そういう価値観の国です。
一方、日本では、誰もが健康保険証一枚で診察を受けられます。国民皆保険という仕組みがあるおかげで、失業しても病気になっても、命の危険と引き換えに医療を諦めることはありません。その安心感は、長く海外に暮らした者ほど深く感じるものです。
もちろん、日本の社会保障にも課題は山積しています。財源不足、少子高齢化、制度疲労――どれも簡単には解決できません。それでも、医療が「権利」として保障されているという一点において、日本は今なお世界の中で特別な国だと思います。
アメリカでは、医療は“市場(マーケット)”の中にあります。
日本では、まだ“社会”の中にあります。
いまアメリカでは、「オバマケア」と呼ばれる医療保険の補助金(ACAプレミアム税額控除)が打ち切られるかどうかをめぐり、数百万人が不安を抱えています。BBCの報道によると、この補助金が年末に期限を迎えるため、更新されなければ約2,400万人が影響を受け、最大500万人が無保険状態に陥る可能性があるといいます。
補助が失われれば、保険料は月数百ドルから倍近くに跳ね上がり、健康な人々は保険をやめ、残るのは病気を抱える層だけになる。その結果、保険料がさらに上がる――デフレスパイラルどころか、いわゆる“デス・スパイラル”です。
皮肉なことに、最も打撃を受けるのは共和党支持の保守州です。これらの州は、低所得者向け公的医療制度メディケイドの拡大を拒んできた経緯があります。“政府の介入を嫌う”という信念のもとに選択した政策が、いま自らの有権者を苦しめているのです。
アメリカ政治の“自由”とは、往々にして「自己責任で生きろという自由」にほかなりません。“Live free, or Die.” ― そういう価値観の国です。
一方、日本では、誰もが健康保険証一枚で診察を受けられます。国民皆保険という仕組みがあるおかげで、失業しても病気になっても、命の危険と引き換えに医療を諦めることはありません。その安心感は、長く海外に暮らした者ほど深く感じるものです。
もちろん、日本の社会保障にも課題は山積しています。財源不足、少子高齢化、制度疲労――どれも簡単には解決できません。それでも、医療が「権利」として保障されているという一点において、日本は今なお世界の中で特別な国だと思います。
アメリカでは、医療は“市場(マーケット)”の中にあります。
日本では、まだ“社会”の中にあります。
その違いは、単なる制度の差ではなく、人間観の差なのだと思います。
老いとは、身体の不具合や衰えとつき合う時期ですが、同時に、ものごとを少し高いところから眺められる時期でもあります。何も起こらず、いつものように一日が終わる――そのことが、何よりの幸せに思えるのです。そして、そんな穏やかな日々を過ごせる場所として、私は日本を選びました。
日本人は、日本の良さを知り、その文化や慣習を守ることに、もっと注意を払うべきだと思います。
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