2025年8月9日土曜日

明治の不平等条約を思い出す夏

銀座通り 1904年(ネットで拾ったフリー画像)


明治の不平等条約と聞くと、遠い歴史の話のように響くかもしれません。

けれど、令和の政治を見ていると、あの屈辱の記憶がふと胸をよぎるのです。幕末、日本は欧米列強と結んだ条約で治外法権を認め、関税自主権を失いました。国家の体面を失うというのは、こういうことだったのでしょう。そしてその屈辱が、明治維新を動かす大きな火種となったのです。

あれから157年。明治元年から数えれば、すでに日本は近代国家として老齢に差し掛かっているはずです。しかし今、政治家もメディアも知識人も、近代から現代への歴史を一望できるリーダーがほとんど見当たりません。地図も羅針盤も持たずに航海している船のように、日本は漂っている気がします。

明治から1975年ごろまで、日本には近代と真正面から格闘する知識人たちがいました。

福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、芥川龍之介、小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存、そして戦艦大和の生き残り士官である吉田満。彼らは本気で「日本はいかに欧米と渡り合うか」を考えました。ときに文明の本質を疑い、ときに日本人の魂を問いました。戦争を経験し、敗北を知った世代だからこそ、考えざるを得なかったのかもしれません。

しかし団塊世代の多くは、1945年8月15日を出発点として現代を見ています。それ以前の近代史を見ようとしない視野の狭さに、私はかねてから違和感を抱いてきました。これからの日本は、若い世代がどこまで「近代化の超克」を真剣に考えられるかにかかっています。

近代とは、何でしょうか。

西欧では、カトリック教会が支配していた世界が16世紀を境に崩れ、国家という新しい枠組みが生まれました。国民は防衛を国家に委ねる契約を結び、その見返りに命と財産を守られます。真理の探求も宗教の手を離れ、ニュートンの万有引力、ダーウィンの進化論を経て、近代科学が確立しました。それは必ずしもキリスト教と相容れない価値観でしたが、人類はそれを受け入れました。

日本の近代は、黒船のペリーが圧倒的な武力で開国を迫ったときに始まります。植民地化の恐怖は現実でした。宗教の力も、アヘン戦争の結末も知っていた日本は、一気に明治維新へと突き進み、文明開化を押し進めます。日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て列強入りを果たしましたが、成り上がりの日本は世界情勢の腹黒さを読み切れず、ついには対英米戦争へと突入してしまいました。

21世紀に入った今、近代そのものが壁にぶつかっています。

冷戦後、資本主義は暴走し、格差は広がり、環境は破壊され、誰も止められなくなった。アメリカもまた、中産階級が崩壊し、かつての白人社会の安定は失われました。権力の中心も変わりつつあります。日本は今こそ、近代を単なる輸入概念としてではなく、自らの血肉として咀嚼し、新しい世界観を見つけ出すべきです。戦後70年、占領政策と自己欺瞞の中で「日本的価値」は自明ではなくなり、アイデンティティを問い直す声すら聞こえなくなりました。迎合ではなく、他国の文化を理解しながら、自国の基準で行動する覚悟。それを失えば、日本は形だけの国として漂い続けるでしょう。

日本は、かつて「近代」という大河を全力で泳ぎきろうとした時代があったように思います。その記憶と気概を、私たちは思い出す必要があるのです。

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