2025年8月1日金曜日

檸檬色の反抗 ―― 私とコペンの物語

 

私がコペンを選んだ理由は、単にユニークな軽自動車としての魅力だけではありません。その黄色――この色に込めた個人的な意味が、実はとても大きいのです。この黄色は、梶井基次郎の短編小説『檸檬』に登場する、あのレモンの鮮烈なイメージと重なります。

私は『檸檬』を、日本の明治以降の近代化が上滑りに進んでいったことへの批判として読み取っています。西洋的な価値観に流され、和魂洋才の精神を忘れてしまった日本。その姿を象徴するように、主人公の手に握られたレモンは、ただの果物ではなく、抑圧された精神の爆弾のように感じられるのです。そして物語の最後、そのレモンが爆発することで、鬱屈したエネルギーが一気に解放される。私の選んだコペンの黄色にも、まさにその爆発的なエネルギーが宿っている気がします。孤独や無力感のなかでも、心のどこかで静かに反抗を燃やしている自分自身を象徴しているようなのです。

思えば、黄色い車に惹かれる感覚は、今に始まったことではありません。

社会人になって数年たった頃、私は人生で初めての新車を購入しました。黄色のホンダ・シビックです。その頃、四国の徳島で暮らしていた私は、特に通勤に使っていたわけではないものの、休日のドライブなどでその鮮やかな黄色い車を走らせていました。地元の人たちからは「まっ黄色の車とはまた目立つね」と、少し奇異の目で見られていましたが、私はまったく気にしませんでした。むしろ、まだまだ封建的な当時の四国の社会に反抗心を燃やしていたのかも知れません。今思えば、あの時すでに、私は自分の中の「レモン」をどこかで感じ取っていたのかもしれません。

そして現在、私は黄色いコペンに乗って4年目になります。

この車は、ただの移動手段ではありません。運転そのものが楽しく、まるでゴーカートに乗っているかのような感覚を味わえます。年齢を重ね、免許返納のカウントダウンがそう遠くない将来に始まることを思えば、今乗れる車は限られてきます。だからこそ、毎日が貴重です。

コペンを選んだ最大の理由は、そのユニークさにあります。軽自動車でありながら、オープンカーとしての遊び心、そして日本らしい繊細な設計とデザイン。まさに「日本にしか作れない車」だと感じています。黄色という色もまた、梶井基次郎の『檸檬』が持つシンプルで力強い美しさと重なり、私にとってこれ以上ふさわしい色はありませんでした。

もちろん、ダイハツを取り巻く不正問題には、複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。

企業の問題にとどまらず、国土交通省の試験プロセスそのものに問題があったのではないかという強い疑念もあります。安全性を担保する検査が機能していなければ、見過ごされた問題が消費者にとって致命的なリスクになりかねません。企業の不正が明るみに出たときこそ、行政側もその試験体制を精査し、改善すべきです。とりわけ交通安全に関わる問題は、個人の所有車であっても、社会全体に波及する責任を含んでいます。

そして何より、私が最も不満に思うのは日本のメディア報道の姿勢です。視聴率至上主義のような煽るだけの報道が横行しており、これは戦前の新聞やラジオが大衆を動かした構造とどこか通じています。今こそ、ジャーナリズムの精神を取り戻すべきではないでしょうか。

還暦を迎えてコペンを選ぶ人は意外と多いと聞きます。

真っ赤なコペンで還暦祝い――そんな話を耳にするたび、なんとも微笑ましい気持ちになります。年齢に関係なく、スポーツカーの魅力は「運転の楽しさ」に尽きる。その考えには私も共感しています。

ただし、日本の夏にトップダウンで走るのは、現実的にはなかなか厳しいものがあります。私はもっぱら、冬にシートヒーターを効かせて屋根を開け、冷たい空気のなかを走るのが好きです。長距離ツーリングをするわけではなく、近所の買い物に使う「お買い物車」として日常的に活用していますが、それでもこの車の小回りのよさ、駐車のしやすさは本当にありがたい存在です。

私にとってコペンは、単なる車ではありません。

日々の生活の中で「楽しさ」を思い出させてくれる、大切な存在です。軽自動車という枠を超えて、日本が持つ技術と遊び心が凝縮された一台。この黄色い小さな車を、私はこれからも大切に乗り続けていくつもりです。

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