2025年8月25日月曜日

環境がリーダーをつくる ~ アメリカ大統領の教育と日本政治の世襲

  

For back to school, let's learn about how our presidents were educated | Opinion
Richard Nixon loved the violin. Abraham Lincoln was 'self-taught.' American presidents had varied educations(Stewart D. McLaurin, Opinion contributor)


子供時代の教育とリーダーシップ

アメリカ大統領の教育背景は実に多様です。上のUSA Today の記事によれば、初代ワシントンは本格的なラテン語教育を受けることなく、実務的な幾何学や測量を学びました。リンカーンは「self-taught(独学)」を誇りとし、学んだのはわずか一年にも満たない「つぎはぎの教育」でした。フーバーは田舎の小学校からスタンフォード大へ進み、アイゼンハワーは「リンカーン小学校」で学び、フォードは高校時代から歴史とフットボールに秀でていました。カーターは教師の助言に感銘を受け、就任演説で彼女の言葉を引用しました。ニクソンはヴァイオリンを愛し、クリントンはサックスと生徒会活動に情熱を注ぎました。

つまり、大統領になる人々は同じ教育を受けてきたわけではありません。むしろ一人ひとり異なる環境から出発し、しかし共通して「自ら学び、環境を活かし、リーダーシップを鍛えた」のでした。

アメリカで学んだこと ― 環境と自己形成

私自身、アメリカで20年近く生活して痛感したのは、アメリカではどんなレベルの人間であっても堂々と自己主張し、プレゼンテーションするという事実です。そこで必要になるのは、その真贋を見抜くインテリジェンス、すなわち「取捨選択を断ずる能力」です。

リーダーになろうとする者は、自覚的にリーダーシップを学び取ります。AIが進化しようとも、環境が人を形作るという本質は変わりません。人は「自分だけ」で成り立つのではなく、環境との一体であり、邂逅、つまり出会い(encounter)がその人を形づくるのです。だからこそ、子供時代に家庭を出て初めて社会に触れる経験(それが学校という集団生活なのですが)は重要です。私が子供のころから伝記を愛読してきたのも、そこに「人と環境の出会い」が凝縮されているからです。

日本の政治家への疑念

一方で日本の政治家を見渡すと、その大半が世襲か、あるいは元タレントや元スポーツ選手で占められています。もちろん世襲や経歴そのものが悪いわけではありません。しかし、問題は彼らが自覚的にリーダーシップを学び、人格を磨き、環境と邂逅の中で成長してきたのか、という点です。

アメリカではいかに名門一家の出であっても、世襲だけで大統領にはなれません。しかし日本では、世襲議員が「親の七光り」で安泰な選挙区を持ち、やる気も能力もないまま議員バッジを手に入れてしまいます。しかもその多くは、政治を「職業」ではなく「特権」と勘違いしているように見えます。たとえ選挙で一応の民意を得たとしても、それで正統性が担保されると開き直るのは、リーダー以前に一人の人間として恥ずべき態度です。

日本の国会を眺めていると、卑怯で臆病な人間がリーダーを気取っている光景にあふれています。これでは国民の信頼は生まれません。世界の常識からすれば、臆病で責任逃れをする人はリーダーにはなれないのです。

結びに

ワシントンも、リンカーンも、クリントンも、恐らくトランプも、それぞれの環境と教育を生かしてリーダーへと成長しました。日本の政治家に決定的に欠けているのは、そうした「環境と自らの邂逅をリーダーシップへと昇華させる力」ではないでしょうか。世襲や肩書きではなく、学び続ける姿勢と一歩踏み出す勇気こそが、リーダーの正統性を裏付けるのです。

***

0 件のコメント:

コメントを投稿