2025年8月11日月曜日

戦後80年、日本は何を語るのか──歴史と未来の往復運動

戦後80年の言葉と歴史の重み

石破総理が「戦後80年談話」を出すかどうかで議論が起きています。国家の節目に発する言葉は、国内だけでなく海外にも響きます。そのため、首相がどのような歴史観を持ち、どれほどの教養と深慮を備えているかは、極めて重要です。軽々しい言葉は誤解や摩擦を招き、国益を損なう危険さえあります。残念ながら、近年の日本政治からは、真に歴史を踏まえた上での重い言葉が聞こえてくる機会が減っているように思います。

歴史と時代の往復運動

歴史を語るとき、私たちはしばしば「過去の事実をそのまま伝えること」と「現代的な解釈として物語ること」の間で揺れ動きます。けれど、どんなに過去を見ようとしても、そこにいるのは現代を生きる自分自身です。視点や感情が入り込み、事実は必ず再解釈されます。だからこそ、過去と現在は循環的に結びつき、互いに影響し合いながら理解が深まっていくのだと思います。

誰もが、自分と異なるもの、違和感のあるものを排除しようとする傾向を持っています。これは国家も同じです。アメリカはアメリカ以外のものを、中国は中国以外のものを排除する方向に動きます。その中で、日本のように「常に誰かに従属する」姿勢をとり続ける国は、人類史の中でも珍しい存在です。

グローバル化と分断の歴史

近代の世界は、つながりと分断を繰り返してきました。19世紀末、産業革命が世界を加速させ、資本や人が国境を越えて移動する第一次グローバル化が始まります。しかし1914年、第一次世界大戦がその流れを断ち切り、各国はブロック経済とナショナリズムへと傾きました。

戦後には再び逆の動きが生まれます。GATTやブレトンウッズ体制のもとで貿易と資本の自由化が進み、1980年代以降はインターネットの普及によって世界が“フラット”になったかのように見えました。けれど、2008年のリーマンショックやパンデミックを経て、国境や経済圏の壁が再び強まりつつあります。

この「つながり」と「分断」の往復運動は、歴史の中で何度も繰り返されてきました。

次の秩序を描くのは誰か

歴史はコピーのように繰り返されるわけではありません。けれど、似たような構造や力学は形を変えて現れます。つながりの加速 → 格差やひずみの拡大 → 社会の緊張 → 境界の再構築 → 新たな秩序の模索――。いま、私たちはその再構築の入り口に立っているのかもしれません。

この先の秩序や安定のかたちは、過去の延長線からは生まれにくいでしょう。国家も企業も教育も、既存の発想に頼る限り、同じ結果しか得られません。異なる視点や世代からの発想が求められています。

未来世代への呼びかけ

地図のない場所を歩くことは、苦しくもあり、同時に面白くもあります。
未来は遠くにあるのではなく、日々の選択と学びの積み重ねの中に少しずつ現れてきます。

戦後80年を機に、その一歩をどちらに踏み出すか――それは私たち自身の手に委ねられています。  

***

0 件のコメント:

コメントを投稿