2025年8月19日火曜日

徒然なるままに ~ 2025年夏

生成AIに以下の文章を読ませてイメージ化しました。

日本の政治の混迷は、社会全体の劣化を映す鏡のようです。小学生でもできるはずの価値判断ができず、そこに生成AIなどのテクノロジーが拍車をかけている。

思えば、平安末期から鎌倉時代にかけて生まれた『平家物語』『方丈記』『徒然草』には、無常観や価値判断の基準、さらには時間の感覚までもが宿っていました。高度経済成長前夜の1960〜70年代前半、日本の自立を憂いた若者は、サルトルを読み、学生運動やロックに救いを求めたものです。しかし今の時代、人々は「何をどうしたらいいかわからない」「何も考えたくない」と諦念の中に沈んでいるように見えます。

オルテガの『大衆の反逆』は1920年代に世界を警告しました。1927年に自死した芥川龍之介の苦悩もまた、日本社会への一つの警鐘だったのかもしれません。しかし当時の世間は耳を貸さず、時代の勢いに押されて昭和の15年戦争へ突き進んでいった。ならば今の状況を脱する原動力はどこにあるのか――残念ながら私には分かりません。

「三鷹の隠居」は、実際には「三鷹の老害」と呼ぶ方がふさわしい。年齢を重ねただけで、修行はまだまだ足りない。増長を戒めるべき立場です。

徒然草第131段に、こうあります。

おのが分をしりて、及ばざる時は、速やかにやむを智というべし

分をわきまえず、強いて励むのは己の誤りにすぎません。14世紀に吉田兼好が説いたこの至言は、いまの日本の政治家にそのまま突き刺さるでしょう。もっとも、彼らに読ませても無駄かもしれません。「分をわきまえる」どころか、分を知らないことにすら気づいていないのだから。

日本が再び歩みを取り戻すには、兼好の言葉に立ち返るしかない。しかし、政治家に限って言えば ―― まずはひらがなを読む練習から始めるのが早道でしょう。

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