2025年8月22日金曜日

安心感の人質

   


世界が問う「リーダー不在の時代」と日本の平和ボケ

池上彰氏や増田ユリヤ氏を誹謗中傷する意図はありません。お二人を個人的に知っているわけでもなく、著書を読み込んできたわけでもありません。ただし、彼らの時事解説が長年にわたり広く支持されている背景には、日本社会の病理が色濃く表れているのではないかと思うのです。

トランプ前大統領が「アメリカ・ファースト」を掲げ、国際秩序の舵を放り出した結果、世界は“Gゼロ(リーダー不在の時代)”へ突入しました。アメリカは世界の警察を降り、欧州は内政不安に揺れ、中国とロシアやイスラエルは規範を無視してやりたい放題を続けています。この「リーダー不在の時代」において、各国が問われるのはリーダーの資質・品格・正統性です。

ところが日本では、そもそも国民がリーダーに「正統性」を求めているのかさえ疑わしい状況があります。その背景には、日本社会の高齢者が抱える「安心感依存」があるのではないでしょうか。

高齢者は変化を嫌う傾向があります。これは単なる加齢による保守化ではなく、年金・医療・生活基盤といった制度に依存している以上、「変化=生活不安」に直結するからです。そのため彼らにとって(私も高齢者ですが)最も重要なのは、変化の中身ではなく「安心できること」そのものです。だからこそ、「分かりやすい」「耳ざわりのよい」解説に飛びつきます。そこには、現実の厳しさを突きつける批判よりも、「分かった気になれる安心感」が優先されるのです。

池上解説が「なるほど」と受け入れられるのは、国際政治の複雑さを本当に理解したからではありません。むしろ「怖い現実を咀嚼して、安心できるパッケージにしてくれるから」です。この安心依存が日本の世論形成を大きくゆがめています。

その結果、政治においても同じ構造が再生産されます。国民がリーダーに求めるのは、政策の実効性や国際的正統性ではなく、「変化しない安心感」です。つまり日本の政治は、安心感の人質になっているのです。これでは新しいリーダーを選ぶ力もなく、国際社会の変化に対応する胆力も育ちません。

欧州や米国から見れば、日本は「責任ある行動主体」ではなく、「自己満足の安心感に浸る島国」にすぎません。無責任な解説に拍手を送り、安心感を優先してリーダーを選び続ける――この現実こそ、日本が正統性を失っている最大の原因なのだと思います。

しかし、未来は閉ざされてはいません。むしろ「安心感の殻」を破り、リーダーに本物の資質・品格・正統性を求めることができるかどうかが、日本が次の時代に踏み出せるかどうかの分岐点になるのです。変化を恐れるのではなく、責任を引き受ける覚悟を国民一人ひとりが持つこと。そこからしか、日本が「平和ボケ国家」として軽んじられる現状を抜け出し、世界から信頼される存在へと変わる道はありません。

私たちが求めるべきは「耳ざわりのよい安心感」ではなく、苦くとも真実を見据えた上での責任ある選択です。その積み重ねの先にしか、日本の正統性を回復し、未来を切り開く力は生まれないのだと思います。

***

0 件のコメント:

コメントを投稿