2025年8月31日日曜日

イノベーションを阻む「教育」という壁

小学生の時の物差し(60年前ですぞ!)
 
最近の議論では「日本でイノベーションが起きている地域はどこか?」というテーマが取り上げられ、研究者や高度人材の地域集中と地域格差が論じられています。確かに人が集まる場所で新しい動きが生まれやすいという指摘は的を射ています。

しかし、私が感じるのは、議論の核心がなお隔靴掻痒だということです。なぜなら、日本でイノベーションが生まれにくい本質的な理由は、地域要因よりも教育システムに深く根ざしているからです。

日本の教育は依然として点数や偏差値を「客観的な物差し」として崇めています。しかしポストコロナの混迷する世界で、それは本当に正しい指標でしょうか。英語の tolerance は「寛容」であると同時に「許容誤差」を意味します。これからの社会で必要なのは、まさに誤差を許容できる柔軟さや寛容さのはずです。ところが日本の教育は、いまだに「誤りを許さない」方向へ全力疾走しています。

  • 出題範囲が決まっている ⇒ 一定の枠の中でしか考えない
  • 制限時間がある ⇒ 回転の速さばかりを測られる
  • 100点以上はない ⇒ 減点主義で挑戦心が育たない
その結果、徹底的に考え抜く力、枠を越える発想、誤りを恐れず試行錯誤する勇気――本来イノベーションに必須の能力を持つ生徒ほど、学校教育ではむしろ「落ちこぼれ」とされてしまいます。

結果として「スクール・スマート」な優等生ばかりが評価され、狭い専門性を磨きながらも、大局観や直観力を育てる機会を失っていきます。この構造は歴史の中でも繰り返されました。明治のリーダーたちは広い視野を持ち国際情勢を読み解く力がありましたが、日露戦争以降は「スーパー係長」的な専門官僚が前面に出て、大局を誤ることになりました。平成期の企業停滞も、このDNAを引き継いだ帰結だといえるでしょう。

今の教育行政は「EdTech」や「チェンジ・メイカー」を掲げていますが、現行の教育システムが量産しているのは、実際には「チェンジ・テイカー」――制度に従うだけの人材です。テクノロジーをいくら導入しても、根底にある評価の物差しが変わらない限り、本当の転換は望めません。むしろ教育の形骸化が進むだけでしょう。

そして、日本の教育は今でも「木を見て森を見ず」どころか「木の葉の葉脈まで見つめる」方向に突き進んでいます。論理的思考の訓練は必要ですが、それに偏りすぎると直観力や洞察力が麻痺してしまいます。AIやイノベーションを声高に叫んでも、肝心の教育が「官僚型人間」を再生産する限り、日本発の革新は掛け声倒れに終わるでしょう。

変化を望むなら、まず親や教育現場が「偏差値という物差し」への盲信をやめることです。誤差を受け入れる寛容さを取り戻し、誤りから学ぶ教育を育てること。その覚悟がなければ、日本はいつまでも「変われない国」のまま取り残されるのではないでしょうか。

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2025年8月30日土曜日

主体性なき教育は、主体性なき国家を生む ―― 戦後教育の根本を問う


先日、ある元大学教授が「次期学習指導要領のカギは主体性だ」と論じる記事を目にしました。正直に申し上げて、「何をねぶたいこというとんねん」と思いました。

なぜなら、日本の教育にはそもそも「主体性」など存在してこなかったからです。戦後の教育制度は、敗戦直後にGHQによって設計されたものであり、日本人が自らの歴史や文化を踏まえてつくり上げたものではありません。教育の出発点から「主体性」を欠いているのです。元大学教授の論は、こうした歴史的背景を踏まえず、表層的に「主体性」を唱えているだけに見えます。だからこそ、眠たい議論に聞こえるのです。

私はこれまでのブログで繰り返し指摘してきましたが、日本の教育現場で「協調性」という言葉ほど危ういものはありません。本来の「和」とは、自分の主体性を保持したうえでの協調です。しかし現実には、その前提が抜け落ち、付和雷同する態度が「協調性」として評価されてきました。孔子が「君子は和して同ぜず」と説いた精神は、戦後教育の中で形骸化してしまいました。

その結果として、若い世代は「自分は何をすればいいのか」と問い続けながら、情報を自分の目で確かめることもなく、政治を他人事と見なし、海外に視野を広げることもなく、ただ「誰かに従う」生き方に安住してしまうのです。サルトルの言葉を借りれば、実存が本質に先行するはずなのに、日本人はその実存を自ら放棄してしまったといえるでしょう。

この従順教育の帰結が、現代日本の社会と政治に表れています。国民は怒る力や疑う力を失い、自ら首輪をはめる「自発的隷従」の状態にあります。AIが普及すれば、思考さえ外部に委ね、ますます「怠け者の天国」に陥ることになるでしょう。しかしそれは強制されたものではなく、自ら望んで選んだ隷従なのです。

現行教育の最大の欠陥は、知識を科目ごとの「柱」として植え付ける一方で、それらをつなぐ「梁」を欠いていることにあります。抽象と具体を往復し、全体像を描く力が育たない。これこそが、日本人から主体性を奪い、従順さだけを残した根本原因です。孔子の「君子不器」――一つの機能にとどまるな――という教えは、現代日本にこそ必要な精神だと思います。

もし本物の「主体性教育」を目指すのであれば、敗戦直後に立ち戻る必要があります。外から与えられた教育制度を根本から見直し、日本の歴史と文化に基づいて再構築すること。これを避けて、表層的に「主体性が大事だ」と叫ぶ限り、教育は変わりません。

主体性のない教育は、主体性のない国民を生み、主体性のない国民は、主体性のない国家しかつくれません。これこそが、日本という国の最大の病なのです。

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2025年8月29日金曜日

AIと自殺大国ニッポン ― 脳を使わない社会の末路

 
AIと自殺大国ニッポン 

先日BBCが報じたニュースは衝撃的でした。米国で、ある少年が自ら命を絶ったことを受け、その両親が生成AIを提供する企業を訴えたというのです。背景には、AIとの会話が現実からの逃避や心の支えとなる一方で、孤立や依存を深める危険性があったのではないか、という懸念が浮かび上がっています。

日本の現状を振り返ると、この問題は決して対岸の火事ではありません。我が国の自殺者数は近年減少傾向にあるとはいえ、依然として年間2万人を超えており、先進国の中では独走状態です。さらに深刻なのは若年層の状況です。10~39歳における死因の第1位が自殺である国は、G7で日本だけ。10代の自殺率は横ばい、20代・30代は減少幅が小さく、 特に20代・30代の女性では、自殺者の約4割が自殺未遂歴を持っていました。突発的な飛び降りや飛び込みといった手段が目立つのも特徴です。つまり、若者の命は今もなお危うい均衡の上にあるのです。

こうした状況の中で、生成AIの普及は新たなリスクを孕んでいます。OpenAIのCEO、サム・アルトマン氏自身がポッドキャストで「AIに心の闇をすべてさらけ出すのはやめたほうがいい」と警告しました。なぜなら、AIとの会話には医者や弁護士のような守秘義務がなく、場合によっては法廷で提出を強制される可能性があるからです。心のよりどころとしてAIに依存した人々が、その「秘密」を逆に脅かされるリスクがあるというのです。

そして、AI依存の危険なサイクルはすでに指摘されています。
  • 現実逃避の手段として使い始める
  • AIとの会話が心地よくなる
  • 人間関係よりAIを優先するようになる
  • 現実とバーチャルの境界が曖昧になる
  • AIの言葉を絶対視するようになる
これは単なる「新しい道具」の話ではありません。人間の思考力を鍛える機会そのものを奪いかねないのです。脳も筋肉と同じで、使わなければ衰える。便利なエスカレーターに頼り続ければ足腰が弱るように、AIに思考を委ね続ける社会では、人間の脳力そのものが弱体化していくでしょう。

特に日本では、この危険性は一層深刻です。なぜなら、現行の教育制度が「自分の頭で考える」習慣を十分に育んでいないからです。答えの決まった問題を暗記し、試験を突破する力ばかりが求められる。総合的な学びの欠如、言葉を軽んじる風潮が、若者から思考の筋力を奪ってきました。そのまま大人になった人々が、AIという「便利なクスリ」に安易に手を伸ばす。これはまるで、街の薬屋で覚せい剤を自由に買える社会のようなものです。即効性はあっても、長期的には破滅へと導く危うさを孕んでいます。

我々が直面しているのは、「AIの是非」そのものではありません。問題は、思考停止に慣れきった社会でAIがどのように作用するかです。日本がこのまま「脳を使わない社会」を続けるなら、AIは救いではなく、静かに命を奪う毒薬となるでしょう。

自殺大国ニッポンに必要なのは、AIに依存しないで生き抜くための「思考力」と「対話力」を社会全体で取り戻すことです。でなければ、次にBBCが報じるのは、我々自身の悲劇かもしれません。

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2025年8月28日木曜日

「臣」としての政治家か、それとも「従属者」としての日本か

誰の臣なのか?

多くの評論家やメディアのコメンテーターは、直近の参議院選挙で自民党が少数与党へと転落した現状を背景に、政治家に必要なのは「政治とカネの体質を刷新すること」と「国民生活に直結する課題への政策対応の迅速化」であると説いています。そして、それらは防衛費や安全保障政策とも切り離せず、政治家には「臣」としての責任や品性が求められるのだと結論づけます。

しかし、こうした言説は間違っていないのですが、あまりに表層的です。問題の根は、はるかに深いところにあります。

そもそも戦後日本の政治構造そのものが、アメリカに従属する体制のもとで形成されてきました。憲法、日米安保、教育制度、そしてアメリカ礼賛のメディア――いずれも占領期GHQが設計した枠組みにすぎません。それが八十年ものあいだ温存され、自民党はその「管理者」として権力を維持してきました。もはや自党の結党の精神が何であったのかすら忘れ去り、その存在意義は「従属体制の存続」へとすり替わってしまったのです。

そして忘却の病は、政治家だけに限られません。日本人全体が「聞きたくないことは聞かない」という態度に慣れきり、「自分は何者か」という根源的な問いを避け続けてきました。国家とは何か、日本精神とは何か――そうした基盤を忘れ去った結果、経済成長や安定という虚構に依存する社会が形成され、その土台は空洞化してきたのです。

評論家は「政治家に臣の意識を」と言います。しかし問うべきは、「この国の政治家は誰の臣なのか」ということです。本来ならば国民と天皇陛下に仕えるべき立場が、実際にはアメリカ体制に従属する存在へと成り下がっている。この事実に触れずして「責任」や「品性」を論じても、問題は何一つ解決しません。

今日の政治の恐ろしく低レベルな有様は、単なる偶然や一時的な失政ではなく、戦後八十年体制の必然的な帰結です。自民党は結党の精神を忘れ、日本人自身もまたアイデンティティを自ら放棄してきた。その果てに、日本は「臣」どころか「従属者」としての姿を甘受しているのです。

我々が本当に問わねばならないのは、アメリカに与えられた枠組みの中で「責任」や「品性」を議論することではありません。「日本とは何か」「日本精神とは何か」――この国の独自の成り立ちを取り戻すことです。それを忘れ続ける限り、日本は「眠たくなるような政治」に埋没し、未来を失った国として漂流し続けるほかないのです。

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2025年8月27日水曜日

責任とリーダーシップの空洞化


リーダーシップとは何でしょうか。私は長年、リーダーの条件として「決断力」「イニシアティブ」「ユーモアのセンス」の三つを挙げてきました。しかし、これだけでは不十分です。リーダーシップとは単なる技術ではなく、環境との邂逅を自らの経験として受け止め、それを共同体に活かす力でもあります。ところが日本社会では、その昇華のプロセスが決定的に欠落しています。困難に出会っても学びに変換できず、挑戦を自己の成長へとつなげられない。結局、リーダーは育たず、既存の秩序に安住する構造だけが温存されてしまうのです。

こうした空洞化は、政治家個人の資質だけにとどまりません。社会全体が責任を直視せず、議論を避け、幼児的な安住を求めていることに根本の原因があります。その象徴が、メディアのあり方でしょう。耳障りのよい解説を繰り返すコメンテーターたちが人々に与えているのは、思考の深化ではなく「安心感」という麻薬です。本来、言葉とは人間の思考を深めるための道具であるはずです。しかし今や、言葉は軽視され、思考力の低下を招き、結果として「問い」を持たない国民が量産されています。

リーダーシップの本質は、個と公共のバランスにあります。自分を律しながらも、公共に奉仕する意思を持ち、共同体を自己統治として形成していく力です。しかし日本社会では、この「自己統治」の発想そのものが欠けています。国家や組織からのパターナリズムが重く覆いかぶさっているからです。ここでいうパターナリズムとは、親が子どもを一方的に導くように、権威が国民を「守ってあげる」と称しながら実際には依存を強める構造を指します。その結果、人々は「管理されること」に慣れすぎ、自らの責任で共同体を動かす経験を持たないまま大人になってしまうのです。

教育のあり方も大きな問題です。学科ごとに分断された非総合的な教科体系のもとで、子どもたちは「知識の断片」を詰め込まれるだけで、概念を横断的に結びつける力を養えません。教育改革を声高に唱える人々もいますが、実際には何も考え抜かれてはいません。総合的な思考の訓練もなく、言葉を通じて思考を鍛える経験もない。これではリーダーが育たないのも当然です。

さらに、日本では「正統性(legitimacy)」という考え方も十分に理解されていません。正統性とは、単に選挙で勝つことではなく、その人がリーダーとして認められるに足る人格・責任・一貫性を備えているかどうかを意味します。民主主義においては、権力の行使そのものが「正統性」によって支えられるのです。しかし、日本の現状を見る限り、その意識は希薄です。国民もまた、その条件を求めないまま、表面的な人気や手軽な安心感に流されています。

本来、リーダーであり続けるためには、正統性に裏打ちされた責任感と、環境を学びに転化する柔軟性、そして矛盾を乗り越え続ける努力が不可欠です。困難に直面しても逃げるのではなく、向き合い続ける姿勢こそがリーダーをリーダーたらしめる。ところが今の日本の総理大臣は、その条件を何一つ満たしていません。いや、それ以前に人格そのものが問われるべきでしょう。

しかし、問題は個人に帰せられるものではありません。リーダー不在の社会は、リーダーを求めない国民自身の選択の結果でもあるのです。責任を取らないリーダーを生み出すのは、責任を問わない国民である。そのことに気づかぬまま、日本は「耳障りのよい安心感」と「先送りの文化」に沈み込んでいます。

リーダーシップの本質を忘れた社会に未来はありません。日本に欠けているのは「誰がリーダーか」ではなく、「リーダーとは何か」という根本的な問いを持ち続ける姿勢なのです。

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2025年8月26日火曜日

ユーモアとリーダーシップの大谷翔平

 

45号ホームラン直後の大谷選手

ユーモアとリスペクト――大谷翔平の姿勢に見るもの

2025年8月、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平は、サンディエゴ・パドレスとの試合で45号ホームランを放ち、試合を決定づけました。しかし、注目すべきは、そのホームランの後に見せたユニークな行動です。試合中、大谷はサンディエゴのペトコパークで、観客から絶え間ない野次を受け続けていました。その観客は、日々の生活の辛さを球場での野次にぶつける、パドレスファンの中でも有名な人物です。試合の初めから終わりまで、大谷の打席に対して厳しい言葉を投げかけていました。しかし、大谷はそれに対して驚くべき反応をした。ホームランを打った後、わざわざその観客とハイタッチを交わしました。この行動は、普段の冷静な大谷からは想像できないもので、周囲を驚かせました。

ドジャースの監督デイブ・ロバーツは「普段の大谷では考えられないことだが、観客が試合中ずっと彼に厳しい言葉を投げかけていたから、最後にそれを上手く受け流して、ハイタッチをすることで彼に最後の一撃を食らわせたのだろう」と語っています。大谷自身は試合後にコメントを避けましたが、この行動が彼の持つユーモア精神と相手に対するリスペクトを象徴していると考えられます。

日本では見られない「余裕」と「無駄」

大谷の行動から感じるのは、スポーツマンとしての真摯な姿勢に加え、相手へのリスペクトを忘れない余裕です。日本では、この「無駄と余裕がなさすぎる」という点を私は若い頃から指摘してきました。特に日本の社会では、勝敗を決する場面において「負けられない」というプレッシャーが強く、余裕を持った対応が少ないように感じます。大谷は、勝負の世界でも一線を画す人物でありながら、相手を挑発することなく、むしろその挑発にユーモアをもって返すことで、観客や対戦相手を一歩引かせています。結果として、ファンもファンでない人も「みんなで楽しもうよ」という気持ちが共有されているように思います。

私は以前から、リーダーに必要な条件は「決断力」「イニシアティブ」「ユーモアのセンス」であると述べてきました。大谷が見せた行動は、まさにリーダーに必要な資質の一端をスポーツの場で体現したものと言えるでしょう。翻って日本の政治を見れば、現総理大臣にはこの3つの条件に達する以前に、人格そのものに大きな問題があるように感じます。国を導くべき立場にある人が、決断力もイニシアティブもユーモアも欠いていることは、日本社会全体に重苦しい影を落としているのではないでしょうか。

結論

大谷翔平が野球に対して示すのは、単なるスーパースターとしての姿勢ではなく、まさに「野球を楽しむ心」の体現です。それは、競争の厳しさの中でも、他者との関係性を大切にし、ユーモアを持って接することの重要さを教えてくれます。彼の姿勢は、単なる技術的な勝負だけでなく、心の余裕と対人リスペクトの大切さを改めて感じさせてくれます。

そして、日本の政治や社会がもっと柔軟で余裕のある態度を持つことができれば、もっと健全なコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか。大谷のように、勝者も敗者も一緒に楽しめる余裕を持つことこそ、現代社会に求められる姿勢ではないかと私は思います。

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2025年8月25日月曜日

環境がリーダーをつくる ~ アメリカ大統領の教育と日本政治の世襲

  

For back to school, let's learn about how our presidents were educated | Opinion
Richard Nixon loved the violin. Abraham Lincoln was 'self-taught.' American presidents had varied educations(Stewart D. McLaurin, Opinion contributor)


子供時代の教育とリーダーシップ

アメリカ大統領の教育背景は実に多様です。上のUSA Today の記事によれば、初代ワシントンは本格的なラテン語教育を受けることなく、実務的な幾何学や測量を学びました。リンカーンは「self-taught(独学)」を誇りとし、学んだのはわずか一年にも満たない「つぎはぎの教育」でした。フーバーは田舎の小学校からスタンフォード大へ進み、アイゼンハワーは「リンカーン小学校」で学び、フォードは高校時代から歴史とフットボールに秀でていました。カーターは教師の助言に感銘を受け、就任演説で彼女の言葉を引用しました。ニクソンはヴァイオリンを愛し、クリントンはサックスと生徒会活動に情熱を注ぎました。

つまり、大統領になる人々は同じ教育を受けてきたわけではありません。むしろ一人ひとり異なる環境から出発し、しかし共通して「自ら学び、環境を活かし、リーダーシップを鍛えた」のでした。

アメリカで学んだこと ― 環境と自己形成

私自身、アメリカで20年近く生活して痛感したのは、アメリカではどんなレベルの人間であっても堂々と自己主張し、プレゼンテーションするという事実です。そこで必要になるのは、その真贋を見抜くインテリジェンス、すなわち「取捨選択を断ずる能力」です。

リーダーになろうとする者は、自覚的にリーダーシップを学び取ります。AIが進化しようとも、環境が人を形作るという本質は変わりません。人は「自分だけ」で成り立つのではなく、環境との一体であり、邂逅、つまり出会い(encounter)がその人を形づくるのです。だからこそ、子供時代に家庭を出て初めて社会に触れる経験(それが学校という集団生活なのですが)は重要です。私が子供のころから伝記を愛読してきたのも、そこに「人と環境の出会い」が凝縮されているからです。

日本の政治家への疑念

一方で日本の政治家を見渡すと、その大半が世襲か、あるいは元タレントや元スポーツ選手で占められています。もちろん世襲や経歴そのものが悪いわけではありません。しかし、問題は彼らが自覚的にリーダーシップを学び、人格を磨き、環境と邂逅の中で成長してきたのか、という点です。

アメリカではいかに名門一家の出であっても、世襲だけで大統領にはなれません。しかし日本では、世襲議員が「親の七光り」で安泰な選挙区を持ち、やる気も能力もないまま議員バッジを手に入れてしまいます。しかもその多くは、政治を「職業」ではなく「特権」と勘違いしているように見えます。たとえ選挙で一応の民意を得たとしても、それで正統性が担保されると開き直るのは、リーダー以前に一人の人間として恥ずべき態度です。

日本の国会を眺めていると、卑怯で臆病な人間がリーダーを気取っている光景にあふれています。これでは国民の信頼は生まれません。世界の常識からすれば、臆病で責任逃れをする人はリーダーにはなれないのです。

結びに

ワシントンも、リンカーンも、クリントンも、恐らくトランプも、それぞれの環境と教育を生かしてリーダーへと成長しました。日本の政治家に決定的に欠けているのは、そうした「環境と自らの邂逅をリーダーシップへと昇華させる力」ではないでしょうか。世襲や肩書きではなく、学び続ける姿勢と一歩踏み出す勇気こそが、リーダーの正統性を裏付けるのです。

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2025年8月24日日曜日

南京事件と歴史を語れない国、ニッポン

 

1985年 南京航空学院 大学の先生方と

中国で「南京写真館」というプロパガンダ映画が上映され、観客を集めているそうです。日本のメディアは否定的な言葉をほとんど発していません。BBCの記事('We were never friends': A massacre on the eve of WW2 still haunts China-Japan relations)を読んでも分かるように、歴史問題はいまだに政治とナショナリズムの道具として利用され続けています。

私自身、10代のころはご多分に漏れずやや左翼的で、本多勝一の『中国の旅』を読んで衝撃を受けました。しかし同時に、どこかおかしいという違和感も持ちました。やがて鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(1981年)に出会い、その後も検証本を何冊も読みました。1985年、仕事で南京を訪れる機会を得て、旧城内を歩き回ったときの実感からも、10万人単位の虐殺は物理的にあり得ないと確信するに至りました。南京事件を追いかけてきたのは10代のころからであり、以来、東京裁判と切り離せない問題だという認識を持っています。

南京事件、文化大革命、天安門事件。これらは本質的に同じものです。すなわち、中国共産党にとって都合の良い記憶は誇張され、不都合な記憶は消される。中国国内では文化大革命など教えられず、当時を知る人もすでに高齢となりました。天安門事件も同様です。だからこそ、国外で語り継ぐしかありません。

南京事件に関しては、アメリカでとくに議論になります。1997年、アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』がニューヨーク・タイムズのベストセラーとなり、多くのリベラル派ニューヨーカーがその影響を受けました(江沢民の反日教育とタイミングが一致しています)。しかし内容には数々の誤りがあり、多くの写真さえ捏造だと指摘されてもいます。アイリス・チャンは2004年36歳の時に自動車の中で謎の拳銃自殺をしました。

だからこそ、日本人としては反論できるよう、少なくとも10冊ほどは関連書籍を読み、歴史的経緯を把握しておく必要があります。南京事件を論じるときは、必ず東京裁判の性格や問題点も合わせて考えるべきです。なぜなら「南京大虐殺」という言葉自体、東京裁判の場で突然持ち出されたものだからです。

中国のプロパガンダ映画は、歴史を検証するための資料にはなりません。むしろ「歴史は未だ終わっていない」と感情をあおる役割を担っています。記憶と怒りを組織的に演出し、若い世代に「日本は敵だ」というメッセージを刷り込む。これは歴史教育の名を借りた思想統制です。そして残念ながら、日本のメディアはそれに真っ向から反論しようとしません。

私たちは南京事件の真偽そのものを議論すること以上に、「歴史を利用する政治のあり方」に警戒すべきだと思います。東京裁判、日本国憲法、日米安保の延長線上に、日本が「自らの歴史を語れない国」として固定化されてしまった。だからこそ、南京事件を論じることは過去の問題ではなく、今の日本の姿勢を問うことでもあるのです。

「友達だったことは一度もない」という中国映画のセリフは、歴史の断絶を象徴する言葉です。しかし、本当に断絶を招いているのは、日本人の記憶力の弱さと、歴史に向き合う覚悟のなさではないでしょうか。南京事件の「真実」に迫ることは、中国のプロパガンダを打ち破るためだけではなく、日本人が自分自身の足場を確立するためにも不可欠なのです

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2025年8月23日土曜日

AI時代に必要な「取捨選択」の力

 

慶応大学出身の現首相は、果たして創設者である福沢諭吉の『学問のすすめ』をきちんと読んだことがあるのでしょうか。はなはだ疑問に思います。衆参両議院の議員にしても、通読した経験のある人は一割にも満たないのではないでしょうか。

福沢諭吉は、人生の前半を江戸時代の武士として、後半を明治の知識人として生きました。ヨーロッパやアメリカを視察して異文化に直接触れ、漢学から出発してオランダ語、そして英語へと学びを広げました。自らギャップに飛び込み、思考を深めた人物でした。こうした経験の蓄積があったからこそ、『学問のすすめ』第15編において「事物を疑って取捨を断ずる事」という、時代を超えて通用する言葉を残すことができたのだと思います。

いま私たちは、AIとデジタル化の時代を生きています。真実と虚偽の境界はますます曖昧になり、本物と偽物を見抜くことが難しくなりました。福沢が指摘した「取捨選択の知性」は、この時代にこそ必要とされている能力です。しかし、日本の政治家の議論を見ていると、この知性の欠如ばかりが目立ちます。スパイ防止法や監視強化をめぐり、「人権がどうなる」「民主主義が壊れる」といった表層的なやりとりに終始する姿は、自らに統治する意志がないことの裏返しではないでしょうか。

さらに福沢は、取捨選択の前提として「自らのビジョンを持つこと」を暗に示していたように思います。将来の展望や問題意識がなければ、必要な情報は集まってきません。例えば子供の教育に強い関心を持っている人のもとには、教育に関する情報が自然と集まってくるものです。逆に問題意識のない人には、氾濫する情報に翻弄される未来しかありません。幕末から明治への激動を生きた福沢にとって、ビジョンを持たないこと自体が理解しがたいことだったのでしょう。

「軽々しく信じるべからず、また軽々しく疑うべからず。信と疑のあいだに必ず取捨の明なかるべからず」――この一節は、教育現場を見つめる上でも示唆に富んでいます。もし親が子供に「納得するまで質問しなさい」と日頃から言い聞かせていたら、判断力を備えた子供が育つでしょう。しかし現実には、そんな子供は受験戦争に不利となり、先生に嫌われるだけかもしれません。これこそが日本の教育の歪みであり、知性を育てるどころか抑え込んでいる現状だと思います。

『学問のすすめ』第15編の最後で、福沢は「我々学者が勉強しなければならない」と述べています。これは当時の慶応の先生たちへの呼びかけだったのかもしれません。しかし現代に生きる私たちには「親や大人こそ学ばなければならない」という警告として響きます。

そして何より求められるのは、政治家も親も一人の大人として、自らのビジョンを持ち、氾濫する情報の中から取捨選択する知性を鍛えることではないでしょうか。

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2025年8月22日金曜日

安心感の人質

   


世界が問う「リーダー不在の時代」と日本の平和ボケ

池上彰氏や増田ユリヤ氏を誹謗中傷する意図はありません。お二人を個人的に知っているわけでもなく、著書を読み込んできたわけでもありません。ただし、彼らの時事解説が長年にわたり広く支持されている背景には、日本社会の病理が色濃く表れているのではないかと思うのです。

トランプ前大統領が「アメリカ・ファースト」を掲げ、国際秩序の舵を放り出した結果、世界は“Gゼロ(リーダー不在の時代)”へ突入しました。アメリカは世界の警察を降り、欧州は内政不安に揺れ、中国とロシアやイスラエルは規範を無視してやりたい放題を続けています。この「リーダー不在の時代」において、各国が問われるのはリーダーの資質・品格・正統性です。

ところが日本では、そもそも国民がリーダーに「正統性」を求めているのかさえ疑わしい状況があります。その背景には、日本社会の高齢者が抱える「安心感依存」があるのではないでしょうか。

高齢者は変化を嫌う傾向があります。これは単なる加齢による保守化ではなく、年金・医療・生活基盤といった制度に依存している以上、「変化=生活不安」に直結するからです。そのため彼らにとって(私も高齢者ですが)最も重要なのは、変化の中身ではなく「安心できること」そのものです。だからこそ、「分かりやすい」「耳ざわりのよい」解説に飛びつきます。そこには、現実の厳しさを突きつける批判よりも、「分かった気になれる安心感」が優先されるのです。

池上解説が「なるほど」と受け入れられるのは、国際政治の複雑さを本当に理解したからではありません。むしろ「怖い現実を咀嚼して、安心できるパッケージにしてくれるから」です。この安心依存が日本の世論形成を大きくゆがめています。

その結果、政治においても同じ構造が再生産されます。国民がリーダーに求めるのは、政策の実効性や国際的正統性ではなく、「変化しない安心感」です。つまり日本の政治は、安心感の人質になっているのです。これでは新しいリーダーを選ぶ力もなく、国際社会の変化に対応する胆力も育ちません。

欧州や米国から見れば、日本は「責任ある行動主体」ではなく、「自己満足の安心感に浸る島国」にすぎません。無責任な解説に拍手を送り、安心感を優先してリーダーを選び続ける――この現実こそ、日本が正統性を失っている最大の原因なのだと思います。

しかし、未来は閉ざされてはいません。むしろ「安心感の殻」を破り、リーダーに本物の資質・品格・正統性を求めることができるかどうかが、日本が次の時代に踏み出せるかどうかの分岐点になるのです。変化を恐れるのではなく、責任を引き受ける覚悟を国民一人ひとりが持つこと。そこからしか、日本が「平和ボケ国家」として軽んじられる現状を抜け出し、世界から信頼される存在へと変わる道はありません。

私たちが求めるべきは「耳ざわりのよい安心感」ではなく、苦くとも真実を見据えた上での責任ある選択です。その積み重ねの先にしか、日本の正統性を回復し、未来を切り開く力は生まれないのだと思います。

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2025年8月21日木曜日

正統性なきリーダーと平和ボケ国家

 

アメリカのトランプ大統領は「プーチンとゼレンスキーを直接会わせれば和平は近い」と豪語しています。しかし現実はそんなに甘くはありません。プーチンはゼレンスキーの正統性そのものを認めていないからです。つまり、交渉のテーブルにすら座れない関係なのです。

一方で、欧州の首脳たちはよく分かっています。彼らが真に望んでいるのは「一度きりの和平」ではなく「戦争を繰り返させない仕組み」です。マクロンが「プーチンは捕食者」と断じたのは象徴的でしょう。捕食者に手を差し出せば、翌日にはまた噛みつかれる。だからこそ欧州は、米国の後ろ盾を得ながら、有志連合による抑止体制や安全保障の保証に力を注いでいるのです。

要するに欧州が欲しているのは「言葉の平和」ではなく「力の平和」です。会談や曖昧な祈りでは戦争は止まらない。その現実を欧州は直視しています。

さて、この「正統性」の話になると、日本の姿が否応なく思い浮かびます。今の石破総理に総理としての資質も品格も正統性もないのは、冷静に見れば明らかではないでしょうか。ところが不思議なことに、国民の少なくとも3割は「総理続投」を望んでいる。世論調査を眺めるたびに、私は首をかしげざるを得ません。

なぜ高齢者は石破さんを支持するのでしょうか。単に「変化を望まない」からなのか。あるいは「次がもっと悪いかもしれない」という漠然とした不安からなのか。私自身も高齢者ですが、どうひっくり返っても石破さんはリーダーの器ではないとしか思えません。国民の側から見ても正統性を欠いているはずなのに、それでも支持が3割――。これが日本の現実です。

欧州のリーダーたちは、和平交渉であれ安全保障であれ、「誰に正統性があるのか」を徹底的に吟味します。だからこそ日本の首相の存在は国際政治で軽く扱われるのです。正統性を持たないリーダーが国内で一定の支持を集めているという事実こそ、日本が国際社会で信用されない最大の理由ではないでしょうか。
    
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2025年8月20日水曜日

沈黙というサウンド――60年代アメリカと現代日本

  沈黙のサウンド
        
「Sound of Silence」が発表された1960年代、アメリカはベトナム戦争、公民権運動、ケネディ暗殺など、社会の裂け目が大きく口を開けた時代でした。サイモン&ガーファンクルの歌は、沈黙の中に漂う不安、誰も口に出さない危うさを照射していました。しかし、この歌が社会批判の象徴となったにもかかわらず、70年代以降のアメリカは没落の道を歩み始めます。経済的繁栄と裏腹に、政治的分断とモラルの崩壊は進み、ついにはトランプの台頭に至りました。これはアメリカの宿命と言えるかもしれません。  

この歴史の流れは、現代の日本社会に重なって見えるのです。表向きの繁栄や安定を装いながら、実際には深刻な少子高齢化、経済停滞、政治の無能化が進行しています。ところが、人々は声を上げず、ただ沈黙のなかに身を沈めている。まるで「沈黙というSOUND」が、日本社会全体を包み込んでいるようです。

忘却の早さもまた、日本の特徴です。昭和の15年戦争、阪神淡路大震災、オウム事件、東日本大震災、そしてコロナ禍――これら大事件の記憶はすぐにかき消され、教訓は生かされません。あたかも「沈黙」が新しい常識であるかのように。

賢者は話すべきことがあっても口を開かない。愚者の話だけが声高にメディアを覆いつくす。

「Sound of Silence」は、単なる時代の歌ではありません。60年代のアメリカにおける社会批判であると同時に、現代の私たち日本人への警鐘でもあるのです。沈黙に甘んじれば、やがて「沈黙」は癌のように拡がり、社会を蝕む。

私が危惧するのは、この国が再び「声を失う社会」へと沈んでいくことです。アメリカの轍を日本がなぞらぬためには、過去を忘れず、沈黙を破る勇気を取り戻さねばなりません。

しかし現実にはどうでしょうか。国民が声を上げるどころか、与党の中枢にすら「声を持たない者たち」が居座り、沈黙を美徳と勘違いしたような政治が横行しています。その結果として生まれたのは、歴史に刻まれるべき史上最低のリーダーたちと、リテラシーのない国民なのです。これこそが、日本社会の「沈黙というサウンド」が鳴り響かせた最も皮肉な結末ではないでしょうか。

サウンド・オブ・サイレンス(翻訳 三鷹の隠居)

真っ暗闇という僕の親友、また話に来たよ。
眠っている間に種が蒔かれたんだ。
それは幻(VISION)のように忍び込み、
「沈黙というSOUND」のなかで芽を出していた。

僕は細い路地をひとり歩いていた。
街灯の光の下、冷たいもやにコートの襟を立てて。
ネオンの閃光が夜を切り裂いたとき、
僕は「沈黙というSOUND」に触れた気がした。

裸電球に照らされ、
一万人、いやもっと多くの人々が言葉をなくしたまま喋り、
疑いもなく聞き入っていた。
理解されることのない言葉を、壁に勝手に刻んでいた。
けれど誰も「沈黙というSOUND」を破ろうとはしなかった。

馬鹿だな。
何も学んでいない。沈黙は癌のように増殖していくんだ。
僕の言葉は、きっと君に届くこともあるだろう。
だけど、それは雨粒が深い井戸に落ちて、
ただ静かにエコーするだけ。

そして人々は、ネオンの偶像に祈りを捧げていた。
お告げは、地下鉄の壁や安アパートの廊下に刻まれていた。
そう、沈黙のSOUNDのなかでみんなが囁いていたんだ。

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2025年8月19日火曜日

徒然なるままに ~ 2025年夏

生成AIに以下の文章を読ませてイメージ化しました。

日本の政治の混迷は、社会全体の劣化を映す鏡のようです。小学生でもできるはずの価値判断ができず、そこに生成AIなどのテクノロジーが拍車をかけている。

思えば、平安末期から鎌倉時代にかけて生まれた『平家物語』『方丈記』『徒然草』には、無常観や価値判断の基準、さらには時間の感覚までもが宿っていました。高度経済成長前夜の1960〜70年代前半、日本の自立を憂いた若者は、サルトルを読み、学生運動やロックに救いを求めたものです。しかし今の時代、人々は「何をどうしたらいいかわからない」「何も考えたくない」と諦念の中に沈んでいるように見えます。

オルテガの『大衆の反逆』は1920年代に世界を警告しました。1927年に自死した芥川龍之介の苦悩もまた、日本社会への一つの警鐘だったのかもしれません。しかし当時の世間は耳を貸さず、時代の勢いに押されて昭和の15年戦争へ突き進んでいった。ならば今の状況を脱する原動力はどこにあるのか――残念ながら私には分かりません。

「三鷹の隠居」は、実際には「三鷹の老害」と呼ぶ方がふさわしい。年齢を重ねただけで、修行はまだまだ足りない。増長を戒めるべき立場です。

徒然草第131段に、こうあります。

おのが分をしりて、及ばざる時は、速やかにやむを智というべし

分をわきまえず、強いて励むのは己の誤りにすぎません。14世紀に吉田兼好が説いたこの至言は、いまの日本の政治家にそのまま突き刺さるでしょう。もっとも、彼らに読ませても無駄かもしれません。「分をわきまえる」どころか、分を知らないことにすら気づいていないのだから。

日本が再び歩みを取り戻すには、兼好の言葉に立ち返るしかない。しかし、政治家に限って言えば ―― まずはひらがなを読む練習から始めるのが早道でしょう。

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2025年8月18日月曜日

アンビバレントな幼児性 ~ 成長できない社会と政治への疑問

 

NHK 2025年8月12日 19時00分


通常、人は矛盾する二つの感情や価値観を同時に抱くことがあります。心理学ではこれを「アンビバレント」と呼びます。たとえば、ある出来事に対して好きでもあり、嫌いでもあると感じる状態です。本来、人間はこのアンビバレントな感情をうまく調整し、全体としてバランスの取れた人格を形づくっていきます。それが「成長」です。

ところが今の日本を眺めると、このアンビバレントを調整できないまま、ただ矛盾を抱え込んでいる大人や組織があまりに多い。まるで幼児の延長線上にあるように見えるのです。教育の出発点は、本来この「アンビバレントな幼児性」からの脱却にあるはずなのに。

福澤諭吉は「智徳と人間交際を高め、禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言いました。智徳の「智」は手段やツールにあたるインテリジェンス、「徳」はモラル。そして「人間交際」は、社交性やコミュニケーションのことです。これは人と人との関係だけでなく、国家間の外交の根っこにも関わるものです。

しかし現代の日本は、「Where do you want to go?(目的)」が定まらないまま、手段やツールばかりにしがみついています。智徳のバランスは崩れ、智に偏重し、徳は軽視され、人間交際は自己中心的。結果として「他者が見えない社会」になりつつある。その一因は教育にありますが、もう一つ大きいのがマスメディアの影響です。

その象徴が「世論調査」です。私は学生時代、朝日新聞の世論調査のアルバイトを経験しました。兵庫県全域を回り、アポをとって家庭や工場の寮を訪ね歩いたのですが、回答者は偏り、設問は誘導的で、調査の精度はお粗末なものでした。半世紀前から「これは偽善だ」と思っていたのに、いまだにありがたそうに報じられている。驚くというより、もう呆れるしかありません。

今回もそうです。石破内閣の支持率38%と報じられました。新聞やテレビもさすがに「支持率回復!」とは書きません。書いても信じる人はいないし、出している側も中身が偏っていることを知っているからです。実際、その38%の多くは高齢者に偏っていて、若い世代の声はほとんど入っていない。未来を担う層が排除されたままの数字を「国民の声」と言い張るのは、どう見ても欺瞞です。

しかも、38%が「支持」なら62%は「支持しない」か「わからない」。ビジネスに例えれば、顧客アンケートで6割以上が不満を示しているのに、経営陣が「市場から高評価を得た」と胸を張るようなものです。まともな会社なら経営陣は即座に退任です。それを「まだ支持されている」と勘違いする総理と閣僚がいる。与党議員の多くは、次の選挙を意識して「いつドロ船を逃げ出そうか」と計算しているでしょう。本気で自分が支持されていると信じているのなら――残念ですが、幼稚園からやり直すしかありません。     
   
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2025年8月17日日曜日

時代劇の消滅とその意味

  
荒野の一ドル銀貨(1966年 日本公開)

先日、半世紀以上ぶりにジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン「荒野の一ドル銀貨」を観ました。懐かしさと同時に、日米双方で西部劇や時代劇といった歴史劇が姿を消してしまった現実を思わず考えさせられました。 


アメリカで西部劇が衰退した理由の一つには、マカロニウエスタンが従来のヒーロー像を変えてしまったことが挙げられます。しかし、より根本的な原因は、侵略と虐殺という自国の「負の歴史」が若い世代にとって直視しがたいものとなったからでしょう。西部劇の舞台は、アメリカが触れられたくない恥部そのものなのです。

一方で、日本の時代劇は少し事情が異なります。江戸時代を中心とした時代劇には、対外侵略の歴史が描かれることはなく、むしろ鎖国の中での国内の発展や生活の様子が映し出されています。武士道精神、庶民の知恵や道徳観、共同体のあり方――そこには、現代にも学ぶべき価値観が数多く残されています。子供の頃に観た「銭形平次」や「水戸黄門」、あるいは若い頃に読んだ池波正太郎や藤沢周平の作品の中に、日本人の精神性や暮らしの知恵が脈々と受け継がれていました。   

にもかかわらず、今や時代劇はテレビや映画からほとんど姿を消しました。その理由は、衣装やセットに費用がかかること、視聴率が伸びないこと、そして若年層が古臭いと感じてしまうことにあります。まさにデフレスパイラルのように、作られないから観られない、観られないから作られない、という悪循環に陥っているのです。

背景には、制作側が若者に届く新しい価値観を時代劇に取り込めないこと、さらには社会全体に「歴史観」や「文化観」を育てる素養が乏しくなっていることもあるでしょう。これは日本の義務教育が歴史を「暗記科目」に押し込め、本当の意味での教養として伝えてこなかったことと無関係ではありません。

時代劇の衰退は単なるテレビ文化の衰退ではなく、日本人が自国の歴史や精神文化を手放しつつある象徴のようにも思えます。アメリカの西部劇が「恥部」を隠すために消えたのだとすれば、日本の時代劇は、受け継がれるべき精神を置き去りにして消えつつあるのかもしれません。だからこそ、その消滅には寂しさ以上の喪失感があります。

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2025年8月16日土曜日

邂逅と漂流の八十年

 

今週、母方の実家の墓じまい(二か所)が終わりました。

母方には現在、西宮の施設にいる92歳の叔母が一人残るだけで、跡取りはいません。したがって、先祖代々のお墓もここで幕を閉じることになったのです。 

お墓は奈良唐招提寺の裏手、小高い山にありました。子供の頃、その墓は竹林の中にあり、柔らかな木漏れ日と静かな空気に包まれていました。しかし、何十年にもわたる乱開発で山は削られ、今では周囲に住宅がぎっしりと立ち並び、その中に古い墓地だけが唐突に取り残されたような様相になっています。

縁というのは、不思議な言葉です。

難しく言えば「邂逅」。人だけでなく、モノや出来事、土地との出会いもまた、人生の方向を変えます。

父方の祖父は二十代で奈良・橿原を飛び出し、樺太の最北端へと移り住みました。営林署の若い役人でした。理由は定かではありませんが、父の話では古いしきたりや家の束縛から逃れたかったようです。結果として、祖父は奈良での安定した道ではなく、「迷子の道」を選んだのでしょう。戦局が悪化する中で奈良へ戻ってからは、死ぬまで裕福とはいいがたい暮らしが続きました。

樺太は、祖父が渡った時代も、そして八十年前の敗戦の夏も、激しい変動の地でした。ソ連軍の南下と混乱、大量虐殺、真岡郵便局の悲劇。朝鮮半島から仕事を求めて渡った数万人の朝鮮人は、1990年の韓国・ロシア国交回復まで帰国できずにいる人が多くいました。そこには、国境に翻弄される庶民の姿が幾重にもありました。
  
こうした歴史を思うと、いま日本が「政治の漂流状態」だと評される現状も、もっと長い時間軸で捉える必要があると感じます。
   
確かに現政権はリーダーの資質により漂流している。しかし、日本の漂流は今に始まったことではありません。戦後八十年、この国は本質的な意味で一度も政治が機能してこなかったのではないでしょうか。江藤淳が語った「忘れたことと忘れさせられたこと」。敗戦直後、日本人は強制的に忘れさせられました。そして今や、日本は自ら進んで忘れようとしているのかもしれません。自己欺瞞から虚無主義へと滑り落ちながら(ニーチェの言った、最後に立ち上がる虚無ではなく)。   

墓じまいは、単なる整理ではなく、血縁や土地の記憶との別れです。そこには、個人の記憶と、国家が選び取った「忘却の道」とが、静かに重なっています。振り返れば、漂流の八十年とは、結局のところ、私たちがその邂逅から目をそらしてきた時間なのかもしれません。

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2025年8月15日金曜日

海ゆかばと靖国の静けさ

 


日本の夏、とくに終戦記念日である八月十五日が好きではありません。


若いころから何度も口にしてきたことです。今年も例外ではありませんが、今年はとりわけ『海ゆかば』の旋律とともに、亡き父のことを思い出しています。

父は十数年前、83歳で亡くなりました。70歳で脳出血を発症し、亡くなるまで左半身麻痺の高齢者として生きました。私も来年は古希を迎えます。そのせいか、今年の夏は父の姿がことさら胸に浮かびます。そして、この国の政治家の発言や行動に、あらためてあきれ果てています。こんな人たちが日本という国家を動かしているのかと思うと、全く無責任だと感じます。メディアも同じです。私はテレビを見ませんが、YouTubeで断片的にコメンテーターの発言を耳にしたり、ネットで「識者」と呼ばれる人たちの言葉に触れたりします。しかし、その多くは非常にお粗末な認識にすぎません。40〜50年前も同じような気持ちで八月が嫌いでしたが、今の日本の状況はそれ以上にひどいと感じます。

父は戦争に行きませんでした。樺太西海岸の泊居(トマリオル)という小さな町で生まれ幼少期を過ごしました。父の父、私の祖父は奈良出身の営林署(宮内省林野局)の役人で国有林の管理が仕事だったみたいです。祖母は根室の人でした。小学校三年のとき、祖父の転勤で泊居から樺太庁の所在地である豊原市に移り住みます。暮らし向きはよく、父は読書好きな普通の少年だったようです。しかし戦局が悪化し、祖父の判断で故郷の奈良へ戻ることになります。この判断は絶妙なタイミングで、祖父の世界を読む目と判断力の確かさを物語っています。

終戦の年、父は15歳で、学徒動員により愛知の軍事工場に入り、ゼロ戦に搭載する20ミリ機関砲を作っていました。祖父も父も固定観念に縛られず、祖父は明治生まれでありながら自分で料理をし、茶碗を洗う人でした。奈良の立派な家系に生まれながら世界の森を渡り歩き、父もまた、自分の基準(物差し)で生きる人でした。若いころは会社で生意気だといじめられ、出世やお金とは縁がありませんでしたが、本を読み、絵や書、水墨画を楽しみ、車を愛しました。

70歳で倒れたあとも、76歳で妻を亡くしてからも、父は障害を抱えながら独りで前向きに暮らしました。戦争体験については多くを語りませんでしたが、何度か『海ゆかば』を口ずさむ姿を見ています。大伴家持が西暦783年に詠んだこの歌は、国のためではなく、愛する人のために命を捧げる鎮魂の歌です。人が生きるには理由が必要であり、人間は自らの生きる価値を見つけなければならないのだと感じます。

奈良中学(現・県立奈良高校)の時、父は勤労動員で豊橋の幸田へ行かされました。団塊世代のように戦争を知らないのではなく、少年期を戦争のただ中で過ごしたことが、単なる反戦ではないリベラルな思想の土台になったのだと思います。加えて、両親の自由な考え方も影響したのでしょう。

そんなことを思い出しながら、終戦の日のニュースを見ました。石破首相は靖国参拝を見送り、私費で玉串料を奉納すると言います。ほかの閣僚も「適切に判断する」と言葉を濁し、理由は語りませんでした。そもそも総理大臣が一個人として昭和の戦争を総括するなど、なんという傲慢な思い上がりでしょうか。私は、国のリーダーが靖国を無視することを理解できません。参拝は戦争を賛美する儀式ではありません。そこに眠るのは、名もなき兵士や、愛する人のために命を落とした人々です。他国への忖度であれ国内への配慮であれ、理由はどうあれ、国の礎を築いた人々への敬意すら示せないのなら、政治家としての資格は問われるべきだと思います。それを公言できないのが今の日本です。

靖国に行けとは言いません。しかし、せめて『海ゆかば』の静かな旋律を聴きながら、哀悼の意を表することがなぜできないのでしょうか。今年の八月十五日も、九段の空にその歌が流れることを、私は心から願っています。

そしてその旋律が、かつて命を賭した者たちの魂に、静かに届くことを信じています。

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2025年8月14日木曜日

お好み焼きと思考の高め方、ほんまに奥深いで

 


お好み焼きって、作り方がめっちゃ奥深いねん。関西人やさかい、ちょっと口出したくなるんやけど、ほんま奥が深いんよ。大きく分けたら関西風、関東風、広島風の三種類や。関西風と関東風は、具と生地を混ぜる「混ぜ焼き」が特徴や。キャベツはみじん切りにして、生地と具がよう混ざるようにするんやけど、関西風は生地少なめ、関東風は多めって違いもある。広島風は生地を薄うのばして、その上に具材をのせる「重ね焼き」。ひっくり返すときに散らばらんよう、キャベツは長めの千切りがええんや。


昨日、気合い入れて作ったんやけど、、、大失敗や。キャベツを粗みじん切りにしたつもりが、2~3センチ角になってもうてな。鉄板の上でキャベツが飛び散りまくって、えらいことになってもうたわ、「さっぱりワヤヤ」や。豚バラも、いつもは最初に焦げるまで焼いてから生地のっけるんやけど、今回は生地の上に豚バラのせて、かつお節もパラパラ。味はまぁまぁやったけど、細かい違いで全然変わるんやから、料理ってほんま面白いわ。

オイラが料理好きなんは、料理作りたいときだけ作るからやと思うワ。気が向いたときだけ手を動かす、そんなんがええんや。実は、手軽に達成感を味わえる単純作業の皿洗いも好きやで。これもまた、ちょっとした「作業の楽しみ」やねんな。

このお好み焼きの話、実は思考の進め方に似とるねん。料理も思考も、試行錯誤を重ねて「失敗の幅を狭める」作業や。キャベツの切り方や長芋の量ひとつで完成が変わるように、頭の中で言葉や考え方を整理して試すことで、思考の精度が上がるんや。読書も同じで、文章を読むことで知識や語彙を頭に蓄え、整理する。そうすると、自分の考えを組み立てやすくなるんよ。

書くことは、その読解力をさらに深める最良の手段や。ただ、ハウツー本ばっか読んで、チャットで短文のやり取りだけして満足してると、老後も内容のない生活になってまう。文章の要約や作成を生成AIに任せきりにすると、料理で例えたら「材料を放り込むだけで味見もせえへん」状態や。自分で試行錯誤せんまま完成品を食べるだけやから、思考力も深まらんわ。

だから、料理も思考も一緒や。手を動かして、材料を考えて、試行錯誤して、自分で組み立てる。その過程を楽しむんがほんまに面白いんや。お好み焼きも、文章も、人生も、奥深さを味わうことが大事やねんな。わかってくれはりますか?

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2025年8月13日水曜日

サックス11か月、まさかの初歩ミス発覚!

 27年前に息子のために買ったサキソフォン

当時、800ドルでした。


サックスを始めて11か月。これまで「なんだか楽器がぐらぐらして安定しないなあ…」とずっと思っていました。持ち方が悪いのか、それともサックスを構える位置に問題があるのかと思っていたら、まさか原因は自分の口にあったとは。

実は、吹奏楽出身の人たちと、私が目指す黒人ジャズやファンキー系サックスプレーヤーでは、口元の形が違うことは早くから分かっていました(ありがとうYouTube)。でも、口の中まで見せてくれる動画はない。まるで料理番組で「ここで味を整えます」の一言で終わらせるようなもので、肝心なところが素人にはわからない。

アンブシュア(マウスピースをくわえる形や筋肉の使い方)については、教則本にもネットにも「音色や音程、演奏の安定性が向上します」とは書いてあるけれど、どうやら一番大事なことが抜け落ちていたようです。

私の致命的ミス、それは――上の歯をマウスピースから浮かせて吹いていたこと。

「え?そんなの普通じゃないの?」と思ったあなた。違うんです。正解は、上の歯をしっかりマウスピースに当てて固定すること。そうすれば楽器はぐらつかず、口角も自然に締まる。

このことに気づいた瞬間、「なんだ、今までの私は水漏れ配管みたいな音を出してたのか…」と心の中で頭を抱えました。次からは、安定感のある音を出せるはず。あとは腕前がそれに追いつくのを待つだけ――人生の第四コーナーにいる自分に、まだ間にあうか?

Sax at Eleven Months — and the Rookie Mistake That Had Me Playing Like a Leaky Faucet
  
I’ve been at the saxophone for just under a year now, and for all that time one question haunted me: Why does this horn feel like it’s trying to wriggle out of my hands? I blamed my grip. I blamed my posture. I even blamed gravity. But the truth was far closer to my face — inside my mouth, in fact.

Early on, I spotted a difference between the neat, disciplined embouchures of concert-band players and the looser, swagger-infused style of the Black jazz and funk saxophonists I admire. (Thanks, YouTube.) Trouble is, YouTube never shows you what’s going on inside the mouth. It’s like a cooking show that cuts to the next scene after, “And now we season to taste.” Great — but what taste, exactly?

Method books and websites talk plenty about embouchure — that magical blend of mouth shape and muscle control that shapes your tone, intonation, and stability. But apparently, they’ve all been skipping over the one thing that could have saved me months of frustration.

Here it is: I’d been playing with my top teeth hovering above the mouthpiece. Floating. Not touching. Not anchoring.

If you just muttered, “Wait, isn’t that fine?” — nope. The pros rest their top teeth firmly on the mouthpiece, locking it in place like a tripod’s center pole. Do that, and suddenly the horn stops wiggling, the corners of your mouth pull in naturally, and the whole setup feels solid.

When I finally discovered this, I nearly dropped the horn. So all this time, I’ve been sounding like a busted water pipe? No wonder I couldn’t keep things steady.
Now, with this one fix, my tone’s got a fighting chance. All I need is for my chops to catch up. But here I am in life’s fourth quarter, racing the clock and hoping the music will still let me play overtime.

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2025年8月11日月曜日

戦後80年、日本は何を語るのか──歴史と未来の往復運動

戦後80年の言葉と歴史の重み

石破総理が「戦後80年談話」を出すかどうかで議論が起きています。国家の節目に発する言葉は、国内だけでなく海外にも響きます。そのため、首相がどのような歴史観を持ち、どれほどの教養と深慮を備えているかは、極めて重要です。軽々しい言葉は誤解や摩擦を招き、国益を損なう危険さえあります。残念ながら、近年の日本政治からは、真に歴史を踏まえた上での重い言葉が聞こえてくる機会が減っているように思います。

歴史と時代の往復運動

歴史を語るとき、私たちはしばしば「過去の事実をそのまま伝えること」と「現代的な解釈として物語ること」の間で揺れ動きます。けれど、どんなに過去を見ようとしても、そこにいるのは現代を生きる自分自身です。視点や感情が入り込み、事実は必ず再解釈されます。だからこそ、過去と現在は循環的に結びつき、互いに影響し合いながら理解が深まっていくのだと思います。

誰もが、自分と異なるもの、違和感のあるものを排除しようとする傾向を持っています。これは国家も同じです。アメリカはアメリカ以外のものを、中国は中国以外のものを排除する方向に動きます。その中で、日本のように「常に誰かに従属する」姿勢をとり続ける国は、人類史の中でも珍しい存在です。

グローバル化と分断の歴史

近代の世界は、つながりと分断を繰り返してきました。19世紀末、産業革命が世界を加速させ、資本や人が国境を越えて移動する第一次グローバル化が始まります。しかし1914年、第一次世界大戦がその流れを断ち切り、各国はブロック経済とナショナリズムへと傾きました。

戦後には再び逆の動きが生まれます。GATTやブレトンウッズ体制のもとで貿易と資本の自由化が進み、1980年代以降はインターネットの普及によって世界が“フラット”になったかのように見えました。けれど、2008年のリーマンショックやパンデミックを経て、国境や経済圏の壁が再び強まりつつあります。

この「つながり」と「分断」の往復運動は、歴史の中で何度も繰り返されてきました。

次の秩序を描くのは誰か

歴史はコピーのように繰り返されるわけではありません。けれど、似たような構造や力学は形を変えて現れます。つながりの加速 → 格差やひずみの拡大 → 社会の緊張 → 境界の再構築 → 新たな秩序の模索――。いま、私たちはその再構築の入り口に立っているのかもしれません。

この先の秩序や安定のかたちは、過去の延長線からは生まれにくいでしょう。国家も企業も教育も、既存の発想に頼る限り、同じ結果しか得られません。異なる視点や世代からの発想が求められています。

未来世代への呼びかけ

地図のない場所を歩くことは、苦しくもあり、同時に面白くもあります。
未来は遠くにあるのではなく、日々の選択と学びの積み重ねの中に少しずつ現れてきます。

戦後80年を機に、その一歩をどちらに踏み出すか――それは私たち自身の手に委ねられています。  

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2025年8月10日日曜日

武蔵野市 ~ 知られざる歴史といま

           


カフェやギャラリーが並び、文化人やリベラルな思想の住民が集う街。それが東京・武蔵野市です。南北にはJR三鷹駅北口(玉川上水から北側)から西東京市や練馬区方面へ、東西には武蔵境から吉祥寺まで広がっています。しかし、この街が歩んできた80余年の歴史をご存じの方は、意外と少ないようです。

1944年11月24日、B-29の大編隊がサイパンを飛び立ち、日本本土初の本格空襲を行いました。その最優先目標は東京都心ではなく、三鷹駅北側──現在の武蔵野中央公園一帯にあった中島飛行機武蔵製作所でした。この工場は零戦のエンジンをはじめ、陸海軍機の心臓部を製造していたため、米軍の重要攻撃対象となっていました。

当時の武蔵野町(現・武蔵野市)の人口は、工場開設前後の数年間で急増しており、爆撃の頃には3万人程度に達していたといわれます。米軍はまず市内2か所の浄水場(東京都水道局と武蔵野市水道局)を狙い、水源を断った上で工場への集中爆撃を行いました。初回の空襲だけで57人が死亡、75人が負傷。その後、終戦までに計9度の空襲が繰り返され、犠牲者は数百人にのぼりました。

中島飛行機武蔵製作所が破壊し尽くされた後も、空からの脅威は終わりませんでした。1945年7月末からは、硫黄島を拠点とするP-51戦闘機による悪名高き機銃掃射が始まりました。それは、まるで騎兵隊がインディアンを追い立てるかのように、列車や市街地を容赦なく襲いました。さらに、原爆投下を担った特殊部隊によって、模擬原爆「パンプキン爆弾」が投下され、爆撃精度の訓練や被害データの収集が行われました。武蔵野の空は、終戦直前まで戦争の影をまとい続けたのです。

戦後、焼け野原となった工場跡は米軍に接収され「グリーンパーク」と呼ばれました。接収解除後には野球場が建ち(神宮球場が接収されていたため)、やがて団地や公園に姿を変えました。いまは穏やかな住宅地や憩いの場となっていますが、その地下には戦時の記憶が静かに眠っています。

そして現代。この4〜5年で外国人の流入は増え、ゴミ収集車にも外国人労働者の姿が見られます。多様性が進む一方で、街の歴史を語り継ぐ声は次第に少なくなっています。

過去を知り、語り継ぐことは、単なる「場所」ではない街の顔を守ることです。武蔵野市はいま、その分かれ道に立っているのかもしれません。

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2025年8月9日土曜日

明治の不平等条約を思い出す夏

銀座通り 1904年(ネットで拾ったフリー画像)


明治の不平等条約と聞くと、遠い歴史の話のように響くかもしれません。

けれど、令和の政治を見ていると、あの屈辱の記憶がふと胸をよぎるのです。幕末、日本は欧米列強と結んだ条約で治外法権を認め、関税自主権を失いました。国家の体面を失うというのは、こういうことだったのでしょう。そしてその屈辱が、明治維新を動かす大きな火種となったのです。

あれから157年。明治元年から数えれば、すでに日本は近代国家として老齢に差し掛かっているはずです。しかし今、政治家もメディアも知識人も、近代から現代への歴史を一望できるリーダーがほとんど見当たりません。地図も羅針盤も持たずに航海している船のように、日本は漂っている気がします。

明治から1975年ごろまで、日本には近代と真正面から格闘する知識人たちがいました。

福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、芥川龍之介、小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存、そして戦艦大和の生き残り士官である吉田満。彼らは本気で「日本はいかに欧米と渡り合うか」を考えました。ときに文明の本質を疑い、ときに日本人の魂を問いました。戦争を経験し、敗北を知った世代だからこそ、考えざるを得なかったのかもしれません。

しかし団塊世代の多くは、1945年8月15日を出発点として現代を見ています。それ以前の近代史を見ようとしない視野の狭さに、私はかねてから違和感を抱いてきました。これからの日本は、若い世代がどこまで「近代化の超克」を真剣に考えられるかにかかっています。

近代とは、何でしょうか。

西欧では、カトリック教会が支配していた世界が16世紀を境に崩れ、国家という新しい枠組みが生まれました。国民は防衛を国家に委ねる契約を結び、その見返りに命と財産を守られます。真理の探求も宗教の手を離れ、ニュートンの万有引力、ダーウィンの進化論を経て、近代科学が確立しました。それは必ずしもキリスト教と相容れない価値観でしたが、人類はそれを受け入れました。

日本の近代は、黒船のペリーが圧倒的な武力で開国を迫ったときに始まります。植民地化の恐怖は現実でした。宗教の力も、アヘン戦争の結末も知っていた日本は、一気に明治維新へと突き進み、文明開化を押し進めます。日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て列強入りを果たしましたが、成り上がりの日本は世界情勢の腹黒さを読み切れず、ついには対英米戦争へと突入してしまいました。

21世紀に入った今、近代そのものが壁にぶつかっています。

冷戦後、資本主義は暴走し、格差は広がり、環境は破壊され、誰も止められなくなった。アメリカもまた、中産階級が崩壊し、かつての白人社会の安定は失われました。権力の中心も変わりつつあります。日本は今こそ、近代を単なる輸入概念としてではなく、自らの血肉として咀嚼し、新しい世界観を見つけ出すべきです。戦後70年、占領政策と自己欺瞞の中で「日本的価値」は自明ではなくなり、アイデンティティを問い直す声すら聞こえなくなりました。迎合ではなく、他国の文化を理解しながら、自国の基準で行動する覚悟。それを失えば、日本は形だけの国として漂い続けるでしょう。

日本は、かつて「近代」という大河を全力で泳ぎきろうとした時代があったように思います。その記憶と気概を、私たちは思い出す必要があるのです。

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2025年8月8日金曜日

献身という事 ~ 戦後80年の夏に思うこと

リンカーン(Wikiより)

8月15日が近づくたびに、私は必ず思い起こすことがあります。

私は「もはや戦後ではない」と言われた世代に生まれたため、1945年8月15日の記憶は持っていません。しかし、子どもの頃からこの日はどうしても嫌いでした。その理由は、三島由紀夫が述べた「限りなき悲哀」を、私は毎年感じるからです。

この日、私は常に戦後日本の教育が作り上げた歴史認識に違和感を抱きます。日本は敗戦後、過去を直視することを避け、まるでダチョウが目を閉じて現実を見たくないかのように、過去を無視してきたように思えます。

私はリンカーンの「ゲティスバーグ演説」を思い出さずにはいられません。

アメリカ人が深く愛してやまない言葉「devotion」は、この演説でも強調されています。リンカーンは、戦争で命を落とした人々が「無駄死にではない」と強く伝えたかったのでしょう。彼は、戦争の悲劇を慰霊しつつ、その犠牲が決して無駄ではなかったことを伝えたかったのです。

リンカーンが訴えた「人民の人民による人民のための政治」というフレーズは、単なる有名な言葉にとどまるものではありません。その本当のメッセージは、戦争で命を捧げた人々が決して無駄死にではなく、彼らの献身があって初めて、新たな誓いとして自由と平和を守るための政治が成り立つ、というものです。

戦後80年の今、私は戦没者の献身を無駄にしないことが私たちの責務であると強く感じています。日本の過去を見つめ直し、戦争の犠牲者への感謝と敬意を示すためには、自己批判的な歴史認識を超え、私たちの名誉を守るために立ち上がらなければなりません。リンカーンが訴えた「devotion」の真の意味を、今こそ深く考えるべきです。

この夏、国民が最も求めるべきは、戦没者を敬い顕彰することです。そのためには、国のリーダーには靖国神社への参拝が最も意義深い行為であると私は信じています。

さらに、民意を無視し、辞任を表明しない総理大臣に対して、私は強い不満を抱いています。政治家として、責任を果たさずその座にとどまり続けることが、いかに無責任であるかを再認識すべきだと思います。

私は誠実な歴史認識と、真摯な責任の取り方を信じています。日本の未来を守り、戦没者の犠牲に感謝するためには、自己批判的な歴史観を超え、日本の名誉を守り続ける姿勢こそが今、最も必要だと考えます。それが、今の日本の子どもたちに対する大人の責任です。

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ゲティスバーグ演説
ゲティスバーグ、ペンシルバニア州 1863年11月19日

87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。 ――それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。)—Abraham Lincoln

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2025年8月5日火曜日

Oh, That's a RIP-OFF ‼


合意なき合意、責任なき交渉

例によってYouTubeで国会中継を2倍速で視聴しました(更にとばして)。

登場していたのは、いまこの国を動かしているはずの人たちです。ですが、突っ込みどころ満載でイライラしてしまいます。質問が届かない。答弁がかみ合わない。責任の所在も、言葉の重みも、どこかへ置き忘れてきたような印象を受けました。

なかでも象徴的だったのが、石破内閣による日米の関税交渉をめぐるやり取りでした。政府は「合意に達した」と胸を張りましたが、その合意には、文書が存在していません。署名も、共同声明も、読み上げもない。つまり、何も記録が残っていないのです。

民間のビジネスでいえば、「取引先を信じて発注書なしで仕事を進めました」と言っているようなものです。そういった関係が成立するのは、町工場の親方と昔ながらの得意先くらいでしょう。国家間の交渉においては、それは“信頼”ではなく“無防備”と呼ばれます。  

「Rip-off」の感覚を持っていたら

英語には rip-off という表現があります。
「ぼったくり」や「法外な取引」といった意味合いです。

たとえば、アメリカ側が強硬な関税条件を突きつけてきたとき、日本側が “Oh, that's a rip-off.” と返していたら、交渉の雰囲気は少し違っていたかもしれません。

もちろん、本気で怒る必要はありません。ニヤリと笑って、ブラックジョークを交わす程度でもよかったのです。本音がぶつかり合う場にこそ、交渉の入り口はあります。それをせず、ただ「Yes」と言えば場が収まると思っていたのだとすれば、それは交渉ではなく譲歩にすぎません。

書かれていない「Ts」= 義務

かつて先輩が、こんな話をしていたことがあります。

「契約には Terms and Conditions(Ts and Cs)がある。けれど、日本人は Conditions(条件)ばかり見て、Terms(期間や終了条件)を見ない」

これは、まさに今の日本外交にそのまま当てはまります。“合意”と呼ばれているものの、そこには期限がありません。終了条件も不明です。何が義務(terms)で何が義務でない(conditions)かが分かっていない。アメリカから見れば、「あとから都合よく解釈を変えるための余白」がたっぷりある、扱いやすい“合意もどき”と映っていることでしょう。

今後、アメリカはこう言い出すかもしれません。

「あの合意には期限がなかった」
「“努力する”と言っただけだ」
「国内事情が変わったので内容を見直す」

トランプ大統領の交渉は、まさにマンハッタンの不動産屋のものなのです。

鉄砲は、後ろから撃たれる

この“合意”の影響は、直接、産業の現場に降りかかります。とくに、自動車メーカーにとっては、まるで背後から撃たれたような衝撃だったはずです。

アメリカ市場での販売戦略は、関税やレギュレーションに左右されます。その重要な前提を、政治家の気まぐれで勝手に組み替えられてしまってはたまりません

本来であれば、トヨタの会長あたりが激怒してもおかしくない局面ですが、日本の大企業は「空気を読む」ことに関しては世界でも随一の対応力を持っています。今回はおそらく、静観して後で帳尻を合わせる、ということなのでしょう。しかし、その帳尻はあまりにも大きすぎるかもしれません。

「責任」は言葉ではなく、紙でとる

交渉の本質は、「書かれていること」で決まります。言った・言わないのやり取りは、交渉ではなく雑談の領域です。それにもかかわらず、今の日本政治は「説明責任」ばかりを強調して、「契約責任」にはほとんど関心を示しません。外交の現場に必要なのは理想論でも情熱でもなく、紙に残すという冷静な習慣なのです(紙に残しても反故にされる場合もあるのですから)。

もしこれが企業の案件であれば、社内の稟議書にはこう書かれるでしょう(アメリカの場合、稟議書にあたるのは「business case」です)。

「この案件、Ts(期限)なし。書面もなし。相手が強すぎる。リスク大」
「却下!」

ところが、いまの政府はそれを“成果”と呼んでいます。

紙のない外交に、未来はありません。そう言い切れるだけの見識と経験を持つ人が、もう少し政治の中にいてもよいのではないでしょうか。市町村議会じゃないんだから(ご無礼)。

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2025年8月4日月曜日

八月という季節に思う──戦後日本と私の違和感


人生の先が見えてきたからでしょうか、かつて強烈だった8月への拒否反応も、最近ではやや和らいできました。それでも20代の頃から、私は8月に日本にいることが本当に嫌でした。理由は明快です。テレビや新聞、雑誌など、メディアが取り上げる「戦争」や「終戦」の話題に強い強い不快感を覚えるからです。そうした報道の空気に触れるたび、日本人でいることが情けなくなるのです。

なぜ不快なのか。それは、どれもが「うわべ」だからです。日本の教育界やメディアには、 戦後に輸入されたアメリカ式教育思想を誤って解釈した影響が強く残っています。すっかり空疎な理想主義と責任転嫁の術だけを身につけてしまった。日本人としての自己認識も歴史的教養も欠けているように見えます。

私は40年以上前から、「もう日本人は戦後に喪失した主体性を、今こそ取り戻すべきだ。自らの足で日本を発見すべきときだ」と言い続けてきました。それは決して、戦前の独善性に回帰することではありません。むしろ、もっと広く、もっと深く、長所と短所を見きわめ、日本人とは何者かを考え、新しい時代へと進むための手がかりを見出すべきだという思いからです。

世界のあらゆる仕組みには、ルールがあります。なぜなら、多くの国が人間の本性を性悪説に立脚して理解しているからです。人間は不完全であり、禽獣の域を脱していない――その認識が、政治や外交の現実的な土台を支えています。国家間の摩擦は、文化、感情、認識のギャップから生まれます。日本の2000年以上に及ぶ文化と、17世紀以降のアメリカ的近代文明とは、人生観も倫理観も宗教観も根底から異なるのです。だからこそ、国家間の問題には抽象的なレベルにおける理解が不可欠です。

ところが日本では、議論は逆の方向に流れがちです。政府、官僚、企業を構成するエリートたちは、具体的議論には長けていても、抽象的な思考や全体像をレベルセットする能力に欠けています。現行の教育制度もその原因の一つです。教科ごとの知識(=柱)は立てるが、それらをつなぐ「梁」を架けることはない。つまり、体系性のある思考が育たないまま社会に出てしまう。

結果として、抽象と具体のバランスをとって思考・行動するという、もっとも基本的な知的態度が形成されない。「君子不器」――孔子のこの言葉が今こそ重みを持ちます。すなわち、君子たる者は一つの機能にとどまるなという教えです。現代の日本に欠けているのはまさにこの「全体性」への志向です。

若い人たちには、単に「人殺しは悪い」「戦争は悲惨だ」といった情緒的で抽象度の低い話だけではなく、「戦争論」としてのメタ的な視座から、ものの考え方を鍛えてほしいと思います。誰だって人殺しは嫌です。そんなことは言われなくても分かっているのです。問題は、なぜ人は戦争に踏み込むのか、 国家という単位で命が動員される現実がどうして発生するのか――そうした根本的な問いです。

日本のメディアは、8月になると「反戦」の情緒的メッセージを繰り返し流しますが、それがあまりにも浅く、そして自動化されていて、私はむしろ絶望すら覚えるのです。だからこそ、今の日本で残された道は、一人でも多くの若者に覚醒してもらうこと。そのためにも、「器にとどまらぬ君子」を育てることに尽きるのではないか。

この国がここまで堕ちたのだと痛感させる政治家の顔、、、頭がくらくらするのは、どうやら暑さのせいだけではないようです。   
    
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2025年8月3日日曜日

私の戦後80年談話

 
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」(著者撮影)


近代史の影と未来への責任

―― 広島・長崎から福島まで、「核」と向き合うということ

広島と長崎への原爆投下から80年が経過しました。今もなお、私たちはその出来事とどう向き合い、どのように未来に継承していくのかを問われ続けています。しかし、この惨劇を自然災害のように扱い、「落ちた」のではなく「落とされた」のだという事実すら、どこか曖昧にされているように思えます。なぜ原爆が広島と長崎に投下されたのか。その背景を正しく理解し、語り継ぐことなしに、日本が真に戦後レジームを脱却し、自立した国家となることはありえません。

アメリカが核兵器を使用した狙いは何だったのか? ハリー・トルーマン大統領と側近のバーンズによる対ソ戦略や外交交渉の布石として、原爆が使用されたという見方は根強くあります。1945年8月6日、ウラン型爆弾「リトルボーイ」が広島に、8月9日にはプルトニウム型爆弾「ファットマン」が長崎に投下されました。同日の早朝にはソ連が満州・樺太に侵攻。スターリンは、日本の即時降伏を恐れて慌てて日ソ中立条約を破棄し、参戦を決断しました。

日本政府はソ連に和平の仲介を期待していたため、まさに戦略は裏目に出ました。8月10日、日本はようやくポツダム宣言の受諾を決定しましたが、すでに二発の原爆が使われた後でした。アメリカが原爆投下によってソ連の軍事的拡張を抑止しようとしたにもかかわらず、その後の歴史が示す通り、それは成功したとは言い難く、むしろ米ソ冷戦が加速しただけでした。

トルーマンとバーンズは、ポツダム宣言の文面から「天皇の地位保全」に関する条項を削除し、日本に最後通牒として伝わらないよう配慮したとも言われています。結果的に日本政府の判断をさらに迷わせることとなりました。この種の「外交上手」は、裏を返せば実に腹黒い計略とも言えるでしょう。

戦争の背景にある国際政治の複雑さや外交のデリカシーに対して、日本はあまりにも鈍感でした。いくら「過ちは繰返しませぬから」と誓ったところで、その背景を正確に検証しなければ、核兵器反対や原発反対を叫ぶ声も、列島の中だけで響く空疎な反復になりかねません。

原爆と原発は技術的には異なるものの、どちらも「核」という共通点を持ち、日本の歴史に深い爪痕を残しています。福島原発事故のような比較的新しい出来事でさえ、事故の根本的な原因(root cause)についてはいまだに見解が分かれています。この事実は、広島・長崎への原爆投下という、より複雑で多層的な歴史的事象の真相解明がいかに困難かを物語っています。

アメリカと日本の間には、単なる戦争の結果ではなく、思想的・哲学的な断絶があります。アメリカの近代国家主義は、アトミズム(原子論)という、「個」がバラバラに存在する世界観に基づいています。対して日本は、人と人が支え合う分子論的な共同体の価値観に基づいて社会が構成されてきました。その断絶は単なる文化の違いではなく、戦争やその後の占領政策、現在の国際政治にも影を落としています。

私たちが国際社会においてどう生きるかを考えるとき、世界には「共通の正義」や「普遍的な価値」など存在しないことを前提にすべきです。外交とは「キツネとタヌキの化かし合い」であり、自分の国は自分で守るという覚悟が必要です。国連の存在や国際法の限界は、朝鮮戦争やソ連の国連拒否権の扱いなど、歴史が既に証明しています。

だからこそ、私たちは過去の戦争や核の問題を、単なる過去の出来事として扱ってはなりません。今の政治家や教育制度が過去を十分に検証していないとしても、私たち一人ひとりが、歴史の真実に目を向け、未来への責任を果たすべきです。

未来の世代にとって、過去は単なる記録ではなく、「生きた教訓」として意味を持つべきです。原爆投下の本当の意味とは何だったのか? それに対する答えを、日本人自身が出す責任があるのではないでしょうか。
    
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2025年8月2日土曜日

「The Buck Stops Here」~ 責任とリーダーシップの空洞化

トルーマン大統領
The Buck Stops Here なのか Pass the Buck なのか?

昨日、臨時国会が召集され、新人議員たちが初登院しました。しかし、それを見ながら私は高揚感よりも深い虚無を覚えました。日本の政治家の威信は、もはや地に落ちたと言っていいでしょう。阪神淡路大震災、オウム真理教事件、東日本大震災——いずれの時も、私が感じたのは「この人たちが国を導いているのか?」という、苛立ちと不安でした。危機の場面に立たされた政治家たちの発言は、空虚な言葉を繰り返すだけで、そこに「責任」という重みはほとんど感じられませんでした。


こんなとき、私はいつも英語の表現「The buck stops here.(責任はここで止まる)」を思い出します。この言葉には、リーダーが自らに責任を引き受ける覚悟と決意がにじんでいます。翻って日本の政治家に、その「責任の止まり木」が果たしてあるのでしょうか。

私はただの老百姓です。けれど、凡人なりに、自分の生活と命を守るために危機感を持ち、慎重に生きてきました。それが私なりの「危機管理」でした。そして、それを国家レベルで行うのが、本来の政治家という存在のはずです。だが今や、政治家とは「口当たりの良い言葉を言い、無責任に去る者たち」になりつつあるのです。

特に今の総理に対する評価は、私の中で明確です。彼は明らかに、リーダーに最も向いていない「スペック」の人物です。確固たるビジョンもなければ、思想的バックボーンも見えない。かつて防衛大臣であった際の対応には、致命的な判断ミスがあったし、拉致問題においても、被害者家族の切実な思いに真に寄り添う姿勢は見られませんでした。

彼を見ていて感じるのは、「冷徹さ」ではなく、「リーダーとしての器の小ささ」です。発言に一貫性がなく、自分の言っていることの意味を自覚していないようにすら見えます。その場しのぎの言葉を重ねるだけで、明確な方向性や意志が伝わってこない。

にもかかわらず、なぜ彼を支持する層が存在するのか? それは、戦後日本の深層にある「現状維持の病理」にほかならないでしょう。特に高齢者層には、「変わらなくてもいい」「今のままでよい」と考える者が多い。自分たちの残りの人生が平穏であれば、それでよし。未来の日本より、自分たちの安定が大事なのです。私も高齢者の一人なのでよくわかります。

この姿勢は、まさにニーチェが『ツァラトゥストラ』で描いた「末人(the last man)」そのものです。自分で考えず、リスクを取らず、ただ「快適さ」だけを求める者たち。こうした国民に支えられたリーダーが、果たして未来を切り開けるだろうか?

思えば、日本のこのような風土は、近代以降の教育制度に端を発している。「自己本位」(selfhood)を育むことなく、「序列」と「従順」だけを教えてきた敗戦後80年の教育が、思考を放棄した末人を大量に生み出した。そして個人(individual)と社会(society)の関係性を問うことなく、ただ「世間」に適応する人間を作り続けたのです。

政治とは、自己保存の延長ではなく、公共への献身であるべきです。だが、公共空間が未成熟なこの国では、いまだに「世間」がすべてを支配しているかのようです。個人の意志よりも、空気の読み合いが優先され、政治家でさえもその空気の奴隷となる。

いま、私たちはもう一度問わなければなりません。
総理大臣は、「The buck stops here」という言葉を、果たして本当に知っているのか?

そして我々国民もまた、自分の「The buck」がどこに止まるのか、問い直す時に来ているのではないでしょうか。

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2025年8月1日金曜日

檸檬色の反抗 ―― 私とコペンの物語

 

私がコペンを選んだ理由は、単にユニークな軽自動車としての魅力だけではありません。その黄色――この色に込めた個人的な意味が、実はとても大きいのです。この黄色は、梶井基次郎の短編小説『檸檬』に登場する、あのレモンの鮮烈なイメージと重なります。

私は『檸檬』を、日本の明治以降の近代化が上滑りに進んでいったことへの批判として読み取っています。西洋的な価値観に流され、和魂洋才の精神を忘れてしまった日本。その姿を象徴するように、主人公の手に握られたレモンは、ただの果物ではなく、抑圧された精神の爆弾のように感じられるのです。そして物語の最後、そのレモンが爆発することで、鬱屈したエネルギーが一気に解放される。私の選んだコペンの黄色にも、まさにその爆発的なエネルギーが宿っている気がします。孤独や無力感のなかでも、心のどこかで静かに反抗を燃やしている自分自身を象徴しているようなのです。

思えば、黄色い車に惹かれる感覚は、今に始まったことではありません。

社会人になって数年たった頃、私は人生で初めての新車を購入しました。黄色のホンダ・シビックです。その頃、四国の徳島で暮らしていた私は、特に通勤に使っていたわけではないものの、休日のドライブなどでその鮮やかな黄色い車を走らせていました。地元の人たちからは「まっ黄色の車とはまた目立つね」と、少し奇異の目で見られていましたが、私はまったく気にしませんでした。むしろ、まだまだ封建的な当時の四国の社会に反抗心を燃やしていたのかも知れません。今思えば、あの時すでに、私は自分の中の「レモン」をどこかで感じ取っていたのかもしれません。

そして現在、私は黄色いコペンに乗って4年目になります。

この車は、ただの移動手段ではありません。運転そのものが楽しく、まるでゴーカートに乗っているかのような感覚を味わえます。年齢を重ね、免許返納のカウントダウンがそう遠くない将来に始まることを思えば、今乗れる車は限られてきます。だからこそ、毎日が貴重です。

コペンを選んだ最大の理由は、そのユニークさにあります。軽自動車でありながら、オープンカーとしての遊び心、そして日本らしい繊細な設計とデザイン。まさに「日本にしか作れない車」だと感じています。黄色という色もまた、梶井基次郎の『檸檬』が持つシンプルで力強い美しさと重なり、私にとってこれ以上ふさわしい色はありませんでした。

もちろん、ダイハツを取り巻く不正問題には、複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。

企業の問題にとどまらず、国土交通省の試験プロセスそのものに問題があったのではないかという強い疑念もあります。安全性を担保する検査が機能していなければ、見過ごされた問題が消費者にとって致命的なリスクになりかねません。企業の不正が明るみに出たときこそ、行政側もその試験体制を精査し、改善すべきです。とりわけ交通安全に関わる問題は、個人の所有車であっても、社会全体に波及する責任を含んでいます。

そして何より、私が最も不満に思うのは日本のメディア報道の姿勢です。視聴率至上主義のような煽るだけの報道が横行しており、これは戦前の新聞やラジオが大衆を動かした構造とどこか通じています。今こそ、ジャーナリズムの精神を取り戻すべきではないでしょうか。

還暦を迎えてコペンを選ぶ人は意外と多いと聞きます。

真っ赤なコペンで還暦祝い――そんな話を耳にするたび、なんとも微笑ましい気持ちになります。年齢に関係なく、スポーツカーの魅力は「運転の楽しさ」に尽きる。その考えには私も共感しています。

ただし、日本の夏にトップダウンで走るのは、現実的にはなかなか厳しいものがあります。私はもっぱら、冬にシートヒーターを効かせて屋根を開け、冷たい空気のなかを走るのが好きです。長距離ツーリングをするわけではなく、近所の買い物に使う「お買い物車」として日常的に活用していますが、それでもこの車の小回りのよさ、駐車のしやすさは本当にありがたい存在です。

私にとってコペンは、単なる車ではありません。

日々の生活の中で「楽しさ」を思い出させてくれる、大切な存在です。軽自動車という枠を超えて、日本が持つ技術と遊び心が凝縮された一台。この黄色い小さな車を、私はこれからも大切に乗り続けていくつもりです。

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