昭和30年代の福岡市
東田島カトリック幼稚園 クリスマス会
アダム・グラント教授の近著『HIDDEN POTENTIAL』には、「フィードバックよりアドバイスのほうが人を成長させる」という主張があります。複数の実験結果から、具体的で建設的な意見を引き出すには「評価」を求めるより「改善点」を求めるほうがよい、という論理です。しかし正直に申し上げますと、私はこの議論をそのまま鵜呑みにすることはできませんでした。いかにも、アメリカのビジネススクール的だからです。
ここで、日米におけるバックグラウンドの違いを押さえておく必要があります。
アメリカ
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主体性が強すぎる
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自己主張が過剰
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他者のアドバイスを聞かない
→だから「アドバイスを聞け」が必要
日本
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主体性が弱すぎる
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自分の意見を持つ訓練がない
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評価を気にしすぎる
→むしろ「自分で考えろ」「自分に率直になれ」が必要
つまり、グラント教授の主張を日本社会にそのまま輸入しても機能しないということです。
もちろん、フィードバックが常に有効とは限りません。曖昧で社交辞令的な言葉は何の助けにもなりませんし(これがアメリカ的なのですが、、、)、言葉を受け取る側の心構えが整っていなければ、耳に入っても実践には結びつきません。けれど、人が自分自身をふりかえり、過去を更新し、次の一歩を決めるという作業において、「自分自身によるフィードバック」は不可欠だと私は思っています。そしてもう一つ、アドバイスというものは、誰からもらうかで質がまったく変わります。相手によっては、的外れな助言や、受け取ればむしろ自分を後退させるアドバイスさえあります。
アメリカのビジネススクールを否定するつもりはありませんが、あれは「ビジネスの技法(how-to)」を体系化して教える場です。そこに学問としての本質や、人が学び続けるための根源的な姿勢まで期待するべきではないと思います。だからこそ私は、コーチ・カウンセラー・メンターの三つの役割を自分の中でどう配置し、どうバランスをとるか──そこに主体性を持つことのほうが重要だと考えています。
「礼儀」と「親切」の違いが生む沈黙
グラント教授のエピソードに「友人の歯についた食べかす」の話があります。確かに、人は相手の欠点に気づいても口をつぐんでしまいます。礼儀正しさが先に立ち、親切さが後に回ります。もっともらしい褒め言葉は言えても、本当に役に立つ率直な指摘はなかなかできません。率直さというのは、言葉の選び方次第で相手を傷つけもしますし、救いにもなります。だから難しいのです。しかし難しいからといって黙るのは、親切とは言えません。礼儀と親切は似ているようでいて、まったく違う作用を持っているのです。
ただ、私はこの話を読みながら、「率直さ」を他者に頼る前に、まず自分自身に向ける必要があるのではないか、と感じました。人は他者からの助言よりも、自分で自分の思考や行動を正しくふりかえる力を育てるほうが、よほど強靭になれるからです。
絵日記
そこから私は、なぜか自然に「絵日記」のことを思い出していました。絵日記は、情緒と思考をつなぐ最初の訓練です。小学生の頃に誰もが書いた「絵日記」、あれを単なる夏休みの宿題として捉えてしまうのは、少し惜しい気がします。絵日記とは、心に残った場面を視覚的に描き、それを言葉で補う作業です。つまり「情緒的な思考」と「論理的な思考」を橋渡しする訓練になっているのです。この二つを早い時期に繋いでおかないと、抽象的な概念を扱ったり、論文を書いたり、他者に向けて説得力ある説明をしたりすることができません。社会人になって求められるプレゼンテーション能力も、レポートを書く力も、そもそもは「自分の気づきや体験を言葉にして残す」ことから始まります。そしてその原点が絵日記なのです。
私はよく、10年、20年、あるいは30年前に書いた日記を読み返します。驚くほど変わった部分もあれば、呆れるほど変わらない部分もあります。その揺らぎや反復に、かえって自分の本質が見えます。柳田国男が「後日虚心平気にもう一度これを批評するために書くのだ」と語ったように、書くことは未来の自分への橋がけなのだと感じています。
小学生低学年のころ、夢中で描いていたのは「鉄人28号」でした。リモコン次第で正義にも悪にもなる存在は、どこか人間くさく、私は鉄腕アトムよりもそちらに惹かれていました。ビートルズよりローリング・ストーンズの「ざらつき」が好きなのと似ているのかもしれません。もちろん両方好きではありますが、人間味のある揺れや未完成性に惹かれていたのだろうと思います。
理系・文系の区別とは無関係に、「絵を描くこと」は思考の基礎です。頭の中で形づくられたイメージを外に出す行為は、まさに構造化にほかなりません。ビジネスの世界でPowerPointを使って図解をつくるのも、その延長線上にあります。絵心のある人は、複雑な情報を整理し、外に向けて伝える能力が高いものです。絵日記とは、その最初のバージョンなのです。
「絵」が印象を伝えるビジュアル要素であり、「文章」が意味づけを補う言語的要素である。この二つを同時に扱うという点で、絵日記はプレゼンテーションの原点とも言えるのです。
良いアドバイスとは、自分が見つけるもの
話をグラント教授に戻します。教授は「アドバイスを求めるほうが具体的で建設的な意見を得られる」と説きます。しかし、私はアドバイスというものを過信してはならないと思っています。
アドバイスを与える側にもバイアスがありますし、その人が置かれた環境や価値観によって結論は大きく揺れます。それを丸呑みするのは、思考停止と紙一重です。アメリカのビジネススクールがどれほど合理的なメソッドを教えたとしても、それは「技法」にすぎません。大切なのは、その技法を運用する「自分自身」の側であるはずです。
だからこそ、コーチ・カウンセラー・メンターという三つの役割をどう活用するか、主体的に選ばなければなりません。外部の助言は、自分を映す鏡の一つではありますが、決して最終判断を委ねるものではありません。
本当に大切な「アドバイス」とは、実は他者の口から出るのではなく、自分がふりかえりの中で発見するものなのではないか──私はそのように考えています。
自分の成長は、外から注がれるものではない
アドバイスを求めるより前に、まず自分自身の思考を見つめること。そして、過去の自分とも向き合い、そこからまた新しい構造を組み立てること。その積み重ねこそが、人を本当に強くするのだと思います。
だから日本で必要なのは、外部のアドバイスよりもまず “自分自身に対する率直なフィードバック” であり、そこから生まれる主体性なのだと思います。
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だから日本で必要なのは、外部のアドバイスよりもまず “自分自身に対する率直なフィードバック” であり、そこから生まれる主体性なのだと思います。
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