2025年11月4日火曜日

軽の美学 ― 本質を忘れた社会への警鐘

2022年春

3年前に、トヨタ86から軽自動車のコペンに乗り換えました。

公道を走るゴーカート。まるで「檸檬色の小さな反抗」です。50年もの間、車に乗ってきましたが、人生で初めての軽自動車です。

免許返納までのカウントダウンを自分で決めた今、できるだけ多くの車を体験しておきたい――そう思ったのです。それに、世界のどこを探しても、コペンのような存在はありません。フェラーリでもポルシェでもない、日本が生んだ、ほんとうに「日本らしい」一台です。

黄色のコペンを選んだのは、梶井基次郎の『檸檬』のイメージです。
この小さな車で晩秋の街をトップダウンで走ると、凍った空気のなかに、ちょっとした文学的幸福を感じます。

軽自動車とは、狭い道と高い燃料費のなかで生き抜くため、日本人が編み出した生活の知恵です。そして、規格の制約という「不自由さ」を逆手にとり、見事なバランスで作り上げられた「創意の結晶」でもあります。

もちろん、欠点もあります。軽は構造的にきゃしゃです。事故になれば普通車よりリスクは高い。しかし、それでも軽を愛する人が多いのは、このクルマが「自分たちの手の届く工夫」で作られているからでしょう。そこには、他人任せではない“ものづくりの矜持”が息づいています。

それに比べて、最近ニュースで目にした“某国メーカー”の日本への軽EV導入計画――これは、正直なところ、危険な匂いを感じます。

安全性の検証が不十分なまま、「安さ」と「スピード」だけを武器に日本市場へ乗り込もうとしている印象を受けます。

そもそも軽自動車というのは、日本特有の文化的・法制度的な枠のなかで育ったものです。その繊細な均衡の環境に、異なる安全基準や思想のもとで作られた車が入り込むと、何が起きるか――私はそこに強い懸念を抱いています。

車は人の命を乗せて走るものです。もし事故や火災が起きたとき、補償やメンテナンス体制は本当に整っているのでしょうか。見た目のデザインや新しさよりも大切なのは、「命を預かる設計思想」です。 

海外メーカーが日本市場で成功すれば、それが他国向けの宣伝材料になる――そこまでは企業戦略として理解できます。しかし、その裏で「日本で売れる」という実績が、まるで安全や品質の証明であるかのように扱われるとすれば、それはまったくの誤解です。

日本の消費者が本当に守るべきものは、「信頼」です。

車は、エンジンでもモーターでもなく、信頼で走る乗り物です。その信頼を、短絡的な経済合理性に委ねてしまえば、取り返しのつかない代償を払うことになるかもしれません。

コペンに乗っていると、車がまだ「人の心で作られていた時代」を思い出します。軽自動車は単なる省エネ商品ではなく、技術者の良心が詰まった“小さな哲学”なのです。

だからこそ、私は思います。

軽を安くコピーするより、軽を理解するほうがずっと難しい。
車の未来を決めるのは、スペックでも値段でもなく、「人間への誠実さ」なのだと。

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