2025年11月18日火曜日

日本医療の危機

病院とは、私たちが日常もっとも非日常的な時間を過ごす場所です。そこでは、患者は「個人」として尊重されながらも、同時に医療の流れのなかに位置づけられ、私的な感情よりも治療という共同の目的が優先されます。医師や看護師もまた、一人の人間というより「役割(function)」としてふるまい、専門職としての判断や対応が求められます。

とりわけ三次救急や高度急性期医療を担う“大規模病院”では、社会の変化や制度のひずみがもっとも早く、そして透明に表れます。人口構造の変化、人手不足、医療の高度化、制度改革の影響──これらが病院という空間に凝縮され、廊下を歩くだけで、社会の深層がにじみ出てくるように感じられます。

今回、私が武蔵野赤十字病院で目にした光景も、単なる「一つの病院の変化」ではなく、現代日本の医療が抱える構造的な課題の縮図として、とらえるべきものだと思いました。

武蔵野赤十字病院はいま何を抱えているのか

一週間の通院で見えた日本医療の「静かな危機」

この一週間、身内が救急搬送されたことをきっかけに、私は毎日武蔵野赤十字病院に通っています。実は5〜6年前、義母の介護・看病で同じ病院に何年も通った時期がありました。その当時の記憶と現在の光景を重ね合わせると、同じ病院でありながら、どこか空気が違うという感覚を覚えます。その違和感が何から来るのか。観察を重ねるうちに、武蔵野赤十字病院という“個別の場所”を超えて、日本の医療が抱える構造が浮かび上がってきました。

若い医療者が一気に増えた病院内

病院に入るとまず驚くのは、若い医師や看護師が圧倒的に多いことです。看護師も二十代前半と思われる人が増え、十年前にはあまり見なかった光景です。

しかし、これは武蔵野赤十字病院だけの異変ではありません。大規模病院が「教育・研修機能」を担うようになり、若手が常に循環する構造が強まっています。さらに、2024年に施行された「医師の働き方改革」で時間外労働が厳しく制限され、医療提供体制を維持するには若手を増やすしかなくなりました。つまり、若い医療者の多さは“活気”の表れであると同時に、医療制度の変化の結果でもあります。

良いことのように見えますが、若手中心の循環型人事では、経験が積み上がりにくいという課題も生まれます。社会経験が不十分な医療スタッフが高齢者の患者や患者の家族と接する構図です。

高齢スタッフが支える病院の下支え

一方、清掃、ベッドメイキング、車椅子の誘導、配膳など、コア業務を補う仕事をしているのは、高齢のスタッフが圧倒的に多くなっています。十年前にも高齢者の姿はありましたが、現在は“ほぼ高齢者のみ”といって良いほどです。後期高齢者かと思うスタッフも見受けられます。これも全国で共通の傾向で、少子高齢化のなかで雑務を担う人材が確保できず、高齢者雇用の比率が上がっているのです。もちろん、彼らの存在は病院にとって不可欠です。しかし、これほど高齢化した体制があと何年維持できるのかと考えると、胸がざわつきます。

若い医師と高齢スタッフが行き交う廊下は、日本社会そのものの縮図のようでもあります。

日本赤十字社全体が抱える経営難

では、病院経営はどうなのでしょうか。

日赤グループは全国に90以上の病院を抱えていますが、2024年度の医業収支は456億円の赤字が見込まれ、約3割の病院が経営不振に陥っていると言われます。診療報酬は上がらず、材料費・人件費・光熱費は急上昇。この構造的赤字は、武蔵野赤十字病院にも当然のしかかっています。

ただし、この病院には「東京西部の高い人口密度」という大きな強みがあります。地方の日赤病院に比べると患者数が安定しており、立地の良さに支えられているのは確かです。しかし、それでも医療費・人件費の高騰は避けられません。病院が自助努力だけで乗り越えるのは難しい時代になっています。

一週間の観察から見えた“静かな危機”

これらを踏まえると、武蔵野赤十字病院は次の四つの課題を抱えていると感じます。

① 若手中心の医療体制

若手が多く、現場は明るく活気がある。しかし裏を返せば、経験が積み上がりにくい。重症患者を扱う病院にとって、これは見過ごせない問題です。

② 高齢スタッフが病院の基盤を維持

清掃、配膳、誘導など病院の“動線”を支えるのは高齢者で、その貢献は大きい。しかし、持続性という点では明らかにリスクを抱えています。

③ 経営は「強み」と「弱み」の両面を抱える

立地と患者数の多さは強みである一方、赤十字グループ全体が抱える政策医療への偏重は重い荷物になっています。

④ 危機はまだ“見えていない”

私が実際に見た限りでは、病院の雰囲気は悪くありません。むしろ以前より若さがあふれ、明るさすら感じます。しかしその裏側には、制度改革、人材不足、医療費増、経営圧迫など、静かに進む危機が積み重なっています。

「まだまし」だが、それは永続する保証ではない

総合すると、武蔵野赤十字病院は日本の医療危機のなかでは“比較的まし”な病院に見えます。東京圏の需要、赤十字の看板、若手の供給、大学病院的な研修機能――これらが病院の体力を支えています。しかし、その体力がいつまで持つのかは誰にもわかりません。若い医師と高齢スタッフがすれ違う廊下の風景を眺めながら、私は「この体制はあと何年持つのだろう」と何度も自問しました。

武蔵野赤十字病院は、いまの日本医療が抱える“静かな危機”をそのまま映し出す場所になっている──この一週間の通院で、私は強くそう感じています。  

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