2025年11月6日木曜日

自由と平等のねじれ ― リベラルという幻想

 
正義の尺度

リベラルという幻想 ― “平等”と“自由”のあいだで


「リベラル」という言葉ほど、誤用されやすい言葉はないかもしれません。日本では、リベラル=進歩的=良いこと、という単純な図式が浸透しています。しかし、その語源をたどれば、リベラリズムとは自由の思想であって、平等の思想ではありません。

自由とは、個人の差異を認め、選択と責任を引き受けることです。ところが現代の「リベラル」は、いつの間にか“みんな同じでなければならない”という、新しい平等の圧力を生み出しています。

アメリカでは「平等の名のもとに自由を奪う」現象が進行し、それへの反動として“反知性主義”や“トランプ現象”が起きました。つまり、リベラリズムは自らの理念によって自己崩壊しつつあるのです。

日本の「リベラル」は、もっと曖昧で、もっと善意的だ

日本のリベラルは、アメリカのようにイデオロギー対立として成熟していません。

それは良くも悪くも、日本社会が“関係性”を前提に成り立っているからです。人間は孤立した「原子」ではなく、互いに影響し合う「分子」である。この感覚は、古代ギリシャのプラトン以来、そして日本では村社会の倫理として自然に受け継がれてきました。

日本社会の強みは、極端な個人主義に陥らない点にあります。一方で、その曖昧さが「責任の所在」をあいまいにし、何も決めない文化を温存してきたのも事実です。リベラルを名乗る人たちが、ほんとうに「自由のため」に発言しているのか、それとも「平等のため」に発言しているのか、その違いを自覚している人はどれほどいるでしょうか。

本当の自由とは、他者を承認する勇気である

自由とは、好き勝手に生きることではなく、他者の自由を尊重する覚悟です。それは、リベラルが口にする“多様性”(最近では“包摂”?)とは似て非なるものです。多様性はスローガンで語れても、自由には痛みと忍耐が伴う。

日本は、アメリカよりもずっと静かに、この「自由と平等の宥和」を実現してきた社会だと思います。

極端な富裕層支配もなく、宗教的対立も少ない。それなのに、メディアや大学の一部では、アメリカ型の“リベラルごっこ”が横行している。「民主主義の危機」などと声高に叫ぶ前に、リベラルとは何かをもう一度、足元から問い直す時期に来ているのではないでしょうか。
    
***

2025年11月5日水曜日

自己決定という教育 ― “考えない社会”への処方箋

 
My grandchildren are growing up learning to think for themselves.
All I can do is watch over them.


自己決定という教育

「子どもを幸せにすることが親の務めなら、子どもの自己決定力をのばす関わりをすることが大切だ」

ある教育支援団体の代表がそう語っていました。

その人によれば、2万人の日本人を対象とした調査で「自己決定力が幸福感をもたらす」ことが明らかになったそうです。これは、まったくその通りだと思います。人は誰かに決められて生きるのではなく、自分で決めることによって初めて“幸福”という感覚にたどり着くのだと思います。

ただ、少し補足したいのは、「再登校」や「学校に行くこと」そのものが、すべての子どもにとっての幸福とは限らないという点です。授業をサボって街を彷徨するのも、立派なオプションのひとつです。自分で選んだ結果なら、不安も孤独も自分で受け止めるしかない。それが“自己決定”というものではないでしょうか。学校に行かずに喫茶店でたむろした経験のない大人には、この感覚は少しわかりにくいかもしれません。

「考えない教育」が生んだ国

日本の教育は、「枠の中で考えないこと」を教えてきたように思います。文科省が定めたカリキュラム、学校の規則、そして「みんなと同じであること」の重圧。その結果、「自分で考える」という脳の筋肉が育たないまま大人になり、社会に出てから突然「自分の人生を選びなさい」と言われるのです。これでは、無理もありません。

アメリカでは、落ちこぼれにも軍隊や地域ボランティアという“別の選択肢”が用意されていますが、日本では選択肢がほとんどありません。受験偏差値というレールの上を走るだけで、レールを外れた瞬間に「落伍者」扱いされてしまう。教育とは本来、枠を与えることではなく、枠を自分でつくる力を育てることのはずです。

子育ての本質は「オプションを与える」こと

親ができるのは、正解を押しつけることではなく、選択肢(オプション)を提示することだと思います。どんなに間違って見えても、子ども自身に選ばせてみる。その選択が失敗だったとしても、失敗の中にしか学びはありません。人間の脳は、成功と失敗を繰り返すうちに“自分の枠”を作っていく。それが「学ぶ」ということだと私は思います。

教育産業が「生きる力を育む」などとスローガンを声高に叫ぶ時代ですが、本当に必要なのは「ヒマ(閑暇)な時間」ではないでしょうか。何もしない時間、ボーッとする時間があってこそ、人は考えることを学ぶのです。これが私の考える“閑暇の教育”です。考えない社会に育つ子どもたちに、せめて考える時間を返してあげたいと思います。このままだと、生成AIが考える画一化された社会になっていきます。

自己決定とは「克己」である

新渡戸稲造の『武士道』には「克己」という言葉があります。自己を制すること。つまり、自分で選んだ道を、責任をもって歩むということです。精神力とは、他人に勝つ力ではなく、自分に勝つ力のことです。それは、先ほどの「自己決定力」と同じ根っこにあると感じます。

結局のところ、自己決定とは“生きる力”そのものです。誰かの指示で動くロボットではなく、調教された動物でもない。失敗も迷いも含めて、「自分で決めた」人生を歩むこと。
それが幸福の第一歩ではないでしょうか。

***

2025年11月4日火曜日

軽の美学 ― 本質を忘れた社会への警鐘

2022年春

3年前に、トヨタ86から軽自動車のコペンに乗り換えました。

公道を走るゴーカート。まるで「檸檬色の小さな反抗」です。50年もの間、車に乗ってきましたが、人生で初めての軽自動車です。

免許返納までのカウントダウンを自分で決めた今、できるだけ多くの車を体験しておきたい――そう思ったのです。それに、世界のどこを探しても、コペンのような存在はありません。フェラーリでもポルシェでもない、日本が生んだ、ほんとうに「日本らしい」一台です。

黄色のコペンを選んだのは、梶井基次郎の『檸檬』のイメージです。
この小さな車で晩秋の街をトップダウンで走ると、凍った空気のなかに、ちょっとした文学的幸福を感じます。

軽自動車とは、狭い道と高い燃料費のなかで生き抜くため、日本人が編み出した生活の知恵です。そして、規格の制約という「不自由さ」を逆手にとり、見事なバランスで作り上げられた「創意の結晶」でもあります。

もちろん、欠点もあります。軽は構造的にきゃしゃです。事故になれば普通車よりリスクは高い。しかし、それでも軽を愛する人が多いのは、このクルマが「自分たちの手の届く工夫」で作られているからでしょう。そこには、他人任せではない“ものづくりの矜持”が息づいています。

それに比べて、最近ニュースで目にした“某国メーカー”の日本への軽EV導入計画――これは、正直なところ、危険な匂いを感じます。

安全性の検証が不十分なまま、「安さ」と「スピード」だけを武器に日本市場へ乗り込もうとしている印象を受けます。

そもそも軽自動車というのは、日本特有の文化的・法制度的な枠のなかで育ったものです。その繊細な均衡の環境に、異なる安全基準や思想のもとで作られた車が入り込むと、何が起きるか――私はそこに強い懸念を抱いています。

車は人の命を乗せて走るものです。もし事故や火災が起きたとき、補償やメンテナンス体制は本当に整っているのでしょうか。見た目のデザインや新しさよりも大切なのは、「命を預かる設計思想」です。 

海外メーカーが日本市場で成功すれば、それが他国向けの宣伝材料になる――そこまでは企業戦略として理解できます。しかし、その裏で「日本で売れる」という実績が、まるで安全や品質の証明であるかのように扱われるとすれば、それはまったくの誤解です。

日本の消費者が本当に守るべきものは、「信頼」です。

車は、エンジンでもモーターでもなく、信頼で走る乗り物です。その信頼を、短絡的な経済合理性に委ねてしまえば、取り返しのつかない代償を払うことになるかもしれません。

コペンに乗っていると、車がまだ「人の心で作られていた時代」を思い出します。軽自動車は単なる省エネ商品ではなく、技術者の良心が詰まった“小さな哲学”なのです。

だからこそ、私は思います。

軽を安くコピーするより、軽を理解するほうがずっと難しい。
車の未来を決めるのは、スペックでも値段でもなく、「人間への誠実さ」なのだと。

***

2025年11月3日月曜日

出る杭とフェミニズム ― 高市早苗という“日本の試金石”

 
ネットで拾った画像(著作権は不明)


米外交問題評議会(CFR)のシーラ・スミス氏が、「日本初の女性首相となった高市早苗の政治的意味」を論じた記事を発表しました。

スミス氏は、彼女が安倍路線を継承する保守政治家でありながら、女性リーダーとして日本社会の固定観念を揺さぶる存在になる可能性を指摘しています。彼女にとってフェミニズムとは「女性優遇政策」ではなく、「国家の強さと文化的自立をどう両立させるか」という政治哲学の一部として描かれているようです。

つまり、スミス氏の目には、高市氏は「女性だから首相になった」のではなく、「首相になったら女性だった」政治家として映っている。これは、日本国内の一部論者が「女性であること」に過剰な意味を読み込む態度とは対照的です。

実際、日本のフェミニズムはどこか歪んで伝わってきたように思います。アメリカのフェミニズムが「人間としての平等」という普遍理念から発展したのに対し、日本のそれは「被害者意識」と「敵探し」が先に立ちがちです。

その典型が、社会学者・上野千鶴子氏の発言です。高市氏が自民党総裁に選出された際、上野氏はX(旧ツイッター)でこう書きました。

「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない」。さらに「ジェンダーギャップ指数は上がるだろうが、女性に優しい政治にはならない」と続け、高市氏が「選択的夫婦別姓」に慎重な姿勢をとっていることを批判しました。

しかし、高市氏自身は、旧姓の通称使用拡大には長年尽力してきました。「別姓に反対する=女性の敵」という単純な構図では捉えられないのです。上野氏のような“学問的フェミニズム”が現実社会を見下ろす視線に陥ると、むしろ女性の現実的な選択肢を狭めることになりかねません。そうじゃないですか?

フェミニズムとは、本来、性別に関係なくすべての人が平等に尊重される社会を目指す思想です。「女性が優遇されるべきだ」という主張ではなく、「性別に関係なく能力が正当に評価されるべきだ」という考え方のはずです。ところが日本では、フェミニズムが“女性のための旗印”に変質し、男性と敵対する運動のように誤解されてきました。

数日前のブログで書きましたが、繰り返します。社会主義者・北一輝の言葉です。

「男女は断じて同一の者に非ざる本質的差異を持つ」。男女は異なるが、だからこそ折り合いをつけて共に生きる――彼は100年前に、すでに成熟した平等観を語っていました。これは「知行合一」、つまり「言っていることとやっていることが一致する」人間観にも通じます。

高市氏が目指しているのは、まさにそうした現実的な「折り合いの政治」ではないでしょうか。性別にこだわるよりも、沈みかけた日本の船をどう立て直すか――そこにこそ本質があります。もっとも、背後にある魑魅魍魎とした党勢力とのバランスは、折り合いがつくかどうか、イバラの道でしょうが、、、。

それにしても、日本社会には「出る杭を打つ」習性が根強く残っています。誰かが少しでも成功すると、すぐに「気に食わない」と叩く。それが女性なら、さらに容赦がない。こうした“横並び文化”が、日本のフェミニズムをも萎縮させてきたのかもしれません。

アメリカでは、女性リーダーを「象徴的存在」として支える文化があります。一方の日本では、「女性がトップになるなら、私たちより何倍も優れていなければ」という暗黙のプレッシャーがある。結果として、「出る杭」は伸びる前に切り落とされてしまうのです。

フェミニズムを語るなら、まず「成熟した眼差し」を持つべきです。誰かを叩くのではなく、静かに見守る。最初から協力しなくても、せめて静観するくらいの余裕を社会が持てるかどうか――それが、真のジェンダー平等の第一歩ではないでしょうか。

高市政権の船出をどう評価するかは人それぞれですが、「女性であること」を理由に足を引っ張るようでは、日本の社会の成熟も、フェミニズムの再生も、まだまだ夜明け前なのかもしれません。
   
***

2025年11月2日日曜日

迷子になる勇気 ― 井伏鱒二『山椒魚』が映す日本社会の閉塞

 

井伏鱒二の『山椒魚』が発表されたのは1929年、昭和の幕開け、満州事変の直前の頃です。


それから約一世紀が経った今も、この作品は学校の国語教科書に掲載され続けています。けれども、現代の教育現場でこの作品がどこまで深く読まれているのかといえば、疑問を感じざるを得ません。  

多くの場合、「自分の殻に閉じこもった山椒魚の孤独」という心理的・道徳的な読み方にとどまり、そこに潜む社会的比喩までは掘り下げられていないように思います。

社会に出て組織の中で働いた経験を持つ人が読むと、この短編はまったく別の表情を見せます。

山椒魚が閉じこもった「岩屋の穴」は、まさに現代日本の組織社会そのものを象徴しているように見えるからです。狭く、息苦しく、しかし奇妙に安定した空間。そこに閉じ込められた山椒魚は、他者を責め、言い訳を重ね、自分の境遇を嘆きながらも、けっして外へ出ようとしません。彼を不自由にしているのは他者ではなく、自分自身なのです。そして、蛙。山椒魚によって岩屋に閉じ込められた生物です。当初は山椒魚と罵り合うのですが、最終的には山椒魚の孤独を理解し、両者の間に奇妙な連帯感が生まれます。なんだか、いったん入社すると、惰性でそのまま定年まで、、、。

この構図は、いまの日本社会に驚くほどよく似ています。

学校では、与えられた問いに「正しい答え」を返すことが評価されます。「なぜ」「どうして」と問うことは煙たがられ、他人と違う意見を持つことが「面倒」とされる。社会に出れば、上司の指示に従うことが『協調性』とされ、異論を唱える者は『空気が読めない』と排除される。

こうして人々は、自分で考え判断する力を失い、洞窟の中で不満を言うだけの存在になってしまいます。

井伏が『山椒魚』を書いた頃、日本は急速な近代化のただ中にあり「自律」という概念を置き去りにしていました。国家も個人も、外から与えられた枠組みの中で「秩序」を優先し、「自由」を恐れたのです。その構図は、戦後を経た現代でもあまり変わっていません。むしろ管理と監視の技術が高度化したことで、私たちはより精密な「洞窟」の中に閉じ込められているのかもしれません。

思えば、山椒魚が岩屋に閉じこもることになったのは、「ほんの気まぐれ」でした。外に出るタイミングを逃したことが、彼を永遠の囚人にしたのです。日本社会もまた、戦後のある時期に「自由より安定」「個より組織」という選択をしました。その結果、社会は安定しましたが、精神の自由を失いました。自らの判断で動く勇気――すなわち「自律」――が奪われていったのです。もちろん、外的要因は多々ありましたが、、、。

***

2025年11月1日土曜日

チームビルディングという幻想 ― 日本が自律を失った理由

1998年頃に作成したスライド
 

組織という病理 ― 日本が「自律」を失った理由


高市新政権が船出しました。
外交も内政も、ようやく舵を切ったばかりです。

それにもかかわらず、主要メディアは早くも冷笑的な論調を競い合っています。どうもこの国では、政治家が何かを「始める」ことよりも、「まだ何もしていない」段階で叩くことに快楽を見いだす人々が多いようです。私は、もう少し静観するくらいの知的余裕を持ちたいと思います。

もっとも、政権批判そのものの是非を論じたいわけではありません。私が気にしているのは、この国の組織や教育の根に深く巣食っている「自律の欠如」という問題です。どれほど立派な理念を掲げた政権が誕生しても、日本の組織文化そのものが変わらない限り、社会の底力は決して上がらないでしょう。
 
「タコつぼ国家」の正体

日本の組織は、一言で言えば「タコつぼ型」であります。専門領域を掘り下げることが美徳とされ、他の部門には立ち入らない。互いに干渉せず、協働せず、しかし波風も立たない。そこに「和」が保たれていると信じているのです。

しかしながら、この「和」はきわめて奇妙な代物です。意見をぶつけ合う「嵐(ストーミング)」の段階を避けることで、組織は表面上の平穏を保ちますが、その実、内部には無関心が蔓延します。誰も責任を取らず、誰も決断しない。こうしてチームは「協働する群れ」ではなく、「並列する個」の集合体に堕していくのです。
 
リーダー不在の共同体

日本の組織には、リーダーがいません。いや、正確に言えば、「命令する人」はいても「導く人」がいないのです。上司は部下を育てるのではなく、監視します。会議では「意見」よりも「空気」が支配する。その光景には、自由よりも服従を美徳とする国民性の影が見えます。

本来、リーダーとはチームを支配する者ではなく、その自律を促す者です。ところが日本では、上に立つことを「責任」ではなく「特権」と誤解し、下にいることを「服従」と思い込む。そのため、誰もリーダーになりたがらない。上司を軽蔑し、部下を育てず、結果として組織全体が「管理の奴隷」と化していくのです。

教育が奪った「自ら考える力」

私は、この問題の根源は教育にあると考えています。日本の教育は、答えを覚え、他者に認められることを目的としてきました。その結果、「自分で問いを立てる力」が育たなかった。教師は常に「教える者」であり、生徒は永遠に「与えられる者」であり続けたのです。

自ら考える訓練を受けないまま社会に出た人々が、「上の指示」を待つのは当然のことです。それを「協調性」と呼び、「組織人の美徳」としてきました。しかしその実態は、自律を放棄した従属の連鎖にほかなりません。
 
「褒めない社会」とモチベーションの空洞

日本人は、人を褒めるのが苦手です。褒めれば「贔屓」と見なされ、評価は常に「相対的な順位」で語られます。この文化の中で育った人間は、他者の評価に依存するようになります。その結果、「何のために働くのか」という根本的な目的意識を見失ってしまうのです。

セルフ・モチベーションが育たない社会では、リーダーもまた育ちません。リーダーとは、誰かに褒められるために動く存在ではないからです。自己の信念と目的意識をもって行動する――そこにこそ、真の自律があると私は思います。

信頼のない国に自由はない

結局のところ、昨今の日本社会の病理は「信頼の欠如」に尽きます。上司は部下を信じず、教師は生徒を信じず、親は子を信じない。信頼のない場所では、自律も自由も育ちません。だからこそ、組織は「管理」に走り、教育は「監視」に堕していくのです。

私は思います。この国に必要なのは、新しいスローガンでも、派手なリーダーでもありません。一人ひとりが自分の判断で動く勇気であります(迷子になる勇気)。信頼し、任せ、失敗を許す文化を取り戻さない限り、日本は永遠に「管理社会の徒花」に咲き続けることでしょう。

***

2025年10月31日金曜日

1960年代のTVドラマ『逃亡者』

https://youtube.com/shorts/_SzDTLz60iU?si=aVdiDT9D_4ypJlDI  

私のアメリカへのあこがれは、音楽ではベンチャーズ、映画では『卒業』や『ブリット』、そしてテレビドラマでは『逃亡者』にはじまります。60年代から70年代初期にかけて、私はアメリカのドラマを片っ端から観ました。『ルート66』『サンセット77』『名犬ラッシー』『ハイウェイ・パトロール』『ハワイアンアイ』、そして『奥様は魔女』『鬼警部アイアンサイド』『警部マクロード』。しかし、その中でもデビッド・ジャンセン主演の『逃亡者(The Fugitive)』は、群を抜いて私の心をとらえました。


『逃亡者』は、妻殺しの濡れ衣を着せられた医師リチャード・キンブルが、真犯人である“片腕の男”を追い求めながら、アメリカ中を逃げ続ける物語です。1963年に放送が始まり、日本でも1964年からTBS系列で放映されました。私は福岡市の公団住宅に住む小学生で、土曜の夜8時、テレビの前に釘づけになっていました。

いま思えば、あの地方都市の団地の世界と、キンブルが旅する広大なアメリカの風景との対比が、何よりも鮮烈だったのだと思います。それは、自分の日常と、スクリーンに広がるアメリカの街並みとのギャップ。私にとって『逃亡者』は、アメリカという国がいかに広く、多様で、そして複雑であるかを初めて教えてくれたドラマでした。車も冷蔵庫もガソリンスタンドも、どれをとっても日本のものとは違って新鮮に見えました。

一話完結の物語構成も魅力でした。どの回にも、逃亡を続けるキンブルが立ち寄る町があり、そこにそれぞれの人間模様がありました。彼は名前を変え、職業を偽りながらも、医師としての良心を失わない。危険を顧みず人を救おうとする姿に、子ども心に「正義とは何か」という問いを感じ取っていたのかもしれません。

デビッド・ジャンセンの演技は、今見ても息をのむほど深い。セリフの少ない沈黙の中に、孤独と誠実さ、そして哀しみが漂っていました。対するジェラード警部(バリー・モース)は、冷徹でありながら、どこかキンブルへの敬意を隠せない。その関係性がまた、人間ドラマとしての厚みを加えていました。私は途中から「もしかしてジェラード警部こそ犯人ではないか」と真剣に疑ったほどです。

三島由紀夫はかつてこう書いています。

「少年期の一時期に強烈な印象を受け、影響を受けた本も、何年かあとに読んでみると、感興は色あせ、あたかも死骸のように見える場合もないではない。しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないということである。それはたとえ本棚の一隅に見捨てられても、それ自身の生命と思想を埃(ほこり)だらけになって、がんこに守っている。われわれはそれに近づくか、遠ざかるか、自分の態度決定によってその書物を変化させていくことができるだけである」。

この言葉は、『逃亡者』のような映像作品にも通じるように思います。少年期に夢中で観たドラマも、年月を経て再び見ると、まったく違う感慨を与える。変わるのはドラマではなく、私たち自身なのです。

高校生になってから知ったのですが、『逃亡者』が放送されていた1960年代のアメリカは、公民権運動が高まり、体制への不信が渦巻く時代でした。無実の罪で国家権力に追われるキンブルの姿は、社会の不安や孤独な個人の戦いと重なっていたのかもしれません。小学生の私にはそんな背景など分からなかったけれど、理不尽に追われる男の姿に、どこか人間の悲しさとたくましさを感じ取っていたのだと思います。

4年間続いた全120話のドラマは、最終回で全米視聴率50%を超えるという歴史的な記録を残しました。 60年経った今も、私は『逃亡者』をときどき見返します。オープニングのナレーションとテーマ音楽が流れるたびに、あの頃の自分と自分が生きてきた年月を思わず辿り直してしまいます。

当時の私は、小学生ですから、自由とか正義とか、人間とは何か――そんなことを考えていたわけではありません。ただ、見たことのない広い国、未知のアメリカへの憧れが強まっていったのです。『逃亡者』とは、そうしたアメリカへの夢を育ててくれたテレビドラマでした。

リチャード・キンブルを演じたデビッド・ジャンセンは、1980年2月13日、カリフォルニア州サンタモニカで心臓発作により亡くなりました。48歳という若さでした。その早すぎる死を惜しむ声は多く、彼のintenso(強烈)でリアルな演技は、今なおシリアスなテレビドラマの基準として、多くの俳優たちに影響を与え続けています。

1963年版『逃亡者』のナレーションもまた、このドラマを特別なものにしました。特に日本語吹き替え版で睦五郎氏が務めた語りは、視聴者の心に深く残っています。冒頭のナレーションには、こうあります。「正しかるべき正義も、ときとしてめしいる(blind justice)ことがある……」。

“めしいる”という言葉の意味を、小学生の私は知りませんでした。しかし、その響きだけが、なぜか心に残りました。

***

2025年10月30日木曜日

言葉の品格を失う社会へ ― メディアと言葉の暴力

 

昨今のメディアに出てくる人たちの言葉の乱れは、目に余るものがあります。堂々と間違った言葉づかいをし、それが繰り返されるうちに、あたかもそれが「正しい日本語」であるかのように広まってしまう。大げさに言えば、かつて日本社会に共通して存在していた「言葉の善」が崩れはじめているのではないでしょうか。


ある新聞のオピニオン欄で指摘されていたように、最近のメディア空間では「批判」と「ハラスメント」の境界があいまいになっています。政治家や公人に対して、政策論争ではなく、人格攻撃や嘲笑が先行する場面が増えている。報道の現場でも、関係者の軽率な発言が電波に乗るなど、「言葉の暴力」が常態化しつつあります。

本来、言葉は品格をともなうものでした。相手を敬う言葉づかいの中に、社会の秩序と人間の尊厳が宿っていた。ところが、いまの言葉は自己主張の武器となり、他者を攻撃するための道具になりつつあります。SNSの世界では、それがさらに増幅され、匿名の「集団的ハラスメント」として拡散していく。

言葉の乱れとは、単なる語彙や文法の問題ではありません。もっと深いところで、人間の意識の劣化を意味しています。言語は単なる意思伝達の手段ではなく、人間の意識の構造そのものです。私たちは「考えてから言葉にする」と思いがちですが、実際は逆です。人間は「言葉によって考える」存在なのです。つまり、言葉が粗雑になれば、思考そのものもまた粗雑になる。

「バベルの塔」(旧約聖書)は、その象徴的な警鐘だったのかもしれません。神は人間の傲慢さに怒り、言葉を通じなくしてしまった。なぜ「言葉」を乱すという方法を選んだのか。それは、言語が人間の協調や思考の根幹をなしているからです。言葉を失えば、共同体は崩壊する。いまの日本社会もまた、静かに同じ病を患っているように見えます。

さらに厄介なのは、AIの登場です。AIが生み出す「言葉」は、意味を理解して発せられるものではなく、確率的にもっともらしく並べられた記号の連鎖にすぎません。そこには「意志」も「倫理」もない。それでも、私たちは便利さに慣れ、その機械的な言葉を“自然な会話”と錯覚しつつあります。

もし私たちが、言葉を単なる情報伝達の手段としてしか扱わなくなったら、人間らしさの根幹が失われます。言葉の品格とは、他者を思いやり、自分の感情を律する力のことです。言葉を粗末にすることは、人間を粗末にすることと同じです。

民主主義とは、本来「言葉によって成り立つ制度」です。だからこそ、「言葉の暴力」が蔓延すれば、政治も社会も荒廃する。いま、私たちに問われているのは、「政治の品格」よりもむしろ「言葉の品格」ではないでしょうか。

***

2025年10月29日水曜日

大谷翔平が教えてくれる“本質を愛する力”

 
野球
(ネットで見つけた画像です)


昨日のワールドシリーズ第3戦、ドジャース対ブルージェイズは本当にすごかったですね。

延長18回、まるで二試合分のような死闘でした。びっくりしました。最後はフリーマンのウォークオフ・ホームラン(サヨナラ本塁打)で決まりましたが、私が心を打たれたのはやはり大谷翔平の姿でした。

彼は勝敗だけを追っているのではない。
もちろん勝ちたい気持ちは誰よりも強いでしょう。
それでも彼の表情には、勝ち負けを超えた「野球そのもの」への愛情があふれていました。

延長18回を戦い抜いたあとも、大谷は笑っていた。
その笑顔を見て、敵味方の選手も観客も、誰もが感じていたはずです。
――大谷は、野球というスポーツそのものを愛しているのだと。

この姿を見て、私は言語学の「シニフィアン」と「シニフィエ」という概念を思い出しました。少し難しい言葉ですが、簡単にいえば「シニフィアン」は言葉の“かたち”、“音”であり、「シニフィエ」はその言葉が指し示す“意味”や“本質”のことです。

たとえば、赤ん坊が「りんご」という言葉を覚えるとき、最初はただ音として「りんご」を覚えます。そのあとに、丸くて赤くて甘い果物だと理解する。つまり「りんご」という音(シニフィアン)と、「果物としてのりんご」(シニフィエ)が結びつくことで、初めて“モノの概念”が形づくられていくのです。

そして、その「概念」は育つ文化や環境によって違ってきます。
私には二人の孫がいます。二人ともアメリカの南部で生活しています。
当然ながら英語の世界の中で成長している訳です。

ジージとしては少し寂しいのですが、私が「りんご」と言っても、彼らの頭の中に浮かぶ“apple”は、私が思い描く「りんご」とは少し違うのです。言葉を覚えるということは、同時に「世界の見方」を身につけることでもある――そう感じます。

だからこそ、私は幼児や小学生の「英語早期教育」に懐疑的です。言葉を学ぶことは単なるスキル(ツール)ではなく、その人がどんな文化の中で世界をどう感じ取るかという、もっと深い営みだからです。
  
大谷翔平が見せてくれるのは、まさに「シニフィエ=本質」を愛する姿勢だと思います。アメリカの野球、日本の野球という枠を超えて、彼は「野球そのもの」という普遍的な本質を楽しんでいる。その姿が観る人の心を打ち、国境を越えて感動を共有させるのです。

私たちも、ものごとを見るときに“思い込み”というフィルターを外し、
その奥にある「本質」に目を向けてみたい。

そうすれば、少し大げさかもしれませんが――
生きることそのものが、少し楽しくなるような気がします。
   
***

2025年10月28日火曜日

自己規制外交からの脱却 ― 高市外交が示す新しい現実主義

 
橿原神宮と畝傍山


トランプ米大統領の来日は、日米関係の新たな節目を示す象徴的な出来事となるでしょうか。


来年にはアメリカで中間選挙を控え、アメリカ国内では保守とリベラルの対立が修復不可能なレベルまで深まっています。一方、支持政党に関係なく、生活費の高騰は国民共通の関心事です。トランプ大統領の発言や外交姿勢には、一貫して「アメリカ・ファースト」の理念が貫かれています。

高市早苗首相が橿原市で10代という自己形成の重要な時期を過ごしたことは、彼女の政治観に大きな意味を持つと考えることができます。高市さんが通った畝傍高校は、私の本籍地と同じ町内にあります。

橿原市が持つ歴史的背景は、彼女の政治家としてのアイデンティティや理念の形成に、少なからず影響を与えた可能性があるでしょう。橿原という場所は、初代神武天皇の即位の地であり、日本初の本格的な都城・藤原京が置かれたところです。国家、すなわち律令国家の礎が築かれた地です。この「国家の原点」とも言うべき土地で10代を過ごしたことが、彼女の政治的信念や日本という国家への感度に独自の深みを与えているのかもしれません。

そうした背景を持つ高市首相と行われる今回の会談は、日本外交の今後を占ううえで重要な意味を持つでしょう。

日本の主要メディアやテレビのコメンテーターは、高市政権の「中国への強硬姿勢」を批判しています。しかし、私にはその「強硬さ」は単なるナショナリズムではないように思えます。むしろ、戦後日本が長く抱えてきた「自己規制外交」からの脱却を意味しているのではないでしょうか。

戦後日本は、アメリカの同盟国としての立場と、アジア諸国との歴史的関係とのはざまで、常に「波風を立てない」外交を続けてきました。しかし、いまや主権と人権、そして国際秩序を守るために明確な立場を取ることこそが、外交的抑止力の基盤です。高市首相はその原則を理解しているように見えます。実際のところは分かりませんが、そうであってほしい――私はそう願っています。

中国による尖閣諸島への侵入、日本のEEZ内での資源調査船の常態化、台湾海峡での軍事的威嚇行動。これらはすべて、中国政府による政策的・制度的な暴力です。違いますか?それにもかかわらず、日本の一部の知識人や主要紙は「憎しみに満ちた中国人を理解せよ」「文明的な中国人を日本の同盟者として活用せよ」と説きます。しかし、日本が直面している問題は、中国人個々への理解ではなく、国家体制としての中国共産党による脅威なのです。論点のすり替えは許されません。「理解」や「共生」といった言葉で応じるのは、現実を直視しない甘い姿勢と言わざるを得ません。

一方で、高市首相は韓国やASEAN諸国に対しては、融和と安定を重視した現実的な外交を進めています。

これは対立を避けるための妥協ではなく、地域全体の安定を見据えた戦略的協調姿勢です。高市外交の真価は、「対立」と「協調」を峻別する知性にあります。「綱渡り外交」と評するのは表層的であり、むしろ日本が東アジアの秩序形成に主体的に関与しようとしている証と見るべきでしょう。

またエネルギー政策の面でも、日本は米国の「脱ロシア」方針に盲目的に追随することなく、エネルギー安全保障と地政学的現実を両立させる柔軟な政策を取っています。これは依存ではなく、リスク分散の知恵です。アメリカにも中国にも偏らず、独立国家として自らの判断を下す――その姿勢こそ、戦後日本がようやく取り戻そうとしている“自立の証”ではないでしょうか。

つまり、高市外交は「安倍さんの影」ではなく、「日本の意思」です。戦後80年を経て、ようやく日本が自らの言葉で世界と向き合おうとしている。今回のトランプ大統領との会談は、その転換点を象徴する出来事になることを期待しています。

日本外交が自己欺瞞から現実主義へと踏み出した瞬間として、記憶されるようになればいいですね。 

***

2025年10月27日月曜日

まだ間に合う教育再生 ― 若い世代に託す希望



若い世代へのエール

私は高齢者ですから、まずは正直に言わせてもらいます。50歳以上の人たちにいろいろ提言しても、もう手遅れです(人間が、総合的に最も機能するのは50代後半から60代前半だという研究もあるようですが、、、)。耳が遠くなったわけではありません。 頭の中のアップデート機能が、そろそろサポート終了を迎えつつあるのです。

ですから、希望は若い世代に託すしかありません。小中学生から40歳前半くらいまでの人たち、そして彼らを育てる親御さんたち。ここに日本の未来を変えるカギがあります。

「流行」ではなく「原理」を学ぶ

最近は何かと「AIドリル」「プロンプト力」「デジタル人材」など、横文字が飛び交っています。しかし、流行りのツールを追いかけていても、学びの本質には近づけません。道具は時代とともに変わりますが、思考の基礎体力は変わらないからです。

教育の目的は、最新ツールの使い方を覚えることではなく、「抽象度を上げ、全体を見渡す目を育てること」だと思います。つまり、木を見て森を見ずではなく、「森の成り立ち」を理解できる人を育てる。これこそが、AIの時代に、人間が人間であり続けるための知恵です。

子供たちには、本、できれば一冊でも二冊でも古典を読んでほしいと思います。長年読み継がれてきた文章には、時代を超える「人間の知恵」が詰まっています。気に入った部分はどんどん真似していい。模倣は創造の第一歩です。昔の文人たちは皆そうして成長しました。パクることは、恥ではなく学びの技です。

モチベーションとインセンティブを混同していませんか?

さて、日本では「モチベーションが上がらない」という言葉がやたらと聞かれます。しかし、モチベーション(やる気)とインセンティブ(ご褒美)を混同している人が多いようです。

モチベーションとは、自分の内側から湧き出る「よし、やるぞ」という気持ち。インセンティブは、そのやる気を引き出す外側の仕掛け――つまり、ニンジンです。

「ご褒美がないと動かない」では、インセンティブに頼り切った状態です。本当の学びは、ニンジンがなくても走り出すようなモチベーションから生まれます。

では、そのモチベーションはどこから来るのか?
社会のリアリティがそれを育てます。

平均化社会の罠

アメリカの子供たちは、街角でホームレスや薬物中毒者を見ます。同時に、巨大な家に住み、高級車を乗り回す大富豪も見ます。彼らのモチベーションは明快です。「こうはなりたくない」「ああなりたい」――この振れ幅が、行動の原動力になるのです。

一方、日本はどうでしょう。

極端な貧困もなく、極端な富裕も少ない。コンビニに行けば、とりあえず何かは買える。安心で穏やかな社会である一方、「危機感」や「憧れ」という刺激が少ないのも事実です。過度な平均化は、やる気の平準化でもあります。 個性が磨かれる前に、角を丸めてしまうのです。

これは教育にも同じことが言えます。「みんな一緒に、同じペースで」――確かに優しい響きですが、長い目で見れば、誰のためにもなっていません。

「機会の平等」と「結果の平等」は違う

平等主義は大切です。しかし、「機会の平等」と「結果の平等」を混同してはいけません。日本の教育は、時に「結果の平等」に偏りすぎています。

小学校低学年までは、皆で同じことを学ぶのが良いでしょう。しかし、高学年になると、子供たちの得意・不得意、興味の方向ははっきりしてきます。それなのに、どんなに才能があっても、「みんな同じスピードでやりましょう」と言われたら、やる気のある子ほど退屈します。

能力別クラスという言葉は日本では敬遠されがちですが、本来は「格差」ではなく「最適化」の仕組みです。優秀な子を伸ばすと同時に、不得意な子が別の才能を見つけるチャンスにもなる。平等とは「全員が同じ結果を出すこと」ではなく、「全員が自分の可能性を発揮できること」ではないでしょうか。

Gifted と Talented ― 才能の芽をどう育てるか

英語で「Gifted & Talented」という表現があります。Gifted は生まれつきの才能。Talented は努力で伸ばす力。才能があっても磨かなければ錆びますし、努力があれば凡人も変わります。両方がそろって、初めて真の成長が生まれるのです。

日本の教育は、Gifted(天賦の才)を恐れ、Talented(努力する才)を強調しすぎたのかもしれません。「みんな同じように頑張りましょう」と言いながら、実は誰の個性も伸ばせていないのです。これでは、努力の報酬も曖昧になり、モチベーションも生まれません。

刑法の改正に学ぶ ― 一人ひとり違っていい

最近、刑法が改正され、懲役と禁錮が統一されて「拘禁刑」になりました。これも象徴的な変化です。社会が「罰する」より「更生させる」方向に舵を切ったということです。なぜなら、受刑者も一人ひとり違う背景を持つからです。

教育も全く同じです。

子供たちは一人ひとり違う。家庭環境も、関心も、成長のスピードも違う。それを理解せずに「画一的な正解」を押し付ける教育では、人材が育つわけがありません。拘禁刑が人間の多様性を認める制度改正だとすれば、教育にも同じ発想の転換が必要です。

コンサルタントが考える「生きるスキル」

私はこれまでグローバルなビジネスの世界でコンサルティングに携わってきました。その経験から言えるのは、どんな業界でも必要とされるのは「基本的な人間力」だということです。

大人になる前に、子供たちが身につけるべきは、次のようなスキルです。
  • 自分で考える力
  • 責任ある生き方
  • イニシアチブ(自分から動く姿勢)
  • 相手の意見を聴く寛容さ
  • チームワーク
  • 強靭さ(インテンシティ)
  • 向上心
  • インテグリティ(倫理観・スキル・野心のバランス)
  • 信頼性
どれも、試験では測れません。
でも、社会に出てからはこれらがすべてです。

子育て世代へのお願い

子供の教育は、学校任せではうまくいきません。

親御さん自身が、子供の「得意」と「苦手」を見抜く力を持つことが大切です。そして、失敗を恐れない子に育ててあげてください。失敗を笑い飛ばせる余裕こそ、人生の最高の学びです。

子供が「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞いたら、こう答えてあげてください。「将来、自分で考えて、自分の足で立てるようになるためだよ」と。

結びに ― ユーモアを忘れずに

日本の教育には、確かに課題が山ほどあります。でも、それを嘆いていても仕方ありません。

教育の未来は、制度や予算よりも、人間の心の在り方にかかっています。子供たちに必要なのは、完璧な教科書ではなく、「応援してくれる大人の背中」です。

大リーグでは、大谷翔平や山本由伸が従来の大リーグを変えつつあるのではないかと議論されています。それは、かれらの精神力や心の持ち方に注目しはじめているからです。

教育の未来は、制度や予算よりも、人間の心の在り方にかかっています。

***

2025年10月26日日曜日

時間と約束を守るという仕事

 
ナニワのブルースマンだった頃(1975年)


信頼関係の構築には時間がかかります。

時間を守る、約束を守る、嘘はつかない。——これをひたすら繰り返すだけです。たったそれだけのことなのですが、長年にわたって実行するのは案外むずかしいものです。けれど、愚直にやらない限り、信頼関係は築けません。

社会人になりたての頃の私は、何のスキルもなく、自分にどんな価値があるのかさえ分かりませんでした。上司やクライアントに振り回されるのも嫌だし、できれば気分よく毎日を過ごしたい。そんな私にできたことといえば、約束の時間よりずいぶん早く現場に行くことだけでした。

——絶対に遅れない。

若い自分に与えられた価値なんて、せいぜいその程度だと思うようにしていたのです。

もちろん、「早く着きすぎて時間の無駄だ」と揶揄されたこともありました。しかし、「無駄と余裕」が信条の私としては、むしろそれでいいと思っていました。余裕を持って行動することが、自分の小さな誇りであり、自己肯定感の源でもあったのです。それに、早く着くと、意外にいろんな発見があります。誰もいない会議室の静けさとか、掃除中のおばさんたちとの小さな会話とか。

世の中には、「時間に遅れて慌てる夢」にうなされる人がいます。心理学的には、それは苦手意識やコンプレックスの反映だそうです。

私は幸いにも遅刻する夢を見たことはありません。
その代わりに、時々見る悪夢が二つあります。

ひとつは、ステージ上で幕が上がり、満員の観客の前に立っているのに、まったく弾けない。曲もよく知らず、練習もしていない。真っ青になって固まっている夢。

もうひとつは、シカゴ・オヘア空港のターミナル間をつなぐ長い長い連絡通路を、永遠に走っている夢です。どこにも出口がなく、ゲートの表示だけが無限に続く。これがまた、なかなかの地獄です。

この二つの夢は、現実でのプレッシャーや、自分の能力に対する不安を反映しているのかもしれません。結局のところ、夢を変えるには現実の行動を変えるしかないのです。夢が心の状態を映す鏡なら、日々の現実を少し変えることで、その鏡に映る景色も変わるかもしれません。

……と、話がそれましたが、言いたいことはひとつ。

信頼関係の構築とは、愚直に「時間を守る」「約束を守る」「嘘をつかない」この3つを繰り返すこと。どの時代でも、どこの国の人とでも、これに例外はありません。

人間社会の根本は、「対等な信頼関係を維持する責任」です。

約束を守る、嘘をつかない、時間(期限)を守る。これは国家でも会社でも個人でも同じです。ところが今、こうした「正統(legitimacy)」が崩れている。理念や目的を失えば、国も会社も人も信用されない。だからこそ、日本がまず考えるべき基本姿勢(政治も教育も企業経営も)は明らかだと思うのです。

ご承知の通り、日本の野党はどうにも締まりがありません。結果、与党も成長しません。筋が通っていないのです。日本では「コンフリクトを避け、効率よく時間を節約する」ことが賢いとされていますが、実はそこに落とし穴があります。アメリカは無茶苦茶ですが、少なくとも与党も野党も黙ってはいません(お互い独善的すぎますが)。

日本は「対等な信頼関係を維持する責任」に気づくことができるか?
アメリカは分断を抱えながらも、なおコンフリクトをマネージし、「compromise(歩み寄り)」できるのか?

「ラポール(Rapport)」という言葉は、フランス語で「橋をかける」という意味です。心理学では、セラピストとクライアントの間に生まれる心の通い合いを指しますが、ビジネスや教育、介護にも共通する概念です。つまり、相手と橋をかける——信頼を築くことです。

そしてこの「ラポール」という考え方は、 “interbridge” という言葉にも通じます。文化や立場の違いを超えて、橋をかけること。

成功しても、失敗しても、続けることが大事です。

時間を守る、約束を守る、嘘をつかない。これを10年、20年と続ければ、その人の「信用スコア」は自然に上がる。一見、初歩の初歩のようですが、これは人種や性別、世代を超えて通用する普遍のルールです。

日本の会社や人々は、「相手も自分と同じ前提に立っている」と思い込みがちです。でも本当に大事なのは、「同じレベルではない」ことを前提に対話を始めること。若い頃から「概念」を共有し、前提を確認する習慣を持たなければ、対話は成立しません。

信頼とは、つまり「橋をかけること」。
その橋は、一瞬ではなく、長い時間をかけて少しずつ補強していくものなのです。

***

2025年10月25日土曜日

スーパー・ガラパゴス ― 孤立の名を借りた自由

 
Machu Travel Peru Home Page

https://blog.pureinventionbook.com?utm_source=navbar&utm_medium=web

Super Galapagos

In a world driven mad by tech disruption, Japan’s having fallen behind is a superpower

* * * *

近年、日本は「技術で遅れた国」と揶揄されることがあります。

しかし実際には、世界の狂騒から距離を置いた“スーパー・ガラパゴス”として、独自の強みを発揮している――これが、アメリカ人作家マット・オルト氏の記事の要旨です。

かつて日本は「未来を先取りした国」として世界の羨望を集めていました。『ブレードランナー』の近未来都市像も、東京がモデルでした。しかし2007年、iPhoneの登場を境に状況は一変します。日本のメーカーが独自規格にこだわり、世界市場から取り残された「ガラパゴス症候群」と呼ばれたのです。

ところがオルト氏は、その“遅れ”を敗北ではなく「静かな勝利」だといいます。なぜなら、iPhoneそのものが、日本の生活文化――携帯メール、絵文字、女子高生文化、ポータブル音楽――の延長線上にあるからです。スティーブ・ジョブズがソニーを深く敬愛し、「iMac」を「MacMan」と名付けようとしていたという逸話も象徴的です。つまり、世界が「発明」と呼んだものの多くは、日本がすでに日常の中で育てていたということです。

この“スーパー・ガラパゴス”というあり方を、文化の面で体現しアメリカで成功した人物がいます。それが、片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんです。近藤さんは、もともと世界進出を狙っていたわけではありません。日本人の生活の中に根づいた「清らかさ」や「ものへの感謝」を形にしただけでした。ところが、その素朴な哲学が、アメリカの過剰な消費文化の反動として強く響いたのです。

「ときめくかどうか」という、極めて日本的で感覚的な基準。モノをただの所有物ではなく、心を映す鏡として扱う態度。それらが、物質主義に疲れたアメリカ人にとって、まるで禅のような“精神の整理術”として受け入れられました。Netflixの番組が世界的にヒットし、「KonMari(こんまり)」という言葉が英語の動詞として使われるようになったのも象徴的です。

もっとも、近藤さんがアメリカで支持された背景には、アメリカ人が大好きな「自己啓発文化」との親和性もありました。出版不況の中でも自己啓発本が売れ続けるのは、まさに“アメリカ的信仰”の証しです。英語で「con man」とは、“confidence(信頼)”を売る詐欺師のこと。自己啓発産業は、この「信頼を売る」文化と紙一重です。テレビ伝道もライフコーチも、宗教というより自己啓発ビジネスであり、多くの「ポジティブ産業」(前向き信仰を商材化するビジネス)は、人の不安を商品にしています。アメリカ的自己啓発本は、しばしばcon manを速成するマニュアルでもあるのです。

その点、近藤さんの「ときめき」の思想は、それとは対極にあります。彼女は“成功”を売らず、“整うこと”を伝えた。声を張り上げて前向きを強要するのではなく、静かに「モノと向き合う」ことを勧めただけでした。それが結果として、自己啓発に疲れたアメリカ人の心に響いたのです。近藤さんの成功は、決してグローバル志向の産物ではありません。むしろ「日本の内側」にある感性を徹底的に磨き抜いた結果、自然と外の世界が惹きつけられた――これこそが、スーパー・ガラパゴスの本質だと思います。

私たち日本人がまず考えるべきは、どこが日本独自の強みなのかを理解することです。でなければ、外敵に浸食され、“ガラパゴス”は単なる観光地になってしまうでしょう。ハッカーとの闘いがそうであるように、文化の攻防もまた永遠のイタチごっこです。セキュリティを強化すれば、ハッカーの技術も高度化する。技術や思想の世界も同じです。だからこそ、いちばん賢い進化とは、競争を降りることなのかもしれません。

日本のポップカルチャー――アニメ、漫画、ゲーム――もまた、世界を意識して作られたものではありません。すべて「日本人が日本人のために」生み出したものでした。それが結果として、世界の心をとらえたのです。ガンダムの富野由悠季監督が「政府が“クールジャパン”を推進した途端、創造性は死ぬ」と語ったのも象徴的です。ヒット作は官僚の会議室からではなく、個人の情熱や現場の偶然からしか生まれません。
  
ガラパゴスとは、孤立の名を借りた自由です。そして、喧騒を拒んでなお、じっと考える葦の群れです。

世界の潮流に乗り遅れても構いません。少し遅れて笑うくらいが、ちょうどいいのです。そこにこそ、日本の「スーパー・ガラパゴス」としての強さがあるのだと思います。

***

2025年10月24日金曜日

永田町の亡霊が映す「日本社会の鏡」

 
そして、亡霊はいなくなった、、、。

永田町の亡霊

ある後期高齢の野党政治家が、誕生したばかりの政権批判をぶち上げていました。女性首相が誕生したという歴史的な日であるにもかかわらず、彼のSNSには「反省ゼロ」「国民を馬鹿にしている」「この国は滅びる」と、まるで呪詛のような言葉が並んでいたのです。発言の主は匿名としておこう。だが、永田町を半世紀にわたってさまよい、政党を作っては壊し、また新しい党を立ち上げては分裂させる――そんな“政治ゴロ”と言えば、誰のことかは想像がつくでしょう。

かつて「日本を変える」と叫びながら、結果として「日本政治の信頼」を最も掘り崩した男。彼は今もなお、批判という名の麻薬から抜け出せないで、政治生命の延命を図っている。彼の発言を見ていると、単なる個人批判を超えて、日本社会そのものの構造的な問題が浮かび上がってくる。

つまり、「否定することでしか存在感を保てない人々」があまりにも多い、という現実である。

否定することでしか生きられない人たち

なぜ人は、否定的な言葉を好むのでしょう?

「いや、それは違う」「そんな簡単じゃない」「昔はもっとひどかった」――こうした一言を口にした瞬間、人は何かしら“上に立ったような気分”を味わうのか。

この「否定でマウントを取る癖」は、残念ながら日本社会の至るところに見られます。政治の世界はもちろん、職場の会議でも、家庭の食卓でも同じです。新しい提案や意見が出ると、まず「でもね」と言いたくなる。

日本社会は、いわゆる「ハイコンテクスト文化」です。つまり、直接言葉にせず、空気を読んで伝えることを美徳とする。そのため、直截的な批判は人間関係を壊す“危険物”として扱われてきました。私も若い頃には随分と痛い目にあいました。

ところが近年は、更に「批判的な自分こそ賢い」と勘違いする風潮が蔓延しているように思います。あのベテラン政治家のように、相手の行動を即座に“反省ゼロ”と断じるのは、まさにその典型です。彼にとって大切なのは、「誰が正しいか」ではなく、「自分が上に立っているように見えるか」なのです。

否定の快感は長続きしません。しかし、否定を積み重ねても、何も生まれない。パスカルが言うように、「考える人間こそが尊い」のだとすれば、考えずに否定だけを繰り返す人間は、もはや“葦”ですらないのです。

出る杭を打つ社会

こうした批判を芸として生き延びるタイプの政治家が支持を得るのは、「出る杭を打つ文化」に完璧に適応しているからです。

彼は、目立つ人間を嫌う。
新しいことを始める人を冷笑する。
成功すれば「裏があるに違いない」と囁き、失敗すれば「ほら見たことか」と拍手喝采する。

このメンタリティは、日本社会の組織構造にも深く染みついていると思います。「みんなで一緒に」「和を乱さず」「空気を読む」。この呪文を唱え続けるうちに、私たちはいつしか“違うことを言う勇気”を失い、迷子になる勇気を軽蔑するようになった。

会社では、上司が「自分より優秀な部下」に警戒心を抱く。学校では、「変わった意見」を持つ生徒が浮いてしまう。そして政治では、「体制を批判する者」と「体制を批判しているように見える者」が、都合よく同列に扱われる。

この政治家もまさに後者のタイプです。決して本当の改革者ではない。しかし、改革者の“ふり”をすることには長けている。その姿は、退職後も組織の中で自分の居場所を探し続ける中間管理職のようです。上からの指示と下からの不満の間で生き延びる――そんな構造の中でしか呼吸ができない。

「出る杭は打たれる」社会では、杭を打つ人こそが評価される。
だが、その結果、誰も出ようとしなくなり、山椒魚のように岩屋から出られなくなる。そして社会は、静かに、確実に、退化していくのです。

配慮という名の停滞

否定が支配し、出る杭が打たれる社会では、人々は「波風を立てない」方向へと自然に流れていきます。そこに生まれるのが、過剰な配慮文化です。

「言わなくても分かるだろう」
「角が立たないように」
「誰も傷つかないように」

――結果、誰も本当のことを言わなくなります。そして、時間だけがかかる。

日本の会議は、世界的に見ても“世界一穏やか”だと言われています。誰も反対しない。誰も賛成しない。ただ「検討します」と言いながら、何も決めない。

コンフリクトを議論して成果を最大化するよりも、コンフリクトを避けるのが賢いやり方だとされる。「根回し」「合意形成」「関係者の理解」。それらは本来、民主主義の成熟した手法であるはずでした。しかし日本では、いつしか“責任の所在を曖昧にするための高等技術”へと変質してしまった。

過剰な配慮は、人間関係を守るどころか、むしろ腐らせます。「言わなくても分かるだろう」という沈黙は、やがて「何も分からないまま進む組織」を生み出す。

そして政治家たち、学者先生やコメンテーターの多くは、あまりに幼稚で、あまりに自己中心的です。“議論”がなく、“構想”もない。あるのは、“感情的な否定”と“自分の存在確認”だけのように感じます。

日本人の病理と希望

否定で始まり、出る杭を打ち、配慮の名のもとに沈黙する――。
この三つが絡み合って、日本社会のエネルギーは静かに消耗しているのではないでしょうか。

だが、希望もあります。

若い世代の中には、「正直に言う」「違いを認める」「間違いを恐れない」という新しい空気が少しずつ広がっているように感じます。SNSの世界では、匿名であっても自分の意見を発信する人が増え、海外の文化や価値観にもオープンになっている。

重要なのは、「否定しない」ことではなく、「建設的に否定する」こと。glorious discontent(栄光ある不満)――それは、ただ現状に不満を抱くのではなく、その不満をより良いものを生み出すためのエネルギーに変えるという考え方です。

「出る杭を打たない」ことではなく、「出た杭を支える」文化をつくること。そして、「配慮する」ことではなく、「誠実に伝える」勇気を持つこと。

永田町に巣食う“亡霊”たちが語り続けるうちは、この国の政治は変わらない。だが、彼らの存在は同時に、私たち自身の鏡でもある。なぜなら、“否定の論理”を支えてきたのは、他でもない――この社会の空気だからです。

亡霊を追い払う唯一の方法は、自分たちが変わることです。

批判するだけでなく、考える。
出る杭を打つのではなく、育てる。
そして、配慮ではなく、対話によって関係を築く。

そうして初めて、この国の政治もまた、否定ではなく希望の言葉で語られるようになるでしょう。“亡霊の時代”が終わる日とは、私たち自身が「思考する葦」として再び立ち上がる日なのです。

***

2025年10月23日木曜日

平等のかたち ― 日本・イギリス・アメリカをめぐる考察

 橿原神宮の第一第二鳥居と表参道


日本で初めて女性の首相が誕生しました。イギリスBBCは「歴史的瞬間でありながら、但し書き付きの快挙」と報じています。記事によれば、若い女性たちの中には「女性が首相になること自体は象徴的だが、高市氏の政治信条はむしろ保守的で、ジェンダー平等を推進するタイプではない」、という声もあるとのことです。一方で、「女性がリーダーになること自体が社会に心理的な壁を取り払う契機になる」と期待を寄せる見方もあり、評価は分かれています。

興味深いのは、BBCの記事全体に流れる「男女平等とは何か」という視点です。

西欧社会では「女性が権力の座に就くこと」がすなわち「平等の証」として語られがちですが、日本の場合、もう少し異なる層の議論が必要だと思います。

イギリス ― サッチャーが示した“平等”のパラドックス

イギリスは1979年、マーガレット・サッチャーという女性首相を誕生させました。彼女は「鉄の女(Iron Lady)」として、福祉国家の構造改革や国営企業の民営化を断行し、労働組合と真っ向から対立しました。その姿は、女性だからこそではなく、「強いリーダー」としての象徴でした。

しかし、サッチャーが女性の社会進出を支援したわけではありません。むしろ、彼女の政治哲学は自己責任を重んじ、個人の能力と努力を信じるものでした。つまり、サッチャーの時代に実現したのは“機会の平等”ではなく、“競争の自由”でした。その意味で、イギリスにおける「女性首相の誕生」は、必ずしもフェミニズムの勝利ではなかったのです。

アメリカ ― 理想としての平等と、現実の分断

アメリカは「すべての人は平等に造られている(All men are created equal)」という理念を掲げて建国されました。しかし実際には、長い間その“men”には女性も有色人種も含まれていませんでした。黒人解放運動、女性参政権運動、フェミニズムの波を経てようやく理念が現実に近づいたものの、依然として格差や分断は深刻です。

私自身、ほぼ20年、アメリカで生活し子育てをしてアメリカ企業で働いてきましたが、現場ではむしろ「平等を掲げながらも差別が残る社会」の矛盾を感じました。昇進や採用においても、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)のおかげで助けられた面が多分にありました。制度的には平等を追求していても、実際は「違い」が残っている。それがアメリカのリアルな姿です。ニューヨークやシカゴのような大都市と南部の都市でもかなり異なっています。

そして皮肉なことに、トランプ政権の登場は、そうした“反知性主義”と“平等への反発”がアメリカ社会に根強く存在することを露呈しました。「自由」や「平等」を掲げたはずの国が、いま最も不平等で分断された社会の一つになっている――この逆説は看過できません。

日本 ― “同じ”であることより、“違い”を受け入れる社会へ

それに比べると、日本社会の「平等」意識はもっと静かで、アンビバレントです。男女が同じ権利を持つというよりも、互いの“違い”を認め、折り合いをつけて共に生きるという感覚が根底にあります。

この点で興味深いのは、社会主義者・北一輝の思想です。彼は男女平等主義者でありながら、「断じて同一の者に非ざる本質的差異」(男女は本来、同じではない)を認めました。つまり、男と女は違う。それでも、共に生きる努力を怠ってはならない――という考え方です。

私はこの“差異の承認”こそが、日本型フェミニズムの出発点になり得ると考えています。「女性だから優遇する」でもなく、「男性と全く同じにする」でもない。性別を超えた「人間としての尊厳の平等」を目指す――それが成熟した社会の姿でしょう。

知と行の一致を

平等とは理念ではなく、実践の問題です。言葉ではなく、行動で示せるかどうか。「知ることと行うことが一致している(知行合一)」――この姿勢こそ、性別を超えて最も尊いものです。

女性が首相になったこと自体を祝うよりも、その人がどのように社会を変えていくのか、そして「言っていることとやっていること」が一致しているか。本当の平等は、その一点からしか始まらないのではないでしょうか。

実際にお会いしたことはありませんが、恐らく高市新首相の男女平等に関する考えは、私の理解に近いのではないでしょうか。

***

2025年10月22日水曜日

肉吸いと大阪ミナミの記憶

肉吸い
本来はもっとシンプルですが、色んなものを入れてみました

昨日、「肉吸い」を作って食べました。

透明なだしに、甘辛い薄切り牛肉と刻みネギが浮かぶ。ひと口すすれば、関西の出汁特有の丸い味が舌の奥に広がり、ふっと大阪の記憶がよみがえります。あの街の雑踏、ストレートで猥雑な活気、派手なネオン、そして鉄板でソースが焦げたお好み焼きの匂い――私の青春のロクでもない思い出は、すべてあの大阪ミナミにありました。

福岡の十年の後、私は東大阪に移り住みました。中学三年の二学期からのことです。福岡から転校してきた私にとって、大阪の中学生たちはずいぶんと大人びて見えました。彼らの話す言葉、着こなし、そして何より「生き方」がどこか違う。街全体が、エネルギーというより、彼らの“生臭い現実”の匂いに満ちていました。

当時の大阪の公立高校は五つの学校区に分かれていました。私の通っていた小阪中学は第三学区。大阪ミナミの繁華街から生駒山のふもとまでをカバーする広い範囲でした。高校は上六と鶴橋の間、真田丸で知られる真田山の近くにありました。

学区がミナミを含むせいか、クラスメートの顔ぶれもさまざまでした。心斎橋の子ども服屋の息子、宗右衛門町のすし屋の娘、玉造の畳屋の息子――それぞれが小さなドラマを背負っていたように思います。授業をサボってブラブラするエリアは、言うまでもなくミナミの繁華街でした。今思えば、それが私の社会勉強の始まりだったのかもしれません。

「肉吸い」は、そんなミナミの記憶と切っても切れない味です。

発祥の店は、難波千日前の老舗うどん店「千とせ」。吉本新喜劇のスター・花紀京が、二日酔いの朝に「肉うどん、うどん抜きで」と注文したのが始まりだといいます。肉うどんのうどん抜き、それが「肉吸い」。あっさりした出汁に牛肉の旨味が染み出して、当時はうどんを食べなかった私の選択肢のひとつでした。

花紀京といえば、私にとってはビートルズやストーンズと並ぶヒーローでした。吉本は私たちの生活と地続きにあり、南街劇場の前を通るときの高揚感はいまも忘れられません。映画を観る前に「千とせ」で肉吸いを食べて腹ごしらえをするか、あるいは551蓬莱でシューマイをテイクアウトして映画を観ながら食べるか。そんな他愛もない選択に、青春のモラトリアムがありました。

当時は裏社会の抗争が続き、「大阪戦争」と呼ばれた時代でもありました。街の路上で白昼に射殺事件が起きることもあり、ミナミは常にどこか危険な香りをまとっていました。けれど、そこには確かに“生きている街”の鼓動があった。光も闇も引き受けながら、街全体がひとつの生命体のように脈打っていたのです。

そんなミナミが、いまや外国人であふれ返っています。道頓堀のグリコの看板の前では、朝から晩まで人が途切れません。心斎橋筋商店街も、難波の交差点も、聞こえてくるのは英語、中国語、韓国語。まるで日本語のほうが少数派のようです。

もちろん、観光で賑わうのは悪いことではありません。大阪は昔から人情と商魂の街であり、異国の人を受け入れてきた土壌もある。けれど、最近のミナミを歩くと、あの頃の大阪の“一体感”が消えてしまったように感じるのです。コンビニの前に座り込む若者たち、悪質なキャッチ、夜の路上で酔った観光客が叫ぶ声。まるで1970年代から80年代前半のニューヨーク・タイムズスクエアのような光景です。「安全」と「活気」は両立しないのかもしれません。けれど、あの頃のミナミには、雑多で荒っぽくても、確かに“大阪ミナミの匂い”がありました。

福岡から東大阪へ、そしてアメリカへ――。

後に私はアメリカで暮らすようになり、会社のカフェテリアでBLT(ベーコン・レタス・トマト)サンドをよく食べました。いつも「BLTマイナスL(レタス抜き)」と注文していました。そのとき大阪の「肉吸い」を思い出して、一人ニヤリとしました。

――うどんの入っていない肉うどん。

それが、大げさかもしれませんが、何だか自分の人生のようにも思えたのです。どこか“抜け落ちた”ものを抱えながら……やめておきましょう。

いま大阪に帰るたび、ミナミを歩くと、観光地化した街並みの裏に、あの頃の自分たちの足音がかすかに聞こえる気がします。千日前の喫茶店丸福の匂い、夜の心斎橋のざわめき、南街劇場のネオン。それらはもう二度と戻らないけれど、確かに私の中に息づいています。

「肉吸い」という名の、あの不思議な食べ物。

花紀京が二日酔いで頼んだ、何気ない注文から生まれた一杯。その味には、どこか「生き延びるための知恵」が溶け込んでいる気がします。派手でもなく、豪華でもなく、ただ“生きていくための味”。それこそ、大阪ミナミという街の精神そのものだったのではないでしょうか。

いまのミナミは、もうあの頃のミナミではありません。私の心の中だけで、あの雑多で熱い街の彷徨を思い出すのです。

あの街の中には、確かに“青春の匂い”がつまっている。

***

2025年10月21日火曜日

「生きる意味」を暇つぶしにしないために

散歩

ある週刊誌で、ネット界の“論破王”と呼ばれる人物の「人生後半の生き方の記事」を読んで、頑固ジジイとしては一言、言いたくなりました。

彼は「生きる意味なんて考えるのは暇な人のすることだ」と言い切り、「おいしいごはんを食べる幸せが、一日を生きた意味だ」と続けていました。どうやら、「あまり深く考えずに、死ぬまで毎日をそれなりに楽しめばいいじゃないか」ということらしいのです。もし誤解があったらごめんなさいね。

しかし、いくら成功して財を成したとしても、まだ50歳にも満たない人が、高齢者に向かって人生論を上から目線で語るというのは、どうにもいただけません。彼の言葉には、苦しみながらも真剣に生きてきた体温や重み、そして謙虚さが感じられないのです。

小林秀雄は戦時中に「無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と書きました。たった4ページの随筆に、人生の真実が詰まっています。時は流れ、人は老い、やがて死ぬ――それが無常です。しかし、この当たり前の真理を忘れた社会では、人間がどんどん軽くなっていく。軽くなれば、言葉もまた軽くなる。

では、「常なるもの」とは何でしょう。それは、過去から未来へと受け継がれていく命のつながりであり、私たち一人ひとりの中に流れている見えない根のようなものだと思います。人間は弱く、迷い、失敗します。それでも無常を意識しながら、日々を精一杯生きる――その営みこそが「生きる意味」なのではないでしょうか。

ここで思い出すのが、17世紀の哲学者パスカルの言葉です(「パスカルの定理」しか知らない?)。彼は『パンセ』(パスカルのメモであり日記)の中でこう書いています――

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものだ。だが、それは考える葦である。」

パスカルは、人間の弱さと同時に、「考える」ことこそが人間の尊厳であると説きました。嵐が吹けば折れてしまうような存在でも、宇宙の意味を問い、善と悪、愛と死を思索することができる。その思考の力こそが、人間を“ただの生物”から“人間”たらしめているというのです。

この観点から見れば、「考えることは暇な人のすることだ」という論破王氏の言葉は、まるでパスカルへの真っ向からの挑戦です。たしかに、過剰な思索が人を病ませることはあります。けれど、「考えないこと」が生きる知恵だとしたら、人間はもはや“考える葦”ではなく、ただの“風に揺れる草”と同じになってしまうのではないでしょうか。
  
論破王氏の言っていることは、戦後の日本の義務教育の産物そのもののように聞こえます。

「どこかの国が攻めてくることなんかないじゃないか。だから軍隊なんていらない。もし敵が攻めてきても白旗を挙げて降伏すればいい。たとえそうしなくても、国際連合が救ってくれるじゃないか。同盟国のアメリカだって黙っていないぞ!」

この論法と、彼の「生きる意味なんて考えるだけ無駄」という言葉は、どこか似ていると思いませんか?思考をやめて、他人の善意や仕組みに依存する。自らの主体を手放す。その先にあるのは、便利で安全かもしれないけれど、魂のない社会です。

もしパスカルがこの記事を読んだら、おそらくこう反論するでしょう。

「考えない人間は、もはや葦ですらない。」

ただし、年長者として少し弁護もしておきましょう。  

論破王氏の言う「暇つぶしとして生きる」という発想も、現代の過剰ストレス社会においては、一種のサバイバル哲学なのかもしれません。仕事も人間関係も過密で、情報が洪水のように押し寄せる時代。彼は、人間の尊厳よりも「壊れないで生き延びること」を優先しているのです。つまり彼の本音はこうでしょう。――どんなに臆病でも卑怯でもいいじゃないか。風に吹かれても、壊れないで生きてさえいれば、と。

しかし、パスカルはそこに異を唱えるはずです。私も異を唱えます。

考えることは苦しみでもあるけれど、その苦しみを通してしか人間は成長しない。「考える」という行為こそが、私たちを人間として立たせる支柱なのです。思考を捨てた安寧は、見かけの平穏にすぎません。

「生きる意味を考えるのは暇だ」というのは、実は最も暇な人の発想かもしれません。虚無の中で「まあ、適当に生きればいい」と笑うのは、ニーチェの言う“末人”そのものです。自分の仕事や一日を、ひたむきに、真剣に生きること。それは若い人にも、高齢者にも共通の、人間としての誇りです。

パスカルはこうも書いています。

「人間の偉大さは、自分がみじめであることを知っている点にある。」

自分の弱さや空虚を見つめ、それでもなお意味を探そうとする。その姿こそが、人間の尊厳なのです。

だからこそ、人生とは、時間を潰すことではなく、無常の中で意味を見つけようとする営みそのものなのです。おいしいごはんを食べることも、誰かと笑い合うことも、それ自体が生きる意味であってよい。けれど、そこに「なぜ自分は笑うのか」「なぜ生きたいのか」と考える一瞬があるからこそ、人生は単なる暇つぶしではなく、物語になるのです。

生きるとは、考えること。
考えるとは、折れそうな自分を支えること。

パスカルの言う「考える葦」として、私は残りの人生も、風に吹かれながら考え続けたいと思います。

***

2025年10月20日月曜日

アナログの魂、デジタルへの反抗

ジミ・ヘンドリックス

2025年10月19日日曜日

おでんを食べて ~ ツーンの文化と情報の未来



ようやくおでんの季節になりました。

夕べはおでんを食べながら、からしの「ツーン」とくるあの感覚と、日本文化の奥行き、そして情報化やAIによる時代の変化について、少し考えてみました。

「ツーン」は味覚ではない

おでんの大根にからしをつけて食べるときの、あの「ツーン」とくる刺激は、まさに日本ならではの味わいです。外国の人に理解されなくてもいい――私はそう思います。

けれども、あの「ツーン」は厳密には味覚ではありません。辛味を感じるのは、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味といった舌の味覚ではなく、「三叉神経」と呼ばれる痛覚や温覚を司る神経です。大根のイソチオシアネートやからしの成分がその神経を刺激し、「ツーン」という一瞬の痛みに似た感覚を生み出します(検索して分かりました)。

温かいおでんの大根とからしの組み合わせは、熱さと辛さが重なり合い、単なる味覚を超えた複雑な感覚を作り出します。そこに、日本人特有の「間」や「変化」を味わう美意識が宿っているのかもしれません。

「味が染みた大根」をからしで食べる文化

よく「味が染みた大根」という言い方をします。長時間煮込まれ、だしが芯までしみ込んだ大根は、それだけで繊細なうま味と甘みをたたえています。そこにからしをつけると、だしの柔らかい風味のあとに、からしの鮮烈な刺激が訪れる。その瞬間、舌の上に「間」や「変化」が生まれます。この「だしのやさしさ」と「辛味のきっぱりとした刺激」の交錯こそ、和食がもつ感覚の妙。日本の食文化は、このような微細な味の移ろいを楽しむ中で磨かれてきたのでしょう。

「わからなくてもいい」という美意識

日本人が「外国の人に理解されなくてもいい」と感じるのは、排他的というよりも、むしろ自然な態度です。食文化は、その土地の風土、気候、生活のリズム、そして言葉とともに育まれてきたもの。だからこそ、「わかる人にだけわかればいい」という静かな誇りがあるのです。

その繊細な感覚は、説明ではなく共有によって伝わります。味覚の奥にある「文化的記憶」は、言葉にならない部分に宿る――日本文化の本質は、そこにあるのかもしれません。

情報化と文化の継承

しかし現代は、その「言葉にならない記憶」が失われつつあります。情報化、デジタル化、そしてAIの登場は、人々の思考のあり方を根本から変えつつあります。間違った使い方をすると、思考のアウトソースになってしまいます。

人は自分が理解する共同体の中で生きます。情報もまた、その共同体の文脈でしか理解されません。つまり、「普遍的な真理」というものが揺らいでいるのです。これは哲学者ニーチェが言った「神の死」にも通じる現象でしょう。かつて人々は、共通して信じる価値や物語の中で生きていました。けれども今は、情報の洪水の中で、それぞれが自分の信じたいものだけを信じている。真実よりも「信じやすい物語」が支配する時代です。

フェチと模倣の時代

私たちは何かを見るとき、対象そのものを見るのではなく、自分の思い込みや願望を通して見ています。これが「フェチ」の構造です。

写真は現実の風景を写し取るように見えても、実際は複製にすぎません。デジタル化が進むにつれて、その複製は限りなく本物に近づき、いまではAIが「本物と区別のつかない模倣」を作り出しています。

もはや「本物」と「偽物」の境界は溶け、私たちはそれぞれの信じたい世界の中で生きるしかない。AIが作り出す世界とは、そうした「共同幻想の自動生成」でもあります。それは、かつての宗教や共同体に代わり、情報の流通によって形成される「新しい信仰」とも言えるでしょう。

日本文化の危機と希望

日本文化は、日本語という独自の思考体系を通じて伝承されてきました。その蓄積は二千年以上に及びます。言葉によって培われた感覚、沈黙の中にある意味、曖昧さを許容する心――それらが「和」の文化を形づくってきました。

しかし、デジタル化とAIの普及によって、日本語そのものが思考の道具として弱まりつつあります。翻訳や要約、画像生成によって「感覚の細部」が削ぎ落とされ、文化が軽量化していく。もしこの流れが続けば、日本人が育んできた「ツーンとくるような感性」も、やがて消えてしまうかもしれません。

「ツーン」の哲学

おでんのからしが鼻を刺すあの一瞬。それは単なる痛みではなく、感覚の奥で「生きている」ことを思い出させてくれる刺激です。文化もまた、時に痛みを伴うものです。理解されない、伝わらない――そうした孤独の中でこそ、文化は静かに根を張るのかもしれません。

AIの時代になっても、人が「ツーン」と感じる瞬間を忘れないかぎり、日本の文化はまだ生き続ける。小林秀雄は「上手に思い出すことが大事だ」と言いました。秋が深まり、おでんを食べて「ツーン」と感じるとき、私たちは上手に思い出すことができるのです。

自分がどこから来たのか、何を大切にしてきたのかを。

***

2025年10月18日土曜日

「支援」という名の責任転嫁

 

帰国子女支援という言葉を聞くと、立派な理念に聞こえます。

しかし現実に向き合うほど、それが「支援」というよりも「責任の転嫁」になってはいないか――私はいつもそう感じます。

海外で育った子どもたちは、確かに多様な文化や価値観に触れ、広い視野を持っています。しかし、それは同時に「どこにも完全に属せない」という繊細なバランスの上に成り立っています。だからこそ、帰国子女支援は単なる「優遇策」ではなく、文化的摩擦や適応のプロセスを理解した上で設計されなければなりません。ところが実際には、「支援」という名のもとに、社会や教育現場が家庭の責任を肩代わりしてしまう構図が見えてきます。
 
どの国にも、その国のやり方やエコノミーがあります。

教育も生活も、制度も文化も、すべてが国ごとに異なる仕組みの上に成り立っています。したがって、自分が学び生活する国のシステムをできるだけ早く理解し、そのルールに適応して生きるしかありません。これは妥協ではなく、生きるための知恵です。その中で結果を出さなければ意味がありません。そうでなければ、それは単に負け犬の遠吠えになってしまいます。

そして帰国したら、今度は日本のやり方に合わせるしかない。ただし、すべてを盲目的に受け入れる必要はありません。日本の教育や教師の言うことの中に、どうしても納得できない部分や理不尽だと感じるところがあれば、そこに従う必要はない。むしろ、「どこまで合わせ、どこから距離を取るか」という判断力こそ、異文化を生き抜いた経験の中で最も磨かれる資質ではないでしょうか。

帰国子女支援という制度が、「社会のやさしさ」を装いながら、家庭の覚悟を奪っていないか。教育や支援という言葉が、現実の厳しさを覆い隠すための免罪符になっていないか。私はそこにこそ、もっと議論が必要だと感じます。

そしてこの問題は、帰国子女に限った話ではありません。

「支援」の名を借りて、社会的弱者や困窮者の足元を見て利益を得ようとする、いわゆる「貧困ビジネス」や、それに類するハイエナ的なビジネスが今も社会の片隅で蔓延しています。本来の目的は「助ける」ことのはずが、制度や理念の隙間に「儲けの構造」が生まれてしまう。支援のはずが、支配になり、依存を生み、やがては搾取へと転じる。

支援とは何か。

それは、与えることではなく、依存させないこと。そして、現実の中で自分の足で立てるようにすることのはずです。「支援」という言葉の美しさの裏で、誰かが利益を得ていないか――その問いを忘れたとき、支援はすでに、支援ではなくなっているのかもしれません。

***

2025年10月17日金曜日

コントロールとコマンド ~ 野球が教える言葉の哲学

 

野球の投手を評価するとき、「コントロールがいい」「コントロールが悪い」とよく言われます。けれど英語では、“control(コントロール)”よりも、“command(コマンド)”という言葉が使われるようです。

コントロールは、ストライクゾーンに投げ込む能力。つまり四球を出さない力のことです。一方のコマンドは、ゾーンの中でも狙ったコースに正確に投げ分ける力を指します。ストライクを取るだけではなく、どのように取るか――その精度と意図まで問われるのがコマンドなのです。

日本語の「制球力」には、この二つの意味が混ざってしまいます。

「聞く」と「聴く」のように、感覚的なあいまいさを許す日本語らしさがそこにあります。それは柔らかい響きでもありますが、裏を返せば、責任の所在をぼかす便利な曖昧さでもあるのです。言葉の精度の違いは、そのまま文化の違いなのかもしれません。

私は特別な野球ファンではありません。

それでも大谷翔平選手が登場して以来、MLBのダイジェストをYouTubeで欠かさず見るようになりました。日本のプロ野球すら詳しくない私は、山本由伸投手の存在もドジャース入りで初めて知ったほどです。熱烈なファンというわけではありませんが、ドジャースでは、サードのマックス・マンシーが好きで、つい目で追ってしまいます。キャッチャーのウィル・スミスもいいですね。

プロゴルフでもそうですが、野球も日米の環境には大きな隔たりがあります。その中で日本人選手が結果を出しているのは誇らしいことです。報酬は桁違いですが、求められる厳しさもまた、日本の何倍もあるでしょう。精神的にも、肉体的にも。

それはビジネスの世界でも同じです。

与えられた仕事をこなす“コントロール”の段階から、自らの意図で勝負を作る“コマンド”の領域へ――。

ただ「できる」だけでなく、「どうやってできるか」。

その問いの重みを思うとき、野球というスポーツの奥に、言葉を超えた哲学のようなものが見えてくるように感じます。

***

2025年10月16日木曜日

納豆とわたし ― 福岡からニューヨーク、そして保谷納豆へ

 


















子どもの頃、私は福岡市内の公団住宅に住んでいました。
昭和30年代から40年代の初めの頃です。

朝になると、リヤカーを引いたおじさんが「豆腐」や「納豆」ではなく、「おきゅうと」を団地に売りに来ていました。

「おきゅうと」とは、海藻のエゴノリを煮溶かして小判型に固めた福岡名物で、農林水産省のホームページにもちゃんと紹介されています。戦前までは「おきゅうと売り」が朝の風物詩で、飢饉の時代には多くの人を飢えから救ったといわれ、「御救人(おきゅうと)」という字をあてる説もあるそうです。なるほど、名前からしてありがたい。いわば“食卓の救世主”です。

しかし、我が家の朝の食卓におきゅうとが並ぶことはありませんでした。そんな福岡で育った私ですから、納豆文化とは無縁のはずです。ところが、わが家では例外的に納豆を食べていました。両親も私も関西出身。関西では納豆は「くさい」と敬遠されがちですが、私は大好きでした。我が家では“卵を入れるか入れないか”で論争が起こるほどです。

ニューヨークに暮らしていた頃も、納豆だけは切らさないようにしていました。日本食料品店では冷凍の納豆が売られていて、我が家ではいつもストックしていました。海外生活では、味噌汁よりも納豆が恋しくなる――そんな日本人は案外多いものです。

ここ15年ほど、私は「保谷納豆」の〈つるの舞〉を食べ続けています。年を重ねるとステーキの焼き加減が変わるように、納豆の粒の大きさの好みも変わるものです。若いころは小粒一筋でしたが、今は断然、大粒派。大豆本来の香りと甘みがしっかりしていて、「ああ、豆を食べているなあ」と実感できます。

考えてみれば、「おきゅうと」と「納豆」は、どちらも日本の知恵の結晶です。海と畑――まるで性格の違う素材を、丁寧に発酵・加工して食文化にしてしまう。その工夫と根気こそ、まさに日本人らしさではないでしょうか。

納豆をかき混ぜながら、私はときどき思います。1990年代のマンハッタンでは、ヤッピーたちは枝豆なんて食べ方も知らなかったし、興味もありませんでした。ところが2000年代に入ると、バーのカウンターで若いビジネスマンが枝豆をつまみにビールを飲んでいる。寿司もラーメンも、今ではすっかり定着しています。

もちろん、日本の食文化が世界に広がるのはうれしいことです。でも、どこか複雑な気分にもなります。五感で楽しむ日本の食べ物の良さや情緒を世界の人が理解してくれるのはいいのですが、日本人だけの楽しみが少しずつ“外”に溶け出していくようで……。

和食の歴史や作法だって、日本の中でも忘れられつつあります。海外で広まるうちに、日本食もまるで別物になっていくのかもしれません。

外国の人は「いただきます」も「ごちそうさま」も言わないですからね、、、、。
    
***

2025年10月15日水曜日

アメリカの医療と日本の「当たり前」

 
都立墨東病院 外来受付

アメリカに長く住んでいた私は、50代半ばで帰国することを決めました。 その理由のひとつは、年を重ねたときにアメリカでは医療費の壁に必ず行き詰まるだろうと感じたからです。

保険に入っていても、ちょっとした検査や処方で高額の請求書が届きます。支払いの確証が取れるまで、医者は患者を診ません。日本では考えられないことです。  
   
最初に病院で支払いを立て替え、保険会社に請求するのですが、診察料の何%が保険でカバーされるのかは交渉次第で、この保険会社とのやりとりが実に面倒で時間がかかるのです。ましてや、手術や慢性疾患の治療となれば、たちまち家計を直撃します。

いまアメリカでは、「オバマケア」と呼ばれる医療保険の補助金(ACAプレミアム税額控除)が打ち切られるかどうかをめぐり、数百万人が不安を抱えています。BBCの報道によると、この補助金が年末に期限を迎えるため、更新されなければ約2,400万人が影響を受け、最大500万人が無保険状態に陥る可能性があるといいます。

補助が失われれば、保険料は月数百ドルから倍近くに跳ね上がり、健康な人々は保険をやめ、残るのは病気を抱える層だけになる。その結果、保険料がさらに上がる――デフレスパイラルどころか、いわゆる“デス・スパイラル”です。

皮肉なことに、最も打撃を受けるのは共和党支持の保守州です。これらの州は、低所得者向け公的医療制度メディケイドの拡大を拒んできた経緯があります。“政府の介入を嫌う”という信念のもとに選択した政策が、いま自らの有権者を苦しめているのです。

アメリカ政治の“自由”とは、往々にして「自己責任で生きろという自由」にほかなりません。“Live free, or Die.” ― そういう価値観の国です。

一方、日本では、誰もが健康保険証一枚で診察を受けられます。国民皆保険という仕組みがあるおかげで、失業しても病気になっても、命の危険と引き換えに医療を諦めることはありません。その安心感は、長く海外に暮らした者ほど深く感じるものです。

もちろん、日本の社会保障にも課題は山積しています。財源不足、少子高齢化、制度疲労――どれも簡単には解決できません。それでも、医療が「権利」として保障されているという一点において、日本は今なお世界の中で特別な国だと思います。

アメリカでは、医療は“市場(マーケット)”の中にあります。
日本では、まだ“社会”の中にあります。

その違いは、単なる制度の差ではなく、人間観の差なのだと思います。

老いとは、身体の不具合や衰えとつき合う時期ですが、同時に、ものごとを少し高いところから眺められる時期でもあります。何も起こらず、いつものように一日が終わる――そのことが、何よりの幸せに思えるのです。そして、そんな穏やかな日々を過ごせる場所として、私は日本を選びました。
 
日本人は、日本の良さを知り、その文化や慣習を守ることに、もっと注意を払うべきだと思います。

***  

2025年10月14日火曜日

聴くとは、考えることである ~ 教育が失った思考の耳

 
一生懸命、聴いている


聞く力と聴く力

最近、「聞く力」や「聴く力」という言葉が、ビジネスや教育の世界で盛んに語られています。ある記事「『聴く力』と『聞く力』の本質的な違いとは?」では、「聞く」は判断を伴わない受動的行為、「聴く」は判断を保留しつつ、相手の感情や背景に寄り添う能動的行為と定義されていました。確かに、他者の話を真摯に聴く姿勢は、コミュニケーションの質を高め、組織や社会をより健全にするうえで不可欠な要素でしょう。しかし、私はそこに一つの大きな前提が抜け落ちていると感じます。それは、「聴く」ためには、自らの思考力が不可欠だということです。

聴くことは単なる受容ではありません。相手の言葉を理解し、自分の中で咀嚼し、背景や意図を推測しながら、内に問いを立てる行為です。つまり、「思考する耳」がなければ、聴くことは成立しません。にもかかわらず、日本ではこの「思考力」を鍛える教育が長らく欠けてきました。結果として、「聴く」以前に「考える」ことそのものが弱まっているように思えてなりません。

思考を欠いた“聴く”は、単なる服従になる

日本では、「傾聴」がしばしば“人の話を黙って聞くこと”と誤解されがちです。ビジネス研修では「相手を否定せず受け止めよう」と教えられ、学校でも「人の話を最後まで聞きなさい」と繰り返し教えられます。しかし、これは本来の「聴く」とは異なります。思考を伴わない「聴く」は、実際には“服従”や“迎合”にすぎません。そこに自分の頭で考える主体が存在しないからです。

聴くとは、相手を理解する努力であり、そのうえで自分の立場を再構築する行為です。「理解する」と「同意する」は違います。しかし日本ではこの二つが混同され、「聴く=従う」「聞かない=反抗」という単純な構図に陥りやすい。この構図が、教育や政治の劣化を助長しているように思えてなりません。先日の自民党総裁選の候補者たちの演説を聞いても、そこには相手を聴く姿勢も、自ら考える意志も希薄です。言葉は整っていても(整っていない人もいましたが)、中身が空虚。“聴く力”を語る以前に、“考える力”が欠落しているのです。

母国語の喪失と「考える耳」の衰退

私は、教育の根本問題は「母国語で考える力の衰退」にあると考えています。言葉は単なる情報伝達の手段ではありません。言葉こそ、思考そのものです。母国語の精度が低ければ、思考の精度も低くなる。つまり、「日本語で深く考える力」が弱まれば、「聴く力」もまた育たないのです。

私はアメリカで長く暮らし、子育てもしました。中国でも生活し、仕事もしました。アメリカの教育は「自分の言葉で考える」ことに重点が置かれています。アメリカの小学生はディベートを通じて、論理的に話し、質問し、反論する訓練を受けます。日本の教育は、「正解のある答え」を求めすぎる。作文は“模範解答”に近づけるように指導され、評論文は“出題者の意図”を読む訓練にすり替えられています。その結果、思考は浅く、概念は貧しく、言葉は形式だけが整う。この環境で「聴く力」を育てるのは、土台から無理な話なのです。

中国の場合は、テクノロジーの急速な進化の“おかげ”(?)で、本来の良さを自ら潰しているように思います。以前は、古典を通じて語彙と概念の豊かさを身につけ、比喩や構文の深さで思考の筋肉を鍛えようと努力していました。

教育が生む「無思考のエリート」

私は今回の自民党総裁選を見て、日本の教育が生み出した“無思考のエリート”の姿を見た気がしました。彼らは皆、立派な大学を出て、弁舌も整っている。しかし、その言葉には「概念の芯」がない。問題を抽象的に捉える力も、哲学的な自問もない。彼らの発言は、耳障りのいい言葉を並べただけで、どの言葉も「借り物の思想」にすぎません。まるで教育が“知識のインストール”だけを行い、“思考の生成”を放棄してきた結果を見せつけられているようです。それを視聴率や販売部数のためだけに報道するメディアの姿勢には、今さらながらあきれ果てるばかりです。

私は教育こそが国の未来を決めると考えています。もしこの国が、思考しない人々を量産し続けるなら、いかに経済を立て直しても本質的な再生はあり得ません。AIがどれほど進化しても、思考の基礎がなければ使いこなせない。聴く力を語る前に、まず「考える力」を教育の中に取り戻すことが急務です。

AI時代の「聴く力」は“思考”と“対話”の結晶である

AI時代のいま、「聴く力」はこれまで以上に重要になります。なぜなら、AIは「聞くこと」はできても「聴くこと」はできないからです。AIはデータを解析し、文脈を模倣することはできますが、人間の意図を「考えて理解する」ことはできません。だからこそ、人間がAIと共存していくには、「思考を伴った聴く力」が必要なのです。ユーザーが受動的になってはいけないのです。

教育の現場でAIドリルが導入され、個別最適化が進むこと自体は悪くありません。しかし、AIが“考える代わり”になった瞬間、子どもたちは「考えずに答えを得る」ことに慣れてしまう。それは、聴く力どころか、人間としての感性をも鈍らせる危険があります。AIの時代に問われるのは、「どう聞くか」ではなく、「何を考えながら聞くか」です。思考を放棄した聴取は、AIと何ら変わりません。

聴くとは、思考することである

「聴く力」は確かに重要です。しかし、それは“思考の上に築かれた力”です。思考を欠いた聴取は単なる従属であり、思考を伴う聴取こそが真の「理解」へと至ります。教育の目的は、単に知識を教えることではなく、「自ら考え、他者を理解し、共に生きる」人を育てることです聴くとは、他者を通して自分を問う行為であり、思考とは、自己と世界をつなぐ行為です。この二つが重なり合うところに対話が生まれ、社会が成熟します。

私たちはもう一度、「聴く力」と「聞く力」の違いを表層的なテクニックとしてではなく、「思考する人間として生きるための力」として捉え直すべきです。教育を変えなければ未来は変わらない。聴く力を育てるとは、思考の土壌を耕すことにほかなりません。


***

2025年10月13日月曜日

AIドリルが奪う「人間の学び」

 
孫とデジタルデバイス

面授口訣(めんじゅくけつ)の精神を忘れた教育 


「AI教育」ブームの違和感

最近、「AI教育」という言葉がネット上で飛び交っています。「AIドリルで学習効率3倍」「プロンプト力が武器になる」――そんな見出しが並び、まるでAIがすべての教育問題を解決するかのような幻想が広がっています。

とある教育系インフルエンサーは、「AIドリルなら48時間で苦手を克服」「個別最適化で成績アップ」と語ります。ここまでくると、もはや宗教の域です。最後には「親がまずAIを使いこなせ」と説教までついてくる。なるほど、AI信仰にも布教活動があるわけです。

しかし、私は思います。

教育とは、そんなに効率的にしてしまっていいものなのでしょうか。子どもが苦手を克服するよりも、その「苦手」と向き合い、悩み、考える過程こそが学びの本質ではないでしょうか。

義務教育にAI導入? ― 本音は「教師の効率化」

政府は「個別最適化」や「学習格差の是正」を掲げてAI導入を進めています。けれども、どうもその裏には「教師の手間を減らしたい」という本音が見え隠れします。

AIドリルとかデジタルテストというものは、結局のところ、教師の利便性に重点が置かれているように思います。面授口訣の“面授”の相手がiPad? そんなの教育じゃないでしょう。
子どもは分からないから単に従わざるを得ない。それでも親が黙っているのはなぜでしょうか――私はそこに、戦後日本の教育の歪みを見てしまいます。

教師の負担軽減は大切です。しかし、教育の根を犠牲にしてまですることではありません。教育とは本来「面授口訣」の営みでした。師が弟子に面と向かい、言葉を超えた意味を伝える。それは仏教の伝統にも通じる、知の伝達の原点です。AIドリルができるのは正誤判定であって、表情の読み取りや心の共感ではありません。教育の本質は「人間と人間の関係性」そのものにあるのです。

テクノロジーは「補助」にすぎない

もちろん、私はテクノロジーを否定するわけではありません。AIやICTは正しく使えば、教育を支える強力なツールになります。

ただし、それはあくまで「補助」です。今のようにAIを教育の中心に据え、すべてを効率化しようとする動きは、教育を根本から誤らせる危険があります。

AIを使えば使うほど、子どもには想像力や判断力が求められます。つまり、デジタル化が進むほど「非効率な学び」――文学や歴史のような、人間を問う学びが重要になるのです。

真のリーダーに必要な「ビジョン」

1990年代、ボストンでオラクルのラリー・エリソンの講演を聞いたことがあります。当時、彼はまだ“ホラ吹きセールスマン”と呼ばれていました。しかし、スマートフォンという言葉すらなかった時代に「スーパーセット」という未来構想を語っていた。その先見性こそ、真のリーダーの知性です。

一方、いまの日本の政治家や教育行政を見ていると、ビジョンどころか「自分の頭で考える訓練」すらしてこなかったように見えます。大学入試の失敗(東大に入れなかったとか)をトラウマに、コンプレックスを埋めるように「デジタル」「効率化」「DX」といった横文字を振りかざす――その姿は痛々しいほどです。

福沢諭吉が警告した「怨望」と「知性の退化」

福沢諭吉は『学問のすゝめ』第13編で、“怨望(えんぼう)”――他人の幸福を妬み、努力ではなく引きずり下ろして平均化する心――を最も忌むべき不徳としました。

現代日本の教育政策や政治の姿勢を見ていると、この怨望が息を吹き返しています。理解できないものを排除し、目立つ人間を叩き、平均点を取ることを「正義」とする。その結果、「自ら考える力」はどんどん失われていくのです。福沢はさらに第15編で「事物を疑って取捨を断ずる事」の重要性を説いています。真偽のあいまいなAI時代こそ、この言葉が求められています。

「AIを見抜く教育」が必要だ

AIドリルで正答率を上げても、それは「疑う力」や「納得する力」を育てません。「分からなかったら納得するまで先生に聞きなさい」と言える大人が減っている。いまの教育現場では、そんな子どもは「扱いにくい」として排除されてしまうのです。

AI教育に本当に必要なのは、「AIを使う教育」ではなく「AIを見抜く教育」です。つまり、「何を学ぶか」よりも「何を学ばないか」を自ら選べる知性。それこそが、これからの教育の柱になるべきです。

大人こそ学び直す時

福沢は「学者が勉強せねばならぬ」と書きました。現代に置き換えれば、それは「親や大人こそ学び続けねばならぬ」という意味です。

AI時代に問われているのは、子どもではなく大人です。政治家も教師も、そして親も、AIを“使う”前に“考える力”を取り戻す必要があります。

「面授口訣」に戻る ― 絵日記という原点

教育の根っこは「面授口訣」にあります。人が人に伝える。その関係の中にしか本当の知は育ちません。

AIドリルやデジタル教材がどれほど進化しても、人の温度にはかないません。だからこそ、子どもには「書く」「考える」「感じる」、つまり、五感を働かせる時間を取り戻してほしい。

一冊の絵日記――そこにはAIには真似できない“人間の思考の跡”が残ります。日々の中で自分の感情を見つめ、言葉にする習慣。それが、未来の知性を育てる第一歩なのです。

AIが主役の時代に、あえて人間らしい学びを取り戻すこと。それが「教育再生」への最初の一歩ではないでしょうか。そして、その出発点は、誰にでもできる日記を書くことです。日本語を書くことが、考えることのはじまりだからです。
  
***