2025年6月5日木曜日

ChatGPTを使ってみて考えたこと


ChatGPTを使ってみて考えたこと──「言葉」と「思想」を育てるとはどういうことか

ChatGPTを使って、自分の過去の文章を見直す機会がありました。文法的な誤りや構成の無駄を整えてくれる点ではとても便利で、特に文章の体裁を整える作業においては優れていると感じました。しかし同時に、ある種の違和感も覚えました。整いすぎた文章からは、自分らしさが抜け落ちてしまうように思えたのです。さらに言えば、言葉の背後にあるはずの感情や思想が削ぎ落とされてしまうような印象を受けました。

たとえば、日記やエッセイといった文章においては、自分が見た風景や、そのとき感じた微細な感情こそが文章の生命です。ChatGPTはそれらを“平準化”し、“論理的に整え”、結果として“あたりさわりのない”ものにしてしまいます。けれども、言葉の中に潜む矛盾や未整理な思考こそが、その人の思索の揺れであり、個性であるはずです。AIはそれをノイズとして処理してしまうのです。

もちろん、AIをどう使うかによって結果は変わります。こちらが意図を明確に伝え、文脈や思想的背景を共有すれば、ある程度はそれを踏まえた出力をしてくれます。そういった意味では、「自分の思想を形にする補助ツール」として活用することも可能です。しかし、AIがどれだけ整った文章を生み出せたとしても、「思想」そのものを生成することはできません。なぜなら、思想とは知識の寄せ集めではなく、多くの概念を理解し、それらを統合するという長い思考の蓄積によってのみ形づくられるものだからです。

このことは、日本の教育の問題とも深く関係しています。小学校で作文(低学年では絵日記)を書き、高校生になると小論文が書けるようになるという教育が必要です。しかし、実際にはそのような過程はほとんど意識されておらず、文章表現のレベルが劇的に深化することは稀です。高校生や大学生の小論文も小学生の作文の域を出ず、つまり感想文や個人的な意見の域を出ず、そこに思想の形成や哲学的な概念理解が求められることはあまりありません。

文章を書くとは、単に論理的に言葉をつなぐことではありません。自分の中にある思想の構造を、たとえ未熟であっても、言語によって他者に提示する営みなのです。思想は、突然に生まれるものではなく、歴史、倫理、社会、自然、文化、宗教といった多様な領域にわたる概念の理解を通じて少しずつ形作られていきます。そして、それらが結び合うことで、抽象度の高い統合的な論文を書くことができるようになるのです。

その基盤となるのが、言語です。言語は単なる情報伝達の道具ではありません。日本語という母語は、私たちの思考の骨格そのものであり、思考は言葉を通してしか深まっていきません。だからこそ、小学生の作文も、中学生の意見文も、高校生の論文も、「考える道具」としての日本語をどう鍛えるかという視点から見直す必要があると考えています。

しかし現実には、受験に求められるのは予測可能な解答、効率的な要約、テンプレートに収まる文章です。思索は削られ、言葉は効率化され、まるでAIの文章生成に近づいていくようです。けれども、そうした文章からは、読み手の思考を揺さぶるような力は感じられません。

私たちは、子どもたちが自分の言葉で世界を捉え、自分の思想で社会と向き合えるような教育を構築し直すべきだと考えています。そのためには、小学生のうちから読書によって語彙と概念に触れ、感情と言語の接点を育み、中学生では複数の視点を持って構造的に考える力を養い、高校では「思想としての言葉」を立ち上げる訓練が必要です。それがあってこそ、大学や社会に出て本当の意味で「書く」ことが可能になるのではないでしょうか。

ChatGPTは便利な道具です。しかしそれは「考えること」の代替にはなりません。むしろ、AIを活用することで、私たちは「本当に考えるとは何か」「言葉を使って生きるとはどういうことか」を、もう一度問い直す必要があるのだと思います。

教育においても、社会においても、そして家庭においても、子どもたちにただ「書かせる」のではなく、「思想を育てる言葉」を育ませること。今、私たち大人に求められているのは、そのための土壌を、もう一度耕しなおすことなのではないでしょうか。

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2025年6月2日月曜日

AIは劇薬か、それとも壁打ちの壁か?

 
アナログな人生

AIは非常に論理的な存在かもしれませんが、その反面、人間の個性や筆者の人柄といった「人間性」を無視してしまう傾向があります。確かに、大量のインプットを与えれば、そうした部分に近づくことも可能でしょう。しかし、たとえ少し不完全であったとしても、「自分の言葉」で語ることには価値があります。そこには、自分の経験や思考が染み込んでおり、それが他人には真似できない独自性となるのです。


例えば、漫画のように印象的な映像表現は、見る人の記憶に強く焼きつきます。そうした個人的な記憶と結びついた表現は、一般化されたAIの生成物では代替できません。背景がどれほど似ていても、「何かが違う」と感じてしまうのです。

現代は効率や最適化がもてはやされる時代ですが、「無駄」や「余裕」には、創造性や人間性の余白が宿っています。そう考えると、AIは日本人にとって、劇薬あるいは覚醒剤のような存在かもしれません。効き目は強いけれど、扱いを誤れば副作用や犯罪にもつながってしまいます。

とはいえ、AIをまったく否定するつもりはありません。たとえば、ChatGPTのような対話型AIを「テニスの壁打ち」のように使うことには、大いに意味があると思います。相手の返答を受けながら、自分の思考を整理し、自分の個性を磨いていく——そんな使い方はむしろ推奨されるべきでしょう。

今後、AIが本を書いたり楽曲を生み出したりする機会はさらに増えるでしょう。しかし、後世に残るような「魂のこもった作品」には、おそらくならないのではないかと感じています。そこには、やはり人間の「揺らぎ」や「矛盾」——つまり、生身の存在が必要だからです。

……あくまで、シニカルな老人の独り言ではありますが。  
  
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2025年6月1日日曜日

失敗が許されない国の末路

 

一人前の男になるには自分の Train Chugging ができなければいけない、、、、と言われています。私はまだまだ半人前です。

よく「日本人の生産性の低さ」が話題になりますが、そもそも日本の労働者の多くは、自分の報酬と会社の業績との関係にあまり関心を持っていません。また、価値が急速に変化する「情報」や「デジタル化」にも疎い傾向があります。企業の経営陣も、いまだに情報システム部門を独立したコストセンターとして扱い、軽視しているように見受けられます。

産業構造にも歪みがあります。少数の官僚的な巨大企業と、大多数の中小企業という二極化が進んでおり、中小企業は資金力にも人材にも恵まれていません。日本の企業の大半がこうした中小企業であることを考えると、これは深刻な問題です。

さらに、挑戦や失敗に対する社会の寛容性が低く、新しいことに挑戦しにくい環境が続いています。これは長年の教育の結果ではないでしょうか。日本の受験システムに、根本的な変化があったとは思えません。

人材の流動性も低く、適切な再配置が進まないため、いわゆる「ゾンビ企業」が生き延びてしまう要因にもなっています。失敗したら再起が難しいという現実も、チャレンジを阻む大きな壁です。こうした状況は、リスクを取りながら大胆に動くトランプ的な発想とは正反対です。

意思決定の極端な遅さや、リスク回避を優先する企業文化、そして何よりもリーダーシップの欠如。日本の組織にはスピード感がまったくありません。会議や稟議は何のために行われているのでしょうか。

教育、労働市場、デジタル化といった分野が相互に分断されており、統合的な政策を打ち出すことができていません。国内でそれができないのですから、世界のパラダイムシフトに対応する余地すらないのが現状です。

そして政府は、間近に迫る参院選の行方にしか関心がないように見えます。それにもかかわらず、多くの国民は依然として政府に自発的に(?)隷従です。

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2025年5月30日金曜日

アイデンティティの崩壊 ~ アメリカの有名大学を考える

トランプのハーバード攻撃の記事やコメンテーターの意見は首をかしげるものが多い。反知性主義の理解が浅すぎるのではないでしょうか?

いくつか大事なことがあります。最初は、アメリカは平等を求めてイギリスから逃げてきた人たちが作った国であることです。だから平等という価値観が非常に強い。

2つ目は、反知性主義というのは知性の欠落を言っているのではなく、知性の権威で不当に利益を上げていないか(知性と権力・金の結びつき)をチェックしようという主義のことです。  

3つ目を挙げるとすると、リーダーとは自分の知性と権威に対して常に自己反省が出来るか否や(integrity)がポイントなのです。だとすると、今のアメリカはすでに原点に戻るのが不可能なくらい壊れてしまっている。 

そもそも北京のエリート校である清華大学はアメリカの支援で開学した経緯があり、今はどうだか知りませんが、30年ほど前は清華大学の理事会はほとんどが IBM のようなアメリカ大企業の経営者でした。そしてアメリカに留学生を送り込むような予備校のような役割を果たしていたのです。若い時の環境は人の人格形成を大きく左右します。だとすると、真理(veritas)を校章に掲げるハーバードの理念も原点に立ち戻る必要があるのかもしれません。  

日本は伝統や独自文化がしっかりした国のはずです。しかし、大学や大学の先生からはじまるアイデンティティ崩壊の様相はアメリカの後を追いかけているようです。   

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2025年5月27日火曜日

相次ぐ米兵による事件


23日から26日にかけ米兵による事件相次ぐ 4人逮捕

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アメリカの10代の子供を持つ親たちは、子供が不良に走り麻薬や飲酒などの問題を起こすと、何段階かはありますが最終的には子供を軍隊に放り込みます。
   
昔のアメリカ人の仕事仲間に海軍の将校として7年間駆逐艦に乗っていた男がいます。彼から聞いた話ですが、「海外に派兵される若い兵士たちはアメリカの学校システムや社会に適合できなかったドロップアウトで、たとえ沖縄で問題を起こしても何ら驚くことじゃない」と言っていました。彼はUS Navy で湾岸戦争にも行った将校でしたが、アメリカの軍隊は US Marine Corps(アメリカ海兵隊)以外は弱くて使いものにならないとも言っていました。

アメリカの学校には、大まかに言って以下の種類があります。義務教育は K-12といわれ、日本の幼稚園年長から高校3年生までです。

1.普通の公立学校
2.トップレベルの公立学校
3.マグネットスクールと呼ばれる公立校
4.私立校(プレップスクール、ボーディングスクールなど)

「1」と「2」の学力の格差は非常に大きい。多くの親御さんは、家計の許す限り、または、多少無理をしてでも、「2」の学校区に住まいを求めます。まさに、「孟母三遷(もうぼさんせん)」ですね(孟子の母親は子供の教育のことを考えて三度転居したということです)。

アメリカの固定資産税(Property Tax)は行政サービス と スクール税から成り立っています(ニューヨーク州)。K-12の義務教育制度の資金を支えるものが、スクール税です。子供がいない家でもスクール税は課せられます。そして、家の価値は、学校区の善し悪し、つまり、公立学校のレベルで決まります。また、税収入の多い学区は、高給で質の高い先生を雇うこともできます。
 
上記以外に、ホームスクールがあります。ホームスクールは、学校に通学することなしに自宅で学習し正規の学校教育に代える教育です。これは、「教育の自由」ということですね。学校に行かせないオプションがあるということで、それが本当の「教育の自由」と言うことだと思います。
 
日本にあるアメリカンスクール(ASIJ)は、アメリカの義務教育に準拠した学校で、カリキュラムはニューヨーク州の公立校に近いものです。

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2025年5月22日木曜日

日本人の鎮魂歌

 

『海ゆかば』。詞は大伴家持作(万葉集巻十八 西暦783年)。死者の魂を慰め冥福を祈るために捧げられる日本人の鎮魂歌です。

国のために死ぬのではなく、愛する人のためだったら死ねると詠っています。生きるには根拠がいる。人間が動物と違うのは生きる価値を自ら認めないと人は生きていけないということです。年寄りの独り言、失礼しました。

『Umi Yukaba』. The lyrics were written by Otomo Yakamochi in 783 AD. It is a requiem of the Japanese people dedicated to comforting the souls of the dead and praying for their repose.

The poem says that we could die if it were for our loved ones, not for our country. There is a basis for living. What makes human beings different from animals is that we cannot live unless we recognize the value of life ourselves. Sorry for the old man's ramblings.


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2025年5月18日日曜日

日本の治安 ~ 文化的背景

 新聞や雑誌を見なくなって25年くらい、いやもっとか? テレビも観なくなって久しい。YouTubeやネットでニュースが流れてくるので、それらの配信は見ています。ニュースを流す側、出演するコメンテーター、それにリアクションする一般の反応。内容が一定の水準に達していないと思います。記者会見でも質問する記者のレベルに問題がありすぎです。隠ぺい改ざんに買占めの扇動、テレビ番組は視聴率(お金)のためならば何でもありですね。


日本国民は何となく流れに乗っかっている人が多すぎる。福沢諭吉は『学問のすすめ』で「事物を疑って取捨を断ずる事」を語っています。福沢諭吉は言及していませんが、取捨選択する以前の問題があります。自分自身のVISION(将来の展望)を持たないと取捨選択するための情報は自分の所に集まって来ません。幕末を体験した明治初期の福沢諭吉さんにとっては、VISIONを持たないなんて考えられなかったことなのでしょうが、、、。

例えば「子供の教育に関心があって何とかしたい」と常日頃から思っていたら、「子供の教育」に関する情報が自然と集まってくるものです。これは問題意識、あるいは危機感のなせるワザかも知れません。何の問題意識もなければ氾濫するクズ情報の中に身を任せるのみです。当事者意識をもつなんて遥か彼方です。

人間の質は国によって異なります。犯罪者だって国によってやり方が違う。日本の文化や社会が優れているとか劣っているとかいうのではなく、日本はかなり珍しい存在なのです。英語で規範はNORMですが、日本は明文化されたNORMがない。それは島国という地理的な問題や単一民族単一言語であるとか長い歴史的背景がある。

他国の文化と日本の文化伝統と調整するのは政治家の重要な役割なのですが、それが職責である政治家のレベルが国民より低いか国民並みでは先行きは不安でしかない。外国人がどんどん増えています。権威に弱く臆病な日本人相手だからこそ何とかなっていた日本の警察(国内治安)が外国人犯罪に対して効果的に対応できるはずなんてないのです。警視総監は迫田裕治さん、国家公安委員長は自民党の坂井学さんです。考えは如何に?

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2025年5月11日日曜日

自分の心構えを変える


サキソフォンもハーモニカも息継ぎが難しい。ロングトーンをキープして、上手に息継ぎをしないとリズムに乗ってグルーブ感を出すことはできません。政治やビジネスだとコミュニケーションの能力と言えるかも知れません。

日本の社会は数年、否、数年どころか数十年変わらないと考えておいた方がいいような気がします。だったらどう対応するのか?

自分の生きている社会が変わらないなら自分の心構えを変えるしかない。高度経済成長期(1955年頃~1973年頃)やそれに続く期間(1975年頃~1991年頃)は、みんなが高度経済成長の波に乗っていた。一生懸命自分の仕事をすれば昇進もするし給料も上がった。頑張っただけのリターンがあったのです。ところが、今はそうじゃない。これからも数十年、もしかしたら半世紀ほどは変わらないかもしれない。

ピーター・ドラッカーが、著書で「integrity of character」という言葉を使っています。これは「人格の一貫性、統合、完全性、高潔さ、誠実さ」ということです。前提は一人ひとりが自分の人格を持っていることです。その上で「integrity of character」を意識して生きるということです。

Integrity of character refers to the quality of being honest, ethical, and having strong moral principles, consistently reflected in one's thoughts, words, and actions. It means maintaining a whole and complete moral compass, unwavering in adherence to a code of values, and acting in alignment with one's beliefs, even when faced with pressure or temptation.

我が国の福沢諭吉先生は明治時代に『学問のすすめ』の中で同じようなことを言っています。福沢さんの方がドラッカーよりも先ですね。

『学問のすすめ』12編の後半は、「人の品行は高尚ならざるべからざるの論」です。「ならざるべからざる」なんて難しいですね。これは、漢文では不可不~の二重否定です。つまり、「高尚でないといけない」と言っています。さて、「人の品行は高尚ならざるべからざるの論」ですが、これは、まさしくインテグリティ(integrity)のことを言っているのだろうと思います。
   
インテグリティは日本語に翻訳しにくい。「志」という人もいれば、「誠実」と訳す人もいる。しかし、どうもしっくりこない。私は、「倫理観」と「スキル」と「野心」の3つのバランスがとれていることがインテグリティであると長いこと信じていました。しかし、福沢さんに「人の見識を高尚にしてその品行を提起するの法如何すべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、自ら満足することなきの一事に在り」と言われると、これがインテグリティかとも思います。

日本の社会がどれだけ停滞していても、一歩前に踏み出すと今までとは違った人格の持ち主が集まって来る。これまで足を引っ張ったり頭を叩いていた人たちが遠ざかって行くものです。要するに自分の「心構え」を変えることで、周りの状況を変えることはできる。日本社会がどうだこうだ批判ばかりしてみてもしょうがない。日本の政治家を見ても大企業の経営陣を見てもインテグリティを備えた人格者は極めて少ないのが今のニッポンなのです。

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2025年5月5日月曜日

憲法記念日に考えた

これから何年生きるか分かりませんので、言いたいことは言っておきましょう。

佐藤功の『日本国憲法概説』

50年前の本です。東海林さだおの本やちばてつやの漫画は不本意ながら全部捨てたのに、なぜ佐藤功の『日本国憲法概説』はまだ持っているのでしょうか? 私は反感しかありませんでしたが、この本を「権威」としてキャリアを積んできているのが日本の中枢(エリート)でしょう。佐藤の憲法を知らない政治家もいっぱいいますが、、、。

憲法改正はやりたくない

憲法改正の手続きを定めた96条でさえ議論・検討できない政治家に憲法を改正するなんて面倒なことはやりたくない。官僚や弁護士は憲法は既得権益だから改正なんてとんでもない。覚えたことが無駄になる。護憲は憲法の「憲」ではなく既得権益の「権」なのです(江藤淳?)。つまり日本の国柄とか伝統や文化に根ざした人権でも何でもないのです。もちろん、アメリカ政府のゆるぎない対日戦略のプレッシャーもあります。

決断力の欠如

日本国憲法がアメリカ人によって書かれた終戦直後は、アメリカ人でさえ広島・長崎に「原爆までおとしちゃった」自責の念に駆られて、現実離れした理想を幾ばくかの正義を有した一部の若者が作文したのでしょう。一言も変更することなく80年ものあいだバイブルとしている日本人、驚きを通り越して、怒りはしないだろうけど絶対に信頼できるパートナーとは思っていないでしょう。決断力(determination)の欠如だと思うからです。  

国家の三要素

日本国憲法や特に憲法9条は宗教みたいなもので、イスラム教徒に多神教を認めさせるのと同じです。どう説明してもダメ、論理的にどうのこうのではありません。「マルクス主義の武装解除が9条の戦争放棄と同じことだ」と言っても無駄です。国家破戒の最大の障害は軍隊と国内治安の警察力です。国家の三要素は国法と防衛と治安なのです。日本の場合「治安」しか残っていないのですが、最近の凄まじい犯罪ニュースや移民問題を見ていると、最後の砦である治安も危ういですね。

当事者意識

老若男女多くの日本人は「憲法改正については深い議論が必要だと思う。同じ世代どうしでも議論していきたい」と思い続けているようです(毎年の世論調査)。太宰治の戦後の一連の作品をよく読んでみると(太宰は1948年没)、占領軍の検閲に対する憤りと、戦後180°転換した日本人に対する絶望感があるのだと思えてなりません。 憲法改正の議論の向こう側には何があるのでしょう? 保護者であるアメリカが去った後の日本を考えて議論してもらいたいものです。 護憲左翼も拝米右翼も、議論の前提となる日本の現実を見ていない。 敗戦直後の太宰治はしっかりと見ていたと思います。 今の日本は問題意識が弱いから危機意識に至らず、当然多くの国民に当事者意識はありません。 

思考停止

日本国憲法、日米同盟、核の傘という3つの噓話をリセットすることができるのは100年後でも難しい(アメリカの対日戦略が変わらない限り)。私は長い間日本人は自己欺瞞していると思っていました。しかし、最近では自己欺瞞しているのではなく、本心から現実を理解していない人が多いのだろうと考えるようになりました。思考停止(無関心または虚無)というのもマインドコントロールの結果でしょう。

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2025年5月2日金曜日

AIってどうなのよ?(最終回)

 

”Juke”の有名なイントロの部分を忘れていました。

   
ギターもハーモニカもサキソフォンも、全ての楽器の習得は外国語を学ぶことに似ています。分からないことを少しずつ解明していくからです。楽器ができなくても外国語ができなくても「気持ち」が伝わることが大事です。
   
そもそも言語にしても楽器にしても、人間の脳よりも後になって発明されたものですよね? 生成AIである ChatGPT なんてここ数年の間に出てきたものです。誰が学習したのかわからない大量の学習データをモデリングして形式化したもので中身ではない。こういった限界を理解した上でツールとして使うのはいいでしょう。しかし、最終的な意思決定や倫理的な判断を委ねることは間違っているのです。意思決定のできない日本人には非常に危険なのです。

おしまい

My apologies, I forgot the famous intro part of “Juke” .

Learning a guitar, harmonica, saxophone, or any other instrument is like learning a foreign language. It is because you gradually figure out what you don't understand. Even if you cannot play an instrument or speak a foreign language, it is important to be able to convey “feelings”.

In the first place, both languages and instruments were invented later than the human brain, right? ChatGPT, which is a generative AI, was invented only in the last few years. It is a modeling and formalization of a large amount of data that no one knows who learned it, not the content. It's fine to use it as a tool with an understanding of these limitations. But it is wrong to entrust the final decision-making and ethical decisions to them. It is dangerous for the Japanese people who are incapable of making decisions.

The End

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2025年5月1日木曜日

AIってどうなのよ?(続々)

 

「どんな人生を志向するのか」「子供たちがどんな大人に育ってほしいか」を起点に考え、だったら「何のためにAIを使うのか」を補助的に使うべきでしょう。


情報は少ないほうがいい。少ない方が自分のオツムで考えるようになる。効率とか時短とかじゃなくて感覚が大事なのです。言語というのは脳の機能の一部であり、人は言葉を発する前にオツムの中で考えている。そこが重要なのです。言葉(英語でも中国語でも日本語でも)がそうなのだから、AIはもっと中味から離れた外側のツールにすぎないのです。

音楽でも落語でもアナログの「間」というものがあって、非常に感覚的なものです。それは心がこもっているという事だと思います。AIにはない人間の心の動きです。ビジネスのコミュニケーションでも子育てでも同じです。繰り返し繰り返し読んだり聞いたり話したり失敗したりしてオツムが獲得する感覚(≒ オツムの運動神経)が大事でしょう。  

The starting point should be “What kind of life do you aspire to?” and “What kind of adults do you want your children to grow up to be?” and if that's the case, “What do you want AI for?” should be used as an auxiliary.

Less information is better. The less information you have, the more you will think with your own brains. It's not about efficiency or saving time, it's about feeling. Language is a part of brain function, and people think in their brains before your words come out from your mouth. That is what is important. Since language (whether English, Chinese, or Japanese) is like that, AI is just an external tool that is further away from the inside of your heart.

In both music and rakugo(Japanese traditional comic storytelling), there is an analog “ma(rhythm or tempo)” which is very sensual. It is the movement of the human heart, which AI does not have. It is the same in business communication and in parenting. I think it is important to have the sense (≒ motor skills of the brains) that the brains acquire by reading, listening, talking, and making mistakes repeatedly and repetitively.

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2025年4月30日水曜日

AIってどうなのよ?(続 )

 

AIはアクションに対するリアクションを考慮しません。コンピュータのプログラムですからね。つまり、相手の心は生成AIの対象外なのです。さらにAIは何を伝えたいかという思想はありません。人間は万国共通で、コミュニケーションには「気持ち」が一番重要なのです。だとすると、AIも言語(日本語、英語、中国語 等々)と同様に全体の一部分なのです。  

さて、上から目線は置いておいて、私の音楽ビデオはリアクションを考慮していません。そういう意味ではAIと同じです。「気持ち」は伝わらないのです。

AI does not consider reactions to actions. It is a computer program. In other words, the mind of the other person is not the subject of the generative AI. Furthermore, AI has no idea of what it wants to communicate. Human beings are universal, and “feelings” are the most important factor in communication. If so, AI and languages (Japanese, English, Chinese, etc.) are part of the whole.

Now, putting aside the attitude that looking down on others, my music videos do not take reactions into consideration. In that sense, it is the same as AI. Unlike  Little Walter in the 50s analog world. It does not convey feelings.

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2025年4月29日火曜日

AIってどうなのよ?


若い頃はコンピュータが面白かった。それは人間が、つまり私自身が扱える部分が多かったからです。データを記憶する大きなテープをかけ替えたり、パワーをオンにしてマイクロコードをロードして、それからオペレーティング・システムをロードする。するとシステムコンソールにその他のシステム関連のプログラムが主記憶装置にロードされていくのが表示されていく。わくわくする瞬間でした。


私は頑固ジジイだから言っているのではなく、AIというのは面白くない。表面的な形式だけを繋ぎ合わせるだけだからです。つまり、人間の感覚が欠落しているからです。例えば間合いとか、抜け落ちている特徴を追いかける人間と人間のコミュニケーションの部分がないからです。英語でも中国語でも日本語でもギターでもサキソフォンでもハーモニカでも何でもいいんです。気持ちが伝わる、それが大事です。私のブルースハープは50年経っても人に何かを伝えるレベルに達していませんが、、、。

When I was young(in my 20s), computers were interesting. This was because there were many aspects that a human being could handle. I would swap out the big tapes that stored data, turn on the power, load the microcode, and then load the operating system. Then the system console would show other system-related programs being loaded into main storage. It was an exciting moment.

I am not saying this because I am a stubborn old man. AI is not fun to me. AI is not interesting because it only connects superficial forms. In other words, because it lacks human senses. For example, it is because there is no part of human-to-human communication that follows the pauses and other missing features. It doesn't matter if it's English, Chinese, Japanese, guitar, saxophone, harmonica, or whatever. The feeling is conveyed, that's what it is all about. My blues harp has not reached the level of communicating something to people even after 50 years, sorry to say that.

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2025年4月27日日曜日

共通点をカッコの外に出す

 

4と6の穴の draw(吸う) の音が詰まって出ないので開けてみると、なんとリードに白い髭が挟まっていました。良い子の皆さんは、久しぶりにハーモニカを吹くときは10ホール全ての穴の draw と blow を確認してから始めましょう。

The draw in holes 4 and 6 were stuck and the sound would not come out, so I opened them up and to my surprise, there was a white mustache stuck in the draw reeds!
 
Good boys and girls, when you play harmonica for the first time in a while, check the draw and blow of all 10 holes before you start. Got it ?

ブルースハープを志す人は誰もが憧れるのは Little Walter です。 Little Walter といえば「Juke」(1952年)。しかし、誰もが壁にぶち当たってブルースハープを諦めるのが2穴のベンド。2番目の穴を吸って通常は半音から全音まで音を下げます。Little Walter は2穴の魔術師です。

最初にLittle WalterのJukeが吹けるようになりたいと思ったのは高校生の頃でした。半世紀がたちますが未だに満足に吹けるようにはなりません。でも昔と違って YouTube でレッスン動画がいっぱいあるので、何となく吹けるようになった気がします。

一年以上ハーモニカを触っていなくても一旦吹いてみると面白くなる。いつも3~4日は続きます。しかし、すぐに飽きます。それはどうしてもリトルウォルターのように吹けないからです。2穴が、、、、。

Little Walter is the dream of every aspiring blues harpist. Little Walter is known for “Juke” (1952). But where everyone hits a wall and gives up on the blues harp is in this phrase: the two-hole bend, where the second hole is sucked in, usually a semitone to a whole tone down. Little Walter is a two-hole wizard.

I first wanted to be able to play Little Walter's Juke when I was in high school. Half a century later, I still can't play it. But unlike the old days, there are lots of lesson videos on YouTube, so I think I'm getting better a bit.

I haven't played harmonica in a year, but once I played, it gets interesting. It always lasts 3-4 days like this; however, It gets bored easily because I can not play like Little Walter. 2nd hole is a pain in a neck.

ギターとサキソフォンとハーモニカ、全く異なる楽器でも共通点があります。因数分解のように共通点をカッコでくくってカッコの外に出す。何を出すか?
    
下のコーラスも簡単なようでなかなか骨が折れます。2穴全音ベンドはドミナントに2度出てくるだけですが、4穴DRAWの半音ベンドをリズムに乗せるのが難しいのです。50年たってもできない。カッコの外にだすリズム感がないということです。残念。

余計なことを言うならば、政治でもビジネスの世界でも日本人は共通点をカッコの外にだして抽象度を上げることが下手くそで、どうしても重箱の隅に入っていきます。それが賢いと思っている(失礼!)。


A guitar, a saxophone, and a harmonica, even completely different instruments, have something in common. Like factoring, we find the commonalities in parentheses and take them out of the parentheses. What do we put out?

This phrase sounds easy, but it's very hard to do. 2-hole whole note bends only appear twice in the dominant, but it's hard to get the 4-hole DRAW's semitone bends into the rhythm. 50 years in my life, I still can't do it. It means I have no sense of rhythm to get it out of the parentheses. Too bad.

If I may go on a tangent, in both politics and the business world, Japanese people are not very good at raising the level of abstraction by putting commonalities outside of parentheses, and they inevitably end up in the corner of a heavy box(nit picking). They think that's smart(excuse me!).

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2025年4月22日火曜日

クラプトンから学ぶ継続と感謝

 

エリック・クラプトンが2年ぶりに来日し日本武道館でコンサートが開催されています。武道館での公演回数は既に100回を越えており、海外アーティストとして最多の公演回数として更新されています。先週の武道館公演では毎晩このロバート・ジョンソンの、『Kind Hearted Woman Blues』がセットリストに入っていました。曲に入る前のフレーズまで一緒ですね。クラプトンは自宅でくつろいでいるときでもこの曲を弾いているのでしょうね。

人の喜びを自分の喜びとする。それが生きがいになる。感謝がなければ生きがいは生まれない。いくつになっても生き生きと毎日を過ごしている高齢者に共通しているのは、今を一生懸命生きる姿勢です。若い人にとって「終活」と言うと遠い遠い先のことのような気がしますが、日々の連続がゴール、つまり、“今”の積み重ねなのです。そういった意味でクラプトンはロールモデルかも知れません。またコンサルティングという仕事は、クライアントの喜ぶ姿を見て自分が幸せになるという姿勢がないと成り立ちません。最近の業界はコンサルタント側もクライアント側も感謝の気持ちが足りないような気がします(自省をこめて)。

私の場合ギターは中学生の頃に始めましたが、なかなか上手になりません。それは練習を継続しなかったり上手くなりたいという熱意が圧倒的に不足していることです。でも途切れ途切れでも弾くことを継続すると1ミリでも進歩します。文章を書くことも同じなのですが、記録に残しておくことで1ミリが見えてくる。いまは録画もパソコンやスマホで簡単にできます。自分の演奏を記録してたまに振り返ると違いが見えて楽しめるのです。主観的なものが有るや無しや、自分がどう感じるかが重要です。実際は1ミリも進歩してなくても、自分が進歩していると感じればそれでいい。それが、年を取る上での生きがいになる。

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2025年4月20日日曜日

静かな退職

  
毎日食べる納豆の朝食

静かな退職

「Quiet Quitting」という言葉が日本でも注目を集め始めているようです。仕事への熱意を失い、必要最低限の仕事しか行わない働き方です。「静かな退職」と翻訳されています。
  • 会社に所属しているものの、心理的には会社に所属していない状態
  • 仕事とプライベートを明確に区別しワークライフバランスを重視
  • キャリアアップや昇進などを目指さず淡々と言われた業務を遂行 

静かな退職で老後はどうなるか?

文化というのは国によって大きな違いがあります。アメリカ経済の状況によって日本の制度が変わるのではない(これまでの日本の構造改革はアメリカ化にすぎない)。

欧州は欧州、封建時代のないアメリカはアメリカ、そして、日本は日本の文化発展の歴史があります。日本の場合はアメリカと違ってかなり長い歴史です。教育はビジネススクールのカリキュラムのように世界標準の「知識」として獲得できるかもしれません。しかし、「教養」はそうはいかない。文化の中で培うからです。

日本の戦後民主主義教育は、教養を育むための「文化」を切り離してきました。今の日本のビジネスパーソンは「理性・理論」と「感性・直観」のバランスに課題があるように思われます。それは、教育と教養のバランスの問題とも言えるのです。我々は会社がなくても前期・後期高齢者としての人生が続くことに対応する必要があります。

No Pain, No Gain ! 

日本人は、老若男女、親も子も社長も社員も益々余裕が無くなっています。中高年の生き方には特徴がない。人生100年時代、退職後の生活は教育よりも教養のほうが役に立つことが多いのです。そして、教養は政府が支援したり教育を無償化したりするような問題ではないはずです。政府が主導して考えるものじゃない。政府が文化の違う外国人教授をアドバイザーに呼ぶことが必ずしも解決策ではないのです。

幸福の定義は人それぞれです。幸せに生きるとは、一人一人の自由意志のもとにあるということを忘れてはいけません。「不安になるから自由なんていらない!」なんて言っていると、人生100年時代は大変になりますよ。No Pain, No Gain ! 

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2025年4月18日金曜日

煩悩だらけの前期高齢者


久しぶりの焼肉。

高齢者でも常に焼肉やステーキを必要とする人がいます。そういった人はエネルギーがみなぎって元気なのかも知れません。さて、私にとってそれらは本当に必要か?たま~~に食べたくなるので、食べられた時は幸せを感じます。

自分にとって必要なものは何か?これからは時間がなくなっていくので、本当に大切なものに労力を費やしたいと思います。出来る限りシンプルにして。

遊行期(ゆぎょうき)とは、古代インドの四住期における最後の段階であり、75歳から死ぬまでの時期を指すそうです。遊行期は人生の終わりに向かう時期であり、死を意識しながら静かに人生を終えること、そしてこれまで培ってきたものを世に還元し、新しい出発を準備する時期だそうです。

私のような煩悩だらけの前期高齢者は遊行期に突入するための準備期間なのかも知れません。

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2025年4月14日月曜日

ちょっとだけイスラエル 3-3 (2009年1月の日記)



2009年1月7日


イスラエルがレバノンを攻撃した

やはり、想像していたようなことが起こった。

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イスラエルにロケット弾攻撃、レバノン国境でも交戦状態

【エルサレム=久保健一】

イスラエル軍によると、レバノン国境に近いイスラエル北部ナハリヤに8日朝(日本時間同午後)、少なくとも2発のロケット弾が着弾、2人が負傷した。イスラエル軍は即座に発射元のレバノン南部に対し、砲撃を加えた。パレスチナ自治区ガザでのイスラム原理主義組織ハマスに対する掃討作戦に続き、レバノン国境でも戦端が開かれれば、イスラエルは南北2正面の交戦を強いられることになるため、緊張が高まっている。レバノン南部からのロケット弾攻撃は、12月27日にガザへのイスラエルの軍事作戦が始まってから初めて。2006年夏のレバノン紛争では、レバノン南部を実効支配するイスラム教シーア派組織ヒズボラが多用した戦術だが、ヒズボラは今回の攻撃について「関与していない」と否定した。同国のミトリ情報相がAFP通信に明らかにした。在レバノンのハマス幹部も8日、攻撃を否定した。一方、イスラエル放送によると、イスラエルのベンエリエザー国家基盤相(元国防相)は、シリアに本拠を置くパレスチナ世俗派の急進派組織「パレスチナ解放人民戦線総司令部派」(PFLP・GC)による攻撃との見方を示した。しかし、PFLP・GCは8日の声明で、エジプトによる停戦調停案を批判したが、ロケット弾発射については言及しなかった。ナハリヤは、レバノン国境から約10キロ。レバノン紛争でも、ロケット弾による被害が集中した。(2009年1月8日21時34分 読売新聞)

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イスラエルを攻撃したのがヒズボラかどうかは分からないけど、イスラエルは戦略通りに2発のロケット弾に対して過剰防衛気味(?)に反撃した。このヒズボラは過激派なのかまともな組織なのかは個人的にはよく知らない。しかし、イランがバックアップしていると言われている。

自主独立国家のイラン

イスラエルはイランが憎くてたまらない。アメリカのブッシュ、ラムズフェルド、チェイニーに何度もイランを攻撃するように依頼したと聞く。でもアメリカはイラクで忙しかったからブッシュ政権ではできなかった。一方アメリカは、自分らの自由にならないイランが憎い。

1979年のイラン革命でアメリカの傀儡であるパーレビが追放され、独立国家を主張するホメニィが現在のイランを作って以来ずーっと恨みに思っている。それ以来、イランはアメリカのポチにならないで自主独立路線を歩んでいる憎むべき奴らなのだ。アメリカは戦後の日本占領体制をベストプラクティスと思っているのだろうが、相手が日本人だからうまくいっただけであることを理解すべきだ。アメリカは今でも世界中で同じことが可能だと思っているのではないだろうか?

ムンバイの同時多発テロとイスラエルのガザ侵攻

今回のイスラエルのガザ侵攻はタイミング的に大きな疑問が残る。ブッシュやチェイニーがホワイトハウスを去って(すでに去っているラムズフェルドも一緒に)今度はビジネス(本業)でひと儲けをたくらんでいるというシナリオなないだろうか?サブプライムはNYのジューイッシュを中心とした頭のいい金融工学なるものをやっている連中が仕組んで、それが破たんして世界的な金融危機に陥った(オバマ政権はそういった連中を雇って、しこたま稼いだ人たちをホワイトハウスのスタッフにしている)。

11月末にはインドのムンバイで同時多発テロが起こった。これは、インドとパキスタンの戦争につながる危険性がある。もしかしたら1月の今現在で戦争まで秒読み段階かも知れない。

12月に入ってイスラエルがガザを空爆して地上戦に突入した。これは中東全体が戦争になる可能性をひめている。

全てはオバマ政権の就任前に勃発するように仕組まれていたのかもしれない。もしかしたら、今回の大統領選は、共和党はわざと負けたのではないだろうか?だからペイリンという全く無名のアラスカ知事を副大統領候補に指名したのではないかと疑ってしまう。どうもオバマがこういった情勢の中で全体を掌握してうまく回せるような気がしない。クリントン夫妻(民主党)は、もしかしたらブッシュ、チェイニーたち(共和党)と裏ではつるんでいるかも知れない。

以上は私の考えすぎかも知れない。ただ間違いなく言えることは、世界情勢があやしく国際経済が危機的状況にある中で、日本という国はあくまでも平和でノンキだと言うことだ


2009年1月9日

ちょっとだけイスラエル 2-3 (2009年1月の日記)

 
2009年1月5日

イスラエルとF22

今、アメリカの最新鋭戦闘機F22が問題になっている。

【12月11日 AFP フランス通信社】

マイケル・マレン米統合参謀本部議長は10日、景気減速によって国防総省の予算が削減される可能性があるとして、米空軍の最新鋭ステルス戦闘機「F22ラプター」の生産計画に疑問を呈した。マレン議長は、国防総省内で記者団に対し、「軍や国防総省にとっても、予算の圧縮・削減は重要だ。コスト意識に欠けた計画が多く存在しており、中止なども含め計画の絞り込みが必要だ」と述べた。その上でF22に言及し、すでに183機を保有している米空軍が65機の追加発注を検討していることを明らかにするとともに、「あまりに高価なシステムだと懸念している」と語った。

米航空宇宙機器大手ロッキード・マーチンと同ボーイングが共同生産するF22は、最新鋭機だが、1機あたり3億5000万ドル(約320億円)と生産コストが高く、これまでの配備でかかった費用は650億ドル(約6兆円)。ロバート・ゲーツ米国防長官を始めとするF22批判派は、F22ではイラクやアフガニスタンでの戦闘ような非正規戦には不適格だと指摘している。これに対し米空軍幹部は、F22は中国などの米国の潜在的な敵国との戦闘には適した機体だとして、F22計画を擁護。有力議員も、F22計画が全米で数千人の雇用を確保されていることから、計画の中止には消極的な姿勢を見せている。

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アメリカはF22をイスラエルに売りたい。

イスラエルをアメリカの兵器で武装してイランとの戦争に備えようとしているのではないだろうか?イスラエルが中東でドンパチやるとアメリカ企業は儲かるし、軍事産業を中心にかなりの雇用は確保できるだろう。F22は機体の生産コストも高いそうだが、メンテナンスが複雑でかなりのコストと人件費(ソフトウェアメンテナンス)がかかるらしい。アメリカ政府は、クリントンが大統領の時にF22のイスラエルへの売却を約束している。

ヒラリー&ビル・クリントン

アメリカの民主党がリベラルで平和主義だというのはちょっと違うと思う。拝金主義だから金のためならなんでもやると言うのは民主も共和も関係ないだろう。クリントン夫妻の場合は拝金だけじゃないと思うが(売名とかスターでいたいとか、、、)。先々週くらいのタイムに面白い挿絵があった。オバマが運転席に座っているのだけど、助手席のヒラリーが横から両手でハンドルを握っていて、後部座席からビル・クリントンが指示しているというもの。

新大統領のオバマは未知数で、やはり、EU諸国は「オバマは外国人じゃないか、、」と思っている感じがする。そもそも、アメリカという国全体が外国人の国になってしまっているのかも知れない。ヨーロッパはローマ帝国の内と外の逆転が崩壊の原因だと言うことをよく勉強しているだろうから、アメリカの崩壊はローマ帝国と同様だが、もっと急速に起こるのではないかと予測しているのかも知れない。アメリカはクリントンの8年で大きく変わったように感じる。ここでは詳しく述べないが、一番大きな点は中国共産党(当時の江沢民)と手を握ったことではないだろうか?これは日本にとっては痛いところだ。

わが日本国はどうなるのだろうか?

日本はアメリカにとって安全パイだから金さえ出させておけばいい。でも日本の金が底をついてくると日本に代わる「金づる」が必要となる。人民解放軍をアメリカの最新兵器で近代化しようとまでは言わないけど、アメリカ政府は中国は大事なアメリカのお客さんだと思っていることは間違いない。中国は外貨をドルでいっぱい持っているから日本よりもアメリカ国債を買ってくれる余力があるかもしれない。

日本は徐々にアメリカと中国の2つの国の統治国のようになって行くのだろうと思う。しかし、日本や日本人の生活は今までとあまり変化がなくて、同じように淡々とハッピーな日本列島の毎日は続くのではないだろうか。アメリカと中国という2つの超大国。拝金主義で自己中心的なところは優劣がつけ難い。本当によく似ている。2つの国で生活してみて実感した。民意でもって日比谷公園に派遣切りされた人たちのためにテントをいっぱい準備したところなんかは、日本は世界で一番の民主国家かもしれない。早急にアクションを起こす決断力があったことも驚きだった。

日本と周辺の国々

日本は地理的に非常に難しい位置にある。もし日本がひょっこりひょうたん島になって情勢に応じて列島全部が移動できると理想的なのだが。

日本がキャスティングボードを握ってアメリカや中国を舵取りするなんて有り得ない。

中国共産党はかなり瀬戸際にきている。統制しているとは言え民衆が自由の空気を知ったのが大きな原因だ。中国はアメリカと近づきながら日本に対しては益々強硬に出てくることが予想される。胡錦濤と温家宝はこれ以上日本と近寄ると失脚するのは間違いない。オリンピックも終わったことだし、もう日本の機嫌をとる必要もない。福田康夫さんも立派に中国にとっての役目を果たした。中国の格差問題と失業率は他の外国の比じゃない。民衆のアテンションを外に向けないと大きな反乱が起こる。いつまでも阿Qのような民衆ばかりではないのだ。

韓国も大同小異。ウォンの下落、経済は破綻状態。民衆に日本攻撃にフォーカスさせないとソウルでも暴動がおこる。だから竹島なんかは必要以上に愛国心をあおっているのだろう。

北朝鮮は核を武器に(あるのかどうか知らないけど)今後も日本を軽くあしらい続けるだろう。日本に関して彼らは、「日本はアメリカのポチだ。何もできっこない。アメリカは自分たちに関心ないだろうしな」と認識しているだろう。

周りの国が日本を独立自主の国だと認めていない以上は日本がキャスティングボードを握ることはない。比較的日本に友好的な台湾と一緒になって新しい国を作るアイデアもあるかもしれないけど、両国ともリーダー不在だから無理だろう。

オバマは全体を掌握できるか?

戦争はしないほうがいいにきまっている。でも、これまでの歴史でアメリカが戦争以外で経済を立て直したことはあるのだろうか?

ルーズベルトのニューディールだって今では疑問視されている。戦争に突入したから世界恐慌から立ち直ったと言っている人のほうが多いようだ。自民党の中川秀直さんが「日本はニュー・ニューディールだ!」とか言ったそうだけど、本当に理解して言っているのか心配になる。

どうもオバマはベテランに実際の仕事を放り投げようとしているような気がする。または、老獪な政治家にとってのチェンジ、チェンジと叫ぶ広告塔になっている可能性はないのか?ヒラリーは「アメリカにとって21世紀の最重要国家は中国だ」と主張している。また、アメリカの政治家で最初に中国を「戦略的パートナー」と言ったのは夫のビル・クリントンだ。もしかしたらオバマがヒラリーを仲間に加えざるを得ない何か裏の取引があったのかも知れない。

オバマ政権の内閣

  • Rahm Emanuel /White House Chief of Staff、ビル・クリントンの片腕、元投資銀行家
  • Robert Gates /Secretary of Defense、留任(イラク戦争主導)、元大学学長
  • Hilary Clinton /Secretary of State、 ビル・クリントン夫人
  • Timothy Geitner /Secretary of the Treasury、ビル・クリントン政権(ルービン長官の部下)
  • James Jones /National Security Advisor、海軍大将(戦争のプロ)、元NATOのトップ
オバマの財務スタッフはガイトナーだけでなく、クリントン政権でガイトナーのボスであったルービンやサマーズも顧問としてチームに入れている。ルービンはついこの間までシティバンクの経営陣だった人、クリントン政権でもさんざん日本政府にプレッシャーをかけた人ではないか。大前研一もどこかで指摘していたようにシティへのBAILOUTはよく分からない。デトロイトの自動車メーカーとのバランスが悪すぎる。金融だから影響が大きいということだけで説明できるのだろうか?

エマニュエルは非常に高圧的で強引なスタイルからRahmというファースト名からRahmboと言われたこともあるらしい。話すところをニュースで見たが、何となく分かるような気がする。クリントン夫妻とは人生観が近いかも知れない。ガイトナーという人は育ちからすると(お父さんはフォード財団の人で、アジア各国で育ったらしい)少々温和な気もする(NY連銀 FRBのトップも務めていたそうだから優しくはないと思うが)。ロバート・ゲーツはイラクからアフガンに戦線が移ったら辞職すると言われている。果たしてオバマがホワイトハウスでエマニュエル、ヒラリー、ジョーンズの3人を掌握できるのだろうか?

(続く)
      

ちょっとだけイスラエル 1-3 (2009年1月の日記)

    

2009年1月4日(1)

イスラエルがガザを空爆した

中東問題は紀元前にもさかのぼる長い歴史があって複雑でよくわからない。よく分からないから私はアラブ側でもイスラエル側でもない。いつも気の毒なのはパレスチナ難民だ。はっきりと言えることは宗教の力は恐ろしいということ。世界の国は究極的には宗教でつながっていることがよくわかる。

今の日本は宗教がないも同然だからこういった感覚は分からないのだろうと思うし、私自身も宗教心は持ち合わせていないので分からない。歴史の浅いアメリカは壊れたように無茶苦茶ばかりやっているけど最終的にはカソリックやプロテスタントやユダヤ教でつながっているんだろうと思う(神様の数という意味でも日本とは異なっているが)。

今回のイスラエルのガザ侵攻はタイミング的に何となくきな臭い匂いがする。アメリカが招いた世界的な金融危機、それに、共和党のブッシュ政権から民主党のオバマへの政権交代の直前というタイミング。アメリカ経済復興の目玉となる材料がない、、、等々。

昨日(2009年1月3日)、ブッシュ大統領がイスラエルを支持するような発言をしていたのをCNNで見た(実際には、「ハマスがミサイル攻撃を継続する限りイスラエルを支持する」と言っていた)。

戦争が勃発すると誰が得をするか?

イスラエルの戦略は「戦争は必ず敵地領内で行う」らしい。これは、アメリカの戦闘戦略と同じだ。敵地に先制攻撃を行うか、代理戦争をさせるか。アメリカの産業の最後の砦はやはり兵器産業だろう。新しいテクノロジーも大概が軍事産業から生まれる。イスラエルがパレスチナを空爆したり、ミサイルを撃ち込むたびに誰がもうかるのだろうか?

イスラエル軍の主力はマクドネル・ダグラス社(現在のボーイング社)のファントムだし、銃はアメリカのコルト社製のM4カービン。ちなみにボーイングは民間の旅客機が売れないのでマクドネル・ダグラス社を1997年に買収したことは周知の事実だ。ウォールストリートの金融街、または、NYのビジネス街はユダヤ人で成り立っている。今のアメリカはユダヤ系アメリカ人が動かしていると言っても過言ではないかも知れない。ユダヤ人の国であるイスラエルに反対する意見は通り難いのは事実だろう。

念のためだが、私はユダヤ人に対する偏見はない。日本の世の中が日比谷公園の派遣テント村に注目している間に世界は恐ろしいことになろうとしているかも知れない。
   
   
2009年1月4日(2)

少しだけイスラエル軍

イスラエル軍はアメリカからの多額の軍事援助金でアメリカ企業(ボーイング社、コルト社、、、等々)から武器を買っている。ドルが流動する。もしかしたらイスラエルは軍事教育や戦争そのものをチェイニー副大統領が関与すると言われているハリバートン社なんかにアウトソースしているかもしれない。湾岸戦争とかイラク戦争の下請けはハリバートンがメインの業者だったと聞いたことがある。軍事はハイテクそのものだから、勤勉なジューイッシュのイスラエルの若者はハイテク分野でも開発力とか応用力を発揮するのかも知れない。ハイテク機器を運用して改良していくにはアメリカの片田舎から来た兵士よりもイスラエルの若者を使ったほうが改善速度が速いのかもしれない。

ご承知だと思うが、私は軍事産業のことやハリバートン社のこととかよく知らない。

少しだけイスラエルの歴史

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教、それぞれが聖地とするエルサレムの取り合い。

戦いは紀元前から続いている。キリスト教もイスラム教もユダヤ教から派生したものなのに。世界を牛耳るアメリカの歴史はたかだか200~300年。でもエルサレムの戦いは2000年以上続いている訳だ。第二次世界大戦後にイギリスがイスラエルという国を今の場所に作ったのが問題の発端だろう。実際、イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領は、「イスラエルは欧米諸国のどこかに作ればいいじゃないか」と言っている。はっきりと言うから、それも、NYの国連やコロンビア大学で演説するからアメリカはよけいに頭に来る。

面と向かってアメリカに楯突くヤカラはそう多くはいない。イスラエルはもともと住んでいたパレスチナの人たちを追い出して与えられた領土を拡大しにかかった(もっと大昔はユダヤ教を信じる色んな人たちが住んでいた)。エルサレムに関してもイスラエルだけが自分らの首都だと言っているのだが、世界は認めていない。

オバマ政権はどう対応するのだろうか?

イスラエルはオバマ政権になるとやりにくいかもしれない。もしかしたら、新大統領オバマがどういう態度に出てくるか分からないので、このタイミングでドンパチ始めたのかも知れない。国連決議でも常任理事国のアメリカが反対したら国連は強制停戦決議できない。アメリカは早々とブッシュがイスラエル支持を発表している(具体的には「ハマスが悪い」と言っている)。

実際のところは分からないけど、今回の戦争は長引けば長引くほどドルが流動するし、アメリカの軍事産業にお金が落ちるようになっているのではないか?1月20日がオバマの就任式だから、それまでは毎日ハイテク兵器を撃ちまくるのではないだろうか?2週間続けるとかなり在庫ははけるだろう。   

(続く)



2025年4月12日土曜日

タケノコの季節(旬ということ)

 


今年もタケノコの旬(竹+旬=筍)がやってきました。


タケノコが終わると鳥取のラッキョウ、その後は和歌山の南高梅です。一年が経つのが早い。今年はいつもの杏が手に入るのかそれが問題だ。それにしても今年のタケノコの値段には驚きでした。

私は幸運にも過度の苦痛のない高齢者の日々を暮らしていますが、チャーリーが存在している事で、私のちょっとしたストレスは消えていきます。一つの人生を共有しているわけです。


チャーリーは決して指示通りには動かない。飼い主に似たのか兎にかく反抗的です。しかし、そばにいるだけで落ち着く。自分が要介護の身である事なんてお構いなし。もちろん私が悪人か善人かは関係ない。人間にはあり得ない存在なのです。  

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2025年4月10日木曜日

アメリカの狙い

 2001年8月に作成した中国に関するビジネスプランの資料の一枚です。私のニューヨークから上海への異動は2002年の夏でした(アメリカ同時多発テロ事件により一年延期された)。

Turning Point は2001年12月11日の中国のWTO加盟にあります。アメリカは中国を自由化してしこたま儲けてやろうと企てていました。私がNYから上海に異動したのも中国のWTO加盟により中国でコンサルビジネスが盛んになるという目論見から来ています。

このスライドを作成した意図は当時の会社幹部(アメリカ人)に「WTO加盟で中国は変わるのか?」という問いかけです。私なりのリスクヘッジでした。25年経過したいま振り返ると、アメリカの思い描いた理想通りに中国は変わらなかったことは明らかです。中国の国家資本主義を発展させただけでした。 

アメリカは(トランプというよりも次世代リーダーたち)アメリカの産業構造を転換させて国内で生産できる国への転換をしたいと思っています(Rust Belt の再生)。2000年当時の全世界的な自由貿易ではなく、アメリカとアメリカに同調する国 vs. 中国と中国に従う国の2分化を考えていると思います。25年前の反省から。

トランプが日本の首相との電話会談後にSNSで発したコメントの最後の「すべてを変える必要がある、特に中国に関しては!!!」の意味するところだと思います。 

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2025年4月9日水曜日

辛抱強さや寛容度の限界

 


武蔵野で起こっていること

10年前にここは町の電気屋さんでした。ところが外国人や若い人が住むアパートが建った。

高齢化が進み、ここ10~20年一人暮らしの老人の一軒家が取り壊され安普請のワンルームマンションに建て替えられています。解体業者は埼玉ナンバーでやってくる中東や北アフリカ人で荒っぽい。住人は中国やアジアの若者が多い。近所の英語学校も外国人の日本語学校に変わりました。私は相手の地位や肌の色で差別するようなことはしないのですが、悲しいことに私の性格も変化してきたのかも知れません。     

違反ごみは更なる違反ごみを呼びます。一つでも違反ごみが現場にあると、あっという間に集積所は無法地帯と化す。それらが収集されず長時間放置されればカラスに荒らされる。困ったことに日本の事情に疎い外国人だけでなく、若い日本人のゴミ捨てモラルもどんどん悪化しています。     

明らかに社会構造が加速度的に変わっているのです。地域社会の深層にかかわる問題なのです。「ほどこして忘れろ、ほどこしを受けたことだけ覚えておけ」というのは昭和の任侠映画の中だけになってしまったのか? 日本人もかつての辛抱強さや寛容度は無くなってきた。由々しき事態です。    
   
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2025年4月8日火曜日

自らの思想をもつ日本人

以下は『学問のすすめ』 第四編 「学者の職分を論ず」の結びの一行です。

無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢(みだり)に給料を貪って奢侈の資(もと)となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

無芸無能のくせに、僥倖、つまり、思いがけない幸運で権力の座につき、高給をもらって贅沢三昧、戯れに政治を操る、こんな奴は自分の友ではない。

『学問のすすめ』から150年、今の日本を僥倖に恵まれた結果とみるか日本人の実力の賜物とみるか、どうでしょう?

江戸も末期に近い天保時代は現代の社会情勢に似てる気がします。

武士の序列社会が腐敗し、武士は武士道を忘れ私利私欲のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならなくなった。そこで天災や飢饉が起こる。現代の日本の政治家はどうでしょう? 大企業の係長か課長補佐のように小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。

現代の日本は政治家だけでなく国民は虚無的で「公」に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。テクノロジーが急速に進化し、何が真理であるか判らない真贋判定のできない時代に突き進んでいます。個人で出来ること、個人がやるべき事は何でしょうか? 徳を積む、道徳心を養うことです。それは自らの思想を形成することでもある。学校教育だけに頼ってはだめだ。

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2025年4月7日月曜日

騙されてはいけない

 出版不況が続く中で、自己啓発本が売れているそうです。


読書指向もアメリカ的になってきたのでしょうか?色んな面で日本はアメリカの後を追いかけています。グローバル化はアメリカ化だと言っている人もいます。私の感覚では日本は10~30年前のアメリカのようです。

アメリカ伝統の「ポジティブ産業」も日本にやって来ているようです。

英語で con man というのは信頼(confidence)を売る詐欺師のことです。短時間で信頼を勝ち得て(いわゆる騙して)偽物を売りつける詐欺師。アメリカ的自己啓発本って、なるほどというのもありますが、多くは con manを速成(促成)する手段なのです。

アメリカの日曜の朝に放送しているテレビ伝道も多くの宗教家も、宗教(神学)というよりも自己啓発産業です(life coach といわれる類です)。自己啓発本なんて、con man の重要なマーケティングツールだと思います。

「ポジティブ産業」に騙されちゃいけません。振り込め詐欺だけが詐欺じゃないのです。

情熱的な精神状態に入ってしまうと一人になって頭を冷やすことは難しい。 自立してない、つまり、個としての考えがないから、声高に叫ぶスローガンに身を任せるのが心地よいのかも知れません。

ニーチェは、一人ぼっちになって迷路の中を進んでいくこと、身の回りだけでなく遠くまで見渡せる眼を持つこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと、これらの事が意志の力であり、大切なことだと言っています。 福沢諭吉のようでもあり、小林秀雄のようでもあります。坂口安吾が『堕落論』で言っていることも同じですね。
  
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2025年4月6日日曜日

忌諱(タブー)に触れる

ヤクザの歴史は日本の歴史


ヤクザの最盛期は1960~1970年代にかけて。その後、共同社会型から利益優先社会型に変化した。日本のヤクザは欧米のシンジケートとは違う。中国の黒社会とも違う。日本の歴史の中で独自の起源や発展過程を経た。

日本の高度成長とヤクザの栄枯盛衰

日本社会は急激な高度成長を遂げた(1955年頃から1973年頃まで)。ヤクザの栄枯盛衰と重なっている。高度成長は良い面ばかりじゃない。負の遺産もいっぱい残っていて日本は平成令和ともがき続けている。

日本人はどう生きるべきか?

利益優先社会型の典型である日本のグローバル企業も伸び悩んでいる。日本の近代化を振り返り、根本的に考え直すしかない。大げさに聞こえるかもしれないが、日本人一人ひとりがどう生き抜いていくかが問われている。
 
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2025年4月5日土曜日

日米自動車摩擦での思い出

1983年4月から5月にかけて一か月アメリカに出張しました。当時中国最大の自動車会社の社長や重役達を私が勤めていたコンピュータ会社の施設やユーザー訪問のエスコートでした。12名の中国人を一人の若い日本人が全米を旅するという無謀なものでした。中国の自動車メーカーは後の東風汽車集団(武漢)です。1980年代は「二汽」といって軍事トラックや装甲車を製造していました。1968年に毛沢東の号令により湖北省十堰(シーイエン)に設立した軍事企業でした。


1980年代前半は日米自動車摩擦の話題でもちきり。日本からアメリカへの自動車輸出が最高に達した頃でした。自動車だけでなくアメリカ各地で日本製品排斥運動が起こり、デトロイトではトヨタの車を叩き潰すストリートパフォーマンスまで行われていました。そんな時に中国人の若者がデトロイトで惨殺されました。メディアは「日本人に間違われた中国人が殺された」と報道しました。

12人の中国人との旅程はデトロイトへ行く予定はなかったのですが、LAやダラスでの自動車会社の訪問を含んでいました。ダラスでのユーザー訪問はアメリカが誇る長距離トラックの製造メーカー Peterbilt 社でした。映画『コンボイ』がヒットした直後でもありました。Peterbiltのトラックが映画で活躍します。アメリカ人の友人や多くの人から「注意しろ」とサジェスチョンを受けたのですが、「だったらマシンガンでも持たせてくれるか?」と返答したものでした。

幸いなことに12人の中国人と一人の若い日本人の珍道中は色々と問題はありましたが生きて帰国することができました。        

The autoworkers who attacked Chin blamed foreign vehicle manufacturers for hardships in the U.S. auto industry.




2025年4月4日金曜日

「英語ができる」って?(2010年7月のブログ)

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_24.html 

これは15年前のブログですが、文章は1990年代初めに書いたものです。今読み返しても英語に関する私の考えは何ら変わることはありません。

英語によるグローバル化の進展への対応なんて中途半端な試みは止めて、学校での英語は選択科目にしたほうが賢明だと思います。それよりも日本語、つまり国語教育に重点を置いた方が長期的には日本人のレベルは上がるでしょう。

私の限られた経験から言えることは、① 概念を獲得し理解し、② 自分の考え(主張)を持つこと、そして、③ 日本人なのだから日本をよく知ることが大事です。それがグローバル化の基礎です。

日本語もできないのに(自分の反省ですよ)英語を使いこなせるようにはなりません。  

福田恒存『國語教室』(昭和35年)
福田さんがこの本で繰り返し説いているのは、

1.文字は決して發音をそのまま寫すものでなく、意味を寫すものである。
2.その觀點に立てば、舊カナづかひは決して習得に困難なものでない。
3.逆に表音主義は國語の音韻體系を根本から破壞するだらう。
4.狂信的なカナモジ、ローマ字論者が國語審議會を獨占して、國語を取り返しのつかぬ混亂におとし入れつつある。

カナモジやローマ字の多様は日本人の思考を多大なる混乱におとし入れましたが、狂信的な英語教育がそれに拍車をかけつつあると思います。

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2025年4月3日木曜日

英語がスラスラ? 無理です。

 
ゼレンスキーの英語とトランプとのミーティング

ホワイトハウスのオーバルオフィスでの公開記者会見です。両者が激しく口論するという前代未聞の事態が発生しました。「ゼレンスキー氏は母語でない英語で会談をしたために、不利な状況に陥った。ゼレンスキー氏は通訳を使うべきだった」という論調がメディア報道の主流のようでした。

私は20年ほどニューヨークに住んでアメリカ人の組織で働いていたのですが、結局は英語はできるようにはならなかったですね。しかし、ツルツルすべって掴もうとすればガブリと噛まれる、そういったサメのようなニューヨーカーと仕事をする上で気を付けていたことがあります。

① 相手よりもゆっくり話す
② I was just wondering if ~~~ で話を始める
③ could と might を多用しセンテンスを長くする
④ 相手の目を見つめる(eye ball to eye ball)
⑤ 絵を描いて説明する(簡単で抽象的なもの。絵を描けない人が多い)

英語がスラスラできなくても以上のことを守ればなんとかサバイブできます。ただし重要な文章(書く英語)は英語が書けるアメリカ人に任せることです。

風下に立たない。負け犬の遠吠えはやらない。臆病と卑怯は世界共通で嫌われるのです。

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2025年4月1日火曜日

ボロのように憂鬱

 
武蔵野市の桜(3月31日)


昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

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2025年3月29日土曜日

子育て ~ 親の心構え

 

NHK HP 「これからの育児」より

https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/?fbclid=IwY2xjawJTwn5leHRuA2FlbQIxMQABHVLOCUI1QU7u1Puw_4xWLBe5zG2y9CiTmVlkwZRaGmqC4QRKVE4dNiZ5FQ_aem_HkTc3ML-k0CtfBjf2trgtQ


世の中には種々雑多な「子育て論」があり関連書籍も数多く出版されています。子育てを以下の2つのフェーズに分けて①だけにフォーカスする「子育て論」がほとんどだと思います。

① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係

子供が成人すれば「後は勝手にやるだろう」じゃないのです。私ができているかどうかは別として、親の心構えは誠実で信頼できる親であることです。それが全てであると言っていい。成人した後でも親子関係は継続するのです。

それは親と子の関係に限らない人間関係そのものです。普通の他者との関係を忘れないのが親として自分が死ぬまで続く子育てじゃないですか? 多くの「子育て論」に書かれているような親になろうとする必要はない。子供は親の言っている事とやっている事のギャップを見ています。つまり親の言葉と行動(態度)との関係です。それが信頼関係構築の過程です。私は生意気なガキだったので、中学生の頃は教師のあらさがしばかりやっていました。結果、信頼できない学校や先生とは距離をとった。

日本社会はアダルトチルドレンばかりのような気がします。多くは子供の頃からの親との関係に問題があったからです。それがそのまま会社では上司と部下の関係になる。本心では他者と関われない。仮面をかぶり続けるのです。

要するに親は自然にふるまえばいい。

口だけの親も教師も政治家も誠実だとは言えない。そして信頼される訳はない(総理大臣と国民の関係も同じですよね?)。
  
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2025年3月28日金曜日

アメリカ人であることは恥ずかしい

 ハートのナンシー・ウィルソン「ベトナム戦争の時、自分たちをアメリカ人と呼ぶのがちょっと恥ずかしかった。今はもっと恥ずかしい」
2025/03/25 11:13掲載

Nancy Wilson, photo courtesy of artist
「今、アメリカ人であることは恥ずかしい」。ハート(Heart)のギタリスト、ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)は、ベトナム戦争を米国にとって恥ずべき時代だったと振り返る一方で、今のアメリカの「淫らな大富豪カルチャー」を痛烈に批判し、今はアメリカ人であることが、もっと恥ずかしいと語っています(記事より)。https://amass.jp/181604/
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1986年6月26日NHKホールでハートの公演を観ました。当日の録音がLIVE盤になっていることを最近になって知ったのですが、手に入れることはできませんでした。39年前アン&ナンシー姉妹も若かった。私も同様に若かった。

私が憧れのアメリカに初めて行ったのはベトナム戦争直後でした。成田空港の開港前で、赤い絨毯が敷かれた羽田国際線からの出国です。グレイハウンドのバスでアメリカを縦断したのですが、そこに見たのは疲弊して自信を失ったアメリカでした(ナンシーの言葉通り)。子供の頃からアメリカに憧れてきた私は大きなショックを受けました。しかし、今のアメリカは私が暮らした1989~2009年のアメリカよりも更に落ち込んでいます。これもナンシーがインタビューで語っている通りです。

アメリカはアメリカのアイデンティティを失った

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2025年3月26日水曜日

D₇が押さえられれた! 

 


やっとD₇が押さえられるようになりました。昨年11月に転倒して(老人!)痛めた左手の人差し指と中指が4か月かかってようやく治ってきたみたいです。


I can finally hold down the D7 code, The index and middle fingers of my left hand, which I injured in November last year, seem to have finally recovered after 4 months.

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2025年3月23日日曜日

コロッケ蕎麦で判断力を鍛える

 

コロッケ蕎麦

いつコロッケを崩すのか? 

最初はおつゆをずずーっと。それから蕎麦をひと口すする。いきなりコロッケを崩すなんて野暮はいけません。コロッケって衣がしっかりしている訳ではありません。つゆを吸って急速にふやけていくのです。

つゆに浸かった下の面はしんなりとしはじめます。上の面はまだカリっとした状態です。この一瞬が大事なのです! ここでコロッケをひと口かじる。

下はしんなり上はカリっ。やがてコロッケを崩す決断のときがやってきます。関東風のかつお出汁のおつゆはコロッケがポタージュ化して最後の一滴まで飲めるのです。

判断力や決断力をこうやって鍛えられます。

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2025年3月21日金曜日

Freedom and Responsibility (自由と責任)

Cooking is like experimenting. You try anyway. I fail, but I wouldn't stop. It is just like everyone's life. You don't give up even if you don't get recognition. It's true for my "Niku-jyaga"(Japanese beef and potatoes). Even if you fail, you keep on making it. Failure is a part of my life. It's food for thought. This time, Niku-jyaga was well done.


Education before the 15-year war of the Showa period placed more importance on the “ears” and the “mouth. However, in the 80 years after the defeat of the war, education was focused on “eyes” with an emphasis on entrance examinations.

Cooking and music are not interesting unless there is someone to eat and listen to them. Studying for exams alone is boring. Knowledge that you think with your eyes is in the past tense. It is like accounting versus finance. It doesn't produce originality.

The “ears” and “mouth” are more important than the “eyes. When the intellectual activity performed by the mouth stops, the elderly become blurred. A guitarist should sing even if he is tone deaf. It is always better to think with the eyes, ears, and mouth in a balanced manner. And when multiple eyes, ears, and mouths come together, new things are created. 

It is freedom and creation. The base of freedom is responsibility. Japanese education has taken away freedom and deprived children of their ears and mouths. Because there is no freedom (Japanese equality), people do not think about responsibility. It has been 100 years since the Showa era. We still don't realize it.

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2025年3月19日水曜日

眼と耳と口のバランス

 

料理は実験みたいなものです。とにかくやってみる。失敗する。でも止めない。人生と同じです。評価されなくてもへこたれない。肉じゃがだって同じ。失敗しても作り続ける。失敗はするものなのですよ。糧になる。今回は上手にできました。


昭和の15年戦争前の教育はもっと「耳」と「口」を大事にした。ところが敗戦後の80年は受験中心の「眼」の教育に徹した。

食べてくれる人や聞いてくれる人がいないと料理も音楽も面白くない。勉強だって一人で受験勉強なんてつまらんでしょう。眼で考える知識は過去形。ファイナンスに対するアカウンティングのようなものです。独創性が生まれない。

「耳」と「口」が「眼」以上に大切なのです。口で行う知的活動が停止すると高齢者はボケる。音痴でもギタリストは歌った方がいい。眼と耳と口で考えるのがバランスがとれていいに決まっています。そして、複数の眼と耳と口が一緒になることで新しいことが創り出される。自由と創造です。自由のベースは責任です。日本の教育は自由を奪い耳と口を奪ってしまった。自由がないから(日本的平等)責任を考えない。昭和も100年です。まだ気づかない。

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2025年3月15日土曜日

一生のうち自由度が一番高いのは?

 
NHKニュースより

70代80代のオツムの悪い部分が世襲されて、今の50代60代が彼らと同じように年を取って行かないか心配です。

30代40代が事なかれ主義になってもらっては困る(支持政党特になしが多い)。支持政党特になしは、現総理に正統性を認めているという事になります。民主主義ですから。

50数年ぶりにルース・ベネディクト『菊と刀』を所々読み返しました。以下の記述があります。1940代、日本に一度も来た事がないベネディクト女史が調査した日本です(AIもインターネットもPCや携帯もない時代ですよ!)。

1.世間の期待通りに生きる(自分を殺しロボットになる)
2.世間を無視し自分の信念に従い生きる
3.1と2の狭間で彷徨い続け年老いていく
  
人生の時間で日本は欧米と真逆です。それは、子供の時と高齢者の時が一番自由度があり、甘やかされているということです。欧米は一般的に壮年期が一番自由度が高い。つまり自由に自分の意志で自分の人生を歩まなければならないのです。   

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2025年3月5日水曜日

アメリカの現状と今後、そして日本は?

 

目は口程に物を言う

自分を客観視しながら人生を生きてこなかった人は、アンテナを高くして全体を見ながら一歩前に踏み出すことはできないものです。

アメリカの現状と今後

私が最初にアメリカに行ったのは1976年。ベトナム戦争が終わりアメリカは精神的に落ち込んでいた。中国の生活や仕事を経てNYに異動したのは1989年。アメリカ人は皆がナルシストになった。自己中ということです。self self self と言い出した。自己啓発本は売れまくった。自分のことだけを考えるアメリカができあがった。


その後移民が増え、イギリス的、つまりアングロサクソン的価値判断やプロテスタント的な価値観(WASP文化)が消滅した(1990年代)。アメリカが求めてきた自由社会の前提は自己規律(道徳)です。それが自由な社会を構築する。ところが直近の20~30年で移民もヨーロッパからだけでなく雑多な移民が増え自由とは言ってられなくなった。本来のアメリカ人は余裕がなくなりアメリカ人の心が狭くなった。

サミュエル・ハンティントンの『Who We Are? ~ The Challenges to America's National Identity』(2004年)より。

①アメリカの覇権体制が崩壊する
②国内の人種対立がさらに激化する
③アイデンティティが喪失する(アイデンティティを持たない不安定な国)
④アメリカは弱体化し、中国が台頭する

そして日本は?

「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」(『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ 16世紀 フランス)。

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2025年3月1日土曜日

幸せな高齢者になるための準備

就職氷河期世代 これから直面する課題(NHK)

初回放送日:2025年1月20日

バブル経済崩壊を受けて、新卒での就職が難しかった「就職氷河期世代」。今後直面する可能性が高い住まいや介護などの課題と求められる対応について考えます。



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バブル崩壊が1991年で就職氷河期が始まりました。1970年~1991年生まれを就職氷河期世代というそうです。彼らはトランプを支持するラストベルトの白人労働者層とは「≒」ではない(上の記事参照)。

トランプを支持する白人労働者層はエリートが世襲していく知性主義に反対しています。つまり、ピケティが主張したr(資本収益率)>g(経済成長率)に似ています(既得権益はオカシイだろうと言っています)。ラストベルトの労働者層は高等教育を受けていない人が多い。貧困のレベルは日本よりも悲惨なのです。     

日本の場合、政治家には世襲の弊害が大いにあると思いますが、反知性主義はアメリカのようにモチベーションになるとは思わない。日本の氷河期世代には優秀な成績で有名大学を卒業した人も多いからです。彼らはこれから50代後半に入る。学校で学んだことを全て捨て去って、自分で勉強をし直すことをお勧めします(流行りの手先のリスキリングではありませんよ)。まだ間に合う。視野を拡げ思考の抽象度を上げる。60歳まで継続すると比較的健全で幸せな高齢者になれる!
     
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