2025年12月12日金曜日

哲学のない世界で上手に迷子になるために

 
薬師寺(亡き父の撮影)

哲学のない世界で上手に迷子になるために

――考えること・悩むこと・無知を自覚することのすすめ――

私たちはよく「哲学」と聞くと、ギリシャの白い石柱の下でひげを触りながら思索にふける老人の姿を思い浮かべます。しかし、私が哲学と言っているのは、そんな高尚なものではありません。哲学とは、実はもっと泥臭くて、もっと生活感のある営みです。考えること、悩むこと、そしてなにより――自分は無知であると自覚し続けること。これだけで、もう立派な哲学者なのです。

なぜそんなことが大事なのか?それは逆を考えればすぐにわかります。愚か者というのは哲学ができない人のことだからです。

哲学ができない人、つまり考えない人、悩まない人、無知を自覚しない人。他者の言葉をそのまま飲み込み、自分の足で立たず、他人の判断に乗っかって生きていく人。

こういう人が権力の座につくと、世界はだいたい不幸になります。歴史を見れば枚挙にいとまがありません。私が敬愛する水戸の黄門様も言っていました。

「こんな大変な時だからリーダーの足をひっぱるな」という人がいますが、いやいや、そもそも足を引っ張られるようなリーダーを選んだのは誰なんでしょうか。哲学をしなかった国民が、哲学をしない政治家を生み出したのだとしたら、それは悲劇ではなく必然です。

日本人は「無駄と余裕」が嫌いである

私は昔から日本人は「無駄」や「余裕」が大嫌いだと感じています。しかも困ったことに、それが文化レベルで染み込んでいる。会社で意味のない結論のでない会議を午後5時から延々とやるような無駄をやる割には「無駄は敵だ!」とばかりに余裕を叩き潰す。

完璧主義はさらに拍車をかける悪癖です。アメリカや中国なんて欠点だらけですよ。問題だらけの中から、“まあいいか”と前に進んでしまう。強引さもある。しかし日本は違う。

 問題が100%解決しない限り前に進まない。
 しかも誰かが少しでも余裕を見せたら、袋叩きです。

それでは新しい発想や魅力が生まれるはずがありません。私はずっと「無駄とか余裕から魅力が生まれる」と言い続けていますが、日本ではなかなか受け入れられません。そりゃあ長年日本を離れていたくもなるというものです。

ところで政治の世界で「仕分け」という言葉が持てはやされた時期がありますが、私は最初、「簿記の話?」と本気で思いました。政治の世界でまでコストカットとは、もはや笑うしかありません。アカウンティングとファイナンスのバランスが悪すぎる。 

人間とは矛盾そのもの

ソクラテスのギリシャ哲学からヘーゲル、マルクス、毛沢東まで、多くの思想家たちが「矛盾」を語ってきました。なぜ人間はこんなにも矛盾だらけなのでしょう。

 私は思うのです。
 人間は生まれてから死ぬまで、矛盾との戦いだからだ。

生きるということそのものが、自分の中にある無数の葛藤を引き受ける作業です。だから人間の作る政治や外交なんて、矛盾や葛藤の塊で当然なのです。「遺憾だ!」と列島の中だけで叫んでみたところで、矛盾は一ミリも減りません。

矛盾を解決する力こそ哲学であり、考える力なのです。

失敗を記憶するという智慧

リーダーに求められるものは、世界的な視野、歴史と文学への素養、そして責任感。この三つが揃わないと国はまともに運営できません。凡人が運命に逆らって国家権力を握ると、だいたい独裁になります。これは歴史が証明しています。

スペインの哲学者オルテガは言います。
 「人間の真の宝とは、積み重ねられた失敗である

人類は何千年という時間をかけて、失敗という名の宝石をため込んできました。そこから学ばないなら、もはや人間とは呼べません。

ニーチェもこう言いました。
 「超人とは、“もっとも記憶力の良い”人間である
 失敗を覚え、そこから学び、自分を更新し続ける者こそ強い。

日本では、歴史の失敗と向き合うことを避ける人が多い気がします。宗教の原理主義や独裁政治のせいではなく、単に無関心(虚無)と勉強不足でしょう。

「なんとなく信じてしまう」人々が大量生産される社会では、哲学は育ちません。問い続けることです。

日本の近代化の「精神的不徹底」

世界史の歩みは、ルネサンス、宗教改革、フランス革命を経て近代国家へと至ります。その中核は三つの精神です。
  • Humanism(人間主義)
  • Rationalism(合理主義)
  • Personalism(人格主義)
特に重要なのはこのPersonalismです。自分を自律的な主体として捉える態度。これが欠けている社会は、どんなに文明が進んでいても「近代」とは呼べません。

明治の文豪たち――漱石や鴎外――が明治政府の「上滑りの文明化」を批判したのは、この精神的近代化の遅れを感じていたからでしょう。鹿鳴館のドレスと燕尾服の下には、まだ「自律した個人」が育っていなかったのです。

150年経った今も、日本社会全体が自律した人格を確信できているかと言えば、どうにも怪しい。働き方改革の議論にしても、歴史の文脈を共有しないまま「効率」「生産性」と叫んでいるだけに見えます。

自律とは、迷路の中を歩く覚悟である

ニーチェは、「一人で迷路を歩く勇気こそ意志の力だ」と言いました。見える範囲だけでなく、遠くを見渡す目。新しい音楽を聴き分ける耳。そして、孤独に耐える力。これが哲学であり、自律の証です。

サルトルもまた、「実存が本質に先行する」と述べました。人間は、生まれた瞬間には何者でもありません。経験し、学び、出会い、失敗し、悩む。その積み重ねによって、自分の本質を形づくっていくのです。

つまり、自分の人生を自分の決断で生きるしかないということです。誰かの言葉を借りて生きているうちは、いつまでも「他者の人生」を生き続けるだけです。

いま、世界は「哲学のない世界」に突入している

SNSのタイムラインは瞬間的な反応の洪水で、人々は“考える前にクリックする”生活に慣れ切ってしまったようです。悩む時間を「非効率」と呼び、無知を自覚することを「恥」と思う世の中。生成AIは、さらにそういった状況を加速させる。

そんな社会で、哲学はますます軽視されます。考えない国民が増え、考えない政治家が選ばれ、そして考えない世界ができあがる。

私は今の世界が、まさにその段階に入ってしまったのではないかと思っています。

だからこそ、哲学なのです

哲学とは、別に難しい言葉や学術書を読むことではありません。

 考えること。
 悩むこと。
 無知を自覚すること。

それだけで、人は愚か者にならずに済みます。

日本のように「無駄と余裕を嫌う社会」でも、個人レベルで哲学することはできます。むしろ、哲学とは個人の営み以外の何ものでもありません。社会がどうであれ、自分が考え続けるかどうかは自分で決められるのです。

人類の歴史は、失敗の積み重ねでできています。 ならば私たちも、悩み、失敗し、考え続け、生きるしかありません。

迷路の中を進む一人の旅人として。
そして、自分の人生に責任を持つために。

以上が、極めて凡人である、私の考える「哲学」なのです。

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2025年12月11日木曜日

ハーモニカと人生後半の幸福について

 
Juke 2nd 12 Bar ”2nd hole bend"

久しぶりにリトル・ウォルターの『Juke』を吹いてみました。何十年経っても、この曲を前にすると、気持ちが17歳にもどってしまいます。私にとって『Juke』という曲は、人生の長い旅(?)の途中に時おり姿を現して、「おい、まだやってんのか?」と笑いかけてくる古い友人のような存在なのです。

ウォルターとの“邂逅”

私がリトル・ウォルターに出会ったのは、まだ10代の後半、大阪ミナミの街を彷徨していた頃でした。心斎橋の阪根楽器というレコード屋で、たまたま流れてきた彼のブルースハープの音に、心をすっかり持っていかれ、「黒人のブルース音楽」に引きずり込まれたのです。

すぐに10穴のブルースハープを手に入れて、意気揚々と吹いてみるのですが、まあ、出てくるのは自分でも笑ってしまうほどのフォークソング調の頼りない音でした。吸っても吹いても、どうひっくり返しても、あの“ウォルターの黒い音”はどこにも転がっていません。「特別なハーモニカでも使っているんじゃないか?」と本気で思ったほどです。

当時は何の参考資料もなく、もちろんYouTubeの解説動画なんて夢のまた夢。手探りでふーふー吸っては吹き、吸っては吹き……。今思えば、よく集合住宅の近所から苦情が来なかったなと不思議なくらいです。

特に『Juke』の12バー(小節)の2サイクル目。あの1〜8バーは、10代の私はもちろん、50代、60代になっても、まともに「分かった」と言えるレベルに届きません。半世紀たった今でも、あの部分は私にとって“永遠の宿題”のようなものです。

『Juke』という奇跡の曲

リトル・ウォルターの『Juke』という曲は、1952年に発表された、ブルースハーモニカの歴史を塗り替えた名曲です。ハーモニカだけでR&Bチャート1位を取ってしまうなんて、今でいうと大谷翔平レベルの快挙です。

彼はアンプリファイド・ハーモニカ――つまりハーモニカをマイクにくっつけて、増幅した“電気ハープ”の先駆者で、まるでアルトサックスのような、鋭く、それでいて温かく震える音色を作りました。あの不安定なユラユラする音を初めて聴いたときの感動は、半世紀経った今でも色褪せません。

ウォルターの革新性は、テクニックだけではなく、それを軽々と、まるで道端を鼻歌まじりで歩くように吹いてしまうところにあります。こちらは必死に息を吸っては吹いているのに、ウォルターは「Hey, man. Take it easy」とでも言うような余裕のある音を響かせる。この温度差がまた、彼に惹かれる理由なのです。

半世紀たっても“敵わない相手”がいる幸せ

私には音楽の才能はありません。これは、長年周囲からも念押しされ、そして自分でも納得している事実です。しかし、才能がないからといって、やめてしまったら、それこそ人生はつまらなくなってしまいます。

『Juke』に挑むと、いつも「ああでもない、こうでもない」と悩みながらも、どこか楽しい。ウォルターの音を探して彷徨いつつ、見つからないまま今日まで来てしまいましたが、最近ようやく「見つからないのもまた楽しさの一部なのでは?」と感じるようになりました。

50代以降になって分かったのは、「敵わない相手」がいてくれることのありがたさです。人生の後半で、まだ越えられない壁がポツンと残っているというのは、なんだか嬉しいものです。壁があるからこそ、人は前に進める。ウォルターは、私にとってそんな存在です。

「ないもの」ではなく「いまあるもの」に気づく

人はどうしても「自分にないもの」に目を向けがちです。若い頃の私は、まさにその典型でした。ウォルターのような音が出ない。でも彼のように吹きたい。どうしてできないんだ、、、、。

しかし、半世紀かけて分かったことがあります。
人生は、ないものを数えても豊かにはならない。今あるものを数えてこそ豊かになる。

才能はなくてもいい。うまくなくてもいい。むしろ下手なほうが、長く楽しめるのかもしれません。もし若い頃から上手に吹けてしまっていたら、私はきっと今ほどハーモニカを続けていなかったと思います。

この感覚は、和田秀樹先生の新刊『医師しか知らない 死の直前の後悔』にある多くのエピソードにもつながっているように思います。和田先生は、長年高齢者医療に携わる中で、人が人生の最後に何を後悔するのかを丁寧に綴っています。

 「もっと家族を大切にすればよかった」
 「もっと旅行すればよかった」
 「もっと仲間と交流しておけばよかった」

これらは、すべて“今あるものを大切にする”ということの裏返しです。人は、失ってからようやく気づく。けれども、本来は、生きているうちに気づいたほうがいいに決まっています。

高齢化社会の日本で、「幸福」をどう育てるか

日本は世界でもトップクラスの高齢化社会です。否が応でも、「老後の幸福」というテーマに向き合わざるを得ません。ただ、ここで大事だと思うのは、「国がどうするか」ではなく、「自分がどう生きるか」です。

そして、人生後半の幸福の本質は、とてもシンプルなものだと思うのです。
  • 自分の好きなことをゆっくり続けられること
  • 心を許せる仲間がいること
  • 何度でも読める本が一冊でもあること
  • 今日のご飯が美味しいと思えること
  • そして、明日の自分が、今日よりほんの少しだけ機嫌よくいられること
この「今日より明日を少しだけ良くする」という感覚は、ハーモニカの練習そのものと似ているように思います。昨日より、ちょっとだけ良い音が出せた。今日は昨日より少し長く吹けた。それくらいのペースで十分なのです。

高齢者が幸せになるためには、特別な才能も、高価な趣味も必要ありません。
“今あるもの”を丁寧に味わう力。それだけで人生は十分に豊かになる。
私はそう信じています。

『Juke』が教えてくれたこと

久しぶりに『Juke』を吹いてみて、あらためて思いました。

10代の頃にリトル・ウォルターと出会えたのは、私にとって間違いなく幸運でした。半世紀かけても攻略できない曲がいまだに存在するというのは、考えようによっては、とても贅沢なことです。

人生の後半では、「人より劣っているところ」よりも、「自分だけの幸せ」を一つずつ増やしていくことのほうが大切なのだと思います。ウォルターの音は一生出せないかもしれません。でも、下手なりに吹き続けて、時おり「あ、今日はちょっとだけマシだな」と思える瞬間、それが楽しくてたまらない!

人生もまた同じではないでしょうか。
完璧を目指す必要はありません。
昨日より今日、今日より明日を、少しだけ良くしていく。
その積み重ねが、人の幸福をそっと育てていくのだと思います。

そして私は、これからもウォルターと対話しながら、『Juke』の2サイクル目に挑み続けるつもりです。70代になっても、80代になっても、たとえ吹けなくても、その時間そのものが、きっと私の人生を豊かにしてくれるはずです。

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2025年12月10日水曜日

個人主義の不在:漱石の警告と日本社会のいま ~ 考える自由より、従う安心を選ぶ国民へ

 

私の個人主義と、いまの日本という舞台について

高校生の頃に夏目漱石の「私の個人主義」を読んだとき、私は大きな衝撃を受けました。漱石が大正三年、学習院の学生に向けて語ったあの講演は、百年以上前のものとはとても思えないほど現代的で、そして鋭いものでした。「修養を積まない個人に、自由を扱う資格はない」「自由の背後には義務がある」という漱石の言葉は、私自身の人格形成に強く刻まれました。

半世紀以上経った今でも、私の考えはほとんど変わっていません。変わらないどころか、最近の日本社会のあり様を見ていると、むしろ漱石の言葉の重さは増す一方です。政治家も、メディアも、そして私たち国民も、「自由」と「責任」の関係性をどこかで取り違えているのではないかと感じるからです。

「自由」と「自分勝手」が混同されている国

そもそも日本では、「自由」と聞くと、どこか悪いことのように思われている節があります。子どもの頃から「勝手なことをしてはいけません」と言われ続け、そのまま大人になった私たちは、「自由=わがまま」という誤った等式を知らぬうちに心の中につくりあげてしまったのではないでしょうか。

自由とは、本来、互いの自由を尊重し合うためのルールを引き受け、責任を背負う覚悟をもつことです。しかし、日本では「責任」という言葉が出てきた瞬間、多くの人がスッと後ずさりする。責任を取る覚悟がないから、自由に近づくことすら避けてしまう。ある意味、非常に合理的です。面倒ごとを避けたい人にとって、「自由を放棄する」という選択は、責任も一緒に手放せる便利な方法なのです。

その結果、「個人の自由」よりも「空気を読む」という、世界でもかなり特殊な社会的ルールだけが異様に発達しました。自由よりも空気の方が強い社会。漱石が見たら、苦笑いしながら筆を走らせそうです。

政治家たちの「自由」はなぜか経費で育つ

こうした「自由と責任の不均衡」は、日本の政治の世界ではより露骨に現れています。政治資金収支報告書に並ぶ、社会通念上どう考えても首を傾げる支出の数々。遊興費、高額な備品購入、そして“何に使ったのかよくわからない”謎の項目。まるで、自由とは「公金を自由に使う権利」だと勘違いしたまま成長してしまった大人たちが、国会という舞台で演じているかのようです。

しかも驚くべきことに、これらは政治家個人の倫理観の問題であるにもかかわらず、「政治資金パーティーの仕組みが悪い」「法律が十分ではない」といった、責任転嫁のための舞台装置まで完備されています。責任を取るべき立場の人ほど、責任の所在を曖昧にする術だけは抜群に長けている。その姿は、漱石が説いた「修養ある個人」とは対極です。

 世襲議員が幅を利かせ、社会経験が乏しいまま政治家になれる仕組みも、この国の「個人主義の欠落」を象徴しているように思います。漱石が「権力を扱う価値のある人とは、修養を積んだ人だ」と語ったことを、ぜひ議員宿舎の枕元に貼っておきたいくらいです。

メディアは「国益」よりも「クリック数」を追う

政治家と並んで、もうひとつの大きな問題はメディアです。ジャーナリズム精神はどこへ行ったのか、まるで国全体を視聴率で運営しているのではないかと思う瞬間が増えています。

事実よりも数字、検証よりもスキャンダル、国益よりも炎上。結果として、政治家はますますパフォーマンスに走り、有権者は刺激ばかりを求めてしまう。社会全体が「考える力」を奪われ、責任をもたないまま「自由に批判するだけの存在」になってしまいました。

これでは、漱石が説いた「変化に対応できる個人主義」など育つはずがありません。変化に対応するどころか、変化を伝える側が率先して扇情的な情報で社会をかき回しているのですから。

責任を放棄した社会の行き着く先

こうして政治家、メディア、国民の三者がそれぞれの場で「責任」を回避し、「自由」を誤って運用していけば、社会はどうなるでしょうか。

 政治家は修養より集金力を磨き、
 メディアは探求心より煽り文句を磨き、
 国民は判断力より空気読みを磨く。

日本社会には、「自由なはずなのに責任を誰も取らない」という、奇妙な無責任のアンサンブルが完成します。現在の日本は、残念ながらそのハーモニーがあまりに“美しく”響いてしまっているように思えてなりません。

いま必要なのは、漱石と諭吉のあいだにあるもの

漱石は「自由には義務が伴う」と言いました。福沢諭吉は「人望とは実学を含む修養によって生まれる」と説きました。二人が共通して語ったのは、「個人の成長が社会の成長の前提である」という思想です。
  • 自由を主張するなら、その自由が他者と共存するための責任を引き受けること。
  • 社会を批判するなら、その社会を構成する一員として自分の役割を考えること。
  • 人望を求めるなら、人と交わり、苦労し、考え続けること。
これらは、百年前の日本にも、今の日本にも等しく必要な姿勢です。

政治家の不祥事やメディアの扇動に目を奪われがちな現代ですが、本当の問題はもっと深いところにあります。それは、「私たち一人ひとりが自由と責任の関係を理解しているか」という問いです。

 自由を望むなら、責任から逃げないこと。
 責任を果たすなら、自由を他者と分かち合うこと。


その積み重ねこそが、健全な民主主義を支える土台になるのだと、私は今でも信じています。

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2025年12月9日火曜日

読解力の育成に必要なものとは?

 
https://president.jp/articles/-/105582

 「絵本」でも「小説」でもない…「読めるけど分からない子」の"理解力"を伸ばす本の種類読んだ先から「何の話だっけ?」となるのは理解できていない証拠

PRESIDENT Online 2025年12月5日

船津 洋(言語学者)

記事の要約

多くの子どもは「文字を読めている」ように見えても、実際には内容を理解していないことがある。これは、「文字を音に変換する力(音韻符号化)」はあるが、「内容を頭の中でイメージ化する力(心内表象化)」が弱いことによって起こる。「読める=理解している」と思い込む親や教師が多く、この問題が見過ごされやすい。

こうした子どもは読解力が低いにもかかわらず気づかれず、そのまま学年が上がるため、学校や塾は「理解」ではなく「記憶」に頼った指導へと偏りやすくなる。

研究によると、読書量は語彙力向上に効果があるものの、理解力(読解力)の向上には読書ジャンルが重要であり、特に説明文の読書が効果的だという。一方で、絵本や小説は語彙力には良いが、理解力には直接つながりにくい。

また、未就学児への絵本の読み聞かせは、後の語彙力・読解力を高めることが多くの研究で示されている。脳の基本構造は遺伝の影響を受けるが、環境による刺激(読み聞かせ・言語体験)によって回路が発達していくためである。

☆ ☆ ☆

この記事が指摘するように、「読めるけれど理解できない」という子どもが増えているという問題意識には同意します。文字を音に変換できても、内容を頭の中でイメージし、理解する「心内表象化」が欠落している──その構造は非常に重要な指摘です。人間の生成AI化かもしれません(思考なき文章作成)。

ただし、私は読解力の育成には、説明文を読む以前に、二つの要素が不可欠だと考えています。学者ではない一個人の意見ではありますが、長年の経験から確信していることです。

第一に、親が読書を好きであること。

家庭の中で自然に本が開かれ、言葉が交わされる環境こそ、子どもの語彙力と理解力の土台になります。読書は強制されて身につくものではなく、「空気のように本がある環境」が最も効果を発揮します。

第二に、「読む」と同時に、自分で書くことが大切であること。

読むだけでは理解は深まりません。読んだものを言葉にし、絵や文章として表現しようとすると、自分の中に蓄えた語彙・知識・体験が総動員されます。逆にいえば、書こうとして初めて、読んでいない・理解していないことに気づくものです。

したがって、読解力を育てるには「書く力」の訓練が不可欠です。しかし日本の教育では、小学校の作文をそのまま延長して、論理的な文章=論文へと発展させる訓練が欠落しています。これこそが、大人になっても日本語を書くことが苦手な社会人が多い原因だと思います。

また、読解力の問題は「聴く力」にも通じます。「聞く」と「聴く」が違うように、読み方にも浅く追うだけの読みと、内容に深く踏み込む読みがあります。

私は半世紀以上ロックやブルースに親しみ、ギターやハーモニカを続けてきましたが、長い間「聞いていただけ」で、本質的に「聴いて」いませんでした。だからこそ、どれほど触れても上達しなかったのだと気づきました。プロになる人は必ず「聴く」ことを実践しています。これは読解力と全く同じ構造です。何度も何度も繰り返し「聴く」、能動的、且つ循環的に聴くということです。

記事が示す「読めても理解できない」という課題に対して、私は、読む・書く・聴くという三つの行為が相互に補い合う教育こそ、これから必要だと感じます。

さらに付け加えるなら、読める=理解していると思い込む親や教師が多い背景には、彼ら自身が子どもたちの言葉を“正しく聴いていない”という問題もあるのではないでしょうか。単に耳に入っているだけで(受動的に聞いているだけで)、能動的に聴いていないことが、子どもの理解の深さを見誤らせている──私はそう感じます。

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2025年12月8日月曜日

心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

 
(ネットで見つけた画像)

'Life being stressful is not an illness' - GPs on mental health over-diagnosis

https://www.bbc.com/news/articles/cx2pvxdn9v4o?fbclid=IwY2xjawOigTFleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEe2SP-bOiOsBmZNoB2BgWia8-z9zRjYH_z00Uu3aXzl0pi-6d9slgpjWCJWG4_aem_JTWUg3nmf1oAAgkkTO1dAQ


心の不調は誰が診るのか――日英の医療現場から

英国BBCが報じた、全国の家庭医(GP:General Practitioner)を対象とした大規模調査は、現代の医療が抱える構造的な課題を象徴的に示していました。GPとは、本来「general=総合的に」そして「practitioner=実務に携わる医師」を意味し、地域住民のあらゆる健康問題の“最初の相談窓口”となる存在です。専門医とは異なり、身体・生活・心の問題を切り分けずに把握するという姿勢が職能の原点にあります。

しかし英国のGPたちは、いま、その本来の役割を果たしきれなくなっていると感じています。調査では、「生活がストレスフルなのは病気ではない」という意見がある一方、失恋や悲嘆といった“正常な体験”にまで診断名が付く風潮を憂える声がありました。過剰なラベリングによって、本当に治療が必要な人へのリソースが削られているという指摘は重いものです。

コロナ以降、若年層のレジリエンス(回復力)が弱まったという見方がある一方で、専門サービスの不足から医師側が診断を渋る傾向もあると議論は割れています。ただ共通しているのは、ほとんどのGPが以前よりもメンタルヘルス対応に多くの時間を費やし、生活困難が心の不調に直結している現実に向き合わざるを得なくなっているという事実です。心理療法が受けられず、やむなく薬を処方せざるを得ない例も多く、NHS(英国の国民保健サービス)が急増する精神的支援ニーズに追いついていない現実が浮かび上がっています。

ジェネラル・プラクティショナーという言葉を深く考える

ここで改めて、general practitioner という言葉そのものを考えてみたいと思います。日本では「ジェネラル」も「プラクティショナー」も、概念として十分に理解されぬまま使われているように思います。これは医療に限らず、コンサルティングなどの専門職にも共通する日本独自の問題ではないでしょうか。

GPに求められるのは、目の前の患者の体質や病歴、生活環境を把握し、身体と心を切り離さず「全体像を理解する」能力です(原子でなく分子)。そこには医学に加えて臨床心理学的な洞察が不可欠であり、患者の言葉の背後にある不安や状況を読み取ることが求められます。これはコンサルティングビジネスでいえば、最初に状況を読み解く“パートナー”の仕事に近い役割です。

また practitioner(プラクティショナー)という語の背景には、practice=経験の積み重ねを通じて形づくられる実践という意味があります。アメリカの社会哲学者であるエリック・ホッファーが語ったとされる「人生はボートを漕ぐようなもの」という比喩は、この考えをよく表しています。

背後に広がる川面――つまり過去の経験や慣行――だけを頼りに、左右の岸に気を配りながら、見えない未来へ向けて静かに進んでいく。その姿は、医療者が日々の診療の中で積み重ねる「プラクティス」と地続きのものです。

私は、このgeneral と practitioner の二つの語が示す洞察――“全体を見る力”と“経験を重ねる実践”――こそ、医療だけではなく、私たちの仕事や人生にとっても大切な視点だと考えています。

日本との共通点・相違点

英国と同じく、日本でも生活困難が心身に影響し、“普通の困難”と“医療的支援が必要な状態”の境界が曖昧になりつつあります。しかし、日本との大きな違いは、GPという役割に対する歴史的な理解です。

かつて日本の「町のお医者さん」は、まさに general practitioner 的な存在でした。患者本人だけでなく、親の世代から体質や生活環境まで把握し、身体と心を包括して診る姿勢が自然に根づいていました。医師は“家族の歴史を知る相談者”として地域に存在し、その信頼関係のなかで心の不調も自然と扱われていたのです。

ところが現在の日本では、大病院を中心に医療がシステム化され、プロセス管理が重視されるあまり、医師が患者よりもコンピュータ画面を見る時間のほうが長くなっています。一般外来は流れ作業化し、担当医も固定されず、生活背景や心理的要因を丁寧に扱う余白が急速に失われつつあります。

英国でGPが「心の問題は専門外だ」と感じ始めている状況と、不思議なほど共通する兆しが日本にも現れています。身体と心を一体で扱うという、本来のgeneral practitioner の視点が後退しているのではないか――それが私の懸念です。

医療の原点をもう一度考えるとき

心の不調は、生活、身体、そして社会構造の交差点で生まれます。英国のGPが直面している問題は、少し時期をずらして日本にも押し寄せつつあり、効率化が進むほど「患者の全体像を丁寧に診る」という医療の原点が失われる危険があります。

いま私たちが問うべきは、「どの診療科が担当するのか」という分断ではありません。誰が、どのような視点で、患者の全体を支えるのか。

日英の医療現場が示している課題は、医師と患者の関係そのものを見つめ直す契機になるはずです。そしてその鍵は、general practitioner という言葉に込められた、「全体を見る力」と「実践の積み重ね」という、極めて人間的な営みにあるのだと思います。

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2025年12月7日日曜日

食べることは、いちばん大切な教育

 

昨夜は今季いちばんの冷え込みでした。

こういう夜は、おでんと熱燗に限ります。きゅうりとカブの浅漬けがあれば、もうそれだけで完璧です。

二か月前にもおでんについて書きましたが、今回はその続編として、日本食と文化の話を少し続けたいと思います。

☆ ☆ ☆


子どもの頃の私は、おでんが大嫌いでした。

練り物を食べるとなぜか頭が痛くなるという、今思えば不思議な体質だったのです。ところが十代の終わり、“ナニワのブルースマン”時代になると、養老乃瀧でちくわを片手に「人生はペンタトニックやなあ」と語っていました。

黒人ブルース音楽と大阪ミナミの街、そしておでん。この組み合わせが妙にしっくりきたのです。

☆ ☆ ☆ 

大阪のおでんは「関東煮(かんとだき)」で、ちくわぶは存在しません。
昔はくじらや牛すじが普通に鍋の中に入っていて、いま思えばかなりワイルドでした。

日本のおでんは地域ごとにだしが違います。

九州は昆布+あごだし、関西は昆布だし、関東は鰹節。
四国では昆布をベースにした甘めの味噌だれが添えられる地域もあります。
だしひとつで味の世界ががらりと変わるのが、日本食の面白さです。

私はやっぱり、透明でやさしい昆布だしがいちばんしっくりきます。
練り物にも大根にも、そっと寄り添ってくれる旨味があります。

☆ ☆ ☆

日本の食文化には、狭い国土のなかに驚くほど「深い」地域性が宿っています。アメリカのように世界中の選択肢がそろう「広さ」も魅力ですが、土地の記憶と結びついた日本の「深さ」は、できるだけ失ってほしくありません。

だからこそ、日本の食文化にはあまりグローバル化してほしくないのです。

ハンバーガーが世界標準なのは構いません。けれど、おでんの味まで世界中どこでも同じになってしまったら、寂しい気がします。

寒い夜に熱燗を傾けながら「やっぱりこの地域の味やな」とつぶやく――
そのささやかな幸福は、どうか守られてほしいと思います。

☆ ☆ ☆

現実には、日本食のグローバル化は急速に進んでいます。“なんちゃって日本食”が増えるだけでなく、マグロやウニなどの寿司ネタをめぐる国際的な争奪戦まで起きています。

世界が日本食を求めるほど、肝心の日本の食卓がその恩恵を受けにくくなるという逆説まで生まれています。

これからは、現地の嗜好に合わせた柔軟さと、日本食が持つ本来の価値を丁寧に伝える姿勢の両方が必要でしょう。異文化理解を深めながら文化を共有していくことが求められているのです。

☆ ☆ ☆

そして何より大切なのは、家庭で子どもに本物の味を覚えさせてあげることだと思います。子どもの頃に本物に触れておくと、大人になって異文化コミュニケーションの場で「基準」ができます。

本物を知っていれば、偽物に対して本能的な違和感を覚えるようになります。これは料理でも、仕事でも、人でも、言葉でも同じです。

私自身、子どもの頃に出会った味や風景、あの映画館の暗がり、あのレストランの衝撃の一皿――もう存在しないものたちが、いまも私の中に確かに生きています。

☆ ☆ ☆

ここで思い出すのが、「ツーン」の感覚です。

おでんのからしが鼻を刺すあの一瞬は、単なる痛みではなく、感覚の奥で「自分は生きている」と思い出させてくれる刺激です。

文化もまた、時に理解されず、伝わらず、孤独の中を生きます。それでも静かに根を張るものこそ、本物の文化なのだと思います。

AIの時代になっても、私たちがこの「ツーン」の瞬間を忘れないかぎり、文化はまだ生き続けます。

小林秀雄が「上手に思い出すことが大事だ」と言ったように、おでんを食べてツーンと感じるとき、人は自分の原点や、大切にしてきたものを自然と思い出すのだと思います。

☆ ☆ ☆

振り返れば、あの頃に触れた「本物」が、後の人生の方向をそっと定めていたのかもしれません。食とは、記憶であり文化であり、人生の基準そのものです。

だからこそ、日本の食文化が持つ「深さ」を、これからも大切に守っていきたいと思います。
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2025年12月6日土曜日

日本の教育を問い直す──「ロボットの大量生産」を越えて


はじめに

私は日本の教育について、「不足か過剰か」という議論ではなく、「質そのものに根本的な問題がある」と感じてきました。これは教育の専門家としてではなく、長く日本の外で暮らし、改めて日本という国家の姿を外側から眺めてきた者としての違和感に基づくものです。2009年にアメリカから帰国した直後に抱いた思いは、いま読み返しても変わっていません。日本は、個性ある子どもたちを社会に開かれた人間へと育てるのではなく、受験という狭い門を通すために均質化し、結果として「ロボットの大量生産」のような教育を続けているように見えるのです。

教育の「権利と義務」は誰のものか

義務教育は、本来「子どもに教育を受けさせる義務が国民・保護者にあり、国家にはその教育を施す権利がある」という構造になっています。では国家は、正しくその権利を行使しているのでしょうか。国家の役割は、自国民を自国民として育てること、つまり国家観・歴史観を共有しうる人間を育てることにあるはずです。しかし、日本の義務教育はこの最も根本的な部分を放棄しているように感じます。

歴史教育はその象徴でしょう。多くの学者が優れた見解を述べているにもかかわらず、その成果は教科書に十分反映されていません。歴史が歴史として教えられていない、意図的な空白がある――そう感じられる部分さえあります。自分の国の歴史を曖昧にし、誇りを持てない教育を続ければ、子どもたちが自尊心や帰属意識を育むのは難しくなります。海外に出れば、パスポートを手にし、国名で呼ばれ、自国の歴史に関する問いを向けられる。それなのに、日本人は自国の歴史に対してあまりにも無防備です。

私のアメリカ人の友人Rは、海軍の士官学校で学んだ歴史を語ります。日本海海戦、ミッドウェイ、山本五十六の戦略。彼との酒席では真珠湾攻撃をめぐる議論が何度も出ますが、そうした応酬ができるのは、お互いの国の歴史を前提として理解しているからです。歴史とは「正確さ」を競うものではなく、タイムマシンがない以上、各国が国策として示す“物語”でもあります。日本がその物語を持たず、子どもに伝えないことは、国家としての怠慢だと思います。 

日本に欠けているのは「概念」を育てる教育

あるビジネス雑誌には「人は概念によって世界を知覚する」と書かれていました。私もまったく同感です。概念は思考の土台であり、言葉よりも前に存在します。概念が貧困であると、議論の前提となるレベルセッティングができず、他者とのコミュニケーションが難しくなります。

日本の教育は、知識の量については豊富かもしれません。しかし、その知識を概念として整理し、世界観や価値観を構築する訓練には欠けています。外国語力以前に、日本語での抽象思考の力が弱い。だから変化に直面したときに、対応力が鈍くなるのです。

「日本人は変化への適応力が弱い」と言われるのも、過剰に環境へ迎合する一方で、自分の信念や観を形づくっていないからでしょう。明治維新以降、日本は西欧近代に、敗戦後はアメリカ的価値観に過剰適応してきました。夏目漱石がロンドンで苦しんだときから、日本人は劣等感と優越感の間で揺れ動き続けています。三百万人以上が亡くなった戦争の原因すら、国家として総括をせず、そのまま記憶喪失のように現代に至っている。この土台の弱さこそ、教育の質の問題です。

子どもたちが確固たる信念を持つには、日々概念を集め、自分の「観」を作っていかねばなりません。世界観、社会観、死生観……それらは読書や日記、思索を通じてしか育たないものです。本来、教育とはその基盤を整える営みであるはずです。 

個性を押しつぶす社会と、居場所のない才能

村八分(1969-1973)というバンドの存在は、教育の欠陥を象徴する例として語ることができます。彼らは時代の文脈を越えた表現をしていたにもかかわらず、日本社会の中に居場所を見つけることができなかった。ギフティッドの子どもが学校に適応できず、「問題児」とされてしまう構図とよく似ています。

欧米にも閉鎖的な共同体は存在しますが、同時にそれを跳ね返す「個人の自立」も育てています。日本は個人主義が弱いのに、共同体の規範は強い。そのため、周囲と異なる者は排除されやすく、しかも本人が跳ね返す力を持たされていないのです。これは教育の失敗と言うほかありません。

村八分の時代から半世紀が経ちましたが、地方の村八分は今も姿を変えて存続し、地方都市は過疎化し、依存心が強まる一方で住民自治は弱体化している。倫理的主体としての市民を育てない教育の帰結でしょう。 

必要なのは「ロボットではない人間」を育てる教育

日本の教育は、入試という細い門に向かって子どもたちを押し流し、均質化し、個性を削り取っていきます。保護者は疑問を抱きながらも、企業が学歴ブランドで採用する現実があるため、子どもをレールに乗せざるを得ません。学校で足りない部分は塾で補い、習い事で広げる。その構造自体が、教育の本質を見失っています。

教育とは本来、強みを育て、弱みを否定しない営みです。ところが現在の日本では、強みは矯正され、弱みは排除され、結果として「平均的な優等生」は生産されても、多様で自立した市民は育ちません。このままでは、日本は世界の多様性とダイナミズムに取り残されてしまいます。

同性愛やLGBTに関する国会議論が小学校の学級会レベルに見えるのも、抽象度の低い議論しかできない教育の帰結でしょう。個人の尊厳や自己決定という概念の土台が共有されていないから、社会的議論が深まらないのです。 

おわりに

私はこれは単なる高齢者の思い上がりではないと信じています。しかし、そう感じてしまうこと自体が、この国の教育が「自分の意見を堂々と言う力」を奪ってきた証左でもあるのかもしれません。

今こそ、ロボットを量産する教育から、個性と概念を育てる教育へ転換すべきです。国家としての物語を教え、世界と渡り合える市民を育て、倫理的主体としての個人を大切にする。そのための教育の質を問い直すことが、日本の再生に不可欠だと私は考えています。

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2025年12月5日金曜日

AI時代の判断倫理――法と医療の現場から

 
(出典:日経新聞)

生成AI・法律・医療に共通する本質

~ 人間を扱う領域で「予測」に頼りすぎる危うさ

息子の意見をきっかけに考えたこと

アメリカで働く息子が、次のような意見をSNSにポストしていました。

”近頃、生成AIの出す誤った回答を「バグ」や「幻覚(hallucination)」と呼ぶ議論をよく耳にする。しかし生成AIの本質を考えれば、それはバグではない。AIは、過去のデータやプロンプトから「最も尤もらしい答え」を計算しているにすぎず、その仕組みは単純な予測モデルと同じ構造を持っている。もし結果が外れても、それはモデルが間違ったのではなく、人間世界そのものがモデルの予測を超えるほど複雑だからだ”。

ここで少し補足します。生成AI(Generative AI)や LLM(Large Language Model)とは、人間の言語データを大量に学習し、その統計的なパターンから「次にもっとも来そうな単語や表現」を予測して文章や画像を生成する仕組みです。つまり、何かを“理解”して答えているわけではなく、過去のデータから計算される確率の高い結果を返しているにすぎません。

法律分野では、この「外れ」が許されません。誤った判例引用や事実認定は、弁護士にとって致命的なミスになります。同じように、医療の現場でも“予測の外れ”は生命に直結します。ここに、AIの限界が最も鋭く現れるのだと思います。

医療現場も、AIが前提とする「単純さ」とは正反対の世界です

私はここ一か月、身内の看病で毎日大病院に通うことになり、その変化と現実を目の当たりにしました。三次救急(高度救命救急病院)の大病院であっても、医療者・患者・家族という三者の「人間性」が常に影響し合っており、判断や感情の揺れが診療の流れを左右します。

20年前は母親、5年前には義母の看病で同じ病院に通いましたが、そのときとは様相が変わりつつあります。若い医師と若い看護師、高齢の雑務係。患者も付き添いも高齢者が多く、コンピュータの使用率は格段に上がり、院内のセキュリティ体制も厳しくなりました。

しかし、どれほど巨大で近代的な医療機関であっても、結局は人間同士の理解、葛藤、判断が診療の中核を形づくります。この複雑さは、AIが前提とする「予測可能な世界」とは根本から異なります。

今日の医療では、電子カルテや各種端末の導入によって、医師も看護師も患者より画面に向かっている時間の方が長くなっています。効率化のために導入されたコンピュータですが、これがAIによる意思決定支援へと進めば、医療全体が「予測に頼りすぎる構造」へ変質しかねません。

しかし、医療は法律以上に、予測の外れが致命的な結果につながる領域です。もし医師や看護師が判断の核心をAIに委ね始めれば、医療者の洞察力や判断力は確実に低下し、その影響は患者の命に直撃するはずです。
 
共通するのは「人間を扱う領域で予測は万能ではない」という事実です

法律も医療も、そして社会全般も、生成AIが扱うにはあまりに複雑で多層的です。AIはデータから「最善の推測」を返しているだけで、現実の因果の複雑さまでは理解できません。原因と結果の間には、数値化できない無数の人間模様が介在しています。
  • 法律では、誤った予測は弁護士の誤りになります。
  • 医療では、誤った予測は患者の死につながります。
いずれも、人間の身体・心・関係性という数値化できない領域を扱っており、「確率モデルの限界」が最も深刻な形で現れる世界だといえます。

だからこそ、AIを使うほどに「人間が人間であること」を忘れてはなりません。効率化や自動化が必要な場面はもちろんあります。しかし、判断と責任の核心をAIに委ね始めた瞬間、法律も医療も、そして社会も成り立たなくなると感じます。

AIは道具であり、人間の代替物ではありません

AIは計算の道具であって、人間を理解する存在ではありません。人間を扱う領域では、「AIの予測をどう使うか」以上に、「人間の判断をどう守るか」が本質になると考えています。

医療でも法律でも、そして社会全体でも、私たちが本当に恐れるべきなのは、AIの間違いそのものではなく、AIに頼って人間が思考を放棄することです。

これこそが、AI時代にもっとも重要な視点であると私は考えています。

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2025年12月4日木曜日

ジョン・レノンへの想い ~ 12月8日を迎えて


12月8日がやって来ます。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(日本時間)。

毎年この日を迎えるたびに、私は自然とジョンのこと、そしてビートルズのことを深く思い返してしまいます。季節の空気とともに胸によみがえるのは、ジョンの「イマジン」であり、ポールの「レット・イット・ビー」です。表現のスタイルも、宗教観も、人生の歩みも異なる二人でしたが、彼らが向かおうとした「心の平和」という方向性には、やはり共通するものがあったのだろうと感じます。

とりわけジョンの命日が近づくと、彼が残した思想や生き方、そして彼を通じて自分が考えてきたことをまとめておきたくなります。以下は、私自身が長年温めてきた「ジョン・レノン観」を、今の時代状況と重ね合わせながら記したものです。

『Get Back』でなければならなかった理由

ビートルズの映像作品『Get Back』(2021年)を見るたびに、タイトルが『Let It Be』(1970年)ではなく『Get Back』で本当に良かったと、あらためて思います。「Let It Be」は、一見すると慰めの言葉のようでありながら、文脈によっては「放っておいてくれ、もうたくさんだ」というニュアンスが強く出てしまいます。解散が迫ったあの緊張した時期、あの一言が過度に象徴化されてしまう危険もあったのでしょう。

その点、『Get Back』には「もう一度原点に戻ろうよ」「みんなでジャムっていた頃の気持ちを思い出そう」という温かい響きがあります。作中で演奏される “Dig a Pony” や “One After 909” などを観ていると、まるで若い頃のエネルギーが再び立ち上がってくるように感じられます。音楽の根源的な楽しさへ「戻る(Get Back)」というメッセージは、あの時のビートルズの姿を最も素直に映し出していたのではないでしょうか。

日本文化がジョンにもたらした視座

ジョン・レノンを語るとき、しばしば「イマジンはヨーコ・オノの影響が大きい」という議論がなされます。たしかに、ジョンがヨーコを通じてアート思考や平和観を深めたことは間違いありません。しかし私は、それは単なる受け売りではなく、ジョン自身が日本文化と深く接する中で、自分の中の問いをさらに大きく育てていった結果だと考えています。

ジョンは何度も日本に滞在し、京都を訪れ、伊勢神宮に足を運び、禅や日本仏教の思想に触れました。西欧近代が陥ってきた精神/物質、主体/客体という二元論への疑問を、彼は日本文化のなかに「別の地平」として見いだしたのでしょう。ジョンが「Nutopia(ヌートピア)」の宣言を行った背景にも、こうした精神世界への傾倒があったのは明らかです。

もしジョンが、私たちが経験したコロナ禍の3年間を生きていたら、彼の日本観、日本文化への関心はさらに深まっていたのではないか――そんな想像をしてしまうほどです。自然との共生や、人間の小ささへの自覚、人間中心主義の限界といった問題は、ジョンがずっと探求してきたテーマと響き合っています。

二元論を超える視点 ― ジョンが見つめた「一体化」

「人間と自然の関係」を語るとき、「共生」という言葉はしばしば表面的に理解されがちです。しかし、本当に問われるべきは、自然という巨大な因果の流れの一部にすぎない人間をどう捉えるか、という根源的な問いなのだと思います。

近代国家は、人間が自然を支配できるという二元論的な思考を採用してきました。西欧社会はすでにその限界に気づき、試行錯誤を始めて半世紀以上が経っています。それに反して中国は、共産党の面子のために、近代が陥った失敗の道をより強硬に突き進んでいるように見えます。そこで生きる多くの若者の苦悩を思うと、胸が痛みます。

ジョンが目指した「一体化」は、近代的な二元論を超えて、人間と自然、自己と世界を連続体として捉える思想でした。それは禅や日本の伝統的世界観とも深く響き合うものです。彼が日本文化に惹かれた背景には、西欧的思考では到達しにくい視座があったのでしょう。

「共同主観」をつくれるか ― 日本社会への課題

ここで、日本の問題に触れざるを得ません。日本は、人間中心主義に基づく近代国家の思想にも全面的には乗れていない(「上っ滑り」だった)。他方で、自然と共に未来を描くリーダーシップが強く存在しているわけでもない。つまり、どちらにも踏み切れない曖昧さを抱え続けています(アンビバレント)。

とくに難しいのは、「共同主観」を形成することです。主観と客観を揺れ動きながら、コミュニケーションを通じて共通の理解をつくりあげる――これは本来、民主主義がもっとも必要とするプロセスです。しかし日本社会は、この「丁寧な対話」を最も苦手としています。

ウイルス後、世界のパラダイムが大きく転換した今こそ必要なのは、まさにこの「共同主観」を模索する力なのだと思います。ジョンが生きていたら、この課題をどう歌に込めただろうか――そう考えることがあります。

ポストコロナの世界 ― 忘却ではなく、教訓へ

新型コロナが世界を襲ったのは2019年末のこと。WHOが「終息」を宣言した2023年春まで、3年3か月という長い時間が続きました。終息から2年が経った今、人々の記憶からは驚くほど急速に風化しつつあります。しかし、この「忘却」は本当に望ましいことでしょうか。

欧米では分断が深まり、ポストモダン的な多元化が一気に加速しました。中国はむしろ監視と統制を強め、近代的モダニズムの最も硬直した形へと突き進みました。そして日本は、強い対立が表面化しなかった代わりに、「なかったことにする」傾向を強めています。

真実を一つに決められない欧米、真実を党の都合のいいように一元化する中国、そして真実を曖昧にしたまま同調で吸収する日本――この三者のコントラストは、まさにジョン・レノンが生きた時代の「体制・権威・反権威」という単純な図式とは異なる、より複雑な現代世界の姿を映し出しています。

だからこそ、私たちは忘却ではなく、教訓として刻まなければならないのだと思います。

ジョンが遺した「想像力」という武器

ジョン・レノンは、音楽家である前に、「想像する人」でした。答えを押しつけるのではなく、人々に「考えるきっかけ」を差し出すことを大切にした人でした。「イマジン」は、その象徴でしょう。想像してごらん。

ジョンは決して夢想家ではありませんでした。むしろ、世界の矛盾や醜さを誰よりも直視し、そのうえでなお「想像力」という武器を信じ抜いた人でした。

12月8日を迎えるたび、私は思います。

もしジョンが今の世界を見ていたら、彼は何を歌っただろうか。私たちは、彼の「想像力」をどう継承できるだろうか。

ジョンの命日を前に、改めてその問いを胸に刻んでおきたいと思います。

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2025年12月3日水曜日

BBCの報道と、日本の事なかれ主義への苛立ち

 

BBCが尖閣の記事出してましたわ。

いやいや、隠居のわしがBBCに文句言うたところで、世間は鼻で笑うかもしれん。せやけど、これも高齢者の義務や。モンスター老人の社会参加や。「また年寄りがなんか言うてるわ」ぐらいの扱いでもええ、自分の記録として残しとくで。世間の承認なんていらん

それにしてもやなぁ、日本のメディアは情けない。オリジナル記事を読まずに通信社から買ってきた翻訳記事だけ垂れ流すとか、もう情弱量産メディアやん。

BBCの記事をざっくり言うたらやな

日本の尖閣近くで、中国と日本の船がギャーギャー言いながら対峙したいう話や。

中国「日本の漁船がウチの領海に入ってきたんや!」
日本「いやいや、中国が日本の領海に侵入してきたんやろ!」

最近の国会でも台湾の問題が取り上げられて、お互いピリピリしとるからドンパチ寸前みたいな空気ですよ、いうことらしい。ほな、BBCの記事の問題点言わせてもらうで、よー聴きや。

BBCは案の定こう言うんや。

「双方に言い分があります」

ほら出た!英国式・高みの見物中立報道術。まるでワイドショーのコメンテーターや。

「両方悪いんちゃいます?」
「歴史的な背景は一旦置いておいて」
「ワシらは中立ですよ〜」

って、完全に上から評論家ポジション決め込んどるわけや。ほんまBBCはこういうの好きやな。大英帝国のお家芸か?

ほんで、史実はどこ行ってん。尖閣の話はな、ただの「どっちもどっち論」では語られへんねん。史実を欠いた評論は、国際報道では乱暴やで。
  • 日本は1895年に国際法に基づいて編入
  • 中国が言い出したのは1971年、資源見つかってから
  • 今も日本が実効支配しとる
これが最低限の前提や。それ全部すっ飛ばして、「両者の主張が対立してます」て、いやいや、それ説明の逃げ方やろ。事実はどうでもええから、国際関係の空気を上から目線で語りたいんや。

イギリス公共放送の悪い癖でたな。
  • 歴史言うたら責任生まれる
  • 片方に踏み込んだら批判される
  • せやから両論併記で逃げる
それ中立ちゃうで、ただの保身や。国際報道やるならこう言えや。

「どっちの主張に正当性があるんか」

避けんなや、BBC。そもそも尖閣ってそんな軽い話ちゃうねん。外交カードでもないし、SNSのネタでもない。領土と国際秩序の根幹の話や。

一番あきれる相手は、日本政府と日本の事なかれ主義や

でな、BBCに文句言うてる場合ちゃうで。ほんまに腹立つのは、日本政府と日本のメディアの無関心っぷりや。

駆逐艦みたいな中国海警の船が、機関砲つけて堂々と領海に入ってきてもやで、やることといえば “遺憾の意” だけやんか。これで国を守れる思てるんか?現場で命張ってる海上保安庁は気の毒や。自衛隊は出せません、政府は動きません、メディアは見て見ぬフリで翻訳記事回すだけやろ。

ほなどうすんねん?

まず海上保安庁の警備体制を最新鋭のものに強化したらええやろ。必要なら装備や制度も見直して、国としての姿勢を示したらええ。さらに国際社会にも堂々と言うたらええんや。

「習近平はん、歴史的・法的根拠あるなら出してきなはれ」

これは対立の激化やなくて、本来当たり前の主張や。それをせえへん政府。それを伝えへんメディア。それを教えへん学校、この国の鈍さこそ問題や。尖閣の緊張より、そっちの方がよっぽど危険やで。

領土領海は誰かが守ってくれると思ってる国ほど、失うのも早い。

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2025年12月2日火曜日

承認なんていらん、老後は自分のもんや!

 
old man playing sax

「老後のハウツー本」が売れる国で、ほんまに必要なんはハウツーか?

2025年12月1日月曜日

日本はなぜ中国に舐められるのか?

 

日中関係の根本は変わっていない

~ 15年越しの考察

いま、日中関係が再びぎくしゃくしています。何も目新しいことではないように思います。いま起きている現象は、15年前に私が感じていた懸念とほとんど同質のものです。むしろ、あの頃より見えにくく、複雑になり、深刻になっています。

この15年間、中国も日本も世界も大きく変化しました。中国はさらなる経済成長を遂げ、日本は国際政治の舞台で後退を続け、アメリカの戦略も様変わりしました。しかし日中関係の根本だけは、驚くほど変わっていません。

私は1970年代、文化大革命の真っ最中の中国に強い関心を抱きました。以来50年以上観察してきましたが、中国に対する本質的認識はいまも変わりません。ここで言う「中国」とは、言うまでもなく1949年に成立した中国共産党の国家です。党が統制し、歴史も情報も意思決定も一元的に管理する社会です。この前提を理解しなければ、日中関係は永遠に見誤ると思います。

いつも腹立たしいのは、日本国内の言論人と称する人々が、同じ思い込みを繰り返してはメディアで声高に叫び続けることです。視聴率しか興味のないマス・メディアも同罪です。そこには見識も歴史観も倫理観もありません。ウソと情緒とプロパガンダに対しては、冷静な真実の積み重ねによってしか対抗できないはずなのに、国内の議論はますます浅く軽くなっています。

中国人の反日感情はどう作られるのか

15年前、私は自社の上海オフィスの中国人コンサルタント(いわゆる“80后”)から、このようなコメントを聞きました。

子供のころは日本を嫌っていない。しかし、学校教育で植え付けられたイメージが、事件が起きた瞬間に思い出されるだけなのです。

つまり反日感情は常に燃えているわけではなく、引き金さえあればいつでも再燃します。国民感情は政府の統治手段の一要素なのです。

2005年の反日暴動も、尖閣の衝突事件も、まさにその構図が露骨に現れた事例でした。私は当時こう書きました。

「歴史とは勝者が書き換えるものである。現在を制する者は過去を制し、過去を制する者は未来を制する」。

オーウェルの『1984年』の一節です。この構造は今も変わっていません。

中国の問題、日本の問題

私は当時の反日騒動について、二つの理由を挙げました。一つは中国国内の社会不安です。所得格差、失業、汚職。国民の不満を逸らすには、外敵をつくるのがもっとも簡単で効果的な手法です。これは共産党統治の本質であり、今も全く同じ構造が続いています。

もう一つは日本の弱さです。政治の機能不全、経済力の低下、そして何よりも国家としての自信の喪失です。15年前の私はこう書きました。

日本が弱くなればなるほど、近隣諸国は元気が出てくる。

そしてこの構造もまた、全く変わっていません。もちろん、そこにはアメリカの外交戦略の意思があります。

日本社会の危うさ

私が危惧していたのは、中国の強硬姿勢そのものではありません。日本の側にある精神的崩壊です。外交と芸能ニュースを同列に扱うメディア、歴史認識を失った政治家、国家としてのビジョンも誇りも示せない社会。国民の心はすり減り、視野は狭くなり、余裕が無くなっています。

15年前の私はこう書いていました。

この国は国家としての誇りや気骨をどう取り戻すのか?

その問いは今も答えが出ないままです。むしろ当時より深刻になっています。

結局、何が変わっていないのか

私が観てきた50年以上の中国、そして日中関係を振り返ると、次のことだけは確信を持って言えます。

日中の緊張は、事件や偶然で起きるのではなく、構造から必然的に生じるのです。

中国側の統治構造、歴史教育、国家戦略。
日本側の精神的な弱さ、政治の失策、メディアの劣化。

15年前も、今も、問題の根本には何も変化がありません。

本稿をまとめながら、ひとつだけ希望を述べるとすれば、それは日本人が自国を知り、相手を知ろうとする姿勢を捨ててはいけないということです。孫子は言いました。

「知己知彼、百戦百勝」。

これは戦争の論理ではなく、外交にも国際社会にも通じる普遍の智恵です。

日中関係はこれからも形を変えながら続いていくでしょう。しかし、本質を見誤らなければ、危機は必ず乗り越えられるはずです。真実に誠実であろうとする姿勢だけが、プロパガンダと歴史の改ざんを超える唯一の道なのです。

駐日総領事・薛剣のXにおける暴言や、王毅外相に代表される日本に対する態度は、日本政府が招いたものです。つまり、日本を舐めている中国共産党を生み出したのは、日本の政治であり、事なかれ主義の敗戦後の日本精神なのです。

果たして、高市新政権はどこまで軌道を修正できるのでしょうか。

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2025年11月30日日曜日

古希ファンク:アンラッカーか、それとも健康寿命か?

 

60代も後半になってサキソフォンを始めたのですから、これはもう立派な人生の冒険です。しかも私のサックス人生、スタート地点からして少しばかり変わっています。

きっかけは、息子が小学生のころ吹いていたサキソフォンを処分しようとしたことでした。27年前、ニューヨークのホワイトプレインズにあるサムアッシュで800ドルで買った初心者モデルです。それを昨年、山野楽器を通してヤマハに修理を依頼したのですが、3~4か月後、蘇ったのかどうかは分かりませんが、とにかく戻ってきました。修理費は98,000円。800ドルのサックスを二度目に買ったような気分です。

そして思ったのです。「これは修理費の元を取らねばいけない」と。そこから私のサキソフォン修行が始まりました。私の場合、動機はいつでも不純です。

一年が経ちました。修理したとはいえ、サキソフォンにも2025年型と1998年型のジェネレーションギャップがありまして、なにかと手がかかります。昔のサックスにはハイF♯キーがないとか、タンポがくっつきやすいとか、ただでさえ下手くそな私をさらに追い込んできます。思わぬ音が突然鳴るたび、私の心のタンポもくっついてしまうのです。

そこで私は一年間考え続けました。そしてついに決断しました。新しいサキソフォンを買うことにしたのです。しかしここで新たな試練です。この3〜5年でサックスの価格がほぼ倍に跳ね上がっているではありませんか。「弘法筆を選ばず」という言葉が脳裏をかすめました。しかし、決断力があるところを家人にも示さねばならない。 
  
問題はどの仕上げ(フィニッシュ)を買うかです。一般的なゴールドラッカーか、経年変化を楽しむアンラッカーか。ここで、古希直前の私の脳に新たな懸念が芽生えます。

「アンラッカーの渋い経年劣化が出るまで、自分の健康寿命はもつのだろうか?」

サックスの変化と私の健康寿命の競争です。人生というのは、まさかサキソフォンの酸化という化学反応と競争することになるとは思いませんでした。ちなみにアンラッカーはメーカーからの取り寄せです。クリスマスまでに届くかもしれません。指折り数えて待っている時点で、もう立派なサックス愛好家です。

サキソフォンにも性格があります

サックスのラッカー仕上げとアンラッカー仕上げには、それぞれ性格があります。

ラッカー仕上げは塗膜で保護されていて、光沢があり、扱いやすいです。吹奏楽色が強い標準です。一方、アンラッカー仕上げは塗膜がなく、金属そのまま。吹けば吹くほど酸化して渋くなり、ヴィンテージ風に育っていく。「使い込んだ革靴」のような存在……と言われています。

新品の時点ではどちらもピカピカのゴールドです。問題はその後です。アンラッカーは空気や手の油、湿気とすぐ仲良くなります。数ヶ月から数年で変色し、独特の風合いになります。一方ラッカーはきちんと手入れすれば新品の輝きを保ち続けます。

つまり、

ラッカー:長く若々しいままの美しさ
アンラッカー:年月を重ねた深み(が出てくると思われる)

そんな違いがあります。

メンテナンスも異なります。ラッカーは比較的気楽です。アンラッカーはこまめなお手入れが必要です。その分、育てる楽しみがあります。まるで吹奏楽団の中に、自由奔放な変わり者が座っているようなものです。

ラッカー派か? アンラッカー派か?

一般的な扱いやすさや外観ならラッカー仕上げ。金属の鳴りや経年変化を楽しみたいならアンラッカーです。私の場合は、人生の残り時間と楽器の変化のスピードを比べるという、なんとも哲学的な選択になりました。

でも、こうして悩んだり迷ったりする時間こそが、サキソフォンという楽器の魅力でもあるのだと思っています。楽器は単なる道具ではなく、人生の相棒です。

大切なのは毎日吹くこと。下手でもいい。突然変な音が鳴ってもいい。修理費の元を取るために始めたサキソフォンですが、気づけば私の生活のリズムと呼吸を整えてくれる存在になりました。

そして、クリスマスに届くであろう新しい相棒を思い浮かべながら、今日も私は音を外しながら練習を続けています。

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2025年11月29日土曜日

Seize the Day ~ 時間という名の無常

 


今年も、もう一か月を残すばかりとなりました。

驚くほど時の流れが早く感じられます。長く生きれば生きるほど、一年という時間の感覚が短くなるとはよく言われますが、それは単なる感覚の問題以上のものだと思います。時間とは、年齢や環境によってその速度や重さが変容していく奇妙な現象です。若い頃には永遠に続くように思えた一日が、いつのまにか風のように過ぎ去ってしまいます。ビートルズの「When I’m 64」を初めて聴いた頃、64歳など想像も及ばぬ遥かな未来に感じました。
    
最近どうも日本人の時間感覚が鈍くなっているのではないかと感じることが少なくありません。本来、一日一日を心を込めて、楽しみながら生きればよいはずです。しかし多くの人々は、ただ忙しさに追われ、時間の意味を深く考える余裕を失いつつあります。日本人は時間の使い方が下手であると思います。仕事と遊びのバランスが悪く、閑暇とは本来「思索や省察に費やす時間」であるにもかかわらず、単なるレジャーや娯楽と置き換えてしまっています。子どもが小さい家庭では仕方がないという事情もあるでしょう。それでもあえて言わせてもらうと、生産性を上げるために必要なのは、忙しく働いている瞬間そのものではなく、むしろ閑暇(レジャー)の時間の使い方なのだ、と。

欧米では壮年期こそ最も自由度が高い時期です。人生を自らの意思で歩む時期であり、自分が自分の人生を引き受けることが求められます。ところが日本では、子どもの頃と高齢期こそが最も自由で、むしろ守られる存在になります。人生の時間構造において、日本は欧米と真逆なのです。

時間とは私たちの社会において信頼や関係性と密接に結びついています。

信頼関係の構築には時間がかかります。「時間を守る」「約束を守る」「嘘をつかない」──ただこの3つを繰り返すだけです。しかし、これを長年にわたって続けることは意外に難しいのです。私は社会人になりたての頃、何のスキルもなく、自分の価値も分かりませんでした。上司やクライアントに振り回されるのは嫌でしたし、できれば毎日を気分良く過ごしたいと思っていました。そのとき私にできる唯一のことは、約束の時間よりずいぶん早く現場に行くことでした。「絶対に遅れない」。それしか誇れるものがないとさえ思っていたのです。

人間社会の根本は「対等な信頼関係を維持する責任」であると思います。国家でも企業でも個人でも同じです。今、世界はこの原則を失いつつあります。理念と目的を失えば、国も会社も人も信用されません。日本の政治や教育が迷走しているのは、まさにこの信頼の根本が揺らいでいるからにほかなりません。暴走する巨大国家はもっとひどいですが、、、。

時間にはもうひとつの側面があります。

人生や歴史の中に繰り返し襲う無常の感覚です。日本人は「どう生きるべきか」を深く問う機会をいくつも与えられてきました。阪神淡路大震災、オウム真理教事件、東日本大震災、御嶽山噴火、熊本地震。そして世界が停まったコロナ禍の3年、令和6年元旦、団欒のひとときを突然襲った大地震。そのたびに日本の精神は問われてきたはずです。

『平家物語』も『方丈記』も鎌倉時代に書かれました。人間は生と死の狭間にあって不可逆的に変化します(無常)。しかし自然は循環します。平安から鎌倉時代の日本人は、循環的変化の中で人間の生き様を認識していました。だからこそ「徒然草」も「方丈記」も、死と時間に向き合うための文学だったのです。

お釈迦様はこう言いました。

ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。


ラテン語の Carpe diem(Seize the day)と同じ意味です。時間は永遠に続くものではありません。だからこそ、「今日」という一日を生きよ、と。

時間の意味をもっと深く受け止めるべきだと感じます。閑暇の価値を取り戻し、一日を丁寧に生きる。愚直に時間を守り、約束を守り、信頼を積み重ねる(今や世界は、嘘で塗り固めた国ばかりですが、、、)。

時間とは単なる流れではありません。それは私たち自身の生き方そのものです。Carpe diem──今日という日を大切に生きるということ。それは日本人が今、本気で取り戻すべき時間感覚なのだと思います。

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2025年11月28日金曜日

AIが進化するほど、人間の思考力が試される

 


想像力と判断力の時代へ
 ~AIと人間の「思考力」をめぐる攻防

ご承知のように、ChatGPTを代表とする生成AIは日々進化しています。しかし、その進化が進めば進むほど、悪用しようとする者と、それを阻止しようとする者のつばぜり合いは激化していくでしょう。いたちごっこは永遠に続くのです。では我々ユーザーはどうすべきなのか。結論は非常にシンプルです。想像力と判断力を鍛えるしかない。

弁護士である息子の洞察

弁護士である息子は次のように警告しています。

人間には「言葉の流暢さ(fluency)」だけで内容を信じてしまう傾向がある。これは特に法曹界で顕著だ。弁護士は言語の精度や構造から論理性を読み取る訓練を受けているため、「よく書かれた文章=正しい」と誤認しやすい。

しかし、AIは思考していない。特に専門領域では、形だけ整った文章に高度な分析性があるかのように錯覚してしまう。弁護士は引用文献の真偽には注意を払うが、もっと危険なのは**科学や統計を分析しているかのような「言語上の錯視」**だ。AIがしているのは推論ではなく、「推論風の言語生成」にすぎない。

それでもAIは脅威ではない。むしろ適切に使えば大きな力になる。ただし条件が一つある。AIは文章を作るが思考はしないという事実を理解することだ。

デジタルが進むほど必要になる曖昧さや創造力

こうした状況を見ると、今後のデジタル社会で必要となるのは、合理性だけではなく、むしろ人間の想像力や判断力、そして主体性であることがわかります。だとすれば、中学・高校時代に枠にはめられる受験勉強だけでは不十分になるのは明らかです。歴史や文学の意味は、むしろこれから高まるのだと思います。

興味深いことに、デジタル社会は本来の人間的な曖昧さや創造性を求め始めているのでしょう。

ラリー・エリソンの先見性に学ぶ

1990年代前半、私がボストンでオラクル創業者ラリー・エリソンのプレゼンを聞いたとき、オラクルは今よりずっと小さな会社でした。彼をホラ吹きセールスマンと揶揄する声もありました。しかし、彼の頭の中にはすでにインターネット中心の未来が描けていた。スマホすら存在しない時代に、「電話はスーパーセットになる」と語っていたのです(ラリーの言うスーパーセットとは今のスマホです)。

先を思い描く想像力。それこそが技術や社会を動かす本質だったのです。

日本社会の問題の根っこ:怨望という病

一方で、今日の日本の政治家を見ると、嫉妬ともコンプレックスとも言える感情が透けて見えます。序列社会の中で大学入試が最大の挫折と成功体験であった者が、権力や金を握ってしまったかのようです。彼らは自らの内面にある「ENVY」に支配されている。

福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、この感情を「怨望」と訳し、最も有害なものだと断言しました。怨望とは、他者と自分を比較し、自ら努力して幸福になろうとするのではなく、他人を引きずり下ろすことで平均化しようとする態度です。まさに今の社会を覆う病理ではないでしょうか。

AI時代ほど人間が問われる

AIの進歩は、人間の思考を代替するのではなく、逆に我々が本来持つべき想像力と判断力を問う時代を開いていきます。AIは言語を生成できる。しかし考えるのは人間です。歴史や文学や教養とは、過去の遺物ではなく、デジタル社会の未来を考えるためのツールだということを忘れてはいけません。

AIの時代とは、むしろ人間性を取り戻す戦いの時代なのだと思います。

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2025年11月27日木曜日

日本の若者よ、試練から逃げるな ~ 完璧ではなく「試練への耐性」を身につけよ

 

『Hidden Potential』のメッセージから考える、日本の教育とキャリア形成

アダム・グラント教授の著書『Hidden Potential』には、次のような一節があります。

完璧さというのは幻想である。いずれ目指すゴールに到達したければ、その事実を理解し、ある程度の不完全さを受け入れることを学ぶ必要がある。

この言葉は、アメリカのエリート層、とりわけ難関大学に進学するような若者に向けたメッセージだと解釈できます。失敗を嫌い、完璧を求めすぎるがゆえに、最終的に成長が阻害される――アメリカの高学歴層に実際に見られる現象です。しかし、一つ注意すべきことがあります。このまま日本の若者にコピー&ペーストして当てはめてしまうことは、必ずしも正しいとはいえないということです。

なぜか。問題の根底にある価値観が、日本ではアメリカとはまったく異なります。

アメリカの心理学と日本の現実は違う

アメリカの心理学は基本的にデータと統計に支えられています。個人のパフォーマンス、キャリア、モチベーションの研究も定量化されるのです。対して、日本に根づく心理学・教育観は、より深層心理的で精神文化的な文脈を含みます。しかし、ここ何十年も、日本ではアメリカ発の自己啓発がほぼ原文のまま「輸入」されています。

その結果、次のような問題が起きていると思います。
  • 優秀さの基準が他国のものに置き換わってしまう
  • 成果主義や自己効力感の議論だけが強調される
  • 「自分とは何者か」を問う文脈が欠落する
  • 試練を経験する過程より結果だけが重視される
グラント教授の言葉を無批判に取り入れるのではなく、日本という文脈の中に置き直す必要があります。

日本の若い世代に最も不足しているものは「試練への耐性」

私は長年アメリカと中国で仕事をしてきました。そこで確信したことが一つあります。

日本の若者の弱点は、能力でも知性でもない。
逆境や試練に対する耐性が弱いことだ。

人生は試練の連続です。仕事でも人生でも、「理不尽」は必ずやってくる。完璧主義どころか、むしろ挫折に遭遇した瞬間に崩れてしまう例を少なからず目にしてきました。これは個人の資質の問題というより、教育や社会の仕組みがそうさせている部分が大きい。

冒頭のスライド(30年ほど前に作成したもの)では、試練への対応から自尊心が形成されるプロセスを示しています。
  • 自分から飛び込む試練もある
  • 無理やり降ってくる試練もある
  • うまくいく時も失敗する時もある
  • しかし重要なのは「逃げずに対応すること」
試練を乗り切るからこそ、経験は教訓となり、自尊心が生まれ、次の挑戦につながる。

「完璧を求めるな」ではなく「逃げるな」

グラント教授の主張を日本の現状に合わせて読み替えるなら、こうなります。
  • 完璧を求めなくてもいい
  • しかし、試練は避けてはいけない
試練から逃げ続ける限り、いつまでも大人になれない。自分の弱点を克服するのは、いつも現実であり経験です。アメリカの若者は競争の中で育ち、失敗しながらも前進する。しかし、日本の若者は失敗しないように生きすぎる。だから、打たれ弱い。そのままでは、世界で通用する大人にはなれないと思います。

上手に人を頼ればいい。試練は一人で戦う必要はない

もちろん、全てを独力で切り抜ける必要はない。困った時に支援を求めることは、弱さではない。むしろそれは成熟の証なのです。
  • 友人の助けを借りればいい
  • 先輩を頼ればいい
  • 家族のサポートが必要なら言えばいい
日本では「人に頼ること=甘え」という偏った考えがある。しかし真実は逆です。人の支援を受けてでも試練を乗り越えることが、自尊心を形成する。

もっと狡猾で、もっと強い若者を

私は日本の若者が世界で最もポテンシャルを秘めていると思っています。だからこそ言いたい。

試練を避けるな。苦しみを成長に変えろ。

アメリカ人や中国人よりも賢く、逞しい若者が日本から育ってほしい。頼りない自己啓発書ではなく、自らの人生の試練を引き受けてほしい。人生は完璧に設計されたレールの上を走るものではない。むしろ混沌と理不尽をどう生き抜くかで決まる。なんだか、暑苦しい上から目線ですね、、、、。

そして最後にひとつ。今はちょうど感謝祭の季節です。

完璧とは、成功とは、幸福とは、誰かが決めるものではない。自分の人生に感謝し、自分だけの道を切り拓いていくことこそ、最大の成長で

日本の若者には、その未来がある。私は心から期待していますよ!

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2025年11月26日水曜日

フィードバックなのか、アドバイスなのか?

昭和30年代の福岡市

東田島カトリック幼稚園 クリスマス会

アダム・グラント教授の近著『HIDDEN POTENTIAL』には、「フィードバックよりアドバイスのほうが人を成長させる」という主張があります。複数の実験結果から、具体的で建設的な意見を引き出すには「評価」を求めるより「改善点」を求めるほうがよい、という論理です。しかし正直に申し上げますと、私はこの議論をそのまま鵜呑みにすることはできませんでした。いかにも、アメリカのビジネススクール的だからです。

ここで、日米におけるバックグラウンドの違いを押さえておく必要があります。

アメリカ

  • 主体性が強すぎる

  • 自己主張が過剰

  • 他者のアドバイスを聞かない
    →だから「アドバイスを聞け」が必要

日本

  • 主体性が弱すぎる

  • 自分の意見を持つ訓練がない

  • 評価を気にしすぎる
    →むしろ「自分で考えろ」「自分に率直になれ」が必要

つまり、グラント教授の主張を日本社会にそのまま輸入しても機能しないということです。

もちろん、フィードバックが常に有効とは限りません。曖昧で社交辞令的な言葉は何の助けにもなりませんし(これがアメリカ的なのですが、、、)、言葉を受け取る側の心構えが整っていなければ、耳に入っても実践には結びつきません。けれど、人が自分自身をふりかえり、過去を更新し、次の一歩を決めるという作業において、「自分自身によるフィードバック」は不可欠だと私は思っています。

そしてもう一つ、アドバイスというものは、誰からもらうかで質がまったく変わります。相手によっては、的外れな助言や、受け取ればむしろ自分を後退させるアドバイスさえあります。

アメリカのビジネススクールを否定するつもりはありませんが、あれは「ビジネスの技法(how-to)」を体系化して教える場です。そこに学問としての本質や、人が学び続けるための根源的な姿勢まで期待するべきではないと思います。だからこそ私は、コーチ・カウンセラー・メンターの三つの役割を自分の中でどう配置し、どうバランスをとるか──そこに主体性を持つことのほうが重要だと考えています。

「礼儀」と「親切」の違いが生む沈黙

グラント教授のエピソードに「友人の歯についた食べかす」の話があります。確かに、人は相手の欠点に気づいても口をつぐんでしまいます。礼儀正しさが先に立ち、親切さが後に回ります。もっともらしい褒め言葉は言えても、本当に役に立つ率直な指摘はなかなかできません。

率直さというのは、言葉の選び方次第で相手を傷つけもしますし、救いにもなります。だから難しいのです。しかし難しいからといって黙るのは、親切とは言えません。礼儀と親切は似ているようでいて、まったく違う作用を持っているのです。

ただ、私はこの話を読みながら、「率直さ」を他者に頼る前に、まず自分自身に向ける必要があるのではないか、と感じました。人は他者からの助言よりも、自分で自分の思考や行動を正しくふりかえる力を育てるほうが、よほど強靭になれるからです。

絵日記

そこから私は、なぜか自然に「絵日記」のことを思い出していました。絵日記は、情緒と思考をつなぐ最初の訓練です。小学生の頃に誰もが書いた「絵日記」、あれを単なる夏休みの宿題として捉えてしまうのは、少し惜しい気がします。絵日記とは、心に残った場面を視覚的に描き、それを言葉で補う作業です。つまり「情緒的な思考」と「論理的な思考」を橋渡しする訓練になっているのです。

この二つを早い時期に繋いでおかないと、抽象的な概念を扱ったり、論文を書いたり、他者に向けて説得力ある説明をしたりすることができません。社会人になって求められるプレゼンテーション能力も、レポートを書く力も、そもそもは「自分の気づきや体験を言葉にして残す」ことから始まります。そしてその原点が絵日記なのです。

私はよく、10年、20年、あるいは30年前に書いた日記を読み返します。驚くほど変わった部分もあれば、呆れるほど変わらない部分もあります。その揺らぎや反復に、かえって自分の本質が見えます。柳田国男が「後日虚心平気にもう一度これを批評するために書くのだ」と語ったように、書くことは未来の自分への橋がけなのだと感じています。

小学生低学年のころ、夢中で描いていたのは「鉄人28号」でした。リモコン次第で正義にも悪にもなる存在は、どこか人間くさく、私は鉄腕アトムよりもそちらに惹かれていました。ビートルズよりローリング・ストーンズの「ざらつき」が好きなのと似ているのかもしれません。もちろん両方好きではありますが、人間味のある揺れや未完成性に惹かれていたのだろうと思います。

理系・文系の区別とは無関係に、「絵を描くこと」は思考の基礎です。頭の中で形づくられたイメージを外に出す行為は、まさに構造化にほかなりません。ビジネスの世界でPowerPointを使って図解をつくるのも、その延長線上にあります。絵心のある人は、複雑な情報を整理し、外に向けて伝える能力が高いものです。

絵日記とは、その最初のバージョンなのです。

「絵」が印象を伝えるビジュアル要素であり、「文章」が意味づけを補う言語的要素である。この二つを同時に扱うという点で、絵日記はプレゼンテーションの原点とも言えるのです。

良いアドバイスとは、自分が見つけるもの

話をグラント教授に戻します。教授は「アドバイスを求めるほうが具体的で建設的な意見を得られる」と説きます。しかし、私はアドバイスというものを過信してはならないと思っています。

アドバイスを与える側にもバイアスがありますし、その人が置かれた環境や価値観によって結論は大きく揺れます。それを丸呑みするのは、思考停止と紙一重です。アメリカのビジネススクールがどれほど合理的なメソッドを教えたとしても、それは「技法」にすぎません。大切なのは、その技法を運用する「自分自身」の側であるはずです。

だからこそ、コーチ・カウンセラー・メンターという三つの役割をどう活用するか、主体的に選ばなければなりません。外部の助言は、自分を映す鏡の一つではありますが、決して最終判断を委ねるものではありません。

本当に大切な「アドバイス」とは、実は他者の口から出るのではなく、自分がふりかえりの中で発見するものなのではないか──私はそのように考えています。

自分の成長は、外から注がれるものではない

アドバイスを求めるより前に、まず自分自身の思考を見つめること。そして、過去の自分とも向き合い、そこからまた新しい構造を組み立てること。その積み重ねこそが、人を本当に強くするのだと思います。

だから日本で必要なのは、外部のアドバイスよりもまず “自分自身に対する率直なフィードバック” であり、そこから生まれる主体性なのだと思います。

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2025年11月25日火曜日

「性格は環境で決まる」~ 人生を変えるのは“誰と出会うか”

 
東田島カトリック幼稚園(昭和30年代 福岡市)

ビジネス誌のオンライン版に、興味深い記事がありました。

「幼稚園の先生によって、将来の年収に1000ドル以上の差が生まれる」という、ペンシルバニア大学ウォートン校のアダム・グラント教授の研究を紹介したものです。

なるほど、幼少期の教育環境が人格や能力形成に大きく影響するという指摘はもっともです。しかし私が強く思うのは、そこで本当に問われているのは「先生という“個人”」ではなく、子どもを取り巻く“環境全体”の力ではないか、という点です。

もっとも、幼少期の環境は日米で大きな差があります。スペインの哲学者オルテガは「私は、私と環境でできている」と述べました。この言葉は、人格や性格の本質を端的に言い表していると感じます。

性格を育てる最大の要因は、家庭の“生き様”です

幼児に最も長く、強く影響を与えるのは、実は幼稚園の先生ではありません。間違いなく、親です。子どもは、親の言うことよりも、親の生き方・態度・振る舞いを見て育ちます。
  • 困難にどう向き合うか
  • 怒りや失敗にどう対処するか
  • 挑戦するのか、安全地帯に留まるのか
そうした日常の「背中」が、そのまま性格の設計図になります。

私たちを形づくる最大の力は、家庭という“環境”と、そこで起きる無数の“邂逅”(人やモノとの出会い)だと言えるでしょう。

才能(ギフト)よりも重要な「性格スキル」

大谷翔平選手のように、生まれながらのギフティッドであり、後天的に磨かれたタレンティッドでもある人は、例外的です。しかし多くの人は、天才ではありません。

では、私たち全員が持ち、後天的に伸ばせるものは何か。

それが、アダム・グラントがさまざまな研究で示している「性格に由来するスキル」です。

私はかつて、コンサルティング会社で多くの中途採用面接に関わりました。コンサルの採用は人事部の仕事ではなく、マネジメントが直接責任を持つのが原則です。

そこで最重要視したのは、知識でも経歴でもなく、性格でした。知識や経験は真偽の確認です。性格だけは“土台”です。ここが弱いと、どれだけスキルを積んでも、土台から崩れてしまうのです。

アダム・グラントが語る「性格スキル」の3要素

アダム・グラントは著作の中で、人の成長を左右する「性格由来の力」を整理しています。なかでも重要なのが以下の3つです。

1.意志力

不快から逃げず、小さな一歩を踏み出す力です。人は「変わりたい」と「変わりたくない」を同時に持っています。コンフォートゾーンから出る力は、人生を大きく分けます。

2.積極性(プロアクティブさ)

環境から学び、吸収し、適応していく力です。“人間スポンジ”のように新しい経験を取り入れ、不要なものを捨て、変化に柔軟に対応する姿勢が求められます。

ここで重要になるのが、良いメンターとの出会いです。出会いは、人を変える最大の装置だからです。

3.自己統制力(新渡戸稲造『武士道』の“克己”)

「できない完璧」ではなく、「できる現実」に基準を置き直す力です。完璧主義はしばしば挫折の原因になります。達成可能な基準を設定し、粘り強く進む力が、人生の持久力を生みます。

性格は“環境”がつくり、環境は“邂逅”で形づくられる

プレジデントの記事が示していたのは、幼児教育の力でした。しかし、より大きな本質はこうではないでしょうか。
  • 性格は才能を超える。
  • 性格は後天的に鍛えられる。
  • 性格を鍛えるのは、環境と邂逅である。
子どもをどんな環境に置くか。
どんな人やモノと出会わせるか。
何より、親である私たち自身がどんな生き方を見せるか。

幼稚園の先生は重要です。しかし人生を決めるのは、もっと大きな“環境の総量”です。そしてその環境は、私たち自身が選び、つくり出すことができます。

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2025年11月24日月曜日

沈黙の速度 ~ アメリカは 3 秒、日本は 8 秒

 
James Brown

ネットで面白い記事を見つけました。

「日本人は何秒まで沈黙に耐えられる?」――英会話学校が発信した、なんともユニークなテーマです。 

Preplyというオンライン英会話サービスが世界 21 か国を対象に調査したところ、日本人は 7.8 秒 も沈黙を許容できるという結果が出たそうです。

世界の平均が 6.8 秒ですから、意外にも“沈黙耐久レース”ではかなりの上位に食い込みます。 しかし、私がアメリカのコンサルティング会社で経験した沈黙の世界は、もっと過酷なものでした。あちらの許容時間は、なんと 約 3 秒。3 秒沈黙すれば、「議論についていけてない?」と判断されても仕方がありません。

1、2、3……はいアウト。

油断していると、沈黙は「無能」のラベルを貼るストップウォッチのように働きます。もちろん、これは会議だけではありません。カジュアルな会話でも同じです。バーで雑談している最中でさえ、アメリカ人はあなたの“間”を査定しています。

そこには、「常に考えているか」「問題意識があるか」「当事者意識は?」という、米国社会特有の価値観が透けて見えます。つまり、沈黙というのは単なる無音ではなく、“思考の密度が試される時間” なのです。

日本人は沈黙に強い? でもその意味はちょっと違う

調査によれば、日本人は 7〜8 秒の沈黙でも平気。これは決して「何も考えていない」のではなく、むしろ逆です。

日本文化では、沈黙は
  • 空気を読むための静かな余白

  • 相手への配慮を整える「間」

  • コミュニケーションの緩衝材

として働きます。

会議で沈黙したからといって「あいつ、無能だな」とは思われません。思われるとすれば、「あいつ、ちゃんと考えてるな」「慎重なんだな」 のほうでしょう。

ところが、アメリカ人にしてみれば、沈黙=通信障害。“Limbo”――宙ぶらりんで物事が決定せず、保留状態のこと。Wi-Fi が落ちたときと同じ顔をしてこちらを見てきます。

文化の違いとは、こういう微細な “間への態度” に最もよく表れます。

日本でも“沈黙への耐性”には地域差がある?

日本にも地域差があります。

とくに関西では沈黙の耐性は低く、対話のテンポが速い。
さらに、“正しい間” が要求される。

大阪のおばちゃんの会話のグルーブ感は、ファンクミュージックのゴッドファーザーであるジェームス・ブラウンのグルーブ感です。
決してアメリカ南部のカントリーウエスタンのリズムではない。

大阪の商店街で育った子供は、近所を徘徊するだけで自然と高度なコミュニケーション技術が身につくのですから、驚くべきことです。

ソーシャライズという言葉が示すもの

そもそも日本では “ソーシャライズ” という発想が希薄です。
ビジネスの場で必要最低限のやり取りができればOKという文化。

ところが英語圏では、ソーシャライズ(人間関係の社会的潤滑油)は
信用形成の入口 にあたる大事な行為です。

関係構築は雑談から。
その雑談は “沈黙” を許容しないスピーディなもの。
これが、海外で日本人が最初に戸惑うポイントでしょう。

「沈黙」は何を語っているのか?

沈黙の許容範囲の違いは、単なる秒数の問題ではありません。

それはその社会が

  • どんな速度で思考し

  • どんなリズムで信頼を築き

  • どんな価値を大切にしているか

という 文化の深層心理 を映し出しています。

ブラジルは 5.5 秒で気まずさを感じる。
アメリカのコンサル会社では 3 秒で沈黙に耐えられない。
日本は 7〜8 秒静かでも平気。

この違いを知っておくだけで、海外での誤解やトラブルは格段に減ります。

さらに言えば、大阪のおばちゃんレベルのグルーブ感が世界でも十分通じることがわかり、ちょっと誇らしい気持ちにもなります。

維新の会の吉村さんが大阪を強調するなら、身を切る改革よりも“大阪のおばちゃんのグルーブ感”ですよ!

沈黙は「空気」ではなく「文化」である

沈黙は、単なる無音ではありません。

それは文化がつくるリズムであり、会話の温度であり、人間関係の距離感そのものです。

そして、自分の “沈黙の秒数” を自覚することは、異文化コミュニケーションの第一歩であり、仕事でも雑談でも信頼形成でも、思った以上に重要な要素です。

沈黙が 3 秒の国で働くなら、頭の中に常に 小さな司会者 を飼っておく必要があります。大リーグのピッチ・クロックのような感覚です。

とにかく、次の言葉を準備し続ける。
アメリカでクビにならずに働くとは、そういうことなのです。

そして日本に帰れば、7〜8 秒の静寂が「落ち着くなぁ」と感じるかもしれません。

沈黙の国境線をまたぐたびに、自分の内部に別の時計が動き出す――
そんな感覚すら覚えるかもしれません。

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2025年11月23日日曜日

新たな政権への期待、でも今はまだ霧の中

補正予算が“無事に”成立したというニュースを耳にすると、なぜか逆流性食道炎のような違和感が残ります。もちろん、補正予算そのものが悪いわけではありません。本来、予期せぬ事態への緊急対応として機能するはずの仕組みです。ところが日本では、いつの間にかこれが「予定調和」と化し、年度当初の本予算の段階から「まあ、どうせ後で補正するんでしょ?」という空気が漂っています。これは、企業でいえば「期初の計画は建前、実態は期中のドタバタで調整」という、あの残念な文化にどこか似ています。つまり、国家規模の“場当たり経営”です。


高市政権が今後どう推移するかは未知数ですが、どうにも国家としての“共同主観”が欠けているように思えてなりません。国のビジョンや長期計画が見えないのです。企業でいえば、創業者の志が二代目、三代目と薄まり、やがて「うちも他社と同じでいいや」と没個性化していくあのプロセスに近いものがあります。国家までサラリーマン経営になるとは、なかなか洒落になりません。

補正予算の常態化という「国の癖」

補正予算が常態化する理由は、政治的要因が大きいと言われます。選挙前になると、なぜか地元の道路がにわかに補修され、地元向け事業が突然動き始める。景気対策というより、票の対策です。それに、予算編成の段階で“財政規律”を演出するために一度は歳出を抑え、あとから補正で盛る、という手法がすっかり日常になっています。透明性は下がり、国家の家計簿は「付け足し」「後出し」「どんぶり勘定」のオンパレード。こんなブラックボックスに企業が未来投資できるわけがありません。

長期計画がない国に、民間投資はついてこない

日本の民間企業が設備投資を控えるのは、先行き不透明だからです。誰だって、霧の中でアクセルは踏みません。ところが国は、その霧を晴らす長期計画を示さない。AIへの投資、エネルギー政策、交通網、地方再生――どれも中途半端で、「来年どうなるか」さえ分からない。これでは企業の経営者が“任期中の保身”を優先してしまうのは、むしろ当然でしょう。多くの経営者は創業家でもなく、サラリーマンなのですから。

しかも日本は、需要より供給が足りないという構造的問題を抱えています。人口ピラミッドを見れば明らかなように、労働力が圧倒的に不足している。米騒動のときと同じで、需要があっても供給が追いつかなければ市場は混乱します。ならば、短期の需要予測にふりまわされるのではなく、国家が「供給力拡大」のための長期計画を示し、公共投資を明確にすべきなのです。

国家が方向性を示せば、企業は言い訳なく投資できます。未来が見えれば、企業は動く。これは世界中どこでも同じ原理です(社会主義の計画経済を言っているのではありませんよ)。

PB(プライマリーバランス)という呪文

政府は財政規律の旗として「PB黒字化」を掲げています。もちろん、財政健全化は立派です。しかしながら、これを金科玉条にして必要な投資を削るのは、ダイエット中だからといって必要な栄養まで抜くようなものです。結果、体力(経済成長)が衰えます。

しかも日本は通貨発行権を持っている。国債発行が即破綻につながるわけではありません。もちろん無制限にやればインフレが暴走しますが、いまの日本で問題なのは、むしろ投資不足による“衰弱”のほうでしょう。

では、賃金はどう上げるか?

反対意見もあるようですが、私は公務員の給与を2割ほど引き上げるのは、一つの有効策だと思います。「優秀な人材は公務員へ」 となれば、企業は賃上げせざるを得ません。社会全体に賃上げムードが生まれ、消費は活性化し、税収も増える。確かに財源の問題はありますし、すべての民間企業が追随できるわけではありませんが、政府が率先して賃金上昇のモデルになることには意味があると思います。

多くの経営者に当事者意識が欠けるのは事実でしょう。しかし、その前に国家そのものが問題意識を持っていない。国の方向性が定まらないから、企業も動けず、賃金も上がらず、国民は疲弊していく。国が、未来への確実なコンパスを示すこと。これがまず必要なのです。

かすかな兆し

もっとも、こうした混迷のなかで、まったく希望がないわけではありません。裏側でどのような力が動いているかは依然として不透明ですが、高市政権の出だしを見るかぎり、今回は日本政治がようやく“軌道修正”へと舵を切るのではないか、という微かな兆しがないわけではありません。もちろん期待しすぎれば裏切られるのが日本政治の常ですが、少なくとも従来のような場当たり的対応から一歩踏み出す気配だけは見えます。問題は、その気配を実際の政策へ落とし込めるかどうか、そして政官財の古い慣性に押し戻されず維持できるかどうかです。この国が立ち直るチャンスがあるとすれば、今まさにその入口にいるのかもしれません。

***

2025年11月22日土曜日

思考停止は、金の匂いを羅針盤とする

 
メディアに翻弄される大衆

昨今の日本のメディア報道には、もはや見過ごせないほどの“劣化”が目につきます。とりわけ中国関連のニュースを眺めていると、報道機関とは本来何をすべき職能だったのか──そんな素朴な疑問すら湧いてきます。

本来、報道は権力の言い分やプロパガンダを吟味し、歴史的背景、外交、安全保障のリアリティを踏まえて「自国にとって何が真実なのか」を冷静に提示するのが仕事のはずです。ところが現実には、論理の裏付けもなく、概念の理解も浅い。上滑りのコメントを並べ、勉強不足を自ら晒すような報道が、堂々と“ニュース”として垂れ流されている。

残念ながら、今の日本のメディアを見ていると、「中国共産党の発信を、そのまま音読しているのでは?」と疑いたくなる場面すらあるのです。

政府の公式見解、国際社会の批判、中国国内の現実──本来なら複数の視点を示すべきところが、結論ありきで“わかりやすく加工”された情報ばかり。これでは報道ではなく、プロパガンダの請負業です。

そして情けないことに、日本の財界もまた利益を優先し、都合の悪い論点を避けてメディアと同じベクトルに流れがちです。メディアが迎合し、財界が沈黙し、政治が空気を読み、大衆が思考停止する──この構造こそ、中国の暴走を結果的に助長していると言っても過言ではありません。

オルテガが描いた「大衆」とは誰のことか

こうした状況を理解する上で、ぜひ読み返すべき古典があります。
ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1930年)。

世界大恐慌、全体主義の台頭──混乱の中でオルテガが警告したのは、

「凡庸な平均人が権力の座に登り、社会を支配する危険」でした。

彼は「大衆」をこう定義します。
  • 自分を他人と同じだと疑わず、それを誇りとする人々
  • 何の努力もせず、既得権を当然のように享受する“満足しきったお坊ちゃん”
  • 外の世界でも家の中と同じように振る舞えると信じ、取り返しのつかないものなど何もないと考える人間
さらにオルテガは警告します。

「思想のない大衆人ほど、社会の複雑さに無自覚なまま政治・社会の中心に入り込み、有能な人材の創造性を圧殺する」

今の日本社会とあまりに似ていないでしょうか?

政治家が「国民のみなさま、いかがでしょうか!」と声を張り上げ、迎合と自己保身を競う姿を見るたびに、ノブレス・オブリージュとは無縁の“大衆人の政治”が実現してしまったのだと痛感します。

一億総“大衆化”の国で、情報はどう扱われるか

「大衆」とは mass(マス)であり、マス・メディアとは本来 “大衆を扱うための仕組み” です。

しかし日本では、そのメディアが自ら大衆化してしまった。その結果、一億総大衆化の国では、国外勢力が世論を誘導するのは極めて簡単です。

必要なのは、マス・メディアを押さえるだけ。
あとは国民が思考停止のまま、同じ方向へ揃って歩いてくれる。

これこそが、オルテガの描いた「大衆の反逆」が現代日本において露骨に出現している姿ではないでしょうか。

我々にできる唯一の抵抗

ではどうすべきか。
答えは単純です。

「情報を受け取る側が変わるしかない」

メディアの言うことをそのまま信じるのではなく、

自ら考える。
自ら調べる。
自ら疑う。


高校3年の夏休みに、オルテガの『大衆の反逆』を丸一冊読み込むくらいの“余裕”と“意志”を、今の日本人は取り戻すべきでしょう。

報道が堕落しても、国家が迷走しても、最後に残るのは私たち自身の思考だけなのです。

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2025年11月21日金曜日

サキソフォンは私を試している


吉祥寺のスタジオでサックスを小一時間ほど吹いてきました──とはいえ、“一時間”というのは正しくなくて、実際は15分吹いて、15分ぐったり休憩。結局、まともに音が出せているのは30分ほどです。

いま取り組んでいるのは、「立って吹く」という、ごく当たり前のようでいて実は奥の深い動作。サックス初心者の私が追いかけているのは、50〜60年代のジャズやファンクが持っていたあのトーンと佇まい。でも、昔の巨匠たちのように、ホーンを身体から少し離して構え、背筋を伸ばして立つ──あれはもう別世界です。すぐ疲れるし、半分くらいはサックスがピーピー文句を言い返してくる。自分の理想までは、まだ長い道のり。精進あるのみ。そして、高齢者の私に“上達の余白”がどれほど残っているのかと、、、。

日本のプレイヤーは、クラシックや吹奏楽の出身が多いこともあって、姿勢はどうしても安定と効率が優先される──ホーンを体に寄せて、音も動きもきっちり制御するようなスタイルです。

でも、アメリカのジャズやファンクのレジェンドたちはまったく違った。彼らが追っていたのは「自由」と「表現」、そしてビートに乗ったグルーブ感。ホーンは身体からふわっと離れ、大きな両手で鷲づかみにされ、まるでエネルギーの延長みたいに揺れていた。

それが、私が追いかけているサックスのスタイルです。いまのところは、そのスタイルのほうに追いかけ回されている気すらしますが……。

Yesterday, I spent about an hour practicing sax at a studio in Kichijoji — though “an hour” is generous. Fifteen minutes of blowing, fifteen minutes of cooling down. In the end, I’ve got about thirty solid minutes in me.
Lately, I’ve been studying what it means to stand and play. What I’m aiming for is that ’50s–’60s jazz and funk sax vibe. But standing tall, holding the horn away from the body — the way the old masters did — is a whole different game. It’s tiring, and half the time the horn squeals back at me. I’m nowhere near where I want to be. The woodshedding continues.
Japanese players often come from more classical or academic backgrounds, so their posture leans toward stability and efficiency — the horn tucked close, everything controlled.
But the American jazz and funk legends? They chased freedom. Expression. Movement. Their horns floated off their bodies like extensions of raw energy. That’s the style I’m chasing — even if, for now, it’s chasing me right back.

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2025年11月20日木曜日

2009年のNYから2025年の武蔵野へ──日本はアメリカの“二の舞”を歩むのか

玉川上水緑道


私がアメリカでの暮らしを引き払い、日本へ帰国したのは2009年の夏でした。ニューヨークへ赴任した1989年から数えると、丸20年の歳月が流れていました。


2025年の現在、武蔵野市で暮らす身として、街を歩いていると、あの20年前のNYの空気が胸の中でよみがえることがあります。もちろん、武蔵野はマンハッタンのように摩天楼が立ち並ぶわけではありません。しかし、物価の上昇、税・社会保険料の負担増、外国人労働者が支えるサービス産業、そして“中間層の薄まり”の気配――。こうした「じわじわ来る変化」が、どこか既視感を伴って迫ってくるのです。

NYで見た「二つの消失」──中間層とWASP

1989年のNYには、まだ街のどこかに「中間層の気配」が残っていました。しかし2000年代に入る頃、その中間層は砂がこぼれるように消えていきました。

そしてもう一つ、はっきりと消えたものがあります。それは、WASP――白人アングロサクソン・プロテスタントの富裕層です。NY郊外の街々に漂っていた“古き良きアメリカの残り香”(我々よそ者にとっては非常に排他的で、どこかsnobbishな世界)は、気づけばどこにも存在していませんでした。

代わって街を支えるようになったのは、外国からの移民(合法・不法を問わず)と、要職を静かに押さえていったユダヤ系コミュニティでした。NYの「力の中心」が気づかぬうちに入れ替わり、街の顔つきがまったく違うものへと変貌していったのです。

マンハッタンから黒人が消え、武蔵野から“余裕”が消える?

もう一つ、当時強く感じていた変化があります。それは、マンハッタンから黒人がいなくなったことです。彼らは家賃や食料品の高騰に押し出されるように、どんどん郊外へ追いやられていきました。

同じ現象が、いまの日本で静かに起こっています。武蔵野で黒人が消えたわけではありませんが、感じるのは「街の余裕」が消えていくような窮屈さです。

・物価は上がる
・税金も社会保険料も上がる
・所得は上がらない
・若い世代には貯蓄も結婚も子育ても重荷
・外国人の急増

この「余裕の消失」は、いつかNYを飲み込んでいった社会変容の前兆によく似ています。

日米物価比較:数字で見れば、日本は“安い国”…のはずだった

アメリカの物価は日本の1.2〜1.5倍。都市部ではそれ以上です。肌感覚では数倍から5倍ということも珍しくありません。レストランで食事をすれば一日100〜150ドルは覚悟。家賃は月40万円を超えるのも珍しくなく、NY市では60万円を超えます。 

ただしアメリカには「所得の高さ」という裏付けがあります。平均年収は日本の3倍。しかし、あの収入を得るには、日本のビジネスパーソンの“3倍の精神力と体力”が必要なことも事実です。高収入になればなるほど、クビになるリスクが上がるのです。

日本は長らく“物価が安い国”と信じられてきました。しかし2025年、状況は明らかに変わりました。食料品のインフレ率は8%超。米や魚や肉は、感覚的にはコロナ前の“倍”の値段です。価格設定に品質(人の対応も含めて)が追い付いていない状況です。これでは、年金生活者が苦しくなるのは当然で、若い人は――言うまでもありません。

税金と社会保険料:日本はいつの間にか“消費できない国”に

多くの人が気づき始めています。「日本の税金は、もしかするとアメリカより高いのでは?」と。

実際、国民負担率は45.8%に達しました。所得の半分近くが、税と社会保険料として天に召されていくわけです。

もちろん、日本は医療制度がしっかりしています。アメリカのように救急車に乗るだけで破産しかねない世界ではありません。しかし、年金受給額は物価ほどは増えず、“実質的な目減り”が起きています。

「年金だけで余裕のある暮らし」――これはすでに、ドラマの中でしか見かけないファンタジーになりつつあります。

子育て世代はどう生きるのか?

東京のサラリーマンが年収1000万円を超えることは稀です。しかし食費は2倍、税金は増税、保育料・習い事・住宅ローンは天井知らず。

若い世代は、どうやって生活設計を立てれば良いのでしょうか。私がもし20代だったら、「子育ては人生の冒険」ではなく「子育ては経済的ギャンブル」と感じてしまいそうです。

与野党の“足引っ張り合戦”はもう終わりにしませんか?

本来なら、こういう時こそ政治の出番です。しかし現実はどうでしょう。

与党:改革はしたいが、票を失いたくない
野党:批判はするが、現実的な提案はしない

そして国民だけが、じわじわと生活が苦しくなる。これは、アメリカの二極化と同じ構図です。

与野党は危機意識がなさすぎる。「日本が沈むかどうか」という一点で、そろそろ協力した方がいいのではないかと。“揚げ足取り政治”は、もはや国益どころか国民生活すら守れません。

日本はどこへ向かうのか

1989年から2009年のNYで見たのは、中間層の消失と、社会構造の静かな地殻変動でした。2025年の日本にも、その影が迫っています。もちろん、日本はアメリカではありません。文化も、制度も、価値観も異なります。

しかし――格差の拡大、生活の圧迫感、社会の余裕の喪失という点では、日本はNYの2000年代に驚くほど似てきていると私は感じています。

大胆な政策転換と、政治的協力。そして国としての方向性の再定義。それを怠れば、20年前にNYで起きた“失われた中間層”のドラマを、今度は日本が自分自身で演じることになるかもしれません。

私は、そんな未来だけは避けたいと願っています。「安い日本」ではなく、「誇りある魅力的な日本」に戻るために。

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2025年11月19日水曜日

暴走する中国、眠り続ける日本 ~ 国際秩序の転換点に立つ日本の弱さを問う ~

 
映画『アンストッパブル』(2010年)

https://www.bbc.com/news/articles/c4g311jn1m9o

BBC News

A Chinese firm bought an insurer for CIA agents - part of Beijing's trillion dollar spending spree

Celia Hatton


BBCの記事が示した中国の対外投資は、私には巨大国家の“暴走列車”のように見えます。行き先がどれほど危うくとも、速度を落とす気配はなく、ただ未来へ向かって突き進んでいく姿です。もちろん、その是非は別として、中国共産党は外へ向かい、資本も人材も政策も同じ方向に力を集中させています。

では日本はどうでしょうか。政治家は自国の未来よりも派閥均衡と地元の機嫌に気を取られ、国益より自身の次の選挙を優先します。国会では長期課題の議論より日替わりスキャンダルの追及が優先され、一歩先を見る視野を失っています。そもそも「政治家とは何か」という概念を理解していない人たちが、政治家を務めているようにすら見えます。

経済界は、中国依存の危険を語りながらも、その依存を断ち切れず、甘い関係を続けています。「リスク」より「既得利益の持続」が優先され、危険を理解しながら変化を拒んでいるからです。社長や役員までがサラリーマン化した結果と言えるでしょう。

教育界は、未来に必要な思考力を育むことよりも、均質化と失点回避の技法を教え続けています。若者は世界の変動を知らされず、社会全体が“未来を構想する力”を喪失しています。やはり、一般社会から最も遠いところにいる人たちが、国家百年の計のフロントラインに立っていることが問題なのでしょう。

国民もまた、思考を放棄しつつあるように見えます。政治や経済への不満を口にしながら、問題を自分の言葉で語ろうとはしません。「どうせ何も変わらない」という静かな諦念が、この国でもっとも共有された感情なのかもしれません。本当に賢い人たちは、いまの状況では表に出てきません。なぜならば、彼らは賢いからです。

そして何より深刻なのは、本来、権力を批判し監視するはずのメディアの劣化です。日本の大手メディアは、権力の顔色をうかがい、波風の立たない記事だけを量産しています。記者クラブ制度に守られながら「ジャーナリズム」を名乗っていますが、実態は広告代理店に近いと言わざるを得ません。調査報道は枯れ、権力監視の気概も消え、国民が知るべき情報は薄められ、丸められ、都合よく加工された形で提供されています。

こうして政治は方向を失い、経済界は依存を続け、教育界は停滞し、メディアは沈黙し、国民は諦める――。日本社会は、まるで全身の筋肉がふにゃりと力を失い、動くこと自体を忘れてしまったかのようです。

BBCが描いたのは中国の攻勢でした。しかし、本当に問うべき問題は中国そのものではありません。日本が未来に向けた「意志」も「想像力」も「怒り」も失いつつあることです。未来は自然には訪れません。動かない国家の上に、突然明るい未来が降ってくることもありません。

日本の衰退は、外からではなく内部から加速度的に進んでいるように見えます。日本本来の良さを忘れ、変化を願う声が小さくなっているのも気になります。今の日本の病状は、この無関心や諦めの広がりにあるのかもしれません。ですが、だからといって、虚無の克服に私たちにできることがないわけではありません。現状を認識し、自分の生き方や価値観を振り返り、少しずつでも考えをつなぎ直していくこと――それが、未来の日本につながる手立てになると思います。

高齢者の戯言と受け取るか、何かを感じていただけるかは、それぞれの方に委ねたいと思います。

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2025年11月18日火曜日

日本医療の危機

病院とは、私たちが日常もっとも非日常的な時間を過ごす場所です。そこでは、患者は「個人」として尊重されながらも、同時に医療の流れのなかに位置づけられ、私的な感情よりも治療という共同の目的が優先されます。医師や看護師もまた、一人の人間というより「役割(function)」としてふるまい、専門職としての判断や対応が求められます。

とりわけ三次救急や高度急性期医療を担う“大規模病院”では、社会の変化や制度のひずみがもっとも早く、そして透明に表れます。人口構造の変化、人手不足、医療の高度化、制度改革の影響──これらが病院という空間に凝縮され、廊下を歩くだけで、社会の深層がにじみ出てくるように感じられます。

今回、私が武蔵野赤十字病院で目にした光景も、単なる「一つの病院の変化」ではなく、現代日本の医療が抱える構造的な課題の縮図として、とらえるべきものだと思いました。

武蔵野赤十字病院はいま何を抱えているのか

一週間の通院で見えた日本医療の「静かな危機」

この一週間、身内が救急搬送されたことをきっかけに、私は毎日武蔵野赤十字病院に通っています。実は5〜6年前、義母の介護・看病で同じ病院に何年も通った時期がありました。その当時の記憶と現在の光景を重ね合わせると、同じ病院でありながら、どこか空気が違うという感覚を覚えます。その違和感が何から来るのか。観察を重ねるうちに、武蔵野赤十字病院という“個別の場所”を超えて、日本の医療が抱える構造が浮かび上がってきました。

若い医療者が一気に増えた病院内

病院に入るとまず驚くのは、若い医師や看護師が圧倒的に多いことです。看護師も二十代前半と思われる人が増え、十年前にはあまり見なかった光景です。

しかし、これは武蔵野赤十字病院だけの異変ではありません。大規模病院が「教育・研修機能」を担うようになり、若手が常に循環する構造が強まっています。さらに、2024年に施行された「医師の働き方改革」で時間外労働が厳しく制限され、医療提供体制を維持するには若手を増やすしかなくなりました。つまり、若い医療者の多さは“活気”の表れであると同時に、医療制度の変化の結果でもあります。

良いことのように見えますが、若手中心の循環型人事では、経験が積み上がりにくいという課題も生まれます。社会経験が不十分な医療スタッフが高齢者の患者や患者の家族と接する構図です。

高齢スタッフが支える病院の下支え

一方、清掃、ベッドメイキング、車椅子の誘導、配膳など、コア業務を補う仕事をしているのは、高齢のスタッフが圧倒的に多くなっています。十年前にも高齢者の姿はありましたが、現在は“ほぼ高齢者のみ”といって良いほどです。後期高齢者かと思うスタッフも見受けられます。これも全国で共通の傾向で、少子高齢化のなかで雑務を担う人材が確保できず、高齢者雇用の比率が上がっているのです。もちろん、彼らの存在は病院にとって不可欠です。しかし、これほど高齢化した体制があと何年維持できるのかと考えると、胸がざわつきます。

若い医師と高齢スタッフが行き交う廊下は、日本社会そのものの縮図のようでもあります。

日本赤十字社全体が抱える経営難

では、病院経営はどうなのでしょうか。

日赤グループは全国に90以上の病院を抱えていますが、2024年度の医業収支は456億円の赤字が見込まれ、約3割の病院が経営不振に陥っていると言われます。診療報酬は上がらず、材料費・人件費・光熱費は急上昇。この構造的赤字は、武蔵野赤十字病院にも当然のしかかっています。

ただし、この病院には「東京西部の高い人口密度」という大きな強みがあります。地方の日赤病院に比べると患者数が安定しており、立地の良さに支えられているのは確かです。しかし、それでも医療費・人件費の高騰は避けられません。病院が自助努力だけで乗り越えるのは難しい時代になっています。

一週間の観察から見えた“静かな危機”

これらを踏まえると、武蔵野赤十字病院は次の四つの課題を抱えていると感じます。

① 若手中心の医療体制

若手が多く、現場は明るく活気がある。しかし裏を返せば、経験が積み上がりにくい。重症患者を扱う病院にとって、これは見過ごせない問題です。

② 高齢スタッフが病院の基盤を維持

清掃、配膳、誘導など病院の“動線”を支えるのは高齢者で、その貢献は大きい。しかし、持続性という点では明らかにリスクを抱えています。

③ 経営は「強み」と「弱み」の両面を抱える

立地と患者数の多さは強みである一方、赤十字グループ全体が抱える政策医療への偏重は重い荷物になっています。

④ 危機はまだ“見えていない”

私が実際に見た限りでは、病院の雰囲気は悪くありません。むしろ以前より若さがあふれ、明るさすら感じます。しかしその裏側には、制度改革、人材不足、医療費増、経営圧迫など、静かに進む危機が積み重なっています。

「まだまし」だが、それは永続する保証ではない

総合すると、武蔵野赤十字病院は日本の医療危機のなかでは“比較的まし”な病院に見えます。東京圏の需要、赤十字の看板、若手の供給、大学病院的な研修機能――これらが病院の体力を支えています。しかし、その体力がいつまで持つのかは誰にもわかりません。若い医師と高齢スタッフがすれ違う廊下の風景を眺めながら、私は「この体制はあと何年持つのだろう」と何度も自問しました。

武蔵野赤十字病院は、いまの日本医療が抱える“静かな危機”をそのまま映し出す場所になっている──この一週間の通院で、私は強くそう感じています。  

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