2025年4月30日水曜日

AIってどうなのよ?(続 )

 

AIはアクションに対するリアクションを考慮しません。コンピュータのプログラムですからね。つまり、相手の心は生成AIの対象外なのです。さらにAIは何を伝えたいかという思想はありません。人間は万国共通で、コミュニケーションには「気持ち」が一番重要なのです。だとすると、AIも言語(日本語、英語、中国語 等々)と同様に全体の一部分なのです。  

さて、上から目線は置いておいて、私の音楽ビデオはリアクションを考慮していません。そういう意味ではAIと同じです。「気持ち」は伝わらないのです。

AI does not consider reactions to actions. It is a computer program. In other words, the mind of the other person is not the subject of the generative AI. Furthermore, AI has no idea of what it wants to communicate. Human beings are universal, and “feelings” are the most important factor in communication. If so, AI and languages (Japanese, English, Chinese, etc.) are part of the whole.

Now, putting aside the attitude that looking down on others, my music videos do not take reactions into consideration. In that sense, it is the same as AI. Unlike  Little Walter in the 50s analog world. It does not convey feelings.

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2025年4月29日火曜日

AIってどうなのよ?


若い頃はコンピュータが面白かった。それは人間が、つまり私自身が扱える部分が多かったからです。データを記憶する大きなテープをかけ替えたり、パワーをオンにしてマイクロコードをロードして、それからオペレーティング・システムをロードする。するとシステムコンソールにその他のシステム関連のプログラムが主記憶装置にロードされていくのが表示されていく。わくわくする瞬間でした。


私は頑固ジジイだから言っているのではなく、AIというのは面白くない。表面的な形式だけを繋ぎ合わせるだけだからです。つまり、人間の感覚が欠落しているからです。例えば間合いとか、抜け落ちている特徴を追いかける人間と人間のコミュニケーションの部分がないからです。英語でも中国語でも日本語でもギターでもサキソフォンでもハーモニカでも何でもいいんです。気持ちが伝わる、それが大事です。私のブルースハープは50年経っても人に何かを伝えるレベルに達していませんが、、、。

When I was young(in my 20s), computers were interesting. This was because there were many aspects that a human being could handle. I would swap out the big tapes that stored data, turn on the power, load the microcode, and then load the operating system. Then the system console would show other system-related programs being loaded into main storage. It was an exciting moment.

I am not saying this because I am a stubborn old man. AI is not fun to me. AI is not interesting because it only connects superficial forms. In other words, because it lacks human senses. For example, it is because there is no part of human-to-human communication that follows the pauses and other missing features. It doesn't matter if it's English, Chinese, Japanese, guitar, saxophone, harmonica, or whatever. The feeling is conveyed, that's what it is all about. My blues harp has not reached the level of communicating something to people even after 50 years, sorry to say that.

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2025年4月27日日曜日

共通点をカッコの外に出す

 

4と6の穴の draw(吸う) の音が詰まって出ないので開けてみると、なんとリードに白い髭が挟まっていました。良い子の皆さんは、久しぶりにハーモニカを吹くときは10ホール全ての穴の draw と blow を確認してから始めましょう。

The draw in holes 4 and 6 were stuck and the sound would not come out, so I opened them up and to my surprise, there was a white mustache stuck in the draw reeds!
 
Good boys and girls, when you play harmonica for the first time in a while, check the draw and blow of all 10 holes before you start. Got it ?

ブルースハープを志す人は誰もが憧れるのは Little Walter です。 Little Walter といえば「Juke」(1952年)。しかし、誰もが壁にぶち当たってブルースハープを諦めるのが2穴のベンド。2番目の穴を吸って通常は半音から全音まで音を下げます。Little Walter は2穴の魔術師です。

最初にLittle WalterのJukeが吹けるようになりたいと思ったのは高校生の頃でした。半世紀がたちますが未だに満足に吹けるようにはなりません。でも昔と違って YouTube でレッスン動画がいっぱいあるので、何となく吹けるようになった気がします。

一年以上ハーモニカを触っていなくても一旦吹いてみると面白くなる。いつも3~4日は続きます。しかし、すぐに飽きます。それはどうしてもリトルウォルターのように吹けないからです。2穴が、、、、。

Little Walter is the dream of every aspiring blues harpist. Little Walter is known for “Juke” (1952). But where everyone hits a wall and gives up on the blues harp is in this phrase: the two-hole bend, where the second hole is sucked in, usually a semitone to a whole tone down. Little Walter is a two-hole wizard.

I first wanted to be able to play Little Walter's Juke when I was in high school. Half a century later, I still can't play it. But unlike the old days, there are lots of lesson videos on YouTube, so I think I'm getting better a bit.

I haven't played harmonica in a year, but once I played, it gets interesting. It always lasts 3-4 days like this; however, It gets bored easily because I can not play like Little Walter. 2nd hole is a pain in a neck.

ギターとサキソフォンとハーモニカ、全く異なる楽器でも共通点があります。因数分解のように共通点をカッコでくくってカッコの外に出す。何を出すか?
    
下のコーラスも簡単なようでなかなか骨が折れます。2穴全音ベンドはドミナントに2度出てくるだけですが、4穴DRAWの半音ベンドをリズムに乗せるのが難しいのです。50年たってもできない。カッコの外にだすリズム感がないということです。残念。

余計なことを言うならば、政治でもビジネスの世界でも日本人は共通点をカッコの外にだして抽象度を上げることが下手くそで、どうしても重箱の隅に入っていきます。それが賢いと思っている(失礼!)。


A guitar, a saxophone, and a harmonica, even completely different instruments, have something in common. Like factoring, we find the commonalities in parentheses and take them out of the parentheses. What do we put out?

This phrase sounds easy, but it's very hard to do. 2-hole whole note bends only appear twice in the dominant, but it's hard to get the 4-hole DRAW's semitone bends into the rhythm. 50 years in my life, I still can't do it. It means I have no sense of rhythm to get it out of the parentheses. Too bad.

If I may go on a tangent, in both politics and the business world, Japanese people are not very good at raising the level of abstraction by putting commonalities outside of parentheses, and they inevitably end up in the corner of a heavy box(nit picking). They think that's smart(excuse me!).

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2025年4月22日火曜日

クラプトンから学ぶ継続と感謝

 

エリック・クラプトンが2年ぶりに来日し日本武道館でコンサートが開催されています。武道館での公演回数は既に100回を越えており、海外アーティストとして最多の公演回数として更新されています。先週の武道館公演では毎晩このロバート・ジョンソンの、『Kind Hearted Woman Blues』がセットリストに入っていました。曲に入る前のフレーズまで一緒ですね。クラプトンは自宅でくつろいでいるときでもこの曲を弾いているのでしょうね。

人の喜びを自分の喜びとする。それが生きがいになる。感謝がなければ生きがいは生まれない。いくつになっても生き生きと毎日を過ごしている高齢者に共通しているのは、今を一生懸命生きる姿勢です。若い人にとって「終活」と言うと遠い遠い先のことのような気がしますが、日々の連続がゴール、つまり、“今”の積み重ねなのです。そういった意味でクラプトンはロールモデルかも知れません。またコンサルティングという仕事は、クライアントの喜ぶ姿を見て自分が幸せになるという姿勢がないと成り立ちません。最近の業界はコンサルタント側もクライアント側も感謝の気持ちが足りないような気がします(自省をこめて)。

私の場合ギターは中学生の頃に始めましたが、なかなか上手になりません。それは練習を継続しなかったり上手くなりたいという熱意が圧倒的に不足していることです。でも途切れ途切れでも弾くことを継続すると1ミリでも進歩します。文章を書くことも同じなのですが、記録に残しておくことで1ミリが見えてくる。いまは録画もパソコンやスマホで簡単にできます。自分の演奏を記録してたまに振り返ると違いが見えて楽しめるのです。主観的なものが有るや無しや、自分がどう感じるかが重要です。実際は1ミリも進歩してなくても、自分が進歩していると感じればそれでいい。それが、年を取る上での生きがいになる。

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2025年4月20日日曜日

静かな退職

  
毎日食べる納豆の朝食

静かな退職

「Quiet Quitting」という言葉が日本でも注目を集め始めているようです。仕事への熱意を失い、必要最低限の仕事しか行わない働き方です。「静かな退職」と翻訳されています。
  • 会社に所属しているものの、心理的には会社に所属していない状態
  • 仕事とプライベートを明確に区別しワークライフバランスを重視
  • キャリアアップや昇進などを目指さず淡々と言われた業務を遂行 

静かな退職で老後はどうなるか?

文化というのは国によって大きな違いがあります。アメリカ経済の状況によって日本の制度が変わるのではない(これまでの日本の構造改革はアメリカ化にすぎない)。

欧州は欧州、封建時代のないアメリカはアメリカ、そして、日本は日本の文化発展の歴史があります。日本の場合はアメリカと違ってかなり長い歴史です。教育はビジネススクールのカリキュラムのように世界標準の「知識」として獲得できるかもしれません。しかし、「教養」はそうはいかない。文化の中で培うからです。

日本の戦後民主主義教育は、教養を育むための「文化」を切り離してきました。今の日本のビジネスパーソンは「理性・理論」と「感性・直観」のバランスに課題があるように思われます。それは、教育と教養のバランスの問題とも言えるのです。我々は会社がなくても前期・後期高齢者としての人生が続くことに対応する必要があります。

No Pain, No Gain ! 

日本人は、老若男女、親も子も社長も社員も益々余裕が無くなっています。中高年の生き方には特徴がない。人生100年時代、退職後の生活は教育よりも教養のほうが役に立つことが多いのです。そして、教養は政府が支援したり教育を無償化したりするような問題ではないはずです。政府が主導して考えるものじゃない。政府が文化の違う外国人教授をアドバイザーに呼ぶことが必ずしも解決策ではないのです。

幸福の定義は人それぞれです。幸せに生きるとは、一人一人の自由意志のもとにあるということを忘れてはいけません。「不安になるから自由なんていらない!」なんて言っていると、人生100年時代は大変になりますよ。No Pain, No Gain ! 

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2025年4月18日金曜日

煩悩だらけの前期高齢者


久しぶりの焼肉。

高齢者でも常に焼肉やステーキを必要とする人がいます。そういった人はエネルギーがみなぎって元気なのかも知れません。さて、私にとってそれらは本当に必要か?たま~~に食べたくなるので、食べられた時は幸せを感じます。

自分にとって必要なものは何か?これからは時間がなくなっていくので、本当に大切なものに労力を費やしたいと思います。出来る限りシンプルにして。

遊行期(ゆぎょうき)とは、古代インドの四住期における最後の段階であり、75歳から死ぬまでの時期を指すそうです。遊行期は人生の終わりに向かう時期であり、死を意識しながら静かに人生を終えること、そしてこれまで培ってきたものを世に還元し、新しい出発を準備する時期だそうです。

私のような煩悩だらけの前期高齢者は遊行期に突入するための準備期間なのかも知れません。

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2025年4月14日月曜日

ちょっとだけイスラエル 3-3 (2009年1月の日記)



2009年1月7日


イスラエルがレバノンを攻撃した

やはり、想像していたようなことが起こった。

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イスラエルにロケット弾攻撃、レバノン国境でも交戦状態

【エルサレム=久保健一】

イスラエル軍によると、レバノン国境に近いイスラエル北部ナハリヤに8日朝(日本時間同午後)、少なくとも2発のロケット弾が着弾、2人が負傷した。イスラエル軍は即座に発射元のレバノン南部に対し、砲撃を加えた。パレスチナ自治区ガザでのイスラム原理主義組織ハマスに対する掃討作戦に続き、レバノン国境でも戦端が開かれれば、イスラエルは南北2正面の交戦を強いられることになるため、緊張が高まっている。レバノン南部からのロケット弾攻撃は、12月27日にガザへのイスラエルの軍事作戦が始まってから初めて。2006年夏のレバノン紛争では、レバノン南部を実効支配するイスラム教シーア派組織ヒズボラが多用した戦術だが、ヒズボラは今回の攻撃について「関与していない」と否定した。同国のミトリ情報相がAFP通信に明らかにした。在レバノンのハマス幹部も8日、攻撃を否定した。一方、イスラエル放送によると、イスラエルのベンエリエザー国家基盤相(元国防相)は、シリアに本拠を置くパレスチナ世俗派の急進派組織「パレスチナ解放人民戦線総司令部派」(PFLP・GC)による攻撃との見方を示した。しかし、PFLP・GCは8日の声明で、エジプトによる停戦調停案を批判したが、ロケット弾発射については言及しなかった。ナハリヤは、レバノン国境から約10キロ。レバノン紛争でも、ロケット弾による被害が集中した。(2009年1月8日21時34分 読売新聞)

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イスラエルを攻撃したのがヒズボラかどうかは分からないけど、イスラエルは戦略通りに2発のロケット弾に対して過剰防衛気味(?)に反撃した。このヒズボラは過激派なのかまともな組織なのかは個人的にはよく知らない。しかし、イランがバックアップしていると言われている。

自主独立国家のイラン

イスラエルはイランが憎くてたまらない。アメリカのブッシュ、ラムズフェルド、チェイニーに何度もイランを攻撃するように依頼したと聞く。でもアメリカはイラクで忙しかったからブッシュ政権ではできなかった。一方アメリカは、自分らの自由にならないイランが憎い。

1979年のイラン革命でアメリカの傀儡であるパーレビが追放され、独立国家を主張するホメニィが現在のイランを作って以来ずーっと恨みに思っている。それ以来、イランはアメリカのポチにならないで自主独立路線を歩んでいる憎むべき奴らなのだ。アメリカは戦後の日本占領体制をベストプラクティスと思っているのだろうが、相手が日本人だからうまくいっただけであることを理解すべきだ。アメリカは今でも世界中で同じことが可能だと思っているのではないだろうか?

ムンバイの同時多発テロとイスラエルのガザ侵攻

今回のイスラエルのガザ侵攻はタイミング的に大きな疑問が残る。ブッシュやチェイニーがホワイトハウスを去って(すでに去っているラムズフェルドも一緒に)今度はビジネス(本業)でひと儲けをたくらんでいるというシナリオなないだろうか?サブプライムはNYのジューイッシュを中心とした頭のいい金融工学なるものをやっている連中が仕組んで、それが破たんして世界的な金融危機に陥った(オバマ政権はそういった連中を雇って、しこたま稼いだ人たちをホワイトハウスのスタッフにしている)。

11月末にはインドのムンバイで同時多発テロが起こった。これは、インドとパキスタンの戦争につながる危険性がある。もしかしたら1月の今現在で戦争まで秒読み段階かも知れない。

12月に入ってイスラエルがガザを空爆して地上戦に突入した。これは中東全体が戦争になる可能性をひめている。

全てはオバマ政権の就任前に勃発するように仕組まれていたのかもしれない。もしかしたら、今回の大統領選は、共和党はわざと負けたのではないだろうか?だからペイリンという全く無名のアラスカ知事を副大統領候補に指名したのではないかと疑ってしまう。どうもオバマがこういった情勢の中で全体を掌握してうまく回せるような気がしない。クリントン夫妻(民主党)は、もしかしたらブッシュ、チェイニーたち(共和党)と裏ではつるんでいるかも知れない。

以上は私の考えすぎかも知れない。ただ間違いなく言えることは、世界情勢があやしく国際経済が危機的状況にある中で、日本という国はあくまでも平和でノンキだと言うことだ


2009年1月9日

ちょっとだけイスラエル 2-3 (2009年1月の日記)

 
2009年1月5日

イスラエルとF22

今、アメリカの最新鋭戦闘機F22が問題になっている。

【12月11日 AFP フランス通信社】

マイケル・マレン米統合参謀本部議長は10日、景気減速によって国防総省の予算が削減される可能性があるとして、米空軍の最新鋭ステルス戦闘機「F22ラプター」の生産計画に疑問を呈した。マレン議長は、国防総省内で記者団に対し、「軍や国防総省にとっても、予算の圧縮・削減は重要だ。コスト意識に欠けた計画が多く存在しており、中止なども含め計画の絞り込みが必要だ」と述べた。その上でF22に言及し、すでに183機を保有している米空軍が65機の追加発注を検討していることを明らかにするとともに、「あまりに高価なシステムだと懸念している」と語った。

米航空宇宙機器大手ロッキード・マーチンと同ボーイングが共同生産するF22は、最新鋭機だが、1機あたり3億5000万ドル(約320億円)と生産コストが高く、これまでの配備でかかった費用は650億ドル(約6兆円)。ロバート・ゲーツ米国防長官を始めとするF22批判派は、F22ではイラクやアフガニスタンでの戦闘ような非正規戦には不適格だと指摘している。これに対し米空軍幹部は、F22は中国などの米国の潜在的な敵国との戦闘には適した機体だとして、F22計画を擁護。有力議員も、F22計画が全米で数千人の雇用を確保されていることから、計画の中止には消極的な姿勢を見せている。

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アメリカはF22をイスラエルに売りたい。

イスラエルをアメリカの兵器で武装してイランとの戦争に備えようとしているのではないだろうか?イスラエルが中東でドンパチやるとアメリカ企業は儲かるし、軍事産業を中心にかなりの雇用は確保できるだろう。F22は機体の生産コストも高いそうだが、メンテナンスが複雑でかなりのコストと人件費(ソフトウェアメンテナンス)がかかるらしい。アメリカ政府は、クリントンが大統領の時にF22のイスラエルへの売却を約束している。

ヒラリー&ビル・クリントン

アメリカの民主党がリベラルで平和主義だというのはちょっと違うと思う。拝金主義だから金のためならなんでもやると言うのは民主も共和も関係ないだろう。クリントン夫妻の場合は拝金だけじゃないと思うが(売名とかスターでいたいとか、、、)。先々週くらいのタイムに面白い挿絵があった。オバマが運転席に座っているのだけど、助手席のヒラリーが横から両手でハンドルを握っていて、後部座席からビル・クリントンが指示しているというもの。

新大統領のオバマは未知数で、やはり、EU諸国は「オバマは外国人じゃないか、、」と思っている感じがする。そもそも、アメリカという国全体が外国人の国になってしまっているのかも知れない。ヨーロッパはローマ帝国の内と外の逆転が崩壊の原因だと言うことをよく勉強しているだろうから、アメリカの崩壊はローマ帝国と同様だが、もっと急速に起こるのではないかと予測しているのかも知れない。アメリカはクリントンの8年で大きく変わったように感じる。ここでは詳しく述べないが、一番大きな点は中国共産党(当時の江沢民)と手を握ったことではないだろうか?これは日本にとっては痛いところだ。

わが日本国はどうなるのだろうか?

日本はアメリカにとって安全パイだから金さえ出させておけばいい。でも日本の金が底をついてくると日本に代わる「金づる」が必要となる。人民解放軍をアメリカの最新兵器で近代化しようとまでは言わないけど、アメリカ政府は中国は大事なアメリカのお客さんだと思っていることは間違いない。中国は外貨をドルでいっぱい持っているから日本よりもアメリカ国債を買ってくれる余力があるかもしれない。

日本は徐々にアメリカと中国の2つの国の統治国のようになって行くのだろうと思う。しかし、日本や日本人の生活は今までとあまり変化がなくて、同じように淡々とハッピーな日本列島の毎日は続くのではないだろうか。アメリカと中国という2つの超大国。拝金主義で自己中心的なところは優劣がつけ難い。本当によく似ている。2つの国で生活してみて実感した。民意でもって日比谷公園に派遣切りされた人たちのためにテントをいっぱい準備したところなんかは、日本は世界で一番の民主国家かもしれない。早急にアクションを起こす決断力があったことも驚きだった。

日本と周辺の国々

日本は地理的に非常に難しい位置にある。もし日本がひょっこりひょうたん島になって情勢に応じて列島全部が移動できると理想的なのだが。

日本がキャスティングボードを握ってアメリカや中国を舵取りするなんて有り得ない。

中国共産党はかなり瀬戸際にきている。統制しているとは言え民衆が自由の空気を知ったのが大きな原因だ。中国はアメリカと近づきながら日本に対しては益々強硬に出てくることが予想される。胡錦濤と温家宝はこれ以上日本と近寄ると失脚するのは間違いない。オリンピックも終わったことだし、もう日本の機嫌をとる必要もない。福田康夫さんも立派に中国にとっての役目を果たした。中国の格差問題と失業率は他の外国の比じゃない。民衆のアテンションを外に向けないと大きな反乱が起こる。いつまでも阿Qのような民衆ばかりではないのだ。

韓国も大同小異。ウォンの下落、経済は破綻状態。民衆に日本攻撃にフォーカスさせないとソウルでも暴動がおこる。だから竹島なんかは必要以上に愛国心をあおっているのだろう。

北朝鮮は核を武器に(あるのかどうか知らないけど)今後も日本を軽くあしらい続けるだろう。日本に関して彼らは、「日本はアメリカのポチだ。何もできっこない。アメリカは自分たちに関心ないだろうしな」と認識しているだろう。

周りの国が日本を独立自主の国だと認めていない以上は日本がキャスティングボードを握ることはない。比較的日本に友好的な台湾と一緒になって新しい国を作るアイデアもあるかもしれないけど、両国ともリーダー不在だから無理だろう。

オバマは全体を掌握できるか?

戦争はしないほうがいいにきまっている。でも、これまでの歴史でアメリカが戦争以外で経済を立て直したことはあるのだろうか?

ルーズベルトのニューディールだって今では疑問視されている。戦争に突入したから世界恐慌から立ち直ったと言っている人のほうが多いようだ。自民党の中川秀直さんが「日本はニュー・ニューディールだ!」とか言ったそうだけど、本当に理解して言っているのか心配になる。

どうもオバマはベテランに実際の仕事を放り投げようとしているような気がする。または、老獪な政治家にとってのチェンジ、チェンジと叫ぶ広告塔になっている可能性はないのか?ヒラリーは「アメリカにとって21世紀の最重要国家は中国だ」と主張している。また、アメリカの政治家で最初に中国を「戦略的パートナー」と言ったのは夫のビル・クリントンだ。もしかしたらオバマがヒラリーを仲間に加えざるを得ない何か裏の取引があったのかも知れない。

オバマ政権の内閣

  • Rahm Emanuel /White House Chief of Staff、ビル・クリントンの片腕、元投資銀行家
  • Robert Gates /Secretary of Defense、留任(イラク戦争主導)、元大学学長
  • Hilary Clinton /Secretary of State、 ビル・クリントン夫人
  • Timothy Geitner /Secretary of the Treasury、ビル・クリントン政権(ルービン長官の部下)
  • James Jones /National Security Advisor、海軍大将(戦争のプロ)、元NATOのトップ
オバマの財務スタッフはガイトナーだけでなく、クリントン政権でガイトナーのボスであったルービンやサマーズも顧問としてチームに入れている。ルービンはついこの間までシティバンクの経営陣だった人、クリントン政権でもさんざん日本政府にプレッシャーをかけた人ではないか。大前研一もどこかで指摘していたようにシティへのBAILOUTはよく分からない。デトロイトの自動車メーカーとのバランスが悪すぎる。金融だから影響が大きいということだけで説明できるのだろうか?

エマニュエルは非常に高圧的で強引なスタイルからRahmというファースト名からRahmboと言われたこともあるらしい。話すところをニュースで見たが、何となく分かるような気がする。クリントン夫妻とは人生観が近いかも知れない。ガイトナーという人は育ちからすると(お父さんはフォード財団の人で、アジア各国で育ったらしい)少々温和な気もする(NY連銀 FRBのトップも務めていたそうだから優しくはないと思うが)。ロバート・ゲーツはイラクからアフガンに戦線が移ったら辞職すると言われている。果たしてオバマがホワイトハウスでエマニュエル、ヒラリー、ジョーンズの3人を掌握できるのだろうか?

(続く)
      

ちょっとだけイスラエル 1-3 (2009年1月の日記)

    

2009年1月4日(1)

イスラエルがガザを空爆した

中東問題は紀元前にもさかのぼる長い歴史があって複雑でよくわからない。よく分からないから私はアラブ側でもイスラエル側でもない。いつも気の毒なのはパレスチナ難民だ。はっきりと言えることは宗教の力は恐ろしいということ。世界の国は究極的には宗教でつながっていることがよくわかる。

今の日本は宗教がないも同然だからこういった感覚は分からないのだろうと思うし、私自身も宗教心は持ち合わせていないので分からない。歴史の浅いアメリカは壊れたように無茶苦茶ばかりやっているけど最終的にはカソリックやプロテスタントやユダヤ教でつながっているんだろうと思う(神様の数という意味でも日本とは異なっているが)。

今回のイスラエルのガザ侵攻はタイミング的に何となくきな臭い匂いがする。アメリカが招いた世界的な金融危機、それに、共和党のブッシュ政権から民主党のオバマへの政権交代の直前というタイミング。アメリカ経済復興の目玉となる材料がない、、、等々。

昨日(2009年1月3日)、ブッシュ大統領がイスラエルを支持するような発言をしていたのをCNNで見た(実際には、「ハマスがミサイル攻撃を継続する限りイスラエルを支持する」と言っていた)。

戦争が勃発すると誰が得をするか?

イスラエルの戦略は「戦争は必ず敵地領内で行う」らしい。これは、アメリカの戦闘戦略と同じだ。敵地に先制攻撃を行うか、代理戦争をさせるか。アメリカの産業の最後の砦はやはり兵器産業だろう。新しいテクノロジーも大概が軍事産業から生まれる。イスラエルがパレスチナを空爆したり、ミサイルを撃ち込むたびに誰がもうかるのだろうか?

イスラエル軍の主力はマクドネル・ダグラス社(現在のボーイング社)のファントムだし、銃はアメリカのコルト社製のM4カービン。ちなみにボーイングは民間の旅客機が売れないのでマクドネル・ダグラス社を1997年に買収したことは周知の事実だ。ウォールストリートの金融街、または、NYのビジネス街はユダヤ人で成り立っている。今のアメリカはユダヤ系アメリカ人が動かしていると言っても過言ではないかも知れない。ユダヤ人の国であるイスラエルに反対する意見は通り難いのは事実だろう。

念のためだが、私はユダヤ人に対する偏見はない。日本の世の中が日比谷公園の派遣テント村に注目している間に世界は恐ろしいことになろうとしているかも知れない。
   
   
2009年1月4日(2)

少しだけイスラエル軍

イスラエル軍はアメリカからの多額の軍事援助金でアメリカ企業(ボーイング社、コルト社、、、等々)から武器を買っている。ドルが流動する。もしかしたらイスラエルは軍事教育や戦争そのものをチェイニー副大統領が関与すると言われているハリバートン社なんかにアウトソースしているかもしれない。湾岸戦争とかイラク戦争の下請けはハリバートンがメインの業者だったと聞いたことがある。軍事はハイテクそのものだから、勤勉なジューイッシュのイスラエルの若者はハイテク分野でも開発力とか応用力を発揮するのかも知れない。ハイテク機器を運用して改良していくにはアメリカの片田舎から来た兵士よりもイスラエルの若者を使ったほうが改善速度が速いのかもしれない。

ご承知だと思うが、私は軍事産業のことやハリバートン社のこととかよく知らない。

少しだけイスラエルの歴史

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教、それぞれが聖地とするエルサレムの取り合い。

戦いは紀元前から続いている。キリスト教もイスラム教もユダヤ教から派生したものなのに。世界を牛耳るアメリカの歴史はたかだか200~300年。でもエルサレムの戦いは2000年以上続いている訳だ。第二次世界大戦後にイギリスがイスラエルという国を今の場所に作ったのが問題の発端だろう。実際、イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領は、「イスラエルは欧米諸国のどこかに作ればいいじゃないか」と言っている。はっきりと言うから、それも、NYの国連やコロンビア大学で演説するからアメリカはよけいに頭に来る。

面と向かってアメリカに楯突くヤカラはそう多くはいない。イスラエルはもともと住んでいたパレスチナの人たちを追い出して与えられた領土を拡大しにかかった(もっと大昔はユダヤ教を信じる色んな人たちが住んでいた)。エルサレムに関してもイスラエルだけが自分らの首都だと言っているのだが、世界は認めていない。

オバマ政権はどう対応するのだろうか?

イスラエルはオバマ政権になるとやりにくいかもしれない。もしかしたら、新大統領オバマがどういう態度に出てくるか分からないので、このタイミングでドンパチ始めたのかも知れない。国連決議でも常任理事国のアメリカが反対したら国連は強制停戦決議できない。アメリカは早々とブッシュがイスラエル支持を発表している(具体的には「ハマスが悪い」と言っている)。

実際のところは分からないけど、今回の戦争は長引けば長引くほどドルが流動するし、アメリカの軍事産業にお金が落ちるようになっているのではないか?1月20日がオバマの就任式だから、それまでは毎日ハイテク兵器を撃ちまくるのではないだろうか?2週間続けるとかなり在庫ははけるだろう。   

(続く)



2025年4月12日土曜日

タケノコの季節(旬ということ)

 


今年もタケノコの旬(竹+旬=筍)がやってきました。


タケノコが終わると鳥取のラッキョウ、その後は和歌山の南高梅です。一年が経つのが早い。今年はいつもの杏が手に入るのかそれが問題だ。それにしても今年のタケノコの値段には驚きでした。

私は幸運にも過度の苦痛のない高齢者の日々を暮らしていますが、チャーリーが存在している事で、私のちょっとしたストレスは消えていきます。一つの人生を共有しているわけです。


チャーリーは決して指示通りには動かない。飼い主に似たのか兎にかく反抗的です。しかし、そばにいるだけで落ち着く。自分が要介護の身である事なんてお構いなし。もちろん私が悪人か善人かは関係ない。人間にはあり得ない存在なのです。  

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2025年4月10日木曜日

アメリカの狙い

 2001年8月に作成した中国に関するビジネスプランの資料の一枚です。私のニューヨークから上海への異動は2002年の夏でした(アメリカ同時多発テロ事件により一年延期された)。

Turning Point は2001年12月11日の中国のWTO加盟にあります。アメリカは中国を自由化してしこたま儲けてやろうと企てていました。私がNYから上海に異動したのも中国のWTO加盟により中国でコンサルビジネスが盛んになるという目論見から来ています。

このスライドを作成した意図は当時の会社幹部(アメリカ人)に「WTO加盟で中国は変わるのか?」という問いかけです。私なりのリスクヘッジでした。25年経過したいま振り返ると、アメリカの思い描いた理想通りに中国は変わらなかったことは明らかです。中国の国家資本主義を発展させただけでした。 

アメリカは(トランプというよりも次世代リーダーたち)アメリカの産業構造を転換させて国内で生産できる国への転換をしたいと思っています(Rust Belt の再生)。2000年当時の全世界的な自由貿易ではなく、アメリカとアメリカに同調する国 vs. 中国と中国に従う国の2分化を考えていると思います。25年前の反省から。

トランプが日本の首相との電話会談後にSNSで発したコメントの最後の「すべてを変える必要がある、特に中国に関しては!!!」の意味するところだと思います。 

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2025年4月9日水曜日

辛抱強さや寛容度の限界

 


武蔵野で起こっていること

10年前にここは町の電気屋さんでした。ところが外国人や若い人が住むアパートが建った。

高齢化が進み、ここ10~20年一人暮らしの老人の一軒家が取り壊され安普請のワンルームマンションに建て替えられています。解体業者は埼玉ナンバーでやってくる中東や北アフリカ人で荒っぽい。住人は中国やアジアの若者が多い。近所の英語学校も外国人の日本語学校に変わりました。私は相手の地位や肌の色で差別するようなことはしないのですが、悲しいことに私の性格も変化してきたのかも知れません。     

違反ごみは更なる違反ごみを呼びます。一つでも違反ごみが現場にあると、あっという間に集積所は無法地帯と化す。それらが収集されず長時間放置されればカラスに荒らされる。困ったことに日本の事情に疎い外国人だけでなく、若い日本人のゴミ捨てモラルもどんどん悪化しています。     

明らかに社会構造が加速度的に変わっているのです。地域社会の深層にかかわる問題なのです。「ほどこして忘れろ、ほどこしを受けたことだけ覚えておけ」というのは昭和の任侠映画の中だけになってしまったのか? 日本人もかつての辛抱強さや寛容度は無くなってきた。由々しき事態です。    
   
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2025年4月8日火曜日

自らの思想をもつ日本人

以下は『学問のすすめ』 第四編 「学者の職分を論ず」の結びの一行です。

無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢(みだり)に給料を貪って奢侈の資(もと)となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

無芸無能のくせに、僥倖、つまり、思いがけない幸運で権力の座につき、高給をもらって贅沢三昧、戯れに政治を操る、こんな奴は自分の友ではない。

『学問のすすめ』から150年、今の日本を僥倖に恵まれた結果とみるか日本人の実力の賜物とみるか、どうでしょう?

江戸も末期に近い天保時代は現代の社会情勢に似てる気がします。

武士の序列社会が腐敗し、武士は武士道を忘れ私利私欲のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならなくなった。そこで天災や飢饉が起こる。現代の日本の政治家はどうでしょう? 大企業の係長か課長補佐のように小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。

現代の日本は政治家だけでなく国民は虚無的で「公」に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。テクノロジーが急速に進化し、何が真理であるか判らない真贋判定のできない時代に突き進んでいます。個人で出来ること、個人がやるべき事は何でしょうか? 徳を積む、道徳心を養うことです。それは自らの思想を形成することでもある。学校教育だけに頼ってはだめだ。

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2025年4月7日月曜日

騙されてはいけない

 出版不況が続く中で、自己啓発本が売れているそうです。


読書指向もアメリカ的になってきたのでしょうか?色んな面で日本はアメリカの後を追いかけています。グローバル化はアメリカ化だと言っている人もいます。私の感覚では日本は10~30年前のアメリカのようです。

アメリカ伝統の「ポジティブ産業」も日本にやって来ているようです。

英語で con man というのは信頼(confidence)を売る詐欺師のことです。短時間で信頼を勝ち得て(いわゆる騙して)偽物を売りつける詐欺師。アメリカ的自己啓発本って、なるほどというのもありますが、多くは con manを速成(促成)する手段なのです。

アメリカの日曜の朝に放送しているテレビ伝道も多くの宗教家も、宗教(神学)というよりも自己啓発産業です(life coach といわれる類です)。自己啓発本なんて、con man の重要なマーケティングツールだと思います。

「ポジティブ産業」に騙されちゃいけません。振り込め詐欺だけが詐欺じゃないのです。

情熱的な精神状態に入ってしまうと一人になって頭を冷やすことは難しい。 自立してない、つまり、個としての考えがないから、声高に叫ぶスローガンに身を任せるのが心地よいのかも知れません。

ニーチェは、一人ぼっちになって迷路の中を進んでいくこと、身の回りだけでなく遠くまで見渡せる眼を持つこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと、これらの事が意志の力であり、大切なことだと言っています。 福沢諭吉のようでもあり、小林秀雄のようでもあります。坂口安吾が『堕落論』で言っていることも同じですね。
  
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2025年4月6日日曜日

忌諱(タブー)に触れる

ヤクザの歴史は日本の歴史


ヤクザの最盛期は1960~1970年代にかけて。その後、共同社会型から利益優先社会型に変化した。日本のヤクザは欧米のシンジケートとは違う。中国の黒社会とも違う。日本の歴史の中で独自の起源や発展過程を経た。

日本の高度成長とヤクザの栄枯盛衰

日本社会は急激な高度成長を遂げた(1955年頃から1973年頃まで)。ヤクザの栄枯盛衰と重なっている。高度成長は良い面ばかりじゃない。負の遺産もいっぱい残っていて日本は平成令和ともがき続けている。

日本人はどう生きるべきか?

利益優先社会型の典型である日本のグローバル企業も伸び悩んでいる。日本の近代化を振り返り、根本的に考え直すしかない。大げさに聞こえるかもしれないが、日本人一人ひとりがどう生き抜いていくかが問われている。
 
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2025年4月5日土曜日

日米自動車摩擦での思い出

1983年4月から5月にかけて一か月アメリカに出張しました。当時中国最大の自動車会社の社長や重役達を私が勤めていたコンピュータ会社の施設やユーザー訪問のエスコートでした。12名の中国人を一人の若い日本人が全米を旅するという無謀なものでした。中国の自動車メーカーは後の東風汽車集団(武漢)です。1980年代は「二汽」といって軍事トラックや装甲車を製造していました。1968年に毛沢東の号令により湖北省十堰(シーイエン)に設立した軍事企業でした。


1980年代前半は日米自動車摩擦の話題でもちきり。日本からアメリカへの自動車輸出が最高に達した頃でした。自動車だけでなくアメリカ各地で日本製品排斥運動が起こり、デトロイトではトヨタの車を叩き潰すストリートパフォーマンスまで行われていました。そんな時に中国人の若者がデトロイトで惨殺されました。メディアは「日本人に間違われた中国人が殺された」と報道しました。

12人の中国人との旅程はデトロイトへ行く予定はなかったのですが、LAやダラスでの自動車会社の訪問を含んでいました。ダラスでのユーザー訪問はアメリカが誇る長距離トラックの製造メーカー Peterbilt 社でした。映画『コンボイ』がヒットした直後でもありました。Peterbiltのトラックが映画で活躍します。アメリカ人の友人や多くの人から「注意しろ」とサジェスチョンを受けたのですが、「だったらマシンガンでも持たせてくれるか?」と返答したものでした。

幸いなことに12人の中国人と一人の若い日本人の珍道中は色々と問題はありましたが生きて帰国することができました。        

The autoworkers who attacked Chin blamed foreign vehicle manufacturers for hardships in the U.S. auto industry.




2025年4月4日金曜日

「英語ができる」って?(2010年7月のブログ)

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_24.html 

これは15年前のブログですが、文章は1990年代初めに書いたものです。今読み返しても英語に関する私の考えは何ら変わることはありません。

英語によるグローバル化の進展への対応なんて中途半端な試みは止めて、学校での英語は選択科目にしたほうが賢明だと思います。それよりも日本語、つまり国語教育に重点を置いた方が長期的には日本人のレベルは上がるでしょう。

私の限られた経験から言えることは、① 概念を獲得し理解し、② 自分の考え(主張)を持つこと、そして、③ 日本人なのだから日本をよく知ることが大事です。それがグローバル化の基礎です。

日本語もできないのに(自分の反省ですよ)英語を使いこなせるようにはなりません。  

福田恒存『國語教室』(昭和35年)
福田さんがこの本で繰り返し説いているのは、

1.文字は決して發音をそのまま寫すものでなく、意味を寫すものである。
2.その觀點に立てば、舊カナづかひは決して習得に困難なものでない。
3.逆に表音主義は國語の音韻體系を根本から破壞するだらう。
4.狂信的なカナモジ、ローマ字論者が國語審議會を獨占して、國語を取り返しのつかぬ混亂におとし入れつつある。

カナモジやローマ字の多様は日本人の思考を多大なる混乱におとし入れましたが、狂信的な英語教育がそれに拍車をかけつつあると思います。

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2025年4月3日木曜日

英語がスラスラ? 無理です。

 
ゼレンスキーの英語とトランプとのミーティング

ホワイトハウスのオーバルオフィスでの公開記者会見です。両者が激しく口論するという前代未聞の事態が発生しました。「ゼレンスキー氏は母語でない英語で会談をしたために、不利な状況に陥った。ゼレンスキー氏は通訳を使うべきだった」という論調がメディア報道の主流のようでした。

私は20年ほどニューヨークに住んでアメリカ人の組織で働いていたのですが、結局は英語はできるようにはならなかったですね。しかし、ツルツルすべって掴もうとすればガブリと噛まれる、そういったサメのようなニューヨーカーと仕事をする上で気を付けていたことがあります。

① 相手よりもゆっくり話す
② I was just wondering if ~~~ で話を始める
③ could と might を多用しセンテンスを長くする
④ 相手の目を見つめる(eye ball to eye ball)
⑤ 絵を描いて説明する(簡単で抽象的なもの。絵を描けない人が多い)

英語がスラスラできなくても以上のことを守ればなんとかサバイブできます。ただし重要な文章(書く英語)は英語が書けるアメリカ人に任せることです。

風下に立たない。負け犬の遠吠えはやらない。臆病と卑怯は世界共通で嫌われるのです。

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2025年4月1日火曜日

ボロのように憂鬱

 
武蔵野市の桜(3月31日)


昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

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2025年3月29日土曜日

子育て ~ 親の心構え

 

NHK HP 「これからの育児」より

https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/?fbclid=IwY2xjawJTwn5leHRuA2FlbQIxMQABHVLOCUI1QU7u1Puw_4xWLBe5zG2y9CiTmVlkwZRaGmqC4QRKVE4dNiZ5FQ_aem_HkTc3ML-k0CtfBjf2trgtQ


世の中には種々雑多な「子育て論」があり関連書籍も数多く出版されています。子育てを以下の2つのフェーズに分けて①だけにフォーカスする「子育て論」がほとんどだと思います。

① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係

子供が成人すれば「後は勝手にやるだろう」じゃないのです。私ができているかどうかは別として、親の心構えは誠実で信頼できる親であることです。それが全てであると言っていい。成人した後でも親子関係は継続するのです。

それは親と子の関係に限らない人間関係そのものです。普通の他者との関係を忘れないのが親として自分が死ぬまで続く子育てじゃないですか? 多くの「子育て論」に書かれているような親になろうとする必要はない。子供は親の言っている事とやっている事のギャップを見ています。つまり親の言葉と行動(態度)との関係です。それが信頼関係構築の過程です。私は生意気なガキだったので、中学生の頃は教師のあらさがしばかりやっていました。結果、信頼できない学校や先生とは距離をとった。

日本社会はアダルトチルドレンばかりのような気がします。多くは子供の頃からの親との関係に問題があったからです。それがそのまま会社では上司と部下の関係になる。本心では他者と関われない。仮面をかぶり続けるのです。

要するに親は自然にふるまえばいい。

口だけの親も教師も政治家も誠実だとは言えない。そして信頼される訳はない(総理大臣と国民の関係も同じですよね?)。
  
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2025年3月28日金曜日

アメリカ人であることは恥ずかしい

 ハートのナンシー・ウィルソン「ベトナム戦争の時、自分たちをアメリカ人と呼ぶのがちょっと恥ずかしかった。今はもっと恥ずかしい」
2025/03/25 11:13掲載

Nancy Wilson, photo courtesy of artist
「今、アメリカ人であることは恥ずかしい」。ハート(Heart)のギタリスト、ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)は、ベトナム戦争を米国にとって恥ずべき時代だったと振り返る一方で、今のアメリカの「淫らな大富豪カルチャー」を痛烈に批判し、今はアメリカ人であることが、もっと恥ずかしいと語っています(記事より)。https://amass.jp/181604/
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1986年6月26日NHKホールでハートの公演を観ました。当日の録音がLIVE盤になっていることを最近になって知ったのですが、手に入れることはできませんでした。39年前アン&ナンシー姉妹も若かった。私も同様に若かった。

私が憧れのアメリカに初めて行ったのはベトナム戦争直後でした。成田空港の開港前で、赤い絨毯が敷かれた羽田国際線からの出国です。グレイハウンドのバスでアメリカを縦断したのですが、そこに見たのは疲弊して自信を失ったアメリカでした(ナンシーの言葉通り)。子供の頃からアメリカに憧れてきた私は大きなショックを受けました。しかし、今のアメリカは私が暮らした1989~2009年のアメリカよりも更に落ち込んでいます。これもナンシーがインタビューで語っている通りです。

アメリカはアメリカのアイデンティティを失った

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2025年3月26日水曜日

D₇が押さえられれた! 

 


やっとD₇が押さえられるようになりました。昨年11月に転倒して(老人!)痛めた左手の人差し指と中指が4か月かかってようやく治ってきたみたいです。


I can finally hold down the D7 code, The index and middle fingers of my left hand, which I injured in November last year, seem to have finally recovered after 4 months.

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2025年3月23日日曜日

コロッケ蕎麦で判断力を鍛える

 

コロッケ蕎麦

いつコロッケを崩すのか? 

最初はおつゆをずずーっと。それから蕎麦をひと口すする。いきなりコロッケを崩すなんて野暮はいけません。コロッケって衣がしっかりしている訳ではありません。つゆを吸って急速にふやけていくのです。

つゆに浸かった下の面はしんなりとしはじめます。上の面はまだカリっとした状態です。この一瞬が大事なのです! ここでコロッケをひと口かじる。

下はしんなり上はカリっ。やがてコロッケを崩す決断のときがやってきます。関東風のかつお出汁のおつゆはコロッケがポタージュ化して最後の一滴まで飲めるのです。

判断力や決断力をこうやって鍛えられます。

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2025年3月21日金曜日

Freedom and Responsibility (自由と責任)

Cooking is like experimenting. You try anyway. I fail, but I wouldn't stop. It is just like everyone's life. You don't give up even if you don't get recognition. It's true for my "Niku-jyaga"(Japanese beef and potatoes). Even if you fail, you keep on making it. Failure is a part of my life. It's food for thought. This time, Niku-jyaga was well done.


Education before the 15-year war of the Showa period placed more importance on the “ears” and the “mouth. However, in the 80 years after the defeat of the war, education was focused on “eyes” with an emphasis on entrance examinations.

Cooking and music are not interesting unless there is someone to eat and listen to them. Studying for exams alone is boring. Knowledge that you think with your eyes is in the past tense. It is like accounting versus finance. It doesn't produce originality.

The “ears” and “mouth” are more important than the “eyes. When the intellectual activity performed by the mouth stops, the elderly become blurred. A guitarist should sing even if he is tone deaf. It is always better to think with the eyes, ears, and mouth in a balanced manner. And when multiple eyes, ears, and mouths come together, new things are created. 

It is freedom and creation. The base of freedom is responsibility. Japanese education has taken away freedom and deprived children of their ears and mouths. Because there is no freedom (Japanese equality), people do not think about responsibility. It has been 100 years since the Showa era. We still don't realize it.

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2025年3月19日水曜日

眼と耳と口のバランス

 

料理は実験みたいなものです。とにかくやってみる。失敗する。でも止めない。人生と同じです。評価されなくてもへこたれない。肉じゃがだって同じ。失敗しても作り続ける。失敗はするものなのですよ。糧になる。今回は上手にできました。


昭和の15年戦争前の教育はもっと「耳」と「口」を大事にした。ところが敗戦後の80年は受験中心の「眼」の教育に徹した。

食べてくれる人や聞いてくれる人がいないと料理も音楽も面白くない。勉強だって一人で受験勉強なんてつまらんでしょう。眼で考える知識は過去形。ファイナンスに対するアカウンティングのようなものです。独創性が生まれない。

「耳」と「口」が「眼」以上に大切なのです。口で行う知的活動が停止すると高齢者はボケる。音痴でもギタリストは歌った方がいい。眼と耳と口で考えるのがバランスがとれていいに決まっています。そして、複数の眼と耳と口が一緒になることで新しいことが創り出される。自由と創造です。自由のベースは責任です。日本の教育は自由を奪い耳と口を奪ってしまった。自由がないから(日本的平等)責任を考えない。昭和も100年です。まだ気づかない。

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2025年3月15日土曜日

一生のうち自由度が一番高いのは?

 
NHKニュースより

70代80代のオツムの悪い部分が世襲されて、今の50代60代が彼らと同じように年を取って行かないか心配です。

30代40代が事なかれ主義になってもらっては困る(支持政党特になしが多い)。支持政党特になしは、現総理に正統性を認めているという事になります。民主主義ですから。

50数年ぶりにルース・ベネディクト『菊と刀』を所々読み返しました。以下の記述があります。1940代、日本に一度も来た事がないベネディクト女史が調査した日本です(AIもインターネットもPCや携帯もない時代ですよ!)。

1.世間の期待通りに生きる(自分を殺しロボットになる)
2.世間を無視し自分の信念に従い生きる
3.1と2の狭間で彷徨い続け年老いていく
  
人生の時間で日本は欧米と真逆です。それは、子供の時と高齢者の時が一番自由度があり、甘やかされているということです。欧米は一般的に壮年期が一番自由度が高い。つまり自由に自分の意志で自分の人生を歩まなければならないのです。   

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2025年3月5日水曜日

アメリカの現状と今後、そして日本は?

 

目は口程に物を言う

自分を客観視しながら人生を生きてこなかった人は、アンテナを高くして全体を見ながら一歩前に踏み出すことはできないものです。

アメリカの現状と今後

私が最初にアメリカに行ったのは1976年。ベトナム戦争が終わりアメリカは精神的に落ち込んでいた。中国の生活や仕事を経てNYに異動したのは1989年。アメリカ人は皆がナルシストになった。自己中ということです。self self self と言い出した。自己啓発本は売れまくった。自分のことだけを考えるアメリカができあがった。


その後移民が増え、イギリス的、つまりアングロサクソン的価値判断やプロテスタント的な価値観(WASP文化)が消滅した(1990年代)。アメリカが求めてきた自由社会の前提は自己規律(道徳)です。それが自由な社会を構築する。ところが直近の20~30年で移民もヨーロッパからだけでなく雑多な移民が増え自由とは言ってられなくなった。本来のアメリカ人は余裕がなくなりアメリカ人の心が狭くなった。

サミュエル・ハンティントンの『Who We Are? ~ The Challenges to America's National Identity』(2004年)より。

①アメリカの覇権体制が崩壊する
②国内の人種対立がさらに激化する
③アイデンティティが喪失する(アイデンティティを持たない不安定な国)
④アメリカは弱体化し、中国が台頭する

そして日本は?

「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」(『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ 16世紀 フランス)。

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2025年3月1日土曜日

幸せな高齢者になるための準備

就職氷河期世代 これから直面する課題(NHK)

初回放送日:2025年1月20日

バブル経済崩壊を受けて、新卒での就職が難しかった「就職氷河期世代」。今後直面する可能性が高い住まいや介護などの課題と求められる対応について考えます。



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バブル崩壊が1991年で就職氷河期が始まりました。1970年~1991年生まれを就職氷河期世代というそうです。彼らはトランプを支持するラストベルトの白人労働者層とは「≒」ではない(上の記事参照)。

トランプを支持する白人労働者層はエリートが世襲していく知性主義に反対しています。つまり、ピケティが主張したr(資本収益率)>g(経済成長率)に似ています(既得権益はオカシイだろうと言っています)。ラストベルトの労働者層は高等教育を受けていない人が多い。貧困のレベルは日本よりも悲惨なのです。     

日本の場合、政治家には世襲の弊害が大いにあると思いますが、反知性主義はアメリカのようにモチベーションになるとは思わない。日本の氷河期世代には優秀な成績で有名大学を卒業した人も多いからです。彼らはこれから50代後半に入る。学校で学んだことを全て捨て去って、自分で勉強をし直すことをお勧めします(流行りの手先のリスキリングではありませんよ)。まだ間に合う。視野を拡げ思考の抽象度を上げる。60歳まで継続すると比較的健全で幸せな高齢者になれる!
     
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2025年2月11日火曜日

ハンバーガーの思い出

近所のハンバーガーチェーン店(フレッシュネスバーガー)です。驚きの値段ですね。いつもお客さんでいっぱいです。私はまだここのハンバーガーは食べたことがありません。

小学生低学年の頃は鉄人28号やちばてつやの漫画に熱中していました。アメリカ製の漫画『ポパイ』もテレビでやっていました(1959年~1965年)。ポパイの中でウィンピーというキャラクターが登場し、口癖が「ハンバーガーをおごってくれよ(I'll gladly pay you Tuesday for a hamburger today)」でした。当時はハンバーガーなんて日本にないし、どんな食べ物なのか? ポパイの漫画の内容よりハンバーガーって何だと画面に食い入って観ていました。

https://youtu.be/68eue5cpbsE?si=wUEfYZ9_1eyXBi3f

1964年アメリカの原子力潜水艦シードラゴンが佐世保に入港し大騒ぎになりました。父親に連れられて福岡からシードラゴンを観に行きました。ランチにハンバーガーを人生で初めて食べました。そこはレストランではなく米兵相手のバーで、昼間は軽食としてハンバーガーを出していたようです。バーのカウンターで食べたハンバーガーは生の玉ねぎのスライスが入っただけのシンプルなものでしたが、今でも鮮明に記憶に残っています。

その後大阪で高校生になった私は近鉄布施の商店街でマクドナルドに遭遇(邂逅)することになりました(1972年)。一号店はアベノ近鉄のようですが、布施のマクドナルドもほぼ同時期でした。ビッグマックとフレンチフライには驚きましたね。ハンバーガーが80円、ビッグマックは確か200円だったと思います。当時放映されていたアメリカのTVドラマやアメリカンニューシネマの影響もあり、私のアメリカ熱は最高潮に達しました。もうアメリカに行くしかないと!












マクドナルド HP より(当時の布施店の写真があります!)


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2025年2月9日日曜日

日米首脳会談 ~ トランプとヤクザ

トランプは優しくなかった。150兆円まんまとせしめたんだからね。大したもんだ。


トランプって日本のかつてのヤクザに近い。私のいうヤクザは今のヤクザではなく日本の近代化や高度成長を下支えした時代のヤクザです。

ヤクザというのは、相手を相手の意図に反して従わせるときには、最終的には暴力を最大の武器として制裁を加える、もちろん説得とか影響力という側面はないことはないが。あるいは制裁を加えることができる力(代紋)を見せつけることによって相手を服従させる。これはアメリカのお家芸です。トランプはそのアメリカの中でも成功者であり、最もアメリカ的なリーダーという訳です。単に育ちの良いエリートではなく若いころからニューヨークの裏社会で数々の修羅場を通り抜けています。          
   
日本の政治家、特に今の総理と外相はヤクザの任侠道から一番遠い世界にいる2人です。アメリカでは義務に対して責任があります。日本の場合、義理と人情です。トランプはこの4つに対しての距離感が抜群です(普通のアメリカ人には義理と人情という思考回路はない)。トランプは頭の回転が速いのでしょう。ところが昨今の日本の政治家は義理と人情にも疎い人が多い。  
   
トランプにとって、自らすすんで風下に立とうとする態度は最も軽蔑することでしょう。日米会談を評価するのは日本のメディアやコメンテーターだけでしょうね。もっとも総理は軽蔑されていることさえ気づいていない。日本国民として悲しい事です。
    
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2025年2月4日火曜日

総理へのサジェスチョン

 

数多くの日本の教育の問題の一つは、作文を論文にする教育をしないことです。中学後半から高校生にかけて、小学生の作文が論文にならなければならない。ところが日本の教育システムでは論文を書く教育に焦点があたりません。     

昨日動物園にゴリラを見に行ったとする。それを文章に書く時、「昨日家族と一緒に動物園に行きました。そしてゴリラを見ました。大変大きくて強そうでした」。これは小学生の作文です。動物全般とか動物園とか地球の環境問題とか人と動物の関係とか、そういった抽象度を上げる(普遍性の高い社会全般の問題)話をした上で、具体的なトピックと統合していかないと大人の議論にならない。多くの日本の組織では抽象度の高さより、具体性や論理性の方が重要だと思われています。

文章を書く「形式」は大事なのですが、もっと重要なことは抽象度が高いところから具体的に落とすこと、ちゃんとした概念が文章に埋め込まれているかの2点です。これはプレゼンでも会談でも同じです。特に外国人と初めて会うときの会話においては意識しておかないとなめられます。終始風下に立たされることになる。   

抽象度が高いということは全体を見るということで、書き手や話し手の世界観・社会観を示すことなのです。小学生の作文じゃないので、正しい概念を使って文章を構成することも大事です。その人の教養レベルが分かります。私のようなロートル(老頭)は手遅れです。今更どうしようもない。しかし中高生にとって、小学生の作文を論文に進化させることは多くの日本人が考えるよりも重要なのです。

総理のトランプ大統領との会談が迫っています。いまから作文は論文にはならない。「形式」だけでもトランプ大統領のスタイルに合わせたほうがいい。これほど文化の違う相手には、総理の感情や態度では説得がむずかしい。だとすると、形式(論理)で話す以外に方法はない。外務省も担当の通訳も認識しておくべきことでしょう。   

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2025年1月30日木曜日

人生初の意思決定

 
12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」

プレイバック「昭和100年」
2025/1/26 08:50(産経新聞)

https://www.sankei.com/article/20250126-RY2FKSF56BGA7JUZAO7E25VDCM/?utm_medium=app&utm_source=smartnews&utm_campaign=ios&fbclid=IwY2xjawIF6ftleHRuA2FlbQIxMQABHZqLlpsSVc5TT_G16puNjkeNblVe6ATsZ69mTE9TNvkq5OPxtxO30n275Q_aem_X-ii18YYjJN1xbmY2WaeuA


少年サンデーや少年マガジンは40〜50円でした。昭和41年、ちばてつや、望月三起也、手塚治虫ら漫画家とGSのタイガースとビートルズは小学生の私のヒーローでした。福岡の公団住宅の暮らしは恐らくそれほど裕福ではなかったけど、日本全体が急成長の時期で躍動感があり、割とハッピーでしたね。

小学5年生の頃に、漫画やプラモと決別しました。 これが人生で最初の重大な意思決定でした。 今でもよ~く覚えています。   

思想が固まる前の何気ない体験は、以後の人生の思想形成に大きな影響を与えるものです。 プラモがあったり漫画を読んだり、蝉取りに走り回ったり三角ベースの野球に熱中したり、、、そういったものが私の原風景(昭和30年代から40年代の福岡)であり、それは日本の昭和の場面の数々なのです。 

自分が属する集団に愛着心を持つのは自然な事で、家族から発展して友人や会社のような組織、そして、国家。 こういった原風景を伴う愛着心がなかったら、生きていること自体がとても空しいものになるでしょう。


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