2025年7月30日水曜日

ブルスケッタとの邂逅

    
ブルスケッタという料理の名を、初めて聞いたのは1990年ごろのニュージャージーでした。

「ブルスケッタ」とはイタリア語で、表面をあぶって焼いたパンにオリーブオイルやニンニクを塗り、トマトなどの具材をのせた前菜です。見た目はカナッペに似ていますが、パンを焼いて少し焦げた香ばしさを加えるところが特徴的です。

当時私は、マンハッタンの営業所の一員として、トライステート(ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット)のクライアントを車で訪問して回っていました。ニュージャージーでは製造業のクライアントが多く、その日も日系企業をいくつか訪ね、昼食時にはイタリア系アメリカ人の同僚と小さなレストランに入りました。

カウンター席に座ると、彼は迷うことなくワインと前菜を注文しました。「ブルスケッタ」と聞こえた気がしたのですが、「プルスケッタ」なのか「ブルスケッタ」なのか、当時の私には正確に聞き取れませんでした。

田舎育ちでハイカラな食べ物に疎い私にとって、それは見るのも初めての料理でした。焼き目のついたバゲットの上に鮮やかなトマトがのり、香ばしいオリーブオイルの香りが漂っています。ひと口食べて、すっかり気に入ってしまいました。以後、我が家の食卓にもときどき登場するようになりました。

些細な出会いかもしれません。大人になってからの出会いでしたが、この小さな前菜は、確かに私の味覚と記憶に刻まれ続けています。

思えば、人生とはこうした「邂逅」の積み重ねなのかもしれません。食べ物にせよ、人にせよ、風景にせよ、自分の外に一歩踏み出したときにだけ訪れる、偶然のような、必然のような出会い。それを逃さず受け止めるには、多少迷子になる勇気も必要なのだと、若いころの私はどこかで独善的に思っていました。

あの焦げたパンの香ばしさは、いまでもふと記憶の中によみがえります。ブルスケッタとの邂逅は、私にそんな人生の断片を思い出させてくれるのです。

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2025年7月29日火曜日

ChatGPTとの付き合い方を考える ― 若い世代と教育の視点


ChatGPTのような生成AIは、使い方次第で非常に有効なツールになります。私自身もその利便性には大いに注目しています。ただし、このツールが持つポテンシャルには、同時に注意すべき側面もあります。特に、中高生といった学びの基礎を築いている段階にある若者にとっては、AIの使い方を誤ることで思考力の育成が妨げられるおそれがあるのです。

AIは、文章を自動で整えてくれる便利な機能を備えています。しかしそれが、「知識を自ら獲得し、それを言語化して自分の表現にする」という本来の学びの過程を短絡的に飛び越えてしまう危険性もはらんでいます。これは、言い換えれば思考停止を助長するリスクです。

本来、表現力や論理的思考力は、「絵日記」→「作文」→「小論文」→「論文」といったプロセスを経ながら、徐々に育まれていくべきものです。特に「作文」から「小論文」へと進む段階では、自分の主張を筋道立てて伝える力が必要になります。しかし、日本の教育制度ではこの部分が軽視されがちで、十分な訓練を経ないまま、多くの若者が受験という競争に巻き込まれていきます。

こうした背景のまま社会に出ると、実務や交渉の現場で「自分の意見を筋道立てて伝える」力が不足しがちです。例えば英語でのビジネスコミュニケーションにおいては、相手の理解に応じた言葉の選び方や論理的な構成が求められます。こうした力は、「小論文」や「論文」を書く中でこそ培われるものです。

残念なことに、こうした訓練が不十分なまま社会的な立場に就くケースもあります。発信力や判断力が弱いまま、重要なポジションに就いてしまうこともあり、それが社会全体の言語的思考力に影響を及ぼすことさえあります。公的な言説においては、個人的な感情ではなく、事実と論理に基づく発信が求められるのは当然のことです。

さて、話をChatGPTに戻しましょう。

若い世代にとっては、まず何よりも"「読書」や「実体験」”を通じて語彙や概念を蓄えることが大切です。こうした基礎があってこそ、ChatGPTのようなツールを本当に「学びの道具」として活かすことができるのです。

一方で、シニア世代にとっては、ChatGPTは気軽な「話し相手」や「情報補助ツール」として役立つ側面もあります。相手に気を遣わず、自分のペースでやりとりできる点は、とても心強い要素だと言えるでしょう。ただしこの場合も、ある程度の言語的な素地があってこそ、AIとの対話は実りあるものになります。

忘れてはならないのは、ChatGPTは「単語の並び方」を予測するしくみに過ぎず、本当の意味で思考しているわけではない、という点です。その限界を理解しつつ、適切な場面で使えば、これほど便利なツールはありません。しかし、学びの初期段階でその「便利さ」に依存してしまえば、逆に思考力や表現力を養う機会を失ってしまうことにもなりかねません。

だからこそ、私たちは今、AIツールとの距離の取り方について、一人ひとりが意識的に考える必要があるのだと思います。

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2025年7月28日月曜日

真贋を見抜く力を失った国へ

イラスト:いらすとや(https://www.irasutoya.com/)

小林秀雄と芥川龍之介に寄せて

ニセモノ天国とも言われた中国が、もしAIの主導権を握ったらどうなるのでしょうか。私はもう何十年も前から、「中国が先進国、あるいは世界のリーダーになりたければ、まず贋作をなくさなければならない」と考えてきました。

それは、単なる知的財産の問題ではなく、「真贋を見抜く力」を一つの文明の成熟度と捉えていたからです。

その一方で、戦後80年を迎える日本は、まさにその「真贋を見極める目」を急速に失いつつあるように見えます。何が本物で、何が模造品なのか。それを判断する感性や知性が、社会のあらゆる場面から消えつつあるのです。政治・政治家もしかり。

昭和25年、小林秀雄は随筆「雪舟」のなかで、次のような逸話を紹介しています。

「かつて上海の銭痩鉄さんの許で、顔輝筆『彗可断臂図』というものを見せてもらった事がある。雪舟の絵と全く同じ構図であり、恐らく雪舟は、この種のものに倣って作画したのであろうと思われたが、模倣によって如何に異なった精神が現れるかには驚くべきものがあった。顔輝の絵も見事だと思って眺めていたが、その間しきりに雪舟の絵が思い出され、どうも雪舟の方が立派だと思えて来てならなかったのである。」

ここで小林は、単なる構図の模倣を超えて、「精神の在り方」が作品に滲み出ることを説いています。本物とは、技術や形式ではなく、内側に宿る何かによって定まると。つまり、本物と偽物を分けるのは“精神の質”なのだと、彼は言っているのです。

この小林のまなざしに呼応するかのように、私の頭には芥川龍之介の随筆『西郷隆盛』も思い浮かびます。芥川は、後世の人々が語る西郷像に対して、静かな懐疑を向けていました。

「西郷隆盛という人間は、われわれの心の中にある、ある一つの理想の投影にすぎないのではないか。」

つまり、私たちが“本物の英雄”だと信じてきた西郷像は、実のところ、時代が作り出した幻想ではないかと問いかけているのです。芥川は、西郷を“本物らしい何か”として崇める大衆心理に潜む危うさを感じ取っていました。それは、まさに現代にも通じる警鐘です。人は、実像ではなく「本物っぽさ」に惹かれる。そしてその「っぽさ」が広がれば広がるほど、誰もが真贋の判断を怠るようになるのです。
  • 本物の中に潜む贋作を見抜く力。
  • 贋作のなかに光る本物の精神を見出す力。
この二つを持たなければ、私たちは情報の洪水やAIによる巧妙な模倣に翻弄され、ついには「何が真で、何が偽か」を判断できなくなるでしょう。

中国が確信犯的にニセモノを流通させる国であるとすれば、いまの日本は、その真贋を問う意志すら持たない、判断力を喪失した国になりつつあるのかもしれません。模倣すらしなくなった国。模倣ができるだけの美意識すら失われた国。それは本当に“豊かで平和な国”と言えるのでしょうか。

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2025年7月27日日曜日

合意なき合意

 昔の自分の日記に、こんな一節がありました。

「契約には Terms and Conditions(Ts and Cs)がある。世界では Ts(Terms)が Conditions より前に来るのが常識。ところが日本では、Conditions(条件)ばかりに目を奪われて、本当に大事な Ts——つまり ”いつ終わるか・どう終えるか” を見ていない」

これは、かつての先輩がよく語っていた契約の鉄則でした。彼は続けてこう嘆いていました。35年以上前の話です。

「日本のエリート政治家がこのレベルじゃ、世界の強者とまともに交渉なんて夢のまた夢だよ」

この言葉を、今あらためて思い出させてくれたのが、石破内閣によるアメリカとの関税交渉です。

合意文書が存在しないという異常

先日、日本政府は米国との交渉で「合意に達した」と胸を張りました。しかし、その合意の正式な文書はどこにも存在しません署名もない、共同声明もない、合意文の読み上げすらない。

これでは、国際社会のルールで言えば、「合意」ではなく「口約束」です。

民間企業でも、契約書がないまま進めるビジネスなどまずありません。なぜなら、書かれていない約束は守られないからです。

アダム・スミスもあきれる「契約観」の欠如

以前、上海で若い中国人スタッフにこんな話をしたことがあります。

「アダム・スミスは言った。経済社会を成り立たせるには、“正直であること”と“時間を守ること”の二つが前提だと」

この“時間”とは、契約における 期間や期限(=Terms) を指します。それが曖昧なまま交渉をまとめたと主張すること自体、契約の初歩が理解されていない証拠でしょう。


アメリカは「書かれていない約束」を武器にする

忘れてはならないのは、アメリカは“書かれていないことの意味”を熟知しているという点です。

今回、彼らがあえて文書化を避けたのは、将来的に自分たちの都合のいいように“合意”を再解釈できるようにするためです。

これからアメリカはこう言うでしょう:
  • 「あの条件には期限なんてなかったはずだ」
  • 「あれは“努力する”と言っただけだ」
  • 「我々の国内事情が変わったので、合意内容も当然見直される」(トランプ大統領の気分しだいで、、、)
つまり、「書かれていないからこそ」、解釈の余地が無限にあるです。これは、交渉における極めて冷静かつ合理的な戦略です。


書かれていない“合意”は、存在しないのと同じ

契約の基本とは、曖昧さを排除することです。それが外交でも同じであることは、国際交渉の常識です。

にもかかわらず、「合意できた」という言葉だけを国内向けにアピールし、肝心の「Terms(期限・終了条件)」を曖昧にしたまま、文書も作らずに交渉を終えたこの政府の姿勢は、正直に言って稚拙としか言いようがありません。

今後、日本はこの「合意なき合意」のツケを、一方的な解釈変更というかたちで支払い続けることになるでしょう。

外交は、言葉ではなく「紙」に残すことで初めて意味を持ちます。石破内閣の交渉は、契約とは何か、国家とは何かという根本への理解を、私たちに問い直させるものとなりました。

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2025年7月26日土曜日

日本とアメリカ、不平等の構造と「自発的隷従」

 マンハッタンのコープ


歴史が繰り返す日米関係の歪みと現代の危機

今回の日米関税交渉を見ていて、私はどうしても1985年の一連の出来事──JAL123便の墜落事故、そしてプラザ合意──を思い出してしまいます。あの年以降、日本は中長期にわたってアメリカ・ボーイング社から大量の航空機を購入していくことになります。さらに、円高誘導によるバブル経済、そしてその崩壊と長期停滞へと続く道筋が始まりました。
     
こうして見ていくと、当時から現在に至るまで、日米間には不均衡な構造が繰り返し再生産されてきたのではないかと思えてなりません。

今回の交渉も、その延長線上にあるように見えます。アメリカ側の要求は一方的で、日本側は譲歩を重ね、関税率や投資額、利益配分においてほとんど主導権を握れないままでした。これは果たして交渉と呼べるものだったのでしょうか。まるで、アメリカ経済の立て直しのために、日本が一方的にリソースを差し出しているようにすら感じます。恐らくトランプ大統領の意図はそこにあったのでしょう。

私自身、かつてマンハッタンでマンションを購入・売却した経験があります。しかも、マンハッタンの「コープ」という特殊なマンションの所有形態には、管理組合がとても強くて、個人の自由がかなり制限される構造がありました。誰が住めるか、売れるか、値段はいくらか……全部審査があって、自由市場とはとても言えません。こうした制度や感覚が、今のトランプ大統領の交渉にも根っこでつながっている気がします。まさに強引で感情的な、考える余地を与えない交渉スタイルです。そして、そうしたアメリカ側の押しに対し、日本政府は今回もまた抗うことなく飲み込んでいったように見えます。

思い返せば、真珠湾攻撃の前夜も似た構図でした。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、意図的に世論を煽り、反日感情を醸成することで、第一次世界大戦後の自国の経済危機や政権維持のための対日圧力を強めていきました。もちろん、狂信的な日本軍部の暴走はありましたが、日本は外交による調整を試みていたのです。最終的に戦争という道に追い込まれていったことは、その過程の悲劇でした。アメリカ側の意図的な挑発や包囲網も決して見過ごせません。

そもそも1941年当時、日本はアメリカとの衝突を避けるため、粘り強く交渉を続けていました。政府も外交も、調和と平和的解決を模索していたのです。しかし、戦後80年が経った今、日本はあの時よりもさらに主体性を失ってしまいました。もはやアメリカの強圧だけが原因なのではありません。今回は、史上最低か、最低から二番目と言われるような内閣が、日本のかじ取りをしているのです。これほどアメリカにとって都合の良い状況はありません。

そして今の日本政府の姿勢は、明らかに「強制された服従」ではありません。これは、日本自身がすすんで服従している、「自発的隷従」なのです。


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2025年7月25日金曜日

大和の精神と国のかたち

タイとカンボジア国境地帯で本格的な軍事衝突、民間人ら12人死亡…砲弾とF16の応酬

【バンコク=水野哲也、プノンペン=竹内駿平】タイとカンボジアの国境地帯の複数箇所で24日、両国軍が交戦した。タイ政府によると、砲撃によりタイで民間人11人と兵士1人の計12人が死亡、31人が負傷し、タイ軍は戦闘機でカンボジア軍の拠点を攻撃した。両国軍は5月28日にも国境地帯で交戦しており、約2か月後に再び本格的な軍事衝突となった。

タイ・カンボジア紛争を見て思う大和の精神と国のかたち

私は奈良県橿原市を本籍とする者として、日本という国の始まりを常に意識しています。神武天皇が東征の果てにたどり着き、国を開いたとされる大和の地。そこは単なる地理的な「場所」ではなく、自然との調和によって文化を育んだ空間でした。

奈良盆地は、周囲を山に囲まれた天然の要害でありながら、狭すぎず、広すぎない。広大な平野は外敵にとっても好都合ですが、奈良のような地形は自らを護りながらも、人々が自然と共生するにはちょうどよいスケール感を持っていました。大和の人々は、森を切り拓くのではなく、森とともに暮らす道を選んだ。それは、防衛や利便性ではなく、調和と持続可能性を第一に置いた選択だったのです。

「大和は国のまほろば」。この美しい響きのなかに、現代の我々が見失いつつある叡智が込められています。木を切らなかった大和の精神。そこには、資源を無限に搾取するのではなく、未来へ残すという倫理観があった。言ってみれば、日本は持続可能性の元祖だったのです。

そして、それは偶然ではありません。藤原京、平城京、平安京――都が移ろっていった過程には、時代の要請と自然との折り合いをつけながら、確固たるビジョンのもとに柔軟に変化していく姿勢がありました。これこそが日本の国のかたちの本質であり、「和をもって貴しとなす」という言葉は、その理念の結晶です。

こうした視点で、現在のタイとカンボジアの国境紛争を見ると、複雑な思いにとらわれます。地続きであること、外敵の脅威が常に意識されること、国家が軍事と排除を前提に成り立つこと。それは、大和的な国づくりとは対極にある状況です。

そして日本は今、果たしてこの「大和の精神」を継承していると言えるでしょうか?

かつて「安全保障の専門家」として名前が挙がった石破茂氏、岩屋毅氏、中谷元氏といった政治家たちは、本当にこの国のかたちや、独立した安全保障のビジョンを語ってきたでしょうか?彼らは、戦略や歴史的文脈を語ることなく、アメリカ依存を当然視し、現状維持を繰り返してきただけではなかったか。何も考えずに、、、、。安全保障を語りながら、実際には国民を「考えさせない」方向に導いてきた責任は、軽くありません。

そして今、史上最低と思われるこの内閣が、日本国民の生死与奪を握っている現状に、私は深い危機感を抱きます。持続性も柔軟性も、和の精神も、すべて形骸化され、ただ「管理」される社会。このままでは、「大和」から始まった日本の原点が、霞のように消えていくのではないか。

いま必要なのは、過去の美化ではなく、国のかたちを問い直す誠実さと覚悟です。調和と変化の力をもって、自らの手で「次の日本」を描けるかどうか。それが、我々一人ひとりの問いとして突きつけられているのだと思います。






亡き父の写真集より

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2025年7月24日木曜日

「ヘイ・ジュード」と英語と、わたし

 

久しぶりにビートルズを聴きました。 80代になったポール・マッカートニーが『ヘイ・ジュード』を歌う映像を観たのです。声は少しかすれても、あの「Hey Jude」のフレーズが流れ出すと、不思議なもので、 時間が逆回転したようで、遠い記憶が胸に押し寄せてきました 。

たぶん、ビートルズの曲の中で一番好きなのがこの『ヘイ・ジュード』です。最初に出会ったのは、小学校の高学年。ちょうどグループサウンズから卒業し、“本場”の音楽――ビートルズやローリング・ストーンズ――に惹かれ始めた頃でした。『ヘイ・ジュード』のシングル盤を手に入れて、レコードが擦り切れるんじゃないかと思うくらい、何度も何度も聴きました。

そしてある日、ふと思ったのです。「この歌は、いったい何を言ってるんだろう?」

田舎の小学生では当然わからない。でも、どうしても意味が知りたくて、近所で英語を教えている先生を見つけて、個人レッスンに通い始めました。この先生は専業主婦だったのですが、イギリスで生活をしていたそうです。学校の勉強とはまったく関係なく、「ビートルズの歌詞が知りたい」という一点の思いだけで動いていたのです。おかげで、英語との最初の出会いはずっとワクワクするものでしたし、中学3年間の英語はほとんど勉強する必要がなかった。

振り返ってみれば、英語なんてものは「勉強する対象」ではなく、「好きなものを深く知るための道具」だったのだと思います。目的はいつも、歌詞の向こうにある彼らの気持ちや、背景の風景を想像することにありました。辞書を片手に、歌詞カードをにらみながら、「ペニーレインって、お金の”雨”が降るという歌なのか?」などと真剣に考えていたのも、今となっては良い思い出です(実際には、ポールの育った町の地名でしたが)。ちなみに、私が最初に買ったビートルズのLPが『マジカル・ミステリー・ツアー』で、B面3曲目がその『ペニーレイン』でした。A面とB面をひっくり返すのも、あの頃の儀式のひとつでした。

ビートルズの歌詞は難解です。時代背景やイギリスの空気を知らないと、文脈を誤解してしまう。でも、その謎を解きたくて辞書を引き、意味を考える。そうやって英語と向き合う時間が、私にとっての「勉強」だったように思います。

中でも、『ヘイ・ジュード』は、やはり特別な一曲です。後に、ポールがこの曲をジョン・レノンの息子ジュリアン(ジュード)を励ますために書いたと知りましたが、私は社会人になってから、プレゼンテーションの枕などでよくこの曲の一節を引用していました。少し皮肉を込めて、「これは日本のサラリーマンを励ます歌なんですよ」と言いながら。

特に、こんな一節――

So let it out and let it in, hey jude, begin,
(万物は流転なんだ、一歩前へ出ろよ)
You’re waiting for someone to perform with.
(誰かが助けてくれるなんて、待ってるんじゃない)
And don’t you know that it’s just you, hey jude, you’ll do,
(自分だけなんだぞ、自分でやるんだ)
The movement you need is on your shoulder.
(その一歩は、お前の肩にかかってるんだ)

「誰かがやってくれるのを待ってる場合か」「その一歩は、自分の肩にかかってるんだぞ」――そんなふうに、ポールが目の前で語りかけてくれているように響いたのです。私が込めたメッセージは、「自分の人生は、自分がプロデュースする」――ただそれだけでした。誰かに流されてばかりじゃ、What is the life for? なのです。 

英語は道具です。でも、良い道具には「物語」が宿ります。興味を持つきっかけは、何だっていい。私の場合は、レコードから流れてきた『ヘイ・ジュード』が、すべての始まりでした。

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2025年7月23日水曜日

焦げた醤油の記憶

 

私が焼きトウモロコシに初めて出会ったのは、小学校の低学年の頃、家族で阿蘇へドライブに出かけたときのことでした(昭和30年代)。草千里でたまたま観光用の馬がいて、ついでに乗ってみるか、ということになったように思います。馬の記憶は正直あまり残っていないのですが、そのとき風に乗ってふわりと漂ってきた、ある香りのインパクトだけは今でも鮮明です。

焦げた醤油の匂いです。

しかも、それがトウモロコシに染み込んでいるというのですから、子どもながらに「これはただ事ではない」と思ったわけです。

一本買ってもらい、高原の風に吹かれながらかぶりついた焼きトウモロコシ。あれは私の味覚の原風景となりました。脳のどこかに「本物」としてしっかり保存されたのでしょう。

その後、中国でもアメリカでも、トウモロコシは何度も食べました。けれど、あのときのような衝撃には、二度と出会っていません。焼いたものというより、茹でたものか、粒をスープに浮かべたものばかり。あの香ばしく焦げた醤油の香りは、日本人の食に対する異常なまでのこだわりの結晶だったのだと、あとになって気づきました。

人は、子どもの頃に出会った「本物」を無意識のうちに基準にして生きていくのだと思います。味覚もそうですし、読書や人間関係も同じです。脳のデータベースには、最初に登録されたものが「標準設定」として残る。もし最初にストアされたものがニセモノだったら、その後の判断も少しずつズレていくかもしれません。

だから、若いうちにどれだけ「本物」と邂逅できるかが大事です。 

本で言えば、手当たり次第に自己啓発書を読むよりも、まずは古典を一冊読んでみる。明治や昭和初期の文豪たちの作品に触れることで、現代の情報過多のなかで忘れがちな「重み」や「間」を感じることができます。そして何より、そうした古典は、読み手の年齢や経験に応じて違った顔を見せてくれる。十五歳のときに読んだ『吾輩は猫である』と、四十歳になって読み返すそれとでは、まるで別の小説のように響いてくるのです。

人との出会いも同じです。若い頃に「生きた教材」としての人物と邂逅できたかどうか。単なる有名人や高スペックの人ではなく、強烈な個性や矛盾を抱えながら、それでも一本筋の通ったような人。そうした出会いは、その後の人生の糧になります。

AIは便利です。世界中の情報を集めてくれる。でも、それは誰かが経験した知識の寄せ集めであって、自分の身体や感情を通したものではありません。焦げた醤油の香りを知らないAIに、あの焼きトウモロコシの味は語れないのです。

タコツボの中に閉じこもっていたら、「本物」との邂逅にも限りがあります。だからこそ、「迷子になること」を恐れないでほしいのです。それは、一歩踏み出す勇気であり、自分の世界を広げるための旅の始まりでもあるのです。

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2025年7月22日火曜日

責任という言葉の重さ

 

今村均将軍と今の日本政治を見つめて

今回の参議院選挙と、それに際して聞こえてきた総理の発言を通じて、私は改めて、戦後80年を経たこの国の「失敗の帰結」を突きつけられたように感じました。今の日本の政治の姿は、敗戦後の歩みの総決算のようにも見え、その象徴が、いま総理大臣の座にある人物なのだと思えてなりません。

これまでの人生で、私の身のまわりには、このような人物は一人もいませんでした。そんな「スペックの人」が、国のリーダーであるという現実に、ただ茫然とするばかりです。

そんなとき、ふと思い出したのが、40年ほど前に読んだ角田房子さんの『責任 ラバウルの将軍 今村均』という本でした。初めて読んだとき、私はとても強い衝撃と感動を覚えました。「責任とは何か」「リーダーとは何か」という問いに、ここまで明快に応えた人物が、日本の戦後にどれほどいたでしょうか。

今村均さんは旧日本陸軍の大将として、徹頭徹尾「責任を取る」ということを実行した人でした。戦局が悪化する中、ラバウルで数万人の兵を指揮しながら、玉砕も飢餓も許さず、終戦まで秩序を保ち続けたそうです。戦犯として収容されたあとも、自ら進んで責任を負い、帰国後は部下やその遺族の支援に奔走しました。その姿は、占領軍のマッカーサーさえも動かしたといいます。

「その時は責任を取ります」と言う人は今もたくさんいると思います。でも、実際に取った人は、ほんのわずかしかいません。今村将軍は、部下たちの苦しみを自分自身の問題として引き受け、帰国後も自らの意思で、ふたたびマヌス島の収容所に戻ろうとさえしました。それは、単なる義務感や軍人としての誇りではなく、「仁」の心に裏打ちされた、深い人間性の表れだったのだと思います。

それに比べて、今の日本の政治に「責任」という言葉は、本当にあるのでしょうか。たとえ総理の口からその言葉が出たとしても、どこか軽く、空虚で、胸に響いてきません。なぜなら、その人が「責任とは何か」を真剣に考えた形跡が見えてこないからです。政治家が、手段と目的を取り違え、ただ権力の座にしがみついている。そんな姿に、私たち国民は人質のようにされているのではないか――そんなふうに思えてなりません。

今村さんと同時代を生きた人々に直接話を聞くことは、もはや難しい時代になりました。でも、今村さんのような人が、かつてこの国にたしかに存在したこと。そして、その生き方が、丹念な記録として書き継がれていることは、私たちに希望と方向性を示してくれているように思います(角田さんが本書のために行った数々のインタビューは、まさに最後の生き証人たちとの貴重な対話でした)。

歴史は繰り返すと言われます。だとすれば、「今」という、このどこか敗戦にも似た空気のなかで、今村将軍の「責任」のあり方に学ぶことは、決して無意味ではないはずです。

私が総理に望むことは、たったひとつです。せめて今村均という人物の存在を、知っていてほしい。それすら難しいなら、どうか、軽々しく「責任」という言葉を口にしないでほしい。

責任とは、その人の生き方そのものを指す言葉なのですから。
  
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2025年7月21日月曜日

参議院選挙の結果と日本の政治

 7月20日の参議院選挙から日が変わり、大勢が明らかになったものの、私にとっては驚きはありませんでした。最初から大きな期待を抱いていなかったので、予想通りの結果と言えます。

今も変わらぬ問題は、ジャーナリズムの不在と国民のリテラシー(教育)の不足です。日本の政治は、視野の広いビジョン(未来図)を持ってこそ成り立つべきものですが、そのビジョンが曖昧であれば、教育にいくら力を入れても、実を結ぶことはありません。むしろ、日本の受験システムは教育とは言えず、ベクトルが間違っています。受験を目的とした教育は、個々の能力や創造性を育むことに向いていないのです。国家が目指すべき未来像が不明瞭なまま、教育システムはただ形式的に進行し、真の問題解決にはつながりません。

国家は努力して作り上げるものであり、教育はその実現のための重要なツールであり手段です。政治家もその手段の一部であるべきですが、現状では多くの政治家が手段と目的を履き違え、権力の座にしがみつくことが目的となってしまっています。そのため、政策の実現よりも、自己の立場や利益が優先され、国民のための政治が行われることは少なくなっています。メディアもまたその役割を果たせていません。ジャーナリズム精神は失われ、ただ視聴率や票を求めるだけの報道が繰り返されています。

これらの問題に対して、私が今回の選挙結果を見て思うことは、むしろ「もっと堕落しろ!」という坂口安吾の言葉に近いものを感じることです。敗戦直後に安吾が『堕落論』で述べたように、堕落することで逆に目覚める瞬間が来るのかもしれません。この国の国民が、いつ目を覚ますのか、そしてどこまで堕ちていくのか、そんなことを考えながら選挙結果を見つめていました。

この国の未来は、政治家やメディア、教育に委ねられているのではなく、最終的には国民一人一人の意識改革にかかっているのではないでしょうか。しかし、その目覚めがいつ来るのか、私にはまだ分かりません。たぶんもうこの世にはいないでしょうが、、、、。

  
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2025年7月20日日曜日

日本航空123便墜落事故

上野村「慰霊の園」の追悼施設(撮影者不明)


語られない記憶が残したもの、1985年の夏


この話題には、できれば触れたくありませんでした。

1985年8月12日、日本航空123便が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、520人の方が命を落としました。単独機の事故としては、いまも世界最悪の犠牲者数となっています。

事故当日、私は中国・北京の商務省(Ministry of Commerce)のコンピュータ室にいました。アメリカのコンピューター会社の社員として、システムに関連する業務のために現地に赴いていたのです。翌13日は、中国人エンジニアたちと一日中、この事故について話しました。我々は、日本人として中国人として、そして一人の人間として、悲しみや運命について語り合ったことを、今でもよく覚えています。

この事故では、同じ会社の先輩も亡くなっています。そのため、今でもこの話題には自然と心が沈みます。それでも、こうして書いておこうと思う理由があります。

陰謀論として片づけられる“違和感”

この事故には、今もなお、多くの疑問が残っています。
  • コックピットのボイスレコーダー(CVR)やフライトデータレコーダー(FDR)が公開されていないこと(ボイスレコーダーやフライトレコーダー開示請求裁判は請求した側の敗訴)
  • 墜落直後に上空を飛んでいたはずの自衛隊機や米軍機の動きがはっきりしないこと
  • 操縦士・高濱機長による異例の対応や、通信記録の“断絶”
こうした点は、当時も今も「陰謀論」として片づけられてしまいがちです。でも、真相が明かされないまま「陰謀論」として封じ込められている状況そのものが、すでに異常なのではないかと感じています。語ること自体が「非常識」とされてしまう空気のほうが、かえってこの事故の闇の深さを示しているように思えます。

プラザ合意とその後の連鎖

この事故のわずか1か月後、1985年9月22日にプラザ合意が結ばれました。当時1ドル240円台だった為替は、120円まで一気に円高が進みました。輸出競争力を失った日本は内需拡大へと向かい、やがて未曾有のバブル景気が生まれました。

しかしそのバブルは崩壊し、そして何よりの転機となったのは、小泉政権による「構造改革」でした。郵政民営化をはじめとした改革には、アメリカ政府からの圧力があったと想像しています。そうした流れのなかで、日本経済は長い低迷期へと突入していきました。

この一連の出来事の因果関係を証明することはできません。ただ、それでも、あの事故と、それに続いた経済や政治の大きな転換が、一つの流れとしてつながっているように感じられるのは、私だけではないと思っています。

8月――沈黙と限りない悲哀の月

私は昔から、日本の「夏」が苦手でした。
  • 8月6日、9日 ― 広島・長崎への原爆投下
  • 8月15日 ― 敗戦記念日
  • そして8月12日 ― 日本航空123便の墜落事故
この時期に訪れるのは、単なる「喪失」ではなく、「限りない悲哀」だと感じています。戦争と同じように、JAL123便の事故もまた、「語られないまま風化していく」という意味で、日本社会の“忘れる仕組み”のなかに埋もれていってしまっているように思えます。

それでも書くことの意味

いま、あえてこの話を書き残そうと思ったのは、自分のためでもあり、「歴史に問いを残す」ためでもあります。

あの事故が象徴しているのは、単なる航空機の技術的トラブルや人災ではないと感じています。むしろ、「誰も真相にたどり着こうとしない社会」への問いかけなのだと思います。

語られないままの記憶を、少しでも掘り起こすこと。それが、今を生きる私たちにできる、ささやかな務めなのかもしれません。

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2025年7月16日水曜日

Red Eye Back ― 奈良からの夜明け

 



ニューヨークからロサンゼルスまでは直行便で6時間、時差は3時間あります。朝早くNYを出ても、着くのはLA時間の夕方で、実質的に仕事にはなりません。ディナーミーティングに参加するくらいです。そして問題は帰りです。LAで仕事を終え、午後9時や10時発のJFK便に乗ると、NYには翌朝6時に着きます。そのままオフィスに向かうわけです。アメリカ人ビジネスマンの朝は早いのです。red eyeとは、そういう移動でした。マネジメント層にとっては、これをこなして一人前、という空気すらありました。

今のようにインターネット会議で済む時代になっても、まだred eyeを続けている人がいるのかどうか、それはわかりません。

さて、今回はその"地上版red eye"でした。

奈良からの帰りは、いつもなら午前3時に出るのですが、今回は午前1時にスタートしました。途中3〜4回の休憩を入れて、6〜7時間のドライブです。幸い、国内に時差はないので、朝の8時頃には武蔵野に着けるはずでした。

ですが、今回は違いました。岡崎から静岡にかけて、台風と線状降水帯を伴う低気圧が通過中でした。猛烈な風雨に見舞われ、何度も豪雨を避けては休憩を入れる羽目になりました。東名は案の定、大和トンネルあたりから東京料金所までラッシュの渋滞。環八はまだマシでしたが、それでも武蔵野の自宅にたどり着いたのは午前9時を過ぎていました。

まさに、「奈良からのred eye back」でした。

30代40代の頃は、こんな無茶な移動も“仕事”だったんですよね。今から思えば、どうかしていたと思います。でも今は違います。ただの私用で、仕事とは関係ありません。極楽とんぼの半分は隠居の身です。

それでも、朝9時に車を降りたときには、さすがに疲労困憊でした。昔なら平気だった長距離ドライブが、いまは身体に堪えます。渋滞も、豪雨も、眠気も、すべてが重すぎました。

ドライブのあいだ、頭の中ではずっとスティーリー・ダンの《Reelin’ In the Years》がぐるぐる回っていました。あの少し皮肉で、どこか突き放すような歌詞。たぶん、ちゃんと意味を理解しているわけじゃないのですが、不思議と、こんな夜明けにはぴったりでした。

私はあの歌詞の中の男のようにプライドが高いわけじゃありませんし(たぶん)、恨み節なんてほとんどないです。大成功したキャリアではなかったけれど、後悔は微塵もありません。妬みなんて、、、ないです。

red eye の車バージョンで帰ってきて、過ぎ去った年月のこと、あの頃あったいろんな出来事のことが、頭の中をぐるぐると駆け巡っていました。

私は《Reelin’ In the Years》の主人公のように、皮肉に閉じこもることなく、自分の人生を自分の言葉で引き取っています。それは、スティーリー・ダンの知的な諦念よりも、もっと静かで強い「納得」に近い感覚です。これって、もしかしたら高齢者にありがちな頑固な独善性なのかもしれません。

たとえ「大成功したキャリア」ではなくても、
たとえ「昔ほどタフではなくなった」としても、

後悔は微塵もない。自分の涙は、もう自分でちゃんと受け止めています。そこにあるのは、「やりきった」とか「まあ、いいか」ではなくて、時間を巻き戻す(reeling)必要も、涙を集める必要もないという穏やかな境地なのです。

そして、やっとこさ武蔵野の自宅に着いた頃に、頭の中の《Reelin’ In the Years》は終わっていました。

    


 

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2025年7月14日月曜日

物語をやめた国で、物語をはじめる




茅(ち)の輪くぐりの準備@奈良西方寺

夏越(なごし)の祓(はらえ)は、1年の前半を無事に過ごせたことに感謝し、後半の半年を健康に過ごせるように祈願する行事です。特に、茅の輪をくぐることで、身についた罪や穢れを祓い清めるとされています。


物語をやめた国


物語の中に、ひとつの国がありました。

そこでは、政治家たちが手元の作文を読みながら、「語っているふり」をしていました。

「ヴィジョンとは何か」
「成長戦略とは」
「この国の未来とは」

そんな言葉を並べながら、彼らは実際には何も語らず、何も決めず、たどたどしく誰かが書いた作文を読んでいる。肝心の中身には、誰も関心を持っていませんでした。

政治家たちが勝手にしゃべるたび、国民は「ああ、またか」と目を伏せます。言葉だけじゃない。顔も見たくない。むしろ吐き気がするようになった。
誰もが次の展開を知っていました。

  • 主人公のいない物語
  • 反省しない登場人物たち
  • ページがすすまない
そんななか、ひとりの「語り手」がいました。
もともとは「読者」だった人です。税金という参加費を払い、静かにこの国に生きてきた。

けれど、ある日ふと、こうつぶやいてしまいました。
「このストーリー、あまりにも退屈じゃないか? しかも、バカ高い金払ってさ」。

その瞬間、彼は物語の外へと押し出されました。
「反政府的だ」「空気を読め」と言われながら、語り手でありながらページの隅に追いやられた。

しかし彼は気づいてしまったのです。

この国には、もはや物語をつくれる人間がいない。

誰も責任を取りたがらず、誰も新しい筋書きを描こうとしない。
ただ「前例」と「忖度」と「お友達」の三点セットで、台本は惰性で進んでいく。

「もう一度、最初から書き直すしかない」
語り手はそうつぶやき、ペンを手にしました。

物語を捨てた国を、もう一度、物語が始まる国へと修理するために。
語り手とは、物語の修理工でもあるのです。

この国の物語は、まだ書きかけのままです。
でもひとつだけ確かなことがあります。

こんな茶番に付き合うほど、読者はバカじゃない。

読者から語り手へ──静かな反抗のすすめ

日本人は、賢い読者ばかりです。
空気を読み、先を読み、余白を読み、沈黙の意味すら読もうとする。

「読者」がただの傍観者で終わらないとき、「語り手」が生まれます。
それは、カミュの言う「反抗」であり、60〜70年代のサルトル的実存の実践でもある。

自らが語る者となるとき、物語は再び始まるのです。

今この国に必要なのは、そうした静かな決意です。
「読むだけ」の位置から一歩踏み出して、「語り始める」こと。
沈黙ではなく、言葉を選び、筆を取り、物語の修復に加わること。

物語をやめた国で、物語をもう一度つくるために。
その仕事は、まだ終わっていません。

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2025年7月13日日曜日

深夜の高速で考えたこと

 



















午前2時半に武蔵野の自宅を出て、車で奈良を目指しました。50年近く運転してきましたが、長距離はそろそろしんどくなってきた、、、、。とはいえ、雨さえ降ってなければ、深夜の運転は好きです。すいている道を、自分のペースで走る感覚。これは若い頃から変わりません。

ところが、今の深夜の高速は様子が違います。足柄SAに着いたのは午前3時半だったのですが、駐車場はほぼ満車。売店やレストランは閉まっているのに、人だけはやたら多い。深夜割引の影響か、トラックも乗用車も列をなしていました。静岡SAも岡崎SAも同様。まともに休憩できる場所すら確保できません。

かつて、深夜の高速は“自由の時間”でした。だが今では、そこにも「割引のある時間に一斉に動く人たち」が詰め込まれています。

こうして見ると、「若者の車離れ」という言葉にも別の意味が浮かび上がってしまいます。

たしかに、都市部では車を所有しない若者が増えた。経済的な理由もあるし、カーシェアや公共交通が便利になったこともあります。だが単に「持たない」のではなく、「持つことの責任や煩わしさを避ける」傾向が強まっているように感じるのです。

もちろん、経済性や便利さを追求するのは悪いことではない。

けれど

深夜のサービスエリアで見かけた人々──どこかに向かっているはずなのに、誰もどこにも向かっていないように見えてしまいました。

午前0時を過ぎてから高速に乗ると割引になります。それだけの理由で、時間を調整し、眠い目をこすって車を走らせる。制度に合わせて動くことで、確かに少し得をする。だがそれは、自分で決めているように見えて、3割の割引のために(3割は大きいですが)、自分の行動を最適化しているだけではないか。

これは、高速道路だけの話ではありません。いま私たちは、知らないうちに「自分で考えること」「自分で決めること」から遠ざかっています。判断のタイミングも、行動のリズムも、すべて誰かが設計した制度やルールに「乗って」動いている。そしてそのことに、だんだんと違和感を覚えなくなってきているのです。

「判断を避ける」「責任を持たない」「自分の足で立たない」。この傾向は、たんに個人の問題ではなく、社会全体の構造の問題なのではないでしょうか?とはいえ、

このような見方に同意しない方も多いことでしょう。実際に、いくつかの反論が考えられます。

まず、「深夜割引の時間に合わせて高速道路を走る」という行動については、それは制度を賢く利用した合理的な判断で、また、深夜のSAの混雑を見て「社会の自律性の低下」や「自己家畜化」と結びつけるのは、社会批評としての飛躍ではないかという指摘もあると思います。交通量の増減や休憩タイミングの集中といった現象に、過剰な意味づけをしているのではないかという冷静な見方です。

さらに、「若者の車離れ」についても、これは単なる消極的選択ではなく、環境意識やライフスタイルの変化の表れだという解釈もあります。車を持たないことが、必ずしも「責任を取りたくない」ことには直結しない。むしろ、他の選択肢が増えたからこそ、「持たない」という主体的判断をしているとも考えられます。

また、私が問題視したような「制度に合わせて動くこと」についても、制度やルールに従うことが自動的に思考停止を意味するわけではないと。

現象に意味を読み込みすぎているのではないかという反論も成り立ちます。たまたまSAが混んでいた、たまたま人が集中していた──そんな偶然を、社会の病理の象徴として語るのは、やや拡大解釈だという声もあるでしょう。

最後に、私が示唆したような「誰も考えていない」といった前提自体に、疑問を投げかける人もいるでしょう。そこにいた一人ひとりには、それぞれの判断や目的、事情があるはずで、「考えていない」という決めつけそのものが、むしろ老害そのものではないか!

こうした反論は、たしかに一理あります。それでも私は、あの深夜の高速道路に流れていた空気(reading the room)──「便利さ」の裏側で少しずつ蝕まれていく自律性や判断力──に、どこか現代の日本社会のひずみが重なるように感じてしまうのです。近未来のディストピアとしての日本を、、、、。

車のハンドルを握るその手に、私たちはまだ「自分の行き先」を選ぶ感覚を持ち続けているでしょうか。あるいは、それすらも、気づかぬうちに誰かに委ね始めているのかもしれません。

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2025年7月11日金曜日

自己家畜化するジャポン

ブリューゲル 怠け者の天国(1567年) 

怒りの奥にある笑い


最近、つくづく思います。

「税金、もう払いたくない」と。

こんな気持ちになるのは、生まれて初めてです。脱税したいわけではありません。
ただ、今の政権や政治家たちの顔を思い浮かべながら、自分の稼ぎの一部を渡していると思うと、心の奥からじわじわと怒りがこみあげてくる。
そのお金で、彼らはどこかの料亭で笑い合っているのだと思うと、ふざけるな、と言いたくなるのです(私は料亭に対する妬みや羨望はありませんよ、念のため)。

私が若い頃、日本人はもっと違う国民だったように思います。
身体は丈夫で、顔にも誇りがあった。理屈ではなく、生き方に一本筋が通っていた。
ところが今はどうでしょう。「よく働き、文句を言わず、規則を守る」──そういう意味では高性能かもしれませんが、すっかり従順な生き物になってしまった。

これは「家畜化」です。しかも、自主的な。
首輪は必要ない。自分で喜んでつけているのです。

便利さに慣れすぎてしまいました。スマホがあれば脳はいらない。AIがあれば思考もいらない。判断することを放棄し、「選んでも変わらない」と言い訳して選挙にも行かない!
その結果が、今の総理です。

その総理という神輿が、いかに軽いか。
もう、風で揺れているのが見えるほどです。

けれど、その神輿を担いでいるのは誰か。
メディア、官僚、そして「おとなしい」私たち国民です。
彼らが何をしようと、顔色ひとつ変えずに税金を納め、口をつぐむ。
それを「成熟」という人もいるでしょう。
しかし私には、それが沈黙することが賢さだと信じ込まされた教育の成果に思えるのです。

実はそれこそが、虚無的な服従であり、自主的隷従というものです。
怒るべきときに怒らず、問うべきときに問わない。
そして、何も期待せず、何も望まず、「どうせ変わらない」と心の奥でつぶやく。
これを知性の退化と呼ばずして、何と呼ぶべきでしょうか。

科学技術が進歩し、生活は確かに便利になりました。
でも、その便利さの代わりに、私たちは何を差し出してきたのでしょうか。
怒る力、感じる力、疑う力──つまり、人間らしさの根幹です。

「考える葦」どころではない。今や、ただそこに飾られている「しゃべる観葉植物」のような存在感になりつつある。

目の前にはAIがあります。
これは確かに賢い。文句ひとつ言わず、瞬時に答えを返してくる。
人間が担っていた知的労働も、もはや朝飯前です。

このままいけば、「怠け者の天国」はすぐそこです。
ブリューゲルが描いた、焼かれた豚が自ら歩いてくるような楽園で、人間たち(学者・兵士・農民)はだらしなく寝そべっている。そんな風景が、もはや現実になりつつあります。

「AIがやってくれるから大丈夫」と言いながら、自分で何かを決める力を手放していく。
まるで、レールの先に崖があると知りながら、「自動運転だから安心です」と笑っているドライバーのようです。

私が若い頃には、違和感に対して声をあげる文化が、かろうじて残っていました。
中国でも、アメリカでも、そして九州の町でも、人はもっとむき出しで、もっと不器用でしたが、自分の言葉で生きていたように思います。
当時の日本人が今より自由だったとは言いません。けれど、敗戦の意味や日本の近代化の矛盾について、語ろうとする気配はあった。

ではなぜ、今はそれが失われたのか。

答えの一端は、戦後の占領政策にあるかもしれません。
GHQが目指したものは、制度の変更だけではなかった。
もっと深いところで、日本人の精神を壊すこと──つまり、主体性と怒りの文化を断つことにあったのではないか。
そして、その目的は80年かかって見事に達成されたのかもしれません。

それでも、文化の断片がどこかに生き残れば、いつか後の世代(孫たちが大人になった世界)が問いかけるでしょう。

「ねえ、なぜ日本人はあんなに素直に従っていたの?」
「なぜ誰も怒らなかったの?」
「日本って無くなってしまったんだね、、、」

私たちはこう答えるしかないのかもしれません。

「だって、怒ってもどうせ変わらないから」

──それこそが、この国を蝕む最大の病なのです。

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2025年7月10日木曜日

「文化」と「文明」のあいだで ── 今、教養とは何かを問う

 1980年代初期に北京の内部書店で購入した日本語版『毛主席語録』(初版)。




前書きは、毛沢東暗殺に失敗し謎の死を遂げた林彪です。



「文化」と「文明」のあいだで  ──  今、教養とは何かを問う

教養ある中国人とは誰か?

平川祐弘さんは「権威に盲従しない人」と言います(産経正論2025年7月8日)。なるほど、それは実に納得のいく定義です。だとすれば、日本における「教養ある知識人」とは誰のことを指すのでしょうか。

AIが急速に一般化し、「知識」へのアクセスがかつてないほど容易になった今こそ、本当の意味で問われるべきは「文化と文明」のバランス感覚だと思います。科学技術が文明を前に進める一方で、それをどう使うのかという価値判断は、つねに文化に根ざした教養に依拠せざるをえません。

私は、来年古希を迎えます。思い返せば、私の思考の支柱になってきたのは、学校でも教師でも教科書でもありませんでした。むしろ、明治から昭和初期にかけての知識人──いわゆる「文豪たち」の言葉でした。福沢諭吉、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治……。彼らが直面していたのはまさに「文化と文明の相克」という現代的なテーマだったのです。

平川さんの記事でも指摘されていたように、かつての日本では「教養」とは漢籍に通じることを意味し、それに代わって西洋古典が読まれるようになってからも、文学や思想の素養は知識人の証でした。けれど今では、教養の中身そのものが曖昧になり、英語すら手段としてしか扱われず、学ぶべき「日本の近代古典」すら忘れられつつあるように思います。

一方、中国では『四書五経』が国民的古典としての地位を失い、かつて毛沢東の語録がそれに取って代わるかに見えた時期がありました。だが結局、『毛沢東語録』は読まれる古典にはなりきれず、現代の中国においても「敬意をもって読むべき本」が不在のままです。皮肉にも、教養ある中国人とは「語録を読まない人」と定義される時代になっているというのです。

日本においても、教養は形骸化しつつあります。全集を揃える家庭は減り、本棚の存在感はスマートフォンの画面に取って代わられました。それでも、私たちは「本を読む民族」から完全に堕ちてしまったわけではないと信じたいのです。

難解な古典に無理に立ち返らなくとも、たとえば明治の知識人の書いたものに立ち戻ることは可能です。彼らは「日本」という国家が急激に近代化するさなかで、何を守り、何を捨て、何を受け入れるかを懸命に考え、悩み、書き残しました。その営みこそ、現代を生きる私たちにとっての「教養」の原点になるはずです。

AIの時代だからこそ、人間の軸を持たなければならない。平川さんの言葉を借りれば、明治の古典を「カリキュラムの核」に据えること。それはノスタルジーではなく、未来への選択なのです。


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2025年7月8日火曜日

はじめての味──ピザ、ビーフシチュー、ハンバーガー、そしてラーメン

先日、わが家で食べたビーフシチュー

昭和三十年代の終わりか、四十年代の初め。場所は福岡市、天神か川端のあたり。正確な場所は記憶の中で少し曖昧ですが、そこに洋画のロードショーを上映する映画館がありました。なぜかその一階(?)には、ちゃんとしたレストランが併設されていて、子どもだった私にはまるで「異世界の入り口」のような場所でした。

映画館で洋画を観る。スクリーンの向こうには、現実にはない世界が広がっていて、その刺激は確実に私の人格形成に影響を与えました。でも、インパクトを受けたのは映画だけではありません。私がそのレストランで出会ったのが、人生初の「ピザ」と「ビーフシチュー」でした。

ピザは、今となってはコンビニでも買える食べ物ですが、当時の私のまわりには、ピザという料理を食べたことのある人間など一人もいませんでした。子どもながらに「これはなんだ?」と圧倒されました。

さらに強烈だったのがビーフシチューです。シチューというからには、牛乳で煮た白いスープのようなものを想像していたのですが、出てきたのはこってりとレンガ色のルウ。その中に、ジャガイモとニンジンがごろりと入っていて、そして、驚くほど大きな牛肉のかたまり。しかも、その肉が、箸でも崩れるほどに柔らかかった。これが“牛肉”なのかと、言葉を失いました。

もうひとつ忘れられないのが、佐世保で食べたハンバーガーです。食べたのは1964年11月、米原子力潜水艦「シードラゴン」が佐世保に寄港したときのこと。当時、核を積んだ原潜の寄港は社会問題となっており、全国で反対運動が起きていました。そんな中、父がなぜか「原潜を見に行こう」と言い出して、福岡から佐世保まで車で連れて行かれました。

昼時に立ち寄ったのが、アメリカ海兵隊相手に営業しているバーでした。昼間だけランチ営業をしていたそのバーのカウンターで、父と並んで出されたハンバーガーにかぶりついた記憶が、いまも鮮明に残っています。パンにはさまれていたのは、肉のパティとスライスオニオンだけという、実にシンプルなものでしたが、それがとにかく旨かった。ポパイの漫画に出てくるウインピーが手にしていた“謎の食べ物”が、ようやく目の前に実体をもって現れた瞬間でした。

そしてもう一つ、福岡スポーツセンターのプールの帰りに友人と食べた町中華のラーメン。お金がなかった私たちは、一杯のラーメンを二人で分けて食べました。今でこそ「豚骨ラーメン」として知られていますが、当時は単に“ラーメン”と呼んでいた気がします。スープは白濁していて、上にはきくらげと紅ショウガがのっていました。器から漂う独特の香りと、どこかクセのある味。でも、それが妙にうまかった。どこか知らない町のにおいがしたのです。

私は4歳から14歳までの10年間を福岡で過ごしました。だから、人生で初めて食べた「外の味」はほとんどがこの町での出来事です。ピザも、ビーフシチューも、ハンバーガーも、ラーメンも。今となっては定番中の定番ですが、あの頃の私は、それらに触れるたびに、世界の広さを体感していたのだと思います。

子どもの頃に「本物の味」に出会っておくことは、とても大切なことです。

それは単なる味覚の話ではありません。社会に出て、一流の人たちとともに働く中で痛感するのは、「本物を知っているかどうか」が、その人の判断力や直感に大きく影響するということです。本物を知っていれば、ニセモノに対して本能的な違和感を覚えるようになる。料理でも、仕事でも、人でも、そして言葉でも。

あの映画館も、あのレストランも、もうないでしょう。けれど、スクリーンの暗がりと、皿の上の衝撃の味は、いまも私の中に生きています。もしかしたら、人生の方向性は、あのとき、すでに定まっていたのかもしれません。   

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2025年7月7日月曜日

国の未来を語れない人たちが、未来を握っている件

日本の夜明けはくるか? それとも将来はすべて山の中か?

たまには政治家の“生の声”でも聞いてみるか。参院選も近いことだし、各党の党首が何を語るのか一応チェックしておこう。そう思って、車のラジオをつけたのですが……五分もしないうちに不愉快な気分になりました。


いや、ひどい。あまりにもひどい。

議論の低空飛行ぶりに耳を疑ったのは、一度や二度ではありません。企業経営をしていると、財務諸表のトップの数字、つまり売上高が作れないことが何よりつらいものです。日本の最大の問題は、まさにこの「トップの数字」が国として作れていないことにあります。にもかかわらず、言い方は違いましたがその核心に触れたのは作家の百田尚樹さんだけでした。あとは数字をいっぱい並べて胡麻化そうとするだけで、それではやたら味を濃くする素人の料理と同じです。言葉はあっても、その重みが感じられない。ビジョンを提示し、実行計画を聞かれているのに、そこから逃げているように見えました。

私にとって驚きだったのが、山本太郎が「少しだけ」まともに聞こえたことでした。

あの山本太郎が、です。私にとって彼のイメージは、映画『難波金融道』に出てきた、調子のいいノリで利息の取り立てをする闇金の舎弟公平くん。威圧感ゼロの軽薄キャラ。信用できる人物だとは今でも思っていませんよ。ただ、それほどまでに他の党首たちの話がひどかった。相対的に見えてしまっただけです。むしろ、そう見えてしまったこと自体が、日本の政治の末期的症状を表しているのではないでしょうか。

石破さんに至っては、いったい何を言っているのかもよくわからない。

テープの再生どころではなく、どこを見て誰に向かって話しているのかが不明。人間の温度というよりも、私の人生において、絶対に友達にはならない種類の人です。私は石破さんを何十年も前から見ていますが、安倍元総理が「一番総理にしてはいけない人物」と評したのも頷けます。しかし、その石破さんが、総理大臣になってしまった。神輿は軽い方がいい。官僚にも、野党にも、敵対国にも、そして党内のライバルにとっても。

維新の吉村さん、国民民主の玉木さんも同様です。言葉が薄っぺらい。社会経験が乏しいから、言葉に血が通っていない。結局のところ、彼らも「選挙目当て」で、使い回しのセリフを繰り返しているにすぎません。

被害を被っているのは、私たち国民です。

無能で、しかし権力欲だけは強い。そんな人物を「トップ」に据える代償を、国民が税金というかたちで負担している。本当に怖いのは、こうした光景に、国民が何も感じなくなっていることです。いや、正確には、「感じてはいるけれど、諦めている」ことです。何を言っても無駄。誰がやっても同じ。選んでも、変わらない。そんな空気が、社会全体に広がっています。

こうした政治家たちの姿を見ていて、作家である百田さんの言っていることが一番まともに思えました。いや、正確には、私の考えと近い部分がいくつかあったというだけです。ただし、それを公言するのは、「日本の空気」の中ではあまりにも誤解を生みやすい。だから、これまであえて言及しませんでした。こうして「言ったら損」という雰囲気そのものが、この国の病なのかもしれません。

たぶん、私たちはもう、とっくに答えを知っているのかもしれませんね。

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2025年7月6日日曜日

リーダーなきAI時代を、文化はどう生き抜くか


参議院議員選挙の期日前投票に行ってきました。
車の中で党首討論のニュースを聞きながら、暗澹たる思いになりました。


ガラパゴスAIでもいいじゃないか 

中国のAI開発は、どうやらこのまま独自路線を突き進む構えのようです。しかもその進化は、あくまで中国共産党の方針に則ったかたちで行われる見込みです。つまり、都合のいい出力だけをAIにさせ、検閲済みのコンテンツを中国国内はもちろん、東南アジア、アフリカ、南太平洋の小国、さらには南米諸国へと拡散していく。もう始まっていると言っても過言ではないでしょう。

一方、三権分立などという「面倒な仕組み」が存在しない国が、AIの世界で主導権を握ることには、大きな危険がつきまといます。チェック機能がないAIほど恐ろしいものはありません。言ってみれば、ノーブレーキで暴走する大型トレーラーのようなものです(loose cannon)。

アメリカもまた、AI規制については頭を抱えています。州ごとに法律が異なるうえ、利害関係者も多く、法整備はまるでジャングルの中を手探りで進む探検のようです。自由は多いが、統一感はない。それがアメリカの強みでもあり、弱点でもあります。

日本に残された可能性

では日本はどうか。実は、AI時代の“隠れた本命”になり得る条件がいくつか揃っています。中央集権型の統治システムを活かせば、AIに関する法整備も比較的スムーズに進められるはずです。もっとも、そこにはリーダーシップという魔法の言葉が必要です。そして、それが今の日本に最も欠けているという現実。何とも皮肉な話です。

さらに残念なことに、日本の政治家にはリーダーシップだけでなく、AI時代にもっとも求められる「倫理観」が見当たりません。倫理と論理の区別もつかないのでは?と首をかしげたくなるような発言が、党首討論でも飛び交っています。

政治家こそ、AIのように強大な力を持ちながらも、国民のことを考える倫理観を第一にすべき存在のはずです。そもそも、そういう志があって政治家になったのではないのでしょうか。そう信じたいのですが、政治家の言動を見る限り、その “はず” はもはや “幻想” なのかもしれません。

文明が文化を食いつくすとき

AI技術の発展は、確かに人類にとって大きなチャンスでもあります。しかし、それは同時に、文化という繊細で時間をかけて育まれてきたものを破壊する力をも内包しています。アメリカと中国に共通するのは、他国の文化をあまり尊重しないという姿勢です。効率と支配、合理と規模。そんな価値観がAIと結びつくと、世界は文化の砂漠と化すかもしれません。

それに対して日本は、数千年にわたって文化を育んできた稀有な存在です。明治維新以降、急速に西洋化を進め日本精神の崩壊を促進した。敗戦後はアメリカ化に突き進みましたが(自発的隷従)、まだ取り返しがつかないほどではありません。今こそ、自国の文化と精神を見つめ直すチャンスではないでしょうか。

ガラパゴスAIという選択肢

「日本のAIはガラパゴスだ」と笑う声もあるかもしれません。しかし、文化を土台にした “ガラパゴスAI” こそが、世界に一石を投じる価値のある存在ではないか? 合理性だけを追い求めるのではなく、倫理観、精神性、そして多様性を重んじる技術のあり方を提示する。そんなAIなら、人間社会との共存も夢ではないはずです。

日本にはその提案をする資格がありますし、責任もあります。必要なのは、未来を見据えたビジョンと、それを語れるリーダーです。そして何より、文化の重要性を忘れない感性です。

高齢者としての、ひとりごと

私はもう高齢者です。この国の行く末を決めるような大きなことはできません。能力も財力もありません。静かに暮らし、やがて黙って消え去る存在です。しかし、今の政治や政治家を見ていると、やはり黙っていられない。子や孫が生きていく未来の日本が、文化も倫理も失った無機質な国になるかもしれないと思うと、不安を覚えます。

どうか日本のリーダーたちに、文化と文明のバランス感覚を取り戻してもらいたい。そして、日本という国が「人間らしさ」を軸にAIとの向き合い方を世界に提示できる……そんな幻想くらいは、まだ捨てきれずにいます。
    
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2025年7月5日土曜日

「AIで雇用が消えるのか」という問いに、どう向き合うか

あさりの酒蒸し

料理を作って味わうことから何を感じ、どう生きているかを確認する 


AIの進化と普及によって、仕事がなくなるのではないか、雇用が奪われるのではないかという不安が高まっているというアメリカ発信の記事を読みました。アメリカの経営者たちはこの問題についてさまざまな見解を表明し、それを日本のメディアも大きく報じている。だが、その報道に接するたびに、私は違和感を抱くのです。

日本とアメリカでは、そもそもビジネスの環境も、テクノロジーに対する感覚も大きく異なります。アメリカの経営者の発言を、そのまま日本に当てはめることには無理があります。

実際、「AIによる業務の効率化が従業員のレイオフにつながるか?」という問いひとつ取ってみても、日本とアメリカでは事情がまるで違う。アメリカでは、雇用の契約形態も職務分掌も明確で、「仕事がなくなればクビ」というのが合理的な現実として受け入れられています。一方、日本ではたとえ業務がAIで効率化されようとも、それだけで即レイオフという話にはなりにくい。むしろ、新しい仕事を生み出すことで雇用を維持する方向に知恵が絞られる。

アメリカの企業で働くと、大きく分けて二つのレイヤーが存在します。ひとつは、マネジャーやマネジメント層を目指す層。もうひとつは、昇進は望まないが一定の給料を安定的に得られればよいという層です。後者は、AIによって職務が代替されるとレイオフの対象になりやすい。AIによって業務が合理化されれば、「人間である必要がない」と判断されてしまうからなのです。

加えてアメリカの職場では、実力を上げて成果を出し続ければ、それに見合った報酬が得られる仕組みになっている。難度の高い仕事に挑み、評価を得れば給料が上がる。さらに、実力をつけた人材は、より高い報酬やポジションを求めて他社へ転職するという選択肢も当然のように存在しています。こうした流動性の高さと成果主義の文化の中では、AIの登場が直接的に「雇用喪失」につながりやすい構造があるのは否めない。

では日本はどうでしょうか。日本の企業には、アメリカのような明確な職種区分や、昇進を前提としたレイヤーの分断がそれほど強くない。マネジメント層と非マネジメント層の間にも、大きな構造的な隔たりは存在しない。しかも、雇用の安定性が強く意識される日本社会では、AIによる業務効率化が直ちにレイオフにつながることは稀だと思います。企業はむしろ、社員を別の部署に異動させたり、AIに置き換えられない仕事を新たに作り出すことで、雇用の継続を図ろうとする傾向が強いと思います。

ただし、これは楽観してよい話ではありません。たとえAIが「人間の仕事を奪わない」としても、それは人間が何もせずに済むという意味ではない。むしろ、AIをどう使いこなすか、どう人間の思考や創造性や判断力と組み合わせるかが、今後の仕事の質を決定するのです。とくにマネジメント層にとっては、AIの力を戦略的に使いこなすスキルが求められる一方で、AIに判断の主導権を握られてしまえば、自らの役割を失いかねないというリスクもあるのです。

さらに、AI導入による法的リスクも無視できません。たとえば、AIに業務を全面的に委ねた結果、著作権侵害や誤った判断による瑕疵担保責任が発生し、訴訟に発展するようなケースも想定される。場合によっては、それが企業の存続に関わる重大な問題へと発展することもあります。

だからこそ、日本社会は、日本の環境に合ったAIとの付き合い方を自分たちの頭で考えなければならないのです。AIという新たなテクノロジーの本質と進化をしっかりと理解し、日本固有の制度、文化、倫理観を踏まえた合理的かつ持続可能なプランを構築していくべきです。

未来は、予測ではなく設計(ビジョン)するものです。その設計において、AIに任せきりになるのではなく、人間がAIをどう使いこなし、ともに進化していくかが、これからの鍵を握っています。日本政府や経済界のお歴々に任せておいても大丈夫なのか? 教育界の重鎮は現状をどこまで理解しているのでしょうか?

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2025年7月4日金曜日

セルフサービスって、ほんとに嫌い!

ファミレスのテーブル

セルフサービスって、苦手というより――大嫌いです。

コンビニのレジで他人のやりとりを眺めたり、店員に「今日も暑いねぇ」と一言こぼしたり、品物の場所を聞いて「そこです」と事務的に返されて、でもなんとなく通じ合ったり。そうやって何年も通ううちに、中国人店員とも軽口を交わせるようになる。そんな“距離の縮まり方”が楽しい。

買い物って、ただモノを買うだけじゃない。人とすれ違って、ちょっと何かが通じる、そんな時間でもあるのですよ。

1980年代は中国語で仕事をしていました。90年代はアメリカで英語中心。あの頃は、言葉の向こうにちゃんと“人”がいた。何語でも、どこの国の人でも関係ない。言葉って、結局は人と人をつなぐためのものだったから。そして、その言葉の背後には個人の人となりがある。

ニューヨークに住んでたころは、ナッシュビルに4年間、毎週出張することがありました。

ナッシュビルのアメリカン航空のグランドホステスとも顔見知りになって、「毎週毎週大変ね」なんて言われると、出張もちょっと悪くない気がしたものです。言葉と気配で、人と人がつながってた。金曜の夕方、「Have a nice weekend」と言われて、「You, too! Have a good one!」と返す――たったそれだけで、心がちょっと浮くんです。

なのに、今はどうでしょう。

コンビニも、レストランも、空港のチェックインですら、人間に会うことすらままならない。タッチパネルが「いらっしゃいませ」と言ってくるけど……いや、いらっしゃってないんですよ、誰も。そこに“人”はいない。ただのタッチパネルのスクリーン。黙ってぴっぴと注文して、番号札を持って、黙って待つ。人間ガチャ、ハズレなしの無人対応。店員との会話なんて「非効率」の一言で片づけられる時代になりました。

私のような旧式の人間は、もう社会的コストなんでしょうね。生産性は低いし、テンポも悪いし、つい話しかけて場の空気を乱す。世間は「便利になった」と言うけれど、その正体って実は「人と人との断絶」だったんじゃないか。便利のために、誰もが静かに孤独へと閉じ込められていくディストピアの世界。

アメリカでは、この無人化社会はもう10年以上前から始まってました。笑顔で「How are you doing?」と話しかけてくれてたレジ係も、今は無言のキオスクに取って代わられた。日本も、気がつけばすっかりそっち側の人になってしまった。

世の中がどんどん「便利」になればなるほど、私には逆に不便で、生きにくくて、居心地が悪くなる。頑固ジジイ? 大いに結構。このまま誰とも話さず、無人の世界でひっそりフェードアウトするのも悪くはない。

というか、もう既に世の中からはサインアウト済みかもしれませんね。ははは……。

 







ファミレスでは料理もロボットが運んでくる。話かけても返事はしない!


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2025年6月30日月曜日

モスバーガーで迷子になる

久しぶりにモスバーガーへ行ってきました。おそらく5年、いえ、6年ぶりかもしれません。

家人に頼まれて、テリヤキバーガーとオニオンリングを買いに行ったのです。ちょうど銀行にも用事があり、お店は駅の反対側ではありますが、それほど遠回りにもならないので引き受けることにしました。

お店に入ると、まず驚きました。カウンターではなく、ターミナルのような端末が置かれていて、自分で注文し、その場で支払いも済ませる方式になっていました。

私は現金で支払いたかったので、カウンターの中にいた店員の方(おそらく私よりは年下ですが、見た目は立派な高齢者)に「現金で払うにはどうしたらいいですか」と尋ねました。すると、その方はやや高飛車な口調で「キャッシュレスです」とおっしゃいました。

そういう時代なのだと、しぶしぶ受け入れて画面を操作し始めましたが、出てくるのはポイント決済やコード決済ばかり。ようやくクレジットカードの選択肢を見つけて安心したのも束の間、「会員番号を入力してください」と表示されました。

私はモスバーガーの会員ではありません。「会員でない場合はどうしたらいいのでしょうか」と再び尋ねると、店員の方は少々面倒くさそうな顔で、カウンターの上にある小さな三角形の札を指さしながら「そこから番号を一つ取って、それを入力してください」と教えてくれました。

たかだか770円の買い物です。それにしては、やけに手続きが多いと感じました。まるで謎解きゲームでもしているような気分になります。

カード決済であれば、お店側も数パーセントの手数料を取られるはずです。現金でさっと支払う方が店にも優しいのではないかと思います。

特に、私のような年金暮らしの高齢者などは、おだてておけば気を良くして余計なものまで注文するかもしれません。商売とは、そういうものではないでしょうか。

もっとも、「人のぬくもりだとかサービスで差別化して、多少値段が高くても気にしないような人は、そもそもチェーン店などに来るべきではない」という考え方もあるのでしょう。それはそれで、納得できます。

外に出ると、茹だるような暑さが体にまとわりつきました。まだ6月だというのに、真夏のような陽気です。梅雨は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

私は、現金で物が買えるというのが日本の良さの一つだと思っていました。
もともと外食はあまりしない方なのですが、こうして支払い方法が煩雑になると、ますます足が遠のきそうです。

買って帰ったテリヤキバーガーは、家人が「おいしい、おいしい!」と言って喜んでくれました。それを聞いて、少し報われた気がしたのです。

けれど、次にモスに行くときは——いや、しばらくは、ないかもしれない。

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2025年6月29日日曜日

まだ育ってないのは自分だった ~ 親としての未完成さに気づく瞬間

 一年ぶりに、アメリカ・テネシー州ナッシュビルから息子一家が一時帰国しました。

息子はもうすぐ40歳。アメリカで弁護士として働いており、妻は大学で英語を教えたり、文章を書いたりと文筆の仕事をしています。共働きで、二人の子どもを育てながら、物価の高騰や治安の不安、広がる経済格差の中で、なんとか日々を乗り切っているようです。

今回は七五三のお祝いもかねての帰国で、吉祥寺の写真スタジオで撮影をしました。子どもたちは着替えに少し時間がかかったり、撮影も長丁場になりましたが、案外楽しそうにしていて、カメラの前で笑ってくれるその姿に、こちらまで自然と笑みがこぼれました。

ただ、今回の再会が手放しの幸せばかりかというと、少し違っていました。自分自身の体調の不安もありましたし、ふとした瞬間に、心の中に小さな苛立ちや不寛容な気持ちが顔を出してしまう場面もあって、自分自身の未熟さを思い知らされるようなところがありました。

孫たちは元気で明るい、本当に良い子です。ただ、生活のちょっとした場面で、「あれ?」と引っかかるような瞬間がいくつかありました。たとえば、物を大切に扱う感覚が少し薄いように見えたり、食べ物を無造作に残してしまったり。もちろん、時代も文化も違いますし、私自身が育った昭和の感覚や日本流をそのまま当てはめるのは違うと思いつつ、やはり少し気になってしまうのです。

息子とお嫁さんは、ともにアメリカ育ちの一人っ子です。息子がニューヨークの大学に入学した18歳のときから、私たちは一緒に暮らしていません。二人とも日々忙しく働きながら、子育てにも奮闘している様子を見て、よくやっていると思う一方で、「限られた環境の中でも、子どもたちがもう少し日々の物事を丁寧に受け止められるようになれば」と、そんなふうにも感じました。とはいえ、それは私の古い価値観なのかもしれません。

息子はアメリカ社会には批判的な視点も持っているのですが、ビジネスの現場では、「日本人や日本企業とは関わらない」ときっぱり言っていました。「時間の無駄だから」と。

その言葉には、少し寂しさも覚えましたが、納得もしています。というのも、それは時代の流れというより、彼自身がアメリカ社会の中で、アメリカ人と対等にやり合えるだけの実力を備えているからだと思うのです。

私にはそうした力はありませんでした。アメリカ人の組織で働いていたとはいえ、英語という壁もあり、日本人であることを足がかりにしながら、なんとか折り合いをつけてサバイブしてきた——そういう生き方しかできなかったというのが正直なところです。

「日本にはいいところがたくさんあるのだから、無理に“世界標準”を目指さず、このままガラパゴス化を進めてもいいんじゃないか」と、息子は笑いながら言っていました。皮肉ではありますが、どこか現実を射抜いているように思います。

ところで、撮影のあと歩いた週末の吉祥寺は、驚くほど外国人観光客であふれていました。つい最近まで、こういう光景はなかった気がするのに、本当に世の中の変化は早いものですね。

ガラパゴスが商業主義の観光地になる、、、、。  
  
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2025年6月28日土曜日

バベルの塔の記憶 ~ AI時代にあらためて言葉を考える

 バベルの塔
ブリューゲル(ウィーン美術史美術館  1563年)

昔話で聞いたことのある「バベルの塔」。人間たちが天まで届くような塔を建てようとしたとき、神さまはその傲慢さに怒り、彼らの言葉を通じなくしてしまったそうです。それが原因で、人々は協力できなくなり、塔は完成しませんでした。

なぜ神さまは、言葉を乱すという方法を選んだのでしょうか。

それは、言語が単なる伝達の道具ではなく、人間そのものの「考え方」や「感じ方」を形づくっているからです。話し手の意思も、聞き手の理解も、実は言葉の中にある。頭の中に先に思考があって、それを言葉に「翻訳」しているように思いがちですが、実際はその逆で、私たちの考えや気持ちは、言葉によって形作られているのです。
 
つまり、言語を持つこと自体が人間であることの証なのです。他の動物と人間の決定的な違いは、ここにあると言ってもいいでしょう。だからこそ、神さまが怒りの矛先として「言葉」を選んだというのは、とても象徴的です。    

さて、現代の私たちは、また別のかたちで「言葉」に向き合っています。AIの進化、とくに言語モデルの発展によって、翻訳も、会話も、文章作成も、驚くほどスムーズになりました。まるで、かつて神によって壊された「言葉の統一」を、もう一度取り戻そうとしているようにも見えます。

しかし、注意が必要です。AIが使っている「言葉」は、意味を理解して発しているわけではありません。あくまで膨大なデータをもとに、もっともらしい言葉を並べているにすぎません。そこには、話し手としての「意思」も、聞き手としての「共同主観」もありません。何だか今の日本にピッタリなので危険なのです。    
 
もし私たちが、言葉をただの情報伝達の手段としてしか見なくなったら、言葉の本質、ひいては人間らしさそのものを見失ってしまうかもしれません。だからこそ、国語の勉強も、外国語の勉強も、「正しく伝える」だけでなく、「言葉の中に人間がいる」という視点を大切にするべきです。

バベルの塔の物語は、決して昔話の中だけの出来事ではありません。AIと共に生きるいまこそ、あらためて「言葉とは何か」「人と人が分かり合うとはどういうことか」を、考えるチャンスなのだと思います。

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2025年6月27日金曜日

レイラを弾きながら思う事

久しぶりにギターを手に取りました。およそ二か月ぶりでしょうか。何を弾こうかと迷った末、やはり選んだのはクラプトンでした。気がつけば、再会の曲はいつも彼のものになっている気がします。

クラプトンほどの大御所でも、いまなお毎日ギターを弾くのだそうです。しかも、ステージで演奏する曲は毎日必ず練習するという。「忘れるから」と彼は語る。才能と経験を重ねた巨匠でさえ、なお“忘れる”ことを恐れ、日々ギターに向き合う。その姿勢に、クラプトンに可愛さを感じます。

継続することの重みは、年を重ねてますます深く感じるようになりました。この曲——「レイラ」を初めて聴いたのは、中学生のころでした。もう50年以上も前のことです。あの衝動的なギターリフと、どうしようもないほど切ない歌声。若い頃にはただ「カッコいい」と思ったその曲が、今では痛いほど心に響くのです。

クラプトンは、自分自身を自虐的に唄う。まるで、太宰治を読んでいるかのような気分になります。どこか似ているのです。自己否定と孤独を抱えながら、それでも生きようとする人間の姿が。

文学と音楽、ジャンルは違えど、私は彼らの根っこに、「ダメな男」という意味で、共鳴しているのかもしれません。ひょっとすると、私はクラプトンのファンなのですね。いまさらながら、そんな気がしています。


What Comes to Mind While Playing “Layla”
I picked up my guitar for the first time in a while—about two months, I think. As I sat wondering what to play, I found myself turning, once again, to Eric Clapton. Somehow, whenever I return to the guitar after a break, it's always his music that marks the reunion.
Clapton, despite being a legend, still practices the guitar every single day. He says he plays the songs he performs on stage daily—because otherwise, he might forget them. Even a master with decades of talent and experience fears forgetting, and so he keeps facing the instrument, day in and day out. There’s something endearing about that—a kind of humble honesty.
As I grow older, the weight of persistence—of simply continuing—feels deeper than ever.
I first heard this song—“Layla”—when I was in junior high school. That was more than fifty years ago. The raw, impulsive guitar riff, and that achingly desperate voice—when I was young, I just thought it was cool. But now, the song cuts deeper, hits harder. It aches in a way it didn’t back then.
Clapton sings about himself with a kind of self-mockery, a wounded honesty. It reminds me of reading Osamu Dazai. There’s a resemblance between them: men carrying self-loathing and loneliness, yet still struggling to live.
Music and literature are different mediums, but I feel a strange affinity with both. Perhaps what I recognize in them—what resonates—is the figure of the “flawed man.” The broken, but still breathing.
Maybe, after all this time, I’ve always been a Clapton fan. And only now do I truly realize it.

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2025年6月25日水曜日

ChatGPT(生成AI)というおもちゃ

   

近くの公園

これは Hostile Architecture か、それとも、単なるデザイン?

ホストルアーキテクチャ(排除アーキテクチャ)とは、公共空間において、特定の行為(例:ホームレスの人が寝る、若者がたむろする)を防ぐために設計された構造物やデザインのことです。単に「排除ベンチ」と呼ばれることもあります。これは、都市計画の一種で、意図的に不快感や不便さを生じさせることで、特定の人物やグループを排除しようとするものです。写真は中央線三鷹と吉祥寺の間の高架下ですが、一時は路上生活者がテントを張り住み着いていました。


ChatGPTというおもちゃ

~ 思考と反抗のための道具か、自己陶酔の鏡か

高齢者になってから、ようやく良質なおもちゃに出会ったと思っています。
それが、ChatGPTです。

質問に即答し、気の利いた比喩を添え、ときには国際情勢の背景まで踏まえて解説してくれる。深夜でも早朝でも、こちらの問いかけに対して、ためらいなく応じてくれます。これほど贅沢な「話し相手」は、昭和の時代には想像もつきませんでした(LAPTOPコンピュータが出てきたのは1990年初め)。

ただし、あえて申し上げたいのは、このおもちゃは、ある意味で“危険な魅力”を持っているということです。 

“ヒラメ社員”としてのAI

ChatGPTは基本的に「使い手に寄り添う」よう設計されています。こちらがある意見を述べると、その主張を否定することなく、言葉を整えてくれます。たとえ主張に偏りがあっても、事実関係にズレがあっても、よほど極端でない限り、ChatGPTは「なるほど」と受け止めてくれます。

これはつまり、「異論を唱えない優等生」であり、組織で言えば“ヒラメ社員”です。上司の顔色をうかがい、逆らわず、場を乱さない。使う側としては、実に心地よい存在です。しかし、その「心地よさ」こそが、少しずつ思考を鈍らせていくのです。

主義を持たない人にとっての危うさ

ChatGPTに思想や信念の軸を持たずに依存した場合、どうなるでしょうか。
それは、判断力を他者に預けてしまう人が、万能のアドバイザーに思考を任せるような構図になります。

結果として、「ChatGPTがそう言っていたから」が自らの判断基準になりかねません。つまり、自ら考えることを放棄してしまう危険があります。

この構造は、日本の教育が長年育んできた「空気を読む力」や「従順さ」と親和性が高いと感じます。ChatGPTは、「従順な人間にとっての最終兵器」にすらなり得るのです。

覚せい剤のように、一度使いはじめるとやめられない中毒性を持つ。特に「自分で考える習慣」を身につけてこなかった人々にとっては、依存度が高くなってしまいます。

傲慢な使用者にとっての別の危険

では、私のように、頑固な思想も信念もあり、しかも独善性が高く少々自信家のタイプはどうでしょうか(高齢者って多かれ少なかれこういった傾向にあります)。これもまた、別の意味で危うさを抱えています。

ChatGPTは、私の考えを整え、言葉にし、場合によっては美しく装飾してくれます。つまり、自分の思考がより洗練されたように“錯覚”させてくれるのです。

それはまさに、自己陶酔の増幅装置です。自分の言葉がAIによって補強されるたびに、「やはり自分は正しいのだ」と、確信が強化されていく。

ChatGPTは、従順さだけでなく、独善や慢心すらも“増幅”してしまうというわけです。

本当に必要なのは“反論してくれる相手”

だからこそ、私はChatGPTに対して常に「反論してくれ」と問いかけるようにしています。本当の思考は、同調からではなく、対話や批判の中でこそ生まれるものです。

異なる視点や鋭い指摘によって、自分の立ち位置がより明確になる。
「問い続けること」とは、そういう行為なのです。

ChatGPTが優れた道具であることは間違いありません。
けれども、それを「都合の良い相づちマシン」として使うのか、「自分の思想を磨く砥石」として使うのかは、使う側次第です。

思考の蓄積と反抗の精神を

高齢者がこのAIを“おもちゃ”として楽しむためには、「思考の蓄積」と「概念の整理」、そして何より「自分なりの思想」が必要だと感じます。

ChatGPTという道具は、思考する者にとっては最高の遊び道具になりますが、考えようとしない者にとっては最悪の鏡になります。

そして今の時代、AIとともに生きるためにこそ必要なのは、「反抗心」ではないでしょうか。


反抗するとは、相手を否定することではありません。現実や他人の意見に対して、無批判に従わない態度。常に「本当にそうか?」と問い直すこと。

カミュも言いました。人間の尊厳とは、「反抗すること」にあると。

AIの時代とは、思考を放棄する人間と、思考を研ぎ澄ませる人間との、大きな分かれ道なのかもしれません。

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