2025年9月12日金曜日

日本的価値観の復活 ~ 個人のバランス感覚と社会の成熟

 

緊張の中でバランスをとる ― 日本社会の現状

日本人は個人としてのバランス感覚を磨かない限り、多様性の中で社会を成熟させることはできない。

海外での長年の生活やアメリカ人組織での仕事経験、そして中国ビジネスの経験から感じることがあります。生活していると毎日さまざまなニュースが耳に入りますが、かつては取るに足らないと思っていたことが、今では社会を大きく揺るがす問題として取り上げられる。経験上、その多くは現代社会のあり方や人々の価値観の違いに起因しているように思います。

時間に流され、対岸の火事としてやり過ごすこともできます。しかし、問題を先送りせず、時には誠実に向き合うことが大切であり、そのためには一人ひとりの意識や価値判断の基準の見直しが不可欠です。

最近の教育現場や社会に目を向けると、この傾向は顕著です。帰国子女や外国人と接する場面では、日本人の善悪の感覚や価値観と異なる行動や主張に直面することがあります。こうした場面に対して「When in Rome, do as the Romans do」と適応するのが基本なのですが、なかなか解決には至りません。それは、今の日本では、日本独自の価値判断の基準自体が揺らいでおり、「日本のやり方はこうです」と自信をもって示すことが難しくなっているからです。

本来ならば、まずは「日本人の価値判断の基準とは何か」「日本人の人生観、死生観、規範とは何か」を押さえることが不可欠です。その理解なしに、多文化共生や外国人への対応を語るのは順序が逆です。

このことは、個人の成長や組織の成熟とも深く関わっています。例えば、新入社員の「五月病」も端的な例かもしれません。西部邁氏は『知性の構造』(1996年)で、日本は個人主義と集団主義の間の葛藤が少なく、平衡感覚が未熟であるため、突発的な危機の中で右往左往すると指摘しています。五月病は新入生や新入社員だけの問題ではなく、大人になる過程で緊張や葛藤に身を置く経験が不足していることが背景にあると強く感じます。

そもそも日本は単一民族の島国であり、国全体が「ウルトラ過保護」になっているため、葛藤を経験する機会が乏しい。組織の中でも、葛藤を避けて効率性を優先するか、逆にコンフリクトが多すぎて互いに避け合うかの両極端になりがちです。こうした環境では、個人も組織も強くなれません。いざ国外との対立や予期せぬ緊張に直面すると、パニックを起こすのです。要するに、対応のためのバランス感覚が足りないのです。

「葛藤」は学校や会社の中に日常的に存在しています。だからこそ、それを避けるのではなく、意識的に認識し、上手に活用することがバランス感覚を鍛える鍵になると思います。

日本人は穏やかで温厚な民族である一方で、極端から極端に走りやすい傾向がある。軽信しやすく、軽佻浮薄なテレビや新聞の一見もっともらしい言葉にコロッと騙される。つまり、多様性の中でバランスをとることが苦手なのです。本来、個人としての多様性が集団としての多様性を生み、ひいては国家としてのダイナミズムにつながるはずです。外国人をこの狭い日本列島に招き入れて「多様化だ」と言う前に、日本人自身が個人としての多様性――すなわち「私」と「公」のバランス感覚を身につけることが先決でしょう。

全世界で起こっている大きな価値観のうねりは、我々が生きるうえでの価値判断の大前提の変化であり、人類が歴史の中で積み上げてきた「知の構造」をも揺るがしています。机上の理論ではなく、臨床的で総合的に考える必要がある。自らの判断と行動を見つめ直し、一人ひとりが意識を変えることによってのみ、日本という社会全体が変わり得るのだと、私は考えています。
   
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2025年9月11日木曜日

若手をどう育成するか?

 

中小企業の経営者の約8割が、若手社員の育成に課題を感じているという調査があります。育成手法としては1on1ミーティング、OJT、オンライン研修が中心ですが、経営者の3割弱が「効果があまりない」と感じており、現場では指示待ちの若手や主体性の欠如に悩む声が少なくありません。主体性やコミュニケーション能力を育むには、座学だけでなく実践を通じた体験型の研修が重要だと考える経営者も多いようです。

しかし、このような調査結果は「どう育てるか」という手法の話に偏りすぎています。つまり、what(生き方や在り方)よりもhow(方法論)が前面に出てしまう。これまで機会あるごとに何度も言及しましたが、日本社会は「無駄と余裕がなさすぎる」ため、時間をかけて内面から育つプロセスに余白がありません。   
 
ロールモデルは持つだけでは十分ではないと思います。それを自分なりに咀嚼し、少しずつ超えていくことこそが本当の成長です。私はこれを「ロールモデルの継承と超克」と呼んでいます。何事も簡単には変わらず、すぐに超越できるわけではありません。経験上、徐々に時間をかけて変わるもので、いくら努力してもすぐには結果が出ないことも多いのです。でもあきらめてはいけません。何十年もたって、気が付いたら自分が若手のロールモデルになっていた──そんな感覚で日々を過ごすことが大切だと思います。

この考え方は、私が音楽や芸能の体験からも実感しています。例えば、エリック・クラプトンの演奏は、初期のブルースの影響を受けつつも、長年の試行錯誤の末に自分の音楽性として消化されています。単に模倣するだけでは、あの独自の表現は生まれません。同様に、桂枝雀さんの落語も、師匠の型を受け継ぎながら、自らの経験や観察を加えて独自の笑いを作り上げました。いずれもロールモデルの「超克」があって初めて、その個性や魅力が花開いたのだと感じます。

若手社員育成においても同じことが言えます。教えたり指示したりするだけでは限界があります。経営者や先輩の背中を見せつつ、本人が失敗や試行錯誤を通じて学び、自分なりのやり方を見つける余白が必要です。そのプロセスを丁寧に支えることで、主体性や課題解決能力といったスキルは自然に身についていきます。座学だけではなく、実践を通じた学びが重要であると多くの経営者が感じているのは、まさにこの「時間をかけて自己形成を促すプロセス」が必要だからだと思います。

私自身も、若手に対して「こうしなさい」と教えるだけではなく、自分の経験や考え方を共有する中で、彼らが少しずつ自分の軸を見つける手助けを意識してきました。そして、彼らが成長し、自分のやり方を確立したとき、いつの間にか自分が若手のロールモデルになっていたことに気づくのです。

結局、若手育成とは「結果を急がず、プロセスに寄り添うこと」だと、私は経験上そう思います。短期的な成果や即効性だけを求めるのではなく、時間をかけたロールモデルの継承と超克を支援することが、組織全体の持続的成長につながるのではないでしょうか。

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2025年9月10日水曜日

責任の再定義 ― 日本政治と公共性のゆくえ



ゴシップレベルの主要メディア

首相続投の根拠として持ち出された世論調査はまったく当てにならないものです。マスメディアは自らの報道に反省の弁はないのでしょうか?世論調査を「民意」とすること自体、あまりにリテラシーが低く、真剣に議論する価値がないと考えます。したがって、「石破おろし」そのものを批判する必要はありません。

問題なのは、石破政権の功罪や政界再編の議論において、評論家やメディアの見方が浅く、抽象度が低いという点です。そこにこそ、現代ニッポンの本質的な問題があります。

責任の喪失と国民の変化

現代日本では、社会全体に規範意識が薄れ、個人も確固たる信念やアイデンティティを失いつつあります。戦後の集団主義に依存したシステムはもはや機能せず、組織は個人を守らず、政治も国民を護らない状況です。国民自身も国家や政府との距離を置き始めています。

その中で、石破政権が国民に投げかけた唯一の貢献は、「責任」という概念を再考させたことだと思います。つまり、個人が自己決定権を持ち、自らの生き方を自立的に選択せざるを得ない社会に移行しつつあるという事実です。

民主主義と自由主義のねじれ

民主主義は全員一致と均質性を理想とし、自由主義は多様性と自己責任を前提とします。日本はこの二つの思想をどのように宥和させるかという難題に直面しています。

日本的リベラリズムは「平等」に過剰に傾き、「責任を伴う自由」を後景に追いやってきました。その結果、自己中心的な高齢社会と、公共性の急速な喪失を招いています。

プラトンは『国家』において、民主主義の致命的な欠陥は「個人が独立してバラバラに考えだすこと」にあると述べました。いまのアメリカ社会はまさにその姿を映し出しています。日本も同じ危機に直面しているのではないでしょうか。

日本的公共性の復権へ

現代社会において問われているのは、自己統治の道徳と共同主観の構築です。つまり、
  • 個人が自分を律する道徳性(個)、
  • 共同体の一員としての公共意識(公共)、
そのバランスが「自己責任」の本質だと考えます。

日本のリーダーは、西欧思想をそのまま輸入するだけでは不十分です。日本の歴史や精神に根ざし、ときにはプラトンまで立ち戻って、責任・公共・自由の新たな均衡を構想することが求められています。

責任の再定義

石破政権をめぐる政界再編は確かに注目されますが、真に重要なのはその政局運びではありません。日本社会全体が「責任」をどう再定義し、個と公共のバランスをどう築いていくのか、ここにこそ論点があります。

パターナリズムに安住していた時代は終わりました。これからは国民一人ひとりが、自己統治と公共意識を備えた主体となれるかどうか。それこそが、日本の政治と社会を再生させる最大の課題なのです。

日本の政治家は責任を知らず、国民は自由を誤解している。その結果、自由と責任の均衡が崩れ、公共性が失われつつあります。石破政権が提示したものは、まさにその再定義の必要性だったのではないでしょうか。

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2025年9月9日火曜日

リトマス試験紙としての政治

 

井の頭通りのアジサイ(撮影:三鷹の隠居)


リトマス試験紙と紫陽花は、どちらもpH(酸性・アルカリ性)によって色が変わるという共通点があります。その色の変化はリトマス試験紙と紫陽花では逆です。リトマス試験紙が酸性で赤、アルカリ性で青に変わるのに対し、紫陽花は土壌が酸性だと青く、アルカリ性だとピンクや赤色に変化します。

☆ ☆ ☆ ☆

リトマス試験紙としての政治日本政治の混乱は、一見ただの派閥争いに見えます。しかし、私はこれを“リトマス試験紙”と考えています。国民も政治家も、自らの思想を持っているかどうかが試されているのです

昭和の15年戦争に至った原因を振り返ると、その大きな責任は政党政治家にありました。党内や党派間の泥仕合が続き、その延長線上で国家そのものが誤った方向へと進んでしまったのです。この本質は今もなお変わっていないように見えます。国民もまた、その構図に無自覚でいる人が多いのではないでしょうか。

石破茂という総理大臣の出現や、繰り返される政治の混乱、そして自民党総裁選の行方は、その点を改めて突きつけています。これらは単なる政局や権力闘争ではなく、右側の人にとっても左側の人にとっても、自らの思想や信念があるのかどうかを映し出す「リトマス試験紙」のような役割を果たしているのです。

自民党はこれまで「戦後レジームの守り番(護衛)」としての役割を担ってきました。しかし、本当に戦後レジームからの脱却を目指すなら、自民党自身がその問いにどう答えるのかこそが試されるべきでしょう。思想なき政治は、数字や派閥力学に翻弄される似非民主主義に堕してしまいます。

日本にも賢人は必ず存在すると信じたい。ただし、今の政治構造の中ではそのような人物は表に出にくく、隠れたままです。思想のない政治家が目立てば目立つほど、賢人はますます埋もれてしまいます。

石破茂の登場や総裁選の混乱は、政治家や国民に「思想があるのかないのか」を突きつけるリトマス試験紙です。その答え次第で、日本の民主主義が形骸化の道をたどるのか、それとも次の段階へ進むのかが決まるのではないでしょうか。

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2025年9月8日月曜日

埋もれた日本と「政党政治」という病

 
甲陽軍鑑(ネットで見つけた画像)

甲斐の戦国大名である武田氏の軍学書です


昭和の15年戦争に至った原因の一つは、政党政治家の責任だったと言われます。そして残念ながら、その本質は今もあまり変わっていないようです。政党間や政党内で繰り広げられるのは、国の未来を賭けた真剣勝負というより、どろどろとした泥仕合。政党だけが滅びるならまだしも、政党の崩壊はそのまま国の凋落につながります。だからこそ、マスメディアも政治評論家も、そして私たち国民自身も、もう少し真剣に「自分たちの未来」を考えたほうがいいのではないでしょうか。

そんな中で石破総理が昨夜、ついに辞意を表明しました。とはいえ、次の総理が誰になろうと、日本の政治が劇的に変わるとは思えません。なぜなら、責任と権限の「概念」を理解しないまま、言葉だけで場を取り繕うという芸風が、この国の政治家のDNAに刻まれているからです。

ここで私が言う「埋もれた日本」とは、和辻哲郎が『埋もれた日本』(1951年)で論じた世界観・日本観から来ています。和辻は、応仁の乱から江戸初期にかけての多様な思想が、徳川の長い鎖国体制の中で摘み取られ、日本の思想的可能性が「埋もれてしまった」と指摘しました。民衆の一揆や下克上に象徴されるエネルギーが、本来は社会を変える多様性の芽であったのに、それを抑え込んだ結果が「埋もれた日本」なのです。

和辻はまた、『甲陽軍鑑』に触れています。そこでは、国を滅ぼす大将のタイプとして、(1)うぬぼれの強い「バカなる大将」、(2)見栄っぱりな「利根すぎる大将」、(3)道義心の弱い「臆病なる大将」、(4)他人の意見を聞かない「強すぎる大将」を挙げています。理想の大将は、仁慈に富み、人を見る明(あきらかさ)を備えた人物だと。うぬぼれや虚栄を去って得られる「明」を持つリーダーが現れて初めて、組織は強く揺るぎないものになるのだと説いています。さて、今の日本にそんな「明」を持つリーダーはいるのでしょうか。

私は15年ほど前の日記に、こう書いたことがあります。――ブログや日記は「自分が何を考えているかを知るためのツール」だ、と。私自身、自分がこの世で一番信用ならない人物だと思っていますからね。そんな私から見ても、今の日本社会は相当に“自分を知らない”。流行のスキルをハウツー本や就活セミナーで身につけることが、プロフェッショナルやグローバル化への近道だと信じてしまう。けれど本当は、知らない人と交わり、自分を試し、自分が何者であるかを理解するところから始めなければ、一生「漂流者」のままです。

小林秀雄は『私の人生観』でこう語りました。

「知性の奴隷となった頭脳の最大の特権は、何にでも便乗出来るという事ではありませんか」。

なるほど。便乗の知性だけなら、この国は世界屈指の資源大国でしょう。ですが、反骨精神やロック魂はどこへ行ったのか。江戸後期の武士の気概が、いつのまにか蒸発してしまったのかもしれません。信義や名誉を重んじ、自らの命をかけて責任を果たす姿勢。敵に対しても「敵ながらあっぱれ」と認める潔さ。そうした武士の強い精神の代わりに、詰め腹を切らされる総理大臣が量産されているのが現状です。

政治家たちは「誠実」を声高に語りますが、誠実とは本来「自分のやっていることに一生懸命である」ことです。嘘つきや詐欺師と不誠実を同じ袋に入れてしまうような言葉遊びで誠実を語られても、国民はますます白けてしまうでしょう。

結局のところ、日本の課題は「自分を知ることなく世間(空気)に身を任せる」姿勢にあります。その延長線上に「埋もれた日本」がある。そして、その象徴が「課題がある限りやめられない」と言い放ち、結局は詰め腹を切らされた総理大臣の姿だったのかもしれません。
    
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2025年9月7日日曜日

移民時代と政治不在のニッポン

 

不正規移民の摘発


米国ジョージア州のヒュンダイ(Hyundai)電気自動車工場で、米移民当局(ICE)が大規模な強制捜査を実施し、475人が拘束されました。その多くは韓国人で、米国土安全保障省によると「不法就労やその他重大な連邦犯罪」の疑いがあったとのことです。韓国外務省はこれを「不当な権利侵害」と非難し、現地に外交官を派遣。韓国国内からも米国に強い懸念が表明されました。一方ヒュンダイは、「拘束者は当社の直接雇用ではない」とコメントしています。今回の捜査は国土安全保障調査局の歴史上最大規模の単一拠点での取り締まりとなりました。

アメリカの不法移民問題と現状

アメリカは「移民の国」として成り立ってきましたが、現在では不法移民の増加が国内政治の最も敏感な争点になっています。かつてはINS(移民帰化局)や労働省が中心でしたが、9.11以降、移民管理は国土安全保障省のICEに集約され、最も恐れられる政府機関となりました。

・不法移民は約1100万人とされ、主に中南米からの流入が中心。
・労働市場に依存する一方で、犯罪や社会保障への負担という不満も強い。
・トランプ政権以降、「大量強制送還」や「国境の壁」が政治的シンボルに。

韓国の国内事情

韓国社会では、少子化・高失業率・格差拡大のなかで、若年層を中心に「海外で働きたい、移住したい」という意識が非常に強いとされています。統計上も、OECD諸国の中で「国外移住を希望する割合」が韓国は突出しています。これは、激しい学歴・就職競争、住宅価格の高騰、社会の閉塞感が背景にあります。今回の事件も、そうした「韓国人の海外志向」と密接に関係しています。

日本の現状と危惧

一方の日本でも、不法移民は近年急増しています。技能実習制度や留学ビザを利用した入国後の失踪が問題視され、治安や労働市場への影響が懸念されています。

・2023年末時点で、不法残留者は約7万人超。
・難民申請も急増し、「事実上の移民窓口」となっている。
・高齢化と人手不足の中で、政府は外国人労働者の受け入れを拡大しているが、制度は不透明かつ場当たり的。

本来なら、移民政策は安全保障・社会統合・労働市場戦略と一体的に議論されるべきですが、日本政府は依然として「移民政策はとらない」と言い張り、現実から目を逸らしています。これは世界的潮流に逆行するものであり、制度的欠陥を放置すれば、やがて欧州型の混乱に陥る危険があるのです。

まとめ

欧州は移民対応を誤り社会の分断を深め、アメリカは強権的なICEによる排除で揺れています。韓国は国内の閉塞から国を出たい人が多く、日本は不法移民が増えているにもかかわらず政府が「移民政策不在」を続けています。世界の流れを直視せず、時代に逆行する「ごっこ外交」のままでは、近い将来、日本社会も深刻な衝突を避けられないでしょう。

日本の政治家は、どうしても「電車ごっこの運転手」か「車掌さん」にしか見えません。電車ごっこの運転手ではなく、本物の舵取りが必要だと、そろそろ気づくべきでしょう。

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2025年9月6日土曜日

年寄りのサックス手習い

 

息子が25年以上前に学校で習っていたサキソフォンを、昨年の4月に修理に出しました。数か月かかって修理は終わりましたが、修理費は購入価格($800)を上回ってしまいました。息子はもうサックスを吹かないようですので、仕方なく自分がやるしかないかと思い、去年の9月から手を付け始めました。

あれからもうすぐ1年になります。YouTubeを師匠にして、ひとりで高齢者の手習いを続けていますが、進歩しているのかどうか、正直よくわかりません。学ぶことに遅すぎるということはない――これは教訓として正しいと思います。しかし現実は厳しいです。高齢者は独善的で、つい傲慢になってしまいますし、耳も遠くなり、16ビートのリズムについていくのは本当に大変です。特にファンキーなサックスは16分休符が命ですが、私の場合、16分休符が8分休符になったり、場合によっては4分休符になったりしてしまいます。

ですので、学ぶ意欲を持ち続けることは大切ですが、若い人とジャムセッションをするなんて、とても無理です。それでも独りで練習し、少しずつでも音が出せる喜びは、年寄りの手習いならではのささやかな楽しみです。苦労は多いですが、挑戦し続ける気持ちは、やはり捨てるわけにはいきません。

An Old Man’s Saxophone Practice

My son, over 25 years ago, learned to play the saxophone at school. Last April, I sent it for repairs. It took several months, and the repair cost ended up exceeding the original purchase price. Since my son no longer plays the saxophone, I had no choice but to take it up myself. I started last September, and almost a year has passed. Using YouTube as my teacher, I continue my solo practice as an elderly beginner, but to be honest, I’m not sure how much progress I’ve made.

It is true that it’s never too late to learn. However, reality is harsh. Older people tend to be self-opinionated and a bit arrogant. Our ears don’t work as well, and keeping up with 16-beat rhythms is really difficult. Especially for a funky saxophone, the sixteenth-note rests are essential, but in my case, they often turn into eighth-note rests, or sometimes even quarter-note rests.

So, while it’s important to maintain the desire to learn, joining a jam session with younger players is absolutely impossible. Still, practicing alone and gradually getting a sound out brings a quiet joy that only comes with being an elderly beginner. The struggles are many, but the spirit to keep challenging myself is something I simply cannot abandon.

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2025年9月5日金曜日

Z世代の幸福度低下を考える

 
自衛隊にオスプレイの一号機が導入されたのは2018年、
私が自衛隊仕様のオスプレイを作成したのは2011年でした。


Z世代の幸福度

最近の国際研究によれば、Z世代を中心に若者の幸福度が大きく下がっているといいます。ニューズウィークの記事でもその事実が指摘され、原因のひとつにスマホやSNSの影響があげられていました。確かに、SNSの過剰な比較や孤独感は否定できません。しかし、問題はそれだけではありません。住宅価格の高騰、教育費や医療費の負担、不安定な雇用やギグワークの広がり。こうした経済的背景が、人生の節目で安定を得られない不安を生み出しています。さらに気候変動や国際紛争の影響もあり、若者世代は「将来への希望が持ちにくい」という心理的な圧迫を受けています。

ただし、これらはグローバルに共通する課題であり、同時に各国ごとに特有の問題も存在します。日本には日本独自の問題があり、そこに目を向けなければ本質は見えてきません。

比較幸福論

日本人は自らの幸福を絶対的に感じ取るのではなく、「他人と比べて自分がまだ恵まれている」「まだマシだ」と考えることで安心を得る傾向があります。私はこれを「日本人比較幸福論」と呼んでいます。一見すると社会の調和を保つ役割を果たしているように見えますが、根本的には自立した幸福感を育てないという欠点を抱えています。

戦後教育は、個人の価値観を育むよりも「システムや他者に従順であること」を重視してきました。その結果、若者たちは「比較」なしに自分の幸福を定義することが難しくなっているのです。この構造的問題が、Z世代の幸福度低下の深層に作用していると考えられます。

ごっこの世界

もう一つの要因は「ごっこの世界」です。江藤淳が指摘したように、日本社会は「実体」より「形」にとどまりがちです。

過去の日記を振り返ると、私は東日本大震災時の政府対応を「国ごっこ」と書き、教養を欠いた政治家の振る舞いを「政治ごっこ」と表現しました。国民が無関心のまま日常を過ごすこともまた「ごっこ」にすぎません。オルテガの大衆人や、ニーチェの末人、そして魯迅が描いた「阿Q」のように。

そして今の日本の総理を見ていると、その「ごっこの世界」が極まった感があります。戦艦のプラモデルを愛好するのは趣味として結構なことですが、一国の総理大臣がまるで「電車ごっこの運転手」のように国を導いている姿は滑稽を通り越して危うい。総理の人生そのものが、日本社会の問題の本質、つまり、すべてが「ごっこ」の延長にあることを象徴しているように思えてなりません。

考えられる解決策

私がもっとも危惧しているのは、「問題意識を持たないまま虚無的になる」若者が増えていることです。問題意識がなければ危機意識も芽生えず、当事者意識も持てないまま、ただ日常を消費して、やがて高齢者になって行くことになります。

だからこそ、今の10代から40代の人たちにこそ伝えたいのです。まずはどんな話題でもよい、自分の問題として考えてみること。スマホでも、仕事でも、教育でも構いません。比較の物差しではなく、自分自身の物差しで「なぜなのか」を考え始めること。それが虚無を打ち破り、未来を選び取る第一歩になるのです。ibgの迷子になる地図やノートはそのためのツールです。

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2025年9月4日木曜日

香港の朝と中華粥

 

香港スタイルのコンジーです。かつて仕事で通った香港の朝がよみがえってきました。


私が香港をたびたび訪れたのは1980年代半ばから2000年代初頭までで、最後に行ったのは2004年か2005年だったと思います。香港が輝きを失っていく過程を目撃しました。たぶん、私の好きな香港は1990年頃で終わったと感じています。返還を前に、知り合いたちは次々とカナダやオーストラリア、アメリカに移住していきました。残されたのは、かつての自由の香りではなく、別の時代の気配でした。

香港の朝はニューヨークの朝と同じように早い。まだ夜も明けきらぬ4時、5時になると、外から身体をパンパン叩く音や、ジョギングする人々の声が聞こえてきます。プロムナードでは鳥かごを手に集まった老人たちが鳥の声を競い、シニアたちは海で泳ぎ始めます。レパルスベイ――映画『慕情』の舞台となったあの海岸――に立てば、まだ薄暗い波打ち際に老若男女が浮かんでいる姿が見えます。これが香港の朝の風景でした。九龍城の北に広がるニューテリトリーには、当時は田園が広がっていました。ビジネスはセントラル地区に集中していて、ニューテリトリーは都会の喧騒とはまるで別世界のように穏やかでした。

当時、若い私はいつも日本と比較して考えていました。日本は全体が夜型です。会社員は夜遅くまで「仕事」を続けています。朝の活力ではなく、夜の惰性に支配された社会。これでは効率も生まれないのではないだろうか、、、、と。 

かつての香港の朝には、中国的な混沌とイギリス的な秩序が奇妙に同居していました。しかし返還以降、その均衡は崩れ、自由の息吹は次第に失われていきました。今では、あの澄んだ朝の海風にも、どこか重たいものが感じられるようになったのではないだろうか。

夕べの中華粥はうまかった。けれども、思い出す香港の粥はもっと別の様々な感情が宿ります。お粥を食べながら、私はもう二度と訪れることはないだろう香港の朝を、そして失われたあの自由を、懐かしく思い出していました。

Hong Kong Mornings and Congee

It was Hong Kong–style congee. As I ate, the mornings of Hong Kong I once knew came back to life.
I visited Hong Kong frequently from the mid-1980s to the early 2000s, and I believe the last time was around 2004 or 2005. I witnessed the city gradually losing its brilliance. For me, that brilliance had ended around 1990. On the eve of the handover, many of my acquaintances left for Canada, Australia, or the United States. What remained was not the fragrance of freedom, but the air of another era.
Hong Kong mornings start early, much like those in New York. At four or five in the morning, before dawn has fully broken, you can already hear the sounds of people slapping their bodies for health, or the voices of joggers greeting each other. On the promenades, elderly men gather with birdcages, comparing the songs of their birds, while seniors wade into the sea for a swim. Stand on Repulse Bay—the beach made famous by the film Love Is a Many-Splendored Thing—and even in the dim half-light, you will see men and women of all ages floating in the surf. This was the landscape of Hong Kong mornings.
North of Kowloon Walled City stretched the New Territories, which at that time were largely rural. Business was concentrated in Central, leaving the New Territories calm and pastoral, a world apart from the city’s bustle. As a young man then, I could not help but compare this with Japan. Japan, I felt, was entirely a night society. Salarymen stayed endlessly at their offices, pretending to work late into the night. Not energized by mornings, but trapped in the inertia of nights. Could any efficiency truly be born from such a system?
The Hong Kong mornings of the past carried a strange coexistence of Chinese chaos and British order. Yet after the handover, that balance collapsed, and the breath of freedom gradually faded away. Now, even in the once-clear morning sea breeze, something heavy seems to linger.
The congee I had last night was delicious. Yet the congee I remember from Hong Kong carries another weight of feeling. With each spoonful, I recalled the mornings I will likely never see again—and the freedom that has since been lost.
  
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2025年9月3日水曜日

「石破辞めろ」デモと日本政治・メディアの堕落

  

8月31日、首相官邸前で「石破辞めろ‼デモ」が行われ、主催者発表で約4000人が参加しました。参院選での大敗にもかかわらず続投の姿勢を崩さない石破首相に対し、参加者は「辞めねば日本が滅びる」と声を上げました。小学生から社会人まで幅広い層がマイクを握り、海外への資金ばらまき、移民政策、主張の一貫性の欠如などを批判しました。デモの列は800メートルにも及びました。しかし、この大規模な動きはNHKを含む主要メディアではほとんど報じられず、参加者の一人も「なぜ大々的に伝えないのか」と不信を口にしていました。

ここに浮かび上がるのは、戦前と同じ構造であると私は思います。昭和の15年戦争で軍部の専横を許した原因を、石橋湛山元総理は「政党の責任」と喝破しました。政党間の泥仕合と権力闘争に明け暮れた政治家の低レベルさが、五・一五事件以降の体制逆転を招き、日本は破滅への道を歩んだのです。そしてメディアもまた、大衆を煽り、売上至上主義に走り、民主主義を守る責任を放棄しました。

現在、私たちの目の前で起きていることは、それと酷似しているのではないでしょうか。政党政治は自己保身に堕し、メディアは国益を忘れ、国民に必要な事実すら伝えません。民主主義は「大衆を扇動する仕組み」へと悪用され、無反省の政治家と無責任なメディアが情報弱者の国民を操っているのです。そこには倫理観念のかけらも感じられません。

石橋湛山は昭和26年にこう語りました。「遠くない将来において、必ず再び興隆するに違いない。日本人が日本に住する限り、日本は興隆せずにはおかない」。その前提として彼が強調したのは、「過去を深く考え、反省すること」でした。

しかし、現代の政治家や元総理の発言には反省が見られず、メディアにも深い思考は感じられません。この国のリーダーと報道機関が自らの堕落に向き合わない限り、日本の再興はあり得ないと考えます。歴史から学ばずして、未来を築くことは決してできないのです。

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2025年9月2日火曜日

新学期を迎えて考える

洋服のハンガーをオンラインで購入しました。アコースティックギターのギターケースを立てるのが目的です。同時にアマゾンで、信越シリコンと金属磨きのピカールもオーダーしました。20~30年経過したギターケースは太平洋も数回渡っていますが、一回も磨いたことがなかったのです。カビが生えています。

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新学期を迎える季節、教育関係者から届いたメールにこうありました。

「新しい環境で元気よく学び始める子どもがいる一方で、学校に馴染めない子どもも少なくありません。『不登校』や『非登校』の子どもにどう寄り添うのかが大きな課題です」

数字も示されます。2023年度の調査で、不登校の小中学生は34万人、高校生でも7万人近い。アメリカでは不登校はネグレクトと見なされ、通報があれば警察が動くという話も添えられていました。さらに「オルタナティブスクール」や「ホームスクール」という選択肢の増加に触れ、「教育の多様化」に光を当てています。

問題提起そのものはまさに重要で、教育現場の第一線に立つ方ならではの視点だと思います。ただ同時に、教育の専門家だからこそ、「不登校か非登校か」といった枠組みを超えて、「そもそも教育とは何か」「今の日本に必要な教育は何か」という根本的な問いにも光を当ててもらいたかった。つまり、私が感じるのは、議論の抽象度がまだ低いということです。問いかけるべきは、「不登校か非登校か」ではなく、「そもそも教育とは何か」「今の日本に必要な教育は何か」という根源的な問題です。そういった議論が別途行われているのかも知れません。

私たちの社会は、すでに教育の多様なオプションにあふれています。しかし依然として受験制度に象徴される官僚型の教育システムが中心にあります。偏差値という一つの物差しに縛られる限り、教員も子どもも自律的な学びを育みにくいのです。教育を「学校教育」と同一視する思考こそを、いま疑わなければなりません。

教育は、単に知識を伝える仕組みではなく、未来をつくる人材を育む体系であるべきです。柳田国男が指摘したように、数学や理科は世界に共通する学びですが、国語や歴史は文化や国民のアイデンティティを育む科目です。つまり教育は、個人の能力を磨くと同時に、共同体の価値観を継承・更新する営みなのです。ところが現在の日本では、教育が序列化の道具に矮小化され、社会全体が相対性を理解できないまま硬直しています。

ここに、新しい要素としてAIが加わりつつあります。生成AIは使い方次第で強力な学習補助になりますが、同時に思考停止を助長するリスクも抱えています。子どもたちが「自分で考え、自分の言葉で表現する力」を養う前にAIへ依存してしまえば、本来の教育の基盤は崩れてしまうでしょう。だからこそ、教育の専門家自身がAIを試し、その可能性と限界を自分の頭で判断することが必要です。

教育は制度や道具によって決まるものではありません。一人ひとりが倫理的主体として成長できるように、自由と責任のバランスをどう設計するか。新学期のこの時期にこそ、教育関係者には、現場の現象に目を配りつつも、より大きな視野で教育の未来を構想してほしいと思います。

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2025年9月1日月曜日

稚拙な外交の代償 ― パワーバランスを見誤る日本

    

Trump's rebuke, Xi's handshake, Putin's oil: India's foreign policy test

Soutik BiswasIndia correspondent

https://www.bbc.com/news/articles/c80d2nvzg72o


BBC記事の要約

BBCの記事は、インドのモディ首相が直面する外交の難しさを描いています。インドは「多極秩序」の一角を自任し、アメリカ・ロシア・中国の間で巧みにバランスを取ろうとしてきました。
  • 米国とはインド太平洋戦略で協調しつつも、トランプ政権からはロシア産石油の輸入で批判を浴びています。
  • ロシアとはエネルギー安全保障のため深い関係を維持。
  • 中国とは対立を抱えながらも、経済関係や地域安全保障で「対話」を続けざるを得ない。
つまり、インドの外交は「選ばない」という選択をしており、それは弱さではなく戦略的自律だと擁護する声もあります。しかし同時に、その綱渡りは危うさを孕んでおり、世界のパワーバランスが揺らぐ中で、インドの立場は決して盤石ではない、というのが記事の骨子です。


日本に置き換えた場合

こうした背景を踏まえると、モディ首相が日本を訪れ、石破総理と会談したことは、インドの戦略的立ち回りの一環と見るべきでしょう。本来ならば、日本にとっては貴重な外交の場であり、アメリカ・ロシア・中国・インドの間でどう動くかを示すチャンスだったはずです。

ところが、現実はどうでしょうか。宮城県での半導体工場視察や新幹線の同乗といった「見せ場」はありましたが、これは単なる観光的パフォーマンスに過ぎません。半導体や鉄道技術をPRすることが、インドの複雑な外交方程式にどれだけ影響を及ぼすでしょうか。むしろ世界のパワーバランスを見据えた議論を交わすべき場面で、日本側が深い戦略的構想を提示できなかったことの方が問題です。


稚拙な外交の構図

能力と使命感の両方を欠いた総理に外交を任せるのは狂気の沙汰です。石破総理が主導したTICAD 9もそうですが、果たしてアフリカの国々の現実をどこまで理解しているのでしょうか。名前と位置すらおぼつかない国々を相手に、真の戦略的関与ができるとは到底思えません。

器がなければ、使命感すら空回りします。ダメなものはダメ。そしてダメな人間ほど、自分がダメだということに気づかない。これは紀元前から哲学者たちが繰り返し説いてきた人間の真理です。


結語

インドのように複雑な外交空間を泳ぎ切るには、戦略眼と胆力が必要です。日本はその隣にいながら、自国の総理が稚拙なパフォーマンスに終始するのを許している。これでは国益どころか、国際社会での信頼をも失いかねません。

いま求められているのは「見せかけの親善」ではなく、「世界の現実を直視した戦略的外交」です。果たして日本にその準備があるのか――その問いを突きつけるのが、今回のモディ訪日の本当の意味なのではないでしょうか。

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2025年8月31日日曜日

イノベーションを阻む「教育」という壁

小学生の時の物差し(60年前ですぞ!)
 
最近の議論では「日本でイノベーションが起きている地域はどこか?」というテーマが取り上げられ、研究者や高度人材の地域集中と地域格差が論じられています。確かに人が集まる場所で新しい動きが生まれやすいという指摘は的を射ています。

しかし、私が感じるのは、議論の核心がなお隔靴掻痒だということです。なぜなら、日本でイノベーションが生まれにくい本質的な理由は、地域要因よりも教育システムに深く根ざしているからです。

日本の教育は依然として点数や偏差値を「客観的な物差し」として崇めています。しかしポストコロナの混迷する世界で、それは本当に正しい指標でしょうか。英語の tolerance は「寛容」であると同時に「許容誤差」を意味します。これからの社会で必要なのは、まさに誤差を許容できる柔軟さや寛容さのはずです。ところが日本の教育は、いまだに「誤りを許さない」方向へ全力疾走しています。

  • 出題範囲が決まっている ⇒ 一定の枠の中でしか考えない
  • 制限時間がある ⇒ 回転の速さばかりを測られる
  • 100点以上はない ⇒ 減点主義で挑戦心が育たない
その結果、徹底的に考え抜く力、枠を越える発想、誤りを恐れず試行錯誤する勇気――本来イノベーションに必須の能力を持つ生徒ほど、学校教育ではむしろ「落ちこぼれ」とされてしまいます。

結果として「スクール・スマート」な優等生ばかりが評価され、狭い専門性を磨きながらも、大局観や直観力を育てる機会を失っていきます。この構造は歴史の中でも繰り返されました。明治のリーダーたちは広い視野を持ち国際情勢を読み解く力がありましたが、日露戦争以降は「スーパー係長」的な専門官僚が前面に出て、大局を誤ることになりました。平成期の企業停滞も、このDNAを引き継いだ帰結だといえるでしょう。

今の教育行政は「EdTech」や「チェンジ・メイカー」を掲げていますが、現行の教育システムが量産しているのは、実際には「チェンジ・テイカー」――制度に従うだけの人材です。テクノロジーをいくら導入しても、根底にある評価の物差しが変わらない限り、本当の転換は望めません。むしろ教育の形骸化が進むだけでしょう。

そして、日本の教育は今でも「木を見て森を見ず」どころか「木の葉の葉脈まで見つめる」方向に突き進んでいます。論理的思考の訓練は必要ですが、それに偏りすぎると直観力や洞察力が麻痺してしまいます。AIやイノベーションを声高に叫んでも、肝心の教育が「官僚型人間」を再生産する限り、日本発の革新は掛け声倒れに終わるでしょう。

変化を望むなら、まず親や教育現場が「偏差値という物差し」への盲信をやめることです。誤差を受け入れる寛容さを取り戻し、誤りから学ぶ教育を育てること。その覚悟がなければ、日本はいつまでも「変われない国」のまま取り残されるのではないでしょうか。

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2025年8月30日土曜日

主体性なき教育は、主体性なき国家を生む ―― 戦後教育の根本を問う


先日、ある元大学教授が「次期学習指導要領のカギは主体性だ」と論じる記事を目にしました。正直に申し上げて、「何をねぶたいこというとんねん」と思いました。

なぜなら、日本の教育にはそもそも「主体性」など存在してこなかったからです。戦後の教育制度は、敗戦直後にGHQによって設計されたものであり、日本人が自らの歴史や文化を踏まえてつくり上げたものではありません。教育の出発点から「主体性」を欠いているのです。元大学教授の論は、こうした歴史的背景を踏まえず、表層的に「主体性」を唱えているだけに見えます。だからこそ、眠たい議論に聞こえるのです。

私はこれまでのブログで繰り返し指摘してきましたが、日本の教育現場で「協調性」という言葉ほど危ういものはありません。本来の「和」とは、自分の主体性を保持したうえでの協調です。しかし現実には、その前提が抜け落ち、付和雷同する態度が「協調性」として評価されてきました。孔子が「君子は和して同ぜず」と説いた精神は、戦後教育の中で形骸化してしまいました。

その結果として、若い世代は「自分は何をすればいいのか」と問い続けながら、情報を自分の目で確かめることもなく、政治を他人事と見なし、海外に視野を広げることもなく、ただ「誰かに従う」生き方に安住してしまうのです。サルトルの言葉を借りれば、実存が本質に先行するはずなのに、日本人はその実存を自ら放棄してしまったといえるでしょう。

この従順教育の帰結が、現代日本の社会と政治に表れています。国民は怒る力や疑う力を失い、自ら首輪をはめる「自発的隷従」の状態にあります。AIが普及すれば、思考さえ外部に委ね、ますます「怠け者の天国」に陥ることになるでしょう。しかしそれは強制されたものではなく、自ら望んで選んだ隷従なのです。

現行教育の最大の欠陥は、知識を科目ごとの「柱」として植え付ける一方で、それらをつなぐ「梁」を欠いていることにあります。抽象と具体を往復し、全体像を描く力が育たない。これこそが、日本人から主体性を奪い、従順さだけを残した根本原因です。孔子の「君子不器」――一つの機能にとどまるな――という教えは、現代日本にこそ必要な精神だと思います。

もし本物の「主体性教育」を目指すのであれば、敗戦直後に立ち戻る必要があります。外から与えられた教育制度を根本から見直し、日本の歴史と文化に基づいて再構築すること。これを避けて、表層的に「主体性が大事だ」と叫ぶ限り、教育は変わりません。

主体性のない教育は、主体性のない国民を生み、主体性のない国民は、主体性のない国家しかつくれません。これこそが、日本という国の最大の病なのです。

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2025年8月29日金曜日

AIと自殺大国ニッポン ― 脳を使わない社会の末路

 
AIと自殺大国ニッポン 

先日BBCが報じたニュースは衝撃的でした。米国で、ある少年が自ら命を絶ったことを受け、その両親が生成AIを提供する企業を訴えたというのです。背景には、AIとの会話が現実からの逃避や心の支えとなる一方で、孤立や依存を深める危険性があったのではないか、という懸念が浮かび上がっています。

日本の現状を振り返ると、この問題は決して対岸の火事ではありません。我が国の自殺者数は近年減少傾向にあるとはいえ、依然として年間2万人を超えており、先進国の中では独走状態です。さらに深刻なのは若年層の状況です。10~39歳における死因の第1位が自殺である国は、G7で日本だけ。10代の自殺率は横ばい、20代・30代は減少幅が小さく、 特に20代・30代の女性では、自殺者の約4割が自殺未遂歴を持っていました。突発的な飛び降りや飛び込みといった手段が目立つのも特徴です。つまり、若者の命は今もなお危うい均衡の上にあるのです。

こうした状況の中で、生成AIの普及は新たなリスクを孕んでいます。OpenAIのCEO、サム・アルトマン氏自身がポッドキャストで「AIに心の闇をすべてさらけ出すのはやめたほうがいい」と警告しました。なぜなら、AIとの会話には医者や弁護士のような守秘義務がなく、場合によっては法廷で提出を強制される可能性があるからです。心のよりどころとしてAIに依存した人々が、その「秘密」を逆に脅かされるリスクがあるというのです。

そして、AI依存の危険なサイクルはすでに指摘されています。
  • 現実逃避の手段として使い始める
  • AIとの会話が心地よくなる
  • 人間関係よりAIを優先するようになる
  • 現実とバーチャルの境界が曖昧になる
  • AIの言葉を絶対視するようになる
これは単なる「新しい道具」の話ではありません。人間の思考力を鍛える機会そのものを奪いかねないのです。脳も筋肉と同じで、使わなければ衰える。便利なエスカレーターに頼り続ければ足腰が弱るように、AIに思考を委ね続ける社会では、人間の脳力そのものが弱体化していくでしょう。

特に日本では、この危険性は一層深刻です。なぜなら、現行の教育制度が「自分の頭で考える」習慣を十分に育んでいないからです。答えの決まった問題を暗記し、試験を突破する力ばかりが求められる。総合的な学びの欠如、言葉を軽んじる風潮が、若者から思考の筋力を奪ってきました。そのまま大人になった人々が、AIという「便利なクスリ」に安易に手を伸ばす。これはまるで、街の薬屋で覚せい剤を自由に買える社会のようなものです。即効性はあっても、長期的には破滅へと導く危うさを孕んでいます。

我々が直面しているのは、「AIの是非」そのものではありません。問題は、思考停止に慣れきった社会でAIがどのように作用するかです。日本がこのまま「脳を使わない社会」を続けるなら、AIは救いではなく、静かに命を奪う毒薬となるでしょう。

自殺大国ニッポンに必要なのは、AIに依存しないで生き抜くための「思考力」と「対話力」を社会全体で取り戻すことです。でなければ、次にBBCが報じるのは、我々自身の悲劇かもしれません。

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2025年8月28日木曜日

「臣」としての政治家か、それとも「従属者」としての日本か

誰の臣なのか?

多くの評論家やメディアのコメンテーターは、直近の参議院選挙で自民党が少数与党へと転落した現状を背景に、政治家に必要なのは「政治とカネの体質を刷新すること」と「国民生活に直結する課題への政策対応の迅速化」であると説いています。そして、それらは防衛費や安全保障政策とも切り離せず、政治家には「臣」としての責任や品性が求められるのだと結論づけます。

しかし、こうした言説は間違っていないのですが、あまりに表層的です。問題の根は、はるかに深いところにあります。

そもそも戦後日本の政治構造そのものが、アメリカに従属する体制のもとで形成されてきました。憲法、日米安保、教育制度、そしてアメリカ礼賛のメディア――いずれも占領期GHQが設計した枠組みにすぎません。それが八十年ものあいだ温存され、自民党はその「管理者」として権力を維持してきました。もはや自党の結党の精神が何であったのかすら忘れ去り、その存在意義は「従属体制の存続」へとすり替わってしまったのです。

そして忘却の病は、政治家だけに限られません。日本人全体が「聞きたくないことは聞かない」という態度に慣れきり、「自分は何者か」という根源的な問いを避け続けてきました。国家とは何か、日本精神とは何か――そうした基盤を忘れ去った結果、経済成長や安定という虚構に依存する社会が形成され、その土台は空洞化してきたのです。

評論家は「政治家に臣の意識を」と言います。しかし問うべきは、「この国の政治家は誰の臣なのか」ということです。本来ならば国民と天皇陛下に仕えるべき立場が、実際にはアメリカ体制に従属する存在へと成り下がっている。この事実に触れずして「責任」や「品性」を論じても、問題は何一つ解決しません。

今日の政治の恐ろしく低レベルな有様は、単なる偶然や一時的な失政ではなく、戦後八十年体制の必然的な帰結です。自民党は結党の精神を忘れ、日本人自身もまたアイデンティティを自ら放棄してきた。その果てに、日本は「臣」どころか「従属者」としての姿を甘受しているのです。

我々が本当に問わねばならないのは、アメリカに与えられた枠組みの中で「責任」や「品性」を議論することではありません。「日本とは何か」「日本精神とは何か」――この国の独自の成り立ちを取り戻すことです。それを忘れ続ける限り、日本は「眠たくなるような政治」に埋没し、未来を失った国として漂流し続けるほかないのです。

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2025年8月27日水曜日

責任とリーダーシップの空洞化


リーダーシップとは何でしょうか。私は長年、リーダーの条件として「決断力」「イニシアティブ」「ユーモアのセンス」の三つを挙げてきました。しかし、これだけでは不十分です。リーダーシップとは単なる技術ではなく、環境との邂逅を自らの経験として受け止め、それを共同体に活かす力でもあります。ところが日本社会では、その昇華のプロセスが決定的に欠落しています。困難に出会っても学びに変換できず、挑戦を自己の成長へとつなげられない。結局、リーダーは育たず、既存の秩序に安住する構造だけが温存されてしまうのです。

こうした空洞化は、政治家個人の資質だけにとどまりません。社会全体が責任を直視せず、議論を避け、幼児的な安住を求めていることに根本の原因があります。その象徴が、メディアのあり方でしょう。耳障りのよい解説を繰り返すコメンテーターたちが人々に与えているのは、思考の深化ではなく「安心感」という麻薬です。本来、言葉とは人間の思考を深めるための道具であるはずです。しかし今や、言葉は軽視され、思考力の低下を招き、結果として「問い」を持たない国民が量産されています。

リーダーシップの本質は、個と公共のバランスにあります。自分を律しながらも、公共に奉仕する意思を持ち、共同体を自己統治として形成していく力です。しかし日本社会では、この「自己統治」の発想そのものが欠けています。国家や組織からのパターナリズムが重く覆いかぶさっているからです。ここでいうパターナリズムとは、親が子どもを一方的に導くように、権威が国民を「守ってあげる」と称しながら実際には依存を強める構造を指します。その結果、人々は「管理されること」に慣れすぎ、自らの責任で共同体を動かす経験を持たないまま大人になってしまうのです。

教育のあり方も大きな問題です。学科ごとに分断された非総合的な教科体系のもとで、子どもたちは「知識の断片」を詰め込まれるだけで、概念を横断的に結びつける力を養えません。教育改革を声高に唱える人々もいますが、実際には何も考え抜かれてはいません。総合的な思考の訓練もなく、言葉を通じて思考を鍛える経験もない。これではリーダーが育たないのも当然です。

さらに、日本では「正統性(legitimacy)」という考え方も十分に理解されていません。正統性とは、単に選挙で勝つことではなく、その人がリーダーとして認められるに足る人格・責任・一貫性を備えているかどうかを意味します。民主主義においては、権力の行使そのものが「正統性」によって支えられるのです。しかし、日本の現状を見る限り、その意識は希薄です。国民もまた、その条件を求めないまま、表面的な人気や手軽な安心感に流されています。

本来、リーダーであり続けるためには、正統性に裏打ちされた責任感と、環境を学びに転化する柔軟性、そして矛盾を乗り越え続ける努力が不可欠です。困難に直面しても逃げるのではなく、向き合い続ける姿勢こそがリーダーをリーダーたらしめる。ところが今の日本の総理大臣は、その条件を何一つ満たしていません。いや、それ以前に人格そのものが問われるべきでしょう。

しかし、問題は個人に帰せられるものではありません。リーダー不在の社会は、リーダーを求めない国民自身の選択の結果でもあるのです。責任を取らないリーダーを生み出すのは、責任を問わない国民である。そのことに気づかぬまま、日本は「耳障りのよい安心感」と「先送りの文化」に沈み込んでいます。

リーダーシップの本質を忘れた社会に未来はありません。日本に欠けているのは「誰がリーダーか」ではなく、「リーダーとは何か」という根本的な問いを持ち続ける姿勢なのです。

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2025年8月26日火曜日

ユーモアとリーダーシップの大谷翔平

 

45号ホームラン直後の大谷選手

ユーモアとリスペクト――大谷翔平の姿勢に見るもの

2025年8月、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平は、サンディエゴ・パドレスとの試合で45号ホームランを放ち、試合を決定づけました。しかし、注目すべきは、そのホームランの後に見せたユニークな行動です。試合中、大谷はサンディエゴのペトコパークで、観客から絶え間ない野次を受け続けていました。その観客は、日々の生活の辛さを球場での野次にぶつける、パドレスファンの中でも有名な人物です。試合の初めから終わりまで、大谷の打席に対して厳しい言葉を投げかけていました。しかし、大谷はそれに対して驚くべき反応をした。ホームランを打った後、わざわざその観客とハイタッチを交わしました。この行動は、普段の冷静な大谷からは想像できないもので、周囲を驚かせました。

ドジャースの監督デイブ・ロバーツは「普段の大谷では考えられないことだが、観客が試合中ずっと彼に厳しい言葉を投げかけていたから、最後にそれを上手く受け流して、ハイタッチをすることで彼に最後の一撃を食らわせたのだろう」と語っています。大谷自身は試合後にコメントを避けましたが、この行動が彼の持つユーモア精神と相手に対するリスペクトを象徴していると考えられます。

日本では見られない「余裕」と「無駄」

大谷の行動から感じるのは、スポーツマンとしての真摯な姿勢に加え、相手へのリスペクトを忘れない余裕です。日本では、この「無駄と余裕がなさすぎる」という点を私は若い頃から指摘してきました。特に日本の社会では、勝敗を決する場面において「負けられない」というプレッシャーが強く、余裕を持った対応が少ないように感じます。大谷は、勝負の世界でも一線を画す人物でありながら、相手を挑発することなく、むしろその挑発にユーモアをもって返すことで、観客や対戦相手を一歩引かせています。結果として、ファンもファンでない人も「みんなで楽しもうよ」という気持ちが共有されているように思います。

私は以前から、リーダーに必要な条件は「決断力」「イニシアティブ」「ユーモアのセンス」であると述べてきました。大谷が見せた行動は、まさにリーダーに必要な資質の一端をスポーツの場で体現したものと言えるでしょう。翻って日本の政治を見れば、現総理大臣にはこの3つの条件に達する以前に、人格そのものに大きな問題があるように感じます。国を導くべき立場にある人が、決断力もイニシアティブもユーモアも欠いていることは、日本社会全体に重苦しい影を落としているのではないでしょうか。

結論

大谷翔平が野球に対して示すのは、単なるスーパースターとしての姿勢ではなく、まさに「野球を楽しむ心」の体現です。それは、競争の厳しさの中でも、他者との関係性を大切にし、ユーモアを持って接することの重要さを教えてくれます。彼の姿勢は、単なる技術的な勝負だけでなく、心の余裕と対人リスペクトの大切さを改めて感じさせてくれます。

そして、日本の政治や社会がもっと柔軟で余裕のある態度を持つことができれば、もっと健全なコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか。大谷のように、勝者も敗者も一緒に楽しめる余裕を持つことこそ、現代社会に求められる姿勢ではないかと私は思います。

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2025年8月25日月曜日

環境がリーダーをつくる ~ アメリカ大統領の教育と日本政治の世襲

  

For back to school, let's learn about how our presidents were educated | Opinion
Richard Nixon loved the violin. Abraham Lincoln was 'self-taught.' American presidents had varied educations(Stewart D. McLaurin, Opinion contributor)


子供時代の教育とリーダーシップ

アメリカ大統領の教育背景は実に多様です。上のUSA Today の記事によれば、初代ワシントンは本格的なラテン語教育を受けることなく、実務的な幾何学や測量を学びました。リンカーンは「self-taught(独学)」を誇りとし、学んだのはわずか一年にも満たない「つぎはぎの教育」でした。フーバーは田舎の小学校からスタンフォード大へ進み、アイゼンハワーは「リンカーン小学校」で学び、フォードは高校時代から歴史とフットボールに秀でていました。カーターは教師の助言に感銘を受け、就任演説で彼女の言葉を引用しました。ニクソンはヴァイオリンを愛し、クリントンはサックスと生徒会活動に情熱を注ぎました。

つまり、大統領になる人々は同じ教育を受けてきたわけではありません。むしろ一人ひとり異なる環境から出発し、しかし共通して「自ら学び、環境を活かし、リーダーシップを鍛えた」のでした。

アメリカで学んだこと ― 環境と自己形成

私自身、アメリカで20年近く生活して痛感したのは、アメリカではどんなレベルの人間であっても堂々と自己主張し、プレゼンテーションするという事実です。そこで必要になるのは、その真贋を見抜くインテリジェンス、すなわち「取捨選択を断ずる能力」です。

リーダーになろうとする者は、自覚的にリーダーシップを学び取ります。AIが進化しようとも、環境が人を形作るという本質は変わりません。人は「自分だけ」で成り立つのではなく、環境との一体であり、邂逅、つまり出会い(encounter)がその人を形づくるのです。だからこそ、子供時代に家庭を出て初めて社会に触れる経験(それが学校という集団生活なのですが)は重要です。私が子供のころから伝記を愛読してきたのも、そこに「人と環境の出会い」が凝縮されているからです。

日本の政治家への疑念

一方で日本の政治家を見渡すと、その大半が世襲か、あるいは元タレントや元スポーツ選手で占められています。もちろん世襲や経歴そのものが悪いわけではありません。しかし、問題は彼らが自覚的にリーダーシップを学び、人格を磨き、環境と邂逅の中で成長してきたのか、という点です。

アメリカではいかに名門一家の出であっても、世襲だけで大統領にはなれません。しかし日本では、世襲議員が「親の七光り」で安泰な選挙区を持ち、やる気も能力もないまま議員バッジを手に入れてしまいます。しかもその多くは、政治を「職業」ではなく「特権」と勘違いしているように見えます。たとえ選挙で一応の民意を得たとしても、それで正統性が担保されると開き直るのは、リーダー以前に一人の人間として恥ずべき態度です。

日本の国会を眺めていると、卑怯で臆病な人間がリーダーを気取っている光景にあふれています。これでは国民の信頼は生まれません。世界の常識からすれば、臆病で責任逃れをする人はリーダーにはなれないのです。

結びに

ワシントンも、リンカーンも、クリントンも、恐らくトランプも、それぞれの環境と教育を生かしてリーダーへと成長しました。日本の政治家に決定的に欠けているのは、そうした「環境と自らの邂逅をリーダーシップへと昇華させる力」ではないでしょうか。世襲や肩書きではなく、学び続ける姿勢と一歩踏み出す勇気こそが、リーダーの正統性を裏付けるのです。

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2025年8月24日日曜日

南京事件と歴史を語れない国、ニッポン

 

1985年 南京航空学院 大学の先生方と

中国で「南京写真館」というプロパガンダ映画が上映され、観客を集めているそうです。日本のメディアは否定的な言葉をほとんど発していません。BBCの記事('We were never friends': A massacre on the eve of WW2 still haunts China-Japan relations)を読んでも分かるように、歴史問題はいまだに政治とナショナリズムの道具として利用され続けています。

私自身、10代のころはご多分に漏れずやや左翼的で、本多勝一の『中国の旅』を読んで衝撃を受けました。しかし同時に、どこかおかしいという違和感も持ちました。やがて鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(1981年)に出会い、その後も検証本を何冊も読みました。1985年、仕事で南京を訪れる機会を得て、旧城内を歩き回ったときの実感からも、10万人単位の虐殺は物理的にあり得ないと確信するに至りました。南京事件を追いかけてきたのは10代のころからであり、以来、東京裁判と切り離せない問題だという認識を持っています。

南京事件、文化大革命、天安門事件。これらは本質的に同じものです。すなわち、中国共産党にとって都合の良い記憶は誇張され、不都合な記憶は消される。中国国内では文化大革命など教えられず、当時を知る人もすでに高齢となりました。天安門事件も同様です。だからこそ、国外で語り継ぐしかありません。

南京事件に関しては、アメリカでとくに議論になります。1997年、アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』がニューヨーク・タイムズのベストセラーとなり、多くのリベラル派ニューヨーカーがその影響を受けました(江沢民の反日教育とタイミングが一致しています)。しかし内容には数々の誤りがあり、多くの写真さえ捏造だと指摘されてもいます。アイリス・チャンは2004年36歳の時に自動車の中で謎の拳銃自殺をしました。

だからこそ、日本人としては反論できるよう、少なくとも10冊ほどは関連書籍を読み、歴史的経緯を把握しておく必要があります。南京事件を論じるときは、必ず東京裁判の性格や問題点も合わせて考えるべきです。なぜなら「南京大虐殺」という言葉自体、東京裁判の場で突然持ち出されたものだからです。

中国のプロパガンダ映画は、歴史を検証するための資料にはなりません。むしろ「歴史は未だ終わっていない」と感情をあおる役割を担っています。記憶と怒りを組織的に演出し、若い世代に「日本は敵だ」というメッセージを刷り込む。これは歴史教育の名を借りた思想統制です。そして残念ながら、日本のメディアはそれに真っ向から反論しようとしません。

私たちは南京事件の真偽そのものを議論すること以上に、「歴史を利用する政治のあり方」に警戒すべきだと思います。東京裁判、日本国憲法、日米安保の延長線上に、日本が「自らの歴史を語れない国」として固定化されてしまった。だからこそ、南京事件を論じることは過去の問題ではなく、今の日本の姿勢を問うことでもあるのです。

「友達だったことは一度もない」という中国映画のセリフは、歴史の断絶を象徴する言葉です。しかし、本当に断絶を招いているのは、日本人の記憶力の弱さと、歴史に向き合う覚悟のなさではないでしょうか。南京事件の「真実」に迫ることは、中国のプロパガンダを打ち破るためだけではなく、日本人が自分自身の足場を確立するためにも不可欠なのです

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2025年8月23日土曜日

AI時代に必要な「取捨選択」の力

 

慶応大学出身の現首相は、果たして創設者である福沢諭吉の『学問のすすめ』をきちんと読んだことがあるのでしょうか。はなはだ疑問に思います。衆参両議院の議員にしても、通読した経験のある人は一割にも満たないのではないでしょうか。

福沢諭吉は、人生の前半を江戸時代の武士として、後半を明治の知識人として生きました。ヨーロッパやアメリカを視察して異文化に直接触れ、漢学から出発してオランダ語、そして英語へと学びを広げました。自らギャップに飛び込み、思考を深めた人物でした。こうした経験の蓄積があったからこそ、『学問のすすめ』第15編において「事物を疑って取捨を断ずる事」という、時代を超えて通用する言葉を残すことができたのだと思います。

いま私たちは、AIとデジタル化の時代を生きています。真実と虚偽の境界はますます曖昧になり、本物と偽物を見抜くことが難しくなりました。福沢が指摘した「取捨選択の知性」は、この時代にこそ必要とされている能力です。しかし、日本の政治家の議論を見ていると、この知性の欠如ばかりが目立ちます。スパイ防止法や監視強化をめぐり、「人権がどうなる」「民主主義が壊れる」といった表層的なやりとりに終始する姿は、自らに統治する意志がないことの裏返しではないでしょうか。

さらに福沢は、取捨選択の前提として「自らのビジョンを持つこと」を暗に示していたように思います。将来の展望や問題意識がなければ、必要な情報は集まってきません。例えば子供の教育に強い関心を持っている人のもとには、教育に関する情報が自然と集まってくるものです。逆に問題意識のない人には、氾濫する情報に翻弄される未来しかありません。幕末から明治への激動を生きた福沢にとって、ビジョンを持たないこと自体が理解しがたいことだったのでしょう。

「軽々しく信じるべからず、また軽々しく疑うべからず。信と疑のあいだに必ず取捨の明なかるべからず」――この一節は、教育現場を見つめる上でも示唆に富んでいます。もし親が子供に「納得するまで質問しなさい」と日頃から言い聞かせていたら、判断力を備えた子供が育つでしょう。しかし現実には、そんな子供は受験戦争に不利となり、先生に嫌われるだけかもしれません。これこそが日本の教育の歪みであり、知性を育てるどころか抑え込んでいる現状だと思います。

『学問のすすめ』第15編の最後で、福沢は「我々学者が勉強しなければならない」と述べています。これは当時の慶応の先生たちへの呼びかけだったのかもしれません。しかし現代に生きる私たちには「親や大人こそ学ばなければならない」という警告として響きます。

そして何より求められるのは、政治家も親も一人の大人として、自らのビジョンを持ち、氾濫する情報の中から取捨選択する知性を鍛えることではないでしょうか。

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2025年8月22日金曜日

安心感の人質

   


世界が問う「リーダー不在の時代」と日本の平和ボケ

池上彰氏や増田ユリヤ氏を誹謗中傷する意図はありません。お二人を個人的に知っているわけでもなく、著書を読み込んできたわけでもありません。ただし、彼らの時事解説が長年にわたり広く支持されている背景には、日本社会の病理が色濃く表れているのではないかと思うのです。

トランプ前大統領が「アメリカ・ファースト」を掲げ、国際秩序の舵を放り出した結果、世界は“Gゼロ(リーダー不在の時代)”へ突入しました。アメリカは世界の警察を降り、欧州は内政不安に揺れ、中国とロシアやイスラエルは規範を無視してやりたい放題を続けています。この「リーダー不在の時代」において、各国が問われるのはリーダーの資質・品格・正統性です。

ところが日本では、そもそも国民がリーダーに「正統性」を求めているのかさえ疑わしい状況があります。その背景には、日本社会の高齢者が抱える「安心感依存」があるのではないでしょうか。

高齢者は変化を嫌う傾向があります。これは単なる加齢による保守化ではなく、年金・医療・生活基盤といった制度に依存している以上、「変化=生活不安」に直結するからです。そのため彼らにとって(私も高齢者ですが)最も重要なのは、変化の中身ではなく「安心できること」そのものです。だからこそ、「分かりやすい」「耳ざわりのよい」解説に飛びつきます。そこには、現実の厳しさを突きつける批判よりも、「分かった気になれる安心感」が優先されるのです。

池上解説が「なるほど」と受け入れられるのは、国際政治の複雑さを本当に理解したからではありません。むしろ「怖い現実を咀嚼して、安心できるパッケージにしてくれるから」です。この安心依存が日本の世論形成を大きくゆがめています。

その結果、政治においても同じ構造が再生産されます。国民がリーダーに求めるのは、政策の実効性や国際的正統性ではなく、「変化しない安心感」です。つまり日本の政治は、安心感の人質になっているのです。これでは新しいリーダーを選ぶ力もなく、国際社会の変化に対応する胆力も育ちません。

欧州や米国から見れば、日本は「責任ある行動主体」ではなく、「自己満足の安心感に浸る島国」にすぎません。無責任な解説に拍手を送り、安心感を優先してリーダーを選び続ける――この現実こそ、日本が正統性を失っている最大の原因なのだと思います。

しかし、未来は閉ざされてはいません。むしろ「安心感の殻」を破り、リーダーに本物の資質・品格・正統性を求めることができるかどうかが、日本が次の時代に踏み出せるかどうかの分岐点になるのです。変化を恐れるのではなく、責任を引き受ける覚悟を国民一人ひとりが持つこと。そこからしか、日本が「平和ボケ国家」として軽んじられる現状を抜け出し、世界から信頼される存在へと変わる道はありません。

私たちが求めるべきは「耳ざわりのよい安心感」ではなく、苦くとも真実を見据えた上での責任ある選択です。その積み重ねの先にしか、日本の正統性を回復し、未来を切り開く力は生まれないのだと思います。

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2025年8月21日木曜日

正統性なきリーダーと平和ボケ国家

 

アメリカのトランプ大統領は「プーチンとゼレンスキーを直接会わせれば和平は近い」と豪語しています。しかし現実はそんなに甘くはありません。プーチンはゼレンスキーの正統性そのものを認めていないからです。つまり、交渉のテーブルにすら座れない関係なのです。

一方で、欧州の首脳たちはよく分かっています。彼らが真に望んでいるのは「一度きりの和平」ではなく「戦争を繰り返させない仕組み」です。マクロンが「プーチンは捕食者」と断じたのは象徴的でしょう。捕食者に手を差し出せば、翌日にはまた噛みつかれる。だからこそ欧州は、米国の後ろ盾を得ながら、有志連合による抑止体制や安全保障の保証に力を注いでいるのです。

要するに欧州が欲しているのは「言葉の平和」ではなく「力の平和」です。会談や曖昧な祈りでは戦争は止まらない。その現実を欧州は直視しています。

さて、この「正統性」の話になると、日本の姿が否応なく思い浮かびます。今の石破総理に総理としての資質も品格も正統性もないのは、冷静に見れば明らかではないでしょうか。ところが不思議なことに、国民の少なくとも3割は「総理続投」を望んでいる。世論調査を眺めるたびに、私は首をかしげざるを得ません。

なぜ高齢者は石破さんを支持するのでしょうか。単に「変化を望まない」からなのか。あるいは「次がもっと悪いかもしれない」という漠然とした不安からなのか。私自身も高齢者ですが、どうひっくり返っても石破さんはリーダーの器ではないとしか思えません。国民の側から見ても正統性を欠いているはずなのに、それでも支持が3割――。これが日本の現実です。

欧州のリーダーたちは、和平交渉であれ安全保障であれ、「誰に正統性があるのか」を徹底的に吟味します。だからこそ日本の首相の存在は国際政治で軽く扱われるのです。正統性を持たないリーダーが国内で一定の支持を集めているという事実こそ、日本が国際社会で信用されない最大の理由ではないでしょうか。
    
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2025年8月20日水曜日

沈黙というサウンド――60年代アメリカと現代日本

  沈黙のサウンド
        
「Sound of Silence」が発表された1960年代、アメリカはベトナム戦争、公民権運動、ケネディ暗殺など、社会の裂け目が大きく口を開けた時代でした。サイモン&ガーファンクルの歌は、沈黙の中に漂う不安、誰も口に出さない危うさを照射していました。しかし、この歌が社会批判の象徴となったにもかかわらず、70年代以降のアメリカは没落の道を歩み始めます。経済的繁栄と裏腹に、政治的分断とモラルの崩壊は進み、ついにはトランプの台頭に至りました。これはアメリカの宿命と言えるかもしれません。  

この歴史の流れは、現代の日本社会に重なって見えるのです。表向きの繁栄や安定を装いながら、実際には深刻な少子高齢化、経済停滞、政治の無能化が進行しています。ところが、人々は声を上げず、ただ沈黙のなかに身を沈めている。まるで「沈黙というSOUND」が、日本社会全体を包み込んでいるようです。

忘却の早さもまた、日本の特徴です。昭和の15年戦争、阪神淡路大震災、オウム事件、東日本大震災、そしてコロナ禍――これら大事件の記憶はすぐにかき消され、教訓は生かされません。あたかも「沈黙」が新しい常識であるかのように。

賢者は話すべきことがあっても口を開かない。愚者の話だけが声高にメディアを覆いつくす。

「Sound of Silence」は、単なる時代の歌ではありません。60年代のアメリカにおける社会批判であると同時に、現代の私たち日本人への警鐘でもあるのです。沈黙に甘んじれば、やがて「沈黙」は癌のように拡がり、社会を蝕む。

私が危惧するのは、この国が再び「声を失う社会」へと沈んでいくことです。アメリカの轍を日本がなぞらぬためには、過去を忘れず、沈黙を破る勇気を取り戻さねばなりません。

しかし現実にはどうでしょうか。国民が声を上げるどころか、与党の中枢にすら「声を持たない者たち」が居座り、沈黙を美徳と勘違いしたような政治が横行しています。その結果として生まれたのは、歴史に刻まれるべき史上最低のリーダーたちと、リテラシーのない国民なのです。これこそが、日本社会の「沈黙というサウンド」が鳴り響かせた最も皮肉な結末ではないでしょうか。

サウンド・オブ・サイレンス(翻訳 三鷹の隠居)

真っ暗闇という僕の親友、また話に来たよ。
眠っている間に種が蒔かれたんだ。
それは幻(VISION)のように忍び込み、
「沈黙というSOUND」のなかで芽を出していた。

僕は細い路地をひとり歩いていた。
街灯の光の下、冷たいもやにコートの襟を立てて。
ネオンの閃光が夜を切り裂いたとき、
僕は「沈黙というSOUND」に触れた気がした。

裸電球に照らされ、
一万人、いやもっと多くの人々が言葉をなくしたまま喋り、
疑いもなく聞き入っていた。
理解されることのない言葉を、壁に勝手に刻んでいた。
けれど誰も「沈黙というSOUND」を破ろうとはしなかった。

馬鹿だな。
何も学んでいない。沈黙は癌のように増殖していくんだ。
僕の言葉は、きっと君に届くこともあるだろう。
だけど、それは雨粒が深い井戸に落ちて、
ただ静かにエコーするだけ。

そして人々は、ネオンの偶像に祈りを捧げていた。
お告げは、地下鉄の壁や安アパートの廊下に刻まれていた。
そう、沈黙のSOUNDのなかでみんなが囁いていたんだ。

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2025年8月19日火曜日

徒然なるままに ~ 2025年夏

生成AIに以下の文章を読ませてイメージ化しました。

日本の政治の混迷は、社会全体の劣化を映す鏡のようです。小学生でもできるはずの価値判断ができず、そこに生成AIなどのテクノロジーが拍車をかけている。

思えば、平安末期から鎌倉時代にかけて生まれた『平家物語』『方丈記』『徒然草』には、無常観や価値判断の基準、さらには時間の感覚までもが宿っていました。高度経済成長前夜の1960〜70年代前半、日本の自立を憂いた若者は、サルトルを読み、学生運動やロックに救いを求めたものです。しかし今の時代、人々は「何をどうしたらいいかわからない」「何も考えたくない」と諦念の中に沈んでいるように見えます。

オルテガの『大衆の反逆』は1920年代に世界を警告しました。1927年に自死した芥川龍之介の苦悩もまた、日本社会への一つの警鐘だったのかもしれません。しかし当時の世間は耳を貸さず、時代の勢いに押されて昭和の15年戦争へ突き進んでいった。ならば今の状況を脱する原動力はどこにあるのか――残念ながら私には分かりません。

「三鷹の隠居」は、実際には「三鷹の老害」と呼ぶ方がふさわしい。年齢を重ねただけで、修行はまだまだ足りない。増長を戒めるべき立場です。

徒然草第131段に、こうあります。

おのが分をしりて、及ばざる時は、速やかにやむを智というべし

分をわきまえず、強いて励むのは己の誤りにすぎません。14世紀に吉田兼好が説いたこの至言は、いまの日本の政治家にそのまま突き刺さるでしょう。もっとも、彼らに読ませても無駄かもしれません。「分をわきまえる」どころか、分を知らないことにすら気づいていないのだから。

日本が再び歩みを取り戻すには、兼好の言葉に立ち返るしかない。しかし、政治家に限って言えば ―― まずはひらがなを読む練習から始めるのが早道でしょう。

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2025年8月18日月曜日

アンビバレントな幼児性 ~ 成長できない社会と政治への疑問

 

NHK 2025年8月12日 19時00分


通常、人は矛盾する二つの感情や価値観を同時に抱くことがあります。心理学ではこれを「アンビバレント」と呼びます。たとえば、ある出来事に対して好きでもあり、嫌いでもあると感じる状態です。本来、人間はこのアンビバレントな感情をうまく調整し、全体としてバランスの取れた人格を形づくっていきます。それが「成長」です。

ところが今の日本を眺めると、このアンビバレントを調整できないまま、ただ矛盾を抱え込んでいる大人や組織があまりに多い。まるで幼児の延長線上にあるように見えるのです。教育の出発点は、本来この「アンビバレントな幼児性」からの脱却にあるはずなのに。

福澤諭吉は「智徳と人間交際を高め、禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言いました。智徳の「智」は手段やツールにあたるインテリジェンス、「徳」はモラル。そして「人間交際」は、社交性やコミュニケーションのことです。これは人と人との関係だけでなく、国家間の外交の根っこにも関わるものです。

しかし現代の日本は、「Where do you want to go?(目的)」が定まらないまま、手段やツールばかりにしがみついています。智徳のバランスは崩れ、智に偏重し、徳は軽視され、人間交際は自己中心的。結果として「他者が見えない社会」になりつつある。その一因は教育にありますが、もう一つ大きいのがマスメディアの影響です。

その象徴が「世論調査」です。私は学生時代、朝日新聞の世論調査のアルバイトを経験しました。兵庫県全域を回り、アポをとって家庭や工場の寮を訪ね歩いたのですが、回答者は偏り、設問は誘導的で、調査の精度はお粗末なものでした。半世紀前から「これは偽善だ」と思っていたのに、いまだにありがたそうに報じられている。驚くというより、もう呆れるしかありません。

今回もそうです。石破内閣の支持率38%と報じられました。新聞やテレビもさすがに「支持率回復!」とは書きません。書いても信じる人はいないし、出している側も中身が偏っていることを知っているからです。実際、その38%の多くは高齢者に偏っていて、若い世代の声はほとんど入っていない。未来を担う層が排除されたままの数字を「国民の声」と言い張るのは、どう見ても欺瞞です。

しかも、38%が「支持」なら62%は「支持しない」か「わからない」。ビジネスに例えれば、顧客アンケートで6割以上が不満を示しているのに、経営陣が「市場から高評価を得た」と胸を張るようなものです。まともな会社なら経営陣は即座に退任です。それを「まだ支持されている」と勘違いする総理と閣僚がいる。与党議員の多くは、次の選挙を意識して「いつドロ船を逃げ出そうか」と計算しているでしょう。本気で自分が支持されていると信じているのなら――残念ですが、幼稚園からやり直すしかありません。     
   
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2025年8月17日日曜日

時代劇の消滅とその意味

  
荒野の一ドル銀貨(1966年 日本公開)

先日、半世紀以上ぶりにジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン「荒野の一ドル銀貨」を観ました。懐かしさと同時に、日米双方で西部劇や時代劇といった歴史劇が姿を消してしまった現実を思わず考えさせられました。 


アメリカで西部劇が衰退した理由の一つには、マカロニウエスタンが従来のヒーロー像を変えてしまったことが挙げられます。しかし、より根本的な原因は、侵略と虐殺という自国の「負の歴史」が若い世代にとって直視しがたいものとなったからでしょう。西部劇の舞台は、アメリカが触れられたくない恥部そのものなのです。

一方で、日本の時代劇は少し事情が異なります。江戸時代を中心とした時代劇には、対外侵略の歴史が描かれることはなく、むしろ鎖国の中での国内の発展や生活の様子が映し出されています。武士道精神、庶民の知恵や道徳観、共同体のあり方――そこには、現代にも学ぶべき価値観が数多く残されています。子供の頃に観た「銭形平次」や「水戸黄門」、あるいは若い頃に読んだ池波正太郎や藤沢周平の作品の中に、日本人の精神性や暮らしの知恵が脈々と受け継がれていました。   

にもかかわらず、今や時代劇はテレビや映画からほとんど姿を消しました。その理由は、衣装やセットに費用がかかること、視聴率が伸びないこと、そして若年層が古臭いと感じてしまうことにあります。まさにデフレスパイラルのように、作られないから観られない、観られないから作られない、という悪循環に陥っているのです。

背景には、制作側が若者に届く新しい価値観を時代劇に取り込めないこと、さらには社会全体に「歴史観」や「文化観」を育てる素養が乏しくなっていることもあるでしょう。これは日本の義務教育が歴史を「暗記科目」に押し込め、本当の意味での教養として伝えてこなかったことと無関係ではありません。

時代劇の衰退は単なるテレビ文化の衰退ではなく、日本人が自国の歴史や精神文化を手放しつつある象徴のようにも思えます。アメリカの西部劇が「恥部」を隠すために消えたのだとすれば、日本の時代劇は、受け継がれるべき精神を置き去りにして消えつつあるのかもしれません。だからこそ、その消滅には寂しさ以上の喪失感があります。

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2025年8月16日土曜日

邂逅と漂流の八十年

 

今週、母方の実家の墓じまい(二か所)が終わりました。

母方には現在、西宮の施設にいる92歳の叔母が一人残るだけで、跡取りはいません。したがって、先祖代々のお墓もここで幕を閉じることになったのです。 

お墓は奈良唐招提寺の裏手、小高い山にありました。子供の頃、その墓は竹林の中にあり、柔らかな木漏れ日と静かな空気に包まれていました。しかし、何十年にもわたる乱開発で山は削られ、今では周囲に住宅がぎっしりと立ち並び、その中に古い墓地だけが唐突に取り残されたような様相になっています。

縁というのは、不思議な言葉です。

難しく言えば「邂逅」。人だけでなく、モノや出来事、土地との出会いもまた、人生の方向を変えます。

父方の祖父は二十代で奈良・橿原を飛び出し、樺太の最北端へと移り住みました。営林署の若い役人でした。理由は定かではありませんが、父の話では古いしきたりや家の束縛から逃れたかったようです。結果として、祖父は奈良での安定した道ではなく、「迷子の道」を選んだのでしょう。戦局が悪化する中で奈良へ戻ってからは、死ぬまで裕福とはいいがたい暮らしが続きました。

樺太は、祖父が渡った時代も、そして八十年前の敗戦の夏も、激しい変動の地でした。ソ連軍の南下と混乱、大量虐殺、真岡郵便局の悲劇。朝鮮半島から仕事を求めて渡った数万人の朝鮮人は、1990年の韓国・ロシア国交回復まで帰国できずにいる人が多くいました。そこには、国境に翻弄される庶民の姿が幾重にもありました。
  
こうした歴史を思うと、いま日本が「政治の漂流状態」だと評される現状も、もっと長い時間軸で捉える必要があると感じます。
   
確かに現政権はリーダーの資質により漂流している。しかし、日本の漂流は今に始まったことではありません。戦後八十年、この国は本質的な意味で一度も政治が機能してこなかったのではないでしょうか。江藤淳が語った「忘れたことと忘れさせられたこと」。敗戦直後、日本人は強制的に忘れさせられました。そして今や、日本は自ら進んで忘れようとしているのかもしれません。自己欺瞞から虚無主義へと滑り落ちながら(ニーチェの言った、最後に立ち上がる虚無ではなく)。   

墓じまいは、単なる整理ではなく、血縁や土地の記憶との別れです。そこには、個人の記憶と、国家が選び取った「忘却の道」とが、静かに重なっています。振り返れば、漂流の八十年とは、結局のところ、私たちがその邂逅から目をそらしてきた時間なのかもしれません。

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2025年8月15日金曜日

海ゆかばと靖国の静けさ

 


日本の夏、とくに終戦記念日である八月十五日が好きではありません。


若いころから何度も口にしてきたことです。今年も例外ではありませんが、今年はとりわけ『海ゆかば』の旋律とともに、亡き父のことを思い出しています。

父は十数年前、83歳で亡くなりました。70歳で脳出血を発症し、亡くなるまで左半身麻痺の高齢者として生きました。私も来年は古希を迎えます。そのせいか、今年の夏は父の姿がことさら胸に浮かびます。そして、この国の政治家の発言や行動に、あらためてあきれ果てています。こんな人たちが日本という国家を動かしているのかと思うと、全く無責任だと感じます。メディアも同じです。私はテレビを見ませんが、YouTubeで断片的にコメンテーターの発言を耳にしたり、ネットで「識者」と呼ばれる人たちの言葉に触れたりします。しかし、その多くは非常にお粗末な認識にすぎません。40〜50年前も同じような気持ちで八月が嫌いでしたが、今の日本の状況はそれ以上にひどいと感じます。

父は戦争に行きませんでした。樺太西海岸の泊居(トマリオル)という小さな町で生まれ幼少期を過ごしました。父の父、私の祖父は奈良出身の営林署(宮内省林野局)の役人で国有林の管理が仕事だったみたいです。祖母は根室の人でした。小学校三年のとき、祖父の転勤で泊居から樺太庁の所在地である豊原市に移り住みます。暮らし向きはよく、父は読書好きな普通の少年だったようです。しかし戦局が悪化し、祖父の判断で故郷の奈良へ戻ることになります。この判断は絶妙なタイミングで、祖父の世界を読む目と判断力の確かさを物語っています。

終戦の年、父は15歳で、学徒動員により愛知の軍事工場に入り、ゼロ戦に搭載する20ミリ機関砲を作っていました。祖父も父も固定観念に縛られず、祖父は明治生まれでありながら自分で料理をし、茶碗を洗う人でした。奈良の立派な家系に生まれながら世界の森を渡り歩き、父もまた、自分の基準(物差し)で生きる人でした。若いころは会社で生意気だといじめられ、出世やお金とは縁がありませんでしたが、本を読み、絵や書、水墨画を楽しみ、車を愛しました。

70歳で倒れたあとも、76歳で妻を亡くしてからも、父は障害を抱えながら独りで前向きに暮らしました。戦争体験については多くを語りませんでしたが、何度か『海ゆかば』を口ずさむ姿を見ています。大伴家持が西暦783年に詠んだこの歌は、国のためではなく、愛する人のために命を捧げる鎮魂の歌です。人が生きるには理由が必要であり、人間は自らの生きる価値を見つけなければならないのだと感じます。

奈良中学(現・県立奈良高校)の時、父は勤労動員で豊橋の幸田へ行かされました。団塊世代のように戦争を知らないのではなく、少年期を戦争のただ中で過ごしたことが、単なる反戦ではないリベラルな思想の土台になったのだと思います。加えて、両親の自由な考え方も影響したのでしょう。

そんなことを思い出しながら、終戦の日のニュースを見ました。石破首相は靖国参拝を見送り、私費で玉串料を奉納すると言います。ほかの閣僚も「適切に判断する」と言葉を濁し、理由は語りませんでした。そもそも総理大臣が一個人として昭和の戦争を総括するなど、なんという傲慢な思い上がりでしょうか。私は、国のリーダーが靖国を無視することを理解できません。参拝は戦争を賛美する儀式ではありません。そこに眠るのは、名もなき兵士や、愛する人のために命を落とした人々です。他国への忖度であれ国内への配慮であれ、理由はどうあれ、国の礎を築いた人々への敬意すら示せないのなら、政治家としての資格は問われるべきだと思います。それを公言できないのが今の日本です。

靖国に行けとは言いません。しかし、せめて『海ゆかば』の静かな旋律を聴きながら、哀悼の意を表することがなぜできないのでしょうか。今年の八月十五日も、九段の空にその歌が流れることを、私は心から願っています。

そしてその旋律が、かつて命を賭した者たちの魂に、静かに届くことを信じています。

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2025年8月14日木曜日

お好み焼きと思考の高め方、ほんまに奥深いで

 


お好み焼きって、作り方がめっちゃ奥深いねん。関西人やさかい、ちょっと口出したくなるんやけど、ほんま奥が深いんよ。大きく分けたら関西風、関東風、広島風の三種類や。関西風と関東風は、具と生地を混ぜる「混ぜ焼き」が特徴や。キャベツはみじん切りにして、生地と具がよう混ざるようにするんやけど、関西風は生地少なめ、関東風は多めって違いもある。広島風は生地を薄うのばして、その上に具材をのせる「重ね焼き」。ひっくり返すときに散らばらんよう、キャベツは長めの千切りがええんや。


昨日、気合い入れて作ったんやけど、、、大失敗や。キャベツを粗みじん切りにしたつもりが、2~3センチ角になってもうてな。鉄板の上でキャベツが飛び散りまくって、えらいことになってもうたわ、「さっぱりワヤヤ」や。豚バラも、いつもは最初に焦げるまで焼いてから生地のっけるんやけど、今回は生地の上に豚バラのせて、かつお節もパラパラ。味はまぁまぁやったけど、細かい違いで全然変わるんやから、料理ってほんま面白いわ。

オイラが料理好きなんは、料理作りたいときだけ作るからやと思うワ。気が向いたときだけ手を動かす、そんなんがええんや。実は、手軽に達成感を味わえる単純作業の皿洗いも好きやで。これもまた、ちょっとした「作業の楽しみ」やねんな。

このお好み焼きの話、実は思考の進め方に似とるねん。料理も思考も、試行錯誤を重ねて「失敗の幅を狭める」作業や。キャベツの切り方や長芋の量ひとつで完成が変わるように、頭の中で言葉や考え方を整理して試すことで、思考の精度が上がるんや。読書も同じで、文章を読むことで知識や語彙を頭に蓄え、整理する。そうすると、自分の考えを組み立てやすくなるんよ。

書くことは、その読解力をさらに深める最良の手段や。ただ、ハウツー本ばっか読んで、チャットで短文のやり取りだけして満足してると、老後も内容のない生活になってまう。文章の要約や作成を生成AIに任せきりにすると、料理で例えたら「材料を放り込むだけで味見もせえへん」状態や。自分で試行錯誤せんまま完成品を食べるだけやから、思考力も深まらんわ。

だから、料理も思考も一緒や。手を動かして、材料を考えて、試行錯誤して、自分で組み立てる。その過程を楽しむんがほんまに面白いんや。お好み焼きも、文章も、人生も、奥深さを味わうことが大事やねんな。わかってくれはりますか?

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2025年8月13日水曜日

サックス11か月、まさかの初歩ミス発覚!

 27年前に息子のために買ったサキソフォン

当時、800ドルでした。


サックスを始めて11か月。これまで「なんだか楽器がぐらぐらして安定しないなあ…」とずっと思っていました。持ち方が悪いのか、それともサックスを構える位置に問題があるのかと思っていたら、まさか原因は自分の口にあったとは。

実は、吹奏楽出身の人たちと、私が目指す黒人ジャズやファンキー系サックスプレーヤーでは、口元の形が違うことは早くから分かっていました(ありがとうYouTube)。でも、口の中まで見せてくれる動画はない。まるで料理番組で「ここで味を整えます」の一言で終わらせるようなもので、肝心なところが素人にはわからない。

アンブシュア(マウスピースをくわえる形や筋肉の使い方)については、教則本にもネットにも「音色や音程、演奏の安定性が向上します」とは書いてあるけれど、どうやら一番大事なことが抜け落ちていたようです。

私の致命的ミス、それは――上の歯をマウスピースから浮かせて吹いていたこと。

「え?そんなの普通じゃないの?」と思ったあなた。違うんです。正解は、上の歯をしっかりマウスピースに当てて固定すること。そうすれば楽器はぐらつかず、口角も自然に締まる。

このことに気づいた瞬間、「なんだ、今までの私は水漏れ配管みたいな音を出してたのか…」と心の中で頭を抱えました。次からは、安定感のある音を出せるはず。あとは腕前がそれに追いつくのを待つだけ――人生の第四コーナーにいる自分に、まだ間にあうか?

Sax at Eleven Months — and the Rookie Mistake That Had Me Playing Like a Leaky Faucet
  
I’ve been at the saxophone for just under a year now, and for all that time one question haunted me: Why does this horn feel like it’s trying to wriggle out of my hands? I blamed my grip. I blamed my posture. I even blamed gravity. But the truth was far closer to my face — inside my mouth, in fact.

Early on, I spotted a difference between the neat, disciplined embouchures of concert-band players and the looser, swagger-infused style of the Black jazz and funk saxophonists I admire. (Thanks, YouTube.) Trouble is, YouTube never shows you what’s going on inside the mouth. It’s like a cooking show that cuts to the next scene after, “And now we season to taste.” Great — but what taste, exactly?

Method books and websites talk plenty about embouchure — that magical blend of mouth shape and muscle control that shapes your tone, intonation, and stability. But apparently, they’ve all been skipping over the one thing that could have saved me months of frustration.

Here it is: I’d been playing with my top teeth hovering above the mouthpiece. Floating. Not touching. Not anchoring.

If you just muttered, “Wait, isn’t that fine?” — nope. The pros rest their top teeth firmly on the mouthpiece, locking it in place like a tripod’s center pole. Do that, and suddenly the horn stops wiggling, the corners of your mouth pull in naturally, and the whole setup feels solid.

When I finally discovered this, I nearly dropped the horn. So all this time, I’ve been sounding like a busted water pipe? No wonder I couldn’t keep things steady.
Now, with this one fix, my tone’s got a fighting chance. All I need is for my chops to catch up. But here I am in life’s fourth quarter, racing the clock and hoping the music will still let me play overtime.

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2025年8月11日月曜日

戦後80年、日本は何を語るのか──歴史と未来の往復運動

戦後80年の言葉と歴史の重み

石破総理が「戦後80年談話」を出すかどうかで議論が起きています。国家の節目に発する言葉は、国内だけでなく海外にも響きます。そのため、首相がどのような歴史観を持ち、どれほどの教養と深慮を備えているかは、極めて重要です。軽々しい言葉は誤解や摩擦を招き、国益を損なう危険さえあります。残念ながら、近年の日本政治からは、真に歴史を踏まえた上での重い言葉が聞こえてくる機会が減っているように思います。

歴史と時代の往復運動

歴史を語るとき、私たちはしばしば「過去の事実をそのまま伝えること」と「現代的な解釈として物語ること」の間で揺れ動きます。けれど、どんなに過去を見ようとしても、そこにいるのは現代を生きる自分自身です。視点や感情が入り込み、事実は必ず再解釈されます。だからこそ、過去と現在は循環的に結びつき、互いに影響し合いながら理解が深まっていくのだと思います。

誰もが、自分と異なるもの、違和感のあるものを排除しようとする傾向を持っています。これは国家も同じです。アメリカはアメリカ以外のものを、中国は中国以外のものを排除する方向に動きます。その中で、日本のように「常に誰かに従属する」姿勢をとり続ける国は、人類史の中でも珍しい存在です。

グローバル化と分断の歴史

近代の世界は、つながりと分断を繰り返してきました。19世紀末、産業革命が世界を加速させ、資本や人が国境を越えて移動する第一次グローバル化が始まります。しかし1914年、第一次世界大戦がその流れを断ち切り、各国はブロック経済とナショナリズムへと傾きました。

戦後には再び逆の動きが生まれます。GATTやブレトンウッズ体制のもとで貿易と資本の自由化が進み、1980年代以降はインターネットの普及によって世界が“フラット”になったかのように見えました。けれど、2008年のリーマンショックやパンデミックを経て、国境や経済圏の壁が再び強まりつつあります。

この「つながり」と「分断」の往復運動は、歴史の中で何度も繰り返されてきました。

次の秩序を描くのは誰か

歴史はコピーのように繰り返されるわけではありません。けれど、似たような構造や力学は形を変えて現れます。つながりの加速 → 格差やひずみの拡大 → 社会の緊張 → 境界の再構築 → 新たな秩序の模索――。いま、私たちはその再構築の入り口に立っているのかもしれません。

この先の秩序や安定のかたちは、過去の延長線からは生まれにくいでしょう。国家も企業も教育も、既存の発想に頼る限り、同じ結果しか得られません。異なる視点や世代からの発想が求められています。

未来世代への呼びかけ

地図のない場所を歩くことは、苦しくもあり、同時に面白くもあります。
未来は遠くにあるのではなく、日々の選択と学びの積み重ねの中に少しずつ現れてきます。

戦後80年を機に、その一歩をどちらに踏み出すか――それは私たち自身の手に委ねられています。  

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