2026年3月13日金曜日

モチベーションは誰かが与えるものなのか ――日本社会が「やる気」を失った理由

 
今日のハンバーグ。
次はもっと美味しく作ろうと思っています。

最近、モチベーションに関する記事をいくつか読む機会がありました。

「仕事のやる気を高める九つの方法」
「モチベーションを維持する三つの習慣」

そんな類の記事です。

しかし、読めば読むほど、私はある違和感を覚えました。
そもそもモチベーションとは、誰かに与えてもらうものなのでしょうか

モチベーションとインセンティブは違う

まず、言葉を整理しておきたいと思います。

モチベーションとは、個々人の内側から出てくる「やる気」のことです。
「今日はモチベーションが上がらない」と言えば、「今日はやる気が出ない」という意味になります。

一方、インセンティブとは、モチベーションを引き出すための外的な刺激です。
いわば「ご褒美」です。

馬を走らせるためのニンジンのようなものです。

この二つは似ているようで、実はまったく違う概念です。

社会そのものがモチベーション装置になる国

少しアメリカの話になります。

アメリカの子どもたちは、日常の中でホームレスや麻薬中毒者を目にします。
その一方で、成功して大きな家に住み、カッコいい車を何台も持っている大金持ちも見ています。

ホームレスにはなりたくない。
成功して良い暮らしをしたい。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、まさにロールモデルです。

つまり、社会そのものが強いモチベーション装置として働いているのです。

平均化された社会の弱点

日本社会はそれとは対照的です。

極端な貧困も少なければ、桁違いの大金持ちもそれほど目立ちません。
平均化された社会は確かに優しい社会です。

しかし、あまりに平均化が進むと、
人が強い動機を持つ機会も減ってしまうのではないでしょうか。

日本の社会や学校には、モチベーションを刺激する要素が少ないようにも見えます。


日本の組織文化 ――「タコつぼ型」

さらに、日本の組織文化もこの問題に関係しているように思います。

日本の組織は、いわば「タコつぼ型」です。

専門分野を掘り下げることが美徳とされ、他の領域には立ち入らない。
表面上は波風が立たないため「和」が保たれているように見えます。

しかし実態は、無関心の連鎖です。

誰も決断せず、誰も責任を取らない。
こうして組織は、協働するチームではなく、

「並列する個」の集合体

になっていくのです。

承認不足という言葉の誤解

こうした環境の中では、モチベーションも外に求められるようになります。

上司が褒めてくれない。
評価されない。
だからやる気が出ない。

最近の調査でも、従業員が辞める理由の第一位は「承認不足」だそうです。

ここで言われている承認とは、おそらく英語の recognition の訳でしょう。
つまり評価やご褒美です。

しかし、これはインセンティブの話であって、
モチベーションそのものではありません。

モチベーションまで他人に依存するようになれば、
それはかなり危うい状態だと思います。

森鴎外『高瀬舟』の言葉

もう一つ、モチベーションを考えるうえで思い出す言葉があります。

森鴎外の『高瀬舟』です。

人は病があれば治りたいと思い、
食がなければ食べたいと思う。
たくわえがあれば、もっと欲しいと思う。


人間はどこまで行っても「もっと」を求める存在です。

かつてこれはアメリカ人の特性だと言われましたが、
日本もまた四半世紀遅れて同じ方向を追いかけているように見えます。

もっと快適に。
もっと豊かに。
もっと楽しく。

もし「もっと欲しい」だけがモチベーションであるならば、
人は年を取るほど利己的になっていくかもしれません。

だからこそ、「足るを知る」という感覚も必要なのではないでしょうか。

ハンバーグのモチベーション

私は、人間の成長は
問題を解決するプロセスの中で生まれると思っています。

そのプロセスは与えられるものではありません。
自分で見つけ出すものです。

仕事そのものだけではなく、
仕事の機会を見つけることも含めて、自分で創り出していく。

その中で人は成長します。

たとえば――

「次はもっと美味しいハンバーグを作ってやろう。」

そんな小さな動機でも構いません。

自分の中から自然に湧き上がる
「次はもっと良くしたい」という気持ち。

それこそが、本当のモチベーションなのではないでしょうか。

結局、モチベーションとは何か

結局のところ、モチベーションとは
誰かが与えるものではありません。

それは、自分の内側から生まれるものです。

ただし、日本社会には
その内発的なモチベーションを育てにくい環境があることも確かでしょう。

教育も組織も、長いあいだ
「指示を待つ人間」を育ててきました。

その構造が変わらない限り、モチベーションを語る議論は、どうしても表面的なものになってしまうのではないでしょうか。

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