2011年7月10日日曜日

凌霄花(ノウゼンカズラ)

三鷹の森 スタジオジブリのノウゼンカズラ

「ノウゼンカズラが咲くと梅雨が明ける」と言われたそうです。 漢字で書くと凌霄花です。パソコンで「のうぜんかずら」と入れてカナ漢変換すると、ちゃんと「凌霄花」と出てきました。優秀ですね。 中国語だと lingxiaohuaです。 凌霄とは、天まで届くという意味です。

凌霄花なんて、私はこの年になるまで知りませんでしたが、漱石も龍之介も子規も鴎外も、明治の文豪たちはみんな作品で使っています。

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2011年7月9日土曜日

プライドへの依存

広島原爆ドーム

エリック・ホッファーのアフォリズム(格言)は難しくてよく分かりませんでした。 ところが、今の日本にいると、私のような凡人でも、かなり理解できるようになりました。

自尊心(self-esteem)は、自らの潜在能力と実績から引き出されるのに対し、プライド(pride)は、もともと自分にないものと一体化して感じる価値の感覚であるそうです。 例えば、自分を空想のリーダーと同一化して勘違いしてしまう。 そして、自分に将来性と潜在的な能力がなければないほど、プライドへの依存は不可欠となる。 日本人の場合、このプライドの探究も集合体で、一度に一方向に進む傾向にあるのが恐ろしい気がします。

エリック・ホッファー 『情熱的な精神状態』

自立している人は、自尊心がある限り安定しています。自尊心を維持することは連続する辛い仕事です。そして、その仕事は個人の力や心の資源を全て奪ってしまいます。 日々、自らの価値を証明し存在を新たに正当化しないといけないのです。

理由が何であれ、自尊心が失われた場合、たとえこれまで何とか自立していた人でも、非常に崩れやすくなります。 単に将来性のない個人であっても、自尊心の危険な代用物、つまり、プライドを追いかけることに邁進するようになるのです。 全ての社会的な不安や経済的な衰退は、自尊心の危機に端を発します。 要するに、多くの大衆がいとも簡単に結束するような大きな試み(例えば、政権交代の情熱的な精神状態)は、自尊心の代替物としてのプライドの探求なのです。 

The individual on his own is stable only so long as he is possessed of self-esteem. The maintenance of self-esteem is a continuous task which taxes all of the individual’s powers and inner resources. We have to prove our worth and justify our existence anew each day.

When, for whatever reason, self esteem is unattainable., the autonomous individual becomes a highly explosive entity. He turns away from an unpromising self and plunges into the pursuit of pride-the explosive substitute for self-esteem. All social disturbances and upheavals have their roots in crises of individual self-esteem, and the great endeavor in which the masses most readily unite is basically a search for pride.


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2011年7月8日金曜日

一株の紫陽花


紫陽花は多くの作家が作品に書いています。 古くは万葉集にも出てきます。 太宰治の『雀』にも紫陽花が効果的に使われています。

太宰治 『雀』 (1946年)

あれはもう初夏の頃で、そろそろれいの中小都市爆撃がはじまって、熱海伊東の温泉地帯もほどなく焼き払われるだろうということになり、荷物の疎開やら老幼者の避難やらで悲しい活気を呈していた。

その頃の事だが、る日、昼飯後の休憩時間に、僕は療養所の門のところに立ってぼんやり往来を眺めていた。日でり雨というのか、お天気がよいのに、こまかく金色に光る雨が時々ぱらぱらと降って来るが、道路に腹がすれすれになるくらいに低く飛んで飛び去る。

僕はあの時、何を考えていたのだろう。道の向う側の黒い板塀の下に一株の紫陽花が咲いていて、その花がいまでもはっきり頭に残っているところから考えると、いは僕はそのとき柄にもなく旅愁に似たセンチメンタルな気持でいたのかも知れないね。

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2011年7月7日木曜日

もやちゃー入りラーメン


最近の私のブログは面白くないですね。 なぜだろう、、、。 ちょっと上から目線でエラそうだからでしょうか。

三島由紀夫は「死ぬには大義がいる」と言って死んじゃいました。 私は、生きるためには自分に自信がなくちゃいけないと思います。何だっていいんですよ。 他人が認めなくてもいい。 自己満足でいいから自分を信ずる気持ちが大事なのです。 自分は生きる価値がある、人生は楽しいと思えばいい。

ブログが面白くない理由は、もう一つあります。

水戸のご老公をロールモデルとする私としては、責任転嫁はしたくないの
ですが、日本の政治があまりにもお粗末で、皮肉の一つも書きたくなるからです。 私のような老百姓は自己満足の自信でいいでしょうが、一国のリーダーがそうだと困っちゃいますね。 国民はたまりません。 でも、国民のレベルにあった政府ではないかと言えば、、、、。 おっと、やめておきましょう。

写真は、自家製もやちゃー入りラーメンです。もやちゃーは、もやしとチャーシューの炒めものでネギとニンニクが少々入っています(ニラを使ってもかまいません)。 もやしはフライパンの火を消してから入れましょう。 余熱で十分です。 このままビールのつまみでもいいのですが、ラーメンにのせるとこれがまた美味い! 自己満足の自信で気持ちが高揚します。

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2011年7月4日月曜日

(続)太宰治のこと

久しぶりに間近で見た雀 @ 東名 富士川SA

6月13日は太宰治の命日でした。
玉川上水に入水自殺をしてから63年目です。

敗戦から自殺するまでの3年足らずの間、太宰治が書いた作品は、反骨の精神で貫かれています。 一つの情熱から180度転換し、別の情熱的な精神状態に移転した日本を批判しているかのようです。 太宰治は日本の未来に絶望して、そして、最後は自分を信じて自殺したのではないでしょうか? 好意的にとりすぎですか?(一人で死んでませんからね、、、)。

太宰の『雀』は、1946年に発表した短編です。 私には、1979年アカデミー賞を受賞したロバート・デ・ニーロ主演の『ディア・ハンター』とダブってしまいます。それは、2つとも戦争帰還兵が心身ともに負った傷や友情を醸し出しているからです。
著作権が消滅しているので、青空文庫でダウンロードできます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2273_20145.html

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_29.html
(過去のブログ「太宰治のこと」)。

『冬の花火』なんかを読むと、敗戦直後に太宰が感じた日本と今の日本と何が違うのかよく分からなくなります。

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2011年7月2日土曜日

節電という情熱的な精神状態?

午後10時半の三鷹駅ホーム

エリック・ホッファーは、『情熱的な精神状態』の中で以下のように述べています。

あらゆる情熱的な追究においては、追究という行為自身の方が、追究の対象よりも、はるかに重大なのだ(In every passionate pursuit, the pursuit counts more than the object pursued).

情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである(The passionate attitude is less a response to stimuli from without than an emanation of an inner dissatisfaction)。

節電に関する巷の声やマスコミの報道を聞いていると、ホッファーが言うところの『情熱的な精神状態』を思い起こします。 節電の情熱は、ホッファーが言うところの「内面的不満の発散」、つまり、日本人全体が「自己逃避」に邁進しているのではないかと考えてしまうのです。 不謹慎ですか?

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2011年7月1日金曜日

サラリーマンの夜

浜松町の夜

久しぶりに夜の浜松町です。 秋田屋さんは健在でしたね。 他にも屋外の飲み屋ができていて、金曜の夜でもないのに、仕事帰りのサラリーマンで賑わっていました。 湿度の高い暑さも手伝って、バンコクのパッポン・ストリートに来たのかと錯覚してしまいました。

日本のビジネスパーソンは、従来型の日本のフレームワークの中では十分に力を発揮するのでしょうが、その前提が崩れると、バックアッププランがないだけでなく、新しい発想で、新しい環境を考慮した、新たな人生戦略を策定する力に弱いと思います。 そういった教育を受けてきていませんからね。 若いサラリーマンには、現実を冷静に判断して、今の日本の閉塞感を打破して欲しいですね。

Being fatalisticもほどほどに。いや、余計なことでした。

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