2010年7月29日木曜日

太宰治のこと

後方が玉川上水の太宰治が入水したあたり

私の散歩道に、太宰治が山崎富栄と入水自殺した場所があります。歩道の脇に玉鹿石(ぎょっかせき)という岩石がポツンと置いてあるだけです。何の説明もなく、ただ「青森県北津軽郡金木町産 1996年(平成8年)6月」と書かれたプレートがあるだけなので(北津軽郡金木町は太宰の故郷)、ここが太宰治が入水自殺した地点とは分かりません。

小学校か中学校の教科書といえば、太宰治の「走れメロス」ですねぇ。なぜなんでしょうね?いまでも載っているようです。もし、太宰治がこのことを知ったら苦笑いでしょうか?太宰治は明治42年生まれ、自殺したのが戦後1948年(昭和23年)38歳の時です。太宰が「走れメロス」を書いたのは1940年30歳の時、真珠湾攻撃よりも前のことです。

太宰治は1945年に「パンドラの匣」、1946年に「十五年間」、1947年に「トカトントン」、「冬の花火」と「斜陽」、そして最後に「グッドバイ」と「人間失格」を発表しています。戦後の一連の作品をよーく読むと、太宰治の自殺は単なる心中ではなく、もっと複雑な要素がいっぱい絡まっていたのではないかと思ってしまいます。

敗戦後、日本国民は豹変しました。日本人の多くは、マッカーサーを征服者ではなく保護者と見なして従順に従いました。これには、マッカーサーも驚いたでしょうね。占領政策は、心配していた日本軍の武装解除なんて何の問題もなかった。それよりも、もっと重要なことに気付いた。それは、日本人の精神の武装放棄です。つまり、この国のバックボーンとなる文化と伝統ですね。それで、徹底した言論統制を行ったのです。占領軍の検閲は、検閲削除が行われた事実すら明らかにしてはならないという徹底したものでした。戦前戦中の日本政府よりも厳しかったんですね。これらは、学校の歴史の授業では出て来ません(興味のある方は、江藤淳著「忘れたことと忘れさせられたこと」文春文庫を読んでください)。

太宰治の戦後の一連の作品をよーく読んでみると、占領軍の検閲に対する憤りと、戦後180°転換した日本人に対する絶望感があるのではないかと思います。明らかに戦前戦中の作品とは違うように感じるのです。小学校や中学校で「走れメロス」を教えるのではなく、高校生になってから太宰治の戦後数年の作品を読ませて、戦後の日本文学とアメリカ軍の占領政策についてクラスで議論すると、かなり面白い授業ができると思います。

要するに、文学作品は書かれた時代背景を理解することが重要なのですね。

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「十五年間」(昭和21年)

真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措(お)いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由と内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの真の自由の叫びを認めてくれるに違ひない。

「冬の花火」(昭和22年)

「負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥かしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねえ、いままでどおりの生活がいつまでも続くとでも思っているのかしら、相変らず、よそのひとの悪口ばかり言いながら、寝て起きて食べて、ひとを見たら泥棒と思って、(また低く異様に笑う)まあいったい何のために生きているのでしょう。まったく、不思議だわ」。

「あたしは今の日本の、政治家にも思想家にも芸術家にも誰にもたよる気が致しません。いまは誰でも自分たちの一日一日の暮しの事で一ぱいなのでしょう? そんならそうと正直に言えばいいのに、まあ、厚かましく国民を指導するのなんのと言って、明るく生きよだの、希望を持てだの、なんの意味も無いからまわりのお説教ばかり並べて、そうしてそれが文化だってさ。呆れるじゃないの。文化ってどんな事なの? 文のお化けと書いてあるわね。どうして日本のひとたちは、こんなに誰もかれも指導者になるのが好きなのでしょう。大戦中もへんな指導者ばかり多くて閉口だったけれど、こんどはまた日本再建とやらの指導者のインフレーションのようですね。おそろしい事だわ。日本はこれからきっと、もっともっと駄目になると思うわ。若い人たちは勉強しなければいけないし、あたしたちは働かなければいけないのは、それは当りまえの事なのに、それを避けるために、いろいろと、もっともらしい理窟がつくのね。そうしてだんだん落ちるところまで落ちて行ってしまうのだわ」。

「トカトントン」(昭和22年)

もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。

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