2011年8月14日日曜日

献身という事 ~ devotion

さて、今年も8月15日がやってきます。 私は「もはや戦後ではない」と言われた世代の生まれですから、当然、1945年8月15日の記憶はありません。 しかし、昔から8月15日が嫌いでした。 三島由紀夫が言った「限りなき悲哀」を感じるからですね。

「人民の人民による人民のための政治」は、誰もが知っているリンカーンの有名なフレーズです。 しかし、リンカーンが演説で強調したかったことは、この部分だけではないと思います。 リンカーンは、「勝った側も、敗けた側も、戦死した人は無駄死にじゃないんだ」ということを言いたかったのです。

リンカーンのゲティスバーグ演説は短いので下に全文を載せます。 アメリカ人はdevotionという単語が大好きです。 組織で上司が部下を褒めたり表彰したりする場合には、必ず出てくる単語です。 リンカーンも演説の中で効果的に使っています(私は、リンカーンの演説に対して「虐殺され土地を奪われた先住民はどうなのよ!」と言う気持ちはありますよ)。

敗戦後の日本は、過去を上手に思い出すどころか、ダチョウのように頭だけを砂の中に突っ込んで、見たくないもの、知りたくないものを無視し続けて来たのでしょう。 小林秀雄が『無常という事』で言った、「人間の置かれる一種の動物的状態」なのでしょう。 福沢諭吉は、「禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言った訳ですが、敗戦後66年間の日本の教育の失敗は大きいですね。

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The Gettysburg Address
Gettysburg, Pennsylvania
November 19, 1863

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

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2011年8月13日土曜日

本物を見分けるには?

私が手に入れた12弦ギターは1977年製です。 単なる中古なのかアンティークなのか? 判断力をつけるには、もっとギターを買ってみないと、、、。

アメリカの町にはアンティーク・ショップが必ずあります。 どう見てもガラクタ屋に見えるのですが、堂々とアンティーク(antique)とかキュオリオ(curio)と看板を掲げています。 客は、ガラクタの中から「これは価値がある、 掘り出し物に違いない!」と、自分の眼を信じて購入するのです。
真贋能力を養うため、つまり、生きていく能力を身につけるために、街にはアンティークシップが多いのでしょうか?

福沢諭吉は『学問のすすめ』の中で言っています。

「事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。 この信義の際につき必ず取捨の明なかるべからず。 蓋(けだ)し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん」。 いつもの事ですが、福沢さんは凄いですねぇ。

昭和にも凄い人はいます。 小林秀雄です。 小林秀雄は、昭和19年から21年の『モオツァルト』まで何も書きませんでした。 終戦から戦後にかけて骨董品の売買をやっていたそうですが、そういった背景から『骨董』、『雪舟』、『偶像崇拝』、『真贋』等のエッセイを次々と発表しています。

「ジャーナリズムを過信しますまい。 ジャーナリズムは、しばしば現実の文化の巧まれた一種の戯画である」、「日本の敗戦は、板につかぬ観念が進み過ぎるというところにある」
と、本物を見分けられずに時局に便乗した知識人や、スローガンに踊らされた大衆を批判しているかのようです。 もしかしたら、明治維新直後に福沢諭吉が考えたことと同じだったのかも知れません。 維新後と敗戦後、そして今回の震災後は?

これからも日本人はオストリッチ・ポリシー(ostrich policy)を続けるか、それとも過去を上手に思い出しながら、遂に目覚める時が来るのでしょうか?

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/06/blog-post_09.html


2011年8月7日日曜日

鈴木バイオリン スリーエスギター












12弦ギターで弾ける曲ってあまりないですね。
「天国への階段」、「ホテルカリフォルニア」、、、

やはり、見て楽しむアンティークでしょうか? それでもいいですね。自己満足の世界ですから。




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2011年8月6日土曜日

空漠たるメッセージ


自分の生き残りのためならどんなに卑怯なことをやってもいい、、、広島の平和記念式典の首相を見ていてそう感じました。 「水戸黄門」の放送が打ち切られるのもわかります。 それでも、「原子力のあり方について方向付けをしてほしい」と、現政権に期待する国民がいるって一体何なんでしょうね?

日本は江戸時代に至るまで中国から様々なことを学びました。 明治になって近代国家を目指した時にはヨーロッパを模範としました。 昭和の敗戦後はアメリカの影に隠れて成長しました。5日、格付け会社のS&Pが米国の長期信用の格付けをAAAからAAプラスに引き下げました(日本は中国と同じ、AAマイナス)。アメリカを頼れなくなった日本は、くっつく相手もなく漂流しながら溶けていくのでしょうか?

日本人が世界で仕事をしようとすれば、日本人であることを意識せざるをえません。 すなわち、日本のアイデンティティを「上手に思い出す事」ができなければ、世界は相手にしてくれないでしょう。 日本にはまだアイデンティティの欠片は残っています。 ゼロから確立しなくても一つ一つを拾って、つまり、上手に思い出して、つなぎ合わせればいいのです。

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2011年8月4日木曜日

中古なのかアンティークなのか

何年かぶりにギターを買いました。

以前から欲しかった12弦ギターで、鈴木バイオリン製の1977年のものです(当時、鈴木バイオリンはギターを作っていました)。 体が中古なのかアンティークなのか、ガタが来たため、厄払い、お祓いの意味を込めての購入です。 眺めているだけで、そこはかとなき幸せがこみ上げてきます。 ギターを通して過去との対話です。

鈴木バイオリンの創業者、鈴木政吉さんという人はただ者ではありません。

明治20年頃、音楽教師を目指していた鈴木さんは、和製バイオリンと運命の出会いをします。徹夜で模倣し1週間でバイオリンの初作を完成させたそうです。 その後、舶来のバイオリンを見る機会があり、自分の作品と比較し、自分の作品がまだまだ完成の域に達していないことに気付き、バイオリン製作を天職にすることを決めたそうです。 日本の湿気にやられた舶来のバイオリンの修理をしながら本物を模倣し、とうとう日本の気候にあう鈴木バイオリンを完成させたのです。

学校で学んだことを、すべてを忘却してもなお残っているもの。それが、教育であると言ったアルベルト・アインシュタインは、バイオリンをこよなく愛し演奏家でもありました。 大正時代に政吉の息子たちが渡独し、アインシュタインに会う機会がありました。 アインシュタインは、鈴木政吉製作のバイオリンをドイツ製のものと弾き比べ、「音の出方、音の価値については到底貴下の父親の作品に比する価値はない。 自分の一生は勿論、永く家宝として愛用したい」と絶賛しています。 アインシュタインは、鈴木政吉に一通のサンキューレターも書いています。

日本人って、自然を写すことと同じように、火縄銃、軍艦、機関車などを模倣し、花火、造船、新幹線へと、一つ一つを自分たちの文化にしていったのです。 そして、その文化は独自の発展を遂げた。 100%模倣することから始まり、100%模倣できたところを起点として新たな文化を創造しました。 100%の模倣で終われば、それは、氷山の海上に出ている部分、つまり、知識の詰め込みだけだと思います(多くは100%の模倣すらできないで終わる、私の弾くギターのように)。 しかし、氷山の海上の部分と海面下の部分が格闘し、人の生き方(way of life)が決まる。 それは、恐らく国の成り立ちでもあるのでしょう。

鈴木バイオリンのギターカタログ。 日付は1977年(昭和52年)となっています(手に入れたのは、一番右のG-350Tです)。 明日は、私のギターの写真をUPしましょう。

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2011年8月2日火曜日

Turning Japanese(日本化)とアメリカ

アメリカのデフォルトは債務上限引き上げで回避されました。 英誌エコノミストは、欧米が日本化(Turning Japanese)していると揶揄しています。 意思決定の遅さからリーダーシップの欠如を批判しているわけです。
英誌エコノミストの表紙

今年も原爆記念日がやってきます。 日本の指導者って、原爆記念日に何を思うのでしょうね? 私はこの季節に日本にいるのが昔からいやでした。 日本もアメリカも嫌いになるからです。

「イギリスとの独立戦争を戦い、独立を勝ち取って成立したアメリカ合衆国は自由と平等の国、、、、」、日本のメディアでアメリカの歴史にふれるとき、いつもこのように始まります。 アメリカ人だって、臑に疵持つ身、全てを明らかにはしたくないのでしょうが、ほとんどのアメリカ人は、アメリカ先住民族(アメリカインディアン)虐殺の歴史を意識しています(反省しているかは別として、土地を奪ったのは事実ですから)。 高校の歴史の授業でも、pre-Columbus Americas(コロンブス以前の南北アメリカ)をしっかり教えています。

「神から与えられた神聖な使命である」と、キリスト教徒になるか皆殺しかの選択を迫り、先住民族の文化(氷山の海面下の部分)を破壊したこと、それが「野蛮」から「文明」への進化であると独善的に主張したのでした。 現代のアメリカは、先住民族がアメリカ大陸に何人いたのかを明確にしていないようです。 つまり、先住民族の数を明らかにすると、虐殺の規模が明らかになってしまうからです。 アメリカ建国の歴史が、スターリンや毛沢東の虐殺と並ぶような規模だと困っちゃいますものね。

『神神の微笑』(1922年 大正11年)は、芥川龍之介の日本論、日本人論です。

ヨーロッパから来たキリスト教宣教師が日本での布教活動の壁にぶちあたり、ホームシックになっている物語です。 物語の中で奇妙な老人が宣教師にささやきます。

「外国から日本に来たものは、表面上は勝利したように見える、例えば、中国の漢字やインドの仏教、しかし、これは日本化したものであり、彼らの勝利ではない。 事によると宣教師の神も、この国の土人に変るでしょう。我々は木々の中にもいます。 浅い水の流れにもいます。 薔薇の花を渡る風にもいます。 寺の壁に残る夕明りにもいます。 どこにでも、またいつでもいます。 御気をつけなさい。 御気をつけなさい、、、」。

芥川龍之介が言う日本化は、日本人が長年築き上げた「造り変える力」ですが、英誌エコノミストは、日本のリーダーシップは未開で遅れたものだ、アメリカ大統領も堕ちたものだねと、日本とアメリカを同時にシニカルに切って捨てています。

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