2011年8月13日土曜日

本物を見分けるには?

私が手に入れた12弦ギターは1977年製です。 単なる中古なのかアンティークなのか? 判断力をつけるには、もっとギターを買ってみないと、、、。

アメリカの町にはアンティーク・ショップが必ずあります。 どう見てもガラクタ屋に見えるのですが、堂々とアンティーク(antique)とかキュオリオ(curio)と看板を掲げています。 客は、ガラクタの中から「これは価値がある、 掘り出し物に違いない!」と、自分の眼を信じて購入するのです。
真贋能力を養うため、つまり、生きていく能力を身につけるために、街にはアンティークシップが多いのでしょうか?

福沢諭吉は『学問のすすめ』の中で言っています。

「事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。 この信義の際につき必ず取捨の明なかるべからず。 蓋(けだ)し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん」。 いつもの事ですが、福沢さんは凄いですねぇ。

昭和にも凄い人はいます。 小林秀雄です。 小林秀雄は、昭和19年から21年の『モオツァルト』まで何も書きませんでした。 終戦から戦後にかけて骨董品の売買をやっていたそうですが、そういった背景から『骨董』、『雪舟』、『偶像崇拝』、『真贋』等のエッセイを次々と発表しています。

「ジャーナリズムを過信しますまい。 ジャーナリズムは、しばしば現実の文化の巧まれた一種の戯画である」、「日本の敗戦は、板につかぬ観念が進み過ぎるというところにある」
と、本物を見分けられずに時局に便乗した知識人や、スローガンに踊らされた大衆を批判しているかのようです。 もしかしたら、明治維新直後に福沢諭吉が考えたことと同じだったのかも知れません。 維新後と敗戦後、そして今回の震災後は?

これからも日本人はオストリッチ・ポリシー(ostrich policy)を続けるか、それとも過去を上手に思い出しながら、遂に目覚める時が来るのでしょうか?

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/06/blog-post_09.html


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