何年かぶりにギターを買いました。
以前から欲しかった12弦ギターで、鈴木バイオリン製の1977年のものです(当時、鈴木バイオリンはギターを作っていました)。 体が中古なのかアンティークなのか、ガタが来たため、厄払い、お祓いの意味を込めての購入です。 眺めているだけで、そこはかとなき幸せがこみ上げてきます。 ギターを通して過去との対話です。
鈴木バイオリンの創業者、鈴木政吉さんという人はただ者ではありません。
明治20年頃、音楽教師を目指していた鈴木さんは、和製バイオリンと運命の出会いをします。徹夜で模倣し1週間でバイオリンの初作を完成させたそうです。 その後、舶来のバイオリンを見る機会があり、自分の作品と比較し、自分の作品がまだまだ完成の域に達していないことに気付き、バイオリン製作を天職にすることを決めたそうです。 日本の湿気にやられた舶来のバイオリンの修理をしながら本物を模倣し、とうとう日本の気候にあう鈴木バイオリンを完成させたのです。
「学校で学んだことを、すべてを忘却してもなお残っているもの。それが、教育である」と言ったアルベルト・アインシュタインは、バイオリンをこよなく愛し演奏家でもありました。 大正時代に政吉の息子たちが渡独し、アインシュタインに会う機会がありました。 アインシュタインは、鈴木政吉製作のバイオリンをドイツ製のものと弾き比べ、「音の出方、音の価値については到底貴下の父親の作品に比する価値はない。 自分の一生は勿論、永く家宝として愛用したい」と絶賛しています。 アインシュタインは、鈴木政吉に一通のサンキューレターも書いています。
日本人って、自然を写すことと同じように、火縄銃、軍艦、機関車などを模倣し、花火、造船、新幹線へと、一つ一つを自分たちの文化にしていったのです。 そして、その文化は独自の発展を遂げた。 100%模倣することから始まり、100%模倣できたところを起点として新たな文化を創造しました。 100%の模倣で終われば、それは、氷山の海上に出ている部分、つまり、知識の詰め込みだけだと思います(多くは100%の模倣すらできないで終わる、私の弾くギターのように)。 しかし、氷山の海上の部分と海面下の部分が格闘し、人の生き方(way of life)が決まる。 それは、恐らく国の成り立ちでもあるのでしょう。
鈴木バイオリンのギターカタログ。 日付は1977年(昭和52年)となっています(手に入れたのは、一番右のG-350Tです)。 明日は、私のギターの写真をUPしましょう。
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石川県プレミアムツアー 第二日 山中温泉こおろぎ橋畔 料亭明月楼
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(2020年2月26日水曜日投稿「石川県プレミアムツアー 第二日 山中温泉かよう亭 ④日本一の朝御飯」
https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_26.html より続く)
山中温泉の街を散策した後、こおろぎ橋のたもとにある「明月楼」さ...
4 年前
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