2025年7月29日火曜日

生成AIは使い方しだい


中高生にとっての“麻薬”、高齢者にとっての“話し相手”

生成AIというツールは、使い方次第で非常に有効な道具となります。決して否定するつもりはありません。ですが、その活用には注意が必要です。特に中学生や高校生といった、学びの初期段階にある若い世代にとっては、誤った使い方が思考の成長を妨げてしまう危険性があります。


なぜなら、生成AIが文章を自動で整えてくれることで、「知識を獲得し、それを言語化して自分の言葉にする」という本来の学びのプロセスが飛ばされてしまうからです。つまり、土台のない状態でこのツールに頼ると、思考停止を招きかねないのです。

実際、文章表現の力を育てるには、「絵日記」から始まり、「作文」→「小論文」→「論文」へと段階を追って鍛えていく必要があります。しかし、今の日本の教育制度では、このプロセスが軽視されがちです。特に「作文」から「小論文」への移行段階は、思考の深さや論理性、構造力を育むために非常に大切です。それが十分に訓練されないまま、子どもたちは受験という名のベルトコンベアに乗せられて社会に出ていきます。

そして残念ながら、そのような教育を経た人々が、そのまま社会人となり、ビジネスの世界で文章を書き、英語を使い、交渉を行っています。英語での実務的なやり取りには、自分の意見を論理的に構造化し、相手の理解度に応じて言葉を選ぶ力が不可欠です。つまり、「小論文」を経て「論文」に至るような、段階的な訓練がないと、本当の意味での対話力も育ちません。

さらに困ったことに、こうした作文レベルのまま大人になってしまった人々の中から、政治家が生まれているのです。現総理大臣などは、その典型のように見えます。

小学生の作文には、自分の心理の中にいったん事柄を取り込んで、主観化されたものとして語るという特徴があります。その過程では、浅い概念や漠然とした感情によって、事実が歪められてしまうことが少なくありません。もちろん、それは小学生にとっては自然なことです。しかし、国のトップに立つ人物がそのレベルのまま物事を語るとしたら、それは極めて由々しき事態です。

本来、政治家の言葉や判断は、個人的な感情に流されるのではなく、社会的に、客観的に語られなければなりません。小学生の作文のように、主観化や内面化に走らず、構造的・論理的であるべきなのです。ですが、社会経験も乏しく、70歳を目前にしてなお、言葉の訓練がなされていない人物に、いまさらその力を求めるのは難しいでしょう。ならば、せめて私たち一人ひとりが、無能な者に権力を与えない感覚を持たねばならないと思います。これは、かの水戸黄門も言ったことではないでしょうか。

さて、政治の話はこのあたりにして、もう一度生成AIの使い方に戻ります。

若い人たちにとっては、まず本をたくさん読むことが大切です。語彙や構文、概念を自分の中に蓄積することで、思考の基盤ができあがります。さらに、自分の身体で経験を重ね、それを頭で反芻し、理解として取り込む。こうした積み重ねがあってはじめて、生成AIは学びを助ける「道具」として活用できるようになります。

一方で、高齢者にとっての生成AIは、「話し相手」や「遊び友達」としても機能し得るでしょう。誰にも遠慮せず、自分のペースで対話ができるという点では、とても心強い存在です。ただし、この関係も、使い手自身に一定の言語的・概念的な蓄積があってこそ成立するものです。それがなければ、生成AIとの会話は表面的なやりとりに終わってしまいます。

忘れてはならないのは、生成AIは「単語の並べ方を知っている」だけであって、本当の意味で考えているわけではない、ということです。その限界を理解し、適切な場面で使えば、これほど便利な道具はありません。しかし、学びの土台が未形成な段階でこの「便利さ」に飛びついてしまうことは、むしろ学ぶ力を奪う危険があるのです。

だからこそ、私たちは今、生成AIとどう付き合うかを、一人ひとりがしっかり考える必要があるのだと思います。

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