昔の自分の日記に、こんな一節がありました。
「契約には Terms and Conditions(Ts and Cs)がある。世界では Ts(Terms)が Conditions より前に来るのが常識。ところが日本では、Conditions(条件) ばかりに目を奪われて、本当に大事な Ts——つまり ”いつ終わるか・どう終えるか” を見ていない」
これは、かつての先輩がよく語っていた契約の鉄則でした。
「日本のエリート政治家がこのレベルじゃ、 世界の強者とまともに交渉なんて夢のまた夢だよ」
この言葉を、今あらためて思い出させてくれたのが、石破内閣によ
合意文書が存在しないという異常
先日、日本政府は米国との交渉で「合意に達した」 と胸を張りました。しかし、その合意の正式な文書はどこにも存在しません。 署名もない、共同声明もない、合意文の読み上げすらない。
これでは、国際社会のルールで言えば、「合意」ではなく「 口約束」です。
民間企業でも、 契約書がないまま進めるビジネスなどまずありません。なぜなら、書かれていない約束は守られないからです。
先日、日本政府は米国との交渉で「合意に達した」
これでは、国際社会のルールで言えば、「合意」ではなく「
民間企業でも、
アダム・スミスもあきれる「契約観」の欠如
以前、上海で若い中国人スタッフにこんな話をしたことがあります。
「アダム・スミスは言った。経済社会を成り立たせるには、“正直であること”と“時間を守ること”の二つが前提だと」
この“時間”とは、契約における 期間や期限(=Terms) を指します。それが曖昧なまま交渉をまとめたと主張すること自体、契約の初歩が理解されていない証拠でしょう。
忘れてはならないのは、アメリカは“書かれていないことの意味”
今回、彼らがあえて文書化を避けたのは、将来的に自分たちの都合
これからアメリカはこう言うでしょう:
- 「あの条件には期限なんてなかったはずだ」
- 「あれは“努力する”と言っただけだ」
- 「我々の国内事情が変わったので、合意内容も当然見直される」(
トランプ大統領の気分しだいで、、、)
書かれていない“合意”は、存在しないのと同じ
契約の基本とは、曖昧さを排除することです。それが外交でも同じであることは、国際交渉の常識です。
にもかかわらず、「合意できた」
今後、日本はこの「合意なき合意」のツケを、一方的な解釈変更と
外交は、言葉ではなく「紙」に残すことで初めて意味を持ちます。石破内閣の交渉は、契約とは何か、国家とは何かという根本への理
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