2025年7月27日日曜日

合意なき合意

 昔の自分の日記に、こんな一節がありました。

「契約には Terms and Conditions(Ts and Cs)がある。世界では Ts(Terms)が Conditions より前に来るのが常識。ところが日本では、Conditions(条件)ばかりに目を奪われて、本当に大事な Ts——つまり ”いつ終わるか・どう終えるか” を見ていない」

これは、かつての先輩がよく語っていた契約の鉄則でした。彼は続けてこう嘆いていました。35年以上前の話です。

「日本のエリート政治家がこのレベルじゃ、世界の強者とまともに交渉なんて夢のまた夢だよ」

この言葉を、今あらためて思い出させてくれたのが、石破内閣によるアメリカとの関税交渉です。

合意文書が存在しないという異常

先日、日本政府は米国との交渉で「合意に達した」と胸を張りました。しかし、その合意の正式な文書はどこにも存在しません署名もない、共同声明もない、合意文の読み上げすらない。

これでは、国際社会のルールで言えば、「合意」ではなく「口約束」です。

民間企業でも、契約書がないまま進めるビジネスなどまずありません。なぜなら、書かれていない約束は守られないからです。

アダム・スミスもあきれる「契約観」の欠如

以前、上海で若い中国人スタッフにこんな話をしたことがあります。

「アダム・スミスは言った。経済社会を成り立たせるには、“正直であること”と“時間を守ること”の二つが前提だと」

この“時間”とは、契約における 期間や期限(=Terms) を指します。それが曖昧なまま交渉をまとめたと主張すること自体、契約の初歩が理解されていない証拠でしょう。


アメリカは「書かれていない約束」を武器にする

忘れてはならないのは、アメリカは“書かれていないことの意味”を熟知しているという点です。

今回、彼らがあえて文書化を避けたのは、将来的に自分たちの都合のいいように“合意”を再解釈できるようにするためです。

これからアメリカはこう言うでしょう:
  • 「あの条件には期限なんてなかったはずだ」
  • 「あれは“努力する”と言っただけだ」
  • 「我々の国内事情が変わったので、合意内容も当然見直される」(トランプ大統領の気分しだいで、、、)
つまり、「書かれていないからこそ」、解釈の余地が無限にあるです。これは、交渉における極めて冷静かつ合理的な戦略です。


書かれていない“合意”は、存在しないのと同じ

契約の基本とは、曖昧さを排除することです。それが外交でも同じであることは、国際交渉の常識です。

にもかかわらず、「合意できた」という言葉だけを国内向けにアピールし、肝心の「Terms(期限・終了条件)」を曖昧にしたまま、文書も作らずに交渉を終えたこの政府の姿勢は、正直に言って稚拙としか言いようがありません。

今後、日本はこの「合意なき合意」のツケを、一方的な解釈変更というかたちで支払い続けることになるでしょう。

外交は、言葉ではなく「紙」に残すことで初めて意味を持ちます。石破内閣の交渉は、契約とは何か、国家とは何かという根本への理解を、私たちに問い直させるものとなりました。

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