マンハッタンのコープ
歴史が繰り返す日米関係の歪みと現代の危機
今回の日米関税交渉を見ていて、私はどうしても1985年の一連の出来事──JAL123便の墜落事故、そしてプラザ合意──を思い出してしまいます。あの年以降、日本は中長期にわたってアメリカ・ボーイング社から大量の航空機を購入していくことになります。さらに、円高誘導によるバブル経済、そしてその崩壊と長期停滞へと続く道筋が始まりました。
こうして見ていくと、当時から現在に至るまで、日米間には不均衡な構造が繰り返し再生産されてきたのではないかと思えてなりません。
今回の交渉も、その延長線上にあるように見えます。アメリカ側の要求は一方的で、日本側は譲歩を重ね、関税率や投資額、利益配分においてほとんど主導権を握れないままでした。これは果たして交渉と呼べるものだったのでしょうか。まるで、アメリカ経済の立て直しのために、日本が一方的にリソースを差し出しているようにすら感じます。恐らくトランプ大統領の意図はそこにあったのでしょう。
私自身、かつてマンハッタンでマンションを購入・売却した経験があります。しかも、マンハッタンの「コープ」という特殊なマンションの所有形態には、管理組合がとても強くて、個人の自由がかなり制限される構造がありました。誰が住めるか、売れるか、値段はいくらか……全部審査があって、自由市場とはとても言えません。こうした制度や感覚が、今のトランプ大統領の交渉にも根っこでつながっている気がします。まさに強引で感情的な、考える余地を与えない交渉スタイルです。そして、そうしたアメリカ側の押しに対し、日本政府は今回もまた抗うことなく飲み込んでいったように見えます。
思い返せば、真珠湾攻撃の前夜も似た構図でした。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、意図的に世論を煽り、反日感情を醸成することで、第一次世界大戦後の自国の経済危機や政権維持のための対日圧力を強めていきました。もちろん、狂信的な日本軍部の暴走はありましたが、日本は外交による調整を試みていたのです。最終的に戦争という道に追い込まれていったことは、その過程の悲劇でした。アメリカ側の意図的な挑発や包囲網も決して見過ごせません。
そもそも1941年当時、日本はアメリカとの衝突を避けるため、粘り強く交渉を続けていました。政府も外交も、調和と平和的解決を模索していたのです。しかし、戦後80年が経った今、日本はあの時よりもさらに主体性を失ってしまいました。もはやアメリカの強圧だけが原因なのではありません。今回は、史上最低か、最低から二番目と言われるような内閣が、日本のかじ取りをしているのです。これほどアメリカにとって都合の良い状況はありません。
そして今の日本政府の姿勢は、明らかに「強制された服従」ではありません。これは、日本自身がすすんで服従している、「自発的隷従」なのです。
***
0 件のコメント:
コメントを投稿