ブルスケッタという料理の名を、初めて聞いたのは1990年ごろのニュージャージーでした。
「ブルスケッタ」とはイタリア語で、表面をあぶって焼いたパンにオリーブオイルやニンニクを塗り、トマトなどの具材をのせた前菜です。見た目はカナッペに似ていますが、パンを焼いて少し焦げた香ばしさを加えるところが特徴的です。
当時私は、マンハッタンの営業所の一員として、トライステート(ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット)のクライアントを車で訪問して回っていました。ニュージャージーでは製造業のクライアントが多く、その日も日系企業をいくつか訪ね、昼食時にはイタリア系アメリカ人の同僚と小さなレストランに入りました。
カウンター席に座ると、彼は迷うことなくワインと前菜を注文しました。「ブルスケッタ」と聞こえた気がしたのですが、「プルスケッタ」なのか「ブルスケッタ」なのか、当時の私には正確に聞き取れませんでした。
田舎育ちでハイカラな食べ物に疎い私にとって、それは見るのも初めての料理でした。焼き目のついたバゲットの上に鮮やかなトマトがのり、香ばしいオリーブオイルの香りが漂っています。ひと口食べて、すっかり気に入ってしまいました。以後、我が家の食卓にもときどき登場するようになりました。
些細な出会いかもしれません。大人になってからの出会いでしたが、この小さな前菜は、確かに私の味覚と記憶に刻まれ続けています。
思えば、人生とはこうした「邂逅」の積み重ねなのかもしれません。食べ物にせよ、人にせよ、風景にせよ、自分の外に一歩踏み出したときにだけ訪れる、偶然のような、必然のような出会い。それを逃さず受け止めるには、多少迷子になる勇気も必要なのだと、若いころの私はどこかで独善的に思っていました。
あの焦げたパンの香ばしさは、いまでもふと記憶の中によみがえります。ブルスケッタとの邂逅は、私にそんな人生の断片を思い出させてくれるのです。
当時私は、マンハッタンの営業所の一員として、トライステート(ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット)のクライアントを車で訪問して回っていました。ニュージャージーでは製造業のクライアントが多く、その日も日系企業をいくつか訪ね、昼食時にはイタリア系アメリカ人の同僚と小さなレストランに入りました。
カウンター席に座ると、彼は迷うことなくワインと前菜を注文しました。「ブルスケッタ」と聞こえた気がしたのですが、「プルスケッタ」なのか「ブルスケッタ」なのか、当時の私には正確に聞き取れませんでした。
田舎育ちでハイカラな食べ物に疎い私にとって、それは見るのも初めての料理でした。焼き目のついたバゲットの上に鮮やかなトマトがのり、香ばしいオリーブオイルの香りが漂っています。ひと口食べて、すっかり気に入ってしまいました。以後、我が家の食卓にもときどき登場するようになりました。
些細な出会いかもしれません。大人になってからの出会いでしたが、この小さな前菜は、確かに私の味覚と記憶に刻まれ続けています。
思えば、人生とはこうした「邂逅」の積み重ねなのかもしれません。食べ物にせよ、人にせよ、風景にせよ、自分の外に一歩踏み出したときにだけ訪れる、偶然のような、必然のような出会い。それを逃さず受け止めるには、多少迷子になる勇気も必要なのだと、若いころの私はどこかで独善的に思っていました。
あの焦げたパンの香ばしさは、いまでもふと記憶の中によみがえります。ブルスケッタとの邂逅は、私にそんな人生の断片を思い出させてくれるのです。
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