あさりの酒蒸し
料理を作って味わうことから何を感じ、どう生きているかを確認する
AIの進化と普及によって、仕事がなくなるのではないか、雇用が奪われるのではないかという不安が高まっているというアメリカ発信の記事を読みました。アメリカの経営者たちはこの問題についてさまざまな見解を表明し、それを日本のメディアも大きく報じている。だが、その報道に接するたびに、私は違和感を抱くのです。
日本とアメリカでは、そもそもビジネスの環境も、テクノロジーに対する感覚も大きく異なります。アメリカの経営者の発言を、そのまま日本に当てはめることには無理があります。
実際、「AIによる業務の効率化が従業員のレイオフにつながるか?」という問いひとつ取ってみても、日本とアメリカでは事情がまるで違う。アメリカでは、雇用の契約形態も職務分掌も明確で、「仕事がなくなればクビ」というのが合理的な現実として受け入れられています。一方、日本ではたとえ業務がAIで効率化されようとも、それだけで即レイオフという話にはなりにくい。むしろ、新しい仕事を生み出すことで雇用を維持する方向に知恵が絞られる。
アメリカの企業で働くと、大きく分けて二つのレイヤーが存在します。ひとつは、マネジャーやマネジメント層を目指す層。もうひとつは、昇進は望まないが一定の給料を安定的に得られればよいという層です。後者は、AIによって職務が代替されるとレイオフの対象になりやすい。AIによって業務が合理化されれば、「人間である必要がない」と判断されてしまうからなのです。
加えてアメリカの職場では、実力を上げて成果を出し続ければ、それに見合った報酬が得られる仕組みになっている。難度の高い仕事に挑み、評価を得れば給料が上がる。さらに、実力をつけた人材は、より高い報酬やポジションを求めて他社へ転職するという選択肢も当然のように存在しています。こうした流動性の高さと成果主義の文化の中では、AIの登場が直接的に「雇用喪失」につながりやすい構造があるのは否めない。
では日本はどうでしょうか。日本の企業には、アメリカのような明確な職種区分や、昇進を前提としたレイヤーの分断がそれほど強くない。マネジメント層と非マネジメント層の間にも、大きな構造的な隔たりは存在しない。しかも、雇用の安定性が強く意識される日本社会では、AIによる業務効率化が直ちにレイオフにつながることは稀だと思います。企業はむしろ、社員を別の部署に異動させたり、AIに置き換えられない仕事を新たに作り出すことで、雇用の継続を図ろうとする傾向が強いと思います。
ただし、これは楽観してよい話ではありません。たとえAIが「人間の仕事を奪わない」としても、それは人間が何もせずに済むという意味ではない。むしろ、AIをどう使いこなすか、どう人間の思考や創造性や判断力と組み合わせるかが、今後の仕事の質を決定するのです。とくにマネジメント層にとっては、AIの力を戦略的に使いこなすスキルが求められる一方で、AIに判断の主導権を握られてしまえば、自らの役割を失いかねないというリスクもあるのです。
さらに、AI導入による法的リスクも無視できません。たとえば、AIに業務を全面的に委ねた結果、著作権侵害や誤った判断による瑕疵担保責任が発生し、訴訟に発展するようなケースも想定される。場合によっては、それが企業の存続に関わる重大な問題へと発展することもあります。
だからこそ、日本社会は、日本の環境に合ったAIとの付き合い方を自分たちの頭で考えなければならないのです。AIという新たなテクノロジーの本質と進化をしっかりと理解し、日本固有の制度、文化、倫理観を踏まえた合理的かつ持続可能なプランを構築していくべきです。
未来は、予測ではなく設計(ビジョン)するものです。その設計において、AIに任せきりになるのではなく、人間がAIをどう使いこなし、ともに進化していくかが、これからの鍵を握っています。日本政府や経済界のお歴々に任せておいても大丈夫なのか? 教育界の重鎮は現状をどこまで理解しているのでしょうか?
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