ガラパゴスAIでもいいじゃないか
中国のAI開発は、どうやらこのまま独自路線を突き進む構えのようです。しかもその進化は、あくまで中国共産党の方針に則ったかたちで行われる見込みです。つまり、都合のいい出力だけをAIにさせ、検閲済みのコンテンツを中国国内はもちろん、東南アジア、アフリカ、南太平洋の小国、さらには南米諸国へと拡散していく。もう始まっていると言っても過言ではないでしょう。
一方、三権分立などという「面倒な仕組み」が存在しない国が、AIの世界で主導権を握ることには、大きな危険がつきまといます。チェック機能がないAIほど恐ろしいものはありません。言ってみれば、ノーブレーキで暴走する大型トレーラーのようなものです(loose cannon)。
アメリカもまた、AI規制については頭を抱えています。州ごとに法律が異なるうえ、利害関係者も多く、法整備はまるでジャングルの中を手探りで進む探検のようです。自由は多いが、統一感はない。それがアメリカの強みでもあり、弱点でもあります。
日本に残された可能性
では日本はどうか。実は、AI時代の“隠れた本命”になり得る条件がいくつか揃っています。中央集権型の統治システムを活かせば、AIに関する法整備も比較的スムーズに進められるはずです。もっとも、そこにはリーダーシップという魔法の言葉が必要です。そして、それが今の日本に最も欠けているという現実。何とも皮肉な話です。
さらに残念なことに、日本の政治家にはリーダーシップだけでなく、AI時代にもっとも求められる「倫理観」が見当たりません。倫理と論理の区別もつかないのでは?と首をかしげたくなるような発言が、党首討論でも飛び交っています。
政治家こそ、AIのように強大な力を持ちながらも、国民のことを考える倫理観を第一にすべき存在のはずです。そもそも、そういう志があって政治家になったのではないのでしょうか。そう信じたいのですが、政治家の言動を見る限り、その “はず” はもはや “幻想” なのかもしれません。
文明が文化を食いつくすとき
AI技術の発展は、確かに人類にとって大きなチャンスでもあります。しかし、それは同時に、文化という繊細で時間をかけて育まれてきたものを破壊する力をも内包しています。アメリカと中国に共通するのは、他国の文化をあまり尊重しないという姿勢です。効率と支配、合理と規模。そんな価値観がAIと結びつくと、世界は文化の砂漠と化すかもしれません。
それに対して日本は、数千年にわたって文化を育んできた稀有な存在です。明治維新以降、急速に西洋化を進め日本精神の崩壊を促進した。敗戦後はアメリカ化に突き進みましたが(自発的隷従)、まだ取り返しがつかないほどではありません。今こそ、自国の文化と精神を見つめ直すチャンスではないでしょうか。
ガラパゴスAIという選択肢
「日本のAIはガラパゴスだ」と笑う声もあるかもしれません。しかし、文化を土台にした “ガラパゴスAI” こそが、世界に一石を投じる価値のある存在ではないか? 合理性だけを追い求めるのではなく、倫理観、精神性、そして多様性を重んじる技術のあり方を提示する。そんなAIなら、人間社会との共存も夢ではないはずです。
日本にはその提案をする資格がありますし、責任もあります。必要なのは、未来を見据えたビジョンと、それを語れるリーダーです。そして何より、文化の重要性を忘れない感性です。
高齢者としての、ひとりごと
私はもう高齢者です。この国の行く末を決めるような大きなことはできません。能力も財力もありません。静かに暮らし、やがて黙って消え去る存在です。しかし、今の政治や政治家を見ていると、やはり黙っていられない。子や孫が生きていく未来の日本が、文化も倫理も失った無機質な国になるかもしれないと思うと、不安を覚えます。
どうか日本のリーダーたちに、文化と文明のバランス感覚を取り戻してもらいたい。そして、日本という国が「人間らしさ」を軸にAIとの向き合い方を世界に提示できる……そんな幻想くらいは、まだ捨てきれずにいます。
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