2025年7月7日月曜日

国の未来を語れない人たちが、未来を握っている件

日本の夜明けはくるか? それとも将来はすべて山の中か?

たまには政治家の“生の声”でも聞いてみるか。参院選も近いことだし、各党の党首が何を語るのか一応チェックしておこう。そう思って、車のラジオをつけたのですが……五分もしないうちに不愉快な気分になりました。


いや、ひどい。あまりにもひどい。

議論の低空飛行ぶりに耳を疑ったのは、一度や二度ではありません。企業経営をしていると、財務諸表のトップの数字、つまり売上高が作れないことが何よりつらいものです。日本の最大の問題は、まさにこの「トップの数字」が国として作れていないことにあります。にもかかわらず、言い方は違いましたがその核心に触れたのは作家の百田尚樹さんだけでした。あとは数字をいっぱい並べて胡麻化そうとするだけで、それではやたら味を濃くする素人の料理と同じです。言葉はあっても、その重みが感じられない。ビジョンを提示し、実行計画を聞かれているのに、そこから逃げているように見えました。

私にとって驚きだったのが、山本太郎が「少しだけ」まともに聞こえたことでした。

あの山本太郎が、です。私にとって彼のイメージは、映画『難波金融道』に出てきた、調子のいいノリで利息の取り立てをする闇金の舎弟公平くん。威圧感ゼロの軽薄キャラ。信用できる人物だとは今でも思っていませんよ。ただ、それほどまでに他の党首たちの話がひどかった。相対的に見えてしまっただけです。むしろ、そう見えてしまったこと自体が、日本の政治の末期的症状を表しているのではないでしょうか。

石破さんに至っては、いったい何を言っているのかもよくわからない。

テープの再生どころではなく、どこを見て誰に向かって話しているのかが不明。人間の温度というよりも、私の人生において、絶対に友達にはならない種類の人です。私は石破さんを何十年も前から見ていますが、安倍元総理が「一番総理にしてはいけない人物」と評したのも頷けます。しかし、その石破さんが、総理大臣になってしまった。神輿は軽い方がいい。官僚にも、野党にも、敵対国にも、そして党内のライバルにとっても。

維新の吉村さん、国民民主の玉木さんも同様です。言葉が薄っぺらい。社会経験が乏しいから、言葉に血が通っていない。結局のところ、彼らも「選挙目当て」で、使い回しのセリフを繰り返しているにすぎません。

被害を被っているのは、私たち国民です。

無能で、しかし権力欲だけは強い。そんな人物を「トップ」に据える代償を、国民が税金というかたちで負担している。本当に怖いのは、こうした光景に、国民が何も感じなくなっていることです。いや、正確には、「感じてはいるけれど、諦めている」ことです。何を言っても無駄。誰がやっても同じ。選んでも、変わらない。そんな空気が、社会全体に広がっています。

こうした政治家たちの姿を見ていて、作家である百田さんの言っていることが一番まともに思えました。いや、正確には、私の考えと近い部分がいくつかあったというだけです。ただし、それを公言するのは、「日本の空気」の中ではあまりにも誤解を生みやすい。だから、これまであえて言及しませんでした。こうして「言ったら損」という雰囲気そのものが、この国の病なのかもしれません。

たぶん、私たちはもう、とっくに答えを知っているのかもしれませんね。

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