2025年7月16日水曜日

Red Eye Back ― 奈良からの夜明け

 



ニューヨークからロサンゼルスまでは直行便で6時間、時差は3時間あります。朝早くNYを出ても、着くのはLA時間の夕方で、実質的に仕事にはなりません。ディナーミーティングに参加するくらいです。そして問題は帰りです。LAで仕事を終え、午後9時や10時発のJFK便に乗ると、NYには翌朝6時に着きます。そのままオフィスに向かうわけです。アメリカ人ビジネスマンの朝は早いのです。red eyeとは、そういう移動でした。マネジメント層にとっては、これをこなして一人前、という空気すらありました。

今のようにインターネット会議で済む時代になっても、まだred eyeを続けている人がいるのかどうか、それはわかりません。

さて、今回はその"地上版red eye"でした。

奈良からの帰りは、いつもなら午前3時に出るのですが、今回は午前1時にスタートしました。途中3〜4回の休憩を入れて、6〜7時間のドライブです。幸い、国内に時差はないので、朝の8時頃には武蔵野に着けるはずでした。

ですが、今回は違いました。岡崎から静岡にかけて、台風と線状降水帯を伴う低気圧が通過中でした。猛烈な風雨に見舞われ、何度も豪雨を避けては休憩を入れる羽目になりました。東名は案の定、大和トンネルあたりから東京料金所までラッシュの渋滞。環八はまだマシでしたが、それでも武蔵野の自宅にたどり着いたのは午前9時を過ぎていました。

まさに、「奈良からのred eye back」でした。

30代40代の頃は、こんな無茶な移動も“仕事”だったんですよね。今から思えば、どうかしていたと思います。でも今は違います。ただの私用で、仕事とは関係ありません。極楽とんぼの半分は隠居の身です。

それでも、朝9時に車を降りたときには、さすがに疲労困憊でした。昔なら平気だった長距離ドライブが、いまは身体に堪えます。渋滞も、豪雨も、眠気も、すべてが重すぎました。

ドライブのあいだ、頭の中ではずっとスティーリー・ダンの《Reelin’ In the Years》がぐるぐる回っていました。あの少し皮肉で、どこか突き放すような歌詞。たぶん、ちゃんと意味を理解しているわけじゃないのですが、不思議と、こんな夜明けにはぴったりでした。

僕はあの歌詞の中の男のようにプライドが高いわけじゃありませんし(たぶん)、恨み節なんてほとんどないです。大成功したキャリアではなかったけれど、後悔は微塵もありません。妬みなんて、、、ないです。

red eye の車バージョンで帰ってきて、過ぎ去った年月のこと、あの頃あったいろんな出来事のことが、頭の中をぐるぐると駆け巡っていました。

僕は《Reelin’ In the Years》の主人公のように、皮肉に閉じこもることなく、自分の人生を自分の言葉で引き取っています。それは、スティーリー・ダンの知的な諦念よりも、もっと静かで強い「納得」に近い感覚です。これって、もしかしたら高齢者にありがちな頑固な独善性なのかもしれません。

たとえ「大成功したキャリア」ではなくても、
たとえ「昔ほどタフではなくなった」としても、

後悔は微塵もない。自分の涙は、もう自分でちゃんと受け止めています。そこにあるのは、「やりきった」とか「まあ、いいか」ではなくて、時間を巻き戻す(reeling)必要も、涙を集める必要もないという穏やかな境地なのです。

そして、やっとこさ武蔵野の自宅に着いた頃に、頭の中の《Reelin’ In the Years》は終わっていました。

    


 

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