2011年2月13日日曜日

(続)The Soul of Japan

オリーブの氷柱

新渡戸稲造は『武士道』の中で、宗教心が稀薄でも日本人には「The Soul of Japan」、「The Yamato Spirit」があると説明しています。『武士道』には孔子や孟子、プラトンの言葉まで出てきますから、中学3年間の英語のテキストとしてはお薦めです。水戸のご老公様(水戸黄門)まで登場しますよ! 新渡戸稲造はクリスチャンです。敬虔なクリスチャンの視点から、宗教に代替する日本人の「やまとごころ」を語るのですから、説得力があります。

ムバラク大統領が辞任しましたね。中東の問題は、我々日本人には複雑すぎて難しいです。

ニューヨークに住むと、ジューイッシュ(ユダヤ)の習慣に多少なりとも接することになります。子育てや教育、そして勤勉さ。ジューイッシュと日本人は共通点が多いのです。アングロサクソン系(WASP)には嫌われるみたいで、ジューイッシュの「J」とジャパニーズの「J」をとって、日本人とジューイッシュが多く住む町は、「JJタウン」と揶揄されたりしました。JJタウンは公立学校区のレベルが高く、したがって不動産価格も高いのですが。

イスラムは寛容な宗教だったそうです。モスリムは、キリスト教徒やユダヤ教徒と共存していました。ところが、十字軍がエルサレムに入った時に、キリスト教徒はモスリムやユダヤ教徒を殺害しました。モスリムの世界は元々複雑だったので共存に慣れていました。しかし、キリスト教価値観が中心の西欧社会には慣れていなかったのです。イスラムの世界観では、「非モスリムは、将来的にはモスリムになる。そして、軍事的手段によるモスリムへの取り込みはジハードだ」と言われていました。

十字軍が非キリスト教徒を殺戮したのも、ジハードにより非イスラム教徒を強制的にイスラム教に転向させるのも、どちらも心の平静を尊ぶ日本人としては考えも及びません。

占領軍のリーダーであるマッカーサーは、日本で最初にぶち壊そうとしたのは「神道」だったそうです。「神道」への狂信的な宗教心が根底にあって、だから日本の軍隊は、神風特攻隊のようなことができたのだと考えていたようです。自分達の経験から、宗教に対する警戒心が強かったのでしょう。

少し横道にそれますが、先週、ロサンジェルスから昔の仕事仲間Rがやって来ました。久しぶりにランチを一緒にしたのですが、「マシュー・ペリーとダグラス・マッカーサーはどちらが傲慢で嫌な奴か」という話をしました。Rはペリー将軍に好意的でしたね。Rは若い頃にアメリカ海軍の将校として7年も駆逐艦に乗っていました。ペリーは海軍、マッカーサーは陸軍です。

閑話休題

日本人を見ていても、それから中国の若者や台湾のビジネスパーソンと話をしていても、ほとんど宗教は表に出てきません。やはり、東アジア社会には、「人間と神との契約」という観念が稀薄なのでしょうね。それが、ビジネスの世界にも影響しています。アメリカでは、家の売買契約にしても、売り手・買い手双方の弁護士が登場するし、契約書は恐ろしく分厚くできています(窓のカーテンが家と一緒に付いてくるかまで記述されるのですよ!)。

新渡戸稲造はクリスチャンですが、日本人の立場から、宗教心が稀薄な日本をフォローする意味で、「義」と「勇」を持ち出し、「The Soul of Japan」を説明しました。「義は、武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞いほど忌むべきものはない」(『武士道』 第三章 Rectitude or Justice)。

権力の座を守るために仲間を裏切ったり、リーダーの発言を「国民の声を代表するものだ」と国民に責任を転嫁する政治家たちは、「The Soul of Japan」をしっかりと勉強していただきたいですね。

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