2011年2月2日水曜日

開国か鎖国か?

アダム・スミス

「平成の開国」、「第三の開国」、「アジアの内需を日本の内需とする」、「若者は自信をもって世界に出て行くべきだ」、、、、。日本政府が声高に叫ぶスローガンですね。私は、どうもよく分かりません。

今の日本は、政権交代の熱狂的な精神状態から、日本の歴史始まって以来の不安定な精神状態にあるといえます。開国、開国と叫ぶよりも、一旦、緩やかでもいいから鎖国して、歴史を振り返り、何がこの日本という国をまとめてきたのかということを、政府国民で確認してはどうでしょうかね? このままだと、一国として独立もできず、アメリカの委任統治領にもなれず、中国の大和自治区にもなれず、みずから瓦解していくしかないのではないでしょうか?

アダム・スミスは著書の中で、守るべきものは国家であり、国家に支えられた生活の安定、心の平静であると提唱し、お金が全てと考える重商主義を批判しています。心の平静は「確実なもの」であり、土地(場所)に根ざした経済が一番大切である、つまり、国内における農業や製造業は貿易よりも優先すべきことだと言うのです。

「若者よ、自信をもって世界に出て行け」と言われても、日本のほうが世界のどこよりも居心地がいいから出て行きませんよ。政府が子ども手当の代わりに海外留学にインセンティブでもつけてはどうでしょうか?

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3 件のコメント:

  1. 私には「開国」も「鎖国」も過剰表現と感じます。自国に有利な戦略を展開するのが普通の国家です。日本は国内の選挙の票に気を使って、も国外にも気を使って、外から見ていると主体性の無さが表れています。
    80年代の日本はどうやっても再来しません。日本は成熟期に入った国のやり方を進めるべきで、本文で表現されている「鎖国」がそれを指していれば、私も賛成です。

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  2. 今の日本は、外から見る以上に、とんでもない事になっていますよ。空っぽだから、至る所に「悪意」が入りやすい。

    明治は今より前向きでよかったという人もいます。1980年代は今よりも経済が上向きでよかったという意見もあります。

    私は、戦国時代あたりから振り返って、日本のアイデンティティーを確立するのが喫緊の課題だと思います。何を今更ですが、、、。

    江戸時代、鎖国といいながらも、今以上に世界情勢に敏感で、様々な情報を収集していた。ヨーロッパの宗教戦争も了解していた。

    猛将ペリーが黒船でやってきた時も冷静だった。筆頭老中阿部正弘は全国の藩主の意見を聞き、アメリカ以外の国の脅威とアメリカを比較してアメリカと条約を結んだ(熟議の末、紳士的に見えるロシアでなく、恫喝のペリーを選んだ)。

    明治政府は、矛盾(宗教や天皇、、)を了解しながらも、近代国家を目指した。維新を経験した元勲たちが死に絶え、幾つかの戦争を経験し、昭和になり矛盾につけ込んで軍部が台頭し、遂に国家滅亡寸前のの大敗戦となった。

    戦後は、「独立国家とは?」という矛盾を抱えながらも、吉田茂は非常にしたたかにアメリカを利用した。アメリカも日本を十分に利用した。

    ところが、1990年頃から世界は変わった。東西ドイツ統一、ソ連崩壊、アメリカ弱体化、中国台頭、、、。ずっと中国を模倣してきた日本は、明治でヨーロッパを真似た。敗戦後はアメリカナイズに邁進した。

    エジプト騒乱は心配です。宗教戦争につながる可能性だってゼロではない。人間なんて、それほど進歩していないのだろうと思いますよ。

    ちょっと大袈裟なコメントでしたね。失礼しました。

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  3. コメントありがとうございます。ロングアイランドとマサチューセッツにある捕鯨博物館に行くと、当時のアメリカが何を目的に日本に開国を求めていたかを記した記録がありました。幕府はそのことを知っていたのでしょうね。

    現在において、宗教戦争の可能性は最も避けたい事態ですね。エジプトがイランのようになったら、困ります。

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