2009年12月31日木曜日

「時間」に関すること

2009年も最後の一日ですね。

一年の締め括りになるかどうか分かりませんが、「時間」に関することです。

人生には、「緊急でないけど重要なこと」はいっぱいあって、それらの積み重ねが、大人になって(年を取って)ボディブローのように効いてくるように感じます。例えば、読書とか家族や友だちとの会話とか、長年継続可能な趣味の類です。

人生の中で、子供である期間は「緊急でないけど重要なこと」の積み重ねの時ではないかと思います。

エリック・ホッファーの「情熱的な精神状態」から。

ものごとを考えぬくには、閑暇(レジャー)がいる。成熟するにもレジャーがいる。いそいでいる人たちは、考えることも成長することも、堕落することもできない。かれらは、永遠に愚かで幼稚なままである」(It needs leisure to think things out; it needs leisure to mature. People in a hurry cannot think, cannot grow, nor can they decay. They are preserved in a state of perpetual puerility )。

良いお年を!

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3 件のコメント:

  1. 仮定の話ですが、もし自尊心を持たない人に経済活動から切り離された有り余る無限の時間を与えたとしたら、それはむしろ彼にとって自己と長い時間向き合わなければならない苦痛の時となるでしょう。彼はお願いだからビジーな時間を過ごしたいと懇願するのではないでしょうか。(そうであればむしろ彼はまともと思いますが逆に最近そうではない人も多いと聞きます。)Leisure(閑暇)を楽しみ、自分の精神を充実するためには、ビジーな時と閑暇のバランスが寛容と思います。もし日本人の平均的な時間対応が、定年までは自分を考える暇もないくらいにビジー、定年後は外部から何も要求されることも、自己実現を体感することもなく時間を持て余す一生を終えるとしたら、それはエリック・ホッファーの言う様に、永遠に幼稚な人生を生きることになる事と思います。年相応に成熟するためには、僕らは時間の過ごし方のバランスを学ばなくてはならないと思います。
    蛇足ですが、エリック・ホッファーの使うLeisure(閑暇)という言葉と日本人が使っているレジャーの意味合いが何故これほど違うのでしょうか? 日本のレジャーは家族全員で車に乗って忙しく観光名所を動き回り疲れ果てて帰宅する・・ということだと思いますが、これでは流れる時間と会話する「閑暇」にはなりませんよね。
    他人が設定した「理想的なレジャーの過ごし方」に喜んで乗っかる日本人はノリがいいといえばそうですが、昔は身の回りにゆっくり過ごしたい場所があったはずなのに、それがなくなってしまったことが大きいかも知れません。でもまだ僕らの周りには神社や寺が結構ありますよね。「日本」という国家を失ったら、それこそゆっくりとした時間を過ごす場所がなくなりますね。最後に日本の中国への隷属化を心から心配します。

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  2. 日本人は、「際」のコントロールがへたくそだと思います。「際(きわ)」、つまり、境目です。仕事と間暇(レジャー)のバランス。これが、うまくできない。時間だけでなくても、アメリカと日本の際、日本と中国の際、人と人との際(人間交際)、全てバランスが寛容だと思いますが、日本人の特徴としては、極端から極端に走る傾向にある。バランスが悪い。これは、古今東西を問わず大衆の心理なのでしょうが、日本人には強い傾向だと思います。

    戦前は分かりませんが、今の日本がこうなった大きな原因は、団塊の世代ではないでしょうか?間暇=時間(考えるための)なく邁進した結果でしょう。そういった人たちが60才をこえ閑になった。考えることに慣れていない。今の日本の問題は、そこらあたりにあるのではないでしょうか?

    ホッファーのperpetual puerilityを永井さんは「愚直」と訳されていますが、私は「永遠に愚かで幼稚」と訳しました(蛇足でした)。

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  3. 2009年度も日本の自殺者は3万人をはるかに超えました。1日に100人近くの人が自殺する先進国と言うわけです。自尊心の欠如と自殺は関係があると思います。大勢に加担することでプライドを持つことと、個人として自尊心を持つこととは大きな違いがあると思います。欧米や、特に近隣諸国は、これらが日本の弱点であることを熟知して、日本をコントロールしているのかもしれません。考えすぎですかね?

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