2009年12月16日水曜日

学問のすすめ (2)

15編は取捨選択の話です。「事物を疑って取捨を断ずる事」。

情報氾濫のインターネット時代には、一層この取捨選択の能力が必要になると思います。何を信じて何を疑うのか。子供たちにはTV を見せないことが先ずは第一歩かも知れません(大人も極力見ないほうがいい)。

福沢諭吉は言及していませんが、取捨選択する以前の問題があります。自分自身のVISION(将来の展望)を持たないと取捨選択するための情報は自分の所に集まって来ません。幕末を体験した明治初期の福沢諭吉さんにとっては、VISIONを持たないなんて考えられなかったことなのでしょうね。

例えば「子供の教育に関心があって何とかしたい」と常日頃から思っていたら、「子供の教育」に関する情報が自然と集まってくるものです。これは問題意識、あるいは危機感のなせるワザかも知れません。何の問題意識もなければ氾濫する情報の中に身を任せるのみです。

「事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この信疑の際につき必ず取捨の明なかるべからず。蓋(けだ)し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん」。

このセンテンスだけでも日本の現行教育ってこれでいいのだろうかと思ってしまいます。親が子供に日頃から「自分が納得するまで質問しなさいよ」と言っていたら、取捨を断ずることができる子供に育つのではないでしょうか?今の日本だと、自分が納得するまで質問したら受験戦争に勝てないですか?それとも、先生に嫌われてしまいますか?

15編の最後に「我々学者が勉強しないといけない」と檄を飛ばしています。恐らく慶応の研究者や先生に対して言っているのでしょう(巷の解説書で確認して下さい)。私にはこの部分は、「子供をもつ親たちはしっかりせねばならんよ」と聞こえます。

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