2009年12月15日火曜日

学問のすすめ (1)

福沢諭吉の「学問のすすめ」を5~6年ぶりに読みました。「学問のすすめ」ではいいことをいっぱい言っています。特に最近思うのですが、諭吉がタイムマシーンで現代を見て書いたのではないか?それほど、示唆に富むものなのです。

「学問のすすめ」は17編より成っています。諭吉は「小学の教授本」と言っています。小学とは小学生のことです。ただし、4編と5編は学者向けに論じたようです(本文中に書いてあります)。

啓蒙思想家である諭吉は立派な人物ですね。今の日本の教育にもコンサルタントの世界にも「学問のすすめ」は通じる部分がいっぱいあります。真理をついているからでしょうね。

10年以上前に「学問のすすめ」を読んだ時、それ程強く思わなかったことでも、今読むと違った印象を受けます。面白いものですねぇ。自分も歳を重ねるうちに、右や左、上や下に変化しているということでしょう。勿論、世の中も。

初編

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という誰でも知っている部分です。しかし、本当の意味を知っている人は割と少ないのではないでしょうか?

福沢諭吉の問いかけは「天は人の上に、、、と言われるが、世の中にはなぜ金持ちや貧乏人ができ、賢い人がいたり愚かな人がいるのでしょうか」です。「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と善人と悪人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という」。

「学ばないとちゃんとした大人にならないよ。しっかり学ぶのはあんたたち小学生の義務であり責任なのよ」と説明しています。この初編の冒頭の部分は、全体の枕になる部分です。一般には「天は人の上に、、、」が一人歩きして平等について語っているような印象がありますが、そうではありません。「学問をしないとロクな大人にならないよ、日本はとんでもない国になるよ」という警告なのです。

初編ではもう一ついいことを言っています。「自由」と「我儘」の違いです。「ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我が儘放蕩に陥ること多し。即ちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘の界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり」。

英語で言えばFREEDOM(自由)とLICENSE(我儘:勝手気ままな自由)の違いです。日本ではFREEDOMとLICENSE の区別が曖昧で、日本の自由は英語で言うLICENSEのような感じがします。LICENSEという言葉は「学問のすすめ」には出てきませんが。

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