2009年12月22日火曜日

コミュニケーション

コミュニケーションは大事ですね。長年つきあっている友人とのコミュニケーションでさえ、うまく行かなくて気まずくなることだってあります。

コミュニケーションの基本は「明瞭さ(CLARITY)」です。そして、自分の意思を伝える手段として「話す事」と「書く事」があります。そして、それらは日本語であったり外国語であったりします。ところが、日本の社会では意思をはっきり伝えることは、直截的で嫌われる傾向にあります。つまり、「曖昧さ」が美徳とされるのです。だから、日本の環境で育ったわれわれ日本人にとって、外国語でコミュニケーションするのは、想像を絶するほど難しいことなのです。

日本のように暗黙の了解が成り立つことは稀です。「帰国子女が日本語でコミュニケーションをする場合、意識的に『明瞭』に言わないように気を付けている」と聞いたことがあります。アメリカ人の感覚で、明瞭に意思表示をすると、日本では嫌われるからだそうです。

書くことの難しさ

アメリカではメールオーダーが一般的です。そして、ご想像通りトラブルも多い。アメリカ駐在の日本人は「アメリカはいいかげんだ!」と頭に来ます。ところが、アメリカ人はこういったトラブルがあると、まめにクレームのレターを書いて対応します。相手の間違いが、初めてのものなのか、2回目なのか、また、間違いの程度によってクレーム・レターの意地悪度(NASTY度)を変えるのです。実に見事なものです。

とにかく、英語を書くことは難しい。効果的なビジネス・レターが書けないために、これまでどれ程恥ずかしい思いをしたか知れません。私の英文にはあっちこっちに教養と知性のなさが現れます。これは、中国語でも同じなのです。私は中国語の会話は何とかなりますが、中国語でもちゃんとした文章が書けません。しかし、ちゃんとした文章が書けないと言うことは、結局ちゃんとした会話もしていないことではないでしょうか?

これは何も外国語だからでなく日本語にも言えることです。考えが論理的にまとまっていないと、ちゃんとした文章は書けません。レターを書くことは、生活やビジネスの基本なのです。そのあとの知性と教養は人それぞれだから、立派な人は、それに応じた文章を書きます。私は私なりのものになってしまうのです。

演説の法を勧むるの説 ~ 「学問のすすめ」 十二編

アメリカのビジネスの世界では、みんなが役者であるかのように振る舞います。中身はたいした内容でない場合でも、ドラマの中の主人公のように堂々とやってのけます。ちょっと油断していると、どんな素晴らしいことを言っているのかと錯覚するのです。これらは幼稚園の頃からSHOW&TELLなどで鍛えられた成果なのです。

会話の基本は「アイ・コンタクト」です。つまり、「目は口ほどにものを言う」のです。相手の「目ん玉」を見つめながら、「優しい眼差し」と「恐い眼差し」を使い分けるくらいでないと、なかなかアメリカ人とは議論できません。さらに、相手を説得しなければならない場合は特に冷静な態度で臨むことが必要です。

SHOW&TELL(ショーアンドテル); アメリカで子供が自分の自慢したいもの、見せたい物を幼稚園や小学校に持参して、みんなの前で発表すること。毎日のようにやっています。プレゼンテーションとファシリテーションの第一歩です。

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4 件のコメント:

  1. 日本人には「謙譲の美徳」があるのも大きいでのはないでしょうか。アメリカ人が大げさにほめたり、「自分(あるいは身内など)はこんなにすごいんだ」というのを聞くと、どうもこそばゆく感じます。自信満々に間違った答えを言うアメリカ人を見るたびに、「なぜあれほど自信がもてるのだろう」と不思議に思ったことも、一度や二度ではありません。
    「慢心は損を招き、謙譲は天の法である。」-この言葉、結構好きです。

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  2. 「謙譲の美徳」と「舞台に立ち自分を演ずる」ことは相反することでしょうか? 私は日本のビジネスマン(学者)が自分から舞台に上がることを遠慮するシーンを何度も見ました。これが外国人から美徳に見えたとは思えません。自分を「張る」ということで言えば、欧州人、中国人などもアメリカ人に負けないくらいですね。このようなシーンでこれからの世代の日本人は堂々と振舞ってほしいと思います。AKIさんのご意見は日本人の内面の価値観ということで失ってはならないと思いますが(私も賛成いたしますが)、「舞台でのふるまい」を避けることの理由になってはならないと思います。

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  3. 私はどっちかと言うと実力もないのに舞台に立ちたがるほうですね、、、。最近では歳と共に自重を余儀なくされています。

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  4. お互いのことをよく知っている時は、暗黙の了解が成立するので自己アピールする必要はなく、謙遜が美徳になるのだと思います。これは日本に限らず成立するような気がします。

    でも企業文化や出身国が多様になるビジネスの世界では暗黙の了解は通用しないので、どんなに当たり前と思うことでもキチンと説明しないと相互理解の妨げになると思います。その時、間違ったメッセージを相手に伝えるのを避ける意味で過大な謙遜は危険なのだと思います。同じように過大な誇張も危険だと思います。謙遜も誇張も危険だけどはっきりした目的をもって使いこなせばいいんだと思います。Show&Tell(+質疑応答)の訓練を繰り返せばそれが身につくのかなと思います。

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