2024年12月1日日曜日

乙巳の年(きのとみのとし)

三菱UFJ銀行の東京都内の2支店で、管理者だった銀行員が貸金庫から顧客の金品を繰り返し盗んでいたことが発覚しました。窃盗は約4年半にわたり、その金額は十数億円。約60人が被害に遭ったといいます。なお、三菱UFJ銀行はこの行員を懲戒解雇したと発表しています。

酷い話ですね。実名も出てこないし大手メディアは報道もしない。十数億の窃盗をしても逮捕されないって何なんだと思います。もちろん実行犯の実名も報道されない。銀行は元銀行員だと発表していますが、犯行当時は行員だったのでしょうが!

バブル時代は、お金の流れがお金そのものではなくモノに集中しました。モノとは不動産と株です。銀行は不動産融資をどんどんやった。政府も株式投資に対して税金面で優遇した。銀行や政府が幻想の世界をつくり上げることを先導したのです。やがて金額が本来の価値へ戻ってしまい、幻想に惑わされて投資をしていた人は大きな損失を負うことになった。盛んに煽ったメディアの罪も大きい。メディアは経営を銀行融資に頼っていますから敵に回せない。

失われた10年が20年30年になり、おそらく40年になる。政府、銀行、大企業、教育、、、、乙巳の変(大化の改新)の頃まで戻ったほうがいいか?(2025年は乙巳年(きのとみどし)です。乙巳は脱皮し強く成長し、努力を重ねて安定させていく)。

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2024年11月24日日曜日

フェイク、フェイク、フェイク!

フェイクのマクドナルドのダブルチーズバーガー

 


レコーディングの技術で 24トラックが 48トラックになる頃から音楽は急速に面白くなくなりました。ビートルズの初期のレコードはモノでした。それが 2トラックになり『リボルバー』で画期的な4トラックになりました(1966年)。ビートルズがライブ演奏をしなくなった頃です。


今やデジタル化が進みすぎて、音程が半音ずれようが修正してしまう。リズムだってクリック(メトロノーム)を外して狂おうが修正できてしまう。AIボーカリストが歌うようになって、人間が歌っているのかAIが歌っているのか訳の分からん世界になっています。音楽はますます面白くなくなるのです。音程がずれてリズムを外すからアジが出るのです。

音楽だけではありませんよ。我々はフェイク!フェイク!フェイク!の世界に生きているのです。

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2024年11月22日金曜日

プロトコルを弁える

  



FNNプライムオンラインから

2024.11.20.



以下は14年前に書いたブログですが、今回の総理のニュースを読んで思い出しました。日本の社会人の世界でもアウトですね。      

14年前のブログから

日本人は外国人が混じるとコミュニケーションが下手になる。もちろん英語ができない問題はあります。しかし、通信手順であるプロトコルが合わないことも大きな問題なのです。日本という列島の中では、このプロトコルが異常に発達してしまって、プロトコル、つまり、手順をあやふやにしても、いきなりデータ(本題)を送れてしまうのです。阿吽(あうん)の呼吸と言われるものです。勿論、アメリカ人や中国人の世界でもプロトコルがいい加減な場合もありますが、日本人ほど発達している訳ではありません。30年前のコンピュータの世界と現在のiPadとの違いくらいはあるかも知れません。  

日本企業がこれだけ海外で活躍しても時おり大きな問題を起こすのは、このプロトコルの問題である場合が多いのです。日本製品が優秀なので、これまであまり問題にならなかったのですが、これからは更に注意しないといけません。危機管理の対象の一つに、自社の従業員が含まれるなんて日本企業の多くは考えないですからね。また、同じ国でも世代間ギャップによりプロトコルが大きく違っている場合もあります。

政府間の問題。これは日本という国家の問題です。私のような老百姓がウダウダ言うのとは違う。政府は国民の生命財産を護らなくてはいけないのです。外交のプロトコルは十分に注意していただきたい。アメリカとはアメリカとのプロトコル、中国とは中国とのプロトコル、勿論、世界共通のプロトコルも入り交じります。大事なのは、プロトコルを省略した日本人ネットワーキングは、世界では「つながらない」ということなのです。

Know Yourself ! 

前総理の岸田さんは日本の総理としては英語が話せた。英語に問題がある場合は何かでカバーする必要がある。英語が書けない場合は、せめて句読点のような形式だけでもちゃんとするのが鉄則です。実力が伴わない私は靴を磨いて身なりや立ち振る舞いに気をつけたものです。  

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2024年11月21日木曜日

谷川俊太郎を悼む

 

言葉と現実のインターブリッジ


谷川俊太郎は詩人というよりも哲学者か言語学者のような人です。言葉と現実を橋渡し(インターブリッジ)する翻訳家なのです。日本語から英語のような翻訳はまだまだ表層的な問題なのです。谷川さんという詩人は平易な言葉で現実との距離を縮めようとしたのでしょうね。社会思想や哲学では近代とポスト近代が争点になる場合が多いのですが、言語学の世界でも近代と現代言語学はコペルニクス的転回をしています(ソシュールの言語学)。


モノが先か言語が先か?


赤ん坊は「りんご」という言葉を覚え、その後に「リンゴ」は食べ物で丸くて赤いものだとリンゴというモノの概念を獲得していきます。だとすると、人が言葉を覚えるということは、同時に周りの世界をどう認識するかを、自分が育つ文化圏や環境(家庭環境からはじまる)に応じて身につけていくということです。私には二人の孫がいます。二人ともアメリカで生まれアメリカで生活しています。彼らはアメリカ、それも南部という文化圏で生活しているわけですから、その中でモノの概念を獲得中だという事です。ジージとしては少し寂しいのですが、「りんご‐ ringo」といっても孫の頭の中には私が思い浮かべる「りんご」は出てこないのです。

以上は私が幼児や小学生の英語早期教育に反対の理由です。谷川さんからヒントを得ています。


りんごへの固執


紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということはできない、形ではなくりんごなのだ。酸っぱいということはできない、味ではなくりんごなのだ。高いということはできない、値段ではないりんごなのだ。きれいということはできない、美ではないりんごだ。分類することはできない、植物ではなく、りんごなのだから。

花咲くりんごだ。実るりんご、枝で風に揺れるりんごだ。雨に打たれるりんご、ついばまれるりんご、もぎとられるりんごだ。地に落ちるりんごだ。腐るりんごだ。種子のりんご、芽を吹くりんご。りんごと呼ぶ必要もないりんごだ。りんごでなくてもいいりんご、りんごであってもいいりんご、りんごであろうかなかろうが、ただひとつのりんごはすべてのりんご。

紅玉だ、国光だ、王鈴だ、祝だ、きさきがけだ、べにさきがけだ、一個のりんごだ、三個の五個の一ダースの、七キロのりんご、十二トンのりんご二百万トンのりんごなのだ。生産されるりんご、運搬されるりんごだ。計量され梱包され取引されるりんご。消毒されるりんごだ、消化されるりんごだ、消費されるりんごである、消されるりんごです。りんごだあ!りんごか?

それだ、そこにあるそれ、そのそれだ。そこのその、籠の中のそれ。テーブルから落下するそれ、画布にうつされるそれ、天火で焼かれるそれなのだ。子どもはそれを手にとり、それをかじる、それだ、その。いくら食べてもいくら腐っても、次から次へと枝々に湧き、きらきらと際限なく店頭にあふれるそれ。何のレプリカ、何時のレプリカ?

答えることはできない、りんごなのだ。問うことはできない、りんごなのだ。語ることはできない、ついにりんごでしかないのだ、いまだに・・・・・

谷川俊太郎『りんごへの固執』
  
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2024年11月20日水曜日

新東名を東へ

 鈴鹿SA(新名神)

奈良市内を午前三時ちょっと前に出たのですが、足柄から先が工事と事故で渋滞。東京インターまでバンパー・トゥ・バンパーでした。環八も混んでいて7時間半もかかってしまいました(足柄から武蔵野の自宅まで4時間弱)。東京と関西は直近十数年の間で何十回と往復していますが、もうそろそろ限界かも知れません。高齢者の長距離ドライブは危険です。

早朝のSAはどこも外国人が多い。欧米やラテン系も多い、日本人もいるんだと思って彼らの会話を聞いていると中国語でした(オーバーツーリズムの実感)。自販機のコーヒーも値上がりしていましたね。   


岡崎SA(新東名)掛川SA(新東名)


足柄SA(新東名)

余りにもお粗末な日本の現状は放っておいて、乙巳(きのとみ)の 2025年を考えることにしました。

乙巳の変(いっしのへん 645年)は「蘇我氏の世襲」による独占や横暴をやめさせるために、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼした政変でした。私の記憶では、小中高時代の社会科の教科書(歴史)には乙巳の変は出てきませんでした。

明日香村の遺跡発掘は2005年頃からです。乙巳の変から大化の改新へとすすみ、中大兄皇子は後に即位し天智天皇となります。  

「乙」は未だ発展途上の状態を表します。「巳」は植物が最大限まで成長した状態を意味するそうです。この組み合わせは、これまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆しています。来年は令和の大化の改新が起こり、消滅しかけている日本国を復興させて欲しいですね。

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2024年11月15日金曜日

サンタが街にやってくる

 

Santa Claus is Coming to Town(1934年)


この曲も毎年この時期になると必ず演奏する曲です。年が明けて2月頃にはすっかり忘れているので、11月頃から自分の過去動画を見ながら最初からやり直しです。毎年毎年同じです。私はキリスト教的世界観で生きていませんので、季節が巡るように繰り返しのサークルを回り続ける人生です。   

今年はマーチンを8か月にわたる長期間修理に出していたので、この K.Yairi を購入しました。7万円でした。なかなかいいギターです。マーチンも修理が完了したので、クリスマスにはマーチンで弾いてみます。以前は弾きもしないのにギターに対する拘りがありました。でも最近はどうしても欲しいギターもなくなりました。それって、老化の兆候か?

Santa Claus is Coming to Town (1934)

This song is also a song that I always play at this time of year. I completely forgot how to play around February after Christmas and the new year, so I started over from around November. It's the same year after year. I don't live in a Christian worldview, so it's a life of reincarnation, a life that keeps going around in a repeating circle. I like it.

This year, I had Martin out for repairs for 8 months, so I bought this K.Yairi. It was 70,000 yen (450 US$). It's a pretty good guitar. My Martin has been repaired, so I'm going to try playing it with Martin for Christmas. I used to have an obsession(kind of desire) with the guitar even though I didn't play it for a long time. But lately, I've run out of guitars that I really want. Is it a sign of aging?

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2024年11月7日木曜日

2024 アメリカ大統領選で考えたこと

 

CNNと日本の開票報道を見ました。

両方ともお通夜のような雰囲気は共通でしたが、問題の本質は違うと思います。私はトランプ支持でもハリス支持でもありません。日本人の感性を持つ私からすると二人とも大嫌いです。日本のテレビ報道の司会者や出てくるコメンテーターの抽象度の低さ視野の狭さには今更ながら驚くばかりです。

私はローマ帝国と拒食症で若くして亡くなったカーペンターズのカレン・カーペンターが頭に浮かびました。       

アメリカはローマ帝国の成立から発展、そして滅亡への道にそっくりです。アメリカや中国のような若い巨大国家が暴走する現代の世界情勢と同じだということです。アメリカは自分たちの戦争をつねに正義の戦争といって民主主義をスローガンに世界の覇権を目指した。中国は長期的視野でアメリカに取って代わろうとしている。

ローマ帝国は現代のアメリカで、徹底的に魂を抜かれた日本はローマに滅ぼされたカルタゴと同じです。黄禍論に始まり排日主義は手を変え品を変えて現代まで続いている。日本政府に反抗する気概はない。     

ローマは発展度の異なる諸民族や移民が流入した。力をもつ少数者が繁栄を独占して自分こそが正義だと主張して他者を抑え込んだ。悪徳と貪欲がふくれ、そしてついに内部から崩壊する。今のアメリカと同じじゃないですか?ダイエットを繰り返し拒食症で食べると吐きついには心不全を発症する運命にある(カレンのファンの方々、ごめんなさいね。私はカレンの低音の歌声が大好きですよ)。  

自己中心的なアメリカに他者(弱者)に手を差し伸べる寛容さはあるか?そして日本は孤独に耐え覚醒する時が来るのか?   

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