2025年11月22日土曜日

思考停止は、金の匂いを羅針盤とする

 
メディアに翻弄される大衆

昨今の日本のメディア報道には、もはや見過ごせないほどの“劣化”が目につきます。とりわけ中国関連のニュースを眺めていると、報道機関とは本来何をすべき職能だったのか──そんな素朴な疑問すら湧いてきます。

本来、報道は権力の言い分やプロパガンダを吟味し、歴史的背景、外交、安全保障のリアリティを踏まえて「自国にとって何が真実なのか」を冷静に提示するのが仕事のはずです。ところが現実には、論理の裏付けもなく、概念の理解も浅い。上滑りのコメントを並べ、勉強不足を自ら晒すような報道が、堂々と“ニュース”として垂れ流されている。

残念ながら、今の日本のメディアを見ていると、「中国共産党の発信を、そのまま音読しているのでは?」と疑いたくなる場面すらあるのです。

政府の公式見解、国際社会の批判、中国国内の現実──本来なら複数の視点を示すべきところが、結論ありきで“わかりやすく加工”された情報ばかり。これでは報道ではなく、プロパガンダの請負業です。

そして情けないことに、日本の財界もまた利益を優先し、都合の悪い論点を避けてメディアと同じベクトルに流れがちです。メディアが迎合し、財界が沈黙し、政治が空気を読み、大衆が思考停止する──この構造こそ、中国の暴走を結果的に助長していると言っても過言ではありません。

オルテガが描いた「大衆」とは誰のことか

こうした状況を理解する上で、ぜひ読み返すべき古典があります。
ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1930年)。

世界大恐慌、全体主義の台頭──混乱の中でオルテガが警告したのは、

「凡庸な平均人が権力の座に登り、社会を支配する危険」でした。

彼は「大衆」をこう定義します。
  • 自分を他人と同じだと疑わず、それを誇りとする人々
  • 何の努力もせず、既得権を当然のように享受する“満足しきったお坊ちゃん”
  • 外の世界でも家の中と同じように振る舞えると信じ、取り返しのつかないものなど何もないと考える人間
さらにオルテガは警告します。

「思想のない大衆人ほど、社会の複雑さに無自覚なまま政治・社会の中心に入り込み、有能な人材の創造性を圧殺する」

今の日本社会とあまりに似ていないでしょうか?

政治家が「国民のみなさま、いかがでしょうか!」と声を張り上げ、迎合と自己保身を競う姿を見るたびに、ノブレス・オブリージュとは無縁の“大衆人の政治”が実現してしまったのだと痛感します。

一億総“大衆化”の国で、情報はどう扱われるか

「大衆」とは mass(マス)であり、マス・メディアとは本来 “大衆を扱うための仕組み” です。

しかし日本では、そのメディアが自ら大衆化してしまった。その結果、一億総大衆化の国では、国外勢力が世論を誘導するのは極めて簡単です。

必要なのは、マス・メディアを押さえるだけ。
あとは国民が思考停止のまま、同じ方向へ揃って歩いてくれる。

これこそが、オルテガの描いた「大衆の反逆」が現代日本において露骨に出現している姿ではないでしょうか。

我々にできる唯一の抵抗

ではどうすべきか。
答えは単純です。

「情報を受け取る側が変わるしかない」

メディアの言うことをそのまま信じるのではなく、

自ら考える。
自ら調べる。
自ら疑う。


高校3年の夏休みに、オルテガの『大衆の反逆』を丸一冊読み込むくらいの“余裕”と“意志”を、今の日本人は取り戻すべきでしょう。

報道が堕落しても、国家が迷走しても、最後に残るのは私たち自身の思考だけなのです。

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2025年11月21日金曜日

サキソフォンは私を試している


吉祥寺のスタジオでサックスを小一時間ほど吹いてきました──とはいえ、“一時間”というのは正しくなくて、実際は15分吹いて、15分ぐったり休憩。結局、まともに音が出せているのは30分ほどです。

いま取り組んでいるのは、「立って吹く」という、ごく当たり前のようでいて実は奥の深い動作。サックス初心者の私が追いかけているのは、50〜60年代のジャズやファンクが持っていたあのトーンと佇まい。でも、昔の巨匠たちのように、ホーンを身体から少し離して構え、背筋を伸ばして立つ──あれはもう別世界です。すぐ疲れるし、半分くらいはサックスがピーピー文句を言い返してくる。自分の理想までは、まだ長い道のり。精進あるのみ。そして、高齢者の私に“上達の余白”がどれほど残っているのかと、、、。

日本のプレイヤーは、クラシックや吹奏楽の出身が多いこともあって、姿勢はどうしても安定と効率が優先される──ホーンを体に寄せて、音も動きもきっちり制御するようなスタイルです。

でも、アメリカのジャズやファンクのレジェンドたちはまったく違った。彼らが追っていたのは「自由」と「表現」、そしてビートに乗ったグルーブ感。ホーンは身体からふわっと離れ、大きな両手で鷲づかみにされ、まるでエネルギーの延長みたいに揺れていた。

それが、私が追いかけているサックスのスタイルです。いまのところは、そのスタイルのほうに追いかけ回されている気すらしますが……。

Yesterday, I spent about an hour practicing sax at a studio in Kichijoji — though “an hour” is generous. Fifteen minutes of blowing, fifteen minutes of cooling down. In the end, I’ve got about thirty solid minutes in me.
Lately, I’ve been studying what it means to stand and play. What I’m aiming for is that ’50s–’60s jazz and funk sax vibe. But standing tall, holding the horn away from the body — the way the old masters did — is a whole different game. It’s tiring, and half the time the horn squeals back at me. I’m nowhere near where I want to be. The woodshedding continues.
Japanese players often come from more classical or academic backgrounds, so their posture leans toward stability and efficiency — the horn tucked close, everything controlled.
But the American jazz and funk legends? They chased freedom. Expression. Movement. Their horns floated off their bodies like extensions of raw energy. That’s the style I’m chasing — even if, for now, it’s chasing me right back.

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2025年11月20日木曜日

2009年のNYから2025年の武蔵野へ──日本はアメリカの“二の舞”を歩むのか

玉川上水緑道


私がアメリカでの暮らしを引き払い、日本へ帰国したのは2009年の夏でした。ニューヨークへ赴任した1989年から数えると、丸20年の歳月が流れていました。


2025年の現在、武蔵野市で暮らす身として、街を歩いていると、あの20年前のNYの空気が胸の中でよみがえることがあります。もちろん、武蔵野はマンハッタンのように摩天楼が立ち並ぶわけではありません。しかし、物価の上昇、税・社会保険料の負担増、外国人労働者が支えるサービス産業、そして“中間層の薄まり”の気配――。こうした「じわじわ来る変化」が、どこか既視感を伴って迫ってくるのです。

NYで見た「二つの消失」──中間層とWASP

1989年のNYには、まだ街のどこかに「中間層の気配」が残っていました。しかし2000年代に入る頃、その中間層は砂がこぼれるように消えていきました。

そしてもう一つ、はっきりと消えたものがあります。それは、WASP――白人アングロサクソン・プロテスタントの富裕層です。NY郊外の街々に漂っていた“古き良きアメリカの残り香”(我々よそ者にとっては非常に排他的で、どこかsnobbishな世界)は、気づけばどこにも存在していませんでした。

代わって街を支えるようになったのは、外国からの移民(合法・不法を問わず)と、要職を静かに押さえていったユダヤ系コミュニティでした。NYの「力の中心」が気づかぬうちに入れ替わり、街の顔つきがまったく違うものへと変貌していったのです。

マンハッタンから黒人が消え、武蔵野から“余裕”が消える?

もう一つ、当時強く感じていた変化があります。それは、マンハッタンから黒人がいなくなったことです。彼らは家賃や食料品の高騰に押し出されるように、どんどん郊外へ追いやられていきました。

同じ現象が、いまの日本で静かに起こっています。武蔵野で黒人が消えたわけではありませんが、感じるのは「街の余裕」が消えていくような窮屈さです。

・物価は上がる
・税金も社会保険料も上がる
・所得は上がらない
・若い世代には貯蓄も結婚も子育ても重荷
・外国人の急増

この「余裕の消失」は、いつかNYを飲み込んでいった社会変容の前兆によく似ています。

日米物価比較:数字で見れば、日本は“安い国”…のはずだった

アメリカの物価は日本の1.2〜1.5倍。都市部ではそれ以上です。肌感覚では数倍から5倍ということも珍しくありません。レストランで食事をすれば一日100〜150ドルは覚悟。家賃は月40万円を超えるのも珍しくなく、NY市では60万円を超えます。 

ただしアメリカには「所得の高さ」という裏付けがあります。平均年収は日本の3倍。しかし、あの収入を得るには、日本のビジネスパーソンの“3倍の精神力と体力”が必要なことも事実です。高収入になればなるほど、クビになるリスクが上がるのです。

日本は長らく“物価が安い国”と信じられてきました。しかし2025年、状況は明らかに変わりました。食料品のインフレ率は8%超。米や魚や肉は、感覚的にはコロナ前の“倍”の値段です。価格設定に品質(人の対応も含めて)が追い付いていない状況です。これでは、年金生活者が苦しくなるのは当然で、若い人は――言うまでもありません。

税金と社会保険料:日本はいつの間にか“消費できない国”に

多くの人が気づき始めています。「日本の税金は、もしかするとアメリカより高いのでは?」と。

実際、国民負担率は45.8%に達しました。所得の半分近くが、税と社会保険料として天に召されていくわけです。

もちろん、日本は医療制度がしっかりしています。アメリカのように救急車に乗るだけで破産しかねない世界ではありません。しかし、年金受給額は物価ほどは増えず、“実質的な目減り”が起きています。

「年金だけで余裕のある暮らし」――これはすでに、ドラマの中でしか見かけないファンタジーになりつつあります。

子育て世代はどう生きるのか?

東京のサラリーマンが年収1000万円を超えることは稀です。しかし食費は2倍、税金は増税、保育料・習い事・住宅ローンは天井知らず。

若い世代は、どうやって生活設計を立てれば良いのでしょうか。私がもし20代だったら、「子育ては人生の冒険」ではなく「子育ては経済的ギャンブル」と感じてしまいそうです。

与野党の“足引っ張り合戦”はもう終わりにしませんか?

本来なら、こういう時こそ政治の出番です。しかし現実はどうでしょう。

与党:改革はしたいが、票を失いたくない
野党:批判はするが、現実的な提案はしない

そして国民だけが、じわじわと生活が苦しくなる。これは、アメリカの二極化と同じ構図です。

与野党は危機意識がなさすぎる。「日本が沈むかどうか」という一点で、そろそろ協力した方がいいのではないかと。“揚げ足取り政治”は、もはや国益どころか国民生活すら守れません。

日本はどこへ向かうのか

1989年から2009年のNYで見たのは、中間層の消失と、社会構造の静かな地殻変動でした。2025年の日本にも、その影が迫っています。もちろん、日本はアメリカではありません。文化も、制度も、価値観も異なります。

しかし――格差の拡大、生活の圧迫感、社会の余裕の喪失という点では、日本はNYの2000年代に驚くほど似てきていると私は感じています。

大胆な政策転換と、政治的協力。そして国としての方向性の再定義。それを怠れば、20年前にNYで起きた“失われた中間層”のドラマを、今度は日本が自分自身で演じることになるかもしれません。

私は、そんな未来だけは避けたいと願っています。「安い日本」ではなく、「誇りある魅力的な日本」に戻るために。

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2025年11月19日水曜日

暴走する中国、眠り続ける日本 ~ 国際秩序の転換点に立つ日本の弱さを問う ~

 
映画『アンストッパブル』(2010年)

https://www.bbc.com/news/articles/c4g311jn1m9o

BBC News

A Chinese firm bought an insurer for CIA agents - part of Beijing's trillion dollar spending spree

Celia Hatton


BBCの記事が示した中国の対外投資は、私には巨大国家の“暴走列車”のように見えます。行き先がどれほど危うくとも、速度を落とす気配はなく、ただ未来へ向かって突き進んでいく姿です。もちろん、その是非は別として、中国共産党は外へ向かい、資本も人材も政策も同じ方向に力を集中させています。

では日本はどうでしょうか。政治家は自国の未来よりも派閥均衡と地元の機嫌に気を取られ、国益より自身の次の選挙を優先します。国会では長期課題の議論より日替わりスキャンダルの追及が優先され、一歩先を見る視野を失っています。そもそも「政治家とは何か」という概念を理解していない人たちが、政治家を務めているようにすら見えます。

経済界は、中国依存の危険を語りながらも、その依存を断ち切れず、甘い関係を続けています。「リスク」より「既得利益の持続」が優先され、危険を理解しながら変化を拒んでいるからです。社長や役員までがサラリーマン化した結果と言えるでしょう。

教育界は、未来に必要な思考力を育むことよりも、均質化と失点回避の技法を教え続けています。若者は世界の変動を知らされず、社会全体が“未来を構想する力”を喪失しています。やはり、一般社会から最も遠いところにいる人たちが、国家百年の計のフロントラインに立っていることが問題なのでしょう。

国民もまた、思考を放棄しつつあるように見えます。政治や経済への不満を口にしながら、問題を自分の言葉で語ろうとはしません。「どうせ何も変わらない」という静かな諦念が、この国でもっとも共有された感情なのかもしれません。本当に賢い人たちは、いまの状況では表に出てきません。なぜならば、彼らは賢いからです。

そして何より深刻なのは、本来、権力を批判し監視するはずのメディアの劣化です。日本の大手メディアは、権力の顔色をうかがい、波風の立たない記事だけを量産しています。記者クラブ制度に守られながら「ジャーナリズム」を名乗っていますが、実態は広告代理店に近いと言わざるを得ません。調査報道は枯れ、権力監視の気概も消え、国民が知るべき情報は薄められ、丸められ、都合よく加工された形で提供されています。

こうして政治は方向を失い、経済界は依存を続け、教育界は停滞し、メディアは沈黙し、国民は諦める――。日本社会は、まるで全身の筋肉がふにゃりと力を失い、動くこと自体を忘れてしまったかのようです。

BBCが描いたのは中国の攻勢でした。しかし、本当に問うべき問題は中国そのものではありません。日本が未来に向けた「意志」も「想像力」も「怒り」も失いつつあることです。未来は自然には訪れません。動かない国家の上に、突然明るい未来が降ってくることもありません。

日本の衰退は、外からではなく内部から加速度的に進んでいるように見えます。日本本来の良さを忘れ、変化を願う声が小さくなっているのも気になります。今の日本の病状は、この無関心や諦めの広がりにあるのかもしれません。ですが、だからといって、虚無の克服に私たちにできることがないわけではありません。現状を認識し、自分の生き方や価値観を振り返り、少しずつでも考えをつなぎ直していくこと――それが、未来の日本につながる手立てになると思います。

高齢者の戯言と受け取るか、何かを感じていただけるかは、それぞれの方に委ねたいと思います。

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2025年11月18日火曜日

日本医療の危機

病院とは、私たちが日常もっとも非日常的な時間を過ごす場所です。そこでは、患者は「個人」として尊重されながらも、同時に医療の流れのなかに位置づけられ、私的な感情よりも治療という共同の目的が優先されます。医師や看護師もまた、一人の人間というより「役割(function)」としてふるまい、専門職としての判断や対応が求められます。

とりわけ三次救急や高度急性期医療を担う“大規模病院”では、社会の変化や制度のひずみがもっとも早く、そして透明に表れます。人口構造の変化、人手不足、医療の高度化、制度改革の影響──これらが病院という空間に凝縮され、廊下を歩くだけで、社会の深層がにじみ出てくるように感じられます。

今回、私が武蔵野赤十字病院で目にした光景も、単なる「一つの病院の変化」ではなく、現代日本の医療が抱える構造的な課題の縮図として、とらえるべきものだと思いました。

武蔵野赤十字病院はいま何を抱えているのか

一週間の通院で見えた日本医療の「静かな危機」

この一週間、身内が救急搬送されたことをきっかけに、私は毎日武蔵野赤十字病院に通っています。実は5〜6年前、義母の介護・看病で同じ病院に何年も通った時期がありました。その当時の記憶と現在の光景を重ね合わせると、同じ病院でありながら、どこか空気が違うという感覚を覚えます。その違和感が何から来るのか。観察を重ねるうちに、武蔵野赤十字病院という“個別の場所”を超えて、日本の医療が抱える構造が浮かび上がってきました。

若い医療者が一気に増えた病院内

病院に入るとまず驚くのは、若い医師や看護師が圧倒的に多いことです。看護師も二十代前半と思われる人が増え、十年前にはあまり見なかった光景です。

しかし、これは武蔵野赤十字病院だけの異変ではありません。大規模病院が「教育・研修機能」を担うようになり、若手が常に循環する構造が強まっています。さらに、2024年に施行された「医師の働き方改革」で時間外労働が厳しく制限され、医療提供体制を維持するには若手を増やすしかなくなりました。つまり、若い医療者の多さは“活気”の表れであると同時に、医療制度の変化の結果でもあります。

良いことのように見えますが、若手中心の循環型人事では、経験が積み上がりにくいという課題も生まれます。社会経験が不十分な医療スタッフが高齢者の患者や患者の家族と接する構図です。

高齢スタッフが支える病院の下支え

一方、清掃、ベッドメイキング、車椅子の誘導、配膳など、コア業務を補う仕事をしているのは、高齢のスタッフが圧倒的に多くなっています。十年前にも高齢者の姿はありましたが、現在は“ほぼ高齢者のみ”といって良いほどです。後期高齢者かと思うスタッフも見受けられます。これも全国で共通の傾向で、少子高齢化のなかで雑務を担う人材が確保できず、高齢者雇用の比率が上がっているのです。もちろん、彼らの存在は病院にとって不可欠です。しかし、これほど高齢化した体制があと何年維持できるのかと考えると、胸がざわつきます。

若い医師と高齢スタッフが行き交う廊下は、日本社会そのものの縮図のようでもあります。

日本赤十字社全体が抱える経営難

では、病院経営はどうなのでしょうか。

日赤グループは全国に90以上の病院を抱えていますが、2024年度の医業収支は456億円の赤字が見込まれ、約3割の病院が経営不振に陥っていると言われます。診療報酬は上がらず、材料費・人件費・光熱費は急上昇。この構造的赤字は、武蔵野赤十字病院にも当然のしかかっています。

ただし、この病院には「東京西部の高い人口密度」という大きな強みがあります。地方の日赤病院に比べると患者数が安定しており、立地の良さに支えられているのは確かです。しかし、それでも医療費・人件費の高騰は避けられません。病院が自助努力だけで乗り越えるのは難しい時代になっています。

一週間の観察から見えた“静かな危機”

これらを踏まえると、武蔵野赤十字病院は次の四つの課題を抱えていると感じます。

① 若手中心の医療体制

若手が多く、現場は明るく活気がある。しかし裏を返せば、経験が積み上がりにくい。重症患者を扱う病院にとって、これは見過ごせない問題です。

② 高齢スタッフが病院の基盤を維持

清掃、配膳、誘導など病院の“動線”を支えるのは高齢者で、その貢献は大きい。しかし、持続性という点では明らかにリスクを抱えています。

③ 経営は「強み」と「弱み」の両面を抱える

立地と患者数の多さは強みである一方、赤十字グループ全体が抱える政策医療への偏重は重い荷物になっています。

④ 危機はまだ“見えていない”

私が実際に見た限りでは、病院の雰囲気は悪くありません。むしろ以前より若さがあふれ、明るさすら感じます。しかしその裏側には、制度改革、人材不足、医療費増、経営圧迫など、静かに進む危機が積み重なっています。

「まだまし」だが、それは永続する保証ではない

総合すると、武蔵野赤十字病院は日本の医療危機のなかでは“比較的まし”な病院に見えます。東京圏の需要、赤十字の看板、若手の供給、大学病院的な研修機能――これらが病院の体力を支えています。しかし、その体力がいつまで持つのかは誰にもわかりません。若い医師と高齢スタッフがすれ違う廊下の風景を眺めながら、私は「この体制はあと何年持つのだろう」と何度も自問しました。

武蔵野赤十字病院は、いまの日本医療が抱える“静かな危機”をそのまま映し出す場所になっている──この一週間の通院で、私は強くそう感じています。  

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2025年11月17日月曜日

女性の敵は女性か──高市首相をめぐる偏見と思考のねじれ

 

「媚びでのし上がった」「ネトウヨの姫」…支持率8割の高市首相を叩き続ける女性の"複雑な胸中"

批判を続けるほど高市人気を高めることになる
#プレジデントオンライン

https://president.jp/articles/-/104888

複数の大手メディアの世論調査で、高市内閣の支持率は60~80%という非常に高い水準を示しています。一方で、「媚びて出世した」「ネトウヨの姫」といった非難が、一部の女性から執拗に向けられています。武蔵大学社会学部の千田有紀教授は、これらの女性たちが「初の女性首相は、差別撤廃を推し進めるリベラル系の改革派であってほしい」という期待を抱いており、保守的な右派の女性総理という現実に納得できないのではないか、と説明しています。

要約(記事の趣旨)

  • 高市内閣は60~80%の高支持率。
  • 一部の女性は「媚び」「ネトウヨの姫」などのレッテルを貼り、強く批判している。
  • その背景には、「女性首相=リベラルであるべき」という固定観念があるという指摘。
  • しかし、こうした批判はむしろ高市人気を押し上げている面がある。

千田氏は上野千鶴子氏の教え子でもあるとのことですが、その割に自身の立場を明確にしようとはしない点が印象的です。面識もないのにごめんなさいね。

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「女性首相はリベラルであるべき?」──日本型フェミニズムの思考停止

高市首相の支持率が軒並み8割に迫る中、いまだに「媚びでのし上がった」「ネトウヨの姫」といった低次元の攻撃を繰り返す声があります。しかし、その発信源をたどれば、それが国民全体の“女性”ではなく、ごく一部の日本型フェミニズムのアクティビスト層に限られていることは明らかです。

興味深いのは、この記事を書いた千田教授の立ち位置です。「一部の女性が複雑な胸中を抱えるのも理解できる」と述べつつ、結局は高市首相の政治的立ち位置から距離を置くように見えます。この曖昧さは、学者としての中立性なのか、それとも政治的な忖度なのか、判断がつきません。むしろ、教授自身がまさに“複雑な胸中”を抱えているようにも感じられます。上野千鶴子の呪縛か?(ご無礼!)。

すなわち、「初の女性首相が保守であっては困る。しかし、それを正面からは言いにくい」
という板挟みがあるのでしょう。そのため、「複雑な女性たち」を代弁する形を取りながら、自身の立場を安全圏に置こうとしているようにも見えます。

しかし、そもそも「女性首相はリベラルでなければならない」という前提そのものが偏見です。ジェンダー平等を標榜する側が、最も避けるべき“役割期待”を女性に押しつけている構図になっています

実際、こうした批判をしている層は「女性としてのふさわしさ」を問題にしていますが、それは最も古いタイプの性差別的思考そのものです。

さらに、この狭い価値観を「学術的分析」の衣装を着せて提示することが、学問としてどれほど妥当なのかは疑問が残ります。

加えて、こうした“ごく一部の活動家”による声の大きな攻撃は、むしろ一般国民の反発を招き、結果として高市人気を押し上げる逆効果を生んでいるように見えます。記事はその現象を淡々と描いていますが、意図したものかどうかはともかく、高市首相の政治的追い風になっていることは否めません。

結局のところ、女性リーダーの価値を狭めているのは高市首相ではなく、「女性はこうあるべきだ」と決めつける一部の少数派の側ではないでしょうか。

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2025年11月16日日曜日

スプリングスティーンを聴きながら走ったハイウェイ

 

Route 1&9 ── ブルース・スプリングスティーンと、私の“明日なき暴走”


1989年から数年間、私は毎週末、ニュージャージーの Route 1&9 を南へ下っていました。邦銀のデータセンター構築プロジェクトのためで、現場は Jersey City。ニューヨーク州ウエストチェスターに住んでいた私は、Tappan Zee Bridge を渡り、ハドソン川を左手に眺めながら、Route 1&9 を延々と南下するのがルーティンでした。

その長い道のりのあいだ、車内に流れていたのは決まってブルース・スプリングスティーンでした。

スプリングスティーンにとって Route 1&9 は、単なる道路ではありません。「Born to Run」や「The Promise」に登場するように、彼の若さ、焦燥、そして希望が渦巻く象徴的なラインであり、Freehold や Asbury Park といった原風景を結びつける“彼の道”そのものです。私はその道を毎週末、自分の人生の通路として走っていたのです。

Jersey City に近づくと、信号で止まるたびに街娼が近づいてくることもありました。彼女たちの口癖は “Wanna go out?”。私はいつも “I am already out.” と返したものです。薄い霧に包まれたハドソンの向こうにニューヨークの摩天楼が立ち上がる。

そんな週末の早朝、車内で「Born to Run」を聴くと、胸の奥がざわつき、若い頃の自分が何かへ向かって走り出す感覚がよみがえってきました。

スプリングスティーンの代表曲「Born to Run」は、恋人同士が自分たちの存在と真正面から向き合い、人生に意味を求め、山椒魚の岩屋ではなく、“自分たちの居場所”を探そうとする物語です。この曲が普遍的なのは、そこで投げかけられる問いが、私たちが誰もが一度は心の奥で向き合うものだからです。

社会人になり四国へ移った頃、私は毎日のように『Born to Run』を聴いていました。人生はどこへ向かうのか。そもそも何を求めて走っているのか。スプリングスティーンの声は、そんな自問をやめさせてはくれませんでした。

“Highway 9” は、彼の故郷 Freehold を貫く US Route 9 のことです。労働者階級の閉塞感から抜け出す道であり、より良い未来へと続くタイムトンネルのような道路でもあります。若いうちにこの希望のない場所から抜け出さなければ、人生は無駄になり、生きる目的を見失ってしまう——そんな切迫した危機感がこの曲にはあります。主人公たちは、この「罠」から逃れるために、自由を求めてハイウェイを暴走しようとするのです。

Born to Run に出てくる Highway 9 は、ニュージャージー北部では Route 1 と合流し、1&9 として猥雑な街を貫いていきます。私が走っていたのは、この重複区間(ワン・アンド・ナイン)でした。スプリングスティーンにとっての Route 9 が彼を故郷から解き放ったように、四国の仕事や生活から抜け出そうともがいていた自分を思い出し、彼のハイウェイと奇妙な一体感を覚えていたのでした。

Route 1&9 は、今でも私のアメリカ生活の記憶の背骨のような存在です。ハドソン川、対岸に浮かぶマンハッタンのスカイライン。そして車内に響くスプリングスティーンの声。

“Is there really something out there for me?”

Route 1&9 の景色とスプリングスティーンの歌声は、今でも私の胸の中でひとつの風景として続いています。

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