2025年8月8日金曜日

献身という事 ~ 戦後80年の夏に思うこと

リンカーン(Wikiより)

8月15日が近づくたびに、私は必ず思い起こすことがあります。

私は「もはや戦後ではない」と言われた世代に生まれたため、1945年8月15日の記憶は持っていません。しかし、子どもの頃からこの日はどうしても嫌いでした。その理由は、三島由紀夫が述べた「限りなき悲哀」を、私は毎年感じるからです。

この日、私は常に戦後日本の教育が作り上げた歴史認識に違和感を抱きます。日本は敗戦後、過去を直視することを避け、まるでダチョウが目を閉じて現実を見たくないかのように、過去を無視してきたように思えます。

私はリンカーンの「ゲティスバーグ演説」を思い出さずにはいられません。

アメリカ人が深く愛してやまない言葉「devotion」は、この演説でも強調されています。リンカーンは、戦争で命を落とした人々が「無駄死にではない」と強く伝えたかったのでしょう。彼は、戦争の悲劇を慰霊しつつ、その犠牲が決して無駄ではなかったことを伝えたかったのです。

リンカーンが訴えた「人民の人民による人民のための政治」というフレーズは、単なる有名な言葉にとどまるものではありません。その本当のメッセージは、戦争で命を捧げた人々が決して無駄死にではなく、彼らの献身があって初めて、新たな誓いとして自由と平和を守るための政治が成り立つ、というものです。

戦後80年の今、私は戦没者の献身を無駄にしないことが私たちの責務であると強く感じています。日本の過去を見つめ直し、戦争の犠牲者への感謝と敬意を示すためには、自己批判的な歴史認識を超え、私たちの名誉を守るために立ち上がらなければなりません。リンカーンが訴えた「devotion」の真の意味を、今こそ深く考えるべきです。

この夏、国民が最も求めるべきは、戦没者を敬い顕彰することです。そのためには、国のリーダーには靖国神社への参拝が最も意義深い行為であると私は信じています。

さらに、民意を無視し、辞任を表明しない総理大臣に対して、私は強い不満を抱いています。政治家として、責任を果たさずその座にとどまり続けることが、いかに無責任であるかを再認識すべきだと思います。

私は誠実な歴史認識と、真摯な責任の取り方を信じています。日本の未来を守り、戦没者の犠牲に感謝するためには、自己批判的な歴史観を超え、日本の名誉を守り続ける姿勢こそが今、最も必要だと考えます。それが、今の日本の子どもたちに対する大人の責任です。

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ゲティスバーグ演説
ゲティスバーグ、ペンシルバニア州 1863年11月19日

87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。 ――それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。)—Abraham Lincoln

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2025年8月5日火曜日

Oh, That's a RIP-OFF ‼


合意なき合意、責任なき交渉

例によってYouTubeで国会中継を2倍速で視聴しました(更にとばして)。

登場していたのは、いまこの国を動かしているはずの人たちです。ですが、突っ込みどころ満載でイライラしてしまいます。質問が届かない。答弁がかみ合わない。責任の所在も、言葉の重みも、どこかへ置き忘れてきたような印象を受けました。

なかでも象徴的だったのが、石破内閣による日米の関税交渉をめぐるやり取りでした。政府は「合意に達した」と胸を張りましたが、その合意には、文書が存在していません。署名も、共同声明も、読み上げもない。つまり、何も記録が残っていないのです。

民間のビジネスでいえば、「取引先を信じて発注書なしで仕事を進めました」と言っているようなものです。そういった関係が成立するのは、町工場の親方と昔ながらの得意先くらいでしょう。国家間の交渉においては、それは“信頼”ではなく“無防備”と呼ばれます。  

「Rip-off」の感覚を持っていたら

英語には rip-off という表現があります。
「ぼったくり」や「法外な取引」といった意味合いです。

たとえば、アメリカ側が強硬な関税条件を突きつけてきたとき、日本側が “Oh, that's a rip-off.” と返していたら、交渉の雰囲気は少し違っていたかもしれません。

もちろん、本気で怒る必要はありません。ニヤリと笑って、ブラックジョークを交わす程度でもよかったのです。本音がぶつかり合う場にこそ、交渉の入り口はあります。それをせず、ただ「Yes」と言えば場が収まると思っていたのだとすれば、それは交渉ではなく譲歩にすぎません。

書かれていない「Ts」= 義務

かつて先輩が、こんな話をしていたことがあります。

「契約には Terms and Conditions(Ts and Cs)がある。けれど、日本人は Conditions(条件)ばかり見て、Terms(期間や終了条件)を見ない」

これは、まさに今の日本外交にそのまま当てはまります。“合意”と呼ばれているものの、そこには期限がありません。終了条件も不明です。何が義務(terms)で何が義務でない(conditions)かが分かっていない。アメリカから見れば、「あとから都合よく解釈を変えるための余白」がたっぷりある、扱いやすい“合意もどき”と映っていることでしょう。

今後、アメリカはこう言い出すかもしれません。

「あの合意には期限がなかった」
「“努力する”と言っただけだ」
「国内事情が変わったので内容を見直す」

トランプ大統領の交渉は、まさにマンハッタンの不動産屋のものなのです。

鉄砲は、後ろから撃たれる

この“合意”の影響は、直接、産業の現場に降りかかります。とくに、自動車メーカーにとっては、まるで背後から撃たれたような衝撃だったはずです。

アメリカ市場での販売戦略は、関税やレギュレーションに左右されます。その重要な前提を、政治家の気まぐれで勝手に組み替えられてしまってはたまりません

本来であれば、トヨタの会長あたりが激怒してもおかしくない局面ですが、日本の大企業は「空気を読む」ことに関しては世界でも随一の対応力を持っています。今回はおそらく、静観して後で帳尻を合わせる、ということなのでしょう。しかし、その帳尻はあまりにも大きすぎるかもしれません。

「責任」は言葉ではなく、紙でとる

交渉の本質は、「書かれていること」で決まります。言った・言わないのやり取りは、交渉ではなく雑談の領域です。それにもかかわらず、今の日本政治は「説明責任」ばかりを強調して、「契約責任」にはほとんど関心を示しません。外交の現場に必要なのは理想論でも情熱でもなく、紙に残すという冷静な習慣なのです(紙に残しても反故にされる場合もあるのですから)。

もしこれが企業の案件であれば、社内の稟議書にはこう書かれるでしょう(アメリカの場合、稟議書にあたるのは「business case」です)。

「この案件、Ts(期限)なし。書面もなし。相手が強すぎる。リスク大」
「却下!」

ところが、いまの政府はそれを“成果”と呼んでいます。

紙のない外交に、未来はありません。そう言い切れるだけの見識と経験を持つ人が、もう少し政治の中にいてもよいのではないでしょうか。市町村議会じゃないんだから(ご無礼)。

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2025年8月4日月曜日

八月という季節に思う──戦後日本と私の違和感


人生の先が見えてきたからでしょうか、かつて強烈だった8月への拒否反応も、最近ではやや和らいできました。それでも20代の頃から、私は8月に日本にいることが本当に嫌でした。理由は明快です。テレビや新聞、雑誌など、メディアが取り上げる「戦争」や「終戦」の話題に強い強い不快感を覚えるからです。そうした報道の空気に触れるたび、日本人でいることが情けなくなるのです。

なぜ不快なのか。それは、どれもが「うわべ」だからです。日本の教育界やメディアには、 戦後に輸入されたアメリカ式教育思想を誤って解釈した影響が強く残っています。すっかり空疎な理想主義と責任転嫁の術だけを身につけてしまった。日本人としての自己認識も歴史的教養も欠けているように見えます。

私は40年以上前から、「もう日本人は戦後に喪失した主体性を、今こそ取り戻すべきだ。自らの足で日本を発見すべきときだ」と言い続けてきました。それは決して、戦前の独善性に回帰することではありません。むしろ、もっと広く、もっと深く、長所と短所を見きわめ、日本人とは何者かを考え、新しい時代へと進むための手がかりを見出すべきだという思いからです。

世界のあらゆる仕組みには、ルールがあります。なぜなら、多くの国が人間の本性を性悪説に立脚して理解しているからです。人間は不完全であり、禽獣の域を脱していない――その認識が、政治や外交の現実的な土台を支えています。国家間の摩擦は、文化、感情、認識のギャップから生まれます。日本の2000年以上に及ぶ文化と、17世紀以降のアメリカ的近代文明とは、人生観も倫理観も宗教観も根底から異なるのです。だからこそ、国家間の問題には抽象的なレベルにおける理解が不可欠です。

ところが日本では、議論は逆の方向に流れがちです。政府、官僚、企業を構成するエリートたちは、具体的議論には長けていても、抽象的な思考や全体像をレベルセットする能力に欠けています。現行の教育制度もその原因の一つです。教科ごとの知識(=柱)は立てるが、それらをつなぐ「梁」を架けることはない。つまり、体系性のある思考が育たないまま社会に出てしまう。

結果として、抽象と具体のバランスをとって思考・行動するという、もっとも基本的な知的態度が形成されない。「君子不器」――孔子のこの言葉が今こそ重みを持ちます。すなわち、君子たる者は一つの機能にとどまるなという教えです。現代の日本に欠けているのはまさにこの「全体性」への志向です。

若い人たちには、単に「人殺しは悪い」「戦争は悲惨だ」といった情緒的で抽象度の低い話だけではなく、「戦争論」としてのメタ的な視座から、ものの考え方を鍛えてほしいと思います。誰だって人殺しは嫌です。そんなことは言われなくても分かっているのです。問題は、なぜ人は戦争に踏み込むのか、 国家という単位で命が動員される現実がどうして発生するのか――そうした根本的な問いです。

日本のメディアは、8月になると「反戦」の情緒的メッセージを繰り返し流しますが、それがあまりにも浅く、そして自動化されていて、私はむしろ絶望すら覚えるのです。だからこそ、今の日本で残された道は、一人でも多くの若者に覚醒してもらうこと。そのためにも、「器にとどまらぬ君子」を育てることに尽きるのではないか。

この国がここまで堕ちたのだと痛感させる政治家の顔、、、頭がくらくらするのは、どうやら暑さのせいだけではないようです。   
    
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2025年8月3日日曜日

私の戦後80年談話

 
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」(著者撮影)


近代史の影と未来への責任

―― 広島・長崎から福島まで、「核」と向き合うということ

広島と長崎への原爆投下から80年が経過しました。今もなお、私たちはその出来事とどう向き合い、どのように未来に継承していくのかを問われ続けています。しかし、この惨劇を自然災害のように扱い、「落ちた」のではなく「落とされた」のだという事実すら、どこか曖昧にされているように思えます。なぜ原爆が広島と長崎に投下されたのか。その背景を正しく理解し、語り継ぐことなしに、日本が真に戦後レジームを脱却し、自立した国家となることはありえません。

アメリカが核兵器を使用した狙いは何だったのか? ハリー・トルーマン大統領と側近のバーンズによる対ソ戦略や外交交渉の布石として、原爆が使用されたという見方は根強くあります。1945年8月6日、ウラン型爆弾「リトルボーイ」が広島に、8月9日にはプルトニウム型爆弾「ファットマン」が長崎に投下されました。同日の早朝にはソ連が満州・樺太に侵攻。スターリンは、日本の即時降伏を恐れて慌てて日ソ中立条約を破棄し、参戦を決断しました。

日本政府はソ連に和平の仲介を期待していたため、まさに戦略は裏目に出ました。8月10日、日本はようやくポツダム宣言の受諾を決定しましたが、すでに二発の原爆が使われた後でした。アメリカが原爆投下によってソ連の軍事的拡張を抑止しようとしたにもかかわらず、その後の歴史が示す通り、それは成功したとは言い難く、むしろ米ソ冷戦が加速しただけでした。

トルーマンとバーンズは、ポツダム宣言の文面から「天皇の地位保全」に関する条項を削除し、日本に最後通牒として伝わらないよう配慮したとも言われています。結果的に日本政府の判断をさらに迷わせることとなりました。この種の「外交上手」は、裏を返せば実に腹黒い計略とも言えるでしょう。

戦争の背景にある国際政治の複雑さや外交のデリカシーに対して、日本はあまりにも鈍感でした。いくら「過ちは繰返しませぬから」と誓ったところで、その背景を正確に検証しなければ、核兵器反対や原発反対を叫ぶ声も、列島の中だけで響く空疎な反復になりかねません。

原爆と原発は技術的には異なるものの、どちらも「核」という共通点を持ち、日本の歴史に深い爪痕を残しています。福島原発事故のような比較的新しい出来事でさえ、事故の根本的な原因(root cause)についてはいまだに見解が分かれています。この事実は、広島・長崎への原爆投下という、より複雑で多層的な歴史的事象の真相解明がいかに困難かを物語っています。

アメリカと日本の間には、単なる戦争の結果ではなく、思想的・哲学的な断絶があります。アメリカの近代国家主義は、アトミズム(原子論)という、「個」がバラバラに存在する世界観に基づいています。対して日本は、人と人が支え合う分子論的な共同体の価値観に基づいて社会が構成されてきました。その断絶は単なる文化の違いではなく、戦争やその後の占領政策、現在の国際政治にも影を落としています。

私たちが国際社会においてどう生きるかを考えるとき、世界には「共通の正義」や「普遍的な価値」など存在しないことを前提にすべきです。外交とは「キツネとタヌキの化かし合い」であり、自分の国は自分で守るという覚悟が必要です。国連の存在や国際法の限界は、朝鮮戦争やソ連の国連拒否権の扱いなど、歴史が既に証明しています。

だからこそ、私たちは過去の戦争や核の問題を、単なる過去の出来事として扱ってはなりません。今の政治家や教育制度が過去を十分に検証していないとしても、私たち一人ひとりが、歴史の真実に目を向け、未来への責任を果たすべきです。

未来の世代にとって、過去は単なる記録ではなく、「生きた教訓」として意味を持つべきです。原爆投下の本当の意味とは何だったのか? それに対する答えを、日本人自身が出す責任があるのではないでしょうか。
    
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2025年8月2日土曜日

「The Buck Stops Here」~ 責任とリーダーシップの空洞化

トルーマン大統領
The Buck Stops Here なのか Pass the Buck なのか?

昨日、臨時国会が召集され、新人議員たちが初登院しました。しかし、それを見ながら私は高揚感よりも深い虚無を覚えました。日本の政治家の威信は、もはや地に落ちたと言っていいでしょう。阪神淡路大震災、オウム真理教事件、東日本大震災——いずれの時も、私が感じたのは「この人たちが国を導いているのか?」という、苛立ちと不安でした。危機の場面に立たされた政治家たちの発言は、空虚な言葉を繰り返すだけで、そこに「責任」という重みはほとんど感じられませんでした。


こんなとき、私はいつも英語の表現「The buck stops here.(責任はここで止まる)」を思い出します。この言葉には、リーダーが自らに責任を引き受ける覚悟と決意がにじんでいます。翻って日本の政治家に、その「責任の止まり木」が果たしてあるのでしょうか。

私はただの老百姓です。けれど、凡人なりに、自分の生活と命を守るために危機感を持ち、慎重に生きてきました。それが私なりの「危機管理」でした。そして、それを国家レベルで行うのが、本来の政治家という存在のはずです。だが今や、政治家とは「口当たりの良い言葉を言い、無責任に去る者たち」になりつつあるのです。

特に今の総理に対する評価は、私の中で明確です。彼は明らかに、リーダーに最も向いていない「スペック」の人物です。確固たるビジョンもなければ、思想的バックボーンも見えない。かつて防衛大臣であった際の対応には、致命的な判断ミスがあったし、拉致問題においても、被害者家族の切実な思いに真に寄り添う姿勢は見られませんでした。

彼を見ていて感じるのは、「冷徹さ」ではなく、「リーダーとしての器の小ささ」です。発言に一貫性がなく、自分の言っていることの意味を自覚していないようにすら見えます。その場しのぎの言葉を重ねるだけで、明確な方向性や意志が伝わってこない。

にもかかわらず、なぜ彼を支持する層が存在するのか? それは、戦後日本の深層にある「現状維持の病理」にほかならないでしょう。特に高齢者層には、「変わらなくてもいい」「今のままでよい」と考える者が多い。自分たちの残りの人生が平穏であれば、それでよし。未来の日本より、自分たちの安定が大事なのです。私も高齢者の一人なのでよくわかります。

この姿勢は、まさにニーチェが『ツァラトゥストラ』で描いた「末人(the last man)」そのものです。自分で考えず、リスクを取らず、ただ「快適さ」だけを求める者たち。こうした国民に支えられたリーダーが、果たして未来を切り開けるだろうか?

思えば、日本のこのような風土は、近代以降の教育制度に端を発している。「自己本位」(selfhood)を育むことなく、「序列」と「従順」だけを教えてきた敗戦後80年の教育が、思考を放棄した末人を大量に生み出した。そして個人(individual)と社会(society)の関係性を問うことなく、ただ「世間」に適応する人間を作り続けたのです。

政治とは、自己保存の延長ではなく、公共への献身であるべきです。だが、公共空間が未成熟なこの国では、いまだに「世間」がすべてを支配しているかのようです。個人の意志よりも、空気の読み合いが優先され、政治家でさえもその空気の奴隷となる。

いま、私たちはもう一度問わなければなりません。
総理大臣は、「The buck stops here」という言葉を、果たして本当に知っているのか?

そして我々国民もまた、自分の「The buck」がどこに止まるのか、問い直す時に来ているのではないでしょうか。

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2025年8月1日金曜日

檸檬色の反抗 ―― 私とコペンの物語

 

私がコペンを選んだ理由は、単にユニークな軽自動車としての魅力だけではありません。その黄色――この色に込めた個人的な意味が、実はとても大きいのです。この黄色は、梶井基次郎の短編小説『檸檬』に登場する、あのレモンの鮮烈なイメージと重なります。

私は『檸檬』を、日本の明治以降の近代化が上滑りに進んでいったことへの批判として読み取っています。西洋的な価値観に流され、和魂洋才の精神を忘れてしまった日本。その姿を象徴するように、主人公の手に握られたレモンは、ただの果物ではなく、抑圧された精神の爆弾のように感じられるのです。そして物語の最後、そのレモンが爆発することで、鬱屈したエネルギーが一気に解放される。私の選んだコペンの黄色にも、まさにその爆発的なエネルギーが宿っている気がします。孤独や無力感のなかでも、心のどこかで静かに反抗を燃やしている自分自身を象徴しているようなのです。

思えば、黄色い車に惹かれる感覚は、今に始まったことではありません。

社会人になって数年たった頃、私は人生で初めての新車を購入しました。黄色のホンダ・シビックです。その頃、四国の徳島で暮らしていた私は、特に通勤に使っていたわけではないものの、休日のドライブなどでその鮮やかな黄色い車を走らせていました。地元の人たちからは「まっ黄色の車とはまた目立つね」と、少し奇異の目で見られていましたが、私はまったく気にしませんでした。むしろ、まだまだ封建的な当時の四国の社会に反抗心を燃やしていたのかも知れません。今思えば、あの時すでに、私は自分の中の「レモン」をどこかで感じ取っていたのかもしれません。

そして現在、私は黄色いコペンに乗って4年目になります。

この車は、ただの移動手段ではありません。運転そのものが楽しく、まるでゴーカートに乗っているかのような感覚を味わえます。年齢を重ね、免許返納のカウントダウンがそう遠くない将来に始まることを思えば、今乗れる車は限られてきます。だからこそ、毎日が貴重です。

コペンを選んだ最大の理由は、そのユニークさにあります。軽自動車でありながら、オープンカーとしての遊び心、そして日本らしい繊細な設計とデザイン。まさに「日本にしか作れない車」だと感じています。黄色という色もまた、梶井基次郎の『檸檬』が持つシンプルで力強い美しさと重なり、私にとってこれ以上ふさわしい色はありませんでした。

もちろん、ダイハツを取り巻く不正問題には、複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。

企業の問題にとどまらず、国土交通省の試験プロセスそのものに問題があったのではないかという強い疑念もあります。安全性を担保する検査が機能していなければ、見過ごされた問題が消費者にとって致命的なリスクになりかねません。企業の不正が明るみに出たときこそ、行政側もその試験体制を精査し、改善すべきです。とりわけ交通安全に関わる問題は、個人の所有車であっても、社会全体に波及する責任を含んでいます。

そして何より、私が最も不満に思うのは日本のメディア報道の姿勢です。視聴率至上主義のような煽るだけの報道が横行しており、これは戦前の新聞やラジオが大衆を動かした構造とどこか通じています。今こそ、ジャーナリズムの精神を取り戻すべきではないでしょうか。

還暦を迎えてコペンを選ぶ人は意外と多いと聞きます。

真っ赤なコペンで還暦祝い――そんな話を耳にするたび、なんとも微笑ましい気持ちになります。年齢に関係なく、スポーツカーの魅力は「運転の楽しさ」に尽きる。その考えには私も共感しています。

ただし、日本の夏にトップダウンで走るのは、現実的にはなかなか厳しいものがあります。私はもっぱら、冬にシートヒーターを効かせて屋根を開け、冷たい空気のなかを走るのが好きです。長距離ツーリングをするわけではなく、近所の買い物に使う「お買い物車」として日常的に活用していますが、それでもこの車の小回りのよさ、駐車のしやすさは本当にありがたい存在です。

私にとってコペンは、単なる車ではありません。

日々の生活の中で「楽しさ」を思い出させてくれる、大切な存在です。軽自動車という枠を超えて、日本が持つ技術と遊び心が凝縮された一台。この黄色い小さな車を、私はこれからも大切に乗り続けていくつもりです。

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2025年7月31日木曜日

映画『侍タイムスリッパー』を観て

私は昔から時代劇のファンです。子どもの頃、家の本棚には池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎の本がぎっしり並んでいました。通っていた東大阪の小阪中学への通学路には、司馬遼太郎の自宅がありました。ある日、庭の植木に水をやる白髪の老人を見かけ、それが本棚に並ぶあの名著の作者だと知ったときの不思議な気持ちは、今でもよく覚えています。

昨日、録画しておいた映画『侍タイムスリッパー』を観ました。とてもおもしろく、心に残る作品でした。

物語は、現代と江戸を結ぶ“時をかける侍”が軸となって展開します。簡単に言えばタイムスリップものですが、そこには思いのほか深い主題がありました。

それは、「責任の引き受け方」「武士の生きざま」といった、日本人がかつて大切にしていた精神です。今の日本社会に最も欠けているものではないでしょうか。今の政治家を見ているとよくわかりますよね。

この映画には、風情や心情、風習といった、いまや風化しかけている美意識が丁寧に織り込まれていました。一方で、私たちが生きる現代は、何が本物かも分からなくなる「シミュラークル(模像)」の世界。AIやテクノロジーが進化する一方で、私たちの感覚は鈍り、本物と偽物の境界があいまいになってきています。『侍タイムスリッパー』は、そんな世界に対して「本物とは何か」という問いを突きつけているようにも思えました。

高坂新左衛門(山口馬木也)「おれは情けない男だ。」

風見恭一郎(冨家ノリマサ)「おれたちは己の信じる道をせいいっぱい生きた。それでいいじゃないか。」

主演の山口馬木也は、四半世紀前に藤田まこと主演のドラマ『剣客商売』で、息子・大治郎を演じていた俳優です。久しぶりに彼の姿をスクリーンで見て、実にいい役者になったと感じました。年を重ねた分だけ、演技に深みがありました。デビュー直後に藤田まことと『剣客商売』で共演したのが良かったのでしょうか。
  
時代劇とは、過去を再現することではなく、過去を媒介として現在を照らす行為だと思います。この作品が描こうとしたのは、刀やちょんまげではなく、「人は何を拠り所に生きていくべきか」という普遍の問いでした。

時を越え、時代を越えて、私たちの心に問われるのは、結局、たったひとつ。「あなたは、どう生きるのか?」ということなのかもしれません。

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