2025年9月20日土曜日

トランプ スタイル

 

トランプタワーと 590 Madison ビルの間の Public Space
(写真はネットから無断借用です)


トランプ訪英と不法移民問題――日本が学ぶべき現実

私はアメリカで仕事をしていた頃、初期の1989年から1993年の間、マンハッタンの 590 Madison Avenue にオフィスがありました。このビルはトランプタワーと隣接し、バンブーガーデンという「Public Space」を共有していました。特別にトランプ氏に関心を持っていたわけではありませんが、彼の噂は常に耳に入ってきました。ですから今回、トランプ大統領の訪英に関するBBCの記事を読んだとき、自然と彼のスタイルを自分なりに再考することになったのです。

BBCによれば、イギリスでは近年、小型船による不法入国が記録的に増加しています。スターマー首相はフランスとの返還協定など穏健な対策を模索しましたが、トランプ大統領は「軍を投入してでも止めるべきだ」と強硬策を主張しました。「不法移民は国を内側から破壊する」とまで述べ、アメリカでの経験を根拠に強い姿勢を示したのです。

数十年前、イギリスはアメリカをどこか冷ややかに見下していた印象がありました。しかし今回の国賓訪問では、トランプ氏への対応に礼節が目立ち、その提案に一定の配慮さえ感じられました。英国社会にとって、不法移民問題がそれほど切迫した現実になっている証拠だと思います。そして、この礼節の背景には、イギリスがロイヤルファミリーを擁する伝統とブランド価値を誇りにし、その強みをもってトランプに対抗しようとした意図があったのではないでしょうか。

一方、日本はどうでしょうか。人口減少と労働力不足を理由に外国人労働者の受け入れを拡大していますが、制度設計も運用も極めて緩いのが実情です。私は20年間アメリカに住み、愛犬を3度日米間で移動させました。日本はイギリス同様、狂犬病ゼロの国として動物検疫は非常に厳格で(アメリカは犬の持ち込みはいたって簡単です)、老犬を3か月も成田空港に係留させた経験もあります。しかし、人に対する入国管理やビザ、永住権、不動産取得の規制は驚くほど緩い。この落差は理解に苦しみます。

さらに、日本の主要メディアはロンドンで起きた大規模な反移民デモを報じません。自民党総裁選においても、不法移民の問題は争点にすらなっていません。欧米が直面している混乱を見れば、今のうちに厳格化しなければ手遅れになるのは明らかです。

ここで改めて、トランプ氏の交渉スタイルについて考えたいと思います。

心理学的に「アンカリング」といった戦術で説明されることもありますが(最初に受けた情報や数値、つまりアンカーが、その後の判断や意思決定に大きな影響を与える心理的な現象)、実際にはもっと土着的です。子供の頃の不良仲間との人間関係、不動産業を営んだ父の手法、ウォールストリートの強者たちとの交渉の積み重ね。そうした経験を基盤に、相手を値踏みし、価値があると見ればディールをクローズする方向で突進する。その強引さこそが彼の特徴です。

彼にとっての「Make America Great Again(MAGA)」は単なるスローガンではありません。アメリカのブランド価値が下がれば、交渉で不利となり、ひいてはアメリカの資産価値も損なわれる。だからこそ国家の威信を取り戻そうとするのです。

イギリスにはロイヤルファミリーがあります。そして日本には、皇室を中心とした伝統と文化が2000年以上も続いているという、世界で唯一の歴史があります。これこそが日本の最大のブランド価値であり、イギリスは当然それを知っています。トランプ氏でさえ、皇室の存在には敬意を払うでしょう。アメリカには中世すらないわけですから。

問題は、それを交渉の場でどう活かすかです。もし日本の交渉人とされた赤沢さんが実務レベルで担当するのであれば、本来は首相が前面に出て、抽象度を高めた「日本のブランド価値」という視点からトランプとレベルセッティングを試み、共同主観を醸成すべきでした。不法移民や違法ドラッグといった共通の脅威に対し、伝統とブランドを守る立場から意識を共有すること――それこそが日本の取るべき戦略だったのです。  

残念ながら、すでに手遅れかもしれません。しかし、イギリスがかつての冷笑から現実的な礼節へと転じたように、日本もまた理想論や経済的便宜に逃げるのではなく、現実の課題に正面から向き合う必要があります。国境管理と社会秩序のバランスを真剣に考える時期は、すでに到来しているのです。
  
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2025年9月19日金曜日

祖父が歩いた森から考えたこと

















京都大学デジタルアーカイブより(昭和初期の泊居)


私の亡き父(1930-2013)は、かつて日本領だった南樺太の北端・泊居(トマリオル)で生まれました。祖父が奈良の営林署(現在は林野庁森林管理署)から樺太に転勤したのが理由です。なぜ奈良出身の祖父が奈良から樺太への異動なのかは分かりません。1920年代のことでした。父が泊居尋常小学校の高学年の時に一家は樺太庁の置かれた豊原(樺太最大の都市)で暮らしており、昭和16年には祖父が奈良の営林署へ戻る形で内地へ復帰しました。迫って来る戦禍を考えると、このタイミングの帰還はまさに絶妙だったと思います。

祖父は明治33年生まれで、戦前から戦後にかけて日本の森林事業に生涯を捧げました。若い頃には後備役将校として編入された記録が残っており、当時の知識人に求められた軍歴をきちんと持っていた人でした。極寒の山野を駆け、山林を歩き、営林署員(技手)として職務に励んでいました。戦後は林野庁の前身である営林局を経て、森林開発公団に籍を置きました(現在の森林整備センター)。公団は高度経済成長期の林業インフラ整備を担い、林道建設や造林事業を推進していました。祖父はそこで記事を執筆したり、後進の指導にあたったりもしていたようです。国会図書館デジタルコレクションで、当時の政府職員録を閲覧することができます。立法、行政、司法の各機関や、地方公共団体などの公務員の人事情報が掲載されています。更に、森林開発公団時代の祖父の名前を冠した論文がいくつか残っています(1950年代)。

私にとっての祖父は、もっと日常的で、少し不思議な存在でした。明治の男でありながら、自らラーメンやポテトサラダを挟んだサンドイッチを作り、片付けまできっちりやる几帳面さを持っていました。決して声を荒げることなく、淡々とした生活を送りながらも、山と森への情熱を静かに燃やし続けた人だったのでしょう。昭和44年、69歳で亡くなりましたが、私は祖父が台所に立つ姿を今でもはっきりと覚えています。

そんな祖父の姿を思い出すたびに、最近話題の「木育」が気になります。2004年に北海道で発祥した木育は、子どもたちが木製遊具や木のおもちゃを通じて木や森に親しむことを目的とする教育運動です。今では全国各地に木育広場やおもちゃ美術館が広がり、子どもが実際に木に触れること、森の存在を感じること、その情操的な側面が強調されています。

もっとも、木育指導者の中には実際に現場の森を歩いたことがない人もいます。木のおもちゃだけで祖国の森や林業に誇りを持たせられるのかどうか、そこには疑問が残ります。祖父が自ら極寒の樺太の森を歩き、林道を拓き、木を見て手を動かしてきたことを考えると、「現物体験」の重要性は揺るぎないものだと思います。

皮肉なことに、その木育発祥の地である北海道では「再生可能エネルギー」の名のもとに自然破壊が進んでいます。例えば、北海道内の風力発電導入量は、福島第一原発事故以降の大型プロジェクトが進んだ結果、直近3年で2.3倍に拡大し、2024年度末時点で累積出力は136万キロワットに達しています。

また、釧路湿原の近くではメガソーラー施設が計画されており、開発面積は約27ヘクタール、出力は21メガワット規模。国立公園やラムサール条約湿地の隣接地で森林伐採・造成工事が進められています。計画されているパネル枚数は約36,579枚。環境保全の観点から希少生物の営巣問題などとも衝突しています。

このような再エネの拡大は、脱炭素や持続可能性という大義名分がありますが、それが必ずしも「森を守る」という祖父の仕事と整合しているとは言えません。森を切り開いてパネルを敷設することは、森林の生態系や生物多様性を損なう可能性があり、景観や地元の自然との共生という視点が軽視されがちです。

時代は違えど、人と森をつなぐ営みの重要性は変わりません。祖父が山を駆け、林道を造り、木を育ててきた体験は、私にとって「現場の教育」の原点かもしれません(「邂逅」と言ってもいい)。木育がその原点を忘れず、子どもたちに森の匂い、木の肌触り、木陰の風を伝えるきっかけとなってほしいと思います。そして、再生可能エネルギー事業もまた、自然を消費するのではなく、次世代へ自然を引き継ぐ形で行われるべきだと強く感じます。

自然を征服するのではなく、人間と自然とが一体となること。それこそが、祖父が生涯を通じて示してくれた姿勢であり、私たちが未来へ受け継ぐべき基本だと思います。

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2025年9月18日木曜日

NHKの討論番組から考えたこと

 
NHK放送センター(東京・渋谷)

公共放送とは何かを問い直させる象徴的な風景


先日、NHKの日曜討論を観て(実際は、車の中で音声だけを聞いて)、いくつかの点を強く感じました。


第一に、そもそも「討論」になっていないということです。各出演者が持論を述べるだけで、相互に問い質し、論点を深めていく場にはなっていませんでした。第二に、ファシリテーターの問題です。議論を整理し、論点を掘り下げていく役割が十分に果たされていないと感じました。第三に、現実と経済指標分析とのギャップです。専門家がデータを提示しても、それが市民の日常感覚とあまりに乖離しており、議論はかみ合いません。

このように考えていくと、最終的に行きつくのは「公共放送とは何か」という問いです。公共放送は政府広報や娯楽の提供ではなく、民主主義社会における「公共」を維持するための機関であるはずです。ところが現実には、NHKは「公共」の理念を十分に体現できていないのではないでしょうか。

そして、この「公共放送とは何か」という問いは、やがて「個と公共」の関係の問題へと広がります。日本社会では、個人が自立した市民として公共の問題に主体的に関わる意識が弱いと指摘されてきました。戦後の高度経済成長を経て、家族や地域共同体が相対化し、個の自立が進む一方で、国家や社会とどう関わるかという意識は希薄化しました。結果として、「国家は政府が管理するもの」「公共は官の領域」という思考が根強く残ってしまったのです。

今の政治ごっこの象徴のような内閣のおかげで、国民はかなり底辺を知ったのではないでしょうか? それとも、まだまだ堕落する必要があるのでしょうか? 電車ごっこの乗客のまま堕落し続けるのでしょうか?

このことは、NHKのあり方にも影を落としています。公共放送を国民が主体的に支えるのではなく、「政府が与えるもの」と捉える意識が強いために、NHKが公共性を十分に果たさなくても大きな問題提起が生まれにくいのです。娯楽と公共放送の分離を求める声が広がらないのも、その一例でしょう。

結局のところ、NHKを考えることは、国家とは何かを考えることに直結します。個と公共の関係が希薄であることは、日本社会の「国家意識の欠落」と表裏一体です。そしてこの欠落は、政治への無関心や公共制度への不信感、さらには将来への悲観と結びついて、今後の社会の持続可能性に深刻な影響を及ぼしかねません。

経済成長一辺倒の時代が終わり、社会が成熟段階に入った今、私たちは日本という「国家」をどう定義し、一人ひとりがどのように関わっていくのかを再定義する必要に迫られています。NHK討論は、そのことを逆説的に突きつけているのだと思います。
  
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2025年9月17日水曜日

ロバート・レッドフォードの死とアメリカの本質


The Entertainer - 今年正月の録音です


コンマンの国から日本への警鐘

ロバート・レッドフォードが亡くなりました。

アメリカン・ニューシネマの代表作『明日に向かって撃て!』(1969年)や『スティング』(1973年)は、私が14歳前後の人格形成期に大きな影響を与えた作品です。少し後年になりますが、『大統領の陰謀』(1976年)も何度も観て、レッドフォードが電話で話す英語を必死にコピーしたことを思い出します。

ここでレッドフォードの映画史的な功績については評論家に任せたいと思います。私が触れたいのは『スティング』という映画と、そこに描かれた「アメリカの本質」です。

コンゲームはアメリカ社会の鏡

『スティング』が大ヒットした理由は、アメリカ人が心の底で「自分たちの社会はコンゲームの上に成り立っている」と理解しているからだと思います。

コンゲーム(confidence game)の“con”は「信頼」を意味します。コンマンとは、一瞬で信頼を勝ち取り、偽物を売りつける詐欺師のことです。アメリカ社会は、こうしたコンマンの物語を痛快に楽しみます。詐欺師が詐欺師を出し抜く、そのカタルシスがたまらないのです。
 
日本で言えば石川五右衛門に近いでしょうか。権力者をやっつける義賊だからこそ、人々は喝采します。アメリカの場合、それは「反知性主義」と呼ばれます。知性や権威そのものを否定するのではなく、知性と権力が癒着し、代々大金持ちが世襲していく構造に対する反感なのです。

だからこそ、トランプのような人物が現れても、アメリカ社会では「成り上がりもの」として否定されません。むしろ「一発逆転」の物語に拍手を送ります。ユーモアと話術さえあれば、どんな悪党でもヒーローになれるのがアメリカの伝統なのです。

自己啓発と「ポジティブ産業」

アメリカ人にとって宗教すら自己啓発の道具になっています。テレビ伝道も、多くの宗教家も、神学というよりは「ライフコーチ」であり、「ポジティブ産業」に近いのです。自己啓発本がアメリカで売れ続けるのは、社会そのものが「成功への道具」として宗教や思想を利用する土壌を持っているからだと思います。

出版不況の日本でも、自己啓発本が売れています。日本の読書嗜好も次第にアメリカ的になりつつあるのかもしれません。しかし、それは「con manを速成する手段」でもあることを忘れてはならないと思います。振り込め詐欺だけが詐欺ではありません。ポジティブ産業に酔ってしまえば、頭を冷やすことは難しいのです。

ニーチェは「一人ぼっちになって迷路を進むこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと」が意志の力であり、人間にとって大切だと説きました。福沢諭吉も、小林秀雄も、坂口安吾も、同じことを別の言葉で語っています。要は、自立して考える力なのです。

日本への警鐘

アメリカは中世を経ずに誕生した国であり、建国以来わずか250年の歴史しか持ちません。その成り立ちは「コンマンの国」だと言えるでしょう。自己啓発本、テレビ伝道、トランプ現象――すべては「信頼を売る詐欺」の延長線上にあります。

一方、日本には2600年の歴史があります。中世も近世も経験し、正統性を積み重ねてきた社会です。にもかかわらず、戦後80年でアメリカに隷従し、その文化を無批判に取り入れてきました。

今の日本が生き残るためには、アメリカの模倣ではなく、アメリカに負けない知性を持つことだと思います。歴史の厚みからくる正統性の強さを自覚しなければならないのです。

ロバート・レッドフォードの死は、一時代の終焉を告げるニュースであると同時に、日本にとって「次の時代をどう生き抜くか」を考える契機でもあるのです。

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2025年9月16日火曜日

日本への警鐘 ― アメリカの生活格差と移民問題から学ぶこと

 
ロサンゼルス中心部の路上に置かれたホームレスのテントや所有物
CNN/FREDERIC J. BROWN/AFP/Getty Images
  
最近のニュースで、ニューヨークやロサンゼルスなどの都市部で、食品や生活必需品の価格が急騰していることが報じられました。卵12個が10ドルを超えるスーパーもあり、米国の一般家庭の生活コストは想像以上に高くなっています。給料が高いとはいえ、インフレや医療費、住宅費の高騰を考えると、生活の余裕は限られています。多くの人がローンや家賃、保険料に追われ、ギリギリの生活を強いられています。

私自身、50歳を少し過ぎた頃、ニューヨークの暮らしを引き払って帰国しました。会社組織を離れ、起業して数年経ってからです。帰国を決めた最大の理由は、アメリカの生活費や医療費、社会保障の状況、そして自分の年齢を考えた場合、資金が潤沢でなければ長期的にやっていけないと判断したからです。決断が早すぎたとは思っていません。

アメリカは広大な国であり、貧富の差は非常に大きい。富める者はさらに裕福になり、貧困層は増え続けています。不法移民の増加や犯罪率の上昇、路上生活者の増加も深刻です。麻薬の問題もあります。近年では合成オピオイドの一種であるフェンタニルの過剰摂取による死亡者が急増しており、深刻な社会問題となっています。本来は医療用の強力な鎮痛剤ですが、違法に海外から流入するフェンタニルが危機を引き起こしています。
   
アメリカというのは、もともとは移民の国であり、努力して合法的に来た人々が国を発展させてきましたが、近年は不法移民が増え、コミュニティを閉じたまま自国の文化圏を維持する例も少なくありません。その結果、かつての「United States」とは異なる、格差と分断が深まった社会が形成されています。

日本も例外ではありません。物価は上昇し、貧困率もゆるやかに上昇しています。移民(不法・合法)も急激に増加しています。日本は自己主張が苦手で、異文化とのコミュニケーションも不得手です。社会全体を統合するリーダーシップも弱く、もし移民がこのまま増え続ければ、アメリカとは違った意味で収拾のつかない社会に変貌する可能性があります。今のうちから制度や社会の仕組みを見直し、異文化を統合する力を育てることが必要です。

アメリカの現状から学ぶべきことは多くあります。生活の厳しさ、格差の拡大、社会の分断、そして移民政策の影響。私自身の体験も含め、警鐘は鳴らし続けなければならない。未来を少しでも健全に保つためには、現状を正確に見据え、早めに対策を講じることが欠かせません。政治家先生は全くあてにはなりませんから。 
  
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2025年9月15日月曜日

プルドポークサンドイッチの思い出


昨日はプルドポークサンドイッチを作って食べました。家で作ると本当に美味しいですね。日本のパンが美味しいこともあって、空港で食べたあのサンドイッチとはまるで別物です。

今から25〜6年前、私は自宅のあるNYからナッシュビルに毎週仕事で通っていました。飛行機で2時間半ほど、時差は1時間。アメリカのコンサルティングビジネスはとにかく広大な国が舞台なので、自分の所属するオフィスや住んでいる地域に限らず、プロジェクトは全米に散らばっています。移動は基本的に飛行機。月曜に自宅を出て現地に飛び、月火水と三泊、木曜の仕事が終われば夜に帰宅。そして金曜は自分のオフィスに出社して勉強会や作業に参加する、という「3-4-5」のリズムで回っていました。

体調管理も大変で、知性と教養に加えて体力、そして何より「へこたれないユーモアの精神」が不可欠でした。今考えると、よくもあんな非人道的なブラック業界で働いていたものだと思います。でも結局のところ、私はコンサルのビジネスそのものが好きだったのでしょうね。

プロジェクト責任者ともなると、金曜はクライアントとのフォローアップでさらにタフ。夜にナッシュビル空港に向かい、最終便のNY行きに乗る前に夕食をとります。当時の空港にはレストランが一か所だけで、メニューはなんとプルドポークサンドイッチのみ。正直、あまり美味しいとは言えませんでしたが、ビール片手にかぶりつくのが週末の小さな儀式のようでした。フライトがディレイやキャンセルになると、がっかりしながらナッシュビルのホテルに泊まることもありました。

それが今では、家で作るプルドポークがちょっとした楽しみになっています。月に一度は食卓に並びますが、閑散としたナッシュビル空港で食べたあの味を思い出すと、やっぱり「家で食べるプルドポークが一番だな」と感じます。

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2025年9月14日日曜日

暗殺という「寓話」


安倍元首相が立っていた場所からSANWA CITYの駐車場を望む


アメリカでの Charlie Kirk 暗殺事件のニュースに接して、私はどうしても安倍晋三元首相の暗殺事件を思い出しました。両者には「スナイパーによる高所からの狙撃」というイメージの共通点があるように思えます。そして同時に、百田尚樹の小説『カエルの楽園』の寓話性が頭をよぎりました。

安倍元首相暗殺の記憶

奈良・近鉄西大寺駅前での安倍元首相暗殺現場は、子供の頃から親しみのある私にとって非常に身近な場所でした。演説の位置関係は今も鮮明に記憶しています。安倍氏が立っていたのは駅前の北側の花壇付近。その正面には「SANWA CITY」というビルがあり、その裏には立体駐車場があります。屋上は安倍氏の立ち位置からおよそ100メートルの距離で、当時は自由に出入りできる構造でした。

事件直後、医師団は「弾は斜め上から心臓に達した」と発表しましたが、警察の説明はそれを打ち消すようなものでした。さらに、致命傷となった弾丸はいまだに発見されていません。この齟齬に私は強い違和感を覚え、「もしも屋上から狙撃があったとしたら」という思いが今も消えずに残っています。これは事実の断定ではなく、あくまで私自身の記憶と感覚に基づくものです。

暗殺に潜む寓話性

暗殺という行為は、個人の恨みや偏狭な動機にとどまらず、社会や国家が抱える不安定さを映し出します。だからこそ寓話のように響くのです。

安倍元首相を撃ったのは、プロの狙撃手ではなく、一見ひ弱そうな「隣人」でした。国家の指導者を凡庸な隣人が倒したという現実。それは戦後日本社会のもろさや空洞化を示す寓話のように見えます。しかし不可解な点が闇に葬られれば、その寓話性は社会の教訓へと昇華せず、ただ忘却の淵に沈んでしまいます。

一方、アメリカの Charlie Kirk 暗殺事件はどうでしょうか。これはアメリカ社会を覆う政治的暴力の象徴であり、国全体が「奈落の縁」にあることを改めて突きつけています。党派性の激化、信頼の崩壊、テロや経済危機、薬物禍やコロナ禍――その積み重ねの果てに、暗殺が起こったのです。アメリカはこの事件の背後を、何年かかっても徹底的に暴こうとするでしょう。それは彼らの民主主義の本能ともいえる態度です。否、リベンジの本能か?

そして私の脳裏に浮かぶのは、百田尚樹の小説『カエルの楽園』です。外敵の脅威に直面しながらも、都合よく「平和」を選び続けたカエルたちの姿。その末路は、現実を直視しない社会の行き着く先を示していました。10年前に発表され、日本社会に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、寓話として十分に受け止められなかった――その事実が、私には重く響きます。

我々の責任

二つの暗殺から何を教訓とするか。どういった寓話が生まれるのか。アメリカと日本、それぞれ背景は異なります。ただ一つ言えるのは、暗殺が突きつける問いかけを、教訓として引き受けられるかどうかが国の姿勢を決めるということです。

アメリカは暴力の背後を暴き、寓話を社会の議論へと昇華させるでしょう。日本はどうでしょうか。臭い物に蓋をし、寓話を不発のまま忘却に沈めるのか。

暗殺は歴史に深く刻まれる出来事です。しかし、その寓話的な意味をどう読み取るかは、私たち一人ひとりの姿勢にかかっています。忘却に流されるのではなく、あの時の記憶と問いかけを留めておくこと――それが、今を生きる我々が果たすべき未来への責任だと思っています。

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