久しぶりにビートルズを聴きました。 80代になったポール・マッカートニーが『ヘイ・ジュード』を歌う映像を観たのです。声は少しかすれても、あの「Hey Jude」のフレーズが流れ出すと、不思議なもので、 時間が逆回転したようで、遠い記憶が胸に押し寄せてきました 。
そしてある日、ふと思ったのです。「この歌は、いったい何を言ってるんだろう?」
田舎の小学生では当然わからない。でも、どうしても意味が知りたくて、近所で英語を教えている先生を見つけて、個人レッスンに通い始めました。この先生は専業主婦だったのですが、イギリスで生活をしていたそうです。学校の勉強とはまったく関係なく、「ビートルズの歌詞が知りたい」という一点の思いだけで動いていたのです。おかげで、英語との最初の出会いはずっとワクワクするものでしたし、中学3年間の英語はほとんど勉強する必要がなかった。
振り返ってみれば、英語なんてものは「勉強する対象」ではなく、「好きなものを深く知るための道具」だったのだと思います。目的はいつも、歌詞の向こうにある彼らの気持ちや、背景の風景を想像することにありました。辞書を片手に、歌詞カードをにらみながら、「ペニーレインって、お金の”雨”が降るという歌なのか?」などと真剣に考えていたのも、今となっては良い思い出です(実際には、ポールの育った町の地名でしたが)。ちなみに、私が最初に買ったビートルズのLPが『マジカル・ミステリー・ツアー』で、B面3曲目がその『ペニーレイン』でした。A面とB面をひっくり返すのも、あの頃の儀式のひとつでした。
ビートルズの歌詞は難解です。時代背景やイギリスの空気を知らないと、文脈を誤解してしまう。でも、その謎を解きたくて辞書を引き、意味を考える。そうやって英語と向き合う時間が、私にとっての「勉強」だったように思います。
中でも、『ヘイ・ジュード』は、やはり特別な一曲です。後に、ポールがこの曲をジョン・レノンの息子ジュリアン(ジュード)を励ますために書いたと知りましたが、私は社会人になってから、プレゼンテーションの枕などでよくこの曲の一節を引用していました。少し皮肉を込めて、「これは日本のサラリーマンを励ます歌なんですよ」と言いながら。
特に、こんな一節――
So let it out and let it in, hey jude, begin,
(万物は流転なんだ、一歩前へ出ろよ)
You’re waiting for someone to perform with.
(誰かが助けてくれるなんて、待ってるんじゃない)
And don’t you know that it’s just you, hey jude, you’ll do,
(自分だけなんだぞ、自分でやるんだ)
The movement you need is on your shoulder.
(その一歩は、お前の肩にかかってるんだ)
「誰かがやってくれるのを待ってる場合か」「その一歩は、自分の肩にかかってるんだぞ」――そんなふうに、ポールが目の前で語りかけてくれているように響いたのです。私が込めたメッセージは、「自分の人生は、自分がプロデュースする」――ただそれだけでした。誰かに流されてばかりじゃ、What is the life for? なのです。
英語は道具です。でも、良い道具には「物語」が宿ります。興味を持つきっかけは、何だっていい。私の場合は、レコードから流れてきた『ヘイ・ジュード』が、すべての始まりでした。
***