2011年1月30日日曜日
インターネットが悪政をただす?
今日は、サッカーの話ではなく、エジプトの話です。日本のメディアではあまり大きく取り上げられていませんが、世界中はエジプトの話題で大騒ぎです。上の風刺画は、ネットで見つけたものです。勝手に使って良いのか分かりませんが、面白いので紹介します。ムバラク大統領がインターネットをシャットダウンしたら、エジプト国民がムバラク大統領をシャットダウンしようとしています。いいですねぇ。
アメリカ政府も焦っているでしょう。エジプトがイランのようになったら、、、。中国政府も戦々恐々としているでしょう。インターネットで中国民衆が共産党に対して反旗をひるがえしがら、、、(特に新疆ウイグル自治区はイスラム世界です)。
エジプト騒乱は何とか無難に収まって欲しいものですが、インターネットが悪政をただすようなことが日本で起こって欲しいですね。
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2011年1月28日金曜日
映画レビュー ~ 「ソーシャル・ネットワーク」
上海からの帰り、飛行機の中で映画「ソーシャルネットワーク」を見ました。
インターネット上で社会的なつながりを作って行くサービスをソーシャルネットワーク(SNS)といい、「Facebook」は世界中で利用されているSNSです。
映画「ソーシャルネットワーク」は、「Facebook」起業のストーリーと言うよりは、頭はいいのに人間関係が苦手というコンプレックスを持つ架空のキャラクターの物語です(こういった若者を「nerds(ナード)」と言います)。 だから、インターネットで一番成功したウェブサイトの話でもなく、世界で一番若い億万長者の話でもありません。みんなの仲間に入るために(gain acceptance)次々ととる行動によって、唯一の理解者である親友(buddy)がどんどん離れていきます。成功とは何か、成功の代償とは何なのか(the costs of the desire for acceptance)、お金より大事な価値とは、、これらのことを問いかけています。
福沢諭吉は、教育の目的は子どもを禽獣の世界から文明に近づけることだといい、それには「智」と「徳」と「人間交際」が肝要であると唱えました。「智」は知識、「徳」はモラル(倫理観でもいいですが、恐らく士気が高いこと=self motivated)、そして「人間交際」、つまり、人間関係の構築(ソーシャルネットワーク)がキーポイントであると訴えています。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html
「Facebook」に代表されるインターネット上のSNSは、「人間交際」のツールです。だから、通常は匿名ではなく、自分をグローバルに売り込むためのものなのです。
映画はテンポよく面白かったですよ。5億人を超えるソーシャルネットワークを立ち上げた主人公が、全く「人間交際」のできないナードだったという皮肉ですね。
みなさんは、どういった感想を持たれるでしょうか? 是非、ご覧になってください。
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2011年1月25日火曜日
中国で忘年会
実は、中国には日本の「忘年会」はありません。「忘」という字の印象が暗くて後ろ向きだから、「忘」は使いません。そこで、「忘」と発音が同じ「旺」を使って「旺年会」と言います。「忘年会」も「旺年会」も発音するとwang nian hui(わーんにえんほい)です。「旺」は“旺盛の旺”、日の光が四方に広がるという意味です。まぁ、漢字はどうあれ、忘年会なんて日本から伝わったのでしょうね。
ibgの旺年会は蘇州太湖でした。
マネジメントの目的は、オフサイトのミーティングを通じてビジョン(Vision)の共有、つまり、お金だけでつながらない強固な組織の構築です。しかし、若いスタッフは、昨年度の業績に合わせたボーナスや紅包(お年玉)を手に入れるチャンスと期待しています。
国籍や世代のギャップを超えて「All for One, One for All」の関係ができるか?経済的な満足、個人の成長に対する確信、そして、平穏な精神状態、これら3つをバランスさせながら、組織としてのVisionを共有してもらう。果たして今年はどう進化するでしょうか? 楽しみですね。
宴会の企画・司会進行は去年入社の新人
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2011年1月24日月曜日
上海のミスタードーナツ
2011年1月21日金曜日
狐と狸の化かし合い
昨日、上海に着いたら雪の中でした。
飛行機は遅れ、空港からの高速道路は大渋滞。
春節(旧正月)前、年の瀬の慌ただしさです。胡錦濤主席も年末にビジネスをクローズするため、アメリカにトップセールス中。 中国は世界第二の経済大国(兼 開発途上国?)となりました。オバマさんも崖っぷちです。「狐と狸の化かし合い」ですね。
中国は、国が為替をコントロールしています。アメリカは、ドル安(円高)に誘導して輸出で経済を復興したい。これまでのように戦争の輸出も難しいでしょうからね。日本は、アメリカに何を輸出して自由貿易で優位に立とうというのでしょうか?自由貿易なんて聞こえはいいですが、アダム・スミスの『国富論』を誤解していないでしょうかね?(国が富むための論)。
日本は「平穏な精神状態を重視する成熟社会を堅持する」と世界に向かって宣言すればいいのです。日本にある「心の平穏」は、中国が一番欲しがっている「和諧社会(調和社会)」です。グローバル・エコノミーなんて放っておけばいい。それよりも、少々の防衛意識でも身につけて、「心の平穏」を守ることを考えてほしいものです。
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2011年1月20日木曜日
今日から上海・蘇州に行ってきます。
日本には、外国国章損壊罪というのがあって、外国の国旗その他国章を損壊し、除去し、または汚損すると犯罪になりますが、日の丸に対して同じことをしても「自由思想」が守られて、犯罪にはなりませんね。
『日本の常識 世界の非常識』という竹村健一の本がありました。日本の常識を世界の常識にしてもらいたいこともありますが、国旗に関しては世界の常識のほうが正しいと思います。
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2011年1月19日水曜日
ハトが「パンドラの匣」を開けちゃった
「(前略)よく挙げられる例ですけれども、鳩が或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない、どうか空気というものを無くして欲しい』神様はその願いを聞き容れてやった。然るに鳩は、いくらはばたいても飛び上る事が出来なかった。つまりこの鳩が自由思想です。空気の抵抗があってはじめて鳩が飛び上る事が出来るのです。闘争の対象の無い自由思想は、まるでそれこそ真空管の中ではばたいている鳩のようなもので、全く飛翔が出来ません」 。
「似たような名前の男がいるじゃないか」と越後獅子はスリッパを縫う手を休めて言った。「あ」、と固パンは頭のうしろを搔き、「そんな意味で言ったのではありません。これは、カントの例証です。僕は、現代の日本の政治界の事はちっとも知らないのです」(太宰治「パンドラの匣」1946年)。
ハトが自由に飛び回るのも問題で、いたるところで糞公害が発生するのです。
2011年1月18日火曜日
BLT サンドイッチ
新学習指導要領の完全実施に伴い、4月から、これまで段階的に導入が進んできた小学5、6年の英語の授業がすべての学校で必修となるそうです。果たして、小学校からの英語教育って効果があるのでしょうかね?よく分かりません。ただ確実に言えることは、英語を小学生から必修にしても、それだけで、国際的な人材の育成になるとは言えないことですね。
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2011年1月17日月曜日
阪神・淡路大震災から16年
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し」(有名な冒頭の部分)。
16年前の1月17日早朝、私は東京のホテルにいました。前日の夜、ニューヨークから東京に飛んで来たのです。1週間の予定で東京・大阪、そしてロサンゼルスへの出張の初日です。夜中から起きていたので、朝5時のニュースが始まる前からテレビをつけていました。大きな地震があったことを、臨時ニュースが伝えました。気になったのですが、そのまま仕事に向かい、夜になって八重洲の居酒屋で友人のOさんと飲んでいました。店の壁に備え付けのTVを見ると、「死傷者が数百名の大惨事」を伝える報道になっていました。しかし、この時点で、5000人以上の人が亡くなる大規模の災害になるとは、誰も想像だにしなかったのです。
大阪の会議はキャンセルされ、数日後、関西空港からユナイテッド航空のロサンゼルス行きの便に乗りました。神戸から船で関西空港に避難してくる人たちが、空港の彼方此方にうずくまっていました。ロサンゼルス便はボーイング747で、私の席はジャンボの2階席。キャビンアテンダントが、「好きなところに座ってもいいわよ!」と言います。なんと、2階席の乗客は私一人だったのです。席についてシートベルトを締めて私の頭に浮かんだのが、『方丈記』の冒頭の部分でした。疲れていた私は『方丈記』を考えながら離陸前に寝てしまい、気がついたらロサンゼルス到着の1時間前でした。
白状しますが、『方丈記』なんて、冒頭の部分以外は全く知りませんでした。方丈(一丈四方)の庵に引きこもったネクラな鴨長明が、人生のはかないこと(無常)を、切々と綴ったものくらいにしか考えていませんでした。しかし、16年前の阪神大震災から毎年一月に『方丈記』をパラパラとめくるようになり、徐々に書かれている内容が分かってきました。
鴨長明は、「いつまでも一つのことに拘る心(執心)を持ってはならない」と言っています。最後の章では、方丈の庵にさえ「閑居の気味」(閑静な住いの趣)と執着した自分を痛切に否定しているのです。様々な天災に遭い、無常を自覚し、方丈の庵の生活に入ってさえ自分の心の修行の足りないことを責めています。ストイックなまでに、人間とは何かを考えたのかも知れませんね。
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2011年1月15日土曜日
判官贔屓もほどほどに、、、。
判官贔屓(ほうがんびいき)とリーダーシップについて一言。
日本人は判官贔屓です。力を持った人は好まれない。頼朝よりも義経を贔屓する傾向にあります。日本人にとって義経を執拗に追いかける頼朝は、権力を手にした暴力装置に見えるのでしょうね。
力で押さえ込むのが欧米型リーダーシップです。中国もそうでしょう。日本人の言うリーダーシップって、優れた調整能力のことを言っているのでしょうか?アメリカ企業のリーダーは、独裁者(dictator)として君臨します。そして、調整は外部のコンサルタントに任せる場合が多いようです。
経済がグローバル化するということは、国家間の力(power)のぶつかり合いです。優しさというのは日本が守るべき価値だと思いますが、国際社会は「虎の穴」のようなものです。力(power)の最終装置は軍隊(核)だと理解しているのです。日本の政治家の皆様には十分に理解していただきたいですね。
今の状況で秩序が保たれている日本って、日本人が判官贔屓で弱者(政権政党)に対する同情で成り立っているからなのでしょうか?
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2011年1月14日金曜日
もう外食はいらない!
2011年1月12日水曜日
新聞社説の読み方、利用の仕方
若者が新聞を読まない理由は、「料金がかかるから」、「時間がかかるから」だそうですが、本当でしょうか?私は「賢い若者が増えてきたからだ」と思いたいですね。
昨日、我が家の郵便ポストに某新聞社の朝刊が投げ込まれていました。私は新聞を購読していません。「ちょっと目を通してから捨てるか」と思い、社説を読んでみました。「国境を越える若者、アジア支える大学教育を」というのがタイトルです。
全くへんてこりんな記事でした。「アジアの未来を支える国際人を育てていかねばならない」と言うのが結論のようですが、3つの点で、前提が間違っていると思いました。
- グローバルとは 下手をするとグローバリゼーションは過度のナショナリズムのスタートラインです。どの国も自分の利益を考えて競争するからです。ルールに従う精神なんて国によってまちまちだと思いませんか?
- 英語に関すること 日本人は、自分の考えを深めるには日本語のレベルをあげるのが先決です。そして日本を知ることです。自国に誇りをもち、自国と他国の違いを認識する吉田松陰の『華夷の弁』です。http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/03/blog-post_31.html
- 国家とは EUは移民政策や経済で成功しているとは言えません。尖閣で僅かばかり向上した日本人の国家意識はまだまだ稀薄です。国家は努力してつくるものだという認識がありません。お上(かみ)と庶民を分けているのですね。
この社説を読んでいると、何か国家を否定するために国際人の育成という発想を持ちだした印象を受けます。国家に対する国民という意識を否定するための媒体として「グローバルな発想」を使っているかのようです。
老百姓の私が言っても重みがないので、再び第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンの言葉です。
「新聞を読まない人は、読む人よりも真実に近い」
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/03/blog-post_07.html
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2011年1月10日月曜日
エアロスミスと宮本武蔵
さて、宮本武蔵は現代のビジネスの社会でも役立つ指南をいっぱい書き残しています。武蔵は、芸術家としても数々の作品を残していますが、エレキギターなんて与えたら二天一流ギタリストになっていたかも知れません。武蔵の兵法書である『五輪書』では「広く多芸に触れること」と言っています。二刀流を編み出した武蔵にとっては「無」から「有」を創造するという意味で、剣法も芸術も同じことだったのかも知れませんね(二天一流は宮本武蔵の兵法)。
武蔵は、拍子(リズム)が大切だということを『五輪書』の至る所で書いています。
兵法の戦いに、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也(『五輪書』地之巻 「兵法の拍子の事」)。
戦いにおいては、敵の拍子を知り、敵が思いもかけないような拍子で、空の拍子を智恵の拍子より発して勝ち得るのである。「空の拍子を智恵の拍子より発して」ってどういうことでしょうね?目に見えないもの、つまり、心の拍子を、鍛錬したスキルをベースに心(眼)で観るということでしょうか?
武蔵の「悟り」までは行かなくても、日本の国もリズム感をつけてほしいものです。国際政治もビジネスもリズム感が重要です。
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2011年1月7日金曜日
「平成の開国」よりも「鎖国」を学ぼう!
鎖国政策は、幕府が日本を世界から切り離すことを目的としたものではありません。宗教を押しつけない国(清、オランダ、朝鮮、琉球)に限定して、通商・通信することを外交政策としたのが鎖国です。16~17世紀のヨーロッパにおける凄惨な宗教戦争を知っていた日本は、当時の覇権国家であるスペイン・ポルトガルの、宗教を手段(tool)とした日本侵略を警戒したのだと思います。
また、江戸幕府は島国である日本の防衛は非常に難しいと理解していました。ロシアなんかは盛んに蝦夷に来ていました(ラックスマンって覚えていますか?)。だから、外国との交流も4ヶ所(長崎、対馬、薩摩、松前)に限定しました。実際、老中首座松平定信は、ラックスマンに対して「話があるなら長崎に行け」と言っています。
西ヨーロッパでは、宗教戦争みたいな殺し合いを経験して、個人で身を守るのは大変だという発想からホッブス、ロック、ルソーが近代国家を考え、自己防衛は国家にアウトソースすることにして、個人は国民として国家と契約を結ぶことにしたのです。Give & Takeの関係ですね。国民からのGiveのなかに精神的なものとして愛国心があるのだろうと思います。
江戸幕府は賢かった。大衆は「お上」に任せておけば何も考える必要がなかった(人生の半分を江戸時代に生きた福沢諭吉は、こういった日本人大衆の奴隷根性がたまらなく嫌だったのでしょうね。魯迅が『阿Q』で中国人を批判したのと同じです)。松平定信なんて、抜群にリーダーシップがあったのでしょう。現代の日本に蘇って外務大臣でも担当して欲しいですね。
「鎖国」もこうやって眺めると、日本史、世界史、地理、公民を平行して勉強することができます。
2011年1月5日水曜日
木くばりをする事
大将は大工の統梁として、天下のかねをわきまへ、其国のかねを糺(ただ)し、其家のかねを知る事、統領の道也。大工の統領は堂塔伽藍のすみがねを覚え、宮殿楼閣のさしづを知り、人々をつかひ、家家を取立つる事、大工の統領も武家の統領も同じ事也。
家を立つるに木くばりをする事、直にして節もなく、見つきのよきをおもての柱とし、少しふしありとも、直につよきをうらの柱とし、たとひ少しよわくとも、ふしなき木のみざまよきをば、敷居・鴨居・戸障子と、それぞれにつかひ、ふしありとも、ゆがみたりとも、つよき木をば、其家のつよみつよみを見分けて、よく吟味してつかふにおいては、其家久敷(ひさしく)くづれがたし。又材木のうちにしても、ふしおほく、ゆがみてよわきをば、あししろともなし、後には薪ともなすべき也。
かね=規準となるもの
糺す=確認して明らかにする
すみがね=材木に墨付けを行い設計する
さしづ=設計図
あししろ=足場
若いコンサルタントを集めてプロジェクトを行うときも同じです。コンサルタント一人一人の技術や個性を理解した上で、役割を決める必要があります。子どもたちの教育も同じだと思いますね。「木くばりをする事」なのです。
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2011年1月4日火曜日
迷いの雲の晴れたるところ
今年の年初は宮本武蔵からです。世の中、竜馬だ、坂の上の雲だと言っているのに、ちょっとずれていますか? 今の日本を見ていると、幕末維新よりも戦国時代まで遡った方が賢明ではないかと思いました。
宮本武蔵の『五輪書』には、グローバル社会を生き抜くノウハウが満載されています。アメリカのどのビジネススクールよりも奥が深いかも知れません。『五輪書』は、地、水、火、風、空という言葉で表わされる五巻からなっています。
- 『地之巻』、『五輪書』の概要です、我が流派の見方、つまり、武蔵の考え方について書いてあります。コンサルタントのドキュメントであれば、エクゼクティブ・サマリー(executive summary)のようなものです。
- 『水之巻』、武蔵の兵法「二天一流」について、水にたとえて解説しています。「二天一流」というのは、武蔵流の問題解決の提案(solution proposal)と言えるかもしれません。
- 『火之巻』、戦の方法論です。メソドロジー(methodology)ですね。戦は各種各様、規模も大小様々であり、戦にあわせた戦い方があると言うもので、戦は各種プロジェクトであり、一つ一つのビジネスとも言えます。
- 『風之巻』、他の流儀と武蔵の「二天一流」を比較検討しています。これは、コンサルタントの世界では、ケーススタディ(case study)か、ベンチマーク(benchmark)と言われるものです。
- 『空之巻』、『五輪書』の結論は、視野を広くして、流れを読み(リズムに合わせ)、フレキシブルに対応しろと言っています。「心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也」。
知識(スキル)と気持ち(強い意志)の二つの心が大事であり、大局を見る心眼と物理的に目の前の物を見る二つの目が必要である。武士たるもの神仏に頼るな、責任は全て己にあるということです。 迷いの雲の晴れたる気持ちで今日を生きろということでしょう。山本常朝の『葉隠』とも通ずるところがあります。武士道とは、「Seize The Day」だったのです。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/10/blog-post_19.html (『葉隠』に関する過去のブログ)。
さて、人のせい、世間のせい、国のせい、他党のせい、アメリカのせい、中国のせい、半島のせいにしてきた日本は何処へ行くのでしょうか? 「坂の上の雲」ではなくて、「迷いの雲の晴れたる空の心境」に一歩でも近づいてもらいたいものです。武蔵の流儀は益々混沌とするグローバル社会では有効だと思います。
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