小伝馬町に行く用事があったので、伝馬町処刑場跡に立ち寄りました。江戸時代から明治初期まで、日比谷線小伝馬町の駅周辺は大きな牢屋敷だったのです。吉田松陰は、安政の大獄で投獄され、ここで斬首刑になりました。松陰を語れるほど知識はないのですが、随分昔に吉田松蔭に関する本を何冊か読んだ覚えがあります。
台湾にいるカブちゃんが、彼のブログで「華夷の弁」にふれていました(
http://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2010/03/blog-post_26.html)。
松陰が教えた松下村塾の教育理念は、「人たる所以(ゆえん)を学ぶこと」と「君臣の義、華夷の弁を明らかにすること」です。松下村塾からは、高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文、久坂玄瑞、前原一誠などが出ています(松下政経塾とは違いますよ、念のため)。カブちゃんもブログで説明しているように、「華夷の弁」とは、自分の生まれた土地に誇りを持った上で、他国と比較検討しなさいと言うことです。
どうも日本人は、アメリカや中国などの近隣諸国を冷静に評価しているとは思えない。劣等感と優越感が時と場合、相手によってコロコロと変化するように感じます。つまり、これはコンプレックスですね。過度に優越感を持つのも考えものですが、自分の故郷や生まれた国に対して劣等感を持つ必要はないし、卑下する必要もないのです。
グローバルになると言うことは、無国籍になるということではありません。むしろ、自分の生まれたところの文化に立脚するということです。国によって考え方は違う。これは、恐らく我々の生きている間は変わらないでしょう。だから、日本人も日本人の文化の上に立ち、堂々とすればいいのです。そうすれば、相手も敬意を払ってくれるはずです。
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私のブログに触れて頂いて有難うございます。
返信削除松陰についてはまだまだ勉強不足ですが、松下村塾の教育理念の「人たる所以を学ぶこと」そして「華夷の弁を明らかにすること」は、幕末という時代だけではなく、普遍的な教育・学問のテーマであるように思います。
そして現代のグローバル時代においては、三鷹の隠居さんが仰られる通り、人たる所以を学びつつ、自分の国に誇りをもちつつ、相手の国について冷静な分析・判断をしていくことがとりわけ重要になっているかと思います。