多くの人が「葉隠」を知らないのは残念だと思います。例え知らなくても、内容に関して大きな誤解があるのは甚だ遺憾ですね。遺憾だなんて政治家の言葉みたいで嫌ですが、、、。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と言えば、「知っている」、「聞いたことがある」と答えられるかも知れません。恐らく、この部分だけが強調されて、「葉隠」がファナティックな武士の指南書であると思われている証拠でしょう。
三島由紀夫は、「葉隠入門」(新潮文庫)のプロローグでズバリ核心を衝いています。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というその一句自体が、この本全体を象徴する『逆説』なのである。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見いだした。
逆説なんですね。「葉隠」は、死ねと言っているのではなく、一日一日を精一杯生きろと言っているのです。これまで何度もこのブログに出てきた「Seize The Day(今日を生きる)」と同じことなのです。三島由紀夫が「葉隠」の「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」に共感して自決したという評論家も多いのですが、「葉隠」も三島由紀夫も、現代の評論家先生が考えるほど単純ではないと思います。(「葉隠入門」は三島由紀夫が自決した3年前の昭和42年に書かれました)。
三島由紀夫は、「毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを『葉隠』は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるを得ない。われわれの生死の観点を、戦後二十年の太平のあとで、もう一度考えなおしてみる反省の機会を、『葉隠』は与えてくれるように思われるのである」と言っています。
人間が死ぬと言うことは、ソクラテスやプラトンの時代から今日に至るまで何も変わっていないのですね。どんどん意識しなくなっているだけです。死ぬことは自分でコントロールできません。いきなりやって来る。そのタイミングが最善か最悪かは運命です。だから、毎日を無駄にするなということなのです。つまり、「Seize The Day」なのです。
三島由紀夫が憂いた日本の太平はとっくの昔に終わり、とうとう沈みだしているように思います。 「葉隠」の主張は、「Seize The Day (今日を生きる)」といった点でも、アメリカの義務教育に通じるものがあると思います。
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石川県プレミアムツアー 第二日 山中温泉こおろぎ橋畔 料亭明月楼
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(2020年2月26日水曜日投稿「石川県プレミアムツアー 第二日 山中温泉かよう亭 ④日本一の朝御飯」
https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_26.html より続く)
山中温泉の街を散策した後、こおろぎ橋のたもとにある「明月楼」さ...
4 年前
そういえば、眠り狂四郎が言っていました。「明日の為に、今日を生きるのでは無い。」と。
返信削除眠り狂四郎も正しい!柴田錬三郎(シバレン)もいいですね。随分と読みました、30年以上前に(30年以上読んでいないことになる、、、)。
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