2010年12月5日日曜日

なぜ子どもにとって読書は大切か?

( 井の頭公園のイチョウ)

戦後を代表する文芸評論家の故江藤淳さんは、『閉ざされた言語空間』(文春文庫)で占領軍の検閲と戦後日本の問題点を鋭く指摘しました。昭和の戦争で日本の軍部さえもやらなかった、徹底的な言論弾圧をアメリカ占領軍が行ったことがよく分かります。

今回は、江藤淳さんの「閉ざされた言語空間」を語るのではなく、「言語空間」という題名だけを拝借したいと思います。

人間は頭で思考する訳ですが、思考には言葉が存在します。日本人であれば日本語で考えるのです。この考える空間、つまり「言語空間」の大きさが問題です。「言語空間」が広ければ広いほど思考は深まります。そして、話をしていて楽しい魅力的な人にもなります。「言語空間」が広がると言うことはどういうことかというと、沢山の語彙や修飾語、そして、文章を知っているということです。それらがつながってストーリーとなります。私は威張って言うほど日本語を知っているわけではありませんが、今の日本のマスメディアや政治家先生、ビジネスパーソンの言語空間は一体どうなっているのかと驚くことがあります。

英語や中国語などの外国語の勉強では単語や文章を記憶します。日本語も同じです。カッコいい表現や教養がありそうに見える単語はいつでも使えるように自分の「言語空間」に在庫しておかなければいけません。政治家を志そうなんていう人は特に必要ですね。

ここ2~3日、三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。

『金閣寺』は、現実を上手に生きることができない、今で言うと、引きこもり系の主人公が、最終的には放火することによって金閣を滅ぼして現実を生きていこうとするストーリーだと言われています。最初は10代後半に読みました。面白くなかった。20代か30代の頃にまた読みました。面白くなかった。今回は三度目です。すごく面白かった。三島由紀夫が何を言いたいのかが、自分なりに分かったような気がして嬉しくなりました。物語の最後は不可解にも「生きようと私は思った」で終わるのですが、恐らく、「戦後の日本はからっぽだけど、生きようと思った」のでしょう。私の「言語空間」も少しは広がったのかも知れません(もう手遅れ???)。

要するに、読書は大切だという話でした。10月に『読書のすすめ』も書いていますので読んで見て下さい。 http://www.ibg-kodomo.blogspot.com/2010/10/blog-post_17.html

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2 件のコメント:

  1. 三鷹の隠居さん☆おはようございます
    高校生の頃「金閣寺」や「午後の曳航」を読んで、なんて美しい文章を書く人なんだろうって思ったことを覚えています。
    三島を超える美しい文章には、未だに出会っていませんね。
    そんな彼が何故自決したのかを当時は分からずにいたのですが、その後色々知るにつけ、彼の人生もまた彼の作品だったのだと思うようになりました。

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  2. 自分の人生をプロデュースするって大事なことで、なかなかうまくできない。でも、三島由紀夫って作家はそれをちゃんとやって死んだのだと思います(私見ですが、、、)。

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