2010年12月13日月曜日

日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク

学校で「協調性がない」と言われたら?

喜びましょう。

逆に、幼稚園や小学校の先生から、「お子さんは、協調性があってよい子ですよ」と言われたら、危機感を感じたほうがいいかもしれません。

「協調性」って注意を要する言葉です。

日本の学校や会社組織では、「協調性」が重要視され、「和」がチームワークの基本であるかのように言われます。しかし、「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他の人と協調することなのです。学校の先生を含む多くの日本人は、この「和」の意味を誤解していると思います。「和」の前提は、個人の主体性です。主体性がないと「同じる」ことになる。つまり、「付和雷同」というわけです。

これが、孔子の言うところの「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、小人同而不和)の意味するところなのです。夏目漱石は、主体性を軽視して西欧に迎合した明治時代の日本を死ぬまで憂いたのでしょう。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html (夏目漱石の「自己本位」に関する過去のブログ)。

仕事をする上でチームプレーヤーであるかどうかは重要な点です。だから、就職の面接で「チームプレーヤーだと思いますか?」と言うのはよく聞かれる質問です。しかし、「チームワーク」に関しても、「協調性」や「和」と同じで、多くの日本人の認識は、少しばかり世界とギャップがあるように思います。

「チームワーク」というのは、チームメンバーが同じて和せず、つまり、メンバー全員が単に協調することではありません。本当の協力や協調というのは、一人ひとりが自分の個性を尽くして、同じ目的を貫くということです。個性や技量は違っても(それぞれに「技がある」ことは大切ですが、、)、同じ目的のために全力を尽くすということであって、だから、ベクトルを合わせるために、または、わかり易くするために「Vision(ビジョン)」が重要になってくるわけです。

日光東照宮 御本社の屋根

(「Vision」と「チームワーク」がしっかりしていたので、日光東照宮は完成したのでしょうね)


「付和雷同」の意味:

自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。

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1 件のコメント:

  1. アメリカでは多くの友人が「多様性がアメリカのパワーであり強さである」ということを言っていましたが、日本では「多様性」という言葉自体あまり聞かないですね……孔子は「人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道の人を弘むにあらざるなり」と言い、福沢諭吉は「一身独立して、一国独立す」と説いています。二人が言っていることは、個人が主体性をもち、かつ他と異なる能力とをもってこそ、組織や社会そして国家を良くしていけるということではないかと思います。

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