2026年2月1日日曜日

とり天の記憶

 
大分のトリ天のイメージ

わが家の鶏天弁当

子どもの頃、何度か大分の耶馬渓や日田を訪れました。そこで食べた「とり天」の記憶が、なぜか今もはっきり残っています。あっさりした鶏むね肉ではなく、もっと脂のある、もも肉だったような気がするのです。確信はありませんが、噛んだときのジューシーさと衣のサクサク感だけは覚えています。

一方で、私は1980年頃に三年ほど仕事の関係で、四国に住んでいました。当時、うどん屋には通いましたが、「とり天」や「かしわ天」が当たり前に並んでいた記憶はありません。天ぷらといえば、ちくわ天、かき揚げ、えび天でした。

この二つの記憶は、あとから調べてみると、実は食文化の歴史と驚くほど一致しています。大分のとり天は、もともと鶏文化が根付いた土地で育まれ、老舗では今でももも肉を使う店が少なくありません。耶馬渓や日田といった地域は、唐揚げを含め、鶏料理が生活に溶け込んでいた場所でした。うどんとは基本的に関係はありません。

一方、香川のうどん屋で「かしわ天」が全国的な定番になるのは、ずっと後の話です。1990年代以降の讃岐うどんブーム、そして丸亀製麺の全国展開によって、「うどんにはかしわ天」というイメージが広く共有されるようになりました。つまり、私が四国にいた頃に見なかったのは、単なる記憶違いではなく、まだ“定番になる前”だったということです。

面白いのは、丸亀製麺の「かしわ天」と大分の「とり天」が、似ているようで別物だという点です。前者は主に鶏むね肉を使い、讃岐うどんに合う軽さと下味を重視する。一方、後者はもも肉を使い、ポン酢やからしで食べる、立派な郷土料理です。名前も似ていれば見た目も似ている。でも、その背景にある土地の記憶と食べ方は、まったく違います。

食べ物の記憶というのは、不思議なものです。正確な年代や店名は忘れても、「あれは違った」「あれはうまかった」という感触だけは残る。その感触が、あとから歴史や文化とぴたりと重なる瞬間があると、自分の人生が、知らないうちに時代とつながっていたことに気づかされます。とり天一つで、そんなことを思い出しました。記憶は曖昧でも、舌は案外、正直なのかもしれません。

子どもの頃に出会った本物の味は、教えられなくても、ずっと体のどこかに残っている。

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