2012年8月10日金曜日

理想の翻訳 ~ 誤訳してないか?

加賀が保守した金箔の伝統

帰国してそろそろ3年が経とうとしています。 私は日本に生まれた日本人ですから自分の国は民度の高い立派な国になって欲しいと思っています。 これには理屈なんてないんですね。 だから、しっかりと理想像を描き、理想と現実をつないで行くことができない政界・財界のリーダーたちには憤りを感じます。 
 
新渡戸稲造さんが、『自警録』の中で「理想を実地に翻訳するが人生」ということを書いています。 個人の人生も会社の経営も国家の運営も全て同じことだと思います。 今の日本って、理想を実地に翻訳するのに誤訳だらけじゃないですか! 思想がないからなのか、それとも何らかの意図が見えないところで働いているのでしょうか?

「理想なしにぶらぶら流れのまにまに活きていることは存在するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。 人間の生活なるものは理想を実地に翻訳することになりはせぬか。(中略) もやもやしており、あるいははっきりしても形のない思想を、実際の言行に現すのである。 これが人生というものではないかと思う」(『自警録』大正五年十月)。
  
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